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2012/01/09

「独演会」の濫造

近ごろといっても、だいぶ以前からになるが、落語家の独演会がかなり頻繁に行われるようになった。今世紀に入ってからの落語ブームの中でより顕著になっている。毎日どこかで噺家の独演会が、それも複数開かれている、そんな様相だ。
先日、立川志らくが多い時は月に10回と言ってたが、こうなると独演会の大量生産。
かつては落語家が独演会を開くにはいくつか心得があり、それを守ったものだ。
例えば真打にしか出来ないとか、大看板でもたまにしか演らなかった。
種類や趣の異なったネタを少なくとも3席を演じ分ける技量が最低条件であった。

古今亭志ん朝が初めて独演会を開いたのは1976年というから38歳の時だ。若いじゃないかと思われるかも知れないが、志ん朝は24歳で真打に昇進している。既に押しも押されもせぬ大看板だった。それまでは独演会を拒み、その年になってようやく「志ん朝の会」という名称で行っている。「独演会」と名乗るのは避けたのだ。
「会」が近づくと志ん朝の様子が変わりピリピリとしてきて、家族や弟子たち周囲は腫れ物にさわるようだったと証言している。
つまり「独演会」というのは「独りで演じる会」ではなく、自らの芸の集大成として世に問うものだった。
音楽家でいえばリサイタルのようなものであり、月に何回もリサイタルを開くミュージシャンはおるまい。

客が入りさえすれば興行的に成り立つからどんどんと独演会が設定され、落語家もそれに安易に乗っかり出演する。
回数の拡大は質の低下につながる。
一体この独演会は何を目的にしたんだろうと首を傾げるケースが増えた。頼まれたから出演するというだけなら「独演会」の名前が泣くというものだ。そこに何か噺家本人のメッセージをこめるべきではなかろうか。
これ以上の独演会の粗製乱造は御免蒙りたい。

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コメント

賛成ですね。
しかも金なんかとれない前座を時間内でやらせる。
腹が立つときもあります(いかなきゃいいんですが^^)。

私も賛成です。米朝が小沢昭一との対談で語っていますが、かつての独演会は、それ相応の噺家が五席も六席もかけていたようです。
開口一番や客演なしで、少なくとも三席位、その中の一席はネタおろしがある、それ位のものを「独演会」と呼びたい。
それが出来る噺家は、おのずの限られるはずです。

佐平次様
そう、行かなきゃいいんですが、ついつい行って後悔してしまう、落語好きの「業」ですかね。あんまりヒドイ時は仕方ないのでブログで批判する、それ位しか抵抗できないのが実情でもあります。

小言幸兵衛様
時節柄あんまり贅沢は言いませんが、少なくとも独演会で観客に何を見せたいのか、そこだけは明確に示して欲しいと思います。

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