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2012/04/15

#12大手町落語会「この人この噺」(2012/4/14)

4月14日、日経ホールで行われた第12回大手町落語会「この人 この噺」へ。チラシによれば各人がこれ以上ないというネタを選択したとある。
偶数月開催のこの会、他の落語会と開催日が重なることが多く、しばらくご無沙汰だった。この会場は椅子がユッタリとしていて快適だが、そのせいか寝る人が多い。
顔づけが落語協会2、立川流1、圓楽一門1という珍しい組み合わせ。

<  番組  >
林家たけ平「扇の的」
三遊亭兼好「壺算」
立川志らく「黄金餅」
~仲入り~
柳家さん喬「おせつ徳三郎」

たけ平は初見で、前から観たいと思っていたのでちょうど良かった。
「扇の的」は、代表的な地噺である「源平盛衰記」の後半部分。たけ平は当代正蔵の弟子だが、ネタは父親の三平が得意としていた。
明るい高座スタイル、客のいじり方、適度な面白さのギャグ、いずれも師匠より初代三平の芸風に似ている。
この高座だけでは実力が計れないが、客席はけっこう受けていて、サラとしての役割は果たしていた。

兼好「壺算」、マクラで野田首相が田中防衛相をソクラテスの言葉「無知の知」と言ってかばったことから、悪妻のクサンティッペの連想で真紀子夫人、ソクラテスの自殺から田中防衛相の辞任への期待へと連想と話を拡げ、野田首相を皮肉っていたのはいかにもこの人らしい。
ネタに入って独自の演出としては、兄ぃが50銭まけさせるのに幼児体験を持ち出す箇所、幽霊話で脅かされ番頭はしぶしぶ値引きする。
これからの応酬は、兼好らしく専ら目の表情で。この高座だけは周囲に寝る人が無かった所をみると、一番受けていた。
ただオチだが、実は良く分からなかった。本人の言い間違いなのか、こちらの聞き間違いなのか。もしお判りの方がいたらご教示ください。

志らく「黄金餅」、圓朝の作とされているが、屍骸を生焼けにして小粒金を抉り出すという、落語にしては珍しく凄惨な話を面白くしたのは何と言っても志ん生の功績。その後の志ん朝や談志も志ん生の演出を基本にしていた。
志らくは談志の演出をベースにしながら、独自の解釈を映像的(眼に見えるように)に見せる演出法だった。映画監督や舞台演出家としてのセンス、知識を活かしたものと見える。
先ず西念や金兵衛らが住む長屋が社会の最底辺であることを示す。ゴミを漁り、襤褸をまとい、居酒屋の店先で客の飲み食いを物陰から手真似して口をふさぐ暮らし。
下谷山崎町といえば江戸でも屈指の貧民窟、当時の人は地名をきいただけで貧しさが想像できただろうが、今では志らくのような具体的な描写が要る。
死んだ西念の執念もすさまじい。瞼を閉じることもなく、挙げ句は大家の香典まで握りしめてしまう。
そんな一行が遺体を菜漬けの樽に押し込んで深夜江戸の中心部を歩く、想像するだけでゾクッとする。
着いたところは麻布絶口釜無村の荒れ寺である木蓮寺。今と違って当時の麻布は草深いところだったようだ。しかも釜無村というからには家に釜も無いほどの貧乏村だ。
そこで天保銭5枚払って、酔っ払いの和尚にいい加減なお経をあげてもらう。
金兵衛は台所にあった鰺切り包丁の錆びたのを腰に差し、桐が谷の焼き場まで早桶を背負ってやってくる。この時に金兵衛が、死骸の中にある金さえあれば、ようやく人間らしい暮らしが出来るんだと独白する場面を加え、底辺からなんとか這い上がろうとする人間の苦悩を演じてみせた。
桐ケ谷にいるのは隠亡(おんぼう)と呼ばれた遺体焼却人。ここも当時は社会の最底辺。
金兵衛が屍骸を生焼けにして貰って小粒金を抉り出すシーンはかなりリアル。凄惨になるので普通は敢えて避けたいとこだろうが、志らくは逆に細かく描写することで、この演目のテーマを鮮明にしたかったと思われる。
最後に加えたオチも気が利いていて、近年では出色の「黄金餅」となっていた。
師匠なき後、談志の志と芸風を継げるのは、この志らくしかない。そのことを再認識させてくれた高座だった。

さん喬「おせつ徳三郎」は長講の通し。
それぞれの登場人物の演じ分けは相変わらず鮮やか。特に大店の主人や刀屋の主の人物像は申し分がない。
前半の「花見小僧」だが、珍しく何回も噛んでしまい、その分リズムを悪くしていた。
後半の「刀屋」では徳三郎が刀屋の店を飛び出すまでは良かったが、後半がダレテしまった。おせつと再会してからの「お嬢さん、どうかお家へお帰りになってください」「いいえ、私は・・・・」の延々と続く繰り返しがくど過ぎたのが原因。
オリジナルと異なり、二人が川へ飛び込む前に抑えられてしまう演出や最後のオチも疑問。
さん喬は丁寧なあまり、時に装飾が過剰になるきらいがあり、この日の高座もその傾向げ強かったように思う。

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コメント

13日夜の部でさん喬が「花見小僧」をやりました。
やはり後半かむ。
なんかリズムに乗ってませんでしたよ。

佐平次様
そうですか、稽古不足かと思ったんですが違いますね。
後半も今一つでしたし、体調でも悪かったんでしょうか。

志らく、良かったようですね。
少し間が空いたので、久しぶりに聞いてみようという気になりました。
さん喬はどうしたのでしょうねぇ?
体調の問題でなければいいのですが。

小言幸兵衛様
この日の志らくをみて、ある種の覚悟のようなものを感じました。
緊張感のある良い高座だったと思います。
さん喬はちょっと集中力を欠いたような。どうしたんでしょう。

>談志の志と芸風
狂気と知性、そして江戸の風。
以前も書きましたが、談志では「ぞろぞろ」が好きなんですけど、あの民話風世界を語れるのも志らくかもしれません。(ネットで調べたら、実際演っているようです。僕はまだ遭遇していませんが)

福様
今ふと思ったんですが「黄金餅」って、「小金持ち」と掛けているんでしょうか。
遺骨を鯵切包丁で切り崩しながら小粒を探りだし、付着している骨をフーフーと吹き飛ばして袂に入れていく。正に狂気。社会の最底辺を何とか抜け出そうともがく男の姿、やはり志らくでないと描けないかも知れません。

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