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2012/03/29

売春防止法と落語

先日、一之輔の「明烏」でのマクラに苦言を呈したところ、いくつかコメントが寄せられました。レスで書き足りならなかった点を補足します。
落語には廓噺というジャンルがあり沢山の作品が残されています。また三代目三遊亭金馬の著書をみると、かつての落語家の世界ではいわゆる「飲む・打つ・買う」は必修科目だったようで、これが出来ないと仲間外れにされたとあります。
だから売春防止法が出来た時は衝撃的だったんでしょう。
その後、噺家が廓や吉原を題材にしてネタを演るさいに、「いいとこでしたよ、あそこは。それが昭和33年3月31日で無くなっちゃいましてね。親の命日は忘れても、こっちは忘れねぇ。」なんてやってました。

この法律の制定には婦人議員が熱心だったところから「なんとかいう女の代議士が『あんなものは要りません』って言って、それで無くなっちゃた。そりゃ要らないだろう、てめえはババアだから。だけどこっちは要るんだよ。」というのもありました。ただ文楽や志ん生といった一流どこは、こういうマクラを振らなかったと思います。
今ではかつての吉原を経験した噺家が少なくなり、上記のようなマクラを振る人もあまりいなくなった。
そこに若手の一之輔がこのマクラを使ったので、私としては違和感があったという次第。

もちろん事実は、女性議員が言っただけで法律が出来たというような簡単なことではありません。
戦後、GHQの指令により1947年(昭和22年)に公娼制度の廃止の勅令が出されますが、いわゆる赤線地帯(別名を特殊飲食店街といい、吉原、新宿2丁目、玉の井などがあった)は取締まりから除外されていました。
しかし女性たちが道路で客引きをして風紀が乱れるということや、人身売買などの問題がクローズアップされ、最終的には「売春防止法」として、
1956年(昭和31年)5月成立
1957年(昭和32年)4月1日から施行
1年間の猶予期間の後、1958年(昭和33年)4月1日から刑事処分を適用
となったのです。
地方議会から実施の延期を求める決議だとか、赤線業者による自民党へのロビー活動だとか巻き返しの動きもあったのですが、業者と議員との贈収賄事件に発展し、尻つぼみに終わったようです。

ただ「売春防止法」という法律は売春それ自体への罰則は無く、処罰の対象は勧誘、斡旋、利益供与、場所の提供、管理売春、資金提供などに限定されています。
売春を完全に禁止するとなると、色々弊害が大きいのでしょう。
それと客側の買春は処罰の対象にはなりません。やはり男には有利になっているんです。
こうした抜け道があるので、現在も形を変えて売春は行われています。決して「無くなった」わけではない。

落語に出てくる吉原の風情ですが、恐らくは江戸時代から明治頃までではないでしょうか。
関東大震災で一度焼失してしまい、象徴である大門(おおもん)も廃止されています。そして東京大空襲でもう一度焼失してしまいました。
戦後の営業形態は、1階は飲食店やダンスホールにして、2階を本業の場所(貸座敷)としていたようです。
映画や小説での知識しかありませんが、少なくとも落語の世界で描かれているような様子とは全く違います。
仮に「売防法」がなくても、昔の吉原の風情が残されたとは思えません。花柳界ですら衰退しつつあるのですから。
「吉原は遠くなりにけり」です。

2012/03/27

自衛隊の個人情報収集に「違法」の判決

陸上自衛隊がイラク派遣反対運動の参加者を監視して個人情報を集めたのは違法だとして、情報収集の差し止めと損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(畑一郎裁判長)は3月26日、原告5人に計30万円を支払うよう国に命じる判決を言い渡した。「情報収集は人格権を侵害し、違法」と判断したものだ。
自衛隊による情報収集の違法性を指摘した判決は初めてとのこと。
判決では、「自分の個人情報を収集、保有されないようにコントロールする権利は、法的に保護に値する利益として確立している」と指摘。情報保全隊の情報収集によって5人が「個人情報をコントロールする利益、すなわち人格権を侵害されたといえる」としている。

陸上自衛隊情報保全隊による監視活動はかなり広範囲なもので、明らかにされた内部資料によれば、2003年12月から2004年3月までの4か月間だけでも11部の文書が作成されていた。
文書には多数の個人名が書かれ、デモの様子や行動、参加者の写真などが掲載されていた。
うち5部は「情報資料について(通知)」と題して、医療費負担、年金制度、消費税増税などの反対運動に関する詳細な記録で、いずれも自衛隊とは無関係な内容となっている。
別の6部は「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」と題するもので、41都道府県、289団体・個人によるイラク派遣反対の運動を記録している。
監視対象は映画監督、画家、写真家、ジャーナリスト、国会議員から高校生までの広い範囲に及んでいる。
また市町村議会の動向、マスメディアの取材活動、さらには宗教団体の動きまで対象にされている。
街頭宣伝を行った者については個人名や肩書まで記し、あるNGO関係者に関しては居所まで特定されていた。

陸自情報保全隊は全国で1007人いて、目的は「自衛隊に対する外部の働きかけから隊員や部隊を守るために情報を収集し整理する」と定められている。
しかし前記文書で見る限りではその目的を大きく逸脱しており、何か別の目的に使用するつもりがあるのではという疑念さえ生じる。
今回の裁判でも国側は情報収集をした理由や動機を説明せず、内部文書についても「国の安全保障に影響を及ぼしかねない」として存否の判断を避けた。
なんだか戦前の「軍機(軍の機密)」を思わせる。

もしかすると、今回のこうした記事も監視の対象にされるのかも知れない。
そう考えると、空恐ろしい。

2012/03/26

「一之輔真打昇進披露興行」鈴本・中日(2012/3/25)

3月21日より鈴本演芸場下席をかわきりに「春風亭一之輔真打昇進披露興行」が始まったが、その25日に出向く。土日は前売り完売とのことで満員の盛況。
一之輔の真打昇進については2年前頃より落語ファンの中から熱望する声が上がっていたが、落語協会は1年の空白をおいて、いきなり一人昇進させた。実にニクイ演出だ。
今回の抜擢人事については賛否もあるようだが、一之輔にその実力が備わっていることは大方が認めるところだろう。
芸人は芸が優れていることは勿論だが、人気稼業である以上やはりスター性が求められる。過去に抜擢され評判となった志ん朝、小朝はいずれもスター性も備わっていたし、一之輔についてもそうした面が評価されたことは想像に難くない。

<  番組  >
三遊亭金兵衛「牛ほめ」
春風亭勢朝「落語家親子の物語」
林家正楽「紙切り」
春風亭正朝「浮世床(本)」
鈴々舎馬風「漫談」
ロケット団「漫才」
柳亭市馬「蝦蟇の油」
三遊亭圓歌「漫談」
春風亭一朝「岸柳島」
~仲入り~
「真打昇進披露口上」(下手から)たい平・市馬・一之輔・一朝・馬風・圓歌
鏡味仙三郎社中「太神楽」
林家たい平「粗忽の釘」
柳家小菊「粋曲」
春風亭一之輔「明烏」

高座はいつもと違って華やかで、背景にはお祝いの後ろ幕が下がり、上手には贈答の菰樽が積まれる。
お祝いムード一杯の高座は正月興行に似て、各出演者らは短い時間で軽く演じて下りてゆく。
それでも正朝「浮世床」、たい平「粗忽の釘」は短縮版ながら楽しませてくれ、師匠の一朝が「岸柳島」で前半を締めていた。
「真打昇進披露口上」はたい平が司会したのだが、いきなり「襲名披露興行」と切り出し訂正する一幕も。
お祝いの口上になると馬風が存在感を示す。声がよく通るというのがいい、人間何か取り柄があるものだ。
珍しく口上の舞台で、たい平が打ち上げ花火を口まねで、市馬が相撲甚句をそれぞれ披露した。
一朝が入門当時の一之輔が無口で大人しかったと思い出を語っていた。しかし寄席への情熱は私以上だったと言っていたが、あながちお世辞だけではないんだろう。

いよいよ大歓声の中で一之輔が登場、演目は「明烏」。
見た目は全く平常、この人の神経の太さには感心させられる。またそうでなけりゃ、連続50日間の披露興行がもたないだろうけど。
一之輔の「明烏」は初めてだったが、全体としては意外にオーソドックス。
独自の演出としては、主役の源兵衛と太助について、特に太助のワルぶりを際立たせていた。時次郎は父親からいわれるままに「あなた方は町内の札付きで、悪の根源」と喋ってしまうが、後から太助に「俺は傷ついたんだぞ」言わせていた。
太助は「吉原の法」を説く時には凄みを利かせ、翌日時次郎が浦里と懇ろになったと知って怒り、持っていた甘納豆を投げつけ階段を駆け下りて行ってしまう。
源兵衛と太助の役割分担をクッキリとさせる演出法だった。
宴席で泣いている時次郎をオバサンが強引に連れだす場面では、志ん朝以来、時次郎が「二宮金次郎という人は・・・」と説教する演出がとられているが、一之輔はここを「ナイチンゲールという人は・・・」で演っていた。確かに相手は女だから、金次郎よりナイチンゲールの方が相応しいかも知れない。
ひとつだけ苦言を呈したいのが、マクラで”売春禁止法で女性代議士が「あんなもの要りません」と言ったけど、本人はババアだから要らないだろうが男は要る”と語った箇所。
こういうのは年配の噺家が言う分には構わないが、若手が言うのには抵抗がある。
一之輔のファンには年配のご婦人も多く、ババア呼ばわりは不快な思いをさせないとも限らない。
市馬が諭していたように、女性には注意が必要だ。

一之輔の「明烏」、まだまだ発展途上とみた。
これからまた何度も聴く機会があるだろうが、どう変えていくのか楽しみではある。

2012/03/25

桂まん我「三十石・通し」(2012/3/24)

桂まん我・長講「三十石夢の通い路」が3月24日、内幸町ホールで行われた。まん我は文我の弟子で「平成23年度NHK新人演芸大賞」を受賞しているが、当方は初見。
大阪の若手落語家が上方落語の大ネタ中の大ネタに挑戦ということで出向く。
ゲストは白酒だったが、今週4度目。と言っても別に追っかけやストーカーじゃありません、単なるめぐりあわせなので為念。

<  番組  >
桂二乗「阿弥陀池(あみだがいけ)」
桂まん我「幇間腹(たいこばら)」
桃月庵白酒「松曳き」
~中入~
桂まん我「三十石夢の通い路」

二乗「阿弥陀池」、芸名の由来は京都の二条に住んでいるからとか。
このネタ、東京では先代・昔々亭桃太郎が改作した「新聞記事」でお馴染み。
先代の桃太郎、一度だけ高座を観たことがあるが上手い人だった。第一声が「桃太郎さんでございます」。戦前はすごい人気者だったそうだが、なぜか戦後は不遇で今ではすっかり忘れ去られた噺家になってしまった。
新聞記事の方は「天麩羅屋の竹さん」だが、こちらは「阿弥陀池の尼さん」と「米屋」。時代設定は古いが話としてはやはりオリジナルの方が良く出来ている。
二乗の高座はやや力が入っていたような感じで、もっと軽く演じるネタではなかろうか。

まん我の1席目「幇間腹」、これも東京落語でお馴染みだが、オリジナルは上方。
東京版では若旦那が幇間の腹に針を刺す時に痛がって針が折れるということになるが、上方版は針は刺せるのだが抜けなくなり、無理して抜くと腹の皮が破れるという設定だ。
オリジナルの方がリアルではあるが、それだけに聴いている側が「痛い」。
まん我のタイコモチの演技は良かったが、後味の悪さが残ってしまった感がある。

白酒「松曳き」、いうまでもなく十八番中の十八番。
今回で3度目だと思うが、毎回細部を少し変えている。今度はここを変えたなという発見も楽しみのひとつで、もしかすると白酒のサービス精神なのか。
終盤に立て続けにカンダのが惜しまれるが、客席は終始爆笑。ゲストながらこの会の笑いを一人でさらってしまった。

まん我の2席目「三十石夢の通い路」。
結論からいうと、あまり良い出来だったとは思えない。
理由は本人の「さあ、演るぞ」という気負いというか意気込みが伝わってきて、客席にも緊張感が漂ってしまった。
それとネタが完全に入っていないのか、言葉を言い淀んだり言い間違えたりする箇所が少なくなく、全体のリズムを損ねていた。
この演目は当方が日頃から桂米朝と三遊亭圓生のCDや桂枝雀のDVDを愛聴していて、それが頭に残っているものだから、どうしても点数が辛くなってしまうきらいはある。
そのことを差し引いても、まだまだ完成度に不満が残る高座だった。

2012/03/22

#26白酒ひとり(2012/3/21)

3月21日、国立演芸場で行われた第26回「白酒ひとり」へ。
文字通り白酒ひとりで3席演るこの会は人気が高く、平日にもかかわらず前売り完売。

<  番組  >
前座・柳家さん坊「子ほめ」
桃月庵白酒「平林」
桃月庵白酒「禁酒番屋」
~仲入り~
桃月庵白酒「明烏」

白酒の1席目「平林」、前日に風邪で発熱したとかで医師の診断を受けた話とか、某アイドルに落語を教えているとか(これも自分の会のPRだったようだ)、採りとめのないマクラをダラダラと。あんた小三冶かい。
熱烈なファンはこの手の話題も興味津々かも知れないが、コチトラには退屈なだけ。
談志の会で、マクラにイライラして「早くネタに入ってよ」と野次る客と談志が喧嘩していたことがあったが、客の気持ちが分かる。
体調が悪いので時間稼ぎかと思っていたら、演目は「平林」。やっぱり。
独演会に掛けるネタじゃないね。

2席目「禁酒番屋」。これも恒例の、客のアンケートに書かれていた質問に答えるコーナーが最初に行われる。
いつも思うのだが、せっかく質問するならもうちっと気の利いたことが訊けないんだろうか。ただ鈴本でのトリのネタ出しの話だけは参考になった。
「禁酒番屋」だが、前回聴いた時よりややアッサリ目か。
カステラと偽って酒徳利を持ちあげる際に際に思わず「ドッコイショ」。見咎められると「ドイツの将校」に、番屋の侍は「よけい怪しいではないか」。
中味は水カステラと言い張り、名前が「ゲロルシュタイナー」。
字に書くと面白味は分からないかもしれないが、実際に聴くと爆笑モノ。
ようやく白酒のエンジンがかかる。

3席目「明烏」。マクラで先日行われた雲助一門「双蝶々・通し」の話題に。
白酒が入門した当時の雲助は普通の滑稽噺を得意としていて、そういう師匠に憧れての弟子入りだったよし。その後芝居噺や人情噺が評価され、そちらが主になってきた。後の二人はそれ以後に入門したので芸風も違う。ああした企画は白酒としてはやり辛かったと。多少エクスキューズ気味ではあったが、事情は理解できた。
さて本題だが、このネタの主役は源兵衛と太助だ。日本橋田所町・日向屋半兵衛、商人にとって荒くれ者というのは時には商売の妨げに、時には利用価値がある存在で、これは今も昔も変わらない。だから時々源兵衛には小遣いを渡し手なずけていたんだろう。倅の時次郎を吉原に誘うよう頼んだのも源兵衛、それに相棒の太助が付いてきた。
源兵衛は半兵衛との手前、とにかく時次郎のご機嫌を取り首尾よく筆おろしを済ませたいという一心。時次郎も何かといえば源兵衛の方を頼りにする。それに対して太助は直接の義理は無いのだから少し距離を置いている。その代り時次郎があまりに駄々をこねたりすれば、強面になって脅すことも出来るわけだ。
二人には明確な役割分担が存在し、上手い人が演ると会話の中でどちらが源兵衛でどちらが太助かハッキリと分かる。
白酒の欠点は、この二人の演じ分けが不明確だ。
その点を除けば、独自の毒のあるクスグリが生きていて面白く仕上がっていたように思う。

白酒の独演会の中では平均点以下の出来だったが、ナマモノだからこういう時もあるさ。

2012/03/21

#25この人を聞きたい「春風三人会」(2012/3/20)

春分の日に中村学園フェニックスホールで行われた”第25回この人を聞きたい「春風三人会」”へ。
その三人とは三遊亭遊雀、隅田川馬石、三遊亭兼好。
主催者は「アクセス教育情報センター」で、随分とお堅い名称だ。定員200名の会場なのにチケットは140枚しか発売しないという、いまどき珍し殿様商売。実際の入りはおよそ100名を少し超える程度かと、祝日でこの顔ぶれにしては寂しい。あまりPRしてないせいだろうか。常連が多いらしく客席のアチコチで挨拶が飛び交っていた。
校舎は清澄庭園の向かいにあり、いいロケーションだ。しかも女子高、なんとなく華やいだ雰囲気で出演者も嬉しそうだった(特に馬石)。

<  番組  >
前座・古今亭きょう介「小咄集(仮)」
隅田川馬石「幾代餅」
~仲入り~
三遊亭兼好「粗忽の使者」
三遊亭遊雀「宿屋の富」

会のタイトル通り春に因んだネタを選ぶのかと思ったら、春らしいネタということらしい。
三人の中で、馬石だけが会のレギュラーとのこと。
馬石「幾代餅」、こちらはキーワードが「3月」とあって季節はピッタリ。
良く似た噺に「紺屋高尾」があるが(その他に「搗屋無間」があるが近ごろでは演じられない)古今亭はこちら。双方ともに実在の人物らしいがエピソードの部分はフィクションのようだ。いずれも職人が大家の若旦那を名乗って見世に上がるのだが、手や指を見れば一発で職業がバレテしまうので有り得ないわけだ。
噺としては「幾代餅」の方がよく出来ている。吉原で流行っていた花魁の名をそのまま商品のブランド名にしたとこなんざぁ、今風だし気が利いてる。
馬石はこういうネタは得意と見えてソツなくまとめていた。ただこの人の喋りだと短い滑稽噺には不向きではなかろうか。落語家として大成しようと思えば滑稽噺の技術を磨くのは不可欠だ。その辺りが課題のような気がした。

兼好「粗忽の使者」、この日は絶好調。
春に因んだ時事ネタをマクラに振ったが、これで仲入り前の空気を一変させ、一気に客席を兼好の世界へ。イントロで客をしっかりと掴んでいた。
先ず兼好が描いた粗忽者だが憎めない性格という地武太治部右衛門の人物像に説得力がある。
演出上の工夫として、通常は大工の留公が仲間に使者と田中三太夫とのヤリトリを語って聞かせるのだが、二人の挨拶から尻をつねる経緯までは実際の場面をそのまま再現させていた。映画やドラマでいうとこの部分は再現シーンになる。この演出の方が臨場感があり、面白い。
細かなミスもあったが、全体にテンポも良く会場は大受け。兼好ワールド全開の一席。

遊雀「宿屋の富」、前日は有馬温泉での落語会だったそうで、小雪のちらつく中、なぜか屋外での開催だったよし。気温が5度位で高座も客席も凍えている状況。遊雀が得意の「初天神」をかけて、例の「おとっつあん、飴買ってくれよ」「今日は買ってやれねぇ」の繰り返しに差し掛かると、客席から「早く買ってやれよ。早く終わらせろよ。」の声が飛んだとのこと。客も寒かったのだ。
このマクラで今度は会場の空気を兼好から遊雀に変えていた。
マクラの重要性を再認識させてくれた。
このネタの二つの山場、二番富が当ると信じている男のエピソードで、男が女郎の献身ぶりを語りながら泣くシーンが秀逸。この人は泣き方が実にカワイイ。
次の宿の客が当り籤を確認するシーンでは、通常は自分の籤の番号と当りの番号を交互に読み上げながらという演出をするのだが、遊雀は声を出さす顔の表情の動きだけで当選の喜びを表現させていたのが新鮮。なるほど、こういう演出も効果的なんだ。

やはり遊雀と兼好はタダモノじゃない。

2012/03/19

鈴本演芸場3月中席・昼(2012/3/18)

柳家権太楼が芸術選奨文部科学大臣賞受賞を受賞した。目出度いことえはあるが、
その贈賞理由の中に「多くの演者が挑み続ける「芝浜」では、“権太楼の芝浜”とまで言われる境地を切り開いた。」とあるのが気に入らない。
「権太楼の芝浜」って、初めてきいた。そりゃ暮になれば毎年のように権太楼も「芝浜」をかけるが、そういう評価が定着しているとは寡聞にして耳にしたことがない。
権太楼の最大の功績はそうした特定の演目ではなく、とりわけ今回の落語ブームが始まる以前の時期に寄席を支えてきたことだと思う。
つい数年前まで、定席に権太楼の名前が無い日はなかったと思えるほどの活躍だった。口演は年間で600席を超えていたと本人が語っていたが、驚異的な数だ。しかも手抜きをしない。常に全力投球だ。
その努力とサービス精神こそが、権太楼の授賞理由ではなかろうか。

3月18日、鈴本演芸場中席昼の部へ。顔づけが良いのと日曜日とあってか一杯の入り。

前座・春風亭朝呂久「やかん」
<  番組  >
柳家さん弥「熊の皮」
ダーク広和「奇術」
柳家さん喬「そば清」
五明樓玉の輔「?」
ホームラン「漫才」
鈴々舎馬風「漫談」
柳家喜多八「いかけ屋」
ストレート松浦「ジャグリング」
五街道雲助「粗忽の釘」
-仲入り-
ぺぺ桜井「ギター漫談」
桃月庵白酒「替り目」
宝井琴調「寛永三馬術より愛宕の誉れ」
林家正楽「紙切り」
橘家圓太郎「火焔太鼓」

落語の師弟というのは他の古典芸能と異なり、芸の継承を伴わない。中には弟子に稽古をつけないことで定評があるような師匠もいるわけで、こうなると単なる形式上の師弟関係ということになる。
この日のトリ圓太郎と玉の輔は共に春風亭小朝の弟子だが、この二人が兄弟弟子だというのは想像もつかないだろう。
圓太郎の方は体育会系アウトドア派で、芸風も筋肉系だ。「火焔太鼓」の道具屋の女房はまるで女子レスラーみたいで、何かといえば亭主を脅す。まあ木下博勝医師とジャガー横田夫妻みたいな感じかな。
処が太鼓が300両で売れた途端に、亭主と女房の力関係が逆転する。今まで散々コケにしてきたのに、「ホントにお前さんは商売が上手だよ」と相成る。
小僧が太鼓を叩くときに分かったのだが、あの太鼓は11歳の少年の背丈位ある大きな太鼓だったんだ。そうすると風呂敷に包んで背負うのは無理があるかも知れない。
熱演で面白かったが、あまりに筋肉系で志ん生以来の軽妙洒脱さに欠けるような気がした。

弟弟子の玉の輔、いつ聴いても同じマクラ。もう理事になっているんだから、いい加減「我々若手が・・・」は止めたらどうか。嫌味に聞こえる。
タイトルが分からない新作を掛けていたが、印象が薄い。
二つ目当時は将来が期待されたが、どうも真打になった辺りからパッとしなくなったように思う。芸に甘えがあるのだろうか。

朝呂久「やかん」、さん弥「熊の皮」共に良い出来だった。

さん喬「そば清」は持ち時間をオーバーしたのでは。こういう浅い時に上がって、こういうネタを掛ける、さすがはさん喬だ。
前に聞いたことがあるが、寄席の持ち時間というのは12分とか15分とかだいたい決まっているものだが、人によって長短があるらしい。
短い方は先代の小せんが代表的で7分、長い方はさん喬で20分、立前座はこうした個性を計りながら進行を考えていくのだそうだ。

喜多八「いかけ屋」が聴けたのは嬉しい。二代目桂小南が得意としていたが、あまり演る人がいなかったように思う。こうした珍しいネタを演じてくれるのがいかにも喜多八らしい。

雲助「粗忽の釘」、粗忽な亭主が隣の家に上がり込み、女房との馴れ初めを語るところが聴かせどこ。雲助のは女が台所で茶碗を洗っていると、男が背後から八ツ口に手を入れてコチョコチョっとくすぐる、「腋の下はやめて、くすぐったいから。そこは腋の下じゃない!」とは実に色っぽい。
そうか、着物の八ツ口っていうのは、そういう為にあったのか。新発見。

代演で白酒が出てきて、近くの若い客が大喜びしていた。
鈴本は上手から高座に上がってくるので、席は空いている限り下手の端と決めている。出番を控えた芸人の姿が見えるからだ。
この日の白酒をみていたら、掌に人という字を書いて飲む格好を三度繰り返していた。普段の高座姿からすれば意外な感じがした。
こういうのも寄席の楽しみのひとつ。

2012/03/15

雲助一門「双蝶々・通し」(2012/3/14)

3月14日、日本橋劇場で行われた「五街道四門三月双蝶々初夜」へ。歌舞伎風のタイトルをつけているが要は雲助一門による人情噺「双蝶々・通し」公演。
この演目は三遊亭圓生による録音がよく知られている。
全編2時間近い長講となるため、通常は「下・雪の子別れ」のみが高座にかかることが多い。
最近では雲助や弟子の馬石による通し口演が行われていたようだが、一門4名によるリレー口演は初の試みだろう。
オリジナルは圓朝作とされる。
なお歌舞伎に「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわのにっき)」という芝居があるが全く別物。ただタイトルの「双蝶々」は芝居と同様で、長兵衛と倅・長吉の二人の「長」から名付けたもの。

<  番組  >
桃月庵白酒「長屋」
蜃気楼龍玉「定吉殺し」
五街道雲助「権九郎殺しー芝居掛ー」
~仲入り~
隅田川馬石「雪の子別れ」

ストーリーは。
棒手振り八百屋の長兵衛の倅・長吉は、小さいころから手に負えない悪。
継母のお光に小遣いをせびり、断られると大暴れ。酔って帰ってきた長兵衛には母親から虐められていると告げ口し、お光を殴らせる。
仲裁に入った大家が、長吉が普段から盗みをはたらいていると告げる。事実を知った父親は長吉を真っ当な人間にするため黒米問屋・山崎屋に奉公に出す。

奉公先で改心したかに見えた長吉だったが、十八のとき悪友と組んで盗みを働いているところを、不審に思って付けてきた番頭の権九郎に目撃されてしまう。
店に戻った番頭は長吉に盗みを白状させるが、主人には内緒にする代わりに、花魁を見受けする金五十両を主人の部屋から盗み出せと強要される。
まんまと金を盗み出すが小僧の定吉に見咎まれてしまい、その場で定吉を絞殺する。

約束の場所で長吉は番頭と出会うが、むざむざ金を渡すのが惜しくなり番頭を殺して奥州へ逐電する。

長兵衛夫婦は倅の悪事を知り、世間に顔向けが出来ないと長屋を転々とし、本所の裏長屋に越したころには、長兵衛は腰が立たない病になる。
貞女のお光はお百度詣りと偽って内緒で袖乞いをし、ようやく食い繋ぐ日々。
寒風吹きすさぶ中で袖を引いていると、一人の若い男が身の上を気の毒がり三両恵んでくれる。
眼と眼を合せると、それが別れた長吉。今は石巻で魚屋を営んでいるが、一目父親に会いたくて江戸へ出てきていたのだ。
長吉はお光に連れられ父を見舞う。長吉は長年の親不孝を詫びて五十両という金を渡すが、長兵衛はそれよりきっぱりと悪事から足を洗えと諭す。
お互い言い争いになるが、長兵衛は最後は長吉をゆるし、涙ながらに今生の別れを告げる。
雪の降る中、長屋を去った長吉だったが、吾妻橋の手前で追手に取り囲まれ御用となる。

改めて4人並ぶと、やはり白酒だけが異質であることが実感される。語り口からして師匠の芸風とは大きく異なる。
普段は上手さの光る白酒だが、こうした人情噺になるとむしろ馬石や龍玉より劣る感じさえする。
そういう意味ではトップバッターに起用したのは当りだった。
得手不得手は誰にでもある。滑稽噺と人情噺両方が上手いというのは落語家として理想だろうが、実際には数少ない。近年では圓生が第一人者、現役では雲助ぐらいではなかろうか。

龍玉の高座は、番頭が長吉の悪事をあばきながら、引き換えに盗みを強要するシーンに迫力がある。着実に力を付けてきているのが分かる。
長吉が小僧を手拭いで絞め殺す場面は、ゾクッと鳥肌が立った。
この人が一番師匠の芸風を継いでいるような気がする。

雲助は芝居仕立てで、番頭・権九郎殺しのシーンのみ演じた。
自ら振り付けたと思われる所作は息を呑むほど凄惨で、正に雲助の独壇場。
最後は鮮やかに六方を踏んで花道を駆け抜ける。お見事。

トリの馬石、最後を締めくくるに相応しい好演。
長吉が芯からのワルではなく、境遇のせいで悪事に走ったという人物設定に説得力がある。
長兵衛と長吉父子が最後まで意地を張りあいながら、お互いの身を案じつつ今生の別れを告げざるを得ない場面は涙を誘う。
母親のお光を含め人物像が鮮やかで、「雪の子別れ」として出色のでき。

全体を通して、雲助一門の芸の水準を示す好企画といえる。
二階席に空席が見られたのが残念と思われるほど、充実の会だった。

2012/03/11

春風亭一之輔独演会(2012/3/10)

3月10日、横浜にぎわい座で行われた「春風亭一之輔独演会」へ。ゲストに三三を迎え一杯の入り。
意外だが一之輔はにぎわい座は初めてだそうで、今までは専ら地下の「のげシャーレ」での公演だった。昇進と共に会場も下から上へ移動というわけだ。
21日からいよいよ真打昇進披露興行が始まるが、今やこの話題は落語界の大きなイベントになりつつある。
定席と国立での50日間の興行とは別に、各地のホールでの興行も計画されていて、そちらには落語協会以外の噺家もゲスト出演する。
既に鈴本と末広亭の出演者は公表されているが協会側からは最高顧問と副会長、後は師匠を始め春風亭(林家)一門のメンバー、つまり彦六の正蔵門下が顔を揃える。注目の会長・小三冶の名はない。
この日も会場で本人が前売りチケットを宣伝していたが、昇進披露パーティも終えて気分は最高に昂ぶっているに違いない。

<  番組  >
前座・春風亭朝呂久「のめる」
春風亭一之輔「あくび指南」
柳家三三「妾馬」
~仲入り~
春風亭一之輔「不動坊」

前座の朝呂久は三田落語会ではレギュラー前座並みの扱いを受けてきたが、回を追うごとに上達していくのが分かった。今秋の二ツ目昇進は順当なところだ。独自のクスグリも入れた落ち着いた高座でセリフの間も良い。
今後は芸人としての見栄えにも気を配って欲しいところだ。

ゲストの三三、軽いネタかと想像していたが「妾馬」をタップリ。自分の会より気合が入っていたように見えた。
路上でお鶴を見初めた殿様の家来が大家を訪ね、娘を奉公に出すよう鶴の母親と兄の八五郎に承諾を求めるという演出が目新しい。八が長屋の月番として井戸の釣瓶の修理をしているという演出も独特だと思う。
この間のヤリトリで、彼らが住む長屋の雰囲気が表現されていた。
八が屋敷を訪ねる場面では、八五郎の傍若無人ぶりと田中三太夫の狼狽えぶりが強調され、面白く仕上がっていた。
ただ八も三太夫も殿様もセリフのリズムが同じで、「らしさ」に欠ける。
殿が赤ん坊を祖母に合わせるという約束をするという演出と共に、やや疑問の残るところだ。

一之輔の1席目「あくび指南」。
何の役にも立たない「あくび」を指南する、それを金を払って稽古に行く男、数ある落語のネタの中でもこれほどバカバカしい噺は他にあるまい。
演出は大きく二つに分かれ、一つは夏の昼下がりの座敷でノンビリと欠伸を教えるという設定で、これぞ倦怠の極み。あまりの退屈さに客席のお客が思わず欠伸をすると、噺家がすかさず「ああ、お客さんは器用だ」で落とす。
もう一つは志ん生に代表される爆笑版で、途中で「濠からつーっと吉原へ上がって・・・」と脱線して指南番を困らせる。
一之輔の演出は後者で、これも近ごろの傾向で欠伸の稽古の目的が稽古所の前で掃除していた美女を目当てという設定で、お目当ての美女が実は指南役の奥方だったという風にしている。
表情や動きもオーバーにして客席を沸かしていたが、私の好みは前者だ。
季節も夏のネタで隅田川に浮かぶ小舟の上に乗った気分にさせてくれる。そういう演出が本来ではなかろうか。

一之輔の2席目「不動坊」。
このネタも上方から移植したもので、いくつか型がある。
一之輔は主人公の吉公が大家に「お滝さんは、あれはおれの女房なんだと、不動坊に貸してあるんだと・・・」と語らせていたので、先代小さんの型を踏襲しているようだ。
端折る所はザックリ端折り、笑わせ所はしっかりと演じて工夫されており良い出来だったと思う。
ただ最近の一之輔の高座ではやたら大声を出すシーンが多いように思う。
時期が時期だけに気負いも当然あるのだろうが、本来の惚けた味を殺しているようにも思えるがどうだろうか。

一連の披露興行を終えた後の一之輔がどう変わるのか、それも多いに楽しみだ。

「3・11」と「3・10」

東日本大震災から1年経ち、ようやく当時の政府首脳や官邸の動きが徐々に伝えられるようになった。際立つのは東電福島原発事故における情報の隠ぺいだ。
なぜあそこまで情報を隠そうとしたのか、その理由は明らかでないが、私見では住民の被害より「国家の治安」を優先させた結果ではないかと推測している。
大震災に引き続く原発の炉心溶融(メルトダウン)という現実が突き付けられたとき、もしこの情報をそのまま国民に流せば国内が混乱すると考えたのではなかろうか。現に当時の菅首相の「このままでは外国勢力による侵略ウンヌン」という発言が記録されている。だから大震災の衝撃がいったん収まってから事実を公表する、そうすれば混乱は最小限に食い止められる、そう判断したものと思われる。

話は変わるが、昨日3月10日は東京大空襲の日で、記念行事や慰霊祭が行われた。1945年の終戦の年はこの東京を皮切りに全国の都市で米軍による空爆が行われ、多数の非戦闘員(一般国民)が犠牲となった。
敗色が濃厚となっていた政府は一方で第三国を通じての終戦和平交渉を進めながら、その一方で国民に対してはそうした事実を隠ぺいし「本土決戦」を標榜していた。
前年の1944年から在京の小学生たちはいわゆる学童疎開で地方に移っていた。私の兄も福島県の勿来に疎開していた。処が1945年の初めになって6年生だけは東京に戻された。その理由としては「本土決戦の時はお前たちも戦うのだ」と説明を受けていたそうだ。
政府は12歳の少年らも戦闘要員として勘定していたことになる。
兄の場合は母親と共に母の実家に疎開したので東京大空襲にあわなくて済んだが、そのまま東京にいた子供たちの中には大空襲で犠牲になった人もいた。
当時の政府は、空襲が激化してからわざわざ学童を東京に戻すような冷酷なことを平気でしていたわけだ。
全ては「国体護持」のためだった。この四文字の前には国民の生命などどうでも良かった。これは広島・長崎の原爆投下まで続くことになる。

国家は国家自身を守るが、そのためには国民を犠牲にすることは厭わない。
1945年の3月10日と2011年3月11日、その本質はあまり変わらないように見える。

2012/03/04

現代狂言Ⅵ(2012/3/3昼)

国立能楽堂で3月3日に行われた「現代狂言Ⅵ」昼の部へ。
野村万蔵と南原清隆が中心となって、狂言とコントを融合させるという新しい試みとして6年目を迎える。
狂言師がコントに参加しお笑い芸人が能の舞台で演技するという新鮮さが売り。併せて狂言へのイントロダクションも兼ている。
古典狂言とそれを現代風にアレンジした作品、それに新作の三本立て。
能楽堂はあいにくの工事中で、中庭に出られなかったのが残念。

<  番組  >
一、狂言「鈍太郎」
野村万蔵 南原清隆 平子悟
男が西国で成功し三年ぶりに家に帰ってくる。処が妻は誰かのイタズラかと思い、自分は再婚したと告げる。仕方なく愛人宅に行くと、これまたイタズラと思われて結婚していると告げる。
失望した男は剃髪して僧侶になってしまう。
翌日になって女二人は男が本物だと知り男を探し出すが、男は拒否する。
しかし、どうしても戻って欲しい女たちに男は次々と条件を出し・・・。
二、現代狂言「ふう太郎」
野々村真 中村豪 市川由衣 ドロンズ石本 石井康太 大野泰広
風船に乗ってアメリカを目指して飛び立ち、そのまま行方不明になっていた男が三年ぶりにヒョッコリ帰ってくる。妻と娘はイタズラと思って追い返す。
翌日になってイタズラではないことに気付き、当日が法要の日でもあったので幽霊だと判断してしまう。
その法要の真っ最中に再び家を訪れた男に・・・。
三・新作・現代狂言「ドラゴンキャッスル1.1」
佐藤弘道 南原清隆 安めぐみ 野村万蔵 野々村真 中村豪 市川由衣 ドロンズ石本 石井康太 大野泰広 森一弥
打楽器:和田啓 
管楽器:稲葉明徳
就活中の浦・島太郎が面接の時に知り合った「亀」に連れられて海底の「ドラゴンキャッスル」に連れて行かれる。そこには沢山の魚がいて楽しい生活を送っていたが、彼らはいずれもコンピューターで管理されている。
島太郎はコンピューター管理から外れたら自由になれる楽しさを教え、美しい乙姫様との恋に落ちるが・・・。

三本の芝居の中ではやはり古典の狂言「鈍太郎」が断然面白い。
しばらく家を空けていた男が突然帰ってくる、そのシチュエーションに起きる様々な悲喜劇は演劇のテーマの一つといって良い。
落語の世界でも「小間物屋政談」などでお馴染みだ。
この狂言では間違って追い返した女たちが戻るよう説得すると、男は都合の良い条件を次々と繰り出し吞ませてゆく。
「損を先にする」というのは交渉事の秘訣であり、笑いの中にそうした処世訓を散りばめているわけだ。

その改作である「ふう太郎」は、かつて世間を賑わした「風船おじさん」をモデルにしたものだ。
こちらは幽霊を間違われ、成仏させるべく再び風船で空に飛ばされるというオチ。
ドタバタぶりを面白く見せていたが、古典の深さにには遠く及ばない。

新作「ドラゴンキャッスル1.1」は昨年の舞台の再演。
人間がコンピューター管理されるという未来社会をテーマにしたものだが、最早遠い未来の話ではなく現実的なテーマとなっている。
それを竜宮城での未来社会という設定にしているところに、却ってリアリティが失なわれているように思える。
ギャグ満載で面白く見せていたが掘り下げが不足している。普遍的な作品にするのは未だ道のりは遠いだろう。

出演者では南原清隆と佐藤弘道がサマになってきた。平子悟は口跡が良い。
安めぐみは顔が下ぶくれで乙姫の扮装が似合っていて見栄えがする。ただセリフは感心しない。
その他演者も熱演でサービス精神旺盛だったし、演奏を含めてアンサンブルも良かった。

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