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2011/09/30

【思い出の落語家18】古今亭志ん朝(1)

明日10月1日は古今亭志ん朝(近ごろ三代目という表記もあるが、この人の場合は不要だろう)の命日だ。亡くなって既に10年が過ぎた。
10年前の2001年10月1日のあの日、あまりのショックに呆然となり、全身から力が抜けるような思いがした。
サラリーマンの現役当時、休日になると志ん朝の出る寄席や、都内と近県で行われている独演会を探しては出かけるのを楽しみにしていた。
好きな噺家はいたが、ファンと呼べるのは志ん朝だけだった。
あの日、まるで肉親を失ったような悲しみに打ちひしがれた。

本人の体調の変化は、家族やお弟子さんのように毎日接している人たちより、たまにしか会わない私たちの方が先に気付くことがある。
志ん朝の場合も、亡くなる2,3年前前からオヤッと思うことがあった。顔色が少しどす黒くなり、痩せていくのが気になっていた。
はっきり異変に気が付いたのは、亡くなる2年前の当代馬生の襲名披露の時だった。
私は鈴本演芸場の最前列にいたのだが、口上の席に着いていた目の前の志ん朝の、特に顔が痩せてしまっていて、身体も一回り小さく見えた。
その時、もしかして癌ではないかという疑いを抱いた。

この時の鈴本の高座では、志ん朝はトリの当代馬生の前に上がり、「三方一両損」をかけた。
マクラなしでネタに入りオチまで。ただ全体に抑え気味の高座で、客席も大きく沸くとというより静かに耳を傾ける、そんな光景だった。
その約2か月くらい後の独演会で、志ん朝は同じ演目をかけた。
マクラこそ振ったが、後は鈴本と全く同じ内容の口演だった。しかしこちらの方は大受けで、客席は笑いに包まれた。
同じネタを同じように演じながら、全く違う高座にしてしまう。
改めて志ん朝という人の芸の深さに感嘆した憶えがある。

お盆恒例の、浅草演芸ホールでの「住吉踊り」は前年の2000年まで観に行っていた。
高座を観る限りでは相変わらず華やかで、病の兆候は全く感じさせなかった。
だが2001年8月の「住吉踊り」を観た実姉・美濃部美津子は志ん朝の声がおかしいのに気づき、本人に電話する。初めて、既に病院から寄席に通っていた事を知らされる。
夫人から「実はもうダメなんですよ」と聞かされるのは、このあと直ぐだ。

志ん朝の臨終の様子は、姉・美津子の「三人噺 志ん生・馬生・志ん朝」に書かれているが、志ん朝ファンにとっては涙無しでは読めないだろう。
以下に、その一部を引用する。
【引用開始】
弟子たちが、「師匠、お姉さんが来ましたよ。しっかりしてください!」って、大きな声で呼んだのよ。眠らせちゃうと、そのまんま逝っちゃうから、あたしが着くまで皆して声をかけ続けてくれたんですね。
枕元に駆け寄ったら、もう目がこんなに大きく開いちゃってるの。あたしも必死で叫びました。
「強次っ! 強次っ! 姉ちゃんだよ、姉ちゃんだよっ」
そんとき、何かかすかに目の玉が動いたような気がすんですよ。でも、身体はもう動かなくなっちゃってる。ああ、もうこれは無理だなって思ってね。
「真っ直ぐ父ちゃんと母ちゃんのとこへ行くんだよっ。いいね。真っ直ぐ父ちゃんと母ちゃんのとこへ行くんだよっ!」
うーんって、わかったーって顔したように、あたしには見えました。
【引用終り】

志ん朝の芸は、高座は、これから幾世代にもわたって語り継がれていくことだろう。
ほぼ同時代をすごしてきた者として、そのことを誇りに思う。
志ん朝は私にとってあまりに記憶に生々しく、今まで書くのを避けてきた。
志ん朝を知らない若い落語ファンも増えてきたいま、これから少しづつ思い出を書いて行こうと思う。

2011/09/29

「反韓流」の不可解

最近やや下火になった感がある「反韓流」だが、一時期は韓国ドラマを多数放送しているフジTVへのデモも行われて大騒ぎだった。
お断りしておくが、私は韓流ドラマというものを観たことがない。
食わず嫌いといってはそれまでだが、番宣で予告編を何度か観たが、あまりに作りが安っぽいので観る気が起きなかったのだ。
しかし観て楽しいという人がいても、それは好きずきだから否定はしない。
だから放送局にデモをかけたり、スポンサー企業に嫌がらせしたりするのは、どうも解せないのだ。

「韓流ドラマ」に最初に火をつけたのは、NHKだ。BSを中心に、これでもかという程日々放映していた。
しかもあの放映権料は、我々の受信料から支出されている。「韓流」を批判するなら、なぜあの時にNHKに抗議デモを起こさなかったのだろうか。

我が家にTVが入ったのは、私が高校生の時だった。
当時の人気ドラマといえば、その多くが米国産だった。毎日、夢中になって観ていたものだ。
これはアメリカの文化侵略の一環だというような声は、ほとんで聞かれなかった。
やがて米国産ドラマは淘汰され、人気は国産ドラマに移る。
理由は、日本のTV局が制作する番組の質が上がったからだ。
日本製ドラマは海外でも評価され、アジアを中心に世界各国に輸出されるようになる。日本のドラマを放送するのはケシカランと、海外でデモが起きたという話は聞いたことがない。
大きくみれば、文化は高い所から低い所に流れるものなのだ。

むしろ問題とすべきは、日本のTV局の現状だろう。
ドラマの多くは制作会社が作り、局はそれを流すだけに成り下がってしまった。
そうなれば、安い費用で視聴率さえ取れれば、どこの国のドラマでも良いことになる。
問題とすべきは「韓流」ではなく、文化の担い手を放棄してしまった放送局側にある。

もしこれがアメリカやフランスのドラマだったら、あの人たちは抗議デモをしただろうか。やらないだろう。
デモの写真では日の丸が林立していたが、してみると実態はドラマ批判に名を借りた「反韓国」デモだったのではなかろうか。
それなら正々堂々と政治行動を起こせばよい。向かう先はTV局ではなく、ソウルか韓国大使館だ。
TV局へのデモでお茶を濁すのであれば、偏狭なナショナリズムの自己満足に終わるだけだ。

「反韓国」を旗印にしているフジ・サンケイGが、韓国ドラマにはご執心なのは、こちらも不可解。

2011/09/27

亀治郎が「猿之助」を襲名、香川照之は「中車」に

歌舞伎界から嬉しいニュースが飛び込んできた。
市川亀治郎(35)が、来年6月に行われる新橋演舞場「初代市川猿翁・三代目市川段四郎五十回忌追善 六月大歌舞伎」公演で、四代目市川猿之助を襲名することが決まった。
同時に当代猿之助(71)の長男で俳優の香川照之(45)が市川中車を名乗り、香川の長男・政明(7)が市川団子を襲名し、それぞれ初舞台を踏む予定とのことだ。
当代猿之助は二代目猿翁を名乗る。

二代目猿之助(初代猿翁)は、当代の猿之助と段四郎の祖父にあたる人だ。
私は一度舞台を観ているが、未だ子どもだったので殆んど中身を憶えていない。
経歴を見てみると、当時の歌舞伎俳優としては異例である海外留学をし、海外の舞台の演出を歌舞伎に採りいれたりしたとある。
歌舞伎以外の舞台や映画にも出演するなど、歌舞伎界の風雲児、異端児などと呼ばれていたらしい。

当代の猿之助もスペクタクルな舞台作りが、時に歌舞伎通からは「けれん」であるとか、女・子ども向きなどと批判されてきた。
そのスーパー歌舞伎の舞台は何回か観たが、面白いし観客も楽しんでいた。
大衆芸能である歌舞伎は、お客が喜んでくれるのが何よりだ。
新猿之助となる亀治郎には、そうした澤瀉(おもだか)屋の良き伝統を受け継いだ、エキサイティングで楽しい舞台をみせて欲しいし、またその能力は十分にあると思う。

香川照之については、いつか歌舞伎の世界に入ってくることを期待していただけに、嬉しい。
市川中車は澤瀉屋ゆかりの名跡のひとつ。八代目中車は二代目猿之助の弟で、名脇役として知られていた。
当時のある漫才師のギャグに「市川中車の弟子で市川かちゅうしゃ」というのがあった位、名の知れた俳優だった。
歌舞伎役者としてどんな演技を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

こうなりゃ、来年6月の舞台は女房を質に置いてでも(預かってくれないか)行かざぁなるめぇ。

【陸山会・西松裁判】画期的な判決

公共工事が行われると、受注金額の一部が地元のオール自民党(自民党及び元自民で現在は民主党などに所属している議員たち)国会議員に上納させられる。
元請けのゼネコンが支払うのだが、その原資として下請け孫請けから、時には資材納入業者にいたるまで分担金が課せられる。
さんざん予算を切り詰められた揚句、代金を受け取る際に「バッジ(議員のこと)に渡す〇〇万円分、差っ引いてあるから」と、勝手に減額されてしまうのだ。
明らかに違法だが、逆らえば仕事を貰えないから泣く泣く応じていたのが実状だ。
献金についての事後報告もなければ、領収書も出ない。
そうした建設関係の人間にとって、今回の小沢一郎をめぐる「陸山会」「西松建設」事件における裁判で検察側の全面勝訴となった判決には、多少とも胸の空く思いをしたことだろう。

小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、元秘書3人が政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた事件の判決で、東京地裁は9月26日、元事務担当者の衆院議員・石川知裕被告に禁錮2年(執行猶予3年)、後任の事務担当者の池田光智被告は禁錮1年(同3年)を、また「西松建設」からの違法献金事件でも起訴された元会計責任者で元公設第1秘書の大久保隆規被告は禁錮3年(同5年)の判決を言い渡した。

不思議に思うのは、比較的リベラルな人の中に、小沢一郎に同情的な声があることだ。
現在の「政治資金規正法」というのは、余程のことでない限り議員が法律に違反することがないように作ってある。
明らかにワイロだという金でも、事務処理さえきちんとしていれば触法しない、そういうザル法なのだ。
議員が地元に公共工事を引っ張ってきて、「天の声」で受注業者を決めそこから「上り」を貰う、これは誰が見てもワイロだ。しかし経理処理さえ正しければ、今の法律では罰せられない。
だから、その「政治資金規正法」に引っ掛かるということは、よっぽど後ろめたいことがあったということだ。

そんな事はオール自民党の議員なら誰でもやっている。小沢一郎だけが悪いわけでは無いという意見もあるかも知れない。一面、その通りだ。
しかし小沢の場合は、政党を作っては壊し作っては壊しを繰り返してきた。
子分を集め新しい政党や集団を作るには、先立つものは金だ。他の議員に比べて余計に資金が要る。だから強引な金集めをしなくてはならない。
そこに危ない橋を渡らざるを得ない事情があったわけだ。
小沢には同情すべき余地はない。
むしろ今回有罪判決を受けた秘書らは、小沢センセイの指示通りに動いていただけだから、こちらは些か同情の余地がある。

今後のことだが、先ず小沢一郎は議員辞職すべきだろう。
次に、現在の「政治資金規正法」を見直し、実質ワイロと認められるような資金は全て違法にすべく改正の必要がある。
この法律に関しては、議員が係わらない第三者機関によって法案を作成するようにすべきだ。

この件に関して、昨日の国会で自民党議員が追及していたが、あれは噴飯もの。
「天に唾する」行為である。

2011/09/26

「市馬・白酒・兼好 三人会」(2011/9/24)

9月24日の二軒目は、横浜にぎわい座で行われた「市馬・白酒・兼好 三人会」へ。
「喬太郎・談笑二人会」がハネテから、有楽町から桜木町に移動、時間はピッタリで開演に間に合う。
この顔ぶれでも、満席にはならなかった。
「三人の殿様」という企画で、はて、どんな殿様ネタが出てくるのか。

<  番組  >
出演者による「鼎談」
前座・柳亭市也「のめる」
三遊亭兼好「目黒のさんま」
~仲入り~
桃月庵白酒「井戸の茶碗」
柳亭市馬「松曳き」

冒頭は出演者3人による「鼎談」で、司会は白酒でこれが意外に下手だったのはご愛嬌。
それぞれにとって殿様は誰かという質問に、兼好は5代目圓楽、白酒はビートたけし、そして市馬は往年の時代劇大スター・市川右太衛門と答えていた。
興津要が作った「三日月党」の殿が市川右太衛門で、その振る舞いは殿様そのものだった由。因みに家老が師匠・小さんだったとか。
市馬はサービスで「三日月党」の歌を披露したが、この人は一度は高座で唄わないと気が済まぬようだ。

兼好「目黒のさんま」、このあと仲入りとなったが、出演者たちは白酒の後で仲入りという認識でいたらしい。そりゃそうだろう、仲入り前と分かっていれば、このネタは選ばなかった筈だ。
主催者(アクセス/夢空間)の手抜かりだ。
「夢空間」という会社は、出演者と会場をおさえれば、後はチケットを売るだけと考えているフシがある。
当日のプログラム1枚作る気もないこういう会社が、落語会を主催する大手というのも実に困ったものだ。
軽妙にバカ殿ぶりを演じ面白く聴かせていたが、最近の兼好をみていると小さくまとまって来ているような印象を受けるのだ。
以前から、白酒・三三・兼好・一之輔を「若手四天王」と勝手に名づけ注目してきたのだが、兼好が一歩遅れをとってきたような気がしてならない。

白酒「井戸の茶碗」、先ず演出上の工夫があった。
屑屋の清兵衛が千代田卜斎の茶碗を高木佐太夫宅に届ける際に、卜斎の娘を伴っていくという設定にしている。ここで佐太夫と娘が顔を合わせているのだ。
だから卜斎が娘を嫁にと言いだしたとき、既に二人は互いに憎からず思っていたので話がまとまったという分けだ。
オリジナルでは娘の意思は無視されている。この当時の婚礼は親が一方的に決めていたので、これが現実だった。しかし今のお客には、白酒の演出の方が受け入れ易いのではなかろうか。
なにせ、NHKの大河ドラマがホームドラマになってしまった今日この頃。
登場人物の造形もしっかりとしていてテンポも良く、上々の高座だった。

市馬「松曳き」、師匠・小さんの粗忽ぶりのエピソードをマクラにふって本題へ。
小さんの演出をそのまま受け継いだ、本寸法の高座。
ただ白酒の「松曳き」を聴いてしまうと、どうも他が物足りなく感じる。
どうせなら殿様が出て来る他の演目、例えば「妾馬」辺りが聴きたかったというのは贅沢だろうか。

2011/09/25

「柳家と立川②」喬太郎・談笑二人会(2011/9/24)

9月24日は落語会のハシゴ。
一軒目は、よみうりホールで行われた"rakugo オルタナティブ vol.7"「柳家と立川②」で、今回は「喬太郎・談笑二人会」という趣向。
喬太郎は昨夜に続き2日連続、さらに今週末には「さん喬との親子会」が控えている。
TVカメラが入っていたが、果たして良い絵が撮れたかどうか。
前の方に空席が目立ち、気になった。

<  番組  >
立川こしら「時そば」
柳家喬太郎「ほんとのこというと」
立川談笑「粗忽長屋」
~仲入り~
立川談笑「居酒屋・改(イラサリマケー)」
柳家喬太郎「道灌」
座談(喬太郎&談笑)

こしら「時そば」、若々しい高座で、後半の工夫も良かった。
ただソバの食い方が下手だ。

喬太郎「ほんとのこというと」、この日唯一の新作。
男がフィアンセを自宅に連れてきて、両親と弟妹に紹介する所から始まる人間ドラマ・・・、っていうほど大袈裟なモノではない。
とかく優し過ぎる男っていうのは、結婚相手には選ばない方が良いという教訓か。
軽いネタを、例によって喬太郎の話芸だけで聴かせていた。

談笑「粗忽長屋」。
立川流だから「主観長屋」かと思ったら、そうではなく「粗忽」の方だった。もちろん談笑だから改作だ。
この人の改作は当たり外れがあるが、これは完全な当たり。
先ずタイトルが「粗忽長屋」でありながら、オリジナルでは長屋の他の住人の動向が触れられていない。粗忽なのは二人だけだ。
談笑の演出では、長屋中揃って粗忽者にしている。
オリジナルでは行き倒れを見物人がグルリと取り巻いて見ているだけだが、ここでは順々に遺体を検分させていて、リアルだ。
見物人の股の間をくぐって前へ行くというのも、考えてみれば不自然だ。
談笑のは「思い込み」男が大声を出して注意をそらしておいて、その隙に前に出てくるようにしている。
「正蔵の怪談噺が始まる」といって群衆を集めておいて、「今の」というと一斉に散ってゆくというギャグだ。
熊公が遺体を見て、さすがに自分ではない事に気づく。いくら主観を振り回されても、そこまで自我は失っていなかったというわけだ。
この点は、このネタの根幹にかかわる改変で、議論の分かれる処だろう。
私は一つの試みとして良いと思う。
そうでもしないと、五代目小さんの「粗忽長屋」に対抗出来ないのではなかろうか。
談笑の改作については色々厳しいことを書いてきたが、この作品は良かった。

談笑「居酒屋・改(イラサリマケー)」については、今さら解説の必要もないだろう。
初めてというお客も多かったようで(喬太郎も初めて聴いたそうだ)、談笑は軽く演じていたが客席は大受けだった。

喬太郎「道灌」、後の座談の中で、この日は敢えて余計なクスグリは入れず、大師匠・小さんの形で演じたと語っていた。
それはいいが、この日は頻繁に「噛んで」いた。体調でも悪かったのか、集中力に欠けていたのか。
この手の噺は、リズム感が命だ。「噛む」度に、そのリズムが壊されてしまう。
本人も認めていたように、トリのネタとしては不適切。はっきり言えば、不出来の高座だった。

むしろ「座談」の中で、喬太郎は「芝浜」を「ブルーライト・ヨコハマ」の替え歌にして3分間で演じたが、こちらは結構でした。この日一番の出来だった。

やはり「座談」の中で、喬太郎が談笑の芸について「協会にはいないタイプ」と言ってたが、その通り。いや、立川流の中でも異色だと思う。
この日の会は、談笑が存在感を示した。

2011/09/24

落語教育委員会(2011/9/23昼)

9月23日、横浜にぎわい座で行われた「落語教育委員会”喜多八・歌武蔵・喬太郎三人会”」昼の部へ。

<  番組  >
オープニング・コント
春風亭朝也「そば清」
三遊亭歌武蔵「天災」
~仲入り~
柳家喜多八「目黒のさんま」
柳家喬太郎「宮戸川」通し

ショウもないけど面白いコントの後は、
一朝門下の二ツ目、朝也「そば清」。
同郷で住まいが近所という関係で、市馬に稽古をつけて貰う機会が多いと語っていたが、鍛え甲斐のある若手だと思う。
こういう処に出る若手の中に、「お目立てが出るまで暫く私の下手な噺で辛抱してね」的な卑屈な態度をみせる芸人がいるが、あれは却って客に失礼だ。
それほど下手を自覚してるなら出て来るなと言いたくなる。
朝也は堂々としているし、ネタも良く仕上がっていた。
一之輔の弟弟子にあたるが、このまま行けば”再来年”が期待できるかも知れない。

歌武蔵「天災」、出だしは「二十四孝」だったたが、ネタはこちら。
身体の大きい人というのは繊細な性格の人が多いと良く言われるが、歌武蔵の高座を聴いていて、言い間違い、言い落とし、言い淀みというのにお目にかかったことがない。練習を十分にしている証拠だろう。
元力士だけに、稽古はお手のものか。
欠点は、どのネタを演っても話のリズムが一緒ということか。

喜多八「目黒のさんま」。
マクラで立ち食い蕎麦屋で、かき揚げソバが好物と言っていたが、随分と庶民的な殿下だ。でも、ちゃんとネタに繋がっている。
落語家なんて上手いも下手もない。詰まるところ好きか嫌いかだけだと言っていたが、一面の事実ではある。
この日は季節感のあるネタを軽めに流す。

喬太郎「宮戸川」。
この会で、初めて喬太郎のトリにあたる。
マクラで、"Boy meets girl."の物語と言うと、客席は大笑い。すかさず「何がおかしい!」と切り返し、一気に喬太郎ワールドに客を引きずり込む、いつもながら見事な手腕。
珍しく二人が結ばれる前半で切らず、後半の最後のオチまで演じ切る。
このネタ、前半のラブストーリーから、後半はガラリと趣向が変わって人情噺風の展開となる。通しで演じて初めて「宮戸川」のタイトルの意味も分かってくる。
良く出来た噺なのだが、後半が陰惨な印象を与えるためか、永らく寄席で演じられなくなっていた。

ここで粗筋を紹介すると、
半七とお花がめでたく祝言を上げてから数年経ち、お花が浅草の観音さまに参詣しての帰り、雷門まで来ると夕立に逢う。
傘を忘れたので、一人で雨宿りしていると、突然の雷鳴でお花は気絶。
そこの通りかかったならず者の船頭三人組、いい女なのでお花を攫って散々なぐさみものにした挙句、殺して宮戸川に投げ込んでしまう。
女房が行方知れずになり、半七は泣く泣く葬式を出し、その三回忌法要の帰り、山谷堀から舟を雇うと、一人の酔っ払った船頭が乗せてくれと頼む。
半七が承知して二人で船中でのんでいると、その船頭が酒の勢いで、二年前お花に対する悪事をべらべら口走る。
半七は「これで様子がガラリと知れた」と言いながら、脇差を抜いて切りかかるが・・・。

喬太郎は芝居噺仕立てで演じたが、特に船頭の悪党ぶりが際立つ。聴いていて、ゾッとする程だった。
最後の場面を、霊岸島の伯父さんの三回忌法要の会場に設定したのは、喬太郎独自の演出だろうか。
いずれにしろ、喬太郎の「宮戸川」通しが聴けたのは、今日の最大の収穫だった。

2011/09/20

入船亭扇橋一門会(2011/9/19)

9月19日鈴本中席に行く予定だったが急きょ変更して、「なかの芸能小劇場」で開かれた「入船亭扇橋一門会」へ。
会場から歩いて数分の所に、ボクの生家があった。かつてここで生まれ、戦時中の疎開をのぞき、小学2年までずっと暮らした場所だ。今でも時々夢に出てくる。
およそ60年ぶりに訪れてみたが、昔の我が家はとうに無く、今は不動産会社の小さなビルが建てられていた。
近所を歩いてみたら、ガラス店が当時のままあった。隣は幼馴染の家で釣具屋だったが、今は改築してスポーツ用品店になっていた。近くの蕎麦屋は昔のままだった。
半世紀を遥かにこえているのに、意外と憶えているものだ。

会場は思ったより小さく、落語会にはうってつけ。
師匠・扇橋は今年80才になり、体調がすぐれないということで今回は出演しなかった。

<  番組  >
前座・入船亭辰じん「金明竹」
入船亭遊一「真田小僧」
入船亭扇辰「千早ふる」
入船亭扇遊「三井の大黒」
~仲入り~
入船亭扇里「開帳の雪隠」
入船亭扇冶「らくだ」

辰じん「金明竹」、高座をみるのは3度目となるが、上手い前座だ。セリフの「間」の取り方が良く、これは天性だろう。
将来は扇遊や扇辰クラスの真打になるものと期待される。

遊一「真田小僧」、後輩に真打昇進を抜かれ、心中穏やかではいられないと察せられる。
印象としては、前座の出来が良かったせいか、今ひとつ精彩に欠けていた。
このネタであれば、もっと練られていなければならない。父親の受けのセリフで「冗談じゃねえ」を多用していたが、こういう一つ一つの言葉の吟味が求められる位置に来ている。
もっとアグレッシブな姿勢が必要ではなかろうか。

扇辰「千早ふる」、扇辰のこのネタに関しては言うことなし。
飄々とした佇まいは師匠譲りだが、加えて「艶」が出てきた。そこに大師匠・三木助の面影を感じる。

扇遊「三井の大黒」、こちらも三木助譲りの高座。
周囲にいるイナセな江戸の大工の中で、一人ヌーボーとしていながら風格のある甚五郎、その人物像を鮮やかに描いていた。
惣領弟子、貫録の一席。

扇里「開帳の雪隠」、マクラ小咄集かと思ったら、一応このタイトルのようだ。
「大黒」と「らくだ」に挟まれ、膝代りにこのネタを選んだのだろうか。
2010年の昇進ということは、最も若手の真打だ。妙に枯れた印象で、もっとギラギラした所があっても良いと思うのだが。

扇冶「らくだ」、師匠ではなく、馬桜から教わったネタとのこと。
前半がやや平板だったが、カンカンノウ辺りからアクセルが入り、見せ場である屑屋の酒乱シーンから最後の焼き場のオチまで、一気呵成。
扇冶はスケールの大きさを感じさせる噺家だが、愛嬌に欠ける。
もっとバカになれたら、一皮剥けるように思う。

終演後に会場出口で、扇遊が一人一人に挨拶していたが、高座も客席もあたたかい雰囲気に包まれた一門会だった。

2011/09/19

落語家の「実力」って、なんだろう?

今回は、「落語家の実力」について考えてみたい。
AとBとを比べ、どちらの実力が上かという時に、これが時間や距離を測るスポーツであれば明解だ。しか同じスポーツでも採点競技となると、採点基準が変わると順位に影響する。
人間の知能なら試験の点数(偏差値など)で評価されるのが一般的だが、それだけでは判定出来ない筈だ。
企業に働く人であれば能力評価が行われるが、これも公正に実施されているとは言い難い。
ことほど左様に、実力を評価したり比較したりするのは難しいことなのだ。
噺家の実力の評価でも、同様の問題を抱えている。否やこの世界こそ、評価する人間によって結果が大きく変わる可能性が大なのだ。

以下に、同じ時期に、現役の落語家を評価した二つのケースについて紹介したい。
一つは、「落語あらすじ事典 千字寄席」というサイトで、2008年07月07日付「 落語家の偏差値(以下「千字版」)」という記事だ。
このサイトは「千字寄席」という書籍の著者である、古木優氏と高田裕史氏のお二人によって運営されているもので、相当な「目利き」(落語だから「耳利き」か)である。

【引用開始】
[独断と偏見] 基準は、うまいかへたか、だけ。
70.0 小三治
67.5 雲助  
65.0 さん喬 権太楼 桃太郎
62.5 小柳枝 鯉昇 喜多八 志ん輔 小里ん 
60.0 小朝 川柳 馬桜 志ん五  
57.5 志ん橋 正雀 小満ん 喬太郎      
55.0 円太郎 小さん ぜん馬 竜楽
52.5 昇太 扇遊 菊春  
50.0 歌之介 馬生 市馬 平治 白酒 扇治 正朝   
47.5 玉の輔 たい平  扇辰 三三 兼好 文左衛門 金時
45.0 花緑 彦いち 志の輔 南なん 菊之丞 とん馬 
42.5 志らく 一琴 白鳥 談春 
40.0 三平 幸丸 楽輔   
37.5 歌武蔵 談笑  
35.0 正蔵
32.5 愛楽
30.0 
【引用終り】
以上56名

もう一つは、「週刊文春」(1月1日・8日新年特大号)に掲載された堀井憲一郎氏の「東都落語家2008ランキング」(以下「ホリケン版」)である。
こちらも落語関係の本を著している「目利き」だ。
選ぶ基準は「お笑い好きだけど、あまり落語を知らない人に見せたい落語家」のようで、ベスト150が載っているが、「千字版」と比較するためにベスト56をみてみよう。

【引用開始】
0 立川談志
1 柳家小三治
2 立川志の輔
3 春風亭小朝
4 柳家権太楼
5 春風亭昇太
6 立川談春
7 立川志らく
8 柳家喬太郎
9 柳家さん喬
10 柳亭市馬
11 柳家喜多八
12 林家たい平
13 柳家花緑
14 三遊亭白鳥
15 五街道雲助
16 古今亭志ん輔
17 三遊亭小遊三
18 古今亭菊之丞
19 三遊亭歌武蔵
20 三遊亭遊雀
21 林家正蔵
22 柳家三三
23 昔昔亭桃太郎
24 春風亭一朝
25 瀧川鯉昇
26 春風亭小柳枝
27 立川談笑
28 三遊亭歌之介
29 橘家文左衛門
30 林家彦いち
31 春風亭百栄
32 三遊亭圓丈
33 桃月庵白酒
34 入船亭扇辰
35 三遊亭兼好
36 入船亭扇遊
37 橘家圓太郎
38 春風亭正朝
39 桂歌春
40 むかし家今松
41 春風亭柳橋
42 三遊亭笑遊
43 古今亭志ん五
44 柳家蝠丸
45 柳家小満ん
46 川柳川柳
47 林家三平
48 古今亭寿輔
49 立川生志
50 桂歌丸
51 春風亭勢朝
52 林家正雀
53 柳家はん冶
54 林家木久扇
55 三遊亭圓歌
56 橘家圓蔵
【引用終り】

「千字版」「ホリケン版」で評価基準の違いがあっても、いくつか共通点がある。
先ず、古典落語が中心で、新作の人は少数だ。その結果「落語協会」所属の噺家が大勢を占めている。
小三冶のトップは共通だ。
「ホリケン版」の1位から16位までの顔ぶれは「千字版」と共通であり、先ずはこの辺りのメンバーが今の落語界の中心であるといえよう。
しかし両者の違いもある。
先ず目に付くのは、後者の17位に小遊三がランクされているが、前者には「笑点」の旧メンバーからは誰ひとり選ばれていないことだ。
立川流の扱いも大きな違いだ。
前者では55.0ぜん馬がランクされている以外は、志の輔以下全て平均値より下に格付けされているが、後者では談春、志らくと共にトップ10入りしている。反面、ぜん馬の名がない。
同じ55.0に圓楽一門から竜楽が入っているが、これも後者には名がない。
察するに、「ホリケン版」の方は人気をかなり重視しているのだろう。
落語は大衆芸能である以上、人気、つまり集客力も実力のうちという考え方も成り立つわけだ。

選定基準にしても「千字版」で、60.0小朝、川柳、馬桜と並んでいるのは奇異に映るし、扇遊や市馬より小さんの方がランクが高いのには、首をかしげる人も多いだろう。
正蔵より三平が上に至っては、一体どういう基準なのか、疑問を感じてしまう。

もし私が56人を選ぶとしたら、この両者とも違う結果になるだろう。
100人の人が選べば、結果は100通りになる。異論が出るのは止むをえまい。

噺家の実力とは、一口でいえば話芸に優れ、それが観客に支持されている、ということになるだろう。
しかし計量化や数値化できる性質のものではなく、どうしても評価者の主観が加わるのは避けられない。
今回の落語協会が公表した真打昇進については、大方の落語ファンから歓迎されているようだが、これから先、誰からも支持されるような制度を続けていくのは容易なことではない。 

2011/09/17

「落語協会」真打昇進を改革か

既に他のサイトでもとり上げられているが、「落語協会」の来年度の新真打昇進者が決定した。
9月15日付の協会からのお知らせによると、次の通り。

新真打昇進決定
2012年 春に春風亭一之輔(春風亭一朝門下)
2012年 秋に古今亭朝太(古今亭志ん橋門下)、古今亭菊六(古今亭圓菊門下)が真打に昇進することが決定いたしました。

いつ真打になるか、固唾を飲んで見守ってきた一之輔ファンには、朗報に違いない。
噺家の世界には「香盤」という、相撲の番付のような順位表がある。
その順位を飛び越えて昇進することを「〇人抜き」と称しているが、上記3人についてそれぞれの昇進時に、
一之輔 21人抜き
朝太 8人抜き
菊六 28人抜き
ということになると思う(計算ミスがなければ)。
特に一之輔と菊六は、最近では異例の抜擢ということと、二人ともNHK新人演芸大賞を受賞していることから、今後はコンクールの受賞歴が昇進を左右するようになるのかも知れない。
それとは別に、二人とも地道に独演会を行ってきたことも考慮されたのだろう。
(朝太に関しては予備知識がなくてスミマセン。)

五代目小さんが協会会長に就いた1972年以後、長期にわたり、ほぼ年功序列によって昇進が行なわれてきた(例外はあるが)。
落語家に入門が許され数か月すると前座になり、3-4年で二ツ目、そこから10年前後で真打というのがおよその目安だった。
小朝のように4年で真打などというのは極めて稀な例だった。
その結果、実力の伴わない「名ばかり真打」が量産されることになり、一部の落語ファンからは不満の声も上がっていた。
それなら実力主義にすれば良いのだが、そうもいかない事情もある。
師匠方からすれば、自分の弟子を早く昇進させたいと思うのは人情というものであり、制度の在り方や運用を一歩間違うと、圓生や談志の協会脱退などのような内紛に発展しかねないのだ。
今回だって、飛び越された方には不満が残るだろう。
寄席の席亭さんたちの意向も大きく作用する。
だから制度変更は、よほど慎重にやらねばならないわけだ。

今回の昇進発表をもって、落語協会の昇進制度が年功から実力本位に変わったと即断はできないが、改革へ一歩踏み出した予感がする。
真打のお墨付きは、業界としての品質保証だと思う。
2010年に協会会長に就任した柳家小三冶が、満を持して制度改革の乗り出したとすれば、いち愛好家として大いに期待したい。

2011/09/16

橋下徹は「ミニ東條」

太平洋戦争の開始間もない昭和17年4月に、米国は初めて日本本土爆撃を敢行する。
真珠湾以来、勝利に湧いていた日本に冷水を浴びせ、本土空襲などは絶対にあり得ないと断言してきた東條英機首相は面目丸つぶれになる。
4月30日に総選挙を控え危機感をいだいた東條は、「聖戦完遂」のためと称して翼賛政治体制協議会推薦候補の応援に奔走する。
翼賛会の推薦条件には、「日本は神国なりとの絶対的信念を把握している人」とある。
推薦候補への手厚い支援と、非推薦候補に対する露骨な選挙干渉の結果、推薦候補の実に8割が当選する。
しかし東條はこの結果に満足せず、翼賛会の幹部を動かして各政党を解散させ、翼賛政治会を作る。同時に会に加わらない議員は、議会活動が出来なくした。
この結果、非推薦で当選した議員の大半も翼賛政治会に結集することになり、この会に参加しなかった無所属議員は8名だけとなる。
元々、閣僚をはじめ主要なポストは東條の息のかかった人物や側近で固めていたから、行政は思いのまま。
そして議会はいうと、東條英機が提案する議案を承認するためだけの機関と化した。

昭和史の一断面を読むうちに、ふと頭に浮かんだのは大阪府の橋下徹知事の言動だ。
府知事自ら政党「大阪維新の会」(別名:橋下新党)を作りあげ代表におさまる。
橋下の応援のもと、大阪府下の自治体選挙で「維新の会」候補の当選が相次ぎ、大阪府、大阪市、堺市の3議長を会が独占した。
2011年6月4日、大阪府議会の定数を109から88に削減する条例案が成立した。
その結果、予算が削減される反面、一票の格差が約2.2倍から2.88倍に拡大し、1人区が増加し大政党(つまり大阪では「維新の会))に有利な選挙制度になっている。
橋下徹知事、今年11月27日に行われる大阪市長選に立候補するとの意向で、後任の府知事には息のかかった候補を据える予定のようだ。
「大阪維新の会」が大阪市長選に向け市内で開いた会合で橋下は、「マニフェストを実現してくれる職員でないと困る」と指摘し、維新の会の公約に反対する市職員を選別、選挙後に役職を外す意向を明らかにした。
今や大阪の自治体から、橋下徹の意に従わない人間は全て追放するかのような勢いである。

2011年6月29日に行われた政治資金パーティーで橋下は、大阪府知事・大阪市長のダブル選挙に関して、「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」「大阪は日本の副首都を目指す。 そのために今、絶対にやらなければいけないのは、大阪都をつくることだ」「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と述べた。
さらに「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と語っている。
今どき独裁政治の賛美とは、恐れ入った政治感覚だ。

橋下知事の意向は今や自治体の立法、行政や選挙制度、教育制度への介入にも及んでいる。
「聖戦完遂」を「大阪都構想」に、「翼賛政治会」を「大阪維新の会」にそれぞれ置き換えれば、その手法は戦中の東條英機を連想させる。
もちろん国と自治体では性格も権力も異なる。
だから、ミニ「東條英機」。

果たして11月に大阪府民と市民はどのような審判を下すのだろうか、注目される。

2011/09/15

「らくだ」の屑屋はなぜキレたか

「らくだ」は古典落語の代表的作品の一つであり、数多くの古今東西の名人上手が高座にかけている。
落語ファンにはお馴染みだが、知らない方のために粗筋を紹介する。

長屋の嫌われ者で暴れん坊の「らくだ」がフグに当たって死ぬ。
死体をみつけた「らくだ」の兄貴分は、通りかかった屑屋を脅して使いにやり、長屋の月番には香典を集めさせる。
次に大家の家に向かわせ、通夜の為の酒と料理を要求するが断られる。嫌がる屑屋に死人を担がせ、大家の前でかんかんのうを踊らせる。大家はたまげて、酒と料理を差し出す。
同じようにして、棺桶代わりに八百屋の菜漬け樽を手に入れる。
ひと通り用事を済ませると、今度は仕事に行こうとする屑屋を引き留め、強引に酒を呑ませる。最初は嫌々呑みはじめた屑屋だが、二杯三杯と重ねるうちに、次第に酒乱の態を示しだし、兄貴分はすっかり小さくなってゆく。
後半は、「らくだ」の死骸を樽に押し込み、二人で天秤棒をかついで、屑屋の知り合いである落合の隠坊の所で焼いて貰おうとするが・・・。
(この後半は通常の寄席ではカットされることが多い)

この噺には、いくつかの特徴がある。
先ずタイトルが「らくだ」なのに、その「らくだ」は登場しないこと(芝居では登場してくるが)。
主要な登場人物であるラクダの兄貴分、屑屋、隠坊(おんぼう)、願人坊主など、いずれも当時の社会の底辺に属する人たちであること。
兄貴分と屑屋の支配と被支配の関係が、途中で完全に逆転することである。
この逆転の瞬間がこのネタの聴かせどころであり、どう表現するかが演者の腕の見せどころでもある。
大阪か東京かによっても違うし、同じ東京でも演じ手によって設定が異なるが、屑屋が次第に変身していくというよりは、ある時を境に急激に怒り、威張りだすという演出は共通のようだ。
今ならさしずめキレルとした方が分かり易いかも知れない。

では、なぜ屑屋はキレたのだろうか。
一つは、酒乱だということがある。しかし屑屋は落合の焼き場での最終シーンまで支配の立場を維持しているところを見れば、単なる酒癖だけとは思えない。
前後の話から推察するに、屑屋はかつては大通りに一軒店を構えていた商人だったようだ。
しかし酒で大きな失敗をして、屑屋に身を落としたものとみえる。
家族は母親と女房と子供たちで、屑の商いだけで家族を養うのはさぞかし大変だったろう。
一所懸命に働き、家に帰って一合の晩酌をやるのが唯一の楽しみだったと思われる。
それ以上呑むのは家計の面からも許されず、また元々が酒で失敗して身を持ち崩したのだから、余計呑めない。

長屋にいた「らくだ」という乱暴者のために脅しや苛めを受け、屑屋はさんざん口惜しい思いをしてきた。
その人間が死んでヤレヤレと思ったら、今度はその兄貴分という輪をかけた乱暴者に脅され、あろうことか香典だの酒肴だのを要求する使い走りをやらされ、揚句は死人をかついでカンカンノウまで唄わされる。
兄貴分の男はこれで長屋とは縁が無くなるから良いが、屑屋はまた明日からこの長屋に商売に来なくてはならない。
長屋の大家を始め住人とも気まずくなり、商いにも影響するだろう。
今日一日は商売にならず、収入もゼロに終わてしまった。
そんな悩みなど兄貴分は一切関せず、さらに無理やり酒を勧める。
久々の深酒だ。
屑屋は呑むほどに酔うほどに、ラクダやその兄貴分から受けた屈辱に怒りが込み上げてくる。
同時に、それを甘受してきた自分自身の不甲斐なさへの怒りでもあった。
そうした鬱積した怒りが、酒の力を借りて爆発する。
社会の底辺に生きる人間の、せい一杯の抵抗だったのではなかろうか。
その迫力に気後れした兄貴分は反対にすっかり大人しくなり、以後は屑屋に抑圧されてしまう。
そんな構図を想像してしまうのだ。

2011/09/14

#23「白酒ひとり」(2011/9/13)

9月13日、国立演芸場での「白酒ひとり」の会へ。
プログラムに23回とある。
私の印象では、白酒は真打昇進のころは左程注目を浴びていなかったと記憶しているが、ここ2-3年で急激に力をつけ、若手真打のトップクラスの一人となった。
そこには、こうした地道に独演会を続けてきた努力があったのだろう。
同じプログラムに前回のアンケートよりという欄があり、「一之輔さんはいつ真打になれるのでしょうか?」には笑ってしまった。白酒の回答は「小三冶師匠にも分からないことです。」だった。

前座・林家扇「子ほめ」
<  番組  >
桃月庵白酒「粗忽長屋」
桃月庵白酒「今戸の狐」
~仲入り~
桃月庵白酒「らくだ」

マクラで、この時期はドロップアウトした学生の中に落語家を志望する人間が出てきて、志願者が増えるそうだ。
いちど入門さえすれば、師匠をしくじらない限り首になることもなく、ボーっとしていても十数年経てば自動的に真打になれる。定年もない。就活に失敗して往くところもないから噺家でもなろうかなどという、「でも噺家」が出現するというわけだ。
しかし芸人というもは、サラリーマンとは違い適性が求めらえる。努力だけではどうにもならない世界でもある。そこを肝に銘じて、先が見えたら早目に進路変更することだ。ダラダラ続けていると、本人も客も不幸になる。
この日の前座・扇のことを指しているわけではないので、為念。

この会は初だが、こういう独演会は良いですね。
一人だけで約2時間、たっぷり聴ける。全ての独演会をこの形にして欲しい位だ。

1席目「粗忽長屋」
マクラで、10日に一度散髪に行っているとのこと。ああいう頭は意外と手がかかるんだろう。
白酒のこのネタ、3度目だと思うが、毎回少しづつ変えている。
思い込み男と、それに引きずられる熊、客観視する立会人、その視点の切り替えが上手で、今や十八番の一つといえよう。
ただ、熊のセリフのテンポをもう少し落とした方が効果的ではなかろうか。先代・小さんが良い手本だと思うが、その方が逡巡しながら強引に言いくるめられる男の姿が際立つように思う。

2席目「今戸の狐」
マクラで、今年の「彩の国落語大賞」を受賞したことが紹介された。既に国立花形演芸会の大賞も取っているので、2冠である。
もっとも授賞式でのインタビューや、その後の首長との懇談会には話が合わず閉口したと語っていた。国立の時もあまり嬉しそうではなかったが、テレかな。
因みに受賞の弁は、「埼玉県はいい所ですね。お客さんに喜んでいただける高座にしたいといつも思っています。こういう時期だから、お客さんに笑っていただこう、日常生活をもっと元気よくということをより強く感じています。今回の受賞は励みになります。時間を割いて来ていただくお客さんに恥じないようがんばっていきたいです」だが、こちらはリップサービスだったか。
このネタ、ストーリーがやや錯綜しているのと、長い割に笑いを取りにくにせいか、普段の寄席の高座にかかる機会が少ない。
こういうネタこそ、独演会で聴きたい。
志ん生の録音に比べると、噺の前段である前説の部分をカットし、その代りに用語の説明を丁寧にしている。その分、白酒の高座の方が分かり易い。
嫌な噺家として圓楽を登場させるなど独自のクスグリで笑いを誘い、人物の演じ分けも良く出来ていた。
このネタに関しては、志ん朝を偲ばせる出来だったと思う。

3席目「らくだ」
1席目と「死体」で付くという疵はあったが、こちらも独演会らしく最後の火葬場まで演じた。
未だ完全に練れていないせいか、細かな言い間違いや言い落としはあったが、全体的には良く出来ていたと思う。
白酒の演出では、屑屋が月番にラクダの死を告げた後、直ぐに長屋の皆がそれを知ることにしていたが、こちらの方がリアルだろう。誰かが亡くなったとあれば、アッという間に情報は流れた筈だ。特に大家には。
屑屋が大家が謝っているのに気付かず”かんかんのう”を唄い続ける演出もいい。無我夢中ぶりが良く出ている。
因みに”かんかんのう”は明治になって俗謡”梅が枝節”へと変わり大流行。今でも落語家の出囃子に使われている。
見せ所の屑屋が次第に酔う場面では、一度思い出し笑いをした後に、次第に怒り出す。この方が屑屋の変身ぶりが鮮やかに見える。
掛け声をかけながら棺桶をかつぐのも、最後のオチも、独自の演出。
いつも思うのだが、この人は頭が良いんだろう。

一人3席、それもバラエティに富んだネタの選定で大いに楽しめた。
白酒の快進撃はまだまだ続く。

2011/09/13

いつも「パンツ一丁」


ブログネタ: あなたは寝るとき何を着る?参加数

「寝るときは何を着る?」ときかれ、
「シャネルの5番」と答えたのはマリリン・モンロー。
アタシの場合は「パンツ一丁」。
独りのときは、(香水ぬき)モンローと一緒。
一年中この格好なので、パジャマというものを着たことがない。

【大阪地検隠蔽事件】それを言っちゃあ、おしまいよ

大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠蔽事件で、犯人隠避罪に問われた元特捜部長の大坪弘道被告と元副部長の佐賀元明被告に対する初公判は9月12日行われ、大坪被告の弁護側は、証拠を改ざんした前田恒彦元主任検事=証拠隠滅罪で実刑確定=について「前田元検事は自らの責任を軽くしようと、改ざん隠蔽は大坪被告らの指示だったと虚偽の供述をした」などと批判した。
弁護側は、改ざん問題は2010年1月30日以降に地検内部で表面化したが、大坪被告は前田元検事らから改ざんが故意だったとの報告は受けたことはないと主張。
改ざん問題が報道された同年9月以降に、前田元主任検事や国井検事は自らの責任を回避すべく、改ざん隠蔽は大坪・佐賀両被告の指示だったと供述するようになったと述べた。

大坪・佐賀両被告側は、この事件は完全なデッチアゲだと主張しているわけだ。
郵便不正事件で厚生省・村木厚子氏を犯人にデッチアゲしようとした大阪高検特捜部幹部が、今度は自分たちがデッチアゲの被害者だというわけか。
正に「因果はめぐる小車」。
検察側と被告側が全面対決の様相を呈しているが、検察という組織の性格上、上司が部下の仕事について全く知らなかったということは有り得ない。
もし知らなかったとすれば、大坪・佐賀両名が上司としていかに無能であったかという証明になってしまう。
そんなプライドを捨ててまで、無罪を主張するつもりだろうか。
世間的には、上司と部下で責任のなすり合いをしているとしか見えない。

佐賀被告の弁護側は、国井検事が前田元検事の改ざんに対する自らの考えを記した同僚宛てのメールを証拠として示した。
メールは2010年1月30日に送ったもので、次のような書かれていた。
「言っていないことをPS(検察官作成の供述調書)にすることはよくある。証拠を作り上げたり、もみ消したりするという点では同じ。(自分も)前田を糾弾できるほどキレイなことばかりしてきたのか分からなくなる」と。
弁護側はメールの内容から、国井検事の証言の信用性に疑問を呈した。

国井検事のメールが正しいとすれば、検察というのは昔から、偽の供述調書を作成したり、証拠を創りあげたり、もみ消したりしてきたことになる。
ついこの前まで検察の幹部だった人間が、そんな検察の権威を貶めるようなことを証拠として出して、良心が痛まないのだろうか。
「それを言っちゃあ、おしまいよ」である。

物的証拠の乏しいこの裁判、結果として両被告に無罪判決が出る可能性もあるが、いずれにしろ検察の失うものは大きい。

2011/09/12

「鉢呂失言」報道の不可解な部分

9月10日に福島第1原発事故を巡って失言を重ねた鉢呂吉雄氏が経済産業相を辞任した。事実上の更迭であったが、当然の結果といえる。
ただ、問題とされた二つの発言の報道経緯について、なにか釈然としないものが残る。
ここで、二つの失言の時間経緯を確認する。

第一の失言:東京電力福島第1原発の周辺地域視察などを終えた鉢呂氏が議員宿舎に戻ったのは8日午後11時半ごろで、防災服のままだった。
帰宅を待っていた記者約10人に囲まれ、視察の説明をしようとしながら鉢呂氏が突然、記者の一人にすり寄り、「放射能をうつしてやる」という趣旨の発言をした。
ただ正確に何と言ったのか、報道各社によって発言内容が異なっていて、どれが事実か分からない。

第二の失言:鉢呂氏は翌9日午前の記者会見で「残念ながら(福島第1原発の)周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と発言をした。
これに関しては、各社の報道内容はほぼ一致しており、事実なのだろう。

私の記憶に間違いなければ、8日夜の「放射能」発言の報道は、9日午前の「死の街」発言の報道の後だった。
「死の街」発言を撤回した会見を報じた9日夕方になってから、最初の発言を報じていた。
もし鉢呂氏が「放射能をうつしてやる」と発言したのであれば、なぜこれほど重大なことを直後に報じなかったのか、そこが不可解なのだ。

理由として考えられるのは、その場にいた記者が、当初はこの発言をそれほど問題視していなかったのではなかろうか。むしろ単なるジョーク程度に受け止めていたから、報道する価値がないと判断したのだろう。
翌日の「死の街」発言が問題となり、「そう言えば・・・」と思い出して、「放射能」発言をニュースで流した。
だから、発言内容が各社でバラバラになってしまったものと推測される。

そうであれば、鉢呂氏の最初の失言を聞き流していた記者たちの政治感覚が問われる。
大臣と記者の間に緊張関係が全く無く、言ったほうも聞いたほうも、その場では冗談半分に笑って終わらせていた、そんな姿が頭に浮かぶのだ。
二つの失言の報道がなぜ後先になったのか、マスコミがそこをスルーしているのがどうも腑に落ちない。

2011/09/11

Twitterをやらない理由(わけ)

プログレッシブ英和中辞典より。
【twitter】
1 〈鳥が〉さえずる(「チ, チ, チ」という断続的な鳴き声に用いる);〈人が〉ぺちゃくちゃしゃべる, しゃべりまくる;くすくす笑う.
2 (興奮などで)身震いする;どきどきする.
【twit】
〈人を〉あざける, なじる, 責める
【tweet】
さえずる

Twitter(簡易投稿サイト、ミニブログ)というのが大流行りのようで、ブログと併せて利用したり、ブログからそちらへ転じた人もいるようです。
当ブログでもいつのまにか、記事の末尾にTwitterのアクセスマークが付くようになり、リンクから当イトを訪問する方も出てきています。
冒頭の和英辞典から察すれば、鳥が囀るようにしゃべる、つぶやくというのが特徴なんでしょう。
色々と便利な機能があるようですが、私はTwitterを利用しないつもりでいます。
理由は、投稿(ツイート、つぶやき)記事が140字以内の制限されている点です。
Twitterを否定するつもりは全くなく、ただ私には向かないと思うのです。

当ブログでは一回の記事の長さを2-3分で読み終えるように、およそ1500-2000字程度を目安にしています。
これでも、こちらの意思を相手に伝えるには不十分ですが、ブログという性格上あまり長いものは避けた方が良いと考えているからです。
私の場合、投稿欄に直接書くことはしません。
必ず下書きを書いて、それを投稿するようにしています。だから携帯からの投稿はしない。

1本の記事を書くのに、だいたい1-2時間かけています。
この時間というのが、けっこう重要だと思うのです。
一つには、”思いついたこと=自分の考え”とは限らないんです。
書きながら思いつきを整理し咀嚼していると、自分の意志とは全くかけ離れていたり、時には正反対だったりすることに気付かされます。
もし頭に浮かんだことをそのまま書くと、読む人に誤った情報を発信することになります。
二つ目は、時間をかけて書いているうちに、論理の矛盾や間違いが分かってきます。
修正が不可能だったり、時にはテーマの取り上げ方自体が不適切だったりするケースもあります。
そうして書きかけたままの原稿や、時には完成した原稿を見直す中で、投稿せず”没”にしたものが沢山あります。
それらを後から読み直してみると、いずれも”没”にしておいて正解だったなと思います。
速報性や気軽に書けるという利点には、落とし穴があるような気がするのです。

そこまでしてるのに、このテイタラクかと言われると、反論の余地がありませんけど。

私の場合、考えたことを文章にするには、一定の醸成する時間が必要なのです。
これには個人差があり、なかには下書き無しでどんどん書いていても、論理構成のしっかりとした文章を書ける方もおられます。
自分にはそうした能力がないので、今のスタイルで続けていくしかないと思っています。

2011/09/10

ヤクザにも言わせろ

(司会)本日は最近の暴力団追放の動きにつきまして、「誉苦組」組長にお出で頂き、色々お話を伺いたいと思います。
では組長、どうぞこちらへ。

(組長)あんまりこういう公の場で喋ったことがないけど、せっかくの機会なんで言いたいこと、言わせて貰います。
先ず紳助が極心連合会と付き合ってクビになったけど、あれ、何がいけないのかね。
ヤクザと芸能人は同業者だよ。同業者同士仲良くするのは当たり前だろ。
吉本興業なんてのが、あんなデカクなったのは、誰のお蔭だと思ってるんだ。
歌手だってなんだって、地方で興行するときゃ、みんな俺たちの世話になってきた。
相撲取りだってそうだろう。地方巡業を仕切ってきたのは、すべて俺たちだ。
夜になりゃ、飲ませて抱かせて小遣いまでやってさ。
大阪に本場所もってきたんだって、元はといえば山口組の力だ。
それを今になって組員は入場禁止だと、ふざけるなと言いたい。

賭博はいけないなんて言うけど、公営ギャンブルは何故いいの、おかしいじゃない。
やってることは一緒だろ。
サッカー籤なんて文部科学省がやってるんだろう。あれは教育上いいことなのか。
俺らは少なくとも、子どもにバクチはやらせないぜ。
みかじめ料なんて、すっかり悪者にされてるけどさ。
じゃあ訊くが、飲み屋や風俗でトラブルが起きたとき、誰が鎮めるんだね。
警察を呼びぁいいなんてバカがいるが、冗談言っちゃいけない。
ああいう場所に出入りしているのを知られたくない客なんて大勢いる。オマワリなんて呼べる筈ないんだ。
だから俺たちが行って、静かに収めるわけだ。
俺たちがいるから、お客さんが安心して遊べる。
つまり警察に代わって歓楽街の治安を守ってるんだから、報酬を払って貰うのは当たり前だろ。
警察っていやぁ、知り合いのデカには時々拳銃の隠し場所を教えてやって、点数を稼がせてる。感謝されてるさ。
お返しとして、オメコボシには与かってるけどね。
お互い、共存共栄ってとこかな。

暴力団だって、世の中のためになることをしてるんだよ。
福島原発での作業、あんなのやる人間なんていないぜ。
でも、誰かがやらなくちゃいけない。
そこで俺たちに声が掛かったというわけだ。
秘密のノウハウってやつで人間を集め、福島に送ってる。
もちろん、相応の手数料は頂いてるさ。
ピンハネだなんだって非難するのがいるけど、そんならあんた、代わりに原発へ行くかい。行ってくれる人を探せるかい。ムリだろ。
一人一日10万円貰っといて、本人たちへ渡すのは1万円以下っていうのはホントだ。
だけど俺たちの取り分なんて僅かなんだよ。
ほとんどが東電の関連会社に中抜きされてんだから、そっちを非難しろよ。

企業も政治家も、いつも汚い仕事を俺たちに押しつけておいて、邪魔になると除け者にしてくる。
俺たちから見りゃあ、あいつらの方がよっぽど汚いと思うけどね。

世界中どこへ行ったって、ヤクザがいない国なんてどこも無い。
暴力団追放なんて、どだいムリな話さ。

(司会)どうも貴重なお話、有難うございました。
なお会場の皆様にお願いがあります。
時節柄、今日ここで聴いたことは、絶対にブログやTwitterなどに書かないようお願い致します。

2011/09/09

【ツアーな人々】団体ツアーは添乗員しだい

海外旅行のおよそ9割は添乗員同行のパッケージツアーを利用してきましたので、ざっと50名以上のツアコンと接したことになります。
利用旅行社は6社です。
こうしたツアーの充実度は、添乗員の出来不出来(当り外れ)によりかなり左右されます。優秀な添乗員に出あうと、旅の楽しさは倍増します。
ふつう旅行者はツアコンを選べませんが、最近は「人気添乗員同行」を売り物にしたツアーや、添乗員の名前が指定されているツアーもあります。
ただ人気添乗員というのは必ずしもアテにならず、「どこが?」と訊きたくなるようなケースもあるので、要注意です。

私が、添乗員にとって必要な要素と考えているのは、次の3つです。
①参加者が安全、快適に旅行できるようサポートする。
②不測の事態に、迅速かつ適切に対応する。
③参加者一人一人に細かな目配り、気配りができる。
添乗員によっては、食事の際に日本から調味料などの食材を持参して配ったり、ソバやソーメンを茹でてふるまったりする人もいますが、余計なことです。
大事なことは添乗員の本分を過不足無く果たすことにあります。

よくネットの掲示板などに、特定の旅行社の名前をあげて、添乗員がひどいから二度と利用しないなどと書かれていますが、一度や二度の経験だけでは断定的なことは言えません。
個人的な感想から言うと、阪急交通社のツアコンにはハズレが少ない。日本から渡航先までの距離が長いほど、アタリのツアコンに出会える。社員添乗員に比べ派遣添乗員の方が優秀だというような、大まかな傾向はあります。

それでは今までの旅行で、特に印象に残った添乗員を3名紹介します。
(渡航年月、渡航先、旅行社、添乗員氏名の順で記載)
2009年7月 オーストリア 阪急交通社  大藪和彦
2008年7月 ギリシア クラブツーリズム 福沢奈津子
2002年8月 中国・雲南省 阪急交通社  佐藤(名前は失念)

大藪和彦さんは、プロ中のプロというべき人で、全ての面で満点でした。固定ファンがいるのも頷けます。
良い点をあげればキリがないのですが、例えば自由時間。通常はツアコンはフリータイムとなるのですが、現地に不案内の人のために標準コースを作り一緒に回ってくれます。自由食のときは、安くて美味しい店に案内してくれます。
しかもサービスはさり気なく、決して押し付けになりません。
「豪華列車で行く南アフリカの旅」というツアーで100年に1度の脱線事故に出会ったとき、大藪さんの団体だけがスケジュール通りのツアーを続けられ感謝されたというエピソードも聞きましたが、この人だから出来たんだろうなと思います。

福沢奈津子さんは細かな気配りの人でした。
旅行者がいま何に困っているのか、何を求めているのかを的確につかみ、対処してくれます。
ツアーの最終日に参加者全員がお金を出し合い、感謝の記念品を贈ることが自然に決まったことからも、仕事ぶりが想像して貰えると思います。
福沢さんはかつてツアー客の一人が事故で亡くなるというピンチがあった際に、他のメンバーに誰も気づかれずに最後までツアーを続けたというエピソードを持っています。
優しそうな外見のかげに、芯の強いプロ根性があります。

佐藤さんはツアー参加者の中に、自閉症と思われる少年がいたのですが、実に良く面倒を見ていました。
現地ガイドが案内する旅行社の指定店に入る時、「この店は偽物が多いですから注意して」と全員に耳打ちしてくれました。こんなツアコンは他にいません。
この時の旅行で、私は一日高熱を発したのですが、佐藤さんは一晩に3回もポリ袋に氷を入れて部屋に持ってきてくれ、助かりました。
こういう時は、しみじみと添乗員同行のツアーで良かったなと思います。

これらとは反対の、ハズレの添乗員の話もありますが、それはまた別の機会に。

2011/09/06

【暴力団との交際】そんなら「政治家」はどうよ

「紳助引退騒動」はその後新たな事実が次々と明らかになり、とどまる所を知らない。
右翼の街宣活動を止めさせるために暴力団幹部の世話になり、それがきっかけとなて深みに嵌ったというのが今回の騒動の構図だが、実はこれに良く似た事件がかつて政界でもあった。
それは通称「皇民党事件」と呼ばれるもので、1987年の自民党の総裁指名に関して起きたものだ。
内実が明らかになったのは後で、1992年の東京佐川急便事件の公判の中だ。
事件の概要は次の通り。

1987年当時、総理大臣だった中曽根康弘から受ける次期総裁の指名をめぐって安倍晋太郎、宮澤喜一と争っていた竹下登が、右翼団体である日本皇民党から執拗に「日本一金儲けのうまい竹下さんを総理にしましょう」と「ほめ殺し」を受けた。
その頃、私も通勤途上で、真っ黒な街宣車が数台連って大音量で「ほめ殺し」をしているのを連日見ている。
竹下は、ハマコーこと浜田幸一に8億円の工作資金を渡して説得に向かわせるが、面会を拒否される。
このままでは自民党の後継総裁に就くのはムリとまで追い詰められた竹下登は、側近の金丸信、小沢一郎らを通じて、暴力団とのつながりが強い東京佐川急便社長の渡辺広康に仲介を依頼し、渡辺は広域暴力団稲川会会長・石井進に依頼。
結局、稲川会と皇民党との間で話し合いがつき、「ほめ殺し」は一件落着した。
後の報道では、金丸、小沢が石井会長らを訪問した際に、石井らに深々と頭を下げたと伝えられている。
佐川急便事件で尋問を受けた金丸信は、ほめ殺し中止工作に石井進会長ら暴力団幹部の関与を認めた上で、「川に落ちた所を助けて貰ったのだから、それが暴力団だろうが感謝するのは当然だ」と述べている。
この辺りのセリフも、紳助の会見での弁明とそっくりだ。

紳助がヤクザと付き合おうと、国民生活に大きな影響があるわけではない。
暴力団との関係ウンヌンを言い出したら、いわゆる演歌歌手(この言葉は好きでないが)の多くは飯の食い上げだ。
美空ひばりと山口組とは二人三脚の間柄だったし、北島三郎とヤクザのつながりは昔から有名だ。
しかし、政治家と暴力団の関係は全く話が別。
竹下総理誕生は、稲川会のお陰だと言って良い。
当然それだけの貢献に対する利益供与はあった筈で、「東京佐川急便事件」は、その申し子みたいなものだ。

議員と暴力団とのつながりは歴史が古く、最も顕著だったのは1960年安保改定反対運動を妨害するために、当時の岸信介政権が全国の暴力団を糾合、組織し、デモ隊への殴り込みなどをやらせた。
見返りに、彼らに対する取締りを甘くしたであろうことは、想像に難くない。
自民党など一部保守政治家と暴力団との関係は、今でも公然たる秘密となっている。
「皇民党事件」に見られるように、政治家とヤクザの関係は時に日本の政治の行方をも左右する。
芸能界など後回しで良いのだから、先ずは政治家との付き合いにメスを入れるのが先決である。

2011/09/04

「身毒丸(しんとくまる)」(2011/9/3夜)

9月3日夕方から”天王洲 銀河劇場”で行われている舞台「身毒丸」を観劇。
天王洲アイルという駅に初めて下車した。劇場は駅と直結なので便利。舞台はオペラ座のようにタッパが高く、3階席まで客で埋まっていたようだ。

作:寺山修司/岸田理生
演出:蜷川幸雄
歌詞:寺山修司
作曲:宮川彬良

<  キャスト  >
大竹しのぶ:撫子、身毒丸の継母
矢野聖人:身毒丸
六平直政:身毒丸の父親
中島来星、若林時英(Wキャスト):せんさく、撫子の連れ子 
蘭妖子:小間使い
石井愃一:仮面売り

マメ山田、飯田邦博、福田潔、澤魁士、塚本幸男、プリティ太田、鈴木彰紀、平山遼、羽子田洋子、難波真奈美、池島 優、佐野あい、多岐川装子、石澤美和、茂手木桜子、岡部恭子、尾関陸

ストーリーは。
母を亡くした身毒丸とその父親は、母を売る店で女・撫子を買い、その連れ子(拾われた子で実子ではない)・せんさくと共に4人家族の暮らしが始まる。
母がいない家は家ではないと思い込む父親は満足するが、撫子を母と認めない身毒丸は、彼女に反抗的な態度を取り、しだいに家族から孤立していく。
撫子は身毒丸に手を焼く一方、実子を生みたいという願いも父親から拒絶され、家の中で自分の居場所を見つけられずに追い詰められてゆき、ついには身毒丸を折檻してしまう。
家を飛び出した身毒丸は、地下へ通じる奇妙な「穴」を持つ仮面売りの男に出会う。
亡き母を求め、死人が住むと言われる地下世界へ降りて行く身毒丸だったが、ようやく巡り合ったと思った母は、撫子だった。
それから2年経ち、このままの生活を続けていたら家族が破滅すると考えた撫子は身毒丸を呪い殺そうとする。呪われた身毒丸は両目を潰され、家を去る。
さらに数年、再び家に姿を現した身毒丸はせんさくを汚し、父親は狂い、家は崩壊する。
残された身毒丸と撫子は・・・。

中世の説話をもとに寺山修司と岸田理生により戯曲化されたこの作品は、身毒丸と撫子二人の愛憎―それは時に母と息子という関係であり、時には男と女の関係でもあり―を軸に、物語は展開してゆく。
主人公の撫子は、母は亡く父には売られ、愛したい愛されたい、自分の子どもを産みたい、その夢の実現のために「家」を追い求めてきた。
しかし形だけの家族で、中味は空っぽ。
そしてあれだけ憎んでいた身毒丸を求め、愛し合ってしまう。
それは作者の寺山修司自身が幼いときに父を亡くし、慕う母とは生活のために離れ離れの暮らしとなって、祖母に引きとられ育てられた。その母への思いが投影したものだろうか。
最終シーンは「牡丹燈籠」を連想させる。
ただ物語全体としては、あまり後味が良いとは言えない。

撫子の女の哀しさ、愛しさを初役で大竹しのぶが見事に演じ切る。今回の「身毒丸」は詰まる所、大竹しのぶの芝居である。
とにかく溜め息が出るほど上手い。もう天才としか表現のしようがない。
オーデションで選ばれ初舞台を踏んだ身毒丸役の矢野聖人はやや硬さが見られたが、新人としては良く健闘していたと思う。
ただこの役は藤原竜也で見たかった。矢野には、藤原のようなエロティシズムを醸し出すのは無理かも知れない。
記号としての父親を演じた六平直政はさすがで、登場しただけで舞台が締まる。

舞台装置や小道具、衣装が凝っていて、独特の世界を造りだすのに成功していた。

公演は9月18日まで東京、大阪、名古屋の各地で。

2011/09/03

【野田新内閣】官僚の「復権」

財務省の内部候補といわれた野田佳彦を首班とした新内閣が発足した。
財務省は官房副長官(事務)と首相秘書官に息のかかった人物を送り込んだ上に、素人同然の安住淳が大臣に就いたのだから、満額回答といったところだろう。
民主党政権の下で「政治主導」と「官僚外し」が進められた。
これに対抗して官僚たちが行ったのは、徹底したサボタージュだった。つまりお手並み拝見とばかり、何もしないで過ごしてきた。
その結果、彼らが期待した通りに政治が停滞した。やはり日本の政治は官僚が動かすんですよネと、国民に念をおしたわけだ。

野田総理を先頭に松下政経塾出身の大臣がズラリ揃ったのも、官僚としては歓迎だろう。
松下幸之助が何を教えたのか知らないが、松下政経塾出の議員は総じて信念を持っていない。政治家になるためのノウハウや選挙の勝ち方しか、勉強してこなかったのではと思ってしまう程だ。政治屋の養成所だったのだろうか。
しかし官僚の側からすれば、そうした信念だの理念だのが無い大臣の方が御しやすい。

これからは官僚がヤル気をだして、政治は前に進んでゆくのだろう。
その方向は、
・消費税増税(法人税の減税とセット)
・原発再稼働
・TPP参加
の三本柱を中心に据えることになる。
いずれも財界からは大歓迎だ。
早くいえば、自民党政治の時代に戻るということだ。
人事で小沢一郎を黙らせ、政策で自民党を黙らせる。そうして安定政権の道を歩むというのが、野田首相の戦略だろう。

ただ、その方向性が国民のためになるかどうかは大いに疑問だ。
財界の利益=国民の利益にはならないからだ。
もしかすると来年の今頃は、「やっぱり野田じゃダメ」「菅の方が未だマシだった」などという世論で満ちているかも知れない。
いずれにしろ野田政権の誕生は、政治主導から官僚主導へのターニングポイントとなるのは間違いなかろう。
(敬称略)

2011/09/02

電力会社の「住民監視」

この夏の間にいくつかの原発本を読んだ。それも20-30年ほど前に書かれた古い著書ばかりだ。
その一つに柴野徹夫著「原発のある風景」がある。
およそ30年前に出版されたこの本は、いわゆる原発ジプシーを丹念に追った優れたルポルタージュである。
いま話題になっている電力会社のヤラセについても詳細な手口が紹介されており、その当時から各電力会社は住民説明会や公聴会に対して動員をかけ、賛成意見を組織化し、反対意見を潰してきたことが良く分かる。
勿論、バックには政府機関がついていた。

この著作の中で驚かされたのは、原発立地の地域での電力会社による住民監視の実態だ。
東電なら"T-CIA"(関西電力なら"K-CIA")と密かによばれていた、社長室直轄の「広域地域対策室」という部署があり、そこには原発立地地域の全ての住民の個人情報がデータ化されていることが明らかにされている。
その中味が以下の通りスゴイのだ。
・購読紙・誌
・資産
・家族構成
・学歴
・病歴
・犯歴
・所属団体
・支持政党
・思想傾向
・性格
まで詳細に記録されている。
こんなデータが一企業では分かる筈はなく、電力会社に天下った警察関係者を通して入手したものと推定される。
むろん不正行為であるが、そこは抜かりなく「職警連」とよばれる会合を作り、電力会社及び原発関連企業と警察とが定期的に情報交換していた。これなら「防犯」という大義名分が立つというわけだ。
その他に「長会」という会合があり、そこには電力会社の息のかかった地元の「長」、教育長、学校長、病院長、消防団長、郵便局長、自治会長、老人会長、婦人会長、青年団長、同窓会長、郷土防衛班長・・・などなどなどが集まり、情報交換を行う。こういう事に地元対策費が使われたのだろう。
まるで戦時中の日本や、スターリン治政下のソ連や東欧のような行為が、原発立地地域では行われていたということだ。
こんな事までしなくてはならなかった原発建設というのは、一体なんだったのだろうと思わざるを得ない。

ふと思ったのは、米国CIAの手先になって日本の原発を推進した正力松太郎(元読売新聞社主)のことだ。元々は警察官僚で、共産党狩りを指揮していた人物だ。
電力会社による住民監視の手口に、正力のDNAを感じてしまう。

業界紙である「電力新聞」には、かつてこんな記事が載っていたそうだ。
「国策の原子力開発に反対する奴は、犯罪人扱いする位の、国家安全保障意識があってもいい。」
つまり彼らにとっては、反原発を主張する人間は非国民なのだ。
恐ろしいことである。

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