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2011/11/24

「一之輔、隔月こっそり横浜の会」(2011/11/23)

”#6ハマのすけえん「一之輔、隔月こっそり横浜の会」”が11月23日、横浜にぎわい座・小ホールで行われた。
今や時の人となった感がある一之輔、「こっそり」どころか前売りは秒速で完売したようだ。

<  番組  >
前座・立川小春「三方一両損」
春風亭一之輔「茶の湯」
春風亭一之輔「尻餅」
~仲入り~
春風亭一之輔「子は鎹」

前座に出た小春、今日は「道灌」と書いておいて下さいといいながら「三方一両損」。
並の前座なら許されない所だが、小春だし、談志の死去が伝えられた日の高座でもあるし、客席も温かく迎えていた。
未だ練れていないせいかいくつか言い間違いはあったが、啖呵は颯爽としていて良い出来だったと思う。
甲高い声の男の子が喋っているような外観(女に見えない?)も得しているような気がする。

一之輔の1席目「茶の湯」。
恒例の普段着による挨拶で真打昇進が発表された後のプレッシャーが語られ、その続きが1席目のマクラになっていた。
想像だが落語家の世界なんていうものは、他人が出世したり賞賛を浴びたりするのを喜ぶ同業者は、師匠や弟子を除けば、多分いないのではなかろうか。
とりわけ抜擢昇進となれば、飛び越された人やその一門の噺家にとり面白かろう筈はない。
恐らく「針のムシロ」にいる気分だろうし、高座に上がっている時が一番心が休まるというのは本音だと思う。
この先数か月そういう思いをするとなれば気が遠くなるだろうが、これもまた試練。乗り越えたあかつきには更に一回り大きくなった一之輔を見ることが出来よう。
11月初めの九州沖縄巡業で、ロケット団だけが女子学生に人気があったと、これは白酒と同じことを言っていた。よほど面白くなかったと見える。やはり人気というのは気になるのか。
AKB48の握手の集いで、誰も握手しにこないメンバーの気持ちってぇのもこんな感じだろうか。
さて「茶の湯」だが、2,3年前に聴いた時とは全く別物になっていて、クスグリ満載の爆笑版に変えていた。
前に聴いたときは確かにあまり面白くなかったし、それは本人も気づいていたろう。
古典をその通りに演っても受けない。それなら思い切ってデフォルメしてやろう、そう決意したのだろうか。
私は試行錯誤のプロセスとして評価したい。

一之輔の2席目「尻餅」。年末になると時に寄席にかかるネタで、貧乏人が見栄をはって、お上さんの尻を引っ叩いて暮の餅つきを演出するというもの。
家庭で餅つきをするという習慣はとうに無くなっているご時世、ピンと来ない演目になってしまった。
少し間違えるとバレ噺になりかねないネタだが、一之輔はリズミカルに演じ上手に仕上げていた。

一之輔の3席目「子は鎹」、お馴染み「子別れ・下」である。
これも「鎹(かすがい)」だの「げんのう」だのという言葉の説明が必要になる時代になってしまった。若い人はオチの内容が分かるだろうか。
行きががりで妻子と別れ今はすっかり真面目な職人になった熊、道すがらでたまたま出会った子どもが縁で、再びよりを戻すという噺。
熊が過去を反省しながらなお虚勢をはっているという演出もあるが、一之輔は心から改心してひたすら妻子に詫びるという解釈のようだ。
この熊の姿は「子別れ」を通しで演るときは違和感がもたれるだろうが、独立したネタとして演じる場合は不自然さを感じない。
夫婦、親子の情感に溢れた、心温まる一席となった。

さてこれから半年後、一年後に一之輔はどんな姿を見せてくれるのか、楽しみである。

2011/11/23

立川談志の死去

ダンシガシンダ(回文)。
良くも悪くも立川談志。
でもやっぱり寂しいねぇ。
ご冥福をお祈りする。

【寄席は学校6】“女郎買い振られて帰る果報者”

「女郎買い 振られて帰る 果報者」
花の吉原へ女郎買い(「じょうろかい」と発音する)に出かける。ところがサッパリもてず振られて帰る。ついてないなぁと思うだろうが、これがそうじゃない。
もし、モテテモテテやたらいい気分にされたら病み付きになっちまう。やがては手持ちの金は底をつき、義理の悪い借金を重ね、終いには親戚や友人からも見放される。
だから店側は初回の客にはサービスを良くし、のめり込ませるように仕向けるのだ。
反対に振られれば気分が悪いから二度とあんな所へ行くかとなり、真面目に仕事に精を出すことになる。結果としては幸せなのだ。

昨日、大王製紙前会長の井川意高ってぇ人が、子会社から100億円あまりの巨額借り入れをしたってぇことで、東京地検特捜部に会社法違反(特別背任)容疑で逮捕された。
なんでもこの男、2007年頃に株式の先物取引やFX取引で大きな損失を出した後、たまたま訪れたカジノで勝って大きな利益を得たことをきっかけにのめり込んだという。
そうしてマカオやシンガポールで高額レートのギャンブルを繰り返すうちに損失が膨らんで追い詰められ、自らが役員を務める子会社から借金を重ねたものらしい。

井川意高は東大法学部卒だってぇのに、バカだねぇ。
博打だっておんなじで、カモござんなれと、最初はいい目を出してくれる。
「ビギナーズラック」ってぇ言葉がある。素人や初心者の持つ運の良さを意味するのだが、それだけではない。
胴を取る人間が、素人さんを引き入れるためにわざと仕組む、そういう幸運だってある。
生き馬の目を抜く賭博の世界、金持ちで世間知らずのお坊ちゃんこそ、理想のカモネギなのだ。

株だのFXだのやらずに、寄席に来て落語でも聴いていりゃ、こんな目に合わずにすんだものを。

劇団大阪40周年記念公演「そして、あなたに逢えた」(2011/11/19)

昼の「楽園終着駅」に引き続き、劇団大阪によるドーンセンターでの11月19日夜の公演「そして、あなたに逢えた」を観劇。
前者が老人ホームを舞台にしていたなら、こちらの芝居は痴呆老人施設の物語り。作者・近石綏子はさらに「ホスピス」の劇作を企図しているとのことで、完成すれば三部作、文字通りのライフワークとなると思われる。    

【そして、あなたに逢えた】
作/近石綏子    
演出/熊本一

ストーリーは。
ある地方都市近郊の痴呆性老人ホームでの物語り。
そこには元医師・平岡量平(杉本進)、元歌手・川島律子(夏原幸子)、元棟梁・大山民治(清原正次)、元娼婦・小川ハツ(森祥子)、元食堂の叔母さん・前田千代(和田幸子)、元大工・小林幸吉(神津晴朗)、元教師・沢村英子(山内佳子)、元農夫・野本大五郎(高尾顕)、元女工・吉野きく(名取由美子)ら、様々な人生を背負ってきた認知症老人たちが暮らしている。
そしてあるべき介護を求めて日々奮闘する施設の園長・長田五郎(齋藤誠)、主任ケアワーカー・原田和彦(上田啓輔)、ケアワーカー・小宮由紀(もりのくるみ)ら職員たち。
息子の顔すら忘れてしまった平岡を、長男祐一(宮村信吾)と妻景子(津田ひろこ)夫婦が住む自宅に連れて行き、リスリングルームで所蔵のレコードをかけると次第に記憶が蘇ってくる。
車椅子生活の大山を小宮たちがかつて大山が建てた寺を見せに連れだすと、亡くなった妻への恋慕と棟梁の時代のプライドを思い出す。
川島には生き別れた実の娘・西沢玲子(小石久美子)がいるが、長田が入院前に一目逢って欲しいと訴えるが、玲子は自分を捨てた母親を許せず面会を拒否する。
しかし母が重病と知った玲子は施設を訪れて、実は母は片時も娘を忘れていなかったことを知り・・・。

前作に比べ、登場人物の人間像が鮮やかに描かれていて、密度の濃い作品に仕上がっていた。
認知症老人個々のエピソードや家族との交流は胸を打ち、施設職員の奮闘や苦悩も丁寧に描かれていた。
最終場面が入所者と家族、職員らのダンスシーンで終わるのも、救いがあって良かった。
ただ主任・原田が辞表を出すシーンが唐突だったように思う。なにか取って付けたような印象で、もっと全体の物語りの流れの中でこのエピソードを挟んだ方が自然ではなかったか。辞表を撤回するところもより明確に示して欲しかった。

主な出演者が劇団員でキャスティングされていたせいか、全体に演技がしっかりしていて見応えがあった。
前作に引き続き清原正次の熱演と、園長役の齋藤誠と元歌手役の夏原幸子の好演が光る。

認知症患者にとり家族の支援や交流が大切であることはその通りだが、現在そこを逆手にとって施設にあずけず家庭で面倒を見させるという政策が進められている。
もちろん口実で福祉厚生予算を切り下げる方便に利用されているのだが、その結果、多くの認知症患者がどこの施設でも引き取り手がなく、止むを得ず子供たちが退職して家で面倒をみているというケースが激増している。その中で数々の悲劇が生まれているのはご承知の通りだ。
劇に出ている老人たちは、まだ幸せの方だという現実もある。
それに施設に入れるにしても、家族の費用負担の問題もある。本人の年金だけでは到底足りないだろう。芝居を観ていて、この人たちの費用はどのようにして賄っているのか気になって仕方がなかった。
この作品が書かれ上演された時代から、今は更に現実が深刻化している。
舞台への感動と同時に、現実とのギャップが頭をかすめてしまった。

2011/11/22

劇団大阪40周年記念公演「楽園終着駅」(2011/11/19)

劇団大阪が今年で創立40周年をむかえ、その記念行動の一環として「楽園終着駅」と「そして、あなたに逢えた」の連続公演を、ドーンセンター7Fホールで行った。
11月19日に両方を観劇、先ずは前者の舞台の感想を書いてみる。

創立が1971年というから70年安保の翌年、沖縄返還の前年であり、もう遥か昔のような気がする。世紀をまたいで激動の時代を過ごしてきたわけだが、新劇というジャンルのアマチュア劇団にとっては冬の時代だったろう。
とりわけこの間に強まった経済優先、効率優先という価値観の中で、文化に対する予算が大幅に「仕分け」され、多くの文化芸能団体が窮地に追い込まれている。
その中で40年続けてきたこと自体、賞賛に値しよう。
私の乏しい経験ではあるが、演劇をやろうなどいう人たちは概して理屈っぽく、また自己顕示欲の強い個性的な人間が多い。
そうした人たちを一つの組織にまとめていくのは、並大抵のことではない。
劇団員の多くは人生の半分以上を劇団と共に過ごしことになる。
敬意を表すると同時に、これからの発展を願ってやまない。

【楽園終着駅】
作/近石綏子    
演出/熊本一

ストーリーは。
夫に先立たれ、この老人ホームに入所してきた鈴木ふみ(梁礼子)。
そこにはデモの好きな自治会長の広岡耕太郎(神津晴朗)、元建設業の荒木源造(清原正次)、三味線弾きの市村千太郎(松井克義)、その親友で岡山出身の野本与平(徳田昭男)、元呉服商の旦那である増岡信男(又川邦水)、その愛人のマダム村田豊子(芳野真知子)、新しい愛人となった良家の夫人・藤井紫(小林芳子)、威勢のいい元豆腐屋・関根虎松(齋藤誠)、精神に異常をきたしている日高ハル(吉田千恵)、彼女を看護する夫・日高孝彦(杉本進)らが、それぞれ元の人生をひきずりながら生活している。
趣味の会や各種サークル活動がある一方、いがみ合いや喧嘩も絶えない。老いたりといえども男女の愛憎もある。ハルの異常な言動も周囲を苛立たせている。
孤独な源造が規則を破って犬を飼っていたことから他の人たちとの争いが起き、怒った源造はホームを出て行くが・・・。

この芝居の初演は1979年で、劇団東演によって上演されたとある。
戦前、戦中、終戦後の極めて困難な時代を生き抜き、終の棲家を老人ホームでむかえた人たちへ、作者は温かい眼差しがそそいでいる。
ただ高齢化社会をむかえ多くの家庭で老人介護が現実的課題となった今日、この演劇を通して観客に何を訴えたかったのか、必ずしも明確とはいえない。
劇作としてはとても良く出来ていたと感じる反面、何か表面をサラッと撫ぜていったような印象を受けてしまった。

演技陣では源造役の清原正次を始め劇団員らが達者なところを見せていたが、劇団の[シニア演劇大学]出身者の演技にバラツキが目立った。8代続いた東京の呉服商の旦那に訛りがあったりするのは興がそがれる。
大きな舞台での上演では、それなりの演技レベルが求められると思う。

厳しいことも書いてきたが、2時間40分を越える長丁場の舞台、泣き笑いを繰り返しながら楽しませて貰った。

2011/11/21

大阪で白酒を聴く「白酒ジャックⅡ」(2011/11/18)

先週末に別用で大阪に赴き、たまたま18日の夜に”吉田食堂presents「白酒ジャックⅡ」”がトリイホールで開かれるのを知り、参加。
よく東京と大阪では笑いが違うとか、東京の噺家が関西では受けずに苦労したという話しを以前から耳にしていたので、白酒が大阪ではどのように演じるのか、またお客がどういう反応をするのか興味があったのだ。
会場が道頓堀近くだったので、開演前に周辺の繁華街をぶらついた。
近くに法善寺があったのでお参りしたが、あまりの小ささにビックリした。我が家の近所の神社より遥かに狭い。
金曜夕方だったせいか人通りが多かったが、現在大阪では府知事と市長のW選挙の終盤のはずだが全くその影がみえない。
宣伝カーもポスターもなく、選挙なんてどこでやってるんだいという感じだった(土日は天満橋周辺にいたが、やはり選挙らしきものは無し)。
ラーメン屋に入ったところ、近くにいた客に話しかけられ、しばしの落語談義。ここいらへんはやはり東京とは違う。
会場は満席、白酒はここでも人気のようだ。

<  番組  >
開口一番・笑福亭生寿「花色木綿」
桃月庵白酒「短命」
桃月庵白酒「抜け雀」
~中入り~
桃月庵白酒「木乃伊取り」

結論からいうと、白酒の高座は東京と変わらず、観客の反応も東京と同様で意外だった。笑いのツボも変わらぬように見えた。
上方の落語家が東京でフツーに落語会を演り、それが受ける時代になった。「笑い」に関して、既に東西の壁がなくなったということなのかも知れない。

生寿「花色木綿」、東京でいえば前座か二ツ目の位置の人だろうと推察する。このネタ、上方版を始めて聴いたが面白くない。生寿は人物の演じ分けが未だ出来ていず喋りが平板。

白酒のマクラだが、最初はトリイホールはかつて志ん朝が独演会を開いていた会場で、そうした高座に出られるのは感慨深いなどと殊勝な出だしだったが、プログラムの紹介に「彼は単なる汗っかきなのである」と書かれていたことに、「そんな悪口をいうことはないでしょう」とかみついていた。
小三冶が普段は苦虫を噛み潰したような顔をしているのに、地方公演で旅先などで出会うと結構陽気で、時には大きな声を掛けてくれることがある。あんな大声が出るんなら普段高座でもっと大きな声を出せばいいのになどと、いつもの毒舌は変わらず。

白酒の1席目「短命」、伊勢谷の養子がみな短命な原因を婉曲に説明する大家と、それをサッパリ理解しない八五郎との対比が鮮やかで、特に八の血の巡りの悪さが強調され会場の笑いを誘っていた。

2席目「抜け雀」、一文無しの泊まり客にはバカにされ、女房には呆れられる、頼りない宿の亭主。それが衝立に書かれた雀が抜け出す辺りから、次第にしっかりとした人物に変身してゆく。その変化を白酒はしっかりと押さえ好演。

3席目「木乃伊取り」、このネタに関しては言う事はない。現役ではトップだし、私見だが圓生より上だと思っている。
登場人物の演じ分けが見事なだけではなく、忠義心と正義感に溢れる頑固者の清蔵が、敵娼(あいかた)に出た花魁の手練手管にすっかりグズグズに崩れてゆく、その過程の描き方が秀逸。

白酒の高座はいつも小さなミスがあるが、それを吹き飛ばしてしまうパワーが勝り、殆んど気にならない。
出来不出来の波がなく、いつ聴いてもガッカリすることのないのも強みだ。
それを裏付けているのはサービス精神と、研究熱心さだと思う。
しばらく「白酒の時代」が続く様な予感がする。

一つだけ注文するならば、一席終わって足がしびれない程度に体重を落とすこと。
最後も見栄え良く高座を下りて欲しい。

2011/11/17

国立演芸場11月中席(2011/11/16)

11月16日、国立演芸場中席へ。
落語芸術協会(芸協)の芝居で、平日の昼席としてはマアマアの入り。

前座・三笑亭夢七
<  番組  >
・三笑亭月夢「てれすこ」
あらすじは。
珍しい魚が獲れたが名前が分からず懸賞金付きで募集すると、ある男がそれは「てれすこ」という名だと言う。
奉行が疑い、この魚を干物にして再び懸賞金付きで募集すると、再びくだんの男が出てきて、それは「すてれんきょう」だという。
「この偽り者めが」というわけで、打ち首獄門のご沙汰。
処刑の前に家族に面談が許され、男は家族への遺言として「いいか、この子が大きくなってもイカを干したものを決してスルメと言わせるな」。
これを聞いた奉行は、膝をぽんと叩いて男を無罪放免とする。
オチは、男の妻が無事を祈って「火物(加熱調理した料理)だち」をしていたので、干物(スルメ)のお蔭で助かったから、「アタリメ」の話だ。
珍しい噺を落ち着いて丁寧に語った月夢の高座は上出来。
このネタを聴くかぎりでは、真打が近そうだ。
・ナイツ「漫才」
東京漫才の伝統を継ぐユックリとした喋り、いいねえ。
かつてのリーガル千太・万吉のような芸を目指して欲しい。
・古今亭今輔「飽食の城」
本人の創作なので、当人自身の解説を引用すると。
【時は戦国時代。信長の西国進出に際し包囲された城。城攻めの司令官羽柴秀吉は、兵糧攻めを断行するが、城方にも秘策が・・・ 何とその城、お菓子の城だった!! メルヘンなお菓子の城と、惨たらしい兵糧攻めを融合させたらどうなるのかしら?と思ってつくりました。】
今輔ときくと、どうしても五代目の姿が頭に浮かび、落差の大きさに戸惑てしまう。
先代は若い頃、彦六の正蔵と共に古典を磨いた後に新作に転じた。基礎が出来ていたから、時々古典をかけても立派なものだった。
当代はその辺りどうなんだろう。
・チャーリーカンパニー「コント」
芸協ならではの色物で、日高てん(だと思うが)が実に良い味を出していて楽しめた。
・古今亭寿輔「お見立て」
毎度派手派手な着物で登場し、一見アクの強そうな印象を与えるが、高座は本寸法。
喜瀬川花魁、喜肋、杢兵衛、いずれの人物像も造形がしっかりしており、特に間に入ってオロオロする喜助に哀しみが滲み出ていた。
好演。

―仲入り―
・松旭斎小天華「奇術」
いかにも寄席の奇術、客をあまりビックリさせない程度の芸がいい。
・三笑亭夢花「天災」
いつも本格古典をきちんと演じる高座に好感が持てる。
この日も短い時間にこのネタをノーカットで演じた。
スケールの大きな噺家を目指して欲しい。
・林家今丸「紙切り」
お題を出す人は皆おひねりやお土産を差し出していた。
さすがは国立、客がリッチだ。
・三笑亭夢丸「出世夜鷹」
初見、創作落語と思っていたが、調べたられっきとした古典だそうだ。
別名「ちり塚お松」「夜鷹の松」「初音のお松」などというタイトルが付けられているらしいが、珍しいネタで夢丸しか演らないようだ。
全盛の花魁が客にねだって高価な額を観音様の境内にかかげる。それを聞いた夜鷹のお松が板切れに和歌を書いた板をその下に掛けたところそれが大評判。
夜鷹の身分ながら歌を作り書にする。その軽妙な和歌がある御典医の眼にとまり、殿様に紹介したところ大そう気に入られ、お松はお屋敷奉公となったというサクセスストーリー。
笑いの少ないネタだったが、夢丸は風格のある語りで聴かせてくれた。
この噺が聴けただけでも、この日来た甲斐があった。

終演後、観客の間で「今日は良かったね」「面白かった」という会話が飛び交っていた。
こんな寄席に出会うのは滅多にないことだ。
個々の出演者の出来も良かったが、それ以上に全体がまとまっていた。寄席は個人芸を見せると同時に団体芸でもあるということが再認識された、そんな高座だった。

近ごろの各種落語会や名人会などでは、芸協の比重が低い。出演者の割合からえば立川流の後塵を拝している。
あまりに芸協への評価が低すぎるのではなかろうか。
そんな思いを抱いて帰路についた。

2011/11/16

【痴漢無罪判決】警察って怖い

「飲んだら乗るな」、飲酒運転のことではない。男が酔って帰宅するときは、出来るだけ電車を避けてタクシーで帰れという意味だ。
酔っぱらって車内で痴漢呼ばわりされたら言い訳は聞かず、ほぼ100%有罪になるそうだ。恐ろしい世の中になったもんだ。
42年間の通勤生活で常に注意してきたが、今でも外出で電車に乗る時は若い女性に近づかぬよう心掛けている。

深夜、暗い場所で黒い服を着た女性にぶつかっただけで痴漢現行犯で逮捕されたら、あなたならどうする。
今年5月6日午前0時40分ごろ、神戸市須磨区の路上で私服で痴漢を警戒捜査していた女性巡査(25)に走り寄って胸を触ったとして、競艇選手森下祐丞さん(26)が県迷惑防止条例違反罪で兵庫県警により逮捕された。
昨日この事件で神戸地裁の片田真志裁判官は、「被害者の証言に全幅の信用性を認めがたい」と述べ、無罪(求刑罰金30万円)を言い渡した。
裁判官が警察官の証言を信用できないと断じるのは余程のことで、いかにこの事件が酷いかを裏付けている。

森下さんはこの日、直前に電車の下車駅を乗り過ごし、翌週に控えた結婚披露宴の準備のため走って早く帰宅しようとしていた。
その途中、女性警官とぶつかってしまった。
深夜で暗い場所、相手は黒のジャージ姿だったから男女の区別さえつかなかった筈だ。
たったこれだけのことなのだ。
ぶつかられた女性巡査の方は頭に血がのぼったのだろう、その場で逮捕してしまった。
警察も前後の状況からすれば誤認逮捕だと分かる筈だが、体面を保つためかそのまま送検し、検察は警察のいいなりに起訴してしまったものと思われる。

片田真志裁判官は判決の中で、右胸を触られたとの女性巡査の証言に関し「何の反応もできずに胸を触られたというのはあまりにも不自然」と指摘し、「森下さんが不意にぶつかった可能性が十分あり、犯罪の証明があったとは到底言えない」と結論付けたのは、極めて妥当な判断だ。
たまたま常識的な考えの裁判官だったから良かったものの、そうでなければ有罪にされかねない事件でもあった。

こうなると我々一般市民にとっては、ヤクザより警察の方が怖ろしい。

2011/11/14

ドジョウ宜しくTPP

野田総理は11月12日、日米首脳会談でTPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉への参加を表明したが、会談の内容についてアメリカ側と食い違いが生じている。
米側の発表によると、会談で野田首相は「TPP交渉への参加を視野に、各国との交渉を始めることを決めた」とオバマ大統領に伝えた。
大統領は「すべてのTPP参加国は、協定の高い水準を満たす準備をする必要がある」と広い分野での貿易自由化を日本に求めた。
野田首相は「貿易自由化交渉のテーブルにはすべての物品、サービスを載せる」と応じた。
これに対して日本政府は、「今回の日米首脳会談で、野田首相が『すべての物品およびサービスを貿易自由化交渉のテーブルに載せる』という発言を行ったという事実はない」とのコメントを発表した。
日本側が米側に説明を求めたところ、「日本側がこれまで表明した基本方針や対外説明を踏まえ、米側で解釈したものであり、発言は行われなかった」と確認されたとしている。

♪ しばし別れの 夜汽車の窓よ
言わず語らずに 心と心 ♪  
(「高原の駅よさようなら」より)
心と心が通じ合っていれば言葉は要らない。
TPPで「すべての物品、サービスを載せる」ということは、言わずもがな。
日本側はそうは言ってないとしているが、アメリカ側はTPP参加を表明した時点で言ったも同然と解釈したわけだ。
日米間での「以心伝心」。

政府の試算によれば、TPP参加によって日本経済は10年間で2.7兆円の利得があるとされる。年間なら2700億円だから、日本の経済全体(GDP)に対して0.05%の効果しかない。一部の物品を除けば既に十分自由化されているので、大きな経済効果が期待できないのは当然なのだ。
国論を二分するような騒ぎになっているのに、日本にとってたったそれだけの効果なのかと思われるだろうが、そうなのだから仕方がない。
ではなぜ日本政府はTPPに参加しようとしているのかといえば、「米国が日本のTPP参加を強く望んでいる以上、参加しない選択肢はない」ことに尽きる。
つい先日まで民主党や自民党からもTPPに反対する議員がいて、命をかけるだの離党するだの勇ましい事を言っていたが、政府はこの反対はポーズだけだと見抜いていた。
なぜなら民主・自民両党ともに、日本にとって米国は絶対的な存在だということが党是になっているからだ。彼らからすれば、TPPは経済ではなく政治課題だ。だから反対意見も、所詮は選挙民向けに「反対しましたよ」というアリバイ作りだと、政府はタカをくくっていた。
民・自以外のなかには真剣に反対した議員もいるが、少数だから無視されてしまったのが実状。

TPPの影響は米や酪農製品の関税撤廃に焦点があたっているが、問題はそれだけではない。
TPPでは、金融、医療、労働、環境、公共事業政策、安全基準などへの規制や制度といった「非関税障壁」の撤廃を義務づけている。こっちこそ大問題だ。
米国の政治力と経済規模が圧倒的に大きいので、日本などの他の参加諸国に対し、米国型の規制や制度を押し付けるかたちとなる可能性が大だ。
我が国の健康保険制度が骨抜きにされたり、地方の郵便局の廃止が進むことも十分あり得る。
他にも、日本の環境基準が米国に比べ厳しいので、これも「非関税障壁」の一つとして緩和が求められるかも知れない。現に米議会の共和党は、環境基準を緩和し環境汚染を今よりも容認することで、企業が環境保全に払ってきたコストを減らせるので、汚染容認が雇用対策になるのだと主張している。
米国型の経済政策を強制的に導入させられことこそTPPの核心である。

野田政権の姿勢としては、こうした米国からの要求を丸飲みすることになるだろう。
国会は民主と自民両党あわせて圧倒的多数だから、このままいけば参加容認が大勢を占めることになる。
しかし個別分野での具体案が明らかになるに従い、TPPの国民生活に与える悪影響もはっきりとしてくる。
その段階で、どこまで国民の多数が反対の意思表示ができるかが、TPP参加への是非を左右することになるだろう。

2011/11/13

金時・ひな太郎の会(2011/11/12)

11月12日、鈴本演芸場で行われた「金時・ひな太郎の会」へ。
実力派中堅の二人会にしては、やや寂しい入りだった。

<  番組  >
前座・古今亭きょう介「子ほめ」
三遊亭金時「転宅」
桂ひな太郎「浮世床」
三遊亭金時「一人酒盛」
~仲入り~
カンジヤマ・マイム「パントマイム」
桂ひな太郎「大工調べ」

落語が世界的にも珍しい芸だとすれば、寄席という劇場(小屋)も又珍しい存在だろう。何しろ一年中興行を打っていて、しかも毎日昼から夜9時頃まで開いている。
芝居と違ってあらかじめ演目が決められておらず、個々の出演者がその日その日で出番直前に出し物を決める。
客は彼らの芸を見たさに、何を演るのかが分からぬまま寄席に足を運ぶわけだ。
たいがいの寄席は開演前に前座があがり、サラが二ツ目、それ以後は真打の登場となる。
真打は大きく、大看板、ベテラン、中堅、若手に分かれる。
日常の寄席を支えているのは、中堅クラスといって良いだろう。
例えばこの日の出演者である金時は、浅草演芸ホール11月上席夜の部で主任、そして池袋演芸場11月下席でもトリを取る。
金時とひな太郎、各々、日常の寄席には欠かすことのできない噺家の一人だ。

金時の1席目「転宅」。
私の両親は戦前に中野で水商売をしていたが、あるときヤクザの客とトラブルになり、いきなり「ぶっ殺す!」といいながらドスを抜きテーブルの上に突き立てた。親父も従業員たちも一斉に外へ逃げ出したが、お袋だけは一歩も引かず「殺れるもんなら殺ってみな」と啖呵を切った。その剣幕に押され、ヤクザの方が退散したそうだ。
このネタを聴くたびに、母親のエピソードを思いだす。
胆の座ったお菊さんが間抜けな泥棒を手玉に取るシーンが良く出来ていた。
翌日現れた泥棒に、煙草屋の主人がうすうす正体を見抜いたような演出が目新しかった。

2席目「一人酒盛」、一緒に呑もうと呼び出しておいて、一人だけで5合の酒を全部空けてしまう男。しかも本人は差しで呑んだつもりでいるんだから始末に悪い。
呑むほどに酔うほどに気分が良くなっていく男と、ジリジリしながら最後に怒りをぶつける寅さんとの対比の面白さ。
寅さんのジリジリぶりをもう少し際立たせた方が効果的だったと思う。

ひな太郎1席目「浮世床」、この日は「夢」編だったが、こういう軽い噺を軽く演じさせると、ひな太郎は上手い。

2席目「大工調べ」、元の師匠・志ん朝の演出を踏襲していた。
気風の良い棟梁、因業な大家、間抜けな与太郎、それぞれの造形がしっかりしており、棟梁の胸のすく様な啖呵も良く出来ていた。
裁きから最後のオチまで間然とすることなく一気呵成、本寸法の高座だった。

他にカンジヤマ・マイムの妙技に客席が沸いていた。

2011/11/12

「立川志らく独演会」(2011/11/11)

11年11月11日、つまり”ピンぞろ”という粋な日に「JTアートホール アフィニス」行われた「J亭落語会秋シリーズ、立川志らく独演会」へ。
次回の冬シリーズに志らくは出ないので、J亭落語会のラスト出演ということになる。
志らくは多い時には月に10回も独演会を演るそうだ。一緒に演ってくれる人がいないからという事らしいが、あまり数多く独演会ばかりしていると有難味が薄れ、やがて鉄拐(てっかい、後述)仙人の二の舞にならないかと余計な心配をしてしまう。今は人気が高いからいいけどね。

私見だが、ほんらい独演会っていうもんは本人から言い出して演るものじゃなかろうか。こういう趣向で独演会を開くので、よければ聴きにきて下さいというのが本当の姿なのでは。
それが昨今は独演会を演らされているというのが実状のような気がする。
予め会が設定されてしまい、噺家自身が「さて今日は何を演るか?」なんていうのは邪道だと私は思う。
この日はそうではなかったと思うけど。

<  番組  >
前座・立川らく兵「千早ふる」
立川志らく「鉄拐」
~仲入り~
立川志らく「紺屋高尾」

らく兵「千早ふる」。下手じゃないが早口で聴き取りにくいのと、表情が硬く陰気な印象を受ける。芸人は愛嬌、男は度胸。

この日の志らく、気合が入っていた。2席ともに良い出来だった。
1席目「鉄拐」。
談志が第一線を引いたいま、このネタは志らくの独壇場といえる。
あらすじは。
中国の豪商、上海屋の番頭が創業祭のだし物として、珍しい芸人を探しに旅に出て仙人境へ迷い込み、襤褸をまとっている老人を見つける。訊けば鉄拐という仙人で、一身分体の術が出来るということで説得し街へ連れ帰る。
口から分身を出す芸は大受けで、寄席に出て人気者になったが、寄席に穴を空けたりして評判が落ち、芸も次第に飽きられる。
別の興行師が仙人を探せと仙境にでかけ、瓢箪の中から馬が出せる張果老という仙人をみつけて連れ帰る。この「瓢箪から駒」の芸はたいそう評判を呼び、すっかり人気が奪われてしまう。
これを妬んだ鉄拐が夜中に忍び込んで、瓢箪の馬を飲んでしまった。馬が出ないので張果老の人気はがた落ちする一方、鉄拐は観客を丸ごと飲みこみ腹の中で馬に乗った鉄拐見せてやる芸を演じて、これが大当たり。
腹の中で喧嘩をしている客がいて、吐き出してみたらこれが・・・。

本来のオチは「李白と陶淵明」だが、この日は張果老にしていた。
李白と陶淵明が大酒のみだったという故事が現在では通用しなくなったからだろう。
落語の中には知識がないと理解できない洒落やサゲが沢山あり、昔の人は博識だったんだろうか。
前に一度志らくの高座を観ているが、その時は時間も短くストーリーを追うだけに終わり、面白みを感じなかった。
この日は時間もタップリとりクスグリが満載。万華鏡のごときクスグリに溢れ、どうやらこのネタはそこが真骨頂であるらしい。
志らくでなくては出来ぬ、魅力ある高座だった。

2席目「紺屋高尾」。
「傾城に誠なしとは誰(た)が云うた」でサゲるこの噺、双子のようなソックリなネタに「幾代餅」がある。細部は少し異なるのだが、最近ではゴチャマゼになってきて、花魁の名前だけが別の同じ噺になりつつある。
恋わずらいを病む紺屋職人・久蔵の病気の相手を訊き出すのは医者か親方の吉兵衛か多いのだが、志らくは親方夫婦にしていた。
職人では相手にしてくれないので野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みで、久蔵は返事も羽織の袖を握って「あい、あい」と後ろに頷く稽古をする。志らくは、この返事の形を、後のシーンで紺屋の職人であることを告白する際の「仕掛け」に使った。初めて紺に染まった指を高尾に見せて、あなたに会いたい一心で3年間必死で働いたと告げる。当初は久蔵のウソに怒りを顕わにしてした高尾が、その純真な心情に打たれ、年があけたら女房にしてくれと30両という支度金を久蔵に渡す。
クライマックスでの久蔵の一途な姿を志らくは見事に描き出し、客席の共感を誘っていた。
通常は翌年の3月15日に約束通り高尾が久蔵のもとへ嫁入りする所で終了するが、志らくは後日談を加え、独自のオチを加えていた。ここも不自然さがなく、良いキリだったと思う。

先月から談春、志の輔と立川流の独演会を観てきたが、立川の本流はやはり志らくだという思いを改たにした。

2011/11/10

「炎の人」(2011/11/9)

Honoonohitomainhp11月9日、「天王洲 銀河劇場」で上演中の「炎の人」を観劇。
平日の昼間にもかかららず一杯の入り。
席は後方だったが通路際だったため舞台全体が見えた。前の席のお客の頭が無いとストレスを全く感じぜずにすむ。快適!

作: 三好十郎
演出:栗山民也
<  キャスト  >
市村正親/ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
益岡徹/ゴーギャン
富田靖子/ゴッホの恋人:シィヌ、ラシェル
原康義/ゴッホの師:モーヴ 
さとうこうじ/ロートレック 
渚あき/モリゾ 
斉藤直樹/ベルナール 
荒木健太朗/学生 
野口俊丞/デニス 
保可南/ハンナ
中嶋しゅう/郵便配達夫ルーラン 
大鷹明良/画材商タンギイ 
銀粉蝶/その妻
今井朋彦/ゴッホの弟:テオドール 

あらすじは。
ベルギーの炭鉱町で宣教師を志したゴッホだったが、炭鉱夫たちの困窮に同情するあまり労働争議にまでかかわり職を追われる。
放浪の果てに生きる道を絵画に求めオランダに移り住む。酒場で知り合った貧しい娼婦シィヌをモデルに絵の修業を始めるが、結婚を口に出して従兄でゴッホの絵画の師でもあるモーヴからは絶縁され、シィヌにも去られる。
生活の糧を失ったゴッホにとって唯一の理解者は実弟テオドールで、これ以後画商店の給料の半額を生涯にわたりゴッホに送金し続ける。
テオドールの助言で花の都パリに向かい、そこで出会った若い印象派の画家たちから新しい刺激を受ける。なかでもゴーギャンの才能には強い憧れを持ち、またゴーギャンもゴッホの才能を認めるが、それ以外の周囲はゴッホの独自の技法と世界を理解できない。
憑かれたように絵を描き続けるうちに、ヴィンセントの精神と肉体はすり減っていった。
やがてパリの喧噪を逃れ、南仏アルルで芸術家のコミュニティ作りを目指すが、参加したのはゴーギャンただ一人だけ。
ゴーガンとの共同生活が始まる。美しい田園風景と親しい友人となった郵便夫ルーランや酒場の踊り子ラシェルに癒されるゴッホ。才能が一気に開花し、この時期に数々の傑作が生みだされる。
しかしゴッホとゴーギャン二人の天才のぶつかり合いは、次第にゴッホの狂気を招くようになり、ついに・・・。

三好十郎のこの骨太の作品は1951年に書かれ、その年に劇団民藝により新橋演舞場で初演される。劇場をチケットを求める観客が二重三重に囲み、10万人を超える大ヒットとなったことが記録されている。
当時の日本は米軍占領下にあり、1949年からの労働運動の盛り上がり、一連の黒い霧事件、レッドパージ、そして1950年の朝鮮戦争の開始と、社会が騒然としていた時代だった。
「炎の人」の幕開けがいきなり炭鉱労働者のストライキから始まる辺りは、当時の世相の反映を感じさせる。
ゴッホと言う人はあまりに純粋無垢で、常に周囲から疎まれ孤立していく。
それだからこそ彼は自分の信念だけを貫くことができたともいえよう。
次第に神経をすり減らし狂気の発作を繰り返して、遂には尊敬していたゴーギャンまで失うことになり、絶望の果てに自ら命を絶つ。
ゴッホは画家の中では多作で、およそ800枚の絵を描いたと言われる。しかし生前に売れたのはたった1枚、それも数千円の金額だったとか。
1890年、37歳でこの世を去るのだが、それから僅か100年経つか経たぬうちに数十億円の値段がつけられる。
生前は誰からも見向きもされなかったゴッホとその作品、それは一体なぜなんだろうと、作者は終幕で問いかけるのだ。
ゴッホの人生を支え唯一の理解者だった弟テオも、兄を後を追うように翌年死んでいく。
ただその夫人ヨーがゴッホ展を開くなどの努力が実を結び、世間から評価されるようになっていくのが、せめてもの救いである。

出演者では、やはり主役の市村正親の演技が抜群だ。まるでゴッホが憑りついたような迫真の舞台に圧倒された。かつて滝沢修の当たり役だったゴッホだが、今やこの人でなければと思わせる。
弟テオを演じた今井朋彦は、ひたむきさが感じられた。
ゴッホの恋人二役を演じた富田靖子はキュートでコケティッシュで、ひたすら愛らしい。
画材商タンギイ役の大鷹明良と郵便夫ルーラン役の中嶋しゅうがそれぞれ渋い演技を見せ、ロートレック役のさとうこうじの怪演と共に印象に残った。

オリンパスの過失

      <  オリンパスの過失  >

Photo

      <  オリンポスの果実  >

Photo_2
      (画像のモデルは山岸舞彩)

「オリンパス」の損失隠し問題は一企業の不正事件にとどまらず、日本企業全体の信用に疑いがもたれる状況になりつつある。
数百億円もの架空の金が20年以上にわたってオリンパスの帳簿には載っていたわけだが、どうしたらそんな事ができるのか、なぜ誰も―特に監査とりわけ外部の監査法人が―見抜けなかったのか、どう考えても納得がいかない。
企業会計原則の第一条には次のように「真実性の原則」が定められている。
一 企業会計は、企業の財政状態及び経営成績に関して、真実な報告を提供するものでなければならない。
オリンパス社はこれを長期に踏みにじってきたわけだが、そんなイカサマができる貸借対照表というのは果たしてどんな意味があるのだろうか。

今回のオリンパス社の不正は、規模からいっても内容からしてもライブドア事件など目じゃない。
この上は厳正な捜査により、不正にかかわった全ての歴代役員と監査役、監査法人の担当者全員を刑務所に入れる位の覚悟が求められる。
国際的な信用力回復のためには、思い切った外科手術が必要だ。

2011/11/07

「志の輔らくご in にほんばし」(2011/11/6)

11月6日、日本橋三井ホールで行われた立川志の輔独演会「志の輔らくご in にほんばし」へ。
三菱と三井といえば日本を代表する二大財閥で、丸の内周辺に三菱、日本橋周辺に三井の施設が集中している。
丸ビルを中心にして丸の内の三菱が我が世の春を謳歌しているのに対し、日本橋はいまいちパッとせず三井は遅れを取った感があった。
そこで三井は巻き返しを図り、石原都政の支援も受けながら官民一体となった「日本橋再生計画」を現在推進している。
これには三菱地所vs.三井不動産という対立構図がウラにあるあるわけだ。
NHKなども特集を組んで報道している「日本橋再生計画」は、決してキレイゴトだけではない。
その計画の第一弾が「室町東三井ビルディング」の建設であり、このビルの4Fに今回の会場となった「日本橋三井ホール」がある。

4Fのホテルのようなエントランスを入りエスカレーターで5Fの会場に上がるとユッタリとしたホワイエがあって、とても豪華だ。
ただ客席のフラットなフロアー部分は普通の椅子が並べられており、快適な座り心地とはいえない。
志の輔も言ってたが、落語にはあまり適した会場ではない。

<  番組  >
立川志の輔「中村仲蔵」

前座もゲストも無し、志の輔一人が長講2時間の高座。マクラや終演の挨拶を除いておよそ90分をネタに掛けていた。
志の輔「中村仲蔵」は今度で3回目となるが、専門の囃子方を従えた芝居仕立てで演じることに特徴がある。
今回の高座では、仲蔵の生い立ちの部分が付け加わった。
仲蔵が幼い時から養子に出され、舞踊や長唄の稽古を積んだ後に役者になる。それも短期間で廃業し他の職業に就くが、再び芝居の世界に舞い戻ってくる。中村伝九郎という役者の弟子になり初代中村仲蔵という名前をもらい、中村座へ出勤をするようになる。
歌舞伎役者には階級制度があり、下から下立役(稲荷町)-中通り-相中-名題の順になる。
昔から世襲制の世界なので、仲蔵は始めは稲荷町からスタ-ト、この階級は台詞がない。
やがて精勤が認められ中通り、ここで初めて一言の台詞がつく。この時に座頭だった四代目市川團十郎の眼にとまり、やがて相中に昇進する。
あるとき「鎌髭」という芝居で、團十郎演じる修行者快哲(実は景清)を鎌で殺害しようと図る相手役・鍛冶屋四郎兵衛(実は三保谷四郎)に抜擢された仲蔵が、劇中で工夫を凝らしたのが当たり、遂に当時としては異例の名題に出世する。

ここまでの箇所は通常の高座では手短に紹介されるが、志の輔はかなり詳細に語った。
この仲蔵の経歴が、この後に中村仲蔵が「仮名手本忠臣蔵」の五段目で斧定九郎一役をあてられながら、工夫を重ねて現在の型にしたというサクセスストーリーのバックグランドになるのだ。
いつの時代でも「出る杭は打たれる」で、異例の出世をした仲蔵に対して、周囲の妬みや嫌がらせは相当に酷いものだった。
そこを打ち破り周囲を納得させるためには、観客から大きな支持を得るしかない。
そこで仲蔵はいわば捨て身の賭けに出たわけだ。
それまでの斧定九郎の扮装は縞の平袖というどてらで、これへ丸ごけの帯をしめて山刀を差してわらじがけ、山岡頭巾をかぶっての山賊姿だった。
それを仲蔵は全身白塗りにして羊羹色の黒羽二重に白献上の帯をしめ、朱鞘の大小を腰に差し、福草履という拵えに変えた。
出番になる直前に手桶で水を頭からかけ、手にはタップリと水を含んだ破れ傘で、揚幕から花道へ出ると水がたれる姿で見得を切ったのだ。
これが当時の江戸の観客に大受け、今に伝わる定九郎の形となる。これで一躍人気者になり、やがて後世に名を残す名優となった。

Nakazou

志の輔の語りの優れた点は、「間」の取り方だ。これが絶妙で客が話に引き込まれる。
単調になりかけると別の話題を振ったりクスグリを入れたりして、気を逸らさない。
芝居の所作は相変わらず巧みだ。これをお囃子連が盛り上げる。
しばしばこのネタを高座に掛けるのも、中村仲蔵を志の輔自身の歩みに重ねているせいではないだろうか。
サラリーマンになり所帯も持ってから談志に入門、寄席(定席)に出演できないというハンディの中で生活を維持していくのは並大抵の苦労ではなかっただろう。
メディアに出て人気者になれば、先輩方にも気を配らねばならない。
彼の仲蔵には、志の輔本人が投影されているのだと思う。

ただ、又「仲蔵」かよ、という思いもある。
沢山のネタを持っているのだから、こういう会でも他の演目で勝負して欲しい、そう思う気持ちが半分だ。そこに物足りなさが残るのだ。

2011/11/05

落語家も楽じゃない

ある落語会で近くの席にいたお二人、年配の男性と中年の女性で、連れではなくたまたま知り合い同士だった様だが、こんな会話をしていた。
「喬太郎はダメになったねぇ、ありゃ遊び過ぎだね。」
「私も以前はよく行ってたんですけど、最近はねぇ、まったく・・・。」
「ああ、やっぱり・・・、そう。」
男性が「遊び過ぎ」と言ってるのは、恐らく近ごろの柳家喬太郎がTVやラジオなどのメディアや芝居への出演が増えていることを指しているものと思われるが、ここまで言われると当代の人気者もカタ無しだ。
お二人ともかなりのハードな落語ファンとお見受けしたが、いわゆる芸能評論家たちよりよっぽど評価が厳しい。

初めの頃は面白い上手いと感心して、その噺家の高座に何回か通う。そうすると期待値も次第に高くなってゆく。それに従い期待を上回るパフォーマンスを求めてゆくことになる。
棒高跳びにたとえれば、最初は高さが50㎝だったのが、1m、1m50㎝と言う風にクリアーすべきバーが上がってゆく。
演者は同じように演っているつもりでいても期待が高い分バーが飛べず、ナンダと客はガッカリするわけだ。
そんなことが二度三度と続くと足が遠のいていく、恐ろしい世界だ。

今世紀と共に始まった落語ブームだが、その頃にファンになった人たちも約10年。寄席や落語会に通い、沢山の高座を観たり昔の名人上手のCDを聴いたり、すっかり眼も耳も肥えてきた。
落語家にしてみれば、そう日進月歩で常に進歩できる分けではなかろう。
人間誰しも同じように、伸びる時期もあれば停滞期もある。
人気者となれば毎日のように仕事があるだろうから、常にトップコンディションを保つことは不可能だ。

もう一つ、観客の評価も決して同一ではない。
柳家小三冶、人気実力とも当代のトップクラスだ。
この人の高座はマクラが長いのが特徴のひとつで、時にはマクラだけで一席が終わってしまうことさえある。ファンの中にはそのマクラを楽しみに来る人もいれば、そうでない人もいる。私も後者の方だ。
小三冶の独演会に行くと、長いマクラに耐えかねてジリジリしている人をよく見かける。「早く本題へ入れよ」と喉まで出かかっている様子が手に取るように分かることがある。
立川談志の場合は落語論だ。
これが延々と続くと、客の中には焦れて野次を飛ばす者もでてくる。そこで高座の談志と客とで口喧嘩が始まる。談志のCDなどではお馴染みといって良い。
その一方、その落語論を楽しみにしている客もいるわけだ。
来場の人たちに等しく満足させるのは至難の業といえよう。

そうしてみれば観客側も、もう少し余裕を持って見守る姿勢が必要なのだろう。
これは自戒の弁でもある。
ブームが沈静化し、前売り発売日の10時になるとPCや電話にしがみついてチケットを取らずに済むようになれば、様相が変わってくるかも知れないが。

2011/11/03

原発と警察

東電などによると「天下り」公務員OBは、2011年8月末で51人だった。
このうち顧問は3人で、国土交通省出身が2人、警察庁1人となっている。4月末までは経産省出身の石田徹・元資源エネルギー庁長官が顧問として在籍していたが、4月に原発事故を受けて辞任していた。
嘱託48人の内訳は、都道府県警出身31人、海上保安庁7人、地方自治体5人、林野庁2人、気象庁2人、消防庁1人。電力業界所管の経産省からはゼロという。
意外にも監督官庁である経産省の天下りはゼロだったのに対し、警察関係が計32人で全体の6割以上を占め、突出していたのだ。
ではなぜ東電はこれほどの警察OBを受け入れていたのか、それには理由がある。

どこの大手企業でも必ずといって良いほど警察OBがいる。
その役割はおよそ次の四つだ。
1.警察を通して個人情報の入手
2.事件や事故のもみ消し
3.交通事故処理
4.株主総会対策

日本の労働組合の大半は労使協調路線だが、時として会社の方針に反対する人も出てくる。
会社側としてはそれが個人的なものなのか、それとも組織的な動きなのかによって対処の仕方が変えねばならない。
そこで警察OBが個人情報を調べる。先ず日本共産党の党員やシンパであるかどうか、他の左翼組織に入っていないかどうかを把握する。
組織に関与していたことが分かると、該当の人物に昇進や給与で差別をしたり、無理な配置転換を行ったり、時には適当な理由をつけて解雇したりする。
こうした個人情報は警察でしか分からず、いわば警察OBの飯のタネなのだ。
思想信条による差別も、警察が保有する個人情報を漏えいすることも明らかに違法だが、公然と行われていることはご承知の通り。
年配の方なら、かつて大きな労働争議に警察が介入していたことをご存知だろう。労働運動への弾圧も警察の仕事の一つなのだ。

会社には事件や事故は付き物だ。なかには世間に知られたくないことも多い。
日本のマスコミは事件や事故に対しては、警察発表を鵜呑みにして報道する。そこで企業の警察OBが、公表しないよう警察に依頼する。
世間的には公表されなければ無いに等しくなるわけで、企業としては好都合なのだ。

交通事故処理については説明の必要がないだろう。
私の兄が昔、ある役所の総務部長をしていたが、所轄の警察署で署長が異動すると、その度に宴席を設け接待していたと言っていた。こうしておくと所員が交通事故を起こした時、好意的に措置してくれるのだそうだ。
株主総会についても面白いことがある。総会屋が今年はどことどこの会社に行くというような情報が毎年流れてきていた。
警察OBというのは企業にとって実に有難い存在のだ。

ここまでくれば、なぜ東電に沢山の警察OBが天下りしていたかお分かりだろう。
各地で起きた原発反対運動を抑えるためには、彼らの力が不可欠だった。
地域住民ひとりひとりの個人情報を把握することなど、警察の協力抜きにはできない。
反対派と目されると小さな交通違反まで見逃さず摘発される。警官が頻繁に戸別訪問で回ってくる。そうして反対運動から脱落させる。
もちろん原発とその周辺で起きた事件や事故に対しても、適切な処理がなされたであろうことは想像に難くない。

天下り警察OBこそ、原発推進の陰の功労者なのだ。
そうしてこれからも、その力を存分に発揮し続けることだろう。

2011/11/01

【寄席な人々】「ケータイ警報」発令!

先日ひさびさに鈴本演芸場の公演中の客席で、携帯の呼び出し音にでて通話をはじめる人をみた。過去に2回経験しているので、今回で3人目ということになる。
演者の高座に水をさすばかりでなく、周囲の人に不快な思いをさせ、まことに迷惑な話しだ。
他の方のブログをみても、そうした例は少なくないようだ。
客席での通話はさすがに他の芝居やコンサートでは見たことがないから、こういう客は寄席や落語という芸能をナメテいるとしか思えない。注意されても悪びれた様子がないのは、そのためだろう。
このての人は入場禁止にして欲しいくらいだが、実際には難しい。

ここまで極端でなくとも、公演会場での携帯の呼び出し音にはしばしば悩まされる。
開演前の恒例ともなっている「ケータイ警報」だが、何度もしつこく注意しても鳴ることもあれば、全く注意せずにいても最後まで鳴らないこともある。その会場の客層にも因るのだ。
主催者側としては、さぞ頭が痛いことだろう。
困るのは本人は電源を切ったつもりでいるから、音が鳴り続けているのにいつまでも止めようとしないことだ。
妨害電波を放っている会場もあるが、そのせいか安心して電源をオフにせずにしていたのだろう。そういう劇場でも呼び出し音が鳴ることもある。
こうなると、100人に1人程度は不注意な人がいることを覚悟せねばならないのだろう。

音が鳴らなければそれで良いかというと、そうではない。
マナーモードの振動音も、静かな会場では周囲に響きわたる。
もう一つ、公演中にメールチェックするのだろうか、待ち受け画面を見ている人がいる。場内はうす暗いから、この光がかなり目だつ。周りにこういう人がいると気が散ってしょうがない。
もしかするとツィッターとやらで、公演のツブヤキでもしているのかも。

こうすれば完全に防げるという妙案は無いのが実状だ。
どうしても携帯の電源を切れない人や、切るのを忘れそうな不注意な人は、劇場に足を運ばぬよう自主規制して貰うしか手があるまい。
それも出来ないとあらば、ケータイは家に置いて出てきて欲しい。
そう願うばかりだ。

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