「らくだ」の屑屋はなぜキレたか
「らくだ」は古典落語の代表的作品の一つであり、数多くの古今東西の名人上手が高座にかけている。
落語ファンにはお馴染みだが、知らない方のために粗筋を紹介する。
長屋の嫌われ者で暴れん坊の「らくだ」がフグに当たって死ぬ。
死体をみつけた「らくだ」の兄貴分は、通りかかった屑屋を脅して使いにやり、長屋の月番には香典を集めさせる。
次に大家の家に向かわせ、通夜の為の酒と料理を要求するが断られる。嫌がる屑屋に死人を担がせ、大家の前でかんかんのうを踊らせる。大家はたまげて、酒と料理を差し出す。
同じようにして、棺桶代わりに八百屋の菜漬け樽を手に入れる。
ひと通り用事を済ませると、今度は仕事に行こうとする屑屋を引き留め、強引に酒を呑ませる。最初は嫌々呑みはじめた屑屋だが、二杯三杯と重ねるうちに、次第に酒乱の態を示しだし、兄貴分はすっかり小さくなってゆく。
後半は、「らくだ」の死骸を樽に押し込み、二人で天秤棒をかついで、屑屋の知り合いである落合の隠坊の所で焼いて貰おうとするが・・・。
(この後半は通常の寄席ではカットされることが多い)
この噺には、いくつかの特徴がある。
先ずタイトルが「らくだ」なのに、その「らくだ」は登場しないこと(芝居では登場してくるが)。
主要な登場人物であるラクダの兄貴分、屑屋、隠坊(おんぼう)、願人坊主など、いずれも当時の社会の底辺に属する人たちであること。
兄貴分と屑屋の支配と被支配の関係が、途中で完全に逆転することである。
この逆転の瞬間がこのネタの聴かせどころであり、どう表現するかが演者の腕の見せどころでもある。
大阪か東京かによっても違うし、同じ東京でも演じ手によって設定が異なるが、屑屋が次第に変身していくというよりは、ある時を境に急激に怒り、威張りだすという演出は共通のようだ。
今ならさしずめキレルとした方が分かり易いかも知れない。
では、なぜ屑屋はキレたのだろうか。
一つは、酒乱だということがある。しかし屑屋は落合の焼き場での最終シーンまで支配の立場を維持しているところを見れば、単なる酒癖だけとは思えない。
前後の話から推察するに、屑屋はかつては大通りに一軒店を構えていた商人だったようだ。
しかし酒で大きな失敗をして、屑屋に身を落としたものとみえる。
家族は母親と女房と子供たちで、屑の商いだけで家族を養うのはさぞかし大変だったろう。
一所懸命に働き、家に帰って一合の晩酌をやるのが唯一の楽しみだったと思われる。
それ以上呑むのは家計の面からも許されず、また元々が酒で失敗して身を持ち崩したのだから、余計呑めない。
長屋にいた「らくだ」という乱暴者のために脅しや苛めを受け、屑屋はさんざん口惜しい思いをしてきた。
その人間が死んでヤレヤレと思ったら、今度はその兄貴分という輪をかけた乱暴者に脅され、あろうことか香典だの酒肴だのを要求する使い走りをやらされ、揚句は死人をかついでカンカンノウまで唄わされる。
兄貴分の男はこれで長屋とは縁が無くなるから良いが、屑屋はまた明日からこの長屋に商売に来なくてはならない。
長屋の大家を始め住人とも気まずくなり、商いにも影響するだろう。
今日一日は商売にならず、収入もゼロに終わてしまった。
そんな悩みなど兄貴分は一切関せず、さらに無理やり酒を勧める。
久々の深酒だ。
屑屋は呑むほどに酔うほどに、ラクダやその兄貴分から受けた屈辱に怒りが込み上げてくる。
同時に、それを甘受してきた自分自身の不甲斐なさへの怒りでもあった。
そうした鬱積した怒りが、酒の力を借りて爆発する。
社会の底辺に生きる人間の、せい一杯の抵抗だったのではなかろうか。
その迫力に気後れした兄貴分は反対にすっかり大人しくなり、以後は屑屋に抑圧されてしまう。
そんな構図を想像してしまうのだ。
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怒り、まっとうな解釈だと思います。
でも私はらくだがのりうつって自分を解放したと見た方が楽しいのです。
カンカンノウを踊るのがたのしくなっちゃたりらくだの髪をむしったり無理やり漬物だるに突っ込んだり、、すでにラクダを遥かに超えています^^。
明日から彼はどう生きたのか?
誰かがそんな新作をやりそうですね。喬太郎かな。
投稿: 佐平次 | 2011/09/16 10:42
佐平次様
成る程、カンカンノウが楽しくなった辺りから、屑屋の弾ける伏線があったというわけですか。
このネタ、「らくだ」自身の姿がもっと鮮明であったら、より奥行きが深い噺になったかも知れません。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2011/09/16 11:50