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2011/12/21

鈴本12月中席(昼)楽日(2011/12/20)

鈴本演芸場12月中席の楽日、昼の部へ。夜の部と迷ったが、顔づけで「小満ん一門」総出演(といっても3人だが)だったのと、昼トリの一九が初見だったのでこちらを選んだ。
この日は携帯が度々鳴り、しかもいつまでも止めないという悪質なものだった。喬太郎の高座が中断されたり、トリの山場で鳴ったり散々だった(怒)。
マナーを守れないなら入場しないで貰いたい。

前座・柳家さん坊「真田小僧」
<  番組  >
柳家さん若「饅頭こわい」
ダーク広和「奇術」
(二ツ目昇進しん歩改メ)林家さん歩「強情灸」
柳家さん生「つる」
昭和のいる・こいる「漫才」
柳亭燕路「垂乳根」
柳亭市馬「親子酒」
林家正楽「紙切り」
柳家喬太郎「花筏」
-仲入り-
ホンキートンク「漫才」
柳家小満ん「時そば」
林家しん平「漫談」
鏡味仙三郎「太神楽」
柳家一九「芝浜」

さん若「饅頭こわい」、経歴を見ると30代半ばで入門したようで、二ツ目だが40才を越えている。年齢に相応しく落ち着いた高座だった。ハンディはあるだろうが頑張って欲しい。
ダーク広和「奇術」、いつも感じるのだが現在寄席に出ている手品師で最も高い技術を持っていると思う。もっと「見せ方」を工夫したらどうだろうか。趣味で演るならともかく商売で演っているのだから。勿体ない。
さん歩「強情灸」、二ツ目のレベルとは言えない。むしろオチ研レベルに近い。会場の空気を冷やすような喋りを先ず改めるべきか。
さん生「つる」、の登場でようやく客席の空気が温まってきた。この人は顔で得している。
のいる・こいる「漫才」、近ごろは見ていて少し辛い。
燕路「垂乳根」、前方中央のご婦人グループに大受けだった。母性愛本能をくすぐるのかしらん。
市馬「親子酒」、「ヤットン節」を高らかに唄い気分よく下りていた。これも適度にとどめておかないと「寝床」になっちまうかも。
喬太郎「花筏」、八代目柳枝の十八番で、喬太郎もこの型を継承している。昇太ほどではなくとももう少し独自の演出があるかと期待したが、極めてオーソドックス。良く言えば手堅いが、反面「らしさ」がない。
ニセ花筏と対戦する千鳥ケ浜大五郎は銚子の網元のせがれで田舎大関という設定だが、この人物の造形が不出来だった。そのせいか全般に平板。

ホンキートンク「漫才」、東京のベテラン漫才師が高齢化による衰えが目立ってきているので、ここは若手が奮起して欲しい。このコンビも早く「得意技」が出来ると良いのだが。
小満ん「時そば」、最初にそばを食いに来る客が片手を袂に手を入れて、恰好が乙。こういう客だから蕎麦屋が騙されるのだ。美味いソバと不味いソバの食い分けも見事に、いぶし銀の味わい。
しん平「漫談」、放談かも。アメ横で売る食品は要注意らしい。一昨日、文左衛門もそう言っていた。古典落語ばかり続いていたので、息抜きの一席。
鏡味仙三郎「太神楽」、今日は二軍かな?
一九「芝浜」、丁寧な高座は好感が持てる。勝五郎夫婦の情愛の深さを強調した演出で聴かせてくれたが、全体に地味な印象。チャンスがあれば軽い滑稽噺を聴いてみたい。

いよいよ今年も終わりに近づいた。
落語もあと一回で、24日がラスト。
ブログは30日に恒例の「My演芸大賞」の発表で納めとなります。

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コメント

私が行った日は「垂乳根」は扇遊、「時そば」は市馬でした。
「時そば」は時節柄、よくかかるんでしょうね。
小満んのいぶし銀の一席も聴きたかったと思います。

新二つ目のさん歩ですが、個性からすると新作の方が合っているような気がします。

福様
師走の寄席は大体ネタが限られるようですね。小満んの粋さには元の師匠の影響を感じます。最初の客がそばを全部食べ、残りの汁も飲み尽くす所は小さんかなと思わせます。
さん歩は喋りが未だ落語家になっていません。そこを先ず直さないと・・・、という段階だと思います。

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