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2012/02/27

三人寄席「市馬・志ん輔・扇遊」(2012/2/26)

2月26日前進座劇場で行われた三人寄席「市馬・志ん輔・扇遊」へ。
たいだい寄席なんてぇものは東京下町に相場が決まってたが、今は全国で開かれている。井の頭線沿線なんておよそ寄席に縁がないと思っていたが、吉祥寺の前進座のこの会も今回で52回を迎えた。もう立派な老舗の落語会と呼んでいい。
志ん輔と扇遊は同期、それより8年遅れている市馬がトリ、これは年功序列ではなく、役職序列とでもいおうか。
出演者はいずれも落語協会。

<  番組  >
前座・古今亭半輔「初天神」 
古今亭志ん八「たらちね」 
入船亭扇遊「夢の酒」 
古今亭志ん輔「子別れ・下(子は鎹)」 
ー仲入りー
ホンキートンク「漫才」 
柳亭市馬「二番煎じ」

志ん八「たらちね」、二ツ目だが、近ごろやたら大声でハイテンションの若手が多い中で珍しくローテンション、漂々とした芸風で面白い存在だ。ここからどう抜きん出て行くのか楽しみではある。

扇遊「夢の酒」、上手いの一言。女の焼きもちには二種類あり、一つは自分のプライドが傷つけられたことによる恨み、もう一つはパートナーへの愛情が傷つけられてことによる恨みだ。このネタの女房の嫉妬は後者の方で、だからバカバカしいと思っても嫁にせがまれて大旦那が夢の続きを見る羽目になる。
同じ焼きもちでも「悋気の独楽」と「夢の酒」とでは女房の焼き方が違わなくちゃいけない。扇遊はそこの表現が巧み。

志ん輔「子別れ・下(子は鎹)」、前日の一朝に続き「子別れ」で、こちらは下。
マクラからほぼ志ん朝の演出通りだが、熊五郎が金坊に声を掛けるときに一瞬ためらう姿勢を見せるところが異なる。このタメは有効だ。やや過剰演出気味ではあったが、良い出来だった。
これはこの日の高座に限ったことではないのだが、志ん輔ファンには悪いが私はどうもこの人への点数が辛い。その最大の理由は余りにも師匠・志ん朝の芸風に近づけようとしているからだ。しかし志ん輔の芸風は志ん朝とは全く違う。あの「粋さ」が無いからムリなのだ。どう頑張っても「垢抜けない」志ん朝で終わってしまうだろう。弟子で後を追いかけられるとしたら早逝した右朝ぐらいだったろう。だから師匠とは異なる芸風を開拓していかないと大成しないと思う。

市馬「二番煎じ」、お約束通り「さんさ時雨」(必然性は不明)の唄入りで気持ち良さそうな高座だった。ファンは喜んでおられたようだ。だが私は感心しなかった。この宴会は番小屋で密かに楽しんでというもので、ある種の「昏さ」が求められる。こんな盛大な宴会ではぶち壊しだ。
市馬の欠点は芸に陰影が無いこと。何を演っても同色、同じ色になってしまう。軽く明るいネタだと良いのだが、芸域が狭い。
このままでは声の良い明るい噺家だで、終わってしまうのではなかろうか。

これでも、けっこう楽しかったんですよ。 

2012/02/26

#18「三田落語会」(2012/2/25昼)

ようやく土日には動けるようになってきたので、ボツボツ記事を書いていこうと思う。
2月25日は仏教伝道センタービルで行われた、第18回三田落語会・昼の部「一朝・兼好二人会」へ。
この会は以前の「ビクター落語会」を引き継いだものだそうで、出演者もその当時のメンバーと同じ顔づけとなっているらしい。これに毎年新しい落語家を加えると言う趣向とのことで、今年は三遊亭兼好が選ばれたもの。
開場30分前には次回のチケット予約の整理券を求めて50人以上の人が並んでいた。

<  番組  >
前座・春風亭朝呂久「のめる(二人癖)」
春風亭一朝「黄金餅」
三遊亭兼好「崇徳院」
~仲入り~
三遊亭兼好「置き泥(夏泥)」
春風亭一朝「子別れ(上・下)」

先ずこの二人会の人選の妙だが。
高座で二人が触れていたように、兼好は当初一朝に弟子入りを志願したが、一朝は両親の承諾なしには弟子を取らないという方針なので断った。兼好は一度は魚河岸に職を得て時々一朝宅にマグロを届けたりしていたが落語家になる夢を捨てきれず、好楽に弟子入りして今日に至っている。
この人なら誰の弟子になろうとも成功していただろうが、願わくば一朝の弟子になって欲しかったと思う。ちょうど当代柳朝と一之輔の間の弟子になっていたそうで、協会気鋭の真打として活躍していたはずだ。
寄席で兼好がどんな芸を見せてくれただろうか、そう考えると惜しい。

兼好の1席目「崇徳院」、若い男女が初めて会ってお互いに一目惚れ、しかも二人とも恋煩い。だが相手が誰だか分からず双方の出入りに職人やらが、唯一の手がかりであり崇徳院の和歌の上の句を持って人探し。
もちろん滑稽噺ではあるが、どこか「雅さ」を求められる、そんなネタだと思う。三代目三木助から志ん朝に至る演出も、その風合いは大事にしていた。
さて兼好だが、例えば若旦那が熊に恋煩いを打ち明けるシーンで何度も大笑いするように描いていた。また二人は幼馴染で子どもの頃は熊が若旦那の頭を叩いていたというエピソードの挿入も兼好独自の演出だろう。
しかしこうした改変はオリジナルの風合いを壊しているように感じられる。笑いの取れにくい前半を工夫したものだろうが、全体の調和を考慮して欲しいところだ。
人探しの後半は文句なしだったから、この点が惜しまれる。

兼好の2席目「置き泥(夏泥)」、落語なので時代考証なんてウルサイことは言いたくないが、質草の道具箱を受けだすのに5円と言ってたからこの噺は明治以後のことだろう。それなのに長屋の両隣が浪人で刀を研いでいたという設定は変だ。
泥棒に入られた男は床板の根太を燃やして蚊遣りにしたと言っていた。だから泥棒がその穴に足を突っ込んだという設定だ。床に穴が開いていて玄関は戸が閉まっている、そんな部屋で暮らせるとは思えない。
男が素裸でいる所をみれば季節は夏、だからこの噺は夏場の季節感が求められる。
2月のネタとして選定がどうだったんだろうか。
オチで、男が「今度はお前の家に泥棒に行く」というのもシックリこない。恩を仇で返すようで後味の悪さが残る。
男と泥棒のセリフのヤリトリは軽妙で兼好の良さが出ていただけに、残念な気がする。
課題の残る初登場だった。

一朝の魅力は切れの良い江戸弁と持ちネタの多いこと、それに安定感だ。啖呵(言い立て)は師匠譲りだ。笛の名手だけにリズム感のある噺や、啖呵が聞かせどころのネタを得意としている。
絶対に客をガッカリさせることが無いという反面、大きなサプライズもない。
1席目「黄金餅」では、金兵衛が金に執着はしているがどこか憎めない人物として描かれていて良い出来だった。
2席目「子別れ」は中をショートカットした上下で演じたが、上の「強飯(こわめし)の女郎買い」でも大工の熊と紙屑やの長さんとの会話が秀逸。下の「子は鎹」ではたっぷり泣かせてくれて、満足の高座だった。

今秋の二ツ目昇進が決まった朝呂久には確実に進歩の跡。

未だ書きたいことはあるのだが、時間がなくて端折ってしまった。

2012/02/13

お知らせ

都合でしばらく休みます。

2012/02/12

春団治の芸に酔う「#32上方落語会」(2011/2/11)

2月11日に横浜にぎわい座で行われた第32回上方落語会へ。
暦の上では春の時期、大師匠を始めとして名前が春に因んでいる噺家を集めての会という趣向か。
落語は聴くものではなく観るものだというのが私の意見だが、上方落語は特にそういえる。ライブでないと面白さは分からない。
お目当てはもちろん春団治。

<  番組  >
桂咲之輔「鷺捕り」
桂壱之輔「善哉公社」
桂梅團治「鬼の面」
~仲入り~
笑福亭笑子「パペット落語・化物屋敷」
桂春團治「野崎詣り」

先ずはトリの春団治、御とし間もなく82才。
ライブで初めて観たのだが、上方落語の重鎮らしい佇まいと上品な色気。若いころはよほど祇園辺りで修行してこられたのだろう。そうでなけりゃ、あれだけの色気は出て来ない。
噺は大阪から野崎詣りに出かけた二人が船に乗り、土手を行く人に口喧嘩を売ると言う他愛ない筋書。演者の話芸だけで聴かせるネタで、こういうのが上方ではトリ根多なんだろう。
春団治のひとつひとつの所作が実に綺麗だ。例えば日傘をさして歩く姿など観ていて惚れ惚れする。小便をする仕草さえ粋なのだ。
初夏の野崎の風景が浮かんでくる。ふと、人形浄瑠璃「新版歌祭文 野崎村」を思いだした。そういえば春団治の出囃子も「野崎」だ。
そして何より会話の軽妙洒脱さ、それほど面白い事を喋っているわけではないのに、客席は笑いの渦。
久々に名人芸を見られたという満足感で一杯になり、この1席だけで来た甲斐があった。

梅團治「鬼の面」、マクラで語っていたようにお店噺というジャンルが落語にはあるが、ほとんどが男の噺で女が主人公のネタというのは少ない。
お店の子守りっこをしている少女が、母恋しさに顔がそっくりなオカメの面を箱に入れて毎晩話しかけていると、それに気付いた主人が悪戯気を起こし、オカメの面を般若と入れ替えてしまう。そうとは知らない少女は顔の形相が変わったのは母親が病気で苦しんでいるのだと思い込み、店を飛び出して実家に戻ってしまう。勘違いが分かって父親が娘を伴って店に戻り、店の主人は平謝り。
父娘が途中で拾った(詳細は略)200両も手に入れるおまけもついて目出度し目出度しの物語。
大阪の大店の情景や、面を売る店の主人の優しさや親子の間の情が表情たっぷりに描かれ、心地よい高座だった。

他に咲之輔「鷺捕り」、壱之輔「善哉公社」の若手二人も勢いのある高座を見せてくれた。特に壱之輔は芸がしっかりしている。東京の一之輔と張り合って欲しい。

2012/02/11

「芸協」幹部に問う

他のサイトの記事で、浅草演芸ホール2月上席、この時は落語芸術協会の芝居(「寄席興行」の意)だったのだが、出演者の大半が代演だったと書かれていた。客の中には怒って途中で帰ってしまった人もいたとか。
これだけ代演が多いと、誰が休演してその代演に誰が出ているのかさえ分からなくなる。
定席は10日間興行だが、芸協の芝居では通常半分に分けて5日間の2回興行にしている。
たった5日間の日程で、ほぼ全員が都合がつかず休演することは考えにくい。そう言っては何だが、それほど他の落語会が忙しいとも思えない。
10年位前の一時期、末広亭の芸協の芝居に通ったことがあり、多い時は3分の1ほどの代演があったが、これほどヒドイことは無かった。
回数は少ないが、国立演芸場の芸協の芝居では代演が少ないという印象を受けている。
要するに芸協所属の芸人が浅草演芸ホールを、そして寄席に足を運んで下さる客をナメテいるとしか思えない。
先日の当ブログで、昨年末の芸協の納会の席上で末広亭・真山由光社長が芸協の客入りの悪さに触れ、「圓楽一門会や立川流と一緒になってほしい」と発言し、浅草演芸ホールと池袋演芸場も同調したという朝日の記事を紹介した。
これに対して芸協副会長の三遊亭小遊三は「重く受け止めたい」と答えたと書かれていた。
その口の端からこのザマだ。

席亭が協会に、他の流派と一緒になって欲しいなどと要望するのは極めて異例なことだ。
興行主としては客が入らなければ採算がとれず、寄席の運営が成り立たなくなる。
芸協として客足を伸ばすよう努力を促すと同時に、もしダメなら他の流派を出演させざるを得ないぞという通告だったとも取れる発言なのだ。
これに対して芸協幹部はどの程度の危機感を持っているのだろうか。
先ず芸協所属の芸人たちのスケジュールをしっかり把握・管理し、各寄席の当日の出演者を公表する。
そして公演中の休演は出来るだけ避けるよう通達する。
この二点なら直ちに実行可能ではなかろうか。
今回の問題を機に、多くの落語ファンのサイトが芸協の動きに関心を寄せている。
それだけ真剣に心配している証拠であり、今こそ芸協幹部はその期待に応えねばならないだろう。

2012/02/09

落語家の出囃子(改定版)

噺家の「出囃子」一覧を”新館”にアップしました。
以前作成したものにいくつか追加した改訂版です。
興味がありましたらご覧ください。

2012/02/08

「警察のノルマ」の危険性

先月に起きた小さな事件だが、私たち市民生活を送る上で見逃せない事件として、「警察のノルマ」をとりあげたい。
神奈川県警は1月26日、自転車盗難事件を捏造し容疑者を検挙したとの虚偽の捜査書類を作成したとして、中原署地域課巡査の仲田正彦容疑者を虚偽有印公文書作成などの容疑で逮捕した。
仲田容疑者は友人の男性2人に犯人役と被害者役を依頼し、昨年9月に犯人役の男性に被害者役の男性が所有する自転車を無灯火で運転させて職務質問した上で、同署へ連行して虚偽の供述調書を作成した疑いが持たれている。犯人役の男性は逮捕や書類送検をしない微罪処分となっており、仲田容疑者から報酬として現金6,000円を渡されたという。
仲田容疑者は容疑を認め「検挙した実績が欲しかった」と語っているという。
この事件は、かねてから取り沙汰されてきた警察のノルマ至上主義を図らずも露呈したものだと言えるだろう。
警察にノルマがあることは退職警官の証言などでも知られているところだ。
神奈川県警の場合「取締りの目安」という数字が使われている。
2005年実績によると、駐車違反の検挙目安が20万0,500件に対して実績が20万3,825件、信号無視が2万3,780件の目安に対して実績が2万2,695件と、どの項目も目安に近い数字の検挙が行われている。
ここまで数字が一致しているのだから、やはりノルマと見做して良いだろう。

警察が検挙数をノルマにすれば、それに対応する違法行為が存在しなければならない。悪いことをする人間がいなけりゃ検挙もできない。そうすると今回のように数字が達成できないときは「犯人」を作るしかなくなる。
この事件は交通違反の取り締まりに関して起きたものだが、他の刑事事件ではノルマは存在しないのだろうか。
元警察官の証言などでは、拳銃の取締まり月間になると知り合いの暴力団に頼み、拳銃を提出してもらうケースがあるようだ。この場合の見返りは捜査情報の漏えいとか。こっちの方が冒頭の事件より遥かに悪質だが表沙汰にならないようだ。
もし公安警察にもノルマがあったりすると更に恐ろしいことになる。

ノルマの達成が至上命令となると、ノルマに影響するような捜査には注力するが、ノルマに関係せず手間ばかりかかるような事柄を避けるようになる危険性がある。
オウムの逃亡犯である平田信が出頭したさい門前払いを食らったのは、出頭だと点数にならないからでは等とついつい勘ぐりたくなる。
ストーカー事件などで被害者や家族が再三警察に相談しても放置されるのは、手数がかかる割には査定に影響しないので敬遠されるせいなのだろうか。

一般論としてはノルマは決して悪い事ではない。警察も一定の目標を持って捜査にあたる必要もあるだろう。
しかしそれは検挙件数や反則金ノルマであってはならない。
それより交通事故や犯罪発生率を抑えることを目標にすべきではなかろうか。
警察が努力した結果、事故や犯罪が減ったとなれば誰もが評価する筈だ。
少なくとも警察内部の犯罪を誘発するような「ノルマ」は廃止すべきだろう。

2012/02/06

教授への寄付金は「買収費用」

医師、弁護士、教師を俗に「さんし」と呼び、世間から尊敬される職業とされている。この中で教師は格下に見られがちだが、大学教授ともなれば未だに権威が認められている。
企業側からみればそうした権威は十分に利用価値があり、
・教授を企業の顧問や嘱託に迎える
・教授へ寄付金や委託研究費として寄金する
などの方法でコンタクトを持ち、企業やその製品の対し好意的な立場を取ってもらうことになる。
時には商品の欠陥によるクレームが起きたときの「防波堤」にもなってくれるので、とても有り難い存在なのだ。

顧問や嘱託の場合、知る限りでは月額で10-20万円程度の報酬が支払われる。これは1社当りであり、複数の企業にまたがると相当な金額となる。
私の知っている教授で、10数社の顧問をしていた猛者もいた。こういう人物が叙勲受章者になっているんだから、世の中いい加減なもんだ。
国立など公立大学の教授は企業の顧問にはなれないが、そこは「蛇の道は蛇」で「ウラ顧問」という裏技がある。
教授に対する寄付は「奨学寄付」と呼ばれるもので、公立私立関係なくできる。
教授側は使途が自由のため、便利なようだ。
委託研究費は特定のテーマで研究を委託し、その研究費を企業が支払うものだ。こちらは使途が限定されるのと報告義務があるので、金の使い道に制約がある。と言ってもあくまで名目上のことで、体裁さえ整っていれば企業側はあまりウルサイ事は言わない。要は寄付をしているという事実が大切なのであって、研究成果は期待していないからだ。

東京電力福島第一原発事故後の原子力政策の基本方針(原子力政策大綱)を決めるため内閣府原子力委員会に設けられている会議の専門委員23人のうちに、原子力が専門の大学教授が3人含まれている。いずれも専門分野での知識を買われた人たちだが、この3人全員が2010年度までの5年間に原発関連の企業・団体から計1839万円の寄付を受けていた。
3人は東京大の田中知(さとる=日本原子力学会長)、大阪大の山口彰、京都大の山名元(はじむ)の各教授で、3人は寄付を認めたうえで、「会議での発言は寄付に左右されない」などと話しているという。

これとは別に、内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目(まだらめ)春樹委員長を含む24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていたことが分かっている。
うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていた。
こちらも委員らは影響を否定している。

要するに政府の原子力行政に直接影響を与えるような学識経験者の多くは、原子力関連企業のひも付きであって、パトロン企業の代弁者だということだ。
寄付を受けた教授らは影響ないと強弁しているようだが、そんな事は有り得ない。
顧問にしろ寄付にしろ、これだけの金額を支出するとなると社内稟議(付議)と通さねばならない。その場合、これこれの支出に対して会社としてどれだけのメリットがあるのかを明確にしなければ稟議は通らない。それを「企業からの影響はない」なんて言われた日にゃ、金を返せと言いたくなる。
現に原子力委員会の新大綱策定会議で前記3人は、「福島の事故を受けて安全対策は随分と取られている」とか「高速炉は魅力で開発は続けるべき」などと発言しているそうだから、パトロン企業としては安心なわけだ。

もちろん専門分野で大きな業績を残し、人格においても高潔な大学教授も多い。
ただ、そういう学者たちには政府から声が掛からないのだ。
金まみれの学者だけが重用される、それが今の原子力行政だ。

2012/02/05

#393花形演芸会(2012/2/4)

暖かさが戻った立春の国立演芸場での「第393回 花形演芸会」。
いつもだと中堅落語家が一人出るのだが、今回は無し。それでも前売りは完売。

前座・入船亭辰じん「一目上り」
<  番組  >
三遊亭きつつき「孝行糖」
桂吉弥「ちりとてちん」    
ふくろこうじ「クラウン」           
三遊亭兼好「三枚起請」      
―仲入り―
古今亭菊志ん「小言幸兵衛」     
U字工事「漫才」               
柳亭左龍「甲府い」         

辰じん「一目上り」、いま最も期待されている前座の一人で、今秋の二ツ目昇進が決まった。
語りがリズミカルなので聴いていて心地よく噺に引き込まれる。本寸法の若手に成長することが期待できる。

圓楽一門の二ツ目・きつつき「孝行糖」、初見だが変わった雰囲気を持った人だ。フワフワっとした感じのマクラだったが、メガネを外してネタへ入ってからは本格的な古典で、これが聴かせる。
飴売りの与太郎と飴を買ってくれる町人とのヤリトリの「間」が良い。三代目金馬を偲ばせる高座で、このネタでは近年のベストにあげられる。

吉弥「ちりとてちん」。東京で「酢豆腐」が上方に移植され「ちりとてちん」、今では逆輸入されて東京の高座でも頻繁に演じられている。
喬太郎や文左衛門らのアクの強い高座に馴れていると、吉弥が大人しく感じてしまう。
この人はもっとバカになれると一皮剥けると思うのだが。
    
ふくろこうじ「クラウン」、マイムとジャグリングの組合せ。特に感心したのは段ボールを使ったパントマイムで、首と胴体が別々に動くように見せていた。この芸はハマる。指先の帽子を腕の上に転がしてかぶるキメのポーズも格好いい。

兼好「三枚起請」は上出来。
マクラでカラスの生態を解説していたが、オチがカラスなのでこのマクラは適切。近ごろ本題とかけ離れたマクラを振る噺家が多いが、あれは邪道。あくまでマクラは本題へのイントロでなくてはいけない。
三人目の男が女から金を無心された時、奉公に出ている妹に無理を言って給金の前借りを頼んだと涙ながらに語る場面で、半公が口三味線で合いの手を入れるアイディアが秀逸。
吉原へ向かう途中、一匹の雌犬の後を三匹の雄犬が付けているのをみて、「あの犬も起請を貰ったのかな」というクスグリもいい。
登場人物の演じ分けもよく出来ていて、今年度の大賞を狙うに十分だったように思う。

仲入り後の菊志ん「小言幸兵衛」、実力者揃いの円菊一門の中で着実に腕を上げている若手真打だ。二ツ目の菊朗の頃から着目しているのだが、予てから「青さ」が抜ければ化けるのではと期待していた。
「小言幸兵衛」は圓生の名演があり、どうしても圓生のリズムで演りたがる人が多いのだが、あれは相当の実力がないとムリだ。
菊志んは始めから終わりまで一貫して同じテンポで通したが、これが成功した。時間の関係からか最初の豆腐屋を割愛したが、その不足を感じさせない。
息もつかせぬ言い立てに、仕立て屋もついつい「心中」に至る経過を納得してしまう。こういう演出もあるんだと納得した。
芝居を語るシーンがもっと丁寧になれば、より完成度が高くなると思う。

U字工事「漫才」、お国自慢のネタはロケット団とかぶるが、ツッコミのキャラが濃い分、客席からの笑いが多かったようだ。
TV出演も多い二人だが、こうして金を払って見に来る客の前で演じてこそ芸は上達できる。ボケ役の「間」に少しズレが見られたのが残念。
                  
左龍「甲府い」、ここまで熱演が続き、客席も大いに沸いていたせいか、第一声が「今日はもう十分でしょう」、少々やり辛かったのかな。
折り目正しい本格古典で結構だったのだが、終盤のやや湿っぽい演出が気になった。筋が筋なので、もっとカラッと演じる方が後味が良いように思う。
それと、トリの演目として「甲府い」はどうなんだろう。もっと別の選択があったと思われるのだが。

色々と収穫の多い花形演芸会だった。         

2012/02/04

「指定席の膝送り」って、どうでしょう

「膝送り」(意味)座ったままで順にひざをずらして席をつめること。
昔の寄席は畳敷きが多く、座布団にすわって聴いていた。最初のうちはバラバラでいるが混んでくると係員から「お膝送り願います」と声がかかり、客は前から順に席をつめていた。
寄席の多くが椅子席になった今では、末広亭の桟敷席でしかこうした光景が見られなくなったと思っていたら、先日池袋演芸場でこの「お膝送り願います」の声を久々に聞いた。
空席めがけて客が座りに行くのではなく、座っている人が前方あるいは中央部に向けて席をずらしておいて、空いた所に座る方が合理的ではある。

演劇やコンサートだけではなく、落語の世界でも定席以外のホール寄席や独演会の大半が指定席になっている。
クラシック・コンサートでは開演中の入場を禁止する例も多いが、芝居や寄席では途中入場が認められているのが一般的だ。
ただ大事なシーンで遅れてきた客が入り込んでくると、時に興がそがれる。
先日も観劇の最中、木製の階段をカツカツと大きな靴音を響かせながら前方の席に座った女性客がいて腹が立った。
交通事情などで本人の責任に帰しえない理由で遅刻する場合もあり、一律に入場禁止にするわけにもいかない。

そこで提案だが、指定席であっても開演直前に「膝送り」したらどうだろうか。
例えば、開演5分前になったら既に着席していた客に「膝送り」を促す。後ろの人は前に脇の人は中央へ向かって、それぞれに席を移動して貰う。
席を移りたくない人はそのまま所定の席に着いていても良い。
遅れて来た人は空いた席に座るようにすれば、開演中の客席にさほど迷惑を掛けずに済むし、後から来た人も気兼ねなく着席できるのではなかろうか。
ヨーロッパの公演では既にこうした方法が行われていると聞く。
最初は戸惑いもあるだろうが、慣習化すればスムースに行くと思う。
もっとも落語の場合は、途中からの人は後ろで立ち見をして貰い、出演者の入れ替えの時に着席すれば良いのでは。

検討の余地があると思うが、いかがだろうか。

2012/02/02

立ち見の出た「池袋2月上席・昼・初日」(2012/2/1)

2月1日新宿で午後4時から友人と会う約束ができ、急に思い立って池袋演芸場上席・昼の部の初日に出向く。
平日の昼にも拘らず顔づけのせいか入りが良く、途中から立ち見も出た。
ケチな性分で寄席は前座からトリまで観るのを常にしているのだが、そんなわけでこの日は番組の最初から入り、膝の前で途中退場。いちおう出口に最も近い席にいて周囲に迷惑をかけないよう退出した。
この日の主任・馬石さんには、失礼してしまいした。

<  番組  >
金原亭馬吉「子ほめ」
ダーク広和「奇術」
蜃気楼龍玉「ぞろぞろ」
桂文雀「表彰状」
林家ペー「漫談」
桃月庵白酒「つる」
金原亭伯楽「猫の皿」
鏡味仙三郎社中「太神楽」
柳家喬太郎「極道のつる」
-仲入り-
柳家三三「不孝者」
五街道雲助「垂乳根」
(ここで退出)

寄席というのは出演者全員が協調してひとつの芝居を構成する場ではあるが、それぞれが個人芸である以上互いに競合する場でもある。
「協調と競合」は寄席の特徴であり、魅力でもある。
この日のトリは隅田川馬石だったので、師匠雲助以下一門の人たちは軽い噺を選んでいる。
白酒は十八番でもある「つる」。このネタをこれほどの爆笑編に仕立てのは白酒の功績で、いつもの通り客席は大受け。
それに対して中トリの喬太郎はまさかの「極道のつる」。「つる」の隠居と八五郎を極道の親分と子分に置き換えた改作で、”付く”ネタは避けるという寄席の原則に敢えて挑んだものとみえる。
”狂気”とも思える過剰演出の中にどこか醒めた自分を残していて、いかにも喬太郎らしい高座だった。客席は爆笑の連続。
喬太郎が真剣勝負に出るほど、白酒の実力と人気が高まってきた証拠ともいえる。

食いつきに出た柳家三三「不孝者」。仲入り前の狂った高座を抑えるように、一転して選んだのは人情噺風のネタ。道楽息子のお蔭で大店の主人とそのかつての愛人だった芸者が再会し、もう一度人生をやり直そうと誓い会う大人の純愛物語。
三三の高座は大旦那に風格がやや欠けるものの、芸者が愛おしい。恨みつらみを言い立てながら、男に心が惹かれてゆく切なさが良く出ていた。
この後に雲助「垂乳根」が続き、後半は高座も客席もすっかり落ち着いた雰囲気になっていた。
こういうのが寄席の見所の一つだ。
他に、龍玉「ぞろぞろ」は丁寧な高座を見せていた。この人が師匠の芸風に一番近いかも。
文雀「表彰状」は新作で、泥棒が悪事をやろうとすると全てが善行になってしまうというストーリー。トボケタ味が出ていた。
林家ペー「漫談」はライブでは初めてかも知れない。もっと寄席に出て欲しい芸人だ。
今日の顔ぶれの中では異色とも思える伯楽、「猫の皿」で元気な姿を見せてくれた。

満員の客席は満足したに違いない。
池袋2月上席は夜の部も充実していそうなので、チャンスがあれば観に行きたいのだが。

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