「この噺にはこの噺家」全リスト
先に連載した「この噺にはこの噺家」364席の全リストが、当ブログではアップが不可能でしたので、別のサイト「HOME-9(ほめ・く)新館」に掲載しました。
内容は既に公表したものと同一です。
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先に連載した「この噺にはこの噺家」364席の全リストが、当ブログではアップが不可能でしたので、別のサイト「HOME-9(ほめ・く)新館」に掲載しました。
内容は既に公表したものと同一です。
始めに嬉しいニュースから。古今亭菊丸が昨年行われた独演会で演じた「火事息子」で、第66回文化庁芸術祭大衆芸能部門・優秀賞を受賞した。
寄席でいつも丁寧な高座をみせてくれ感心していた噺家だ。こういう人が評価されるというのは大変喜ばしい。
さて”21世紀スペシャル寄席oneday「よってたかって新春落語'12」”が1月28日よみうりホールで行われた。昼夜公演だが、その夜の部へ。
開演前ロビーで一之輔が真打昇進披露興行の前売りチケット(左の画像)を販売していたので、早速ゲット。鈴本の日曜日の券だったのはラッキー。この人、普段着だと”とっちゃん坊や”みたいなせいか、本人と気付いていない客が多かったようだ。
分かってからはサインだとか写真だとか大騒ぎだったが、ああいうのはどうも好きじゃない。「頑張って」なんて言う客もいたようだが、そんな事いわなくとも本人は必死だ。ファンなら静かに見守っていれば。
< 番組 >
前座・柳家緑太「垂乳根」
春風亭一之輔「短命」
桃月庵白酒「井戸の茶碗」
~仲入り~
春風亭百栄「疝気の虫」
柳家喬太郎「按摩の炬燵」
その一之輔「短命」、いきなりの艶笑噺。
「真打披露は大変だ」マクラもそろそろ鼻についてきた感がある。
このネタ、かつては志ん生だとか先代小さんら大看板がたまに高座にかけるような演目だったが、近ごろは頻繁に演じられる。
隠居がボソボソと「顔を見れば、ふるいつきたくなるいい女・・・、なあ・・、短命だろう」と謎掛けするが、八五郎は一向に理解せずトンチンカンな受け答えをする。それを聴く観客がクスリと笑う、そういうネタなのだ。
隠居があんなにハイテンションの大声で謎掛けするくらいなら、最初からズバッと正解を言ってやりゃいいのにと思ってしまった一之輔の演出。
客席は大受けだったから、あれでも良いのかな。
白酒「井戸の茶碗」、このネタ言うまでもなく志ん朝が絶品で、これをいかに超えるかが後輩たちの大きな課題だ。
白酒は千代田卜斎の茶碗を娘・絹が高木佐太夫宅へ持参し、そこで双方が一目惚れするという設定にして、青春ラブストーリー風な味付けを加えている。チョイ悪風の高木の中間を登場させているのも、善人だけの爽やかな物語への「薬味」だ。
一歩間違うとネタの風格を壊しかねない変更だが、白酒の流れる様なテンポがオリジナルの「風味」を保っている。
毎回少しずつ内容を変えていて、どこを変えたのかを探す楽しさも魅力。
百栄「疝気の虫」、ネタの選定が悪い。「短命」が出てるんだから「疝気の虫」はないだろう。
オチの「別荘がなくて、土手にぶつかった」も最悪。こういうのは言わずもなが。
こうした高座をみせられると、今回の顔ぶれの中で一段と見劣りしていることがはっきりと分かる。
喬太郎「按摩の炬燵」は上出来。このネタ、今回で三度目だがこの日が一番良かった。
大店の奉公人たちが按摩の米一に酒を呑ませて、暖かくなった体を炬燵代わりに使うという、見方によっては残酷な物語だ。
最大の聴かせどころは、全体のおよそ3分の2を占める、按摩が酒を呑みながら語るモノローグだ。かつての按摩は世間の最底辺の人たちであり、盲人ということで蔑みの対象にもなっていた。
番頭がふるまってくれる酒を一杯ずつ味わう米一。
喬太郎の演出はその嬉しそうに呑む姿の裏に、この男の負ってきた過去、惨めな思い、そこがしみじみと伝わってくる。
酒の燗がある時はちょうど良く、ある時は熱燗、ある時はぬるめ。これには寒さに震えながら早く温まりたい奉公人たちの心理が表れている。
そして、それを受け止める米一の優しさ。
この部分がよく描かれているから、終盤に後味の悪さを残さない。
「按摩の炬燵」における喬太郎のモノローグは、圓生の「一人酒盛」に匹敵すると言ったら褒め過ぎかな。
帰ってきた喬太郎、今をときめく白酒や一之輔なんぞ未だメじゃないぞ、そんな高座姿だった。
1月26日付朝日新聞(夕刊)に「定席側、芸術協会に他流との合流提案」「今のままじゃあ、寄席にお客が来ない」という見出しで、最近の落語界の動きを伝えている。
発端は昨年末の芸協の納会の席上で、末広亭・真山由光社長が芸協の客入りの悪さに触れ、「圓楽一門会や立川流と一緒になってほしい」と発言したことにある。浅草演芸ホールと池袋演芸場も同調した模様だ。
これに対して芸協副会長の三遊亭小遊三は「重く受け止めたい」と答えたとされる。
遂に来るべきものが来たということか。
落語に不案内の向きはナンノコッチャイかと思われるので、背景を少し説明したい。
現在、落語家は日本全国に約700人いるが、大きく東京と大阪に分かれる。
大阪には上方落語協会があるが、東京には落語協会、落語芸術協会、三遊亭円楽一門会、落語立川流の4つの団体がある。
落語を中心とした演芸の公演を行なっている劇場あるいは会場の事を「寄席」というが、そのうち一年中休まず興行を行っている寄席を「定席」と呼ぶ。
東京には鈴本演芸場(上野)、末広亭(新宿)、浅草演芸ホール、池袋演芸場の4軒の「定席」がある。
定席に出られるのは落語協会(落協)と落語芸術協会(芸協)だけで、他の流派は出演できない。さらに鈴本だけは落協の芸人しか出られない。
定席の興行は一ヶ月のうち1日から10日までを上席(かみせき)、11日から20日までを中席(なかせき)、21日から30日までを下席(しもせき)といい、この十日間ごとに番組が変わる。
各席の出演者は定席の席亭(オーナーあるいは支配人)と協会との話し合いで決める。
鈴本以外の三軒の定席は、10日間毎に落協と芸協が交互に公演を打っている(池袋は少し変則)。
冒頭の記事は、その三軒の席亭から、芸協の興行の際の客入りが悪いから何とかしてくれという注文が付いたということだ。
噺家にとって定席こそが生活の糧であり、席亭は最も恐い存在だ。
ここまでで、何かご質問は?
落語ブームがいわれて久しい。
確かに一部の噺家が出演する会ではチケットの前売りが瞬間蒸発となり、常に会場は満席となっている。
しかし、それ以外の落語会や人気者が出ていない定席の会場では空席が目立つことが多い。
つまり昨今の落語ブームはあくまで一部の落語家だけに偏ったブームなのだ。
一般に人気落語家といえば歌丸や圓楽といった「笑点」出演者を思い浮かべるかも知れないが、頻繁に寄席に足を運ぶハードな落語ファンには必ずしも評価は高くない。そういう方々のブログをみると、やはり落語協会所属の噺家に関する記事が多く、落協と芸協の比率は大まかにいうと7:3か8:2位ではないかと推測される。
恐らくはこの比率が両協会の集客力の差となって現れているのではなかろうか。
その要因としては次の点があげられると思う。
1.昭和の名人とされる文楽、志ん生、圓生、小さん、いずれも落協の所属だった。
2.当代の人気落語家の多くも落協に所属している(立川流を別にして)。
3.芸協に比べ落協の噺家の数はおよそ2倍であり、層が厚い。
4.寄席の歌舞伎座ともよばれる鈴本演芸場が芸協を出演させない。
そう考えると芸協の巻き返しも容易ではない。
その芸協と他流派の合流だが、これも簡単には運びそうにない。
圓楽も談志も元々は落協から別れているので、どちらかといえば落協との親和性が高いと見られる。
現に昨年、圓楽一門が芸協への合流を申し入れたが断られたと報じられている。芸協内部に異論があり総会で否決されたのだ。
その圓楽一門内部もしっくり行っていない様子だ。
立川流も家元を失ったこれから、内部が一枚岩でいけるかどうか大いに疑問がある。志の輔、談春らの人気者とそれ以外のメンバーとでは、目指す方向が全く異なると思われる。
当面、三派の合流は有り得ないと考えた方が良さそうだ。
この件で芸協の田澤祐一事務局長は「先ずはうちの協会の側でお客を呼ぶ努力をしたい」とコメントしている。
確かに芸協には改善すべき点があると思う。
例えば、落協のHPには当日の定席の出演者が紹介されている。芸協のHPにも同じ欄はあるが記載されているのは予定者で、実際に行ってみると休演や代演がある。寄席とはそういうものだという見方もあるだろうが、顧客へのサービスという観点からすればやはり努力が足りない。
落協が提供するインターネット落語なども参考になるだろう。
昔は「古典の落協、新作の芸協」といわれていたが、近ごろではそうした特色は薄れている。
芸協としては何を旗印にしていくのか、その点も求められよう。
このままでは定席での芸協の出番が減らされかねない。
もっと大きく考えれば、関西と同様に東京の協会も一本化すべきなのだろう。過去のしがらみを別にすれば、二つに分かれている必然性は無い。
小さな業界なのだから、一緒になって落語界を盛りあげて行く時期に差し掛かっている。
「政党助成金(政党交付金)」制度の廃止は、当ブログ開設いらい一貫して主張してきたテーマだ。
最近になって一部のメディアから費用の削減を求める声が上がってきたがそれでは不十分であり、これは全廃するしかない。
野田首相は消費税の増税を提案するにあたり「議会も身を切る覚悟」 と称して、衆議院の比例区の定数80名の削減を提案している。
しかしこの提案では、
1.たかだか約56億円の削減にしかならず、身を切るとは程遠い。
2.比例区だけを削減すれば民主・自民の大政党のみが有利となり、「身を切る」どころかむしろ相対的には「焼け太り」となる可能性が高い。
一方、政党助成金を廃止すれば金額にしておよそ320億円、国会議員457人分の経費削減ができる。
そんなこと出来るのかという疑問があるだろうが、出来る。
この制度は元々1994年に小沢一郎らが主導して、小選挙区制の導入と抱き合わせのドサクサで法制化したものだ。
名目としては企業・団体からの献金をなくし、クリーンな政治を行うという謳い文句だった。
ところがその後の経過をみれば明らかなように企業・団体からの献金は継続され、政治は一向にクリーンにならない。
むしろ政党が受け取る交付金欲しさに議員がくっ付いたり離れたり、醜い争いさえ起こしている。
この制度はもはや「百害あって一利なし」なのだ。
先般の小沢一郎の裁判で、議員の事務所に数億円の現金をおくことは普通であり、どこでもやっているという証言があった。そんなに金が余っている議員に、なんで税金をつぎ込まなくてならないのか。
「盗人に追い銭」とはこういうことを言う。
一部の議員からは、この制度がなくなると議員が続けられなくなるという声が上がっている。そんなら続けなけりゃ良い。
誰も頼んでいないんだから、さっさとお辞めなさい。
政治家は職業ではない。
かつて自民党の中にも清貧で通した議員がいた。それでもちゃんと当選していた。政治は金が全てではない。
「政党助成金」制度の廃止こそ、政府と国会議員の「身を切る」本気度が試される。
1月21日、紀伊国屋サザンシアターで公演中の「十一ぴきのネコ」を観劇。
どうも子どもが沢山いると思ったら「子どもとその付添いのためのミュージカル」という副題が付いていた。事前に知っていたら来場しなかったかも。
2008年のこまつ座の「人間合格」以来、井上ひさしの芝居にはまってしまい、これが16作目。こうなったら全部観てやれという気持ちである。
「11ぴきのネコ」は、馬場のぼるが1967年に発表した絵本。11匹のネコたちが食料を求めて旅をするという物語で、1969年に井上ひさしの脚色でNHKにて人形劇として放送。
1971年には、劇団テアトル・エコーでミュージカル「11ぴきのネコ」が初演。
1989年には戯曲に改訂が加えられて、こまつ座で「決定版 十一ぴきのネコ」として上演されている。
今回は初めてミュージカルの演出を手掛ける長塚圭史の判断で、1971年のテアトル・エコー版の脚本を使用している。
本舞台は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」シリーズの第一回目となる。
・・・という事を芝居が終わってから知った。
昔から予習をやらない性格というのは変わりませんね。
復習はしましたよ。だって「復習するは我にあり」って言うでしょ。
作 :井上ひさし
演出:長塚圭史
音楽:宇野誠一郎、荻野清子(pf)
< キャスト >
北村有起哉/天晴れ指導者のにゃん太郎
中村まこと/穏健柔和仏のにゃん次
市川しんぺー/旅回りのにゃん蔵
粟根まこと/徴兵のがれのにゅん四郎
蟹江一平/軍隊嫌いのにゃん吾
福田転球/木天蓼のにゃん六
大堀こういち/逆恨みのにゃん七
木村靖司/猫撫で声のにゃん八
辰巳智秋/猫舌のにゃん九
田鍋謙一郎/紙袋のにゃん十
山内圭哉/猫糞のにゃん十一
勝部演之/鼠殺しのにゃん作老人
物語は、腹を空かした11匹の野良猫が”にゃん作老人”の教えられるまま、大きな湖に棲む大きな魚を求めて旅に出る。
苦難の末ようやく大きな魚を仕とめ、困っている野良猫たち全員に分けようと申し合わせするが、翌朝になったら骨だけになっている。皆がこっそり夜中に食べてしまったのだ。
湖の辺で野良猫たちの共和国をつくることになる。経済成長の結果、誰もが豊かになる。
その反面、かつての連帯感は失われ各自が自分の利益のために行動するようになる。やがて不気味な暗い「翳り」が忍び寄り・・・。
ストーリーを読めば分かるように、これは児童劇ではなく完全に大人の芝居だ。
腹を空かせた猫たちが協力して大きな魚を得るところは終戦後の日本の状態を、共和国以後は日本の高度成長期を示しているし、終幕近くではバブルとその崩壊の時代を暗示しているようだ。
11ぴきの野良猫もそれぞれかつては飼い主がいたのだが、様々な理由で手放され野良化したものだ。
その中で「にゃん四郎」と「にゃん吾」は米軍基地の中で飼われていたが、世話をしていた二人の米兵がベトナムの戦地へ行くのを拒否したため収監され野良猫になった。ベトナム戦争と反戦運動の時代を象徴している。
初演の1971年からは、直前の学生運動の盛り上がりと挫折という時代背景を考えずにはいられない。恐らく井上自身が日本の将来に対して「暗い翳」を感じていたに違いない。
しかし芝居の終幕では悲劇には終わらせず、「にゅあん十一」が主題歌である「十一匹のネコが旅に出た」を歌いながら去って行くというシーンは、どんな時代になっても「どっこい生きてく」庶民のしたたかさに未来を託しているかに見える。
芋上ひさしの初期の作品は中期以後に比べ猥雑でエネルギッシュだ。
作者の思いや思想もストレートで分かり易い。そこが魅力だ。
反面、劇作としての完成度が低く、そのぶん感銘度は薄くなる。
内容を理解するのは子供たちにとって少し難しすぎると思われるし、大人たちはやや物足りなさを感じたのではなかろうか。
出演者では主役の北村有起哉の好演が目立ち、山内圭哉が儲け役で光る。
それより全員が実に生き生きと楽しそうに演じていて、その思いは客席にも十分伝わっていた。
少なくとも劇団四季の「キャッツ」(仄聞だがブロードウェイの舞台とは別物とか)よりは、こちらの方が楽しかった。
公演は東京、山形、大阪で2月12日まで。
2001年に起きた兵庫県明石市の花火大会事故で、検察審査会の議決に基づき業務上過失致死傷罪で強制起訴された元明石署副署長榊和晄(さかきかずあき)被告の初公判裁判が1月19日行われた。
この事件では明石署の地域官ら5人に対しては既に有罪判決が確定しているが、元署長は「現場の混雑状況を把握できる立場だったので、警察官を向かわせれば事故を防げた」として刑事責任を追及されている。
2005年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長の山崎正夫被告の判決が、1月11日11日、神戸地裁であった。
山崎前社長は安全対策を統括する鉄道本部長だった当時、事故現場カーブが半径600メートルから304メートルの急曲線に付け替えられた。翌春のダイヤ改定で現場を通る快速電車が増加するなどして事故の危険性が高まったのに、自動列車停止装置(ATS)の整備を部下に指示しなかったとして起訴されたものだ。
判決では「現場カーブで事故が起きる危険性を認識していたとは認められない」と判断し、無罪(求刑禁錮3年)を言い渡した。
事故をめぐっては、山崎前社長の上司だった井手正敬(まさたか)元会長ら3人の歴代社長が検察審査会の議決を受け、同罪で強制起訴されている。
いずれも経営者としての管理責任が問われたものだ。
ひるがえって昨年3月の東電福島第一原発の事故であるが、地震や津波といった自然災害から引き起こされたとはいえ、あれだけの重大事故と住民への被害が拡大した背景には数々の人為ミスや意図的隠蔽が重なったことは明らかであり、人災としての側面が強い。
そうした組織や責任者らに対する刑事責任が追及されないのは一体どうしてなのだろうか。
思い当たるだけの容疑を列記すれば、
・原発プラント設計上のミス
・原発プラント建設時の瑕疵
・プラントの保守点検の過失
・プラント運転の過失
・以上を統括すべき東電経営者の管理責任
・原子力安全・保安院による情報操作と隠蔽
・首相、官房長官、経産相ら政府首脳(いずれも当時)による情報操作と隠蔽
事故に直接的に関与したと思われるだけでも、かなりの数に達する。
事故につながる過失や被害の拡大を引き起こした行為が明確であれば、全て刑事責任を問うべきではなかろうか。
これは二度とあのような事故を起こさぬようにするためにも大事なことだと思う。
この種の事故では、JR西日本や明石警察署のケースと同様に先ず関係者を起訴し、裁判を通して事実を明らかにさせるという方法もあり得る。
もし結果として過失がないことが明確になり無罪となれば国民も納得するだろう。
時間が経てば証拠隠滅の恐れや時効の問題も生じるので、刑事責任の追及は急がれる。
鈴本演芸場正月二之席昼の部に続き夜の部に、中日がベストオーダーだったので夕方出かけようと支度していたが、「あんた、いい加減にしなさいよ」という不条理の一声で中止決定。
歳を取ると女房には一切逆らわず、ひたすら恭順の意を表することこそ家庭円満のコツ。根が利口だから無駄な争いは起こさない。
でも時にはアタシの一言で、ピタッと抑えてしまうことだってあるんですよ。
「すまない、俺が悪かった」。
そんなわけで17日の夜席に出向く。
平日だったので開演前は客席がパラパラだったが、仲入り前辺りから次第に増えていた。
勤め帰りの方がお目立てに間に合うよう駆けつけたのだろう、ご苦労様です。
前座・柳家まめ禄「狸札」
< 番組 >
柳家さん弥「熊の皮」
柳貴家小雪「太神楽曲芸」
春風亭正朝「手紙無筆」
柳家喬之助「寄合酒」
大空遊平・かほり「漫才」
春風亭百栄「桃太郎後日譚」
桃月庵白酒「甲府い」
-仲入り-
伊藤夢葉「奇術」
入船亭扇遊「干物箱」
柳家小菊「粋曲」
柳家喬太郎「うどん屋」
鈴本の場合、興行時間が昼の部が4時間に比べ、夜の部は3時間10分とかなり短い。出演者の数でいえば3人少ない。
他の寄席に比べても鈴本の夜の部は時間が短すぎの感があり、せめて終演を9時にしてあと20分延ばせないだろうか。仕事帰りの人も入り易くなると思うのだが。
順序をかえてトリの喬太郎「うどん屋」から。
「うどん屋」は8代目可楽が最高だと思っているが、それに次ぐのが5代目小さん。喬太郎はその大師匠である小さんの型を基本にしているが、いくつか演出上独自の工夫がなされている。
例えば酔客が知人の娘である「みい坊」の婚礼を語るシーンでは、小道具として桜湯を登場させながら情感たっぷりに表現している。
うどん屋と酔客の会話では、酔客が同じ話を繰り返すシーンでうどん屋が先取りしてツッコミを入れると、客が「おめえが言うなよ」だの「そこは俺に言わせてくれよ」などと漫才のような二人の掛け合いを加えている。
演出の細かさでは、酔客が水を2杯飲むが、1杯目は喉を鳴らしながら飲むが2杯目は途中で止めてしまう。せっかく温まった体が冷えてきたのだろう。
うどん屋が路地を流していると冷たい風が吹き抜け寒さで体を震わす。大通りに出ると売り声のオクターブを一段上げるのは、より遠くに聞こえるようにするためだろう。
終いの客がうどんをすするシーンでは、寒中に温かいうどんを食べる雰囲気が良く出ていた。
珍しく「噛む」ところや言い間違いもなく、全体に非常に丁寧な演出で上出来だったと思う。
ここのところ低迷していた喬太郎だが、もう一度ギアを入れ直してきた兆しが感じられた。これが最大の収穫。
中トリの白酒「甲府い」。前回は豆腐の売り声のシーンで、「胡麻入り」を「お参り」とやってしまうチョンボがあったが、今回はそうしたミスもなく良い仕上がりだった。
このネタ、修身の教科書のような教訓的な匂いがするせいか、あまり高座に掛からなかった時期があったが、白酒の演出によって蘇った感じがする。
途中に噺家の修行時代の師匠の女将さんとのエピソードを入れたり、豆腐屋の娘と善吉を夫婦にしようとするシーンでの旦那の大慌てぶりを加えたりして、オリジナルの宗教臭を薄めているのが成功している。
本来の白酒のキャラからするとニンではない気もするこのネタを、ここまで自分のモノにしてしまう実力には舌を巻くしかない。
若手では、さん弥「熊の皮」が良かった。
このネタは本来はバレ噺だが、近ごろの高座ではオリジナルのまま演るのを避けるようになってしまった。だから面白みがなくなった、そういうネタだ。
さん弥は脇役の医者のキャラを濃厚にして、亭主との会話を一段と面白くしていた。これならエロ抜きでも十分楽しめる。
この噺を聴く限りでは、さん弥は自分の型を築きつつある。
これから面白い存在になり得る可能性が出てきた。
前座のまめ禄、客席からは受けていなかったが決して悪い出来ではなかった。口調がはっきりしているし、噺が完全に頭に入っている。大師匠の十八番に挑戦する姿勢も良い。
百栄「桃太郎後日譚」、鬼退治から帰ってきた犬、猿、雉が爺さん婆さんの家に居座りせびるという後日談で、「まだ鬼の方が良かった」には笑ってしまった。
小朝の桃太郎がブッシュ、鬼ヶ島がイラクという設定の流れかなとも思ったが、面白かった。
扇遊「干物箱」は途中からではあったがノーカットで最後のオチまで、楽しませてくれた。さすがである。
正朝「手紙無筆」、どうも休業明けからかつての輝きを失ってしまったように思う。高座に覇気がない。
喬之助「寄合酒」、このネタの命であるリズムが悪い。3拍子の所にいきなり4拍子が入るから聴いている方が乗っていけなくなる。
遊平・かほり「漫才」、常識人同士の会話というのは、どうもあまり面白いものではない。
というわけで昼席が90点とすれば、こちらは75点位か。
それでも立派に合格点ではある。
日生劇場で上演中のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を1月14日に観劇。
1973年パレ・ロワイヤル劇場にて初演、1983年にブロードウェイにおいてミュージカル化され1984年にトニー賞を受賞している。
日本では1985年に帝国劇場で初演。以来10回再演されている。
2008年には鹿賀丈史と市村正親のコンビで公演が行われ、今回はその4年ぶりの再演。
2度にわたり映画化(『Mr.レディ Mr.マダム』、『バードケージ』)もされているのだから、多分面白かろうというわけだ。
ここまでが枕。
< スタッフ >
作詞・作曲/ジェリー・ハーマン
脚本/ハーベイ・ファイアスティン
原作/ジャン・ポワレ
翻訳/丹野郁弓
演出/山田和也
音楽監督・指揮/塩田明弘
< 主なキャスト >
鹿賀丈史/ジョルジュ
市村正親/ザザ(こと”アルバン”)
原田優一/ジャン・ミッシェル(息子)
愛原実花/アンヌ(ジャンの許嫁)
香寿たつき/ジャクリーヌ(レストラン経営者)
真島茂樹/ハンナ(鞭をふるう特技)
新納慎也/シャンタル(黄金の喉仏の持ち主)
今井清隆/ダンドン議員(アンヌの父)
森公美子/ダンドン夫人(アンヌの母)
花井京乃助/ジャコブ(ジュルジュの家の執事)
林アキラ/ルノー(カフェの主人)
園山晴子/ルノー婦人(カフェの女将)
あらすじは。
南フランスのサントロぺ、舞台はゲイクラブ「ラ・カージュ・オ・フォール」。
オーナーのジョルジュとクラブの看板スター"ザザ"ことアルバンはこの20年間、事実上の夫婦として生活してきた。そろそろ倦怠期に差し掛かっている。
ジョルジュには24年前のたった一度の過ちから生まれた最愛の息子ジャン・ミッシェルがいる。以来、アルバンが母親代わりとなり育ててきた。
同じゲイだがジョルジュの方は両刀使いだったわけですね。
その息子のジャンが突然結婚を宣言する。恋人はアンヌといい、両親のダンドン議員夫妻が会いに来ると告げたことから騒動がまきおこる。
何しろダントンは謹厳な保守党のリーダーで、ゲイなど目の仇にしているのだ。
ジャンはジョルジュに、一晩だけまともな家族に見えるよう取り繕ってくれと頼み込み、その上、ずっと会っていない実の母親を呼んでくれと言う。アルバンにとってひどい仕打ちだが、しかしジョルジュの説得にアルバンも納得。叔父として振舞うため、男らしい立ち振舞いのレッスンを始める。
ところがジャンの母親が急に来られなくなったから、さあ大変! アルバンは一転、女装して母親になることを決意する。
両家族揃ってのジャクリーンの店での食事会はひとまず大成功に思えたのだが・・・。
同性愛者同士の愛と家族との絆を明るく描いたところにこの作品の意義があるのだろう。
今でこそ社会も許容力を増してきたが、作品の発表時点ではまだまだ世間の目は厳しかったに違いない。
ゲイやホモが胡散臭く見られていた時代に、ゲイを謳歌するような明るい舞台に仕立てたのが成功の秘訣だったと思う。
この作品の魅力はそうしたストーリーより、むしろゲイに扮したダンサーらが繰り広げる”カンカン”などのショーのシーンだ。
いわゆるニューハーフ・ショーというのは国内やバンコックで観たことがあるが、そちらは男をいかに女に見せるかがポイントで、踊りも女性の踊りだった。
この舞台では女装した男がいわば「男性(ゲイ)」の踊りを見せるわけで、大きな違いを感じる。
ダイナミックさと滑稽さがより増幅され、迫力ある舞台を形成していた。
”ミュージカル”の語源は”musical comedy”であり、明るく楽しいプレイが基本だと思う。
この作品はそういう意味ではミュージカルの王道を行っている。
主役は鹿賀と市村の二人だが、完全に市村の芝居だ。演技、歌、踊りみな市村が圧倒している。鹿賀は踊りに難がある。
二人はいずれも1973年に劇団四季で初舞台を踏んでいるのでおよその年齢は察しがつくわけだが、さすがに若い。特に市村は若い奥さんを貰っているのが元気の秘密だろうか(あれ、これって前に同じことを書いたかな、どうも気になっちゃうんで)。これからの日本のミュージカルを考えるなら、市村を追うような若いスターの出現が待たれるところだ。
真島や新納らゲイのダンサー達の踊りが鮮やかで見応えがあり、今井、森、林らのしっかりとした演技が脇を固めていた。
香寿の美しさと愛原の可憐さが舞台に華を添え、花井が軽妙。
公演は2月13日まで。東京、大阪、名古屋で。
前座・三遊亭ございます「子ほめ」
< 番組 >
古今亭菊六「権助提灯」
ストレート松浦「ジャグリング」
古今亭駿菊「寿限無」
柳家三三「加賀の千代」
ぺぺ桜井「ギター漫談」
桂南喬「浮世床」
金原亭馬生「紙入れ」
ダーク広和「奇術」
柳家喜多八「小言念仏」
-仲入り-
ロケット団「漫才」
入船亭扇辰「紋三郎稲荷」
橘家文左衛門「道灌」
林家二楽「紙切り」
古今亭菊之丞「妾馬」
新年の寄席は初席をはずし、顔ぶれが充実している鈴本演芸場正月二之席から参戦。昼夜行く予定で1月13日は昼の部へ。代演も休演もないのが良い。
平日の昼席だったが団体が入っていたとはいえ一杯の入り。客は正直だ。
番組表でお分かりのように、トップの菊六からラストの菊之丞まで殆んどの出演者が得意ネタを披露し、とても充実した中席だった。
ネタをみても独演会や落語会などの演目と変わらない。近ごろの独演会は2席というのが多い。確かに口演時間は長いが、中には無駄なマクラで時間を稼いでいるとしか思えないケースも多く、この日のように本題で15分演じてくれた方がむしろスッキリしてて良いと思えるほどだ。
間延びしたマクラを振られると噺家も客もダレてしまい、肝心のネタに影響するからだ。
例えばこの日の出し物で、
三三「加賀の千代」
馬生「紙入れ」
喜多八「小言念仏」
はいずれも嘗て彼らの独演会で聴いている。
出来はどうかといえば、この日の高座は勝るとも劣らずだったと思う。
落語好きにも色々なタイプがあり、マクラを楽しみにされている向きもあるが、私の場合はネタしか関心がない。
そうなると寄席の方が断然お得感があるわけだ。
芸能評論家らがしばしば、名人上手が顔を揃えていて昔の寄席は良かったなどと書くが、あれは額面通りに受け取れない。
文楽と志ん生と圓生の三人が顔を揃えて実に素晴らしかったなどと書いているのを眼にするが、通常の寄席でこの三人が揃うことって、いったい何回あっただろうか。たまたまそんな僥倖に浴した人は何人いるだろうか。
私が物心ついた頃は、既に文楽も志ん生も名人会やホール落語、ラジオ出演が中心で、なかなか普段の寄席には出て来なくなっていた。
今と違って出演者が事前に分かるわけではないし、休演や代演も事前には知らされなかった。その日寄席に行ってみなければ誰が出るか確認できない。
寄席の数が多いのに噺家の数が少なかったから、いきおい相当にひどいレベルの人まで高座に上がってくる。
だからいつも素晴らしい寄席の高座を観ていたという人は、評論家か席亭や噺家と特別のつながりのある特権階級の人か、余程のコアのファンだったか、そうとしか思えない。
今たしかに名人はいないが、寄席全体としては現在の方が充実していると私は思う。
寸評をいくつか。
先ず菊六「権助提灯」、前にも書いたがこの人はミスがない。きっと稽古熱心なのだろう。そして上手い。もう何年も真打をしているような風格さえ漂う。
未だ女形が少し硬いのが欠点(本妻と妾の演じ分けは不十分)だが、それはおいおい修行を積むとして、旦那と権助の人物像は良く出来ていた。
昼のこの出番は朝太と交互で夜は一之輔と真打昇進予定者がフル回転。これから彼ら3人を全面に押し出そうという意図がありあり。
南喬「浮世床」、これぞ寄席の落語だ。
この日は「夢」編だが、これも演じ手によって細部の演出が異なる。
芝居小屋で出会う女は「年増」というのは共通だが、20代半ばという人もいれば、この日の南喬は32-3と少し年齢を高くしていた。
芝居茶屋の2階で待つのも最初から一人という設定もあれば、南喬ではお付きの女が同席していたが男が現れると入れ替わりに席を外すことにしている。
男が2階で小便をするシーンは入れないケースもあるし、外壁に向かって富士山を描くという演出もあるが、南喬では灰皿にためるという設定。
床屋で男を起こす時も、「半ちゃん一つ食わねえか」と声をかける例が多いが、南喬は「邪魔だから起きろよ」で起こしている。
定番といえるネタだが、女中が二階へ銚子と猪口を運んで来る時の「トントンテチンチロリン、トントントンテチンチロリン・・・」の凝音が正月の席らしい華やいだ気分にさせていた。
食いつきの後の扇辰「紋三郎稲荷」は望外だった。
最初は座興で稲荷になりすました侍が次第に引くに引けなくなっていく表情が巧みで、「上手い!」と声を掛けたくなる。
この1席だけでも、来たかいがあったと思わせてくれた。
トリの菊之丞「妾馬」、古今亭流の演出をベースにして、酔った後の八五郎のセリフでほろりとさせてから陽気に都々逸を唄いあげ、目出度く打ち上げた。
新年の寄席は二之席までが正月、ここでトリを取るというのは特別の意義がある。
鈴本でいえば圓歌、正蔵、小三冶、喬太郎とこの菊之丞の5人となるわけで、大看板の仲間入りをしつつあるということだ。
これも又目出度い。
間に挟まった色物も程よく。
この日観られた方は幸せ。
来られなかった方は残念でした。
今回の話題はネットのニュースなど情報有料化の動きについて。
その前になんで「真田小僧」なのか、落語ファンにはとうにお馴染みだが、ご存知ない方のために前半部分を紹介しおく。
小生意気でこまっちゃくれた子供が小遣いが欲しいので、父親にねだる。それを断固はねのける父。
息子は「じゃ、おっかさんから貰うからいいもん」。
父は「お母さんの持ってんのは俺の金だ、俺がやるなって言や、くれやしねんだ」
息子が「『この間、お父さんの留守に訪ねて来たおじちゃんの事、方々へ行って喋っちゃおうかなぁ』と言うと、お母さんがおアシくれるんだよ」とさぐりを入れると、父親が「その話をしてみろ、ゼニやるから」と食いついてくる。
おアシをくれなきゃ喋らないという息子に、父は先に喋ったらおアシを上げると言う。
そこで息子は「それじゃおとっつぁんに訊くけど、寄席という所はお話を聴く前にお金を払うんですか、それとも聴いた後で払うんですか」とツッコミを入れる。
父親はしぶしぶ小遣いを渡すと、息子はその日の出来事を気を持たせながら話し出す。
息子は一銭受け取ると、父親が留守の時、白い洋服にサングラスにステッキを持ったおじさんが訪ねて来て、母親は嬉しそうに手をとって家に上げた・・・。「一銭はここまで」と息子は話を止める。
父親が二銭追加すると息子は、母親から邪魔だと金を貰って表へ遊びに行くが直ぐ戻って来て閉まった障子に穴をあけて覗いてみたら・・・。「二銭はここまで」。
また三銭を渡すと息子は、母親は布団の上に長襦袢一枚になりそのおじさんが体をさわっていたと言う。
父親「お前、その男知ってんのか」に、息子は「なんだ、つまらねぇ。横丁のアンマさんがお母さんの肩もんでやんの。ありがとう」と逃げていく。
近ごろいくつかのニュースサイトで有料化が進んでいる。
例えば2010年3月に日本経済新聞電子版が創刊されたが、それまでの無料サイトを廃止している。
日経電子版ではニュースのリード部分を読んでいると途中から、”[有料会員限定]この記事は会員限定です。電子版に登録すると続きをお読みいただけます。”と表示される。
その下に”会員登録”のボタンがあり、ここを押すと登録への手順が示される仕組みだ。
ここで月額4千円を払い有料会員になれば全ての記事が読めるが、無料会員だと月に20本の記事しか読めない(ケチ!)。
これ以上の情報を知りたけりゃ、前金を払ってくれ。そうすりゃ教えて上げるというわけで、正に「真田小僧」商法。
この他WSJ日本版も同様で、こちらは月額が1980円。
これに追随するように朝日新聞社は、同社のニュースサイト「アサヒ・コム」を2012年1月中にも、有料サイト「朝日新聞デジタル」に統合することを明らかにした。朝日もこの「真田小僧」ビジネスモデルを踏襲するようだ。
日経と朝日が成功するようであれば、他のメディアも有料化の方向に踏み切るだろう。
今までは何となくネットの情報はタダだと思ってきたが、これからは金を払って、それも前払いで情報を買う時代に入るのだろうか。
近ごろといっても、だいぶ以前からになるが、落語家の独演会がかなり頻繁に行われるようになった。今世紀に入ってからの落語ブームの中でより顕著になっている。毎日どこかで噺家の独演会が、それも複数開かれている、そんな様相だ。
先日、立川志らくが多い時は月に10回と言ってたが、こうなると独演会の大量生産。
かつては落語家が独演会を開くにはいくつか心得があり、それを守ったものだ。
例えば真打にしか出来ないとか、大看板でもたまにしか演らなかった。
種類や趣の異なったネタを少なくとも3席を演じ分ける技量が最低条件であった。
古今亭志ん朝が初めて独演会を開いたのは1976年というから38歳の時だ。若いじゃないかと思われるかも知れないが、志ん朝は24歳で真打に昇進している。既に押しも押されもせぬ大看板だった。それまでは独演会を拒み、その年になってようやく「志ん朝の会」という名称で行っている。「独演会」と名乗るのは避けたのだ。
「会」が近づくと志ん朝の様子が変わりピリピリとしてきて、家族や弟子たち周囲は腫れ物にさわるようだったと証言している。
つまり「独演会」というのは「独りで演じる会」ではなく、自らの芸の集大成として世に問うものだった。
音楽家でいえばリサイタルのようなものであり、月に何回もリサイタルを開くミュージシャンはおるまい。
客が入りさえすれば興行的に成り立つからどんどんと独演会が設定され、落語家もそれに安易に乗っかり出演する。
回数の拡大は質の低下につながる。
一体この独演会は何を目的にしたんだろうと首を傾げるケースが増えた。頼まれたから出演するというだけなら「独演会」の名前が泣くというものだ。そこに何か噺家本人のメッセージをこめるべきではなかろうか。
これ以上の独演会の粗製乱造は御免蒙りたい。
前回は1997-98年頃に三郷市文化会館で行われた「古今亭志ん朝独演会」での1席目「寝床」について記した。
仲入り後の2席目、固唾をのんで待っているとこれが「富久」だった。
「富久」といえば文楽と相場が決まっているが、志ん生も高座にかけている。いかにも志ん生らしいギャグ満載の飄々とした味わいのあるもので、志ん朝の「富久」は父・志ん生の型を受け継いでいる。
文楽とはどこが違うのかというと、久蔵の住まいや旦那の家の住所といった形式的なことだけではなく、富くじを勧められて買う文楽型に対して、志ん朝はこれに運勢を賭けるのだと自分からすすんで買う。
旦那の家に居候した久蔵だが気持ちが落ち着かず、早く幇間の仕事に復帰したいと願うという設定も文楽とは異なる。
杉の森神社での富突きのシーンでは、富を買った客たちがもし千両当ったら池に酒を入れて泳ぐだとか、質屋が遠くて不便だから自分で質屋をやるとか妄想する場面も文楽とは違うところだ。
反面、久蔵が旦那の家に駆けつける際の緊迫した姿や、火事見舞いに訪れた客への応接にあたる久蔵の愛想のふりまき具合などは、文楽スタイルを採っている。
「富久」の勘所は、幇間である久蔵の人物像にかかっている。
噺に出て来る大神宮様というのは伊勢神宮のことで、特に芸人たちの信仰が厚く、昔は自宅に分不相応な神棚を祀っていたようだ。年末になると伊勢の神官がお札を取り換えにくる、これがお祓い。
この噺に出て来るタイコモチは珍しく宴席で客にヨイショする場面がない。つまりラシサが出しにくいネタだ。そこを最初から最後までタイコモチに見せなくてはならない、これが難しい。下手な人が演ると職人や商人にしか見えなくなる。
そこいくと志ん朝の描く久蔵はどこからどう見ても幇間である。何より愛嬌と色気があるのだ。ここが並みの噺家とはまるで違う。
ストーリーは希望と絶望が交互に訪れる、正に「禍福は糾える縄の如し」の筋立てだ。起伏に富み緊迫感あふれる物語を最後の大団円までグイグイと観客を惹きつける、その話芸の力は並大抵のことではない。
全体の仕上がりは、文楽と志ん生を越えるような素晴らしい出来だった。
そしてこの日の「寝床」「富久」は尊敬する亡き父・志ん生に捧げる高座でもあったような気がする。
旨い料理を食すると人間は幸せな気分になる。
それと同様に、素晴らしい高座に出会うとやはり幸せな気分になることを、この時の志ん朝独演会で味わった。
私だけではない。会場から駅まで数分かかるのだが、帰路につく誰もが幸せそうな顔に見えた。
この日の志ん朝の高座は、生涯の宝だと思っている。
♪伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ
尾張名古屋は城でもつ コリャ
母ちゃんの腰巻は 紐でもつ
ドンドン♪
(ドンドン節)
新春早々品のない唄で恐縮だが、一生に一度はお伊勢さんへと予てから考えていて、ようやく2011年末から2012年元日にかけての伊勢神宮参りに出かけることになった。
1泊2日のバスツアーで早朝上野を出発して一路名神高速を西へ。
蒲郡で下りて昼食は鰻弁当。東京に比べると鰻に歯ごたえがありタレが甘い。やっぱり蒲焼は舌の先でトロッととろけるような東京の味に限る。
その後は近所でイチゴ狩りを楽しむ。
30分間食べ放題ということで張り切ったが、そんなに食えるもんじゃない。せいぜい10個位がいいとこだ。
愛知県の三河地区は昔から果物の栽培が盛んで、渥美半島に行くとメロン栽培だ。
ここで親しかった会社の同僚にバッタリ。同じツアーだったのだ。
31人しかいない客の中で出会うなんて奇跡に近い。人間悪い事は出来ないねとお互いに笑いあう。
再び高速に乗り、伊勢湾をぐるっと回るようにして最初の訪問地、山田原の伊勢神宮・外宮に到着。
正式には「豊受大神宮」という名称で、天照大神の食事を司る豊受大神を祀っている。創建は内宮の500年後とされている。
こうした国内の大きな神宮や海外各地の聖地を歩いてみて共通するのは、「神宿る」という感覚だ。これが寺院だとあまり感じられないから不思議だ。
ここ外宮も境内に入った途端に敬虔な気分になる。
写真の御正殿を始め他の別宮にお参りする。
バスで鳥羽港に向かい、港からボートで答志島に渡る。
夕方7時を過ぎて「寿々波」に投宿となった。最上階に海を見下ろす温泉があるのが売りなのだが、もう真っ暗で何もみえない。この旅館は早朝に温泉が開かないというのが欠点だ。
夕食は豪華に伊勢海老つき舟盛りで美味、特にサザエが刺身と壺焼き両方が出たのは嬉しかった。
翌朝、港に出ると正月で漁が休みとあって大漁旗がひらめく漁船が並んでいる。
鳥羽一郎が「兄弟船」を唄い出しそうな雰囲気だ。
ボートで鳥羽へ戻り、ここから朝熊山・金剛證寺を訪れる。
伊勢神宮の鬼門を守る寺として、通称・奥の院と呼ばれている。
写真は連間の池から撮影したもので、左端には弘法茶屋、中央に見えるのが本堂で国の重要文化財に指定されている。
お参りすると子どもが授かるという「おちんこ地蔵」というのがあった。ちゃんと名札も立っている。いかめしい寺の中でこの名前は、よほどシャレた僧侶がいるんだろう。でも地蔵菩薩は苦笑しているだろうな。
さていよいよメインイベントである伊勢神宮・内宮の参拝だ。
正式名称は「皇大神宮」で、言うまでもなく天照大神を祀っている。
バス駐車場から歩いておかげ横丁に着くと、既に人人人で溢れている。
お参りに向かう人、終わって戻る人、買い物をする人がお互いに交差する。
おはらい通りを通って五十鈴川の宇治橋を渡ると最初の鳥居が見えてくる。大勢の老若男女、善男善女が行き交う。
ここから二つの鳥居をくぐり、御正宮に近くなると長蛇の列だ。
それでも1時間待ちで参拝出来た。
すぐ脇にある「荒祭宮」は天照の荒御魂を祀る別宮。ここにも沢山の人々が参拝していた。
途中、名物の「手こね寿司」と「伊勢うどん」の昼食を挟んでおよそ3時間、人波にもまれて少々くたびれたが、念願だったお伊勢参りを無事果たした。
そういう分けで、正月以来清らかな日々を送っている今日この頃。
(画像はいずれもクリックで拡大)
ヒラタ容疑者(H)と警察官(P)との会話
H「こちらが捜査本部ですか。私がオウム真理教事件で指名手配されていたヒラタです。本日警察に出頭してきました。」
P「なに、ヒラタだって? またかぁ、どうせ冗談だろ、よそでやってよ。」
H「いや本当に本人なんです。ほら、この手配写真とそっくりでしょう。」
P「まあ似てるっちゃ似てる気もするけどね。他人のそら似ってこともあるからさ。あんたはヒラタじゃないよ。」
H「どうしてそう言い切れるんですか。私がそうだって言ってるんですよ。」
P「みんなそんな風に言うんだよね。とにかく本官は忙しからこれ以上相手してあげられないんだよ。ヒマつぶしだったら早く帰って。」
H「そんな言い方はないでしょ。こうして出頭してきたんですよ。」
P「いい加減にしてよ、あんまりしつこいと、公務執行妨害で逮捕するぞ。」
H「だからぁ、逮捕されるために来たんじゃないですか。」
P「そこまで言うんだったら、一応話だけは聞こう。先ず氏名は?」
H「ヒラタ・マコトですよ。」
P「じゃあ身分証明見せて。」
H「なんですか、その身分証明って。」
P「なんですかじゃないよ。あんたが確かにヒラタ・マコト本人だと証明するモノだよ。例えば運転免許証とか健康保険証とか年金手帳とか、色々あるだろ。出来れば写真が貼ったのがあれば一番いい。」
H「そんなもんありませんよ。私はずっと全国を逃げ回っていたんですよ。あるわけないでしょう。」
P「パスポートとか印鑑登録証でもいいんだけど。」
H「それもありませんよ。」
P「仕方がない、それじゃ部長の指示を仰いでくるから、そこで待ってて。」
(数分後)
P「部長の話じゃ、オウムのヒラタが自分から出頭する筈がないということだ。やはりニセモノかヒヤカシだから帰せという指示だから、早く立ち去れ。」
H「そんなオカシイでしょ。本人が出頭しているのに認めないなんて、一体法律はどうなってるんですか。」
P「それは『オウムの法則』さ。」
お後が宜しいようで。
1995年2月に発生したオウム真理教による目黒公証役場事務長、仮谷清志さん(当時68歳)拉致事件で、警視庁に逮捕監禁致死容疑で平田信(まこと)容疑者(46)が12月31日、丸の内署に出頭し逮捕された。
平田は出頭前にオウム事件の情報提供を呼び掛ける警察のフリーダイヤルにも電話をしたが、「相手にされなかった」と話している。
(電話の件は警視庁の見解とは認識の相違があるようだが)
次に捜査を担当している大崎署に行ったが出頭入り口がわからなかったため、東京・霞が関の警視庁本部に向かった。
ところが本部の警備に立っていた機動隊員からは悪質ないたずらとして門前払いを食らってしまった。
仕方なく近くの丸の内署に出頭して、そこでようやく受け入れられ、めでたく逮捕の運びとなったものだ。
交番や公共施設でよく見かける「オウム真理教関係特別手配被疑者」のは例の顔写真の下に”「おやっと感じたら、110番」”と標語が書かれていて、専用のフリーダイヤル番号が示されている。
でも本人が出ていってさえ相手にされなかったのだから、私たち市民が情報提供しても一顧だにされなかっただろう。
それほど警察組織が無能で弛緩しているのか、そうではあるまい。
警察は平田が出頭する筈がないと確信していたのではなかろうか。しかるべき根拠があって。
一連のオウム真理教事件の捜査では、なぜか警察は数々の重大な失敗を重ねている。
少なくとも弁護士一家失踪事件(後に殺害だったことが分かった)や、松本サリン事件で適正な捜査が行われていたなら、地下鉄サリン事件は防げた可能性が高い。
国松長官狙撃事件にしても、警察のトップが銃撃されたにもかかわらず犯人を取り逃がしてしまうなど、常識では考えにくい。
今回の平田信出頭から逮捕にいたる経緯を含めて、何やら割り切れない気持ちが残るのだ。
正月3日、博品館劇場で行われた”rukugo オルタナティブ vol.11 「若武者はしる」”昼の部へ。
今年真打に昇進する一之輔と菊六という「時の人」2人が出演するお目出度い会だった。
正月の三日に二ツ目の会が銀座で開かれるなぞ一昔前なら想像もつかなかった。世の中変わってきた。
「あたしの誕生日だってぇのに、どうして落語になんか行くの。」と、すがる女房を振り払い、「とめねえぇでくれ、これが落語道の渡世なんでござんす。」(音羽屋!)と出かける。
タイトルの若武者ウンヌンは、ネタ出し(*印)の演目が侍に因んでいるからとか。
客席には今日のゲストである和田正人ファンと思しき一団がいて、チョット違った雰囲気。
< 番組 >
古今亭菊六「高砂や」
和田正人「棒鱈」
春風亭一之輔「三方一両損」*
~仲入り~
春風亭一之輔「初天神」
古今亭菊六「夢金」*
座談~出演者全員
一列目の上手裾にいたので出番から良く見える。
いかにも真面目そうな表情の菊六が登場してくる。羽織より袈裟が似合いそうな雰囲気で噺家というより求道者を思わせる。
2席を聴いたが動作が丁寧なのと、非常に完成度が高いのが特長だ。
例えばもう一人の一之輔やいま人気の白酒の高座では、必ずいくつかミスがあるが、菊六にはそうしたミスは一切ない。
喋りも人物の造形もしっかりとしており、そのため1席目「高砂や」も本来は軽い噺なのだが、菊六が演ると重々しく感じる。
そこは落語家として利点にもなるが、時には欠点にもなるのではなかろうか。
サラクチでしかもトリを控えていたのだから、もう少し軽く演じても良かったように思う。
2席目「夢金」は良い出来だった。動作が丁寧なだけではなく動きがキレイなのだ。
船頭の舟の漕ぎ方もそうだし、頬被りを外すシーンでは先ず悴んだ指を息で温め、一本一本指を開かせてゆき震える手でぎこちなく頬被りを取る。この所作でどれほどひどい雪と寒さの大川だったかが頭に浮かんでくる。
船頭が侍に酒手をねだる場面では、菊六の端正な顔が卑しく変わっている。
サゲもあっさりとしていて良かった。
この人の高座の品は、後から一之輔が学習院出身で自宅は自由が丘、海老蔵とは友達だとからかっていたが、そういう育ちの良さから来るのだろうか。
あるいは圓菊一門は概して品が良いのでその伝統からか。
玄人受けする噺家だと思う。
対する一之輔、雑草のような生命力と生活の知恵、その両方を備えているから「鬼に金棒」、向かうとこ敵なしの快進撃といった風情。
1席目の「三方一両損」では、胸のすくような啖呵を聴かせる。こういう啖呵が切れるというのは落語家として大事な資質だ。
例えば名人と言われる文楽や圓生といえども、なかなか胸のすくような啖呵というわけにはいかない。近年では代表的なのは先代・柳朝、志ん朝、談志といった辺りになるが、いずれも後世に名を残す人たちだ。
2席目「初天神」はエンジン全開で、父親に食い物をねだる子ども傍若無人ぶりがすごい。父親を指さして「助けて、人攫いです」と周囲に叫ぶ。「違い違う、これは俺の子だ」というと、「知らない人です」と泣きだす。これじゃあ買わないわけにはいかない。そこで飴屋が「いい腕してるねぇ」と一言、これが効く。
今日は七分で未だこんなもんじゃないと語っていたが、この人の後はやりにくいだろう。
「天才型」の一之輔vs.「努力型」の菊六の対決、さてこれからどうなるか、お楽しみ。
ゲストの和田正人「棒鱈」、素人芸としては良く出来ていた。きっと演技も上手いんだろう。
ただこうした落語会で俳優に落語を演らせるという企画はどうも感心できない。
正月でもあり、挟むなら音曲など色物だろう。
何を目的としているのかよく分からぬ「座談」は蛇足。
大震災と原発事故の2011年が過ぎ、新しい年を迎えました。
被害地の復興と原状回復、そして一日も早く安全で安心できる社会の実現を願わずにはいられません。
3年前に民主党政権が誕生した際に、当ブログではこの政権は基本的には自民党の政策を踏襲するものだと指摘してきましたが、実際にその通りになりました。
特に現在の野田政権になってからは、増税、社会保障の切り下げ、TPPの三点セットの実現にむかって暴走を始めています。
私たちは自らの生活を守るために、この悪政を早く終らせるしかないと思います。
いま議員定数を減らすという政策が打ち出されていますが、大事なことは大政党だけに有利な選挙制度と定数不均衡により議会に民意が忠実に反映されていないため、国会が正常に機能していないという点にあります。
もう一つは税金から政党活動費を出すという世界に例をみない「政党助成金」制度が政治活動をゆがめています。この悪法を廃止させるだけで370億円もの無駄使いがなくせます。議員定数の削減より、よほど効果が大きいのです。
費用をできるだけ抑えながら、議員が国民のために働けるような制度に改めることがより先決であると考えます。
先ずは野田政権による悪政を追い払いましょう。
「エイ!」っと、こんな具合に。
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