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2011/11/05

落語家も楽じゃない

ある落語会で近くの席にいたお二人、年配の男性と中年の女性で、連れではなくたまたま知り合い同士だった様だが、こんな会話をしていた。
「喬太郎はダメになったねぇ、ありゃ遊び過ぎだね。」
「私も以前はよく行ってたんですけど、最近はねぇ、まったく・・・。」
「ああ、やっぱり・・・、そう。」
男性が「遊び過ぎ」と言ってるのは、恐らく近ごろの柳家喬太郎がTVやラジオなどのメディアや芝居への出演が増えていることを指しているものと思われるが、ここまで言われると当代の人気者もカタ無しだ。
お二人ともかなりのハードな落語ファンとお見受けしたが、いわゆる芸能評論家たちよりよっぽど評価が厳しい。

初めの頃は面白い上手いと感心して、その噺家の高座に何回か通う。そうすると期待値も次第に高くなってゆく。それに従い期待を上回るパフォーマンスを求めてゆくことになる。
棒高跳びにたとえれば、最初は高さが50㎝だったのが、1m、1m50㎝と言う風にクリアーすべきバーが上がってゆく。
演者は同じように演っているつもりでいても期待が高い分バーが飛べず、ナンダと客はガッカリするわけだ。
そんなことが二度三度と続くと足が遠のいていく、恐ろしい世界だ。

今世紀と共に始まった落語ブームだが、その頃にファンになった人たちも約10年。寄席や落語会に通い、沢山の高座を観たり昔の名人上手のCDを聴いたり、すっかり眼も耳も肥えてきた。
落語家にしてみれば、そう日進月歩で常に進歩できる分けではなかろう。
人間誰しも同じように、伸びる時期もあれば停滞期もある。
人気者となれば毎日のように仕事があるだろうから、常にトップコンディションを保つことは不可能だ。

もう一つ、観客の評価も決して同一ではない。
柳家小三冶、人気実力とも当代のトップクラスだ。
この人の高座はマクラが長いのが特徴のひとつで、時にはマクラだけで一席が終わってしまうことさえある。ファンの中にはそのマクラを楽しみに来る人もいれば、そうでない人もいる。私も後者の方だ。
小三冶の独演会に行くと、長いマクラに耐えかねてジリジリしている人をよく見かける。「早く本題へ入れよ」と喉まで出かかっている様子が手に取るように分かることがある。
立川談志の場合は落語論だ。
これが延々と続くと、客の中には焦れて野次を飛ばす者もでてくる。そこで高座の談志と客とで口喧嘩が始まる。談志のCDなどではお馴染みといって良い。
その一方、その落語論を楽しみにしている客もいるわけだ。
来場の人たちに等しく満足させるのは至難の業といえよう。

そうしてみれば観客側も、もう少し余裕を持って見守る姿勢が必要なのだろう。
これは自戒の弁でもある。
ブームが沈静化し、前売り発売日の10時になるとPCや電話にしがみついてチケットを取らずに済むようになれば、様相が変わってくるかも知れないが。

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