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2012/02/08

「警察のノルマ」の危険性

先月に起きた小さな事件だが、私たち市民生活を送る上で見逃せない事件として、「警察のノルマ」をとりあげたい。
神奈川県警は1月26日、自転車盗難事件を捏造し容疑者を検挙したとの虚偽の捜査書類を作成したとして、中原署地域課巡査の仲田正彦容疑者を虚偽有印公文書作成などの容疑で逮捕した。
仲田容疑者は友人の男性2人に犯人役と被害者役を依頼し、昨年9月に犯人役の男性に被害者役の男性が所有する自転車を無灯火で運転させて職務質問した上で、同署へ連行して虚偽の供述調書を作成した疑いが持たれている。犯人役の男性は逮捕や書類送検をしない微罪処分となっており、仲田容疑者から報酬として現金6,000円を渡されたという。
仲田容疑者は容疑を認め「検挙した実績が欲しかった」と語っているという。
この事件は、かねてから取り沙汰されてきた警察のノルマ至上主義を図らずも露呈したものだと言えるだろう。
警察にノルマがあることは退職警官の証言などでも知られているところだ。
神奈川県警の場合「取締りの目安」という数字が使われている。
2005年実績によると、駐車違反の検挙目安が20万0,500件に対して実績が20万3,825件、信号無視が2万3,780件の目安に対して実績が2万2,695件と、どの項目も目安に近い数字の検挙が行われている。
ここまで数字が一致しているのだから、やはりノルマと見做して良いだろう。

警察が検挙数をノルマにすれば、それに対応する違法行為が存在しなければならない。悪いことをする人間がいなけりゃ検挙もできない。そうすると今回のように数字が達成できないときは「犯人」を作るしかなくなる。
この事件は交通違反の取り締まりに関して起きたものだが、他の刑事事件ではノルマは存在しないのだろうか。
元警察官の証言などでは、拳銃の取締まり月間になると知り合いの暴力団に頼み、拳銃を提出してもらうケースがあるようだ。この場合の見返りは捜査情報の漏えいとか。こっちの方が冒頭の事件より遥かに悪質だが表沙汰にならないようだ。
もし公安警察にもノルマがあったりすると更に恐ろしいことになる。

ノルマの達成が至上命令となると、ノルマに影響するような捜査には注力するが、ノルマに関係せず手間ばかりかかるような事柄を避けるようになる危険性がある。
オウムの逃亡犯である平田信が出頭したさい門前払いを食らったのは、出頭だと点数にならないからでは等とついつい勘ぐりたくなる。
ストーカー事件などで被害者や家族が再三警察に相談しても放置されるのは、手数がかかる割には査定に影響しないので敬遠されるせいなのだろうか。

一般論としてはノルマは決して悪い事ではない。警察も一定の目標を持って捜査にあたる必要もあるだろう。
しかしそれは検挙件数や反則金ノルマであってはならない。
それより交通事故や犯罪発生率を抑えることを目標にすべきではなかろうか。
警察が努力した結果、事故や犯罪が減ったとなれば誰もが評価する筈だ。
少なくとも警察内部の犯罪を誘発するような「ノルマ」は廃止すべきだろう。

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コメント

警察に限らず売り上げ目標とか勤務評定におけるマイナス評価人数割合とかコスト削減とか、、世の中ノルマだらけ。
それが人を歪にしていますね。

佐平次
かつて「ノルマ」は社会主義の専売特許でした。それがいつの間にか資本主義社会の中でも定着してしまった感があります。
社会主義=ノルマ=悪、という構図はどこへ行ったのかな。
警察にも検挙ノルマや反則金ノルマがあることを初めて知り、これは行き過ぎだと感じて記事にした次第です。

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