【思い出の落語家19】古今亭志ん朝(2)
数えきれぬ落語家の独演会の中で、これがベストだといえるのは1997-98年頃に三郷市文化会館で行われた「古今亭志ん朝独演会」だ。
生涯からみれば晩年といえるこの時期の志ん朝の独演会は通常、軽めの1席と仲入り後に大ネタや人情噺という組合せが多かったと記憶している。
処がこの会では珍しく「寝床」「富久」の2席をかけた。
「寝床」という噺はお馴染みだろうが、下手なのに義太夫好きの家主が義太夫の会を催し、番頭の茂蔵に客集めに行かせる。毎度の事に懲りている長屋の連中は、適当な理由をつけて全員が断ってしまう。
仕方がないので今度は奉公人に聴かせようとすると、これまた全員が仮病をつかう。怒った家主は、長屋の連中には店立て、奉公人には暇を出すと息巻く。
慌てた番頭は再度長屋を回って客を集め、家主をなだめる。
渋々集まった長屋の連中には酒、肴がふるまわれ、やがて家主の義太夫が始まるが・・・。
会社のエライさんなどが、下手なカラオケを立て続けに唄い部下に迷惑をかける光景は今でもあり、そんな時に「まるで寝床だね」と嘆きの声が上がる。「下手の横好き」の代名詞にもなっている。
オチは、店子や奉公人がみな寝込んでしまった中で、一人小僧だけが泣いている。旦那が私の義太夫のどこが悲しかったのかと訊くと、
小僧「そんなとこじゃない、あすこでござんす」
旦那「あれは、あたしが義太夫を語った床じゃないか」
小僧「あたくしは、あすこが寝床でございます」
いうまでもなく八代目桂文楽の十八番中の十八番。他の演者も多少のアレンジはあっても基本は文楽スタイルだ。
これに対して五代目古今亭志ん生の演出は異なり、旦那が肚を立てて番頭がまた一回りするあたりから少し違いが出てくる。
店子が集まって義太夫の会に出るか出ないか相談する場面が加わり、そこで元いた番頭のエピソードが語られる。
旦那が逃げる番頭を追いかけながら義太夫を語り、番頭がが蔵に逃げ込むとその周りをグルグル回ったあげく、最後に蔵の窓から語り込み中で義太夫が渦を巻いて、番頭が悶絶したというもの。
「その後だよ、あの番頭さんがいなくなったのは。だんだん聞いたら、あの人は今ドイツにいるんだってねえ。」
肝心の旦那の義太夫語りのシーンも、タイトルに結びつくサゲもないというのが志ん生流なのだ。
志ん朝も若いころは文楽型で演じていたようだが、この独演会では父志ん生の演出を踏襲していた。
文楽が描く旦那(家主)が下手な義太夫が好きなだけが欠点の好人物に描かれているのに対し、志ん朝のそれは「はた迷惑」で、時には「理不尽」とも思える人物として描かれている。
文楽にはない、お内儀が子どもを連れて実家に避難し、女中がそれにすがるように付いて行ったというエピソードを加えているのもそのためだろう。
そうした難しい理屈を抜きにして、終始会場は爆笑に包まれていた。
そして最後にいなくなった番頭は「共産党に入っちゃった」としていた。
志ん生の「ドイツ」は何かシュールな感じがあるが、現実味を増す意味で共産党が選ばれたのだろう。
それもソ連崩壊前の二大陣営時代が終りを告げていた時期なので、ある種の時代錯誤をも物語っていると思われ、志ん朝のセンスを示すものだ。
1席目が終わると会場はざわめき、「共産党できたか、参ったな」という声と、「寝床」の後に一体何を演るのかという期待感に溢れた。
ここまでで長くなってしまったので、後半は次回に。
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