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2011/10/30

#16三田落語会(2011/10/29昼)

10月29日昼、仏教伝道センタービルで行われた第16回三田落語会「さん喬・正蔵二人会」へ。
今回は、さん喬が石井徹也作「村正騒動」を、正蔵がさん喬から教わった古典「締込み」を、それぞれネタおろしするという意欲的な企画となっていた。

<  番組  >
前座・林家はな平「子ほめ」
柳家さん喬「そば清」
林家正蔵「蜆売り」
~仲入り~
林家正蔵「締込み」
柳家さん喬「村正騒動」

はな平「子ほめ」、11月に二ツ目に昇進とか。さすがにセリフの「間」がよく、演出も工夫されている。「噛む」癖を直せば面白い存在になるかも知れない。

正蔵の1席目「蜆売り」。
公演プログラムに放送作家の石井徹也が正蔵のことを紹介しているが、それによると、襲名以来増やしたネタの数は170を超えているとか。無心に落語と向き合う姿は後輩の範になっていると書かれている。
確かにこぶ平時代とは見違えるような存在になっている。熱心さも伝わる。でも何かが足りない。そこを乗り越えないと一流の仲間入りは出来ない。
このネタ、白波物の東京バージョンではなく、上方落語を江戸に移した形(かた)での口演。鼠小僧が出てこないのと、オチがある所が東京版と異なる。
商家の主人、奉公人、蜆売りの少年それぞれの人物像の造形も良く、いい出来だったと思う。

2席目「締込み」。
時間が押していたのか、前半の泥棒の親分とのヤリトリがカットされ、空き巣に入る所からスタートした。
夫婦の会話がたどたどしく、夫婦喧嘩に至る過程に説得力がない。泥棒にはもっとトボケタ味が欲しい。
人物像が平板で、ネタおろしという点を考慮してもあまり評価は出来ない。
正蔵の欠点に滑稽噺があまり面白くないことが挙げられるが、この日気づいたのは人情噺と滑稽噺のセリフのリズムや「間」が同じなのだ。
決して明るいとはいえない芸風を乗り越えるためには、この辺りの修練が求められると思う。

さん喬の1席目「そば清」。
マクラで秋空の雲の形やススキの美しさを語る。
ネタは毎度お馴染みで、言う事なし。最近の若手の口演を聴いていると、この演目はさん喬の演出が手本になっている気がする。

2席目「村正騒動」。
作者の解説によると、上方落語の「大丸屋騒動」の東京版を目指し、後半を中心に手を加えたと書かれている。
オリジナルの「大丸屋騒動」の粗筋は次のようである。

【伏見の大丸屋という酒問屋の跡取り息子から妖刀「村正」を預った次男坊。
この若旦那が祇園の芸者・おときと相思相愛の仲になる。
兄は二人を添わせてやろうと、おときを祇園から落籍(ひ)かせて一軒家を持たせ、三ヶ月の間に花嫁修業をさせることにする。
若旦那には番頭をつけ謹慎させて、二人には三か月間は会わないと言う約束をさせる。
あとわずかという夏の頃、若旦那は周囲の景色を見ているうちにおときに会いたくなり、番頭の目をくらませて会いに行く。
おときは兄との約束があり、もう少しの辛抱だと家に上げない。
若旦那が持参した「村正」で冗談半分におときを脅していると、「村正」の鞘で叩いたつもりが鞘が割れて本当におときを斬ってしまう。
そのあと血刀下げた若旦那は近づくものを斬りまくり、御用提灯持った捕り手が出て大捕物になる。
たまたま近くを通りかかった兄が気づいて現場にかけつけ、突かれても斬られてもケガ一つせずに弟を召し捕ってしまう。
「その方、血潮一つ流れぬが、どうしたことじゃ?」
「わたくしは、斬っても斬れん不死身(伏見)の兄でございます」
でサゲとなる。】
以上はHP「ぼちぼちいこか」内の記事を参考にさせて頂いた。

今回の作品「村正騒動」だが、上方版を江戸の街に移し替えたもので、大筋は変わらない。
大きな変更点としては、おときが吉原芸者とういう設定にし、二人の起請誓詞を花魁が作成し保管する。
若旦那が最後に切りかかるのはその起請文を持っていた花魁で、起請を切り裂いた瞬間に村正の刃先が折れて若旦那の刺し殺してしまうという結末にしている。
しかし二人の起請文を第三者である花魁が預かるというのは、いかにも不自然だ。当事者が持っていなければ意味がない文書だからだ。
後半の改変も救いのない陰惨な印象ばかり残り、後味が悪い。
さん喬の高座はネタおろしとは思えないほど完成度が高かったが、作品全体としては成功したとは言い難い。
むしろ、上方版をそのまま東京に移し替えた方が良かったのではないだろうか。

お囃子の太田そのが、実にいい音と声を聴かせていた。

2011/10/29

「ノーズロ」とは又、古風な

10月26日の衆院内閣委員会での山岡賢次国家公安委員長が、「スマートフォンはノーズロ状態になっている」と答弁したことが品位を欠くとして問題になっている。
「ノーズロ」は「ノー・ズロース」の略で、無防備という意味で使われていたことがあったが、今はもう死語だ(仄聞だが、ゴルフで使用されていたことがあるそうで、そちらの方は分からないが)。
「ズロース」という言葉さえ通じなくなった昨今、山岡という大臣の言語感覚を疑ってしまう。
恐らくは50代以上の人でないと意味が分からないと思われるが、今でいうショーツのような女性の下着で、「下穿き」とも呼ばれていた。

かつて、寄席でこんな小咄があった。
子「お母さん、鼻は英語でなんていうの?」
母「ノーズよ」
子「じゃあ、バラは?」
母「それはローズ」
子「続けて言ってみて」
母「ノーズロース、って、まあ嫌な子だよ」
というわけで、当時は人口に膾炙していたわけだ。

昭和の初めごろまで、女性の下着は腰巻だけで、その下にはなにも着けていなかった(確認はしてないが)。
ズロースが普及したのには、有名なエピソードがある。
昭和7年(1932)の12月、日本橋の白木屋百貨店で火事が起きた。
慌てて逃げ出した和服の女店員たちが窓からロープで脱出しようとした。
処が当時の女性は下着をつけていなかったため、裾がまくれ恥ずかしさに身づくろいをした途端、両手がお留守になってロープを放してしまい、女店員たちは真っ逆さまに転落死してしまった。
これが日本でズロースが広まったきっかけとなったという分けだ。
どうやらこれは真っ赤な偽りで、そんな事実は無かったようだ。
女性の服装が和服から洋装に変わってきたのに伴いズロースが普及したというのが真相なのだろう。

ついでにもう一つ、これも昭和初期の浅草で、レビューの舞台に出ていた踊り子の一人がズロースを落としてしまったという噂が広まった。
これを聞いた男たちが大勢押しかけてきて、劇場は連日満員になったとのこと。
こちらも後日談ではウソだったそうだ。

いずれも、そういう事があったらいいなという男性の願望が生み出したものだろう。
「ノーズロ」というと何か淫靡な響きがあるが、これが「ノーパン」になると途端にサバサバとした印象になる。前者にある女性の奥ゆかしさが、後者では消え去ってしまったからと思うのは私だけだろうか。
「見せパン」などとわざわざ見せられると、有難味が感じられなくなってしまう。

昔、美人は絶対にズロースを穿かなかったそうだ。
「美人薄命(穿くめぇ)」。
ご退屈さま。

2011/10/26

「飛び込み自殺」するな

幼いとき両親から鉄道への「飛び込み自殺だけはするな」と、口が酸っぱくなるほど言い聞かされてきた。だから「飛び込み自殺」だけはすまいと心に決めてきた。
近所に電車の踏切で事故を起こした人がいて、当時の国鉄から多額の金を請求された。
それを聞いた両親がこれは大変だということで、息子にコンコンと説いたわけだ。「命の大切さ」などと回りくどい表現ではなく、とにかく迷惑だから絶対にダメ、というのも直接的でいい。こんな親は珍しいだろう。
子どもの頃にすり込まれたことというのは忘れないものだ。そのせいか「飛び込み」に限らず、自殺したいと思ったことは一度もない。
是非、全国のご家庭でも試して頂きたい。

飛び込み自殺をはかると、鉄道会社自殺者が死亡しなかったときは本人に、死亡した場合は遺族に損害賠償が請求される。
内訳は、払い戻し運賃、他社の交通機関への振替費用やタクシー代、車輌や設備に損傷が出たらその修理代金、事故処理費や人件費などとなる。要は事故を起こしたことにより鉄道会社が被った損害と現状回復するための費用の全額である。
以上は費用だけだが、迷惑はこれにとどまらない。
以前、電車の乗務員にうかがったが、仕事で一番つらかったのは事故の後の遺体の片付けだったそうだ。
確かに想像しただけでも、辛さが分かる。
事故により列車は1時間ほど運行を停止することになるので、乗客にとりこれも大変な迷惑だ。

では、飛び込み以外なら迷惑はかからないかというと、それが違う。
首つり自殺の場合、借家だったりすると家主から賠償請求されるケースがある。家屋の価値そのものが下落するからだ。
遺族に追い打ちをかけるという批判もあるが、請求の根拠は鉄道の場合と同じで不当とはいえまい。
焼身自殺やガス自殺では周囲をまき込むことがあり、時には第三者が犠牲になることもある。
入水はどうかといえば、1948年に作家・太宰治が愛人と共に玉川上水で心中した際に、都民の飲み水を汚したと非難されたことがある。
だからどんな方法をとろうと、自殺は迷惑がかかる。
それだけではない。
残された家族や関係者の悲しみは深く大きい。時には一生の傷となって残る。こちらこそが大問題だのだ。
だから絶対に自殺してはいけない。
自殺それ自身は違法ではないが、やはり反社会的行為であると思う。

1998年から2010年までのあいだ、我が国の自殺者は毎年3万人を超えている。今年も同様の結果になりそうだ。
日本の自殺率は先進国の中で最も高い。
一般に雇用との関係を指摘されることが多いが、日本の失業率が欧米の半分ていどなのに自殺率は1.5-3倍ほどに達していることからすると、これだけでは説明つかない。
OECDによる2005年調査で、「友人や同僚との付き合いがなく社会的に孤立している」と答えた人の割合が、調査した国の中で日本が最も高かったとある。
子どもの世界では、ユニセフにおる2008年調査で、「孤独を感じる」と答えた15歳の割合がやはり対象国の中で日本が断トツだった由。
こうした世間からの孤立感こそ、自殺の最大の要因なのかも知れない。

毎年3万人もの人が自殺するというのは、明らかに異常事態だ。
いかに自殺を防止するか、残された家族へのケアをどう進めていくか、我が国にとって緊急かつ最重要課題として取り組むべきだろう。

2011/10/23

「柳家三三独演会」(2011/10/22)

10月22日、かなしんサービス30周年記念・東日本大震災チャリティ公演「柳家三三独演会」が”かなっくホール”で行われた。
JR線東神奈川駅と京急線仲木戸駅(初めて下車)の連絡橋の脇に位置し、徒歩1分は便利だ。
300席と小ぶりだが、客席の傾斜が高く見やすい小屋だ。

<  番組  >
柳亭市楽「看板のピン」
柳家三三「蒟蒻問答」
~仲入り~
柳家三三「崇徳院」

一口でいえば、あまりヤル気の感じられない独演会だった。
仲入り後が20時30分からだったのに、終演は21時前で、あっけなかった。
共演が市楽というのも中途半端。いっそ前座だけで三三がタップリ演るか、しかるべき客演を招くか、何か工夫があっただろうに。
お囃子に恩田えりが入っていたので、これは音曲の入る噺かと期待したら、それもなし。
まだ若手なんだから、少なくとも後半は大ネタを掛けるぐらいのサービス精神が欲しい。

三三の2席だが、とり立てていう程のこともない並の真打のレベル。
他人様(よそさま)が演らないような珍しいネタや、長講の人情噺を演じると持ち味を発揮する三三だが、こうしたポピュラーな古典になると、どうも卓越した所が感じられない。
こちらの耳が肥えたのか、他のレベルが上がってきたのか、はたまた本人がスランプなのか。
不満の残る独演会だった。
というわけで、本日はこれまで。

2011/10/22

カダフィは殺害されたが・・・

42年間にわたってリビアを支配した独裁者ムアマル・カダフィ大佐が10月20日、死亡した。
正確には殺害されたというべきだろう。
もし生きたまま拘束され裁判にかけられたりしたら、不都合なことが多々ある。
それはリビアのカダフィ派だけでなく新政権にとっても、さらには欧米諸国にとっても、喋ってもらっては困ることが沢山あったはずだ。
死人に口なしで葬り去られたと考えるのが妥当なところだ。

私は2005年に観光でリビアを訪れている。
それまで反米だったカダフィ大佐が2003年に親米へと「転向」したお蔭で、日本からの観光ツアーも容易になっていた。
リビアは観光地としては極めて魅力にあふれた国で、北アフリカ諸国の中では経済的にも豊かな国だった。
その時の印象を旅行記で、次のように書いている。

【目立つのは、住宅が立派なことで、しかもどこに行っても建築中の住宅が数多く見られました。
日本なら豪邸クラスといってもおかしくない。
これも現地ガイドに聞いたところ公営住宅だそうで、家賃はタダだそうです。「ほー、リビアは良い国だねえ。」というと、ガイドはウンウンと頷いてました。
彼はトリポリの大学を出ているのですが、大学の授業料も下宿代もみなタダだったそうです。
もう一つ目に付いたのは、ガソリン代の安さです。バスが給油した時にざっと計算したら、1リットル8円(単位は間違ってません)です。安い!
リビアは産油国です。人口500万人の国で、石油輸出額が130億ドルですから、豊かな筈です。
冨も国民に分配されているようですから、今の政権は安泰なのでしょう。
その代わり、農産物の70%を始め商品の多くは輸入品です。
そのうえ近隣諸国から沢山の出稼ぎ労働者が入ってきて、仕事をしてくれますから、リビア人はあまり働かないで済みます。
これじゃあ、アメリカと戦争する気など、起きませんね。】
リビアへの出稼ぎ者の中には、EU加盟国のマルタ共和国からの人々も多く含まれていて、これだけでもリビアがいかに豊かだが分る。

リビアはブッシュ政権時代に中央情報局(CIA)がテロ容疑者をリビアに移送し、リビア情報機関に拷問・尋問を委託していたことが分かっている。
その代りとしてCIAは、反カダフィ派の人間を拘束しリビアに送還していた。
つまり表むきはともかく、裏ではアメリカとの関係は極めて良好だったわけだ。
カダフィの寝室からライス前国務長官の写真集が見つかったという報道があったが、彼がいかに親米であったかを示すものだ。
今回のリビアにおける反政府勢力への支援で、米国が今ひとつ腰が引けていたのもその辺りに事情があった。

ともかくもカダフィ独裁政権は倒され新政府に移行するが、リビアが果たしてこのまま民主化の道を歩むのかいうと、あまり楽観できないかも知れない。
下手をすればカダフィというタガが外れ、部族間の争いが激化する可能性もある。
資源が豊かとはいえ、あまり勤勉とはいえない国民の生活レベルを維持するのは容易ではない。
西側にとっては、新しい政府がカダフィ以上の親米政権になるかどうかも大いに気がかりだろう。
中東ドミノの連鎖反応も気になるところだ。

2011/10/21

オリンパスの「怪」

オリンパス社が揺れている。
オリンパスといえばカメラメーカー大手で、私も同社のカメラを持っている。
その他ICレコーダーや内視鏡では世界的なメーカーでもある。
その会社に何が起きているのだろうか。
ウッドフォード前社長の解任発表からオリンパス株は急落し、13-20日間で株価は47%も下げてしまったのだ。

2011年10月にウッドフォード社長(当時)は、一連の不透明で高額なM&Aにより会社と株主に損害を与えたとして、菊川会長及び森久志副社長の引責辞任を書簡で促した。
しかしその2日後に開かれた取締役会において「独断的な経営を行い他の取締役と乖離が生じた」として、ウッドフォードは社長就任後わずか半年で解任されてしまった。
疑惑の取引は次の二つである。

一つは、2008年に行われたイギリス医療機器企業ジャイラス・グループ買収の際に、ケイマン諸島に登記されていた投資助言会社「AXAMインベストメント」などに対し、ジャイラス買収額(2117億円)の32%に相当する総額687億円もの報酬が支払われていた。
M&Aのコンサル料金は通常1%から5%が相場とされていて、この支払いは明らかに過大だ。
しかもそのAXAM社は、オリンパスからの最後の支払いの3ヶ月後に、ケイマン諸島における金融業登録料未払いにより登録取消しとなっているというのだ。
一体687億円はどこへ渡ったのか、これが第一の奇奇怪怪。

二つめは、2006年から2008年にかけて、アルティス、ヒューマラボおよびニューズシェフの国内3社を総額734億円で買収しながら、2009年3月期決算にて約557億円の減損処理を行なっていたことだ。
いずれもオリンパス本体の事業とは無関係の企業である。
では、その3社というのはどういう企業なのかというと、WSJ日本版によれば次のようだ。
なお業績の数字はいずれも帝国データバンクによる推計。
「ニューズシェフ」は従業員数約30人の電子レンジ調理容器を扱う会社。11年度業績は22億円の赤字で、売上高は6億円。
「ヒューマラボ」は、シイタケ菌などを原料とした健康補助食品を販売しており、”アージュレス”のブランド名でヘアケアやスキンケア用品も販売している。11年度の税引き前損失は16億円、売上高は9億円。
「アルティス」は資源リサイクル事業を手掛ける会社で、設立は05年で、主に医療施設や産業プラントからのプラスチック廃棄物の再生処理を行っている。 損失は7億円、売上高は2億1000万円。
3社の企業規模や業績からみて、どう考えても734億円の買収金額は不釣り合いで、これが第二の奇奇怪怪。

オリンパス社は一連の買収手続は外部会計事務所と監査役会の承認を得て適正なものであると反論しているが、説得力はない。
日本の大手企業では、こうした不透明な取引が行われることはそう珍しいことではなく、通常は闇から闇に葬られている。
今回のオリンパスの件は、たまたま雑誌「月刊FACTA」が記事にとり上げたのと、社長が外国人で日本企業の風習に従わなかったために表沙汰になったのだろう。

近年、日本企業はコーポレートガバナンスに取り組んでいるが、これはあくまで建前だけで、実態はまだまだであることをオリンパス社が示しているようだ。

【10/23追記】
オリンパスに解任されたマイケル・ウッドフォード前社長が20日、産経新聞と単独会見し、同社の企業買収をめぐる不明朗な支出について「組織的な犯罪だ」と告発した。
「同社の菊川剛会長は会社や国を売っているのと同じだ。
こんな不正を見逃していると日本に海外の資本は来なくなる」と疑惑の徹底解明を求めたとされる。
またコンサル料の支払いに関して同前社長は、「買収額の1%だったはずの相談料が、約35%に引き上げられていた。オリンパスの2年分の利益に相当する金額が誰の手に渡ったかはっきりしない。こんなことが世界を代表する企業で許されるのか」と述べ、支払いに問題なしとする菊川会長らは「意図的にウソをついている」と指弾したとある。

不透明な取引だったことは明らかだと思われる。
いずれにしろオリンパス現経営陣の責任は免れないだろう。

2011/10/20

「目黒のさんま」の殿様は名君

「目黒のさんま」は落語を知らない方も名前をきかれてことはあるだろう。
特にこの季節になると、寄席では必ずといって良いほど高座にかかる演目だ。
近ごろどうも気になるのは、このネタの主人公である殿様が愚か者に描かれる傾向にあることだ。
前座や二ツ目クラスなら仕方ないが、扇辰や兼好といった巧者たちまでが、まるで志村けんのバカ殿のように演じているのは腑に落ちないのだ。
これでは、この噺の勘所をはずしてしまうと思う。

この殿様は参勤交代で江戸にあるときも心身の鍛錬のために、馬の遠乗りを怠らない。
今日も供を連れて目黒まで早駆けに出かける。
休息のために切り株に腰をおろして一息つくと、どこからか良い匂いが漂ってくる。
訊けばサンマを焼く匂いとか。所望すると家来たちは下衆魚だからと止めるが、殿様は「冶にいて乱を忘れず、下々が食するものを大名が食せんということはない。」と諭して、サンマを食する。
ここら辺りが、既に名君であることを示している。

殿様はサンマが美味だったので上機嫌。
しかし供の家来たちは、このことが重役の耳に入ると我々の落ち度となり責任を取らされるのでご内聞にと、殿に請う。
もとより賢い殿様だから一切口外せず、ひたすら、サンマの味を思い出す日を送る。
またサンマが食いたいから目黒に出かけようなどと言いださない所も賢明だ。

親類の宴席に招かれ「所望のお料理は?」と訊かれ、ここで初めてサンマをリクエストする。
早速、早馬で日本橋の魚河岸からサンマを取り寄せる。
料理人は大名に失礼があってはいけないということで、サンマを開いて蒸し器にかけ、すっかり脂を抜いてしまった。小骨も毛抜きで1本1歩丁寧に抜いたから、形が崩れてしまったので椀物にして出した。
殿様、出されたサンマを一口食してみたがこれが不味い。
ここで不味いだの食えないだのと言ったら、それこそ招待者側のメンツをつぶすことになり、場合によっては料理人が責任を取らされることになりかねない。
そこで咄嗟に、
「これこれ、このサンマ、いずかたより取り寄せた?」
「はっ、日本橋の魚河岸にございます。」
「それでいかん。サンマは目黒に限る。」
と、機転をきかしたわけだ。
これなら誰も傷つかない。
だから最後のサゲは粋に言って欲しいのだ。

以上のようにこの殿様は名君であり、間違っても暗君として描いてはいけない。

2011/10/19

「大王・前会長」と「左官・長兵衛」

大王製紙の井川意高前会長(47)が複数の子会社から無担保で80億円以上を借り入れていた問題で新たに22億円の借り入れも発覚した。
井川氏は大王製紙の創業者の孫にあたり、87年に東大法学部卒業後、大王製紙に入社。98年から副社長、07年に42歳の若さで社長。
11年に赤字転落の責任を取る形で社長を辞任し会長に退いていたが、エリート中のエリートだ。
在任中の仕事ぶりについては「謙虚で熱心」という評判だったようで、社長就任時には「末端に至るまで、本当の意味でモラルの高い会社にしていかなければならない。」と、社員にモラルを説いていた。
一体この人物が何に100億円もの金をつぎこみ、なぜ今なおその使い道に口を閉ざしているのか明らかでないが、ラスベガスの個人口座にも十数億円が振り込まれていたことや、マカオのカジノに出入りしていたという証言などから、借入金がカジノなどのギャンブルに充てられていた可能性が高いと見られている。
人間というのは不思議なものだ。

さてここで落語の「文七元結」の主人公である左官・長兵衛だが、名人と言われる腕を持ちながら博打にのめりこみ、50両と言う借金を抱えて火の車、遂には一人娘・お久を吉原に預けたカタに50両を借り受ける羽目になる。
「へっつい幽霊」という噺では、幽霊に化けて出てまで丁半博打する男の姿が描かれている。

井川意高前会長と長兵衛親方に共通するのは、おそらく「ギャンブル依存症」ではなかろうか。
ギャンブルによって得られる精神的高揚に強く囚われ、自らの意思でやめることができなくなった状態を指し、強迫的にギャンブルを繰り返す精神疾患とされる。
つまり病気なのだ。
この病気の特徴としては、「症状が進むとギャンブルで出来た借金をギャンブルで勝つことにより清算しようとするなど、合理的では無い考えを抱き実行したりと言う問題行動が繰り返される。」とある。
まさに二人にピッタリだ。
周囲が早く気づき精神科などの治療を受けされば良いのだが、なかなか気づかれにくいという厄介な病でもある。
だから前記「文七」の中でも、吉原の大店「佐野槌」の女将が長兵衛に、博打は「骨が舎利になるまで」やめられないものだと、懇々と説教するのだ。

東京と大阪で公営カジノを開設しようと提案しているバカな知事がいるが、現在でも推定200万人とされている「ギャンブル依存症」患者を、さらに増やすだけだ。

2011/10/18

「ぶら下がり」は必要ない

【野田佳彦首相は17日、内閣記者会のインタビューで、歴代首相が続けてきた記者団による「ぶら下がり取材」について「基本的にお受けしない」と拒否することを明言した。首相自らによる説明責任や情報発信よりも、失言を避ける「安全運転」を優先した。民主党の掲げる予算編成過程などの透明化とはほど遠い後ろ向きの対応だ。】
以上は昨日の"msn産経ニュース"の記事からの引用だ。

「ぶら下がり」の本来の意味は、取材対象者が歩いて移動する際に大勢の記者がすぐ横に付いて歩きながら質疑応答するというもので、これはこれで意味があった。
しかし今では「記者が取材対象者を取り囲んで行う取材形式のこと」を指していて、小泉首相以来毎度おなじみになった1日2回の「ワンフレーズ立ち話」を意味するようになった。
せいぜい1-2分の立ち話で重要課題に対する説明責任を負えるはずもなく、総理と官邸記者との政治ショーの意味合いでしかなかった。
政府からの広報でいえば、1日2回に定例化されている官房長官の記者会見があり、通常はそれで十分だ。
必要なときは首相に記者会見を開くよう求め、十分時間をとって疑問をただせばよい。
あとは報道各社の取材力が試されるわけで、それこそ政治部記者の腕の見せどころである。
処が日本の記者たちは、専ら記者クラブに詰めていて、官製の情報を右から左へタレ流すだけの役割に終始している感がある。郵便ポストじゃあるまいし、口を空けて情報を待っているだけなら記者なんてものは不要である。
記者たちが雁首をそろえて首相の一言を拝聴することを取材だと考えているから、「ぶら下がり」拒否などと大騒ぎするのだ。

その同じ日の"msn産経ニュース"にこんな記事がのっていた。
【野田佳彦首相は17日にTBSラジオなどで放送された政府広報番組で、1日から始まった公邸生活について「戸惑う。今までずっと(議員宿舎の)狭い部屋に住んでいたので、いつもそばにいた家内を見つけるのが大変だ」と述べ、仁実夫人との“距離”が広がったと苦笑した。また「家内を一生懸命なだめながら『家庭内連立』に努めている」と冗談交じりに語った。
公邸での普段着については、「ジャージーとかしかない。格好良い私服もブランドものも持っていない」と答えた。】
政府広報を引用しただけの、こんなヨイショ記事を掲載する意味がどこにあるのだろう。
愚にもつかぬ記事を書いておいて、「首相自らによる説明責任や情報発信・・・」を求めるなんざぁ聞いてあきれる。

2011/10/16

「立川談春独演会」(2011/10/15)

10月15日、神奈川県立音楽堂で行われた第278回県民ホール寄席「立川談春独演会」へ。
昨年3月に行われた25周年記念記念ツアーのファイナル公演に行き、もうしばらく談春はいいかなと思って遠ざかっていたから、およそ1年半ぶりの高座となる。
相変わらず人気は高く、どの公演でも前売り完売らしい。決して一過性の人気ではなく、固定ファンをつかんだということだ。

<  番組  >
前座・立川春太「出来心」(花色木綿)
立川談春「長短」
~仲入り~
立川談春「文七元結」

春太「出来心」(花色木綿)、上手い前座だ。立川流以外なら二ツ目と言っても可笑しくない。もっと泥棒にトボケタ味が出てくれば笑いが取れるだろう。

この日の談春、前日に風邪を引いたようで、かなり喉の調子が悪そうだった。
寄席と違って簡単に休演や代演がきかないのは分かるが、体調が悪く良好なパフォーマンスが披露できないことが予測されるなら、思い切って独演会を取りやめにする選択肢もあると思う。
これは別に談春に限ったことではなく、他の独演会にも言えることではある。

談春の1席目「長短」、被災地での公演についてエピソードを紹介したマクラは面白かったが、ネタに入ってからは平凡な出来。

談春の2席目「文七元結」、2005年12月の独演会以来だが、その時の高座についてこのブログで次の様に絶賛した。
【(前略)左官長兵衛の博打の借金を見かねて吉原の大店「佐野槌」に身を沈める娘お久。
「佐野槌」の女将が長兵衛に向かって、50両と引き換えにそのお久の気持ちを伝え戒める場面、そしてお久自身が長兵衛に母を大事にするよう訴える場面が、この噺の前半の泣かせ所ですが、ここを談春は大胆に端折ってしまいました。
その代わりに、女将が博打がいかに馬鹿馬鹿しいものかということを懇々と長兵衛に説く演出にしています。
世の中のウラもオモテも知り尽くした女将の人物描写の見事さ、借金の期限を2年先の大晦日にして、1日でも返済が過ぎれば「その時は、私は鬼になるよ」というセリフの凄み、談春の語りが冴え渡ります。

その大事な50両を、大金を盗られたと思い込み、吾妻橋から身投げようとしていた「近江屋」の手代文七に投げ与える長兵衛。
談春の演出はここを余り理詰めにせず、行きがかり上引っ込みがつかなくなった江戸っ子の心意気にしていましたが、この演じ方の方が後半の展開に無理なくつながり、成功していました。(後略)】

5年前の演出に比べて、今回は次のような変更が行われていた。
1.佐野槌の女将の説教が博打のカラクリにとどまらず、名人論から説いて長兵衛に左官職に身をいれるよう説諭する場面を長く取った。
2.お久が長兵衛に、おっかさんを大事にするよう訴えるセリフを加えた。
3.吾妻橋の場面で文七を説得しているうちに長兵衛が、親が子どもに尽くすのが本来の姿であり、この50両は自分が持っていてはいけない金だと思い立ち、文七に投げつける。

この噺の長兵衛の行動というのは、必ずしも理にかなったものではなく、それより江戸っ子としての心意気や情によって動かされたと考えるべきだろう。
だから近江屋の主人が、「私ら商人には到底理解できない」と言うのだ。
今回の談春の演出は、あまりに理が勝ちすぎて、このネタの奥行きを消したように思われる。
残念ながら5年前の高座の方が優れていたというのが、私の感想だ。

談春の落語については一方で談春以外の噺家は要らないという意見もあれば、芸が水準以下だという厳しい主張もある。
いずれにしろ、これからも注目を浴び続ける存在ではある。

2011/10/15

「My演芸大賞2011」の候補作(中間)

当ブログ毎年吉例の「My演芸大賞」2011年の候補作は、下記の通りです。
今年は例年に比べ優れた高座が多く、現在までにかなりの数がリストアップされました。
特に桃月庵白酒の健闘が目立っています。
これから聴く高座を加えて、最終選考結果は12月末の記事で発表します。
以下、名前、「演目」、月日、会のタイトル、の順に記しています。

兼好「権助芝居」  1/16 三三新春独演会
三三「橋場の雪」 1/16 三三新春独演会
白酒「佐々木政談」1/23 よってたかって新春らくご
志ん輔「お見立て」 2/5  鈴本演芸場
圓太郎「締め込み」 2/26 三田落語会
喬太郎「初音の鼓」 3/8 鈴本演芸場
扇辰「ねずみ」 4/23 三田落語会
一之輔「五人廻し」 4/29 一之輔独演会
吉弥「質屋庫」   5/8 三三・吉弥二人会
一之輔「徳ちゃん」 5/14 ワザオギ落語会
白酒「化物使い」  6/11 大手町落語会
文珍「胴乱の幸助」 6/21 大東京独演会
扇遊「木乃伊取り」 6/25 三田落語会
白酒「お化け長屋」 6/26 花形演芸会スペシャル
さん喬「肝つぶし」 8/13 鈴本演芸場
白酒「今戸の狐」  9/13 白酒ひとり
白酒「井戸の茶碗」 9/24 市馬・白酒・兼好三人会
三喬「鹿政談」 10/8 三喬・喬太郎二人会
竜楽「替り目」 10/10 竜楽独演会

2011/10/14

小沢一郎の「罪」とは何か

小沢一郎というと「政治と金」が問題視されるが、保守の政治家であれば多かれ少なかれ誰もがやっていることで、小沢の専売特許ではない。
建設業界でいえば、公共土木工事入札業者に推薦してやる見返りに、そして実際に入札し受注する度に、議員に金が渡る仕組みだ。
だから実態は収賄だが、これを本格的に取り締まれば国会から保守政治家の大半がいなくなってしまう。それを避けるために「政治資金規正法」がつくられた。
この法律は贈収賄の隠れ蓑だ。
「政治資金規正法」は不正な金集めを行う議員たちを守るための法律であって、これに違反さえしなければクリーンだなんてことは到底あり得ない。

では小沢一郎の最大の罪とは何かというと、それは議会制民主主義を形骸化したことにある。
半世紀をこえる自民党の長期政権のなかで「政治と金」の問題は常態化し、それが時に大きな社会問題として世論を沸騰させ、政権をゆさぶるという状況がくり返されてきた。
このままでは、いずれ政権交代は避けられない。
こうした危機感をもった小沢は、自民党の内部にいては改革が出来ないと判断し、外へ飛び出して別の政党をつくる。
彼が考えた「改革」(実際は「改悪」)案は、次のとおりだ。
1.自民党に代わる政党をつくり二大政党制にする。但し新たな政党は国の基本政策を変えないことを要件とする。早くいえば自民党を二つつくるということ。これなら政権交代しても心配はいらない。
2.少数政党を切り捨て、大政党に有利な「小選挙区制」を導入する。本音を隠すために、選挙区を小さくし同じ党から複数の候補者を立てなくすれば選挙費用は少なくなるという屁理屈をこねた。
3.不正な金集めのスキャンダルが起きないよう、政党の活動費を税金から出させる。これが「政党助成金(政党交付金)制度」である。この法律によって今後は不正な献金はなくなり、クリーンな政治が実現すると説いた。

この小沢一郎の「政治改革」案に、当時のマスコミはこぞって飛びついた。この案を絶賛し、反対する人たちを改革に背を向ける「守旧派」として攻撃した。
マスコミはあげて熱病におかされたように、「政治改革」キャンペーンをくり広げた。
たび重なる政治家の金銭スキャンダルに飽き飽きしていた国民の多くは、このマスコミに踊らされ小沢の「改革」案を支持してしまった。「浅はか」というしかない。
マスコミが小沢を目の敵のようにしていると主張する向きもあるが、過去の経緯をみれば決してそうではない。
その当時、小沢はマスコミの力を最大限に利用していたのだ。

かくして1994年に、小沢一郎が主導した一連の改革案が成立してしまう。
小沢の目論見どおりに少数政党は淘汰された。
議会制民主主義の基本は、国民の意思が忠実に議会に反映されることにある。
政党支持率と院の構成が著しく隔たる今の選挙制度は、民主国家にふさわしくない。
先ず最大野党だった社会党が事実上消滅し、その他の少数党は大政党との選挙協力なしには当選できなくなった。こうなると寄生虫とかわらない。
小選挙区に有利な世襲議員が増え、まるで昔の藩主みたいになった。
比例区があるから救済されるという意見もあるが、自治体を基礎とする選挙区から選ばれないと、政党活動はどうしても衰えてしまう。そこが小沢の狙いでもあった。
二大政党になり政権交代はできたが、どちらへ転んでも変わり映えしない政党が二つ出来てしまった。
野田首相と谷垣総裁との間に政策上の相違はない。
だから近ごろの国会論戦では政策論議はほとんどされず、悪口雑言の応酬と言葉の揚げ足とりだけに終始している始末だ。
政党活動費を税金から負担させる「政党助成金」は、共産主義国家でさえ行われなかった天下の悪法である。国が費用を出すのであれば、政党の国営化だ。
この制度は民主主義にとって自殺行為にひとしい。
政党は政策を訴え、国民の意見や要望を議会に反映させながら、党員や支持者から浄財を集めることを基本にすべきなのだ。
今の制度は、こうした草の根の政党活動を後退させ、ますます足腰を弱める結果となる。政党政治の危機である。
約束だった企業献金は廃止どころか依然として続けており、交付金とのダブルインカムでますます金まみれになってしまった。

小沢一郎の政治資金法違反の件は司法の場で明らかにされる。
しかし小沢の最大の罪である「議会制民主主義の形骸化」は裁判では片付かない。
公正な選挙制度への移行と政党助成金制度の廃止を進めることこそが、小沢一郎の罪を清算することになる。
(文中敬称略)

2011/10/11

#182「三遊亭竜楽 独演会」(2011/10/10)

10月10日、内幸町ホールで行われた「三遊亭竜楽独演会」へ。
第182回という回数に驚き。
竜楽は、6か国語を使った海外公演を行っていることでも知られている。
圓楽一門の実力派ということで名前は聞いていたが、高座は初見。
通常の落語会に比べお客の平均年齢が高そうなのは、常連が多いせいだろうか。

<  番組  >
前座・一龍齋貞鏡「講談・拾い首一万石」
三遊亭竜楽「替り目」
~仲入り~
だるま食堂「コント」
三遊亭竜楽「ねずみ」

入り口で当日のプログラムが配られたが、出演者やネタについて竜楽本人の解説が載っていたのは嬉しい。
独演会といえどもプロダクションや企画会社が主催する例が多いだろうが、やはり本人からお客へのメッセージは必要だ。
この日の前座は講談だったが、講釈師が「高座返し」をするのは初めてみた。
独演会のゲストに「だるま食堂」は異色だが(拒否反応をする人もいるとか)、竜楽のセンスを感じる。

竜楽の1席目「替り目」、マクラでヨーロッパ公演に触れ、フランスでは「厩火事」のオチが受けないとか。「あしたから遊んでて酒が呑めねぇ」の、酒が呑めないという部分が理解されないらしい。水代わりにワインを飲むお国柄だから。
「替り目」の主人公の酔いっぷりは、演者によって異なる。泥酔状態という人もいるのに対し、竜楽の演出はどちらかというとホロ酔い気分に近い。
お上さんとの掛け合いでは、夫婦の情が良く表現されていた。ここが肝心。
寄席では滅多に演らない後半は、女房がおでんを買いに出かけたその間に、通りかかったうどん屋を呼び入れる。
お銚子の燗をつけさせたり海苔を焼かせたりした挙句、うどんは嫌いだ、近所でボヤがあるのはお前の仕業だの散々難癖をつけて帰してしまう。
戻ってきた女房が気の毒がって、「うどん屋さーん」と呼び戻そうとすると、うどん屋の「今ごろ、お銚子の替り目時分ですから」でサゲとなる。
竜楽が新内の一節や都々逸をきかせたのは、元々このネタは音曲噺だった名残りとして演じたものとみえる。
何も足さず何も引かず真っ直ぐな演出で、久々にフルバージョンの「替り目」をじっくり聴かせて貰った。

2席目「ねずみ」、マクラで左甚五郎伝三部作「竹の水仙」「三井の大黒」「ねずみ」では、主人公の甚五郎の人物像がそれぞれ異なっていると語っていた。
それは成立が違うためで、この「ねずみ」は元々は浪曲師・広沢菊春(この人は寄席によく出ていた)の演目だったのを三代目三木助が譲り受け、落語に仕立てたものだ。
宿の主・卯兵衛が、女房と番頭の計略によって元の宿屋「虎屋」が乗っ取られ、息子・卯之吉と共に追い出された身の上話を語る場面をしんみりと聴かせてくれた。ここが肝心。
心を打たれた甚五郎が一心に鼠の彫刻を造り、物語が展開していく。
登場人物の造形もしっかりしており、こちらも良い出来だった。

竜楽の高座を初めてみたが、芸風は地味だ。
何の衒いも力みもなく、余計なクスグリは一切いれず、淡々と語る高座姿は近ごろ珍しい。
それでいて惹きつけられるのは、話芸の力だ。評判通りだったと思う。

2011/10/09

#11「三喬・喬太郎二人会」(2011/10/8)

さん喬の誤字ではない。第11回東西笑いの喬演「笑福亭三喬・柳家喬太郎二人会」が10月8日、国立演芸場で行われた。
最近、上方の落語家が東京で公演を行うことが増えてきて感じるのだが、どうも大阪の落語の方が面白いように思う。
かつては関西弁というのが東京の人間になじみがなく聴きづらかったのだが、TV番組などで耳馴れしてきたのと、関西弁自体が昔と比べマイルドになってきたせいか、抵抗感がなくなった。
これからは上方のネタを東京流に翻訳し直して、という必要性も薄れてくるだろう。
噺家の世界にも自由化の波が訪れたわけだ。
障壁が無くなれば、芸が上の者が勝つ。
東京の落語家も大阪の芸人に勝たねば生き残れない、厳しい現実に直面することになる。
それをマザマザと見せつけれた今回の二人会だった。

<  番組  >
桂阿か枝「煮売屋」
柳家喬太郎「綿医者」
笑福亭三喬「鹿政談」
~仲入り~
笑福亭三喬「善哉公社」
柳家喬太郎「へっつい幽霊」

阿か枝「煮売屋」、上方では入門すると初めに教わるネタが旅の噺だそうだ。関西の人は昔から旅が好きだったのだろうか。
東京だと「二人旅」となるこの噺、やはり上方のオリジナルの方が面白い。

喬太郎「綿医者」、初めて聴いたが古典落語とのこと。正味5分程度で終わる噺なので、学校公演や昨秋の痔の手術のエピソードを長々とマクラに振って本題へ。
医者が、すっかり悪くなっていた患者の内臓を取り出し、代わりに綿を詰めるというバカバカしい内容で、寄席にかからないのも頷ける。
このネタのチョイスはどうなんだろう。これなら新作をかけた方が良かったのでは。

三喬「鹿政談」、オリジナルの上方版を初めて聴いたが、この噺は「曲淵甲斐守」(まがりぶちかいのかみ=大阪町奉行を経て江戸北町奉行に就任した人物。但し、奈良町奉行職は務めていないとされる。)という名奉行の「お裁きもの」なのだ。
奉行も今のキャリアと同じで各地の奉行で実績をあげながら、大阪からやがて江戸の町奉行という出世コースを辿ったらしい。
任期が短いから前例に従っておけば間違いがないというのは、今も昔も変わらない。
しかし曲淵甲斐守は、鹿を殺せば死罪というのはあまりに重罰過ぎる。まして過失であれば無罪でも良いのではと、奈良の法を改めようと試みていた。その矢先の事件として、この物語が展開する。
三喬は声がよく通るし、語り口がしっかりとしている。用語の解説や歴史的な背景の説明も丁寧。
そのせいか、この噺が一段と恰幅が良くなり、奥が深くなった。
このネタに限れば、東京で三喬に対抗できる噺家はいないだろう。

三喬「善哉公社」、自らの市営住宅への入居の際の体験談から役所仕事についてマクラを振って、本題へ。
こちらもオリジナルの上方版は初めてだったが、東京版に比べ断然面白い。
関西人とお役所という対比の方が、より鮮やかなのだ。
「鹿政談」とは対照的なネタながら、ここでも三喬の語りが光る。

喬太郎「へっつい幽霊」、期待していたが平凡な出来だった。
三代目三木助や当代の談志が十八番としているこのネタ、何より粋でイナセに演じなくてはいけない。そこが欠けている。
だから山場の熊と幽霊が丁半博打をする場面が面白くない。
熊と銀ふたりが、へっついをかついでいる内につまずいて、小さな塊が転がり出る。喬太郎はその場で開けて、中味が300円であることを確認していたが、これは不自然だ。
やはり縄が切れたので取り敢えず銀の家にへっついを運び込み、それから二人で熊の家に上がって中を開けるという運びにしないと、話の辻褄が合わなくなってしまう。こういう所は丁寧に演じるべきなのだ。
この2週間あまりで喬太郎の高座を7席聴いたが、全体的に低調だったように思う。
何か原因があるのだろうか。

この会、上方の圧勝。

2011/10/08

今読んでいるのはこの3冊


ブログネタ: 今読んでいる本は何?参加数


昔から本をよむのに妙な癖があります。
いつも10冊前後の本を積んでおいて、そこから2-3冊抜き出し同時に交互に読むという癖です。購入順に読むわけではなく、時には買って数か月たってから初めて手に取ることも少なくありません。
典型的な「雑読」で選ぶ本には傾向がありませんが、海外ミステリーだけは欠かさないことにしています。
そんなわけで今読んでいる本は、次の3冊です。

「日本 権力構造の謎〈上〉」 (ハヤカワ文庫NF)
カレル・ヴァン ウォルフレン (著)  篠原勝 (訳)
買って3か月以上してから、ようやく読み始めました。
外国人ジャーナリストによる「日本論」ですが、示唆される処が多いようです。

「創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 」(光文社新書)
輪島裕介 (著)
演歌は日本人の心の故郷などといわれますが、今の「演歌」は60年代後半に形成されたものです。
そういえば、美空ひばりに対する世間の評価も、かつては二転三転してましたね。

「ムーンライト・マイル」 (角川文庫)
デニス・レヘイン (著)  鎌田三平(訳) 
デニス・レヘインによる<探偵パトリック&アンジー>シリーズの第6弾にして、シリーズ最終作。果たしてどんな結末が待っているやら。

**********************
ここ数か月に読んで最も面白かったのは、この本です。
久々にワクワクしながら一気に読み切りました。
「東條英機と天皇の時代」 (ちくま文庫)
保阪正康 (著)

2011/10/06

鈴本演芸場10月上席・昼(2011/10/5)

「また寄席!あんた、いつから落語評論家になったのよ!」。ふん、女心にぁ男の気持ち、分かるものかと諦める。
10月5日、鈴本演芸場上席・昼の部の中日に出向く。
顔ぶれのわりにガラガラだったのは、ウィークデイの昼間で雨だったからか。
ノンビリとした時間を過ごすには、ウッテツケ。
ただ菊丸の高座の時に、携帯が鳴ってそのまま客席で通話した客がいたのは頂けない。寄席でこうした客を見たのは3度目だ。悪気はないのだろうが、困ったものだ。

前座・春風亭一力「子ほめ」
<  番組  >
・月の家鏡太「大安売り」
タイトルだと分かり難いかも知れないが、大阪相撲で「勝ったり負けたり」と言えばお分かりだろう。
喋りはまだまだだが(セリフが相撲取りらしくない)、爽やかで良い。
・ストレート松浦「ジャグリング」
プロとはいえ、見事な手さばきだ。
・柳家喜多八「長短」
この日は夜の部で小三冶の代演で、トリを取ることになっている。
軽く手短じかな「長短」だった。
・桃月庵白酒「権助魚」
場内を見渡し都心の盛り場でこれほどユッタリできるのはここだけとか、鈴本の客は上流階級なので1000円以上の服を着ているなどと、いつもの毒舌から入る。
浅い出番の軽い高座だったが、権助が網取り魚を説明する聴かせ所はキチンと押えていた。この人は何を演らせても上手い。
・すず風 にゃん子・金魚「漫才」
いつも思うのだが、この二人の芸はツマラナイを通りこして、辛い。
女同士の漫才というのは、上方東京を通して成功例が少ない。三味線やギターなど楽器をやれればそれなりに楽しませることもできるが、この二人はそれもない。
シャベクリだけで行こうとするなら、例えば台本作家を入れてネタを作るとか、何か工夫が必要だろう。
・入船亭扇辰「目黒のさんま」
良くまとまっていた。
ただ扇辰に限らず近ごろの「目黒」で気になるのは、殿様がまるでバカ殿のように描かれていることだ。
この殿は世間知らずではあるが、決して愚か者ではない。
そこの性格描写を間違えると、最後の「それでいかん。サンマは目黒に限るぞ」のセリフが効いてこない。
・鈴々舎馬風「漫談」
こういう芸も寄席にはなくてはならぬ。
・ダーク広和「奇術」
せっかく技術があるのだから、寄席の奇術としてもっと見栄えのするパフォーマンスをした方が良いのではなかろうか。
・橘家圓太郎「野ざらし」
マクラで、「寄席というのは普段着の人が集まって、着物をきた人の話を聴くところ」と言っていたが、成る程。
この人の喋りを五線譜に書くと、同じ長さの音符がほぼ同じ位置に並んでしまうだろう。
それが効果的な場合もあるが、「野ざらし」はセリフの緩急や高低変化が求められる。
全体が一本調子になってしまい、今ひとつの出来だった。

-仲入り-
・ホンキートンク「漫才」
段々面白くなってきている。
・古今亭菊丸「時そば」
近ごろ、やたらクスグリを入れた変り「時そば」が幅をきかせているが、このネタは本来、風情で聴かせる噺なのだ。
菊丸の高座は一切余計なものを入れない本寸法で、それでいてソバの食い分けなどで客席を唸らせていた。
携帯のトラブルで少し乱されたのかミスがあったのは残念だが、久々に結構な「時そば」が聴けた。
この人の高座は常に品があり、それが貴重になりつつある。
・ぺぺ桜井「ギター漫談」
寄席に来たんだなという実感が湧いてくる。
・桂藤兵衛「寝床」
40分の長講でタップリ聴かせてくれたが、文楽+志ん生の演出の形となり、やや詰め込み過ぎの印象になってしまったのが残念。
家主が義太夫について言い聞かせると陰から揶揄される場面を、最後の義太夫が終わってからのシーンに持ってきていたが、これは不自然。やはり通常通りに茂造が、「よろしゅうございます。覚悟いたしました。伺いましょう。あたしが伺いさえすりゃ気がすむんでしょ。」と泣く後に持ってきた方が良いと思う。

チャンスがあればこの上席、もう一度聴きに行ってみたい、そう思わせる高座が続いた。

2011/10/03

「春風亭小朝独演会」(2011/10/2)

小朝の独演会は、かつて漫談風の高座に立て続けにあい、しばらくは行くまいと決めていた。
その後も落語会などで高座を観る機会があったが、ガッカリさせられることが多かった。
例えていうなら、150キロの剛速球を投げられるピッチャーが、いざ試合に出るとスローカーブばかりといった具合だ。
10月2日、松戸市民会館で行われた「春風亭小朝独演会」は、そんなわけで数年ぶりとなる。
この日は林家三平の結婚披露宴が開かれていたが、小朝は出席する予定はなかったのだろうか、マクラでネタにしていた。
その三平だが、芸が今のままでは前途は暗い。襲名や結婚の話題だけでは人気は長続きしない。寄席にもあまり出てないし・・・、まあよけいなお世話か。

<  番組  >
前座・春風亭ぽっぽ「桃太郎(ピーチ・ボーイ?)」
春風亭小朝「試し酒」
~仲入り~
林家ひろ木「東北の宿」
春風亭小朝「お菊の皿」
春風亭小朝「たがや」

キーワード検索をしてみると、最近はこの顔ぶれで興行することが多いようだ。
ぽっぽ「桃太郎」、あるいは師匠のネタである「ピーチ・ボーイ」かも。
未だ前座になり立ての髪型がボブカットのころ、寄席で初めて観て、「女流にしては上手いが、それだけに痛ましい。」とブログに書いて、ご本人を含めいくつかコメントが寄せられたのを思い出す。
その彼女も、今年11月には二ツ目に昇進する(改名は「ぴっかり」だったか)。
最近の話題をクスグリにおり込んで、師匠譲りの面白い「桃太郎」に仕上げていた。桃太郎がアメリカで、お供の犬が日本で名前が「ポチ」は納得がいく。
ただ語りが一本調子で、未だ落語家の喋りになっていない。プロのレベルに達するには、さらに精進が必要だろう。

ひろ木「東北の宿」、初見だが小咄の出し方といい、終りの津軽三味線の演奏といい、場馴れ、つまり客が喜びそうなツボは押さえているようだ。
他のネタを聴かないと何ともいえないが、明るい高座は好感が持てる。

さて肝心の小朝の3席。
先ずは古典落語を三つ聴かせてくれたことには満足した。
数年前に一緒に連れていった妻から、「もう小朝の独演会には二度と行かない」と宣言されてしまった当時とは、えらい違いだ。
風邪気味だったのだろうか、あまり喉の調子が良くないなかでの熱演だった。
ただ「試し酒」は平凡な出来だった。この人の特徴である綺麗な芸風が、どうもこのネタには合わないようだ。
それと「たがや」を10月に演るっていうのはどんなもんだろう。「お菊の皿」もどちらかと言えば夏のネタだ。
持ちネタの多い小朝であれば、もっと別の選択があっても良かったのではなかろうか。
もう一つ、小朝の高座では全て客電を消しているという指摘を受けていたが、その通りだった。
怪談噺や芝居噺なら客席を暗くする意味は分かるが、なぜ全ての高座でそうせねばならないのだろう。
これは好みの問題ではなく、落語に対する姿勢の問題として疑問符がつく。

それはともかくとして、周囲にいたご婦人方は終始笑いころげて大喜びだったようだ。
こういう落語会も必要なのだ。

2011/10/02

「さん喬・喬太郎 親子会」(2011/10/1昼)

10月1日、前進座劇場で行われた「さん喬・喬太郎 親子会」昼の部へ。都内でこの二人会が行われるのは、私の記憶では久々ではないかと思われる。
サブタイトルに”前進座プロデュース「噺を楽しむ」五十”とあるから、定期的にこうした落語会が開かれ、今回が50回目ということのようだ。
プログラムに今日の出演者のプロフィールが載っていて、「自己PR」という欄がある。因みにさん喬のものを紹介すると、「(前略)落語ライブの楽しさと落語美学の素晴らしさをお客様と共有できるような噺家でありたいと思っております」とある。いかにもこの人らしい。
こういうチラシ1枚作るかどうかで、企画者側の落語に対する「愛」が試される。
この会場はあまり便利とは言えないが、ほぼ一杯の入りだった。

<  番組  >
柳家喬之進「替り目」
柳家さん喬「そば清」
柳家喬太郎「錦の袈裟」
~仲入り~
柳家喬太郎「夜の慣用句」
柳家さん喬「中村仲蔵」(お囃子:恩田えり)

落語会での開口一番(サラ)の役割は大きく、上手い人が出れば客席がなれてくるし、下手だとダレル。もっと下手だと凍りつく。あまりに上手過ぎると次の出の人がシラケる。
喬之進「替り目」は程よく上手く、役割は十分果たしたといえる。
時間の関係で何か所か端折ったが、上手くつないで全体の流れを崩さなかった。
欠点は酔っ払いの姿があまい。そこさえ直せば、このネタに関しては真打クラスといっても可笑しくない。

さん喬「そば清」、いきなり「喬太郎独演会にようこそ」で客席を沸かせる。
師匠と売れてる弟子との関係というのは、結構ビミョーなものなんだろうなと想像する。実際に今日の客の6-7割は喬太郎目当てだろう。
出番がプログラムと入れ替わったのは、さん喬が1席目に軽いネタをかけるからとのことだった。
さん喬はいつも通りの丁寧な演出で、若手の教科書になるような高座だった。
マクラで季節感の話をしていたが、落語では師走や正月、春と夏のネタは多いが、秋に因んだネタというのは少ないように思う。秋はお笑いに適さないのだろうか。

喬太郎「錦の袈裟」、明後日から北海道での学校公演に入るので、学校では出来ないネタをいうことで、こちらを選んだようだ。
褌にする錦のきれが十人分しかなく、与太郎だけは自分で調達してこいとなる。明らかな差別だ。お上さんの入れ知恵で住職から錦の袈裟を借りて褌に締めるのだが、前に袈裟輪がぶら下がってしまう。
そのお蔭で殿様と間違われ、与太郎一人だけもててしまう。差別を受けたものが最後に勝つという爽快なストーリーになっている。
このネタでは珍しく与太郎が所帯を持っている。その分、少ししっかりとした与太郎に描かねばならぬ。そこのさじ加減を喬太郎は巧みに表現していた。花魁と一夜を過ごした与太郎が、朝になると一時的に頭脳明晰になるという演出も、その一つだろうか。

喬太郎「夜の慣用句」。
古典と新作をほぼ半々に演って、それぞれ成功させているという点で、喬太郎は稀有な噺家だと思う。現役では他に志の輔がいるが、過去にさかのぼっても二代目円歌ぐらいしか思いつかない。
古典を演る人がたまに新作をかけたり、あるいはその逆という人は沢山いるが、両立させていくのは難しいことなんだろう。
そういう意味では喬太郎は才人だ。どうもしっくり来ないので、途中で別のネタに変えてしまうなどという事が出来るのも、この人だけだろう。
時には「才人才に溺れる」こともあるので、そこは要注意だ。
新作というのは得てして時が経つと古臭く感じるという難しさがあるが、喬太郎は当意即妙のクスグリを入れて鮮度を保っていた。

さん喬「中村仲蔵」。
仲蔵が「仮名手本忠臣蔵」五段目の斧定九郎を新しい演出で演る場面からは芝居噺仕立てとなり、歌舞伎の所作を完璧に演じて見せてくれた。
これなら歌舞伎を知らない人でも、内容が理解できただろう。
芝居に通じ、日本舞踊の名取りでもある、さん喬しか出来ない演出だ。
これだけは喬太郎は逆立ちしてもムリだ。
師匠が実力を存分に見せつけた一席。

二人の持てる力をぶつけ合ったこの日の会、結構でした。
なお次回は12月3日で「柳家小三冶」、本日10時より先行予約開始だそうで、ご希望の方は前進座劇場まで。
って言ったって、宣伝費は貰ってませんぜ。

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