「落語協会 新真打競演」(2012/5/2)
国立演芸場で5月上旬に開かれている”第23回大演芸まつり”、2日は「落語協会 新真打競演」という趣向で、今年真打に昇進する3人が顔を揃えた。
既に定席での披露公演を終えた春風亭一之輔に加え、今秋披露公演を行う古今亭朝太と古今亭菊六の3人だ。朝太(志ん陽に)と菊六(文菊に)は、それぞれ昇進を機に改名(or襲名?)するとのこと。
仲入り後に昇進披露口上があったが、この3人が揃って口上の場に並ぶのは恐らく最初で最後ではあるまいか。
平日の昼とあって、思ったより入りは寂しい。
< 番組 >
前座・柳亭市也「子ほめ」
古今亭菊六「湯屋番」
古今亭朝太「風呂敷」
柳亭市馬「転宅」
春風亭一朝「妾馬」
~仲入り~
「口上」高座下手より司会の市馬、菊六、一之輔、朝太、一朝、金馬
ロケット団「漫才」
春風亭一之輔「青菜」
新真打の寸評で、先ずは一之輔「青菜」。
高座に登場してくる姿は貫録さえ感じさせ、もう10年も真打をやっているかのようだ。始めから客を呑んでかかっている。
私として今回で確か4回目になるこのネタは、一之輔の十八番といっても良いだろう。
初めに聴いた頃はオリジナルの古典に近かったが、回を重ねるごとに独自色が濃くなっている。
そういう意味では進化、あるいは深化していると言えるかも知れない。しかし進歩しているかと聞かれれば、答えは微妙だ。
このネタの生命は季節感だ。
風が吹き抜ける縁側で柳影の冷やに鯉の洗い、屋敷での涼感が表現される。
対する植木屋の長屋は掃き溜めの脇の部屋で鰯の塩焼き、想像しただけで暑苦しい。
屋敷での奥方が「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官」に、旦那が「義経にしておきな」という知的な会話。
これに対して長屋では女房が「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官、義経」に、植木屋は思わず「うーん、弁慶にしておけ」。
困って「立ち往生」しちゃったので「弁慶」が咄嗟に飛び出すなんざぁ、この植木屋もかなり知的。
大爆笑を取る噺ではなく、クスッと笑わせるネタなのだ。現役では小柳枝が上手い。
一之輔の演出はこの噺に様々な装飾を加えることにより大受けさせていた。ただ「過剰装飾による受け狙い」という傾向が無きにしもあらず。
例えば屋敷で植木屋が鯉の洗いについている酢味噌を箸の先につけて舐めるのだが、いくら職人とはいえそんな行儀の悪い事はしまい。昔は貧乏であっても食事のマナーだけは厳しかった。
植木屋が奥方を「今小町」と褒めるが、この主人夫婦はある程度の年配と察せられる所から表現がそぐわないと思う。
植木屋が女房を押し入れに入れる前に髪(丸髷だろう)をほどくというのも解せない。これから知り合いが来るというのに女性がザンバラ髪で迎えることは有り得ない。
今は勢いで受けていて成功したかに見えるかも知れないが、危うさを感じる。
朝太「風呂敷」、志ん朝最後の弟子で現在は志ん橋門下。
近ごろやたらインテリ臭い男前の噺家を増えているが、この人の風貌はいかにも落語家らしい。顔で得してる。
高座は良く言えば本寸法、悪く言うと単調。
セリフが一本調子で抑揚や緩急に欠けるため、聴いていて少々ダレてくる。
女形にも工夫が必要。
まだまだ発展途上とみた。
菊六「湯屋番」。
そうか、頭を剃ってるのは二枚目過ぎるからか、と思った。市馬も言っていたが女性には気を付けねばなるまい。もし余ったら、こっちへ回してね。
この人の演じる二号(お妾)さんが実に色っぽい。かなり研究してきたんだろう。圓菊一門の兄弟子には、女性を演じるのが上手い人が多いし。
軽薄で好色な若旦那ぶりも板に付いていた。
一之輔ほどのスター性は無いが、着実に力を付けてきている。
市馬と一朝、いずれもテンポの良い高座で年輪を感じた。
今秋、二人の新真打の高座と昇進半年後の一之輔の高座、どうなるか今から楽しみだ。
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コメント
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一之輔の危うさはそこでしょうね。
彼を支持する客たちの問題でもあります。
まあ、生まれたばかりの真打に余計なお世話でしょうが。
くすっと笑うのが落語本来の笑いのような気がします。それは好みの問題でもありますが江戸の粋「茶にする」というのはそういう笑いではなかったかと、、。もしかするとそこを受け継がないと壁にぶつかる?
投稿: 佐平次 | 2012/05/03 08:39
佐平次様
先ずは40日間の披露興行を成功裏に終わらせたことは、やはりこの人の才能です。
同時に、これからどういう落語を目指すのかという点から見れば、脇道に逸れているのではないかという危惧もあります。
逸材なんだから、もっと本格派を磨いて欲しい。この日の高座をみて改めて感じた次第です。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/05/03 09:12
昨日は、小柳枝の「青菜」を期待して池袋へ行ったのですが・・・・・・。
朝太は「志ん陽」になるようです。今ひとつピンとこないのですが。
文菊は、なかなかいい名かな、と思います。
まぁ、名前を違和感のないまでに普及させ、そして大きくするのも、これから本人次第ですね。
投稿: 小言幸兵衛 | 2012/05/04 10:43
小言幸兵衛様
今ちょうど、そちらへお邪魔した所でした。
朝太は「志ん陽」ですか。有難うございます。早速訂正します。
師匠を二度亡くした苦労人なので、是非頑張って欲しいと思います。
三人の競演はなかなか見応えがありました。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/05/04 11:13
朝太は志ん陽になるようです、と報告しようとしたら、遅かりし、でしたね。
とにかく野球なら捕手を連想させる風貌。人柄も良いと思います。
一之輔について、「過剰装飾による受け狙い」というご指摘がありました。
もしかして、これは喬太郎にも見られる、現代の噺家の共通項と言えるのではないでしょうか。最後は、演者のセンスが問われるんだと思いますが。
敢えて申さば、鼻につくくらいでないと、今の若者には笑いがとれないのかもしれません。
投稿: 福 | 2012/05/04 19:59
福様
この日の高座を見る限りでは、朝太はまだこれからという印象を受けました。観方を変えればそれだけ伸びシロが大きいとも言えます。
ご指摘の点は現在の落語の大きなテーマですね。私ももう少し考えてみたいと思います。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/05/05 07:32