#16三田落語会(2011/10/29昼)
10月29日昼、仏教伝道センタービルで行われた第16回三田落語会「さん喬・正蔵二人会」へ。
今回は、さん喬が石井徹也作「村正騒動」を、正蔵がさん喬から教わった古典「締込み」を、それぞれネタおろしするという意欲的な企画となっていた。
< 番組 >
前座・林家はな平「子ほめ」
柳家さん喬「そば清」
林家正蔵「蜆売り」
~仲入り~
林家正蔵「締込み」
柳家さん喬「村正騒動」
はな平「子ほめ」、11月に二ツ目に昇進とか。さすがにセリフの「間」がよく、演出も工夫されている。「噛む」癖を直せば面白い存在になるかも知れない。
正蔵の1席目「蜆売り」。
公演プログラムに放送作家の石井徹也が正蔵のことを紹介しているが、それによると、襲名以来増やしたネタの数は170を超えているとか。無心に落語と向き合う姿は後輩の範になっていると書かれている。
確かにこぶ平時代とは見違えるような存在になっている。熱心さも伝わる。でも何かが足りない。そこを乗り越えないと一流の仲間入りは出来ない。
このネタ、白波物の東京バージョンではなく、上方落語を江戸に移した形(かた)での口演。鼠小僧が出てこないのと、オチがある所が東京版と異なる。
商家の主人、奉公人、蜆売りの少年それぞれの人物像の造形も良く、いい出来だったと思う。
2席目「締込み」。
時間が押していたのか、前半の泥棒の親分とのヤリトリがカットされ、空き巣に入る所からスタートした。
夫婦の会話がたどたどしく、夫婦喧嘩に至る過程に説得力がない。泥棒にはもっとトボケタ味が欲しい。
人物像が平板で、ネタおろしという点を考慮してもあまり評価は出来ない。
正蔵の欠点に滑稽噺があまり面白くないことが挙げられるが、この日気づいたのは人情噺と滑稽噺のセリフのリズムや「間」が同じなのだ。
決して明るいとはいえない芸風を乗り越えるためには、この辺りの修練が求められると思う。
さん喬の1席目「そば清」。
マクラで秋空の雲の形やススキの美しさを語る。
ネタは毎度お馴染みで、言う事なし。最近の若手の口演を聴いていると、この演目はさん喬の演出が手本になっている気がする。
2席目「村正騒動」。
作者の解説によると、上方落語の「大丸屋騒動」の東京版を目指し、後半を中心に手を加えたと書かれている。
オリジナルの「大丸屋騒動」の粗筋は次のようである。
【伏見の大丸屋という酒問屋の跡取り息子から妖刀「村正」を預った次男坊。
この若旦那が祇園の芸者・おときと相思相愛の仲になる。
兄は二人を添わせてやろうと、おときを祇園から落籍(ひ)かせて一軒家を持たせ、三ヶ月の間に花嫁修業をさせることにする。
若旦那には番頭をつけ謹慎させて、二人には三か月間は会わないと言う約束をさせる。
あとわずかという夏の頃、若旦那は周囲の景色を見ているうちにおときに会いたくなり、番頭の目をくらませて会いに行く。
おときは兄との約束があり、もう少しの辛抱だと家に上げない。
若旦那が持参した「村正」で冗談半分におときを脅していると、「村正」の鞘で叩いたつもりが鞘が割れて本当におときを斬ってしまう。
そのあと血刀下げた若旦那は近づくものを斬りまくり、御用提灯持った捕り手が出て大捕物になる。
たまたま近くを通りかかった兄が気づいて現場にかけつけ、突かれても斬られてもケガ一つせずに弟を召し捕ってしまう。
「その方、血潮一つ流れぬが、どうしたことじゃ?」
「わたくしは、斬っても斬れん不死身(伏見)の兄でございます」
でサゲとなる。】
以上はHP「ぼちぼちいこか」内の記事を参考にさせて頂いた。
今回の作品「村正騒動」だが、上方版を江戸の街に移し替えたもので、大筋は変わらない。
大きな変更点としては、おときが吉原芸者とういう設定にし、二人の起請誓詞を花魁が作成し保管する。
若旦那が最後に切りかかるのはその起請文を持っていた花魁で、起請を切り裂いた瞬間に村正の刃先が折れて若旦那の刺し殺してしまうという結末にしている。
しかし二人の起請文を第三者である花魁が預かるというのは、いかにも不自然だ。当事者が持っていなければ意味がない文書だからだ。
後半の改変も救いのない陰惨な印象ばかり残り、後味が悪い。
さん喬の高座はネタおろしとは思えないほど完成度が高かったが、作品全体としては成功したとは言い難い。
むしろ、上方版をそのまま東京に移し替えた方が良かったのではないだろうか。
お囃子の太田そのが、実にいい音と声を聴かせていた。
最近のコメント