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2011/10/16

「立川談春独演会」(2011/10/15)

10月15日、神奈川県立音楽堂で行われた第278回県民ホール寄席「立川談春独演会」へ。
昨年3月に行われた25周年記念記念ツアーのファイナル公演に行き、もうしばらく談春はいいかなと思って遠ざかっていたから、およそ1年半ぶりの高座となる。
相変わらず人気は高く、どの公演でも前売り完売らしい。決して一過性の人気ではなく、固定ファンをつかんだということだ。

<  番組  >
前座・立川春太「出来心」(花色木綿)
立川談春「長短」
~仲入り~
立川談春「文七元結」

春太「出来心」(花色木綿)、上手い前座だ。立川流以外なら二ツ目と言っても可笑しくない。もっと泥棒にトボケタ味が出てくれば笑いが取れるだろう。

この日の談春、前日に風邪を引いたようで、かなり喉の調子が悪そうだった。
寄席と違って簡単に休演や代演がきかないのは分かるが、体調が悪く良好なパフォーマンスが披露できないことが予測されるなら、思い切って独演会を取りやめにする選択肢もあると思う。
これは別に談春に限ったことではなく、他の独演会にも言えることではある。

談春の1席目「長短」、被災地での公演についてエピソードを紹介したマクラは面白かったが、ネタに入ってからは平凡な出来。

談春の2席目「文七元結」、2005年12月の独演会以来だが、その時の高座についてこのブログで次の様に絶賛した。
【(前略)左官長兵衛の博打の借金を見かねて吉原の大店「佐野槌」に身を沈める娘お久。
「佐野槌」の女将が長兵衛に向かって、50両と引き換えにそのお久の気持ちを伝え戒める場面、そしてお久自身が長兵衛に母を大事にするよう訴える場面が、この噺の前半の泣かせ所ですが、ここを談春は大胆に端折ってしまいました。
その代わりに、女将が博打がいかに馬鹿馬鹿しいものかということを懇々と長兵衛に説く演出にしています。
世の中のウラもオモテも知り尽くした女将の人物描写の見事さ、借金の期限を2年先の大晦日にして、1日でも返済が過ぎれば「その時は、私は鬼になるよ」というセリフの凄み、談春の語りが冴え渡ります。

その大事な50両を、大金を盗られたと思い込み、吾妻橋から身投げようとしていた「近江屋」の手代文七に投げ与える長兵衛。
談春の演出はここを余り理詰めにせず、行きがかり上引っ込みがつかなくなった江戸っ子の心意気にしていましたが、この演じ方の方が後半の展開に無理なくつながり、成功していました。(後略)】

5年前の演出に比べて、今回は次のような変更が行われていた。
1.佐野槌の女将の説教が博打のカラクリにとどまらず、名人論から説いて長兵衛に左官職に身をいれるよう説諭する場面を長く取った。
2.お久が長兵衛に、おっかさんを大事にするよう訴えるセリフを加えた。
3.吾妻橋の場面で文七を説得しているうちに長兵衛が、親が子どもに尽くすのが本来の姿であり、この50両は自分が持っていてはいけない金だと思い立ち、文七に投げつける。

この噺の長兵衛の行動というのは、必ずしも理にかなったものではなく、それより江戸っ子としての心意気や情によって動かされたと考えるべきだろう。
だから近江屋の主人が、「私ら商人には到底理解できない」と言うのだ。
今回の談春の演出は、あまりに理が勝ちすぎて、このネタの奥行きを消したように思われる。
残念ながら5年前の高座の方が優れていたというのが、私の感想だ。

談春の落語については一方で談春以外の噺家は要らないという意見もあれば、芸が水準以下だという厳しい主張もある。
いずれにしろ、これからも注目を浴び続ける存在ではある。

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コメント

談春は、震災の二日前に成城ホールで聞いて以来のご無沙汰です。その時のブログは少し時間を置いてから公開しましたが、『按摩の炬燵』と『木乃伊取り』という酔っ払いとお店のダブルでついたネタ選びも含め、あまり感心できる高座ではなかった記憶だけは残っています。
ここ最近はJAL落語会への出演やテレビへの出演などが目立ち、言わば“大衆化”を意識しているのだろうか、そんな印象を持っていました。
まったく私の思い違いかもしれませんが、ほめ・くさんの詳細な分析を拝見すると、何かを変えようとはしているように思います。

小言幸兵衛様
「文七」というネタですが、よく考えると長兵衛のようにプライドの高い男が、いくら金に困っていたとはいえ、娘をカタに50両受け取る料簡が腑に落ちません。
さらにその50両を他人に与えるというのは、正気の沙汰でない。
この噺は、理詰めでだけは説明つかないのです。
演者はその情の部分をいかに表現し観客に納得させるかが、腕の見せ処です。
談春の一所に安住することなく変えて行きたいと意志は尊重したいのですが、どうもこの高座でいえば退行しているように見えました。

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