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2012/05/30

私撰「寄席で聴きたい噺家」BEST20

「独演会の落語家」に引き続き、今回は「寄席で聴きたい噺家」20人をとりあげてみます。
独演会と違って寄席(定席)には沢山の芸人が出演します。
出番もトリもあれば仲入り(中トリ)、トリの直前に上がる膝や膝前、開口一番のサラ、仲入り直後の食いつきなど様々で、それぞれに役割に応じた高座が求められます。
口演時間も独演会とは異なり30分の時もあれば、10分15分、時には数分で切り上げねばならない。
そうして芝居のようにつなげていって、最終的にはその日のトリ(主任)を盛り立てて行くというのが寄席芸人の使命です。
それでいて落語は個人芸ですから、どんな出番の時でも客を満足させねばならない。
もう一つ大きな違いは、独演会の場合その人目当てに来る客が大半なので、いわばホーム。一部の人気落語家になると独演会だか後援会だか分からない、そんな雰囲気にもなります。
それに対して寄席では他の人が目当てとか、場合によってはその人が嫌いという客もいるわけで、いわばアウェイ。
だから本当の実力が試されるのは寄席の方だと言えます。
そんな寄席で聴きたい噺家20人を順不同で選んでみました。既に独演会でとりあげた噺家は除いています。
内訳は落語協会14人落語芸術協会6人、やはりベテラン中心に実力派が顔を揃えるという結果になりました。

柳家小三冶
川柳川柳
柳家小満ん
三遊亭圓丈
柳家さん喬
桂南喬
春風亭一朝
古今亭志ん輔
入船亭扇遊
金原亭馬生
柳亭市馬
桂ひな太郎
橘家圓太郎
古今亭菊之丞
************
三笑亭笑三
春風亭小柳枝
昔昔亭桃太郎
古今亭寿輔
瀧川鯉昇
春風亭昇太

それぞれの一口評を。
柳家小三冶:解説不要の当代落語界の第一人者。寄席で高座に出会えた人は幸せ者。
川柳川柳:ほろ酔い気分(多分)で高座にあがり、気持ち良さそうに唄を歌って下りてゆく。これだけでウン十年、もう無形文化財モン。
柳家小満ん:地味ながらこれぞ本寸法という落語を聴かせてくれる。個人的にはこの人に文楽を継いで欲しかった。玄人好みの噺家。
三遊亭圓丈:新作落語の雄。偉いのは自分で創作した作品をどんどん他の噺家に演じさせていること。最近は古典回帰も。
柳家さん喬:どんな出番でもキッチリ一席うかがう姿勢は落語家の手本。滑稽噺から人情噺までこなすオールラウンドプレヤー。
桂南喬:元々芸協出身なので、同じ古典を演じてもどこかかつての芸協の香りがする。いい意味での古風な噺家。
春風亭一朝:師匠譲りの江戸弁で、歯切れのよい啖呵を切らせたらこの人の右に出る者はいない。笛の名手。
古今亭志ん輔:古今亭の芸を継承している正統派。気持ちのこもった高座を見せる。
入船亭扇遊:常に楷書の芸をみせてくれる。どんな演目を演らせても水準を行く実力派。
金原亭馬生:江戸の粋を体現している。踊りの名手で、トリを取る時しばしば高座舞や鹿芝居を披露するのも楽しみの一つ。
柳亭市馬:最近は独演会やホール落語への出演が増えているが、本来は寄席に相応しい噺家。登場するだけで場内をパッと明るくするキャラは貴重。
桂ひな太郎:知る人ぞ知る、師匠譲りの芸は本寸法。もし志ん朝を継ぐなら、この人しかいない。
橘家圓太郎:リズム感のある明解な語り口はハマルと癖になりそう。アウトドア派らしい力強い高座を見せる。
古今亭菊之丞:若手から一人入れるとしたらこの人になるだろう。女形のような風貌で分かり易い古典を演じる本格派。
三笑亭笑三:数少ない大正生まれの現役だが芸に歳を取らせない。艶っぽい高座が魅力。
春風亭小柳枝:芸協にあって古典ではこの人がトップ。登場人物への温かい眼差しを感じさせる滋味あふれる高座。
昔昔亭桃太郎:お茶をすすりながら時事小咄をマクラに振ると、もうこの人の世界に引き込まれる。あの独特の語り口が妙に心地よい。
古今亭寿輔:昔の映画に出てくる詐欺師みたいな風貌とコスチュームに驚かされるが、話芸はしっかりしている。典型的な観る落語家。
瀧川鯉昇:喋る前に客を笑わせるのは金語楼以来かも。飄々とした語り口で本格古典を聴かせる。
春風亭昇太:この人の演じるいくつかの古典落語は他の追随を許さない。高座に上がるだけで場内の空気を変える個性も魅力。

それにしても参考にならない記事ですなぁ。

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2012/05/27

#21「京の噺家・桂米二でございます」(2012/5/26)

5月26日、深川江戸資料館で行われた「第21回 京の噺家・桂米二でございます」へ。当方は初参加。
この辺りは地下鉄の駅ができるまでは不便な所で、清澄通りを門前仲町からも森下からも歩くとけっこう距離がある。そういえば森下の「みの家」にも暫く行ってないなぁ。昔の東京を偲ばせるような店が並んでいて情緒のある街だ。
師匠と二人の弟子による、東京では初めての米二一門会とのこと。

<  番組  >
桂二葉「道具屋」
桂二乗「茶の湯」
桂米二「百年目」
~中入り~
桂米二「住吉駕籠」
(全てネタ出し)

落語家がネタの中で言い間違うことがある。演者の方でもシマッタという気持ちが残りリズムを崩すというケースがあるだろうが、聴いている客もそこに気を取られて集中力を欠くような場合がある。
今回の会で二回あった。

先ず二乗「茶の湯」。
「郊外に一軒の隠居所を買い受けます。離れがお茶室になっとります。長屋が三軒付いておりまして」のところで「五軒付いて」と言ってしまった。
当方は上方落語の「茶の湯」は初めてだったので、大阪では五軒長屋で演るのかなと一瞬思ってしまった。
「いや、三軒です」と訂正が入ったが、今度はなぜ「五軒」と言い間違いたんだろうと考えてしまう。落語の中で五軒長屋が出てくるネタがあったかな、思いつかないなと、頭をめぐらしている内にこちらの集中力が切れてしまった。
二乗は入門10年目というから東京では二ツ目の位置だ。師匠は「何年やっても間が悪い」と厳しかったが、出来はさほど悪くなかったと思う。
ただこのネタはやはり東京のモノだ。上方に移すとどこか無理がある。

もう一つのミスは米二「百年目」の冒頭で、番頭の次兵衛が小言をいう場面で丁稚の定吉が「番頭はん」というべき所を「旦那はん」とやってしまった。
他の言い間違いならまだ良いのだが、これはマズイ。
この演目の最大の聴かせどころは、終盤の旦那が番頭に「旦那」という言葉の成り立ちを語りながら、奉公人への接し方を諭す場面である。
だから「旦那」はいわばキーワードともいうべき言葉であり、重要なのだ。
米二は米朝の人間国宝にまつわるかなり長めのマクラを振ったが、それが影響したのだろうか。
ミスの影響かどうか、前半はやや精彩を欠いていたように感じられた。
しかし桜宮の土手にあがって囃し始めるころから調子が上がってきた。
旦那の立ち振る舞いやセリフが、いかにも大阪の大店の主人としての風格を示していて、番頭の心理描写とともに期待通りの良い出来だった。
このネタは東京の高座にもかかるが、やはり上方落語が似合う。
それだけに画竜点睛を欠く感があったのは残念だ。

米二「住吉駕籠」、東京では「蜘蛛駕籠」だがオリジナルの上方の方が登場人物が多彩であり個性的。米二は巧みに人物を演じ分け面白く聴かせてくれた。

会の進行について、中入り前まで約2時間はかかり過ぎ、ダレた。二葉と二乗の時間をもっと短く詰めた方が良かったのでは。

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2012/05/26

米ではヒーロー、パキでは反逆者

クリントン米国務長官は5月24日の記者会見で、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンの殺害作戦に協力したパキスタン人のシャキル・アフリディ医師が国家反逆罪で有罪判決を受けたことに対し、「不公正で不当だ」と批判、パキスタン政府に医師の釈放を求めた。

ビンラディンは昨年5月、パキスタン北部アボタバードの潜伏先で米特殊部隊によって殺害された。
この際、パキスタンの医師シャキル・アフリディ被告が、ワクチン接種と称してビンラディンのDNAサンプルを採取し、このことが米当局がビンラディンの潜伏先を特定する手がかりになった。
だからアメリカにとってシャキル・アフリディ医師は、ウサマ・ビンラディン殺害の立役者でヒーローなのだ。
その人物があろうことかパキスタンでは国家反逆罪で33年の禁固刑。これじゃ反テロ戦争と称して世界各国に協力を強いてきたアメリカの面目丸つぶれ。
そこでクリントン長官としては、いちゃもんを付けたというわけだ。

クリントン長官は会見で、アフリディ医師の米中央情報局(CIA)への協力は、「世界最悪の殺人者の1人を排除する」のに決定的な役割を果たし、「パキスタンの国益に沿ったものだった」と強調。「反逆であろうはずがない」と指摘した。
しかしパキスタン側からみれば、自国内での米軍特殊部隊の軍事行動は主権侵害とうつったろうし、面白かろう筈がない。
それにソ連のアフガン侵攻の際に散々ビンラディンを利用しておいて、今度は邪魔になったから殺害するという米国の身勝手さに批判の声が起きるのは当然なことだ。

国家間の利害が対立した場合、一方では英雄だが片方では反逆者ということは有り得るわけで、今回のビンラディン殺害作戦がパキスタンの国益に沿ったものかどうかはパキスタンが決めることだ。
米国が自国の論理のみを押しつけるなら主権侵害と受け取られ、パキスタン国内の反米感情をさらに刺激することになるだろう。

米国とパキスタンとの関係はNATO軍への補給路再開問題でこじれているが、今後さらに悪化するのは避けられまい。

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2012/05/24

私撰「独演会の落語家」BEST10(2012年版)

当ブログでは2008年に”My「独演会の落語家」BEST10”と題した記事を掲載していましたが、4年経過した現在、当時の評価と大きな隔たりが生じてきています。
そこで改めて”私撰「独演会の落語家」BEST10(2012年版)”として、下記の10人の噺家を選びました。
前回とは異なり対象は東京落語4派に絞り、10名の順位づけはせず順不同で並べています。
推薦というような大袈裟なことではないし、良くある「この落語家を聞け」などという大それたことは一切ありません。あくまで個人の好みで選らんだものです。
つまりは道楽です。
従って何の参考にもならないということだけは保証いたします。

五街道雲助
柳家権太楼*
柳家喜多八
立川志らく*
柳家喬太郎*
入船亭扇辰
柳家三三*
桃月庵白酒
三遊亭兼好
春風亭一之輔

(*印は前回の選出者)

選定の基準は二つあります。
一つは、その人の独演会の「顧客満足度」が高いかどうか。
多少の出来不出来はあっても、来て良かったと思わせるような高座が期待できるかどうかがポイントとなります。
もう一つは、その噺家が進化しているかどうか。
前回の記事で、当時まだ健在だった談志や圓楽、現役では小三冶や小朝を選から外したのは、いずれもピークアウトした人たちだという判断からです。
今回は同様の理由で志の輔、談春、市馬を外しました。
それに対してベテランであっても雲助は常に新しい試みに挑戦する姿勢を保っていますし、権太楼と喜多八は大病後の方が出来が良くなっていると思えるほどです。
志らくについては演劇や音楽といった異分野とのコラボレーション、立川流の外へ飛び出した会への参加など活動範囲を拡大している点を評価しました。
喬太郎と扇辰、「三白一兼」については注釈は不要でしょう。

もし皆さんがBEST10を選らぶとしたら、どんな顔ぶれになるでしょう?

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2012/05/21

地人会新社第1回公演「シズウェは死んだ!?」(2012/5/20)

5月20日、赤坂レッドシアターで行われた地人会新社第1回公演「シズウェは死んだ!?」を観劇。
2007年に解散した「地人会」を受け継ぎ、渡辺江美が中心となって5年ぶりに再開したその最初の公演というわけだ。
主役の渡辺徹が病気で降板するというアクシデントはあったものの、南アフリカのアパルトヘイトをテーマにした芝居ということで惹かれた。
「赤坂レッドシアター」は初めてだが、収容数150名ほどの小劇場がこんな都心に出来たことは喜ばしい。

作:アソル・フガード/ジョン・カニ&ウィンストン・ヌッショナ
(作者にジョン・カニとウィンストン・ヌッショナという二人の俳優が名を連ねているのは、当時の南アで当局の弾圧を逃れるために文字として残さず、出演者自身の記憶によって残したからとの事。)
演出:鵜山仁
訳:木村光一
<  キャスト  >
川野太郎:シズウェ・バンシ 
嵐芳三郎:スタイルズ/ブンツゥ

舞台は南アフリカ共和国の街、時代は脚本が作られた1972年当時とすれば、アパルトヘイトにより黒人などカラード(混血やアジア人も含む)の人々が白人から人間扱いされていなかった頃の物語(厳密にいえば同じ白人でもアフリカーナ(オランダ系)はイギリス系から差別を受けていたのだが)。
黒人たちは常にパス・ブック(身分証明書)を携行していなければならず、持っていなかったり不正があったりすれば、それだけで刑務所行き。加えて出身地から離れて暮らすのは違法滞在としてこれも処罰の対象。
故郷に妻と3人と子供を置いて街へ出稼ぎに来ていたシズウェは役人に見咎められ、出身地に戻れという命令を受ける。しかし故郷に戻れば職はなく、家族が飢え死にしてしまう。そこで街に住む親切な黒人・ブンツゥを訪ね相談にのって貰うが、このままでは強制送還されるしかないと言われてしまう。
その夜二人は酒場に飲みにでかけるが、帰り道でブンツゥが血だらけの黒人の死体を発見する。ポケットからパス・ブックを取り出すと、そのロバートという黒人はこの街に住む許可を得ており、おまけに職に就いている。
ブンツゥは頭をめぐらし、嫌がるシズウェのパスとすりかえてロバートに成りすますよう説得する。
死んだ黒人への良心の呵責や個人の尊厳との間で悩むシズウェだが、家族が生きるためと別人に成りすますことを決意し、受け取った給料で服と帽子を買い、スタイルズ写真館で記念撮影。故郷に仕送りと共に写真を送ればきっと妻も子供も大喜び。

芝居はアパルトヘイトを告発する一方、悲惨な状況の中でも、”どっこい生き抜く”したたかさ、楽天性を満ち続ける黒人たちへの賛歌となっている。
だから観ていて楽しいし、彼らと一緒に踊りたくなるような気分にさせられる。
密度の高い1時間50分のドラマだった。

その後アパルトヘイトは1994年になってようやく廃止され、法律上の差別はなくなった。
しかし人種間の経済的格差は存続しているし、今では黒人間の格差も急速に拡がっている。主要都市であるヨハネスブルグは世界でも最も危険な街になってしまった。
私は2007年に南アを観光で訪れ、その紀行文「南部アフリカ旅行記」を別館に掲載している。興味のある方はご笑覧ください。

出演者二人は終始楽しそうに演じていて、それが客席にも伝わってきた。
歌舞伎俳優である嵐芳三郎は意外にコミカルな演技がはまっていて、特にブンツゥの人間性が良く描かれていた。
川野太郎は急なピンチヒッターで大変だったろうが、純朴で不器用なシズウェ役を立派にこなしていた。鍛えているんだろう、体形が50歳過ぎとは思えない。
でも、渡辺徹で見たかったなぁ。

公演は5月31日まで。

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2012/05/20

#8ワザオギ落語会(2012/5/19)

5月19日、国立演芸場で行われた「第8回ワザオギ落語会」へ。
年1回のこの会、DVDの収録も行っている。入場料とDVD売り上げのダブルインカム。
主催のオフィス・エムズさん、時には客が入らない落語会も演ってるから儲けるときに儲けとかなきゃ。

<  番組  >
古今亭菊六「湯屋番」
春風亭百栄「弟子の強飯」
入船亭扇辰「さじ加減」
~仲入り~
三遊亭兼好「元犬」
桃月庵白酒「付き馬」

菊六「湯屋番」、高座に上がってくる様子が実に宜しい。あれで女性ファンはグッとくるらしい。近ごろの落語家は女性からの人気が大事だからね。
ネタは5月2日の「新真打競演」の時と同じだが、出来は前回の方が良い。理由は若旦那の豆腐を買いに行くエピソードがモタモタし、客席を冷やしてしまった。
苦言を一つ。
豆富を買うのに味噌漉しを持っていく手はない。やってみれば判るが形が崩れてしまう。豆富は水に浮かせて運ばなきゃ。だから鍋で買いに行くものだ。
母から聞いたところによると、祖父は大の豆腐好きで、早朝手ぶらで豆腐屋に行き、店先で掌に豆腐を乗っけて上からシタジを掛けて、そのまま口へ流し込んでいたそうだ。それだけ豆腐も鮮度を大事にしていた。
だからザルで水を切るなんざぁ以てのほか。

百栄「弟子の強飯」、この人のいいとこはフラと愛嬌だが、芸人にとっては鬼に金棒、これだけで飯が食える。
入門時の師匠とのエピソードをマクラに新作。
こちらは師匠が三顧の礼で有望な弟子をスカウトするというストーリー。この弟子が高2なのに酒は呑む煙管は吸う、しかも喋り方が圓生そっくり。
円生の形態、声色物真似で客席を沸かしていた。
ここでようやく高座が温まってきた。

扇辰「さじ加減」、百栄の後は演りにくいと言い、さて何をしましょうか・・・、お古いところで、と入ったネタがこれ。
あらすじは。
名医の息子の玄益、堅物だったがある日ひょんな事から品川の茶屋に上がり、芸者・なみに入れこんで遊び過ぎて勘当となる。
そこから心を入れ替えて、医道に精進して評判の医者となった。
二年ぶりに品川の茶屋・叶屋を訪れると、なみは玄益恋しさに気が狂って今は座敷牢の身。
責任を感じた玄益は三両の金でなみを引き取り、神田西河岸の長屋に連れてきて、付きっ切りで看病、その甲斐あって、なみは半年あまりで全快をした。
これを聞きつけた叶屋らはひと儲けを企み、三両と引き換えに年季証文を渡していなかったのを幸いに、なみを引き渡せと玄益を脅す。
その場は玄益の長屋の大家が仲裁に入ったが、収まらない叶屋らはお恐れながらと奉行所に訴え出た。
ここからはお馴染みの南町奉行所の大岡越前守のお裁き、いったんは叶屋らの言い分を通してなみを引き渡せと命じるが、「なみを治療してもらったのであるから、玄益に薬代、手当て代を支払うように」と申し付ける。
これが締めて千二百六十両と聞いては、とてもじゃないが払える金額じゃない。
大岡様の「さじ加減」による名裁きの1席。
三遊亭円窓によれば、講釈師の故小金井芦州から教わった話を落語に脚色したものだそうで、適度に笑いもちりばめ面白いネタに仕上がっている。
扇辰の高座は人物像が明解で、ストーリーも円窓の演出からさらに工夫し分かり易くなっていて上出来だった。
高座に上がってから決めたネタでこれだけの芸を見せるのだから、今や扇辰の実力はトップクラスに達しつつあると言っても過言ではなかろう。

後半は兼好の登場で場内が一気に明るく。
愛嬌たっぷりに「元犬」を。
「おもとさん」が出て来ないので心配していたら、オチが替わっていた。こういう手もあったか。

白酒「付き馬」、終演後の打ち上げに行くのだの行かないだのというつまらない楽屋話をマクラに本題へ入る。
いつも通りの出来で客席を沸かせていた。
ただこのネタに出てくる客の人物像だが、白酒は他のネタでも同じように使い回している。そのためか、ネタが変っても色が同じに見えてしまう、そんな印象を持った。
そろそろ殻を破る時期に差し掛かっているのかな、そんな気がした。

後半は端折ってしまったが、今日はこの辺でご勘弁を。

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2012/05/19

世論「誘導」調査

「世論『誘導』調査」又は「誘導型世論調査」とは、あらかじめ一定の結論が出るよう、あるいは一定の結論に導くよう仕組まれた世論調査と定義しておく。

5月18日、超党派の議員でつくる「死刑廃止議員連盟」が法務省幹部に、政府が行う世論調査の設問が誘導的だとし、表現を変更できないかと考えを質した。
内閣府の世論調査では、死刑に対する設問は次のようになっている。
①どんな場合でも死刑は廃止すべきである
②場合によっては死刑もやむを得ない
③わからない
の三択だ。
「廃止議連」側はこの中の「どんな場合でも」や「やむを得ない」という表現があまりに恣意的であり、容認に誘導していると指摘した。
死刑制度に関する国民の意見を率直に問うのであれば、
①反対する、又は廃止する
②賛成する、又は存続する
③わからない
の三択で問うべきなのだ。
私は死刑制度存続論者だが、この世論調査は明らかにアンフェアーだ。
このように政府やマスメディアで行う世論調査の多くが、期待する回答へ誘導する設問になっていることが多いので注意が肝心だ。

例えば近ごろ頻繁に行われている消費税増税に関する世論調査でも、設問を「増税に賛成」とするか「増税もやむを得ない」とするかによって数字は大きく変わる。
あるいはアンケートの前書きに「財政破たんの危機」だの「将来の社会保障」だのという文言を入れれば、それだけで賛否の比率に影響することになる。

私が初めて世論調査の方法に疑問を持ったのは、1958年(昭和33年)から始まった内閣府の「国民生活に関する世論調査」で、『中流』と答えた者が1960年代半ばまでに8割を越え、1970年(昭和45年)以降は約9割に達した。
生活実感に照らして何か違うと思っていたら、この調査の設問にはカラクリがあったのだ。
回答は、次の中から選ぶことになっていた。
①上
②中の上
③中の中
④中の下
⑤下
なぜか『中』だけが三分割されていて、始めから回答者の大半が中を選ぶように出来ていた。
この設問だと、世間では金持ちと見られていてもよほどの富豪でない限り「中の上」辺りを選ぶだろうし、うちは貧乏だと思っても「下」は選びにくい。そんな心理も計算に入れていたのだろう。
この結果をもって「一億総中流化」という言葉も生まれ、「全国民の中産階級化」が実現したと宣伝していたが、始めに結論ありきの調査だったわけだ。
こういうのは典型的な「世論『誘導』調査」あるいは「誘導型世論調査」である。

世論調査は、一般に無作為に抽出された一定数の人々(標本)に設問して回答を収集する方法を採る。
これは統計理論に基づいた標本調査であり、最近よくみかけるインターネットによるアンケート調査(投票)が世論調査とは別物であるのは言うまでもない。

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2012/05/17

「負傷者16人」(2012/5/16)

5月16日、新国立劇場小ホールでの「負傷者16人-SIXTEEN WOUNDED-」を観劇。
以前イスラエルに観光で訪れ、短時間ではあったがパレスチナ自治区にも入ったことが契機になり、中東問題には特に関心がある。
ユダヤ人対パレスチナ人というこの芝居のテーマに惹かれた。
2004年に米国ブロードウェイで初演された作品の本邦初演である。

作:エリアム・クライエム
翻訳:常田景子
演出:宮田慶子
<  キャスト  >
井上芳雄:マフムード(パレスチナ人青年)  
東風万智子:ノラ(その恋人、ダンサー)
益岡徹 :ハンス(ユダヤ人、パン屋)
あめくみちこ:ソーニャ(娼婦)  
粟野史浩:アシュラフ(マフムードの兄)

ストーリーは。
舞台はオランダ・アムステルダム、時代は1993年の「オスロ合意」がなされた頃。小さなパン屋を営む老人ハンスはフーリガンに暴行を受け瀕死の重傷を負っている青年マフムードを助け、病院で治療を受けさせる。
それが縁でマフムードはハンスのパン屋に見習いとして働くことになるが、老人がユダヤ人で青年はパレスチナ出身のムスリムであることが判り、双方ともにわだかまりを抱える。加えてハンスは誰かに追われている様子でもある。
やがてマフムードは店に出入りするノラと親しくなり同棲を始める。
しかし幸せに満ちていると思われたマフムードには他人には言えない秘密があり、一方のハンスにも消すことのできない過去があった。
ノラの妊娠をきっかけに二人の関係は大きく動き出し・・・。

結論からいうと、意欲作ではあるが作品としてあまり成功したとは言えないと思う。
その最大の原因は、マフムードのユダヤ人に対する異常とも思える憎しみの深さだ。
確かにガザ地区を中心に、イスラエル軍によるパレスチナ住民に対する殺戮が日々行われ、彼らのイスラエルとそれを後押ししている米国に対しては強い怒りを持っている。しかし、彼らの怒りの矛先が全てのユダヤ人に対して向けられているとは思われない。
特にナチスのホロコーストを逃れてオランダに住むユダヤ人にまで憎悪の感情をむき出しにし、攻撃の対象にしようとするという設定は不自然だし、説得力に欠けよう。
終幕の衝撃的な結末に今ひとつ納得がいかなかったのはその為だ。
これは作者が、イスラエルとパレスチナとの対立を、ユダヤ教徒とイスラム教徒との宗教戦争として捉えているからではなかろうか。
あの対立は宗教が原因ではなく、あくまで政治的な背景に因るものだ。各国の思惑を隠ぺいさせるために、あたかも宗教対立が原因であるように見せかけているに過ぎない。
作品の主人公である青年がその事に思いを至らぬとしたら、稚拙であるとしか言い様がない。

作品の瑕疵にもかかわらず、出演者は揃って好演だ。
特にハンス役の益岡徹は二重三重の苦悩を背負い、時に人間としての弱さをみせながら、二人の若者を大きく包み込むという難役を見事に演じ切った。
美術(土岐研一)、音響(高橋巌)、照明(中川隆一)も良く工夫されていて、舞台を盛り立てていた。

公演は5月20日まで。

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2012/05/15

「真打」制度って必要だろうか?

今春の落語協会における春風亭一之輔一人真打昇進は興行面のみならず新聞や雑誌に記事としてとりあげられ、先ずは大成功といえる。
今秋の古今亭朝太と菊六の昇進興行も話題を集めることだろう。
ただ落語協会としては来年以降どうするかは決めていないらしい。協会もかつては試験制度をしいていた時期もあり、つい2年前までは年功序列で真打に昇進させていた。
協会は戦後2度にわたり、三遊亭圓生と立川談志による脱退騒動を起こしているが、いずれも真打昇進についての意見の相違が発端だった。
それだけ昇進のルールや運用は微妙な問題をはらんでいるわけだ。
東京落語4派それぞれの、現時点での真打昇進ルールは次の通り。

落語協会:会長による人選(抜擢)但し来年以降は未定
落語芸術協会:年功序列
立川流:公開試験制度(一部年功も加味)
圓楽一門会:年功序列

こうして比較してみると、何やらサラリーマン世界と類似していて身につまされる。
各制度にはそれぞれ一長一短がある。
落協がもし現行方式を続けるとしたら二ツ目の競争意識は刺激されるが、生涯真打に上がれない噺家も出てくる。寄席での二ツ目の出番が極端に少ない現状では、生活そのものが脅かされるという深刻な問題も起こりうる。
もう一つ、会長の判断ということだと会長が変われば判断基準も変わることになり、公平性が担保されない。
芸協や圓楽一門の年功序列制度は、仲間うちでは摩擦が起きないという利点はあるが、上達のために切磋琢磨するという気風は生まれにくいという欠点もある。
立川流の公開試験だが、かつて談志は落語の世界には試験制度はなじまないという意味の発言もしている。落協が試験制度をやめたのもその辺りに事情があったのだろう。
その立川流にしても、合格基準が一貫しているとは思えないフシがある。

こうして見ていくと、真打昇進制度には正解がないと言えよう。

もう少し根本的に考えてみれば、果たして落語の世界に真打や二ツ目という階級制度が必要なのかどうか。

真打の特権て何かだが、
一、寄席でトリが取れる
二、弟子を取ることができる
三、「師匠」と敬称で呼ばれる
の三点になるだろう。
しかし落語家によってはトリが取れたのは真打昇進披露興行の時が最初で最後という人もいる反面、かつて初代林家三平は二ツ目時代に寄席でトリを取ったことがある。そうなると真打の特権と言えるかどうか怪しくなる。
弟子に関してだが、大阪の桂枝雀は入門9年で二人の弟子を取っている。東京での真打昇進の目安が入門14-15年だから、東京基準でいけば当時の枝雀は二ツ目相当ということになる。
要は弟子の志願者がいて本人に弟子を育成できる力さえあれば、階級に拘る必要もないといえる。
師匠の呼称など、私たち観客にとってはどうでも良いことだ。
して見ると、真打制度って一体どんな意味があるのだろうか。伝統と郷愁を除いてしまえば、昇進披露興行ぐらいしか存在意義が残らないのではなかろうか。

上方落語の世界では真打制度はないのだが、それで何か不都合なことがあるとは思えない。
それならいっそ東京落語でも真打制度は廃止しても一向構わないのではなかろうか。
前座はいうなればプロになる前の見習い期間という位置づけだから、これはこれで意味がある。
しかし前座を卒業しプロになれば後は横一線、実力と集客力さえあればどんどん伸(の)していって構わない。大衆芸能の芸人とはそういうもんだろう。

現在の落語界は東西交流が活発になってきているし、東京でも4派の垣根を越えた会が数多く開かれている。
そういう時代に各派ごとに定めた「真打」に大した意味があるとは思えない。

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2012/05/13

柳家三三・桂吉弥ふたり会(2012/5/12)

5月12日、KAAT(神奈川芸術劇場)で行われた「柳家三三・桂吉弥ふたり会」へ。
午後4時半に関内駅に降りると、横浜球場からゾロゾロ出て来る人の群れ。縦じまのシャツに黄色いメガホンを持った人たちが冴えない表情で歩いていたので、ああ阪神が負けたなと直感。どうも今ひとつ今年の(も、かな)タイガースは波に乗れない。ノーヒッター試合でなかったのがせめてもの救いか。
KAATは山下公園の南側、神奈川県民ホールとは向い合せ。もし橋下徹が知事だったら即、廃館だろう。
三三・吉弥という東西の若手人気落語家が顔を揃えたふたり会、女性客が目立つ。
二人は入門が1年違いだからほぼキャリアは同等、いずれも文化庁芸術祭新人賞を受賞している。良きライバルといった所か。

<  番組  >
桂鯛蔵「みかん屋」
柳家三三「のめる(二人癖)」
桂吉弥「三十石」*
~仲入り~
桂吉弥「茶金(はてなの茶碗)」
柳家三三「お若伊之助」*
(*印はネタ出し)

鯛蔵「みかん屋」、東京では「かぼちゃ屋」。
ミカンを天秤棒に担いで売るという姿が想像できず、あまり面白くなかった。
それとミカンを売るなら真冬のはずで、そうした季節感を出せていたら良かっただろうけど。

三三「のめる(二人癖)」。
この噺に出てくる「都詰め(みやこづめ)」だが、将棋盤の中央(5五の地点)で王が詰んだ状態をさす。中心にあるから「都」。
詰め将棋にはあるようだが、プロの実戦では先ず見られない。難しいのと、プロならその前に投了してしまうからだ。
アマチュアだと詰まるまでやるからタマにある。現に私が将棋を覚えたてころ、上級者にやられて悔しい思いをしたことがある。
この反対が「雪隠詰め」で、こちらは将棋盤のスミで詰まされる状態。「雪隠」とは便所のことで、昔は家のスミにあったから。
都詰めが出来なくて四苦八苦している傍で「詰まろうかね」としつこく訊く。これが「詰まるかね」と訊けば「詰まねぇ」と答えるだろうが、「詰まろうかね」と訊かれるから思わず「つまらねぇ」。上手く考えたもんだ。
三三はこの会話の間と目の動きが巧みで笑わせる。
近ごろ、古典をアレンジして演じる若手が多い中で、三三はオリジナルそのままに演じてかつ客席を沸かせる。実力の証明。

吉弥の1席目「三十石」。
7月に放映予定のNHKドラマ出演をマクラに振って本題へ。
長講のうち伏見人形から舟歌までの最もポピュラーな場面。
先日の桂まん我の時もそうだったが、今ひとつこの噺のリズムに乗り切れない。このネタには、やはり演じ手の年季が要るのだろうか。
後で本人が言っていたが、舟歌の際の前座の合唱が全く合っておらずひどい出来。この手のネタはこういう細部を大事にしないとオジャンになる。

吉弥の2席目」「茶金(はてなの茶碗)」。
落語の世界では金に目をくらんだ欲張りというのは概して末路が良くないものだが、この噺では珍しくその欲張りのサクセスストーリーとなっている。
東京の高座にもかかるが、茶碗の権威付けに関白や天子様が登場することからも、これは上方に相応しいネタだ。東京落語ではどこか無理がある。
ポイントは片や社会の底辺で必死に生きる行商の油屋、こなたは粋人にして公家にも出入りする茶道具商・金兵衛、通称茶金の人物像との対比だ。
ただ同然の茶碗に油屋の親孝行に免じて3両支払い、茶碗が千両で売れれば半額の500両を油屋に渡すという器量をみせる茶金の大店の主人らしい風格を吉弥は示していて、良い出来だった。
油屋が口では金を辞退しながら、心中では喉から手が出るほど欲しいという表情も上手く表現していた。
吉弥の芸には色気があり、そこがこのネタに生きていたように思う。

三三の2席目「お若伊之助」、人情噺に分類されるが筋がやや荒唐無稽であり、その分、演者の力量が試される作品といえる。
因果噺という陰惨な物語を明るい滑稽噺風に変えていった志ん朝の流れを受け継いだ演出で、に組の鳶頭・初五郎がお若の預け先である根岸と、伊之助が住む浅草代地を何べんも往復するくだりを見せ場にして、快調なテンポで上出来だった。
こういうネタを演らせたら、今の若手の中では三三は他の追随を許さない。
ケレンも余計なクスグリも入れず、噺本来の面白さだけで惹きつける三三は、頭が一つ抜け出ている。

後半が充実した、中身の濃いふたり会だった。

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2012/05/10

野球は静かに観戦したい

子どもの頃からだから阪神タイガースファン歴は半世紀を遥かに超える。その当時、とりわけ東京では、プロ野球=巨人という状況だった。元来がヘソ曲りのためアンチ巨人がそのまま阪神となった具合。
サラリーマン現役時代には阪神が優勝すると、社内のファンをつのり優勝祝賀会もやった。
今もタイガースの成績に一喜一憂し(一憂の方が多いが)、TVのナイター中継では負けると機嫌が悪くなるからと、妻が良い顔をしない。
それでもここ10年以上は球場に足を運んでいない。
理由は、あの過剰な応援だ。

野球というのは、音を楽しむスポーツだと思う。
試合前に球場に行けば先ず、選手のキャッチボールのポンポンという音から始まる。
シートノックではノッカーのボールを打つ音、守備の選手がグローブ又はミットでボールを取る音。アマチュアとプロとの決定的な違いは守備にある。彼らの華麗なプレーを堪能できるのは守備練習だ。
そしてフリーバッティングでのボールがバットに当たる音、これが何とも言えない。耳を澄ませば一打一打音が違う。
ピッチャーの投球練習が始まれば、今度はキャッチャーミットのパシっと、あるいはドスンと音が響く。
球音は野球の魅力に欠かせない。

肝心の試合が始まると、あの応援の大音量に球音がかすれてしまうのだ。
チャンスあるいはピンチの時にこそ、その球音に耳を傾けたいのだがそれが許されない。
東京でタイガースの試合をみる時はいつもビジター側になるのだが、どこにいても応援団のリーダーが前方に現れ、応援を促す。
それが煩くて一時期はわざわざホームチーム側で観戦したこともある。ところがそっちはそっちで応援団が現れる。
ファンだから応援は当然だが、その方法は個々に任せて欲しい。
なにか同一行動を取るよう強制されているようで、実に嫌な気分になる。
特に嫌なのは、相手チームのエラーなどのミスに拍手することだ。プロなんだから凡ミスにはブーイングだろう。その代り、ファインプレーに対しては敵味方関係なく拍手を送るのがマナーだと思う。
私たちはプレーをみに行ってるのであって、応援をみに行ってるわけではない。そこを勘違いしないで貰いたいのだ。
試合後のインタビューなどで、選手が「皆さんの応援のお蔭で打てました」などと言うのを聞くことがある。リップサービスだとは思うが、応援が無ければ打てないとしたら、それはプロ失格だ。

その一球一球、一打一打に耳を澄ませたい。
そうした静かな環境で野球を楽しみたいファンには居場所がないのだろうか。

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2012/05/06

ナイロン100℃「百年の秘密」(2012/5/5)

久々にカラリと晴れた端午の節句、そう、昔は子どもの日のことをこう呼んでいた。五月人形とはいわず武者人形。
何しろ昭和7年生まれの兄のお下がりだったので人形が凄い。先ず鎧櫃(よろいびつ)が一番上だ。鎧、兜に大小二本が掛かった刀掛け。次の段には神武天皇、鍾馗(病を追い払うらしい)、弁慶の立ち往生(主君を守るために自ら盾になった、「青菜」のオチに使われていますな)それにナゼか本多平八郎(徳川四天王の一人で通称が馬乗り本多)が並ぶ。あとは金太郎が熊を投げ飛ばしている人形。
全て軍国主義色の時代物。
人形が皆揃って目を剥いて恐い顔をして睨んでいた。だから武者人形の飾りは嬉しくなかった。コチトラ、ガキの頃からの平和主義者だったから。
慎太郎さんや橋下さんなら大喜びだろうけど。

もう一つ、この日は42年ぶりに全原発が停止した記念すべき日だった。

そんな5日、本多劇場で行われた”ナイロン100℃ 38th SESSION「百年の秘密」”を観劇。
劇団「ナイロン100℃」も下北沢「本多劇場」も初めてだが、作者のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)さんの芝居は過去3本とも面白かったから、という理由。

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
<  主なキャスト  >
犬山イヌコ/ティルダ・ベーカー
峯村リエ/コナ・アーネット(ティルダの同級生)
みのすけ/チャド・アビントン(同上)
村岡希美/リーザロッテ・オルオフ(同上)
大倉孝二/エース・ベーカー(ティルダの兄)
廣川三憲/ウイリアム・ベーカー(ティルダの父)
松永玲子/パオラ・ベーカー(ティルダの母)
山西惇/フォンス・ブラックウッド(ティルダの夫)
萩原聖人/カレル・シュナイダー(コナの夫)
近藤フク/フリッツ・ブラックウッド(ティルダの息子)
田島ゆみか/ポニー・シュナイダー(コナの娘)
長田奈麻/メアリー(ベーカー家の女中)
藤田秀世/カウフマン(リーザロッテの夫)
水野小論/ヴェロニカ(エースの恋人)

あらすじは。
2幕、休憩を除き3時間20分という芝居だが、舞台は屋敷の庭で中央に巨木が立っている。この前でベーカー家の家族を中心にした人々のおよそ100年にわたる物語が展開する。そうした人間ドラマを、老木が静かに見守っている。
ティルダとコナは同級生で大の親友。ティルダの兄エースの友人カレルとコナが、ティルダと隣人で弁護士のフォンスがそれぞれ同じ時期に結婚し仕事も私生活も順調、幸せな人生を送っている。
しかし、ティルダとコナには二人だけの秘密があった。そしてコナとフォンスとの間にもやはり秘密が。
秘密の共有が友情の絆となることはしばしばある。男同士の場合だと悪の共有。
しかしこの物語では、その秘密が二人の友情だけでなく家族を含めた人生そのものを狂わせて行く。
その負の遺産はティルダとコナの子孫にまで及び、やがて彼らの屋敷も売りに出されようとするが・・・。

どこの国のどこの地方かも分からない、無国籍ドラマである。
ストーリーに普遍性を与えるため作者は敢えてそうしたのだろう。
しかしどの国を見ても100年というスパンを考えたとき、戦争や革命、大災害、経済恐慌など人々に生活に甚大な影響を及ぼす出来事があるはずだ。あるいは民族や人種、思想、宗教などに起因する弾圧や差別が。
芝居はそうした社会的条件を一切ネグレクトしているため、例えばティルダの学校の教師がなぜ排斥されてしまったのか、転校してきたコナがなぜ同級生から憎まれたのか、その辺りの背景が不明なため深みに欠けていたように思う。理不尽さだけが残されてしまった。
見終わって今ひとつ感動が湧かなかったのは、そのためだろう。

出演者では、少女~中年~老女まで演じた二人のうち、犬山イヌコはそれぞれの世代の違いを上手く表現していたが、峰村リエの方はやや不明瞭。
萩原聖人、山西惇、大倉孝二、みのすけの男性陣と狂言回し役の長田奈麻が好演。
他に藤田秀世の怪演と村岡希美、水野小論の存在感が印象に残った。

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2012/05/03

「落語協会 新真打競演」(2012/5/2)

国立演芸場で5月上旬に開かれている”第23回大演芸まつり”、2日は「落語協会 新真打競演」という趣向で、今年真打に昇進する3人が顔を揃えた。
既に定席での披露公演を終えた春風亭一之輔に加え、今秋披露公演を行う古今亭朝太と古今亭菊六の3人だ。朝太(志ん陽に)と菊六(文菊に)は、それぞれ昇進を機に改名(or襲名?)するとのこと。
仲入り後に昇進披露口上があったが、この3人が揃って口上の場に並ぶのは恐らく最初で最後ではあるまいか。
平日の昼とあって、思ったより入りは寂しい。

<  番組  >
前座・柳亭市也「子ほめ」
古今亭菊六「湯屋番」
古今亭朝太「風呂敷」
柳亭市馬「転宅」
春風亭一朝「妾馬」
~仲入り~
「口上」高座下手より司会の市馬、菊六、一之輔、朝太、一朝、金馬
ロケット団「漫才」
春風亭一之輔「青菜」

新真打の寸評で、先ずは一之輔「青菜」。
高座に登場してくる姿は貫録さえ感じさせ、もう10年も真打をやっているかのようだ。始めから客を呑んでかかっている。
私として今回で確か4回目になるこのネタは、一之輔の十八番といっても良いだろう。
初めに聴いた頃はオリジナルの古典に近かったが、回を重ねるごとに独自色が濃くなっている。
そういう意味では進化、あるいは深化していると言えるかも知れない。しかし進歩しているかと聞かれれば、答えは微妙だ。
このネタの生命は季節感だ。
風が吹き抜ける縁側で柳影の冷やに鯉の洗い、屋敷での涼感が表現される。
対する植木屋の長屋は掃き溜めの脇の部屋で鰯の塩焼き、想像しただけで暑苦しい。
屋敷での奥方が「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官」に、旦那が「義経にしておきな」という知的な会話。
これに対して長屋では女房が「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官、義経」に、植木屋は思わず「うーん、弁慶にしておけ」。
困って「立ち往生」しちゃったので「弁慶」が咄嗟に飛び出すなんざぁ、この植木屋もかなり知的。
大爆笑を取る噺ではなく、クスッと笑わせるネタなのだ。現役では小柳枝が上手い。
一之輔の演出はこの噺に様々な装飾を加えることにより大受けさせていた。ただ「過剰装飾による受け狙い」という傾向が無きにしもあらず。
例えば屋敷で植木屋が鯉の洗いについている酢味噌を箸の先につけて舐めるのだが、いくら職人とはいえそんな行儀の悪い事はしまい。昔は貧乏であっても食事のマナーだけは厳しかった。
植木屋が奥方を「今小町」と褒めるが、この主人夫婦はある程度の年配と察せられる所から表現がそぐわないと思う。
植木屋が女房を押し入れに入れる前に髪(丸髷だろう)をほどくというのも解せない。これから知り合いが来るというのに女性がザンバラ髪で迎えることは有り得ない。
今は勢いで受けていて成功したかに見えるかも知れないが、危うさを感じる。

朝太「風呂敷」、志ん朝最後の弟子で現在は志ん橋門下。
近ごろやたらインテリ臭い男前の噺家を増えているが、この人の風貌はいかにも落語家らしい。顔で得してる。
高座は良く言えば本寸法、悪く言うと単調。
セリフが一本調子で抑揚や緩急に欠けるため、聴いていて少々ダレてくる。
女形にも工夫が必要。
まだまだ発展途上とみた。

菊六「湯屋番」。
そうか、頭を剃ってるのは二枚目過ぎるからか、と思った。市馬も言っていたが女性には気を付けねばなるまい。もし余ったら、こっちへ回してね。
この人の演じる二号(お妾)さんが実に色っぽい。かなり研究してきたんだろう。圓菊一門の兄弟子には、女性を演じるのが上手い人が多いし。
軽薄で好色な若旦那ぶりも板に付いていた。
一之輔ほどのスター性は無いが、着実に力を付けてきている。

市馬と一朝、いずれもテンポの良い高座で年輪を感じた。

今秋、二人の新真打の高座と昇進半年後の一之輔の高座、どうなるか今から楽しみだ。

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