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2012/09/30

「よってたかって秋らくご'12」(2012/9/29昼)

9月29日、よみうりホールで行われた「よってたかって秋らくご'12」昼の部へ。
29日付朝日新聞に「最近、落語聞いてますか?」という記事が載っている。
何でも朝日新聞アスパラクラブの会員の中の"beモニター"へのアンケート結果ということだ。
余談だが近ごろアンケートと世論調査を混同している例が多い。世論調査というのは、無作為に抽出された一定数の人々(標本)に設問して回答を収集するという、統計理論に基づいた標本調査を指す。
「ネットでの世論調査では」なんていう表現を眼にすることがあるが、ネットで世論調査は出来ない。
さて、そのアンケート結果だが、「最近、落語聞いてますか?」という設問に対して「はい」41%、「いいえ」59%という結果になっている。えっ、4割の人が落語を聞いてるの?というのは少々驚きだ。
「いいえ」と答えた人のうち63%が「落語を聞いてみたい」と回答している。ホントかなぁ。
これが事実なら落語界の前途は洋々たるものだが。
少なくとも世間から関心を寄せられているのは確かなようなので、噺家の皆さんは心して稽古に励んでください。

<  番組  >
前座・柳亭市也「一目上り」
三遊亭兼好「だくだく」
柳家喬太郎「中華屋開店」
~仲入り~
柳家三三「五目講釈」(別題「調合」)
柳亭市馬「猫忠」

市也「一目上り」、この11月からめでたく二ツ目に昇進する。先日同時に昇進する辰じんで聴いたがだいぶ差があるなぁ。
まだ人物の演じ分けが出来てない。

兼好「だくだく」
タイトルからでは何だか分からない。上方落語の原題「書割盗人」の方が内容にピッタリだ。
家財道具がない男が隣家の絵描きに頼んで、白壁に家具一式を描いてもらう。そこへ泥棒が入ってきて盗もうとするが絵であることに気付く。そっちがその気ならとこの泥棒、「つもり」になって金品を風呂敷に詰めた「つもり」、気付いた男が絵に描いた長押の槍で泥棒を突いた「つもり」・・・。
サゲを少し変えていたが、兼好のトボケタ洒落っ気が活かされ面白く聴かせていた。

柳家喬太郎「中華屋開店」
なにか今ひとつ乗り切れないダラダラしたマクラから本題へ。
大学を退職してラーメン屋を開こうとする心理学教授とその助手、教授を追ってきたゼミ生のお嬢様とその爺やが織りなす他愛のない噺。
仕種で会場は結構沸いていたが、サゲのひねりもなく駄作。
今日はハズレの喬太郎。

三三「五目講釈」
居候の若旦那の出だしだったので湯屋番かと思ったらこっちだった。
「五目講釈」のタイトルで演じられるのは二通りあり、一つは5代目圓楽などが得意としていた乗合船での噺、別題が「兵庫舟」で現役では菊志んが十八番(おはこ)としている。
三三が演じたのはもう一つの方で、別題が「調合」。若旦那が生薬屋の倅ということからこの名がある。
どちらにせよ聴かせ処は様々な講釈を張り交ぜに語る場面で、いかに名調子で語るかが腕の見せどころ。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りから始まって次々と英雄豪傑が登場し、終いには「死んだはずだよお富さん」だの「貼ってすっきりサロンパス」だのまでが出てくる。
三三はまさに立て板に水の語りで会場を呻らせ、前半のダレ加減の場内の空気を締めた。

市馬「猫忠」
先ず三三の高座をほめ、「私も負けないように」と師匠や兄弟子から稽古をつけて貰ったエピソードをマクラにネタへ。
清元の師匠は若くて美人、町内の若い衆が張り合うように稽古に通って来る。次郎吉と六兵衛もその仲間。ある日二人は、兄いが師匠とさし向かいで宜しくやっているのを覗き見して、兄いの女房にご注進におよぶ。処が自宅にはその兄いがいた。
三人で師匠の家へ確かめに行くと、確かに兄いと師匠がいる。これは狐狸妖怪に違いないと、三人で取りおさえてみると、ネコが化けていた。
聞いてみると、「自分はあそこにかかっている三味線の皮にされたネコの子どもです」という。
実はこの噺、歌舞伎の「義経千本桜」のパロディになっている。
登場人物の名前が、吉野屋の常吉=義経、駿河屋の次郎吉=駿河の次郎、師匠のお静さん=静御前、狐忠信=猫のただ飲む、という見立てになってる。
聴かせ処は、正体があばかれた猫が申し開きする場面で、芝居の狐忠信と同じく単語の語尾を伸ばしたかと思うと今度は早口に縮める、狐言葉で語るところ。
市馬の口跡の良さが活かされたトリにふさわしい高座だった。

後半がグッと締まった感があったが、高座をおりる噺家に「良かったよ」と声をかけたり、むやみに拍手したりする無粋な客がいたのは少々興醒め。

2012/09/26

「通ごのみ 扇辰・白酒」(2012/9/25)

9月25日、日本橋社会教育会館で行われた「人形町通ごのみ」へ。
「扇辰・白酒 二人会」で今回が第6回目だが、今まで都合がつかずこの度が初参加。
この二人の顔合わせとあれば落語通でなくとも行きたくなる、というわけで前売り完売。
仕事帰りのサラリーマン(orウーマン)の姿も多く、程の良い客筋かと。

<  番組  >
前座・入船亭辰じん「一目上り」
桃月庵白酒「松曳き」
入船亭扇辰「藁人形」
~仲入り~
入船亭扇辰「お血脈」
桃月庵白酒「今戸の狐」

11月から二ツ目昇進が決まっている辰じん「一目上り」、若いころの師匠にソックリ。
やがて本寸法の真打になるのは間違いなかろう。
後で扇辰が言ってたが、もう次の見習いが入門してきたとか。こういう人はどんどん弟子を取って後継者を育てて欲しい。

白酒の1席目「松曳き」
マクラで入門して20年、自分もそろそろ弟子を取らなくてはと言ってた。我こそはと思う若い人がいたら白酒の門(門があるのかな?)を叩いて下さい。本人は25歳位の美人が希望とか言ってましたけど。
当日のチラシに過去5回のネタ一覧が付いていたが(こういう処が主催者”オフィスM's”はしっかりしている)、同じネタが掛けられないので困ると言っていた。
いつものように小三冶を肴に本題へ。
場内は終始爆笑だったが、何回聴いても面白い。この噺をここまで面白くしたのは白酒の手腕。これを超える演者はなかなかおるまい。

扇辰の1席目「藁人形」
例の結婚詐欺殺人事件をマクラに、どうして男ってぇのは女に騙されるんでしょうねと本題へ。
ストーリーは。
ぬか問屋の一人娘だったお熊、今は千住で女郎の身。
西念と言う乞食坊主を部屋に上げ、父親に生き写しだから同居して父親代わりに親孝行をしたいと持ちかける。
ついては身請けの話があり、いずれ店を持つつもりでいて、いい出物の家があるのだが内金を打ちたい。旦那が旅に出ていて当座の金がないので困っていると打ち明ける
西念はほだされて隠し貯めた全財産20両をお熊に渡してしまう。
数日後、風邪で寝込んだ西念が小遣いお熊無心すると、あの金は貰ったものだ。実は西念から金を巻きられるかどうか仲間と賭けを私が勝ったとうそぶくお熊。
絶望して長屋に帰った西念は外にも出ずに過ごす日々。
そこへ甥の甚吉が訪ねて来た。これからは俺が面倒見てやるからなという甚吉に、蕎麦をおごるからと出かける西念。「鍋の中だけは見るな」と言い付けたが、甚吉が蓋を取ると鍋の中は藁人形を油で煮ていた。そこに戻った西念が・・・。

若いころ、五代目古今亭今輔で聴いてその陰惨さとオドロオドロしさに閉口したが(上手かったんだけど)、扇辰の演出はそういう陰気な怪奇性を薄めて、人情噺風に仕立てた。
終幕で甚吉に、働いて金を貯め二人でお熊の店に上がって鼻をあかしてやろうじゃないかと語らせたのも、後味の悪さを消している。
専ら演者の話芸だけで聴かせるネタだが、登場人物を鮮やかに描き分け客席を引きこんだ扇辰の手腕はさすがというしかない。

扇辰の2席目「お血脈」
未だネタを決めてないんでうがと言いながら本題へ。
このネタは前半と後半に分かれていて、後半だけ高座にかかることもある。この日はフルバージョン。
前半は釈迦誕生のエピソードから善光寺の縁起まで、仏像が昼間は小さいが夜になるとむくむくっと大きく伸びるって何でしょうねと、珍しくシモネタも入れて。
余談だが師匠の扇橋は、楽屋では女の話しかしない、それもバストの話だそうで、人は見かけによらないもんだ。
後半は信濃の善光寺で、お血脈の御印というのを売り出した。
百文出して印を押してもらえば、どんな罪人でも極楽往生間違いなしということで、押すな押すな。まあこんな事してるから仏教が堕落したんだろうが。
お蔭で地獄は閑古鳥。
経営破綻だと先ずは資産の売却、例えば血の池地獄はアサヒペンへ。
最初はカゴメとデルモンテとやっていたらクレームが来たので変えたんだそうだ。へえー、落語のクスグリにもイチャモンがつくのか。
赤鬼なんぞはリストラで浅草花屋敷へ出稼ぎに。
このままじゃ閻魔大王も失脚だと、大泥棒の石川五右衛門にお血脈を盗んで来いと命令する。
まんまと盗んだまでは良かったが、何しろ芝居好きでなにかと見得を切りたがる性格だったので・・・。
独自のクスグリも沢山入れ込んで楽しそうな高座。
良いお客に乗せられての1席。

白酒の2席目「今戸の狐」
基本的には志ん朝の演出を踏襲したものとみえるが、入り組んでいるストーリーを丁寧に用語を解説しながら進行するので聴いていて分かり易い。
珍しく落語家が主人公のネタなので、往時の前座の生活、例えば無給だったので小遣い稼ぎに寄席の仲入りで「寄席くじ」を売ったというようなエピソードが挟みこまれる。
それでも前座は師匠の家で寝泊まりし、食事も出るので未だ楽。二ツ目となると自活せなばならなくなり、仕事が来なければ収入はゼロ。だから良輔のようにアルバイトで今戸焼きの狐の泥人形の彩色などして糊口を凌ぐしかない。
「イスカの嘴(はし)の食い違い」がテーマの演目、古今亭のお家芸を立派に受け継いだ熱演の1席。

わっと笑わせ、シンミリさせて、軽くいなして、トリ根多へ。
この日の4席のチョイス、ネタの組合せも良く、高座も実に結構でした。
「通ごのみ」の看板に偽りなし、今年の落語会の中ではベストだった。

2012/09/23

鈴本「志ん陽・文菊 真打昇進襲名披露」(2012/9/22)

9月22日、鈴本演芸場9月下席夜の部は「古今亭朝太改メ古今亭志ん陽と古今亭菊六改メ古今亭文菊」の真打昇進襲名披露興行。これから50日間におよぶ興行の2日目であり、文菊の初トリでもある。
入りは満席というわけにはいかなかったが、会場の熱気は一之輔に負けてない。

~真打昇進披露興行~
三遊亭金兵衛「つる」
古今亭志ん輔「替り目」
翁家和楽社中「太神楽曲芸」  
古今亭志ん橋
金原亭伯楽
三遊亭圓歌
昭和のいる・こいる「漫才」
橘家圓太郎「真田小僧」
林家正蔵「悋気の独楽」
林家木久扇
~お仲入り~
「真打昇進披露口上」(下手より司会の志ん輔、伯楽、文菊、志ん陽、志ん橋、木久扇、圓歌)
柳家小菊「粋曲」  
古今亭志ん陽「のめる」
林家正楽「紙切り」  
古今亭文菊「井戸の茶碗」

ネタが書かれていないのは漫談か小咄、新真打を除き持ち時間が短いのでネタも全て短縮版。
出演者について補足すると、志ん橋は志ん陽の現在の師匠、伯楽は文菊の師匠・圓菊に代っての出演。
仲入り前は小三冶と木久扇の交替出演なので、小三冶を見たい人は日にちを確認してください。
新真打は全日程に出演し交互にトリを取るので、お目当てのトリを見たい人はやはり出番を確認してください。

「真打昇進披露口上」はまだ二日目ということもあって真面目な口上が続く。
志ん陽については最初の師匠が志ん朝、次いで志ん上と師匠を亡くした中で苦労してきたことが語られた。
文菊については坊ちゃん育ちで厳しい師匠の圓菊に鍛えられて成長し、前座から10年で真打という最近では異例の抜擢であることが紹介された。
また小三冶会長の実力で昇進を決めるやり方に圓歌は賛意を表し、伯楽は今年の昇進者に「柳」から一人も入れなかったのは英断だと語っていた。アタシも同感。

志ん陽「のめる」
口癖で一人は「つまらねえ」、もう一人は「のめる」。悪い癖なので互いに止めよう、ついては口癖を出した方が相手に50銭の罰金を支払うと約束する。こうなると賭けになるわけで、何とか相手に口癖を出させようとあの手この手と仕掛けてゆく。
登場人物は男二人と相談にのる隠居の3人。
今年志ん陽の高座を何席か聴いてきたが、以前に比べ語りやセリフが一本調子という点はかなり改善されていて、間の取り方も工夫されてきている。
しかし人物の演じ分けは十分とはいえず、もう少し3人の造形に工夫が必要かと思う。
こうした欠点にも拘らず、全体をフワッと包み込むような雰囲気がこの人の特長なのかも知れない。そうした持ち味は一之輔や文菊にはない素質といえよう。

文菊「井戸の茶碗」
結論からいえばこのネタに関しては真打の中堅クラスの出来栄え。とても昨日今日真打になったというレベルとは思えない。
先ず主要な登場人物である屑屋=清兵衛、浪人=千代田卜斎、細川家家来=高木佐太夫の造形、演じ分けが良く出来ている。
間や緩急も巧みで、屑屋が浪人宅と細川家の間を行ったり来たりする場面の切り替えがスピーディーで淀みがない。
何よりこの人は客に対する見せ方が上手い。芸人にとって大事なのは客がどう感じるかであり、その点をきっちり計算できている。
品の良さがこのネタにニンだ。
初トリとしては大成功だったといえよう。

対照的な二人の芸風、これからどう発展してゆくのか楽しみだ。

2012/09/22

「志らく・三三 二人会」(2012/9/21)

9月21日、北千住の"THEATRE1010"で行われた「立川志らく・柳家三三 二人会」へ。異色の顔合わせかと思ったら二人とも先代小さんの孫弟子。
最初"1010"って何だか分からなかったが、これが「千拾(せんじゅう)」というシャレらしい。しかも駅前の丸井店内にあるんだから例の"0101(まるいまるい)"をひっくり返したというわけで、上手く考えたもんだ。
劇場内部の椅子が前列と並びが2分の1ずつずれていて、前の席の頭と重ならないのでとても見やすい。

<  番組  >
前座・立川がじら「狸の鯉」
柳家三三「豊志賀の死」(「真景累ヶ淵)の内)
~仲入り~
立川志らく「長短」
立川志らく「あくび指南」

前座の「がじら」は志らくの11人目の弟子だそうで、変てこな名前は漫画”Dr.スランプ”の登場人物からとったとか。昨年の入門にしてはシャベリがしっかりしてる。

三三「豊志賀の死」
ご存知、三遊亭圓朝作「真景累ヶ淵」の一部。
原作では按摩の宗悦が借金の返済を迫り旗本の深見新左衛門に切り殺されるのが発端。
被害者の宗悦の長女が豊志賀で、加害者の深見新左衛門の子が新吉という因縁話になっている。
ストーリーは。
根津七軒町に住む富本の師匠豊志賀は,親子ほど年の離れた出入りの煙草屋新吉と深い仲になる。
仲睦まじかった二人だが、あるとき豊志賀の顔に腫れ物が出来、次第に顔半分に拡がっていく。
弟子が皆いなくなるなかで若いお久だけが通ってくるのだが、病床の豊志賀は新吉とお久との仲を邪推し嫉妬に狂う。
看病に疲れた新吉が叔父の家に向かう途中お久と出くわす。2人で鮨屋の2階に上がり下総に逃げようと相談していると、突然お久の顔が豊志賀に替わる。
驚いた新吉が叔父・勘蔵の家に戻ると,重病の豊志賀が来ている。駕籠に乗せて長屋に戻そうとすると豊志賀宅の隣人らがやって来て,豊志賀が死んだと報せる。
駕籠にいるはずだと中をのぞくと無人。
二人が急ぎ長屋に戻ると豊志賀は亡くなっていて.新吉の妻を7人まで取り殺すという遺書を残す。

この後、新吉はお久と下総の羽生村に移りいよいよ怪談噺となる。
なぜ「豊志賀の死」だけが高座に掛けられるのかというと、現代にも通じる普遍性があるためだと思われる。
39歳という年増の女が21歳の男と深い仲になり、情夫(いろ)にしてしまう。彼女にとっては初めての男、周囲が見えなくなり愛の世界に耽溺していく。
しかし歳の差は常に気になっていて、そこに顔の腫れ物。いずれ男に捨てられるんじゃないかと妄想を抱き嫉妬に狂ってゆく。
辟易とした男は逃げ出したくなり、知り合いの若い女と駆け落ちの相談までする。
それを察した年増の方は恨みを抱き自死したり、時には刃傷沙汰に及ぶ。
こう書いていけば新聞の社会面やTVのワイドショーなどで毎度おなじみの展開なのだ。

三三の高座は圓生の演出を踏襲しながら登場人物を現代に蘇らせていて、生き生きと描いている。
それぞれの人物の造形と心理描写が見事で、最近では出色の「豊志賀の死」であったと思う。

仲入り後の志らくだが、1席だけと思っていたら「長短」と「あくび指南」2席続けて演じてくれた。
性格が正反対でも仲がいいことがあるというマクラで、圓楽と談志との交友のエピソードを披露。そこから1席目「長短」に入る。
長さんがUFOとか月面着陸についての薀蓄を語るのだが、もしかして理系。
2席目はその二人があくび指南所に行き、短七さんが指南を受けていると長さんが退屈してしまい大欠伸。「お連れさんの方が器用だ」でサゲ。
してみると長さんは世間で言われるほど気が長いわけじゃないらしい。
2席とも以前に高座で聴いているしそういう意味で新味はないが、前半の怪談噺を受けて後半に滑稽噺2席を持ってきた志らくのサービス精神は評価に値する。

全体で2時間弱であったが、中身は充実していた。

2012/09/20

「ネット社会」は人間を幸福にするだろうか(上)

「図書」2012年9月号に作家・赤川次郎の「ネット社会の闇」という記事が掲載されている。
小説を映画化やドラマ化する場合は、先ず出版元に企画してもよいかという問い合わせがきて、次に作者がOKするかそうか判断できるように「企画書」の案が送られてくるのだそうだ。
作者が了解すると「企画書」が映画会社なりTV局に提出される。
作者に送られてくる「企画書」に”イメージキャスト”というのが記載されていて、こういうタイプの役者をイメージしていると作者に伝える。
その役者が分からないとイメージできないので、その時はネットで検索して調べるのだそうだ。
昨年のことで、赤川次郎のある作品の企画書が手元に送られてきて、イメージキャストにあげられていたアイドルが知らない名前だった。
検索すると既にCMに出ているような女の子だったが、ネットを見て驚いたとある。
以下は記事からの引用。

【この女の子に関するデータと並んで様々な悪口が書き込まれていたからである。
もとより、スターやアイドルの好みは人さまざまだ。好き嫌いは他人がとやかく言うことではない。しかしわざわざ「嫌いなアイドル」の悪口を、それも何度も執拗にネットに書き込むのはどういう心理だろう。
特に見過ごせないのは、この女の子の目が細いことを、「チョン顔だな」「こいつはチョンだろ」と書き込んであったことだ。
「チョン」はいうまでもなく「朝鮮人」の蔑称で、決して使うことは許されない言葉である。匿名でなければ言えるはずのないことが、「ネットの投稿」として、時に「炎上」などという現象まで引き起す。】
(中略)
【その悪口は、むけられた相手を傷つけるだけではない。その「書き手」をも、確実に毒し、むしばんでいる。
「文字にする」ということは、単に友だち同士のおしゃべりとは別の次元のものだ。
実名を出して、あるいは直接その当人に向かって、そんな言葉は口にできないだろう。そこには「口に出してならない言葉」を発しない、人間の理性と知恵があるからだ。しかし、顔が見えないのをいいことに、人をののしり続けていれば、その人間の精神はその言葉にふさわしいものにしかなれない。
「言葉、言葉、言葉・・・・・」
と、ハムレットは言ったが、一つの言葉を使うか使わないか、そこには人の品性が現れるのである。】
(中略)
【「言葉」一つ一つの重さについて、絶えず考えていなければ、ネット社会は人間を幸福にしないのではないかと私は思う。】
と記事は結ばれている。

下手なブログを書いている身としては少々耳が痛いけど、著者の指摘は至極もっともだ。
先ず「目が細い=朝鮮人」と断定する、なんという知識の貧しさか。
眼が細い日本人もいれば、眼の大きな朝鮮人もいる。こんな簡単なことさえ理解していなくて、よく掲示板に書き込みが出来たものだ。
この記事で大事なのは後半のパラグラフ、
「その悪口は、むけられた相手を傷つけるだけではない。その「書き手」をも、確実に毒し、むしばんでいる。」
「顔が見えないのをいいことに、人をののしり続けていれば、その人間の精神はその言葉にふさわしいものにしかなれない。」
と指摘してる点だ。
たまに”2-ちゃんねる”などの掲示板をのぞくことがあるが、あまりの言葉の汚さに気分が悪くなり早々に退散してしまう。人間はあそこまで悪意を抱けるものだろうかと。
日常的にああした世界に浸っていれば、精神の荒廃は避けられないのではなかろうか。

娘の会社の同僚がうつ病になった。入社してから20年、快活でとてもうつ病になるなど考えにくい人だったとか。
原因がネットでの悪口と聞き、娘がその同僚の本名で検索すると確かにある掲示板にその同僚の悪口がわんさと書かれていた。
内容からみて内部の事情を知る者で、それも同じ部署の人間なのは明らかだった。
この会社が数年前に企業合併していて、その同僚がしかるべき役職に就いたのが合併の相手方の社員に不満だったようでターゲットにされ、嫌がらせの書き込みを行ったようだ。
卑劣としか言いようがない。
中にはそれを苦に自殺するケースさえあるわけで、これはもう犯罪である。
こうした市井の人間さえターゲットにされる掲示板の存在が、なぜ許されているのだろうか。

ネットは実に便利だ。
しかし人間を幸福にしていけるのかどうか、そこを考えてみたい。
(続く)

2012/09/17

「鈴本秋の喬太郎まつり」中日(2012/9/15夜)

9月15日、練馬から上野に移動し「鈴本秋の喬太郎まつり」の中日へ。落語聴くのもラクじゃない。
鈴本演芸場9月中席夜の部は、喬太郎が日替わりで新作と古典の2席を10日間続けるという趣向。中日は新作を仲入り前、古典をトリで。
既に10日間前売り完売ということで、相変わらずの人気の根強さがうかがわれる。この日は立ち見も出ていた。
寄席の立ち見ってぇのは何度か経験したが、ありゃ大変ですよ。いい場所を取ると、その場から離れると他人に取られてしまうのでトイレにもいけず5時間辛抱したことがある。

<  番組  >
柳家喬之助「猫と金魚」
翁家和楽社中「太神楽曲芸」  
三遊亭歌武蔵「黄金の大黒」
柳家喜多八「旅行日記」
アサダ二世「奇術」
柳家喬太郎「派出所ビーナス」         
~仲入り~
ホームラン「漫才」
隅田川馬石「安兵衛狐」
柳家小菊「粋曲」
柳家喬太郎「小言幸兵衛」
         
喬之助「猫と金魚」
この落語は例えば冒頭の
主人「番頭さんや、金魚鉢に入っている金魚、無くなってるんだけど、どうしたい?」
番頭「私、食べてませんよ」
といったナンセンスなギャグが特長なのに、喬之助のように普通に喋ったのでは面白味を殺してしまう。
自身で「私の落語はあまり面白くない」と語っていたが、この人の高座を何席か聴いてみて方向性が定まっていない気がする。

歌武蔵「黄金の大黒」
マクラで今回の芝居には喬太郎の独演会には来ているが寄席は初めてという人が多い気がすると言っていた。他の演者になると無関心という人がいるというのだ。この日に限ればそういう傾向は無いように思った。
ネタは時間の関係からか前半で切ったが、大家の倅が黄金の大黒を掘り当てたということで長屋の連中が入れ替わり立ち代りでお祝いの挨拶をする場面が良く出来ていた。
着実に力をつけてきている。

喜多八「旅行日記」
落語家の高座への上がり方は個性があり、緊張感を漂わせて上がる人、勇んで上がる人、小股でゆっくり上がる人、憮然とした表情で上がる人、色々だ。
喜多八は脱力系で上がってくるが、ネタに入ると熱演、この落差が魅力だ。
旅館サービスについての薀蓄をマクラに本題へ。
3年前には美味しい鳥鍋、2年前には美味しい豚鍋を食わせてくれた古びた旅館に友人を連れて来てみれば、実は・・・、という噺。
殿下ワールド全開。

喬太郎「派出所ビーナス」
お客さんで喬太郎を知らなかったという人?と訊いたら、3人位がハーイと手をあげていた。寄席だから色んなお客がいる。
新幹線で大声を出す客を注意していた車掌が、いっこうに止めようとしないと終いには脅かして止めさせていたというエピソードなど、本題が短いからマクラにたっぷりと時間をかけてネタへ。
池袋駅前に女性だけの交番ができ、そこには様々な前歴の婦人警官が勤務する。旅館の女将だったり、メイドだったり。どうしても前の職業の癖が抜けないところから起こる騒動を描く。
他愛ないストーリーで、専ら演者の話芸や仕種で聴かせるネタだが、さすが喬太郎は達者だ。
ただこのネタは池袋演芸場向きなのでは。

ホームランの「たにし」は三波伸介の弟子だったんだ。どこか浅草のボードビリアン風な匂いがすると思っていたら、そのせいか。
いつもと違って歌舞伎の所作を演ってみせたが、堂に入ってる。
このコンビ協会への入会こそ浅いが、芸の確かさではトップクラス。

馬石「安兵衛狐」
膝前でこういうネタをちゃんと演る姿勢がいいじゃありませんか。
「野ざらし」に少し似てるが、こちらの方がメルヘンチック。
この人も着実に力を伸ばしてきている。

小菊さん、あんな作家と別れてボクと結婚してください。
あなたは三味線だけ弾いてくれればいい。家事は全てボクがやります。

喬太郎「小言幸兵衛」
近年では圓生の名演があり、志ん朝やこの喬太郎も圓生の演出をベースにしている。
手元に2009年の高座のDVDがあるが、その当時と比べて一段と良い仕上がりになっている。例えば以前のものは家主の人物描写にブレがあったが、今回は終始どっしりと構えていた。
ただ惜しむらくは咳き込みがひどく、度々短い中断があったことだ。咳の結果声もかすれるので、豆腐屋の啖呵や、仕立て屋の芝居噺の所で一部セリフが聞き取りにくい箇所があった。特に都々逸を一節うなる場面では声が出ず、あれならそのまま詞を語った方が良かった。
人気落語家ともなれば一日に3席4席演ることも珍しくないし、生身の身体だから体調が悪い時もあるだろう。
喬太郎の高座ではしばしば声の状態が悪い時に出くわす。
噺家にとって声はメシのタネだ。普段からよくケアをして、高座には出来るだけ良好なコンディションで臨んで欲しい。特に今回のような特別のイベントの時は。
そこだけが残念だった。

2012/09/16

柳の家の三人会(2012/9/15)

9月15日、練馬文化センター大ホールで行われた「柳の家の三人会」、3人とは花緑、喬太郎、三三。
この日は夕方から「鈴本秋の喬太郎まつり」もあるので、これじゃまるで喬太郎の追っかけだ。
近くの人がビラをめくりながら「今日のプログラムが入ってないわ、いつもはあるのにね」と言っていたが、今日はありませんよ、主催が「夢空間」だから。その代り他公演のビラは山ほど用意してございます(この日は比較的少なかったけど)。
こういう興行会社が幅をきかせてるってぇのも困ったもんだ。
ここの小ホールは何度か来たことがあるが大ホールは初めて。傾斜が大きいので前の人の頭が気にならず見やすい。

<  番組  >
前座・柳家圭花「狸札」
柳家喬太郎「錦の袈裟」
~仲入り~
柳家三三「乳房榎(の内「おきせ口説き」)」
柳家花緑「妾馬」

圭花は花緑の10番目の弟子だそうだ。あの年で10人か、現役ではさん喬に次ぐのでは。人望が高いのかな、それとも入門しやすいのか。
喬太郎は未だ弟子を取らないようだが、そろそろ後継者の育成に取りかかるキャリアに達しているんじゃなかろうか。弟子を育てるのは落語家の使命でもある。

喬太郎「錦の袈裟」
マクラでご当地練馬について思いを語っていたが、客の大半は区外から来ていたと思われる。
10代目文治が江戸言葉にやかましく前座が「有難うございました」などと言うと、「有難うございますだろう、感謝の言葉に過去形はねぇ」と叱ったそうだ。
これは江戸弁に限らず「有難うございました」という言い方は間違っている。過去の出来事であっても、今も感謝してるなら現在形が正しい。いつごろから誰が言い始めたか知らないが、誤用がすっかり幅をきかせてしまった。
喬太郎の演出は円生のそれをほぼ踏襲している。
この噺、錦の反物が10人分しかないのに11人いるからと、与太郎だけは自己調達して来いと言われてしまう。知的障碍者として頭から差別されるわけだ。
処が袈裟を褌にした与太郎だけがもてて、他は皆すっぽかしを食う。
この噺の原型をこさえたのが盲の小せんというのも何となく肯ける。
花魁と一夜を明かした与太郎がすっかり頭脳が冴えてしまうというクスグリが効いていた。

三三「乳房榎」、圓朝作の長い怪談噺のうち発端の「おきせ口説き」の場。
ストーリーは。
武士から絵師になった菱川重信、”おきせ”という絶世の美人を妻に迎える。
ある時、近くに浪人・磯貝浪江という男が重信の弟子になる。良く気が付き絵も上手かったので評判は上々。
師匠の重信が南蔵院から天井画の龍を頼まれたので、供を連れて寺に泊まり込みで絵を描き始めた。
浪江は留守宅に毎日のように訪ねてくるようになったある日、仮病を使って泊めて貰い、夜更けに起き出し横恋慕していたおきせに情交をせまった。最初からこれが目的だったのだ。
激しく抵抗するおきせに、浪江は幼い息子を殺すと脅し思いを遂げる。
一度だけ二度三度と重なるうちに今度はおきせの方から誘うようになっていく。
浪江としては、絵を描き上げて重信が帰ってきたらこの仲は終わってしまうので、それならいっそ・・・。
オリジナルをかなり端折っていたが、それでもここまでで全体の4分の1位。
三三も言ってたが、これからが面白くなる。
三三は声が良く通り歯切れも良いのでこうした人情噺や怪談噺に向いている。これは師匠・小三冶や大師匠・先代小さんにもない優れた素質だ。客席も引き込まれていた。
将来、柳の看板を背負うのはこの人だろう。

花緑「妾馬」。長かった、と言ってもフルバージョンではない。
お鶴を見初めた殿様の家来が、彼女の住む長屋を訪ねるところから始まる。奉公にと聞かされた大家はお鶴の母親を訪れ了承を求める。
このプロローグの部分にかなり時間をかけていた。
お鶴が跡取りを生んだという知らせで大家が八五郎を呼び、殿の招きだから城に伺うようにと伝える場面で、花緑がダレテしまった。肝心の言葉遣いを丁寧にしろと「頭に”お”を付けて、終いに”たてまつる”」だと、大家が八五郎に教える所を抜かしてしまった。
やはり始めの部分に余計な時間をかけ過ぎたからだろう。
ミスに演者自身が気が付いたのだろう、八五郎が城門を入り田中三太夫と共に殿の御前に進むまでが集中力を欠いていた。
八五郎が酔い始める頃になってからは立ち直り、最後はホロリとさせて終わる。
ミス以外にも、八が時折り現代言葉のような喋り方をするのと、殿様の風格が欠けていた点が気になった。
総じてあまり感心できない一席だったと思う。

2012/09/13

【街角で出合った美女】アルメニア編(1)

黒海とカスピ海に挟まれた地域を一般にコーカサス地方とよんでいますが、その間を東西に走るのがコーカサス山脈です。
コーカサス山脈の北側はソ連邦崩壊後もロシア連邦に組み込まれてしまいましたが、南部の3国は独立を果たしました。通称コーカサス三国。
カスピ海側がアゼルバイジャン、黒海側がグルジア、その間に挟まれてアルメニアという配置になっています。
カスピ海周辺は石油の宝庫でアゼルバイジャンは恩恵を受けていますが、他の2国はこれといった資源も無く生活は豊かとはいえません。その分自然は豊かで伝統文化が守られているという印象を受けました。

アルメニアは世界で初めてキリスト教を承認した国として知られています。
エルサレムにあるキリストの墓が祀られている聖墳墓教会はキリスト教各宗派の共同管理になっていますが、中でもアルメニア正教(使徒教会)は最も好位置を占めていました。やはり元祖は立場が強い。
海外の旅の楽しみの一つに、結婚式に出会うことがあげられます。
時には祝いの行列の飛び入りで参加することもあります。幸せそうな新郎新婦を見るのは楽しいものです。
今回のツアーでもゲハルト洞窟修道院の見学で、ちょうど挙式を終えたカップルに出会いました。
この花嫁さんの美しいこと。
記念写真に割り込んでの1枚。
Photo

ガルニ神殿では首都エレバンからはるばる”ルイス”という女性コーラスグループがやってきて、私たちのツアーのために神殿内でミニコンサートを演じてくれました。さすがはプロで素晴らしい歌声を聴かせてくれて感激しました。
黒の上下に花柄のエプロンのような民族衣装が似合います。
若いころはさぞや・・・、と思わせる美しさです。
Luys

2012/09/12

ニセモノ「維新」

維新、維新と議員は進む
維新いよいか住みよいか・・・

9月11日、民主党、自民党、みんなの党の衆参国会議員7名が離党届を出した。今後は橋下徹市長ひきいる「日本維新の会」に合流し新党を結成する運びとなる。
ここのところ鼻息の荒い維新の会だが、「維新」というと通常は明治維新を思い浮かべるが本来どういう意味だろうか。
辞書によれば次の通り。
【維新】すべてが改まって新しくなること。特に、政治や社会の革新。(「詩経」大雅の文王から。「維(こ)れ新(あらた)なり」の意)
明治維新のことを古くは御一新と呼んでいた。ではその「一新」とは。
【一新】すっかり新しくすること。また、まったく新しくなること。
いずれもすっかり新しくなるという意味を備えている。

既成政党からこぼれてきた、ただただ次の選挙で当選したい一心で合流する議員を集めて、何が「維新」か。
例えば「みんなの党」から加わった人たちだが、「みんな」への風を期待したが思うようにいかず、今度は維新の風になびいたというのが本心だろう。
ご当人たちに訊けば違うと否定するに決まっているけど。
現にある維新幹部は今回の件について「とにかく五人欲しかった。聞いたこともない議員もいたが、とにかくお互いの利害が一致したということだ。」と語っているが、本質をついている。

7名の議員と維新の会との間では政策や理念は完全に一致していると言うが。松野頼久議員はTPP強硬反対派で、松浪健太議員は消費税増税法案に賛成した増税派、TPP加盟賛成・増税反対の「維新の会」とは正反対なのだ。
同床異夢、やはり選挙目当てとしか思えない。
「維新」が連携を深めている自民党の安倍元首相にしても大の原発推進派で消費税増税賛成と、政策は全く逆方向だ。
衆院選では公明党と大阪と兵庫での選挙協力することを表明しているが、これは橋下市長の大阪市議会での議会対策上という理由からだ。
政党からすればいち地方議会のために国政選挙が左右されるということであり、まさに本末転倒、国政政党としての体を成していない。

どうやらこれは羊頭狗肉のニセ維新。
次第に馬脚を現わすことになるだろう。

2012/09/10

「出没!ラクゴリラ」ファイナル(2012/9/9)

会の正式名称は”「第20回花のお江戸に出没!ラクゴリラ」ファイナル、10年間の感謝を込めて~こごろう改メ二代目桂南天襲名披露~”という長い長い名前。
9月9日、お江戸日本橋亭で開かれたこの会、他のサイトのカキコミで紹介されて知り出向く。つまり初参加。
”ラクゴリラ”というのはこの日の出演者の林家花丸、笑福亭生喬、桂文三、桂南天4名からなる入門約20年の同期グループの名前。
東京公演は今回で20回目でファイナルだが、大阪では100回を重ねこれからも継続するそうだ。
噺家の入門同期が集まって長期にわたって定期的に落語会を開いているというのは、あまり例が無いのでは。
しかも上方落語家にもかかわらず、同じメンバーが東京で10年間も会を続けてきたのは驚異的なことだと思う。
会場は満席、とても雰囲気の良いお客さんたちだった。

<番組>(全員ネタ出し)
桂雀五郎「初天神」
林家花丸「阿弥陀池」
笑福亭生喬「堀川」
~中入り~
「二代目南天襲名披露口上」
桂文三「京の茶漬」
桂南天「素人浄瑠璃」
(三味線:はやしや律子)

先ず「二代目南天襲名披露口上」から、本人を中央にひとりひとりが祝辞を述べるという形式は一緒だが、通り一遍ではない心温まる内容だった。
花丸の司会で始まり、文三は先に5代目を襲名した経験から名前を継ぐのは新しい着物に着替えるのと一緒、ただ仕立ては自分自身でするしかないと語る。
生喬は大学からの同級生ということで同じオチ研の思い出話や、南天に引っ張られるように噺家になった経緯を語る。
司会の花丸も、南天の美点は決して嘘を言わないことで人間として信頼できると語り、最後に南天(”難を転ずる”ということで縁起が良いんだそうな)の実のように最初は小さな実であってもやがて大きな木に育って欲しいと結ぶ。
こういう場であっても笑いの中に率直な心情を吐露し合える仲間、だからグループとして永く一緒に活動できたんだなと納得させられた。
それぞれのネタも良かったが、この日最も印象的だったのはこの「披露口上」で敢えて冒頭に持ってきた次第。

雀五郎「初天神」、東京でいうと二ツ目になるがこの日は前座の仕事も。
開口一番ながら最後のイカ(東京では凧)の場面までのフルバージョン。表情がやや硬いのが気になったが、途中からエンジンがかかり面白く仕上げていた。
上方版は初めて聴いたが、倅がまるで「真田小僧」のように悪知恵を働かせるところ、団子の蜜を吸って壷にドボンと漬けるのを倅もやるところ、凧揚げで糸を段々に継ぎ足しながら高く揚げていくところが東京と異なるようだ。

花丸「阿弥陀池」、この日のメンバーの中では最も達者な印象を受けた。
マクラで、新幹線の中で宝塚のDVDを見ていた時のエピソードから、ミュージカルの劇評を書くよう新聞社から依頼があった話と次いでこのネタに入る。
落語のマクラというのはイントロなんだから、やはりこうして本題につなげていくのが本筋だ。
しばしば独演会なぞでネタに関係ないマクラを長々とやり、それを客も喜ぶような光景を眼にするがあれは邪道。
東京では「新聞記事」として軽く演じられるのこのネタもオリジナルとなるとグッと難しくなる。ただ「糠に釘」という諺が一般的でなくなったのでシャレが通じ難くなってきた。
花丸の高座は登場人物の演じ分けも巧みだし、何よりクスグリを含めて「間」がいい。

生喬「堀川」、学者のような風貌で、高校時代から落語家になるまでの経緯をかなり長くマクラに振った。ネタというよりは中入り後の「襲名口上」に対するマクラだったかと思われるが、客席がダレテしまっていたのが惜しまれる。
「堀川」は初めて聴く噺で大阪でも珍しいネタではなかろうか。
タイトルの由来は、噺の中に出てくる猿回しが浄瑠璃「近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)」の「堀川猿回しの段」のパロディになっているらしい。
酒好きの息子と、その向かいに住む喧嘩好きの息子に手を焼く親たち。特に喧嘩好きの方は寝起きが悪く、母親は何とか機嫌よく起こそうと心中がおきたの火事がおきたのと言うのだが、眼が覚めた息子はそれで又ひと騒動を引き起こす。ざっとこんなストーリー。
長い割には笑いが少なく、かといってホロリとさせる人情噺でもない。
生喬は語りはしっかりとしているのだが、およそ演じ手として儲からぬネタを選らんだという気がする。

文三「京の茶漬」、高座に出ただけで客席が明るくなるようなキャラが良い。
京都の人間が、客が帰ろうとすると茶漬けを勧めるがこれはお愛想、実際には出て来ない。そこで大阪の人が何とか茶漬けを食べてやろうと京都の知り合いを訪ねあの手この手でねだるという他愛のないストーリー。
それでも十分面白かったのは偏に文三の明るさと愛嬌。どこかに師匠・文枝(今のじゃない)の面影を感じる。

南天「素人浄瑠璃」、襲名した途端、今までのサン付けから急に師匠と呼ばれて戸惑っていると。従来通りサンとかチャンとか呼んで下さいと言っていたが、大阪では真打相当の人でもサン付けなんだ。東京もそうすりゃいいのに。何でもかでも「師匠」「師匠」呼ばわりは耳障りだ。
このネタ、東京では「寝床」というよりは上方でも「寝床」で演じられていると思われ、サゲに行く前で切ったのでこのタイトルにしたのかも。
下手なカラオケで往生するというマクラから間に挟むクスグリまで、大師匠の枝雀の演出を踏襲している。想像だが一部、文楽(今のじゃない)の演出を参考にしていたような気がしたがどうだろうか。
時々カム癖が気になったが、全体としてはとても楽しい高座を聴かせて貰った。

四人四様、それぞれの持ち味が活きていた。
そして全員がマクラの冒頭で、今回が東京での最終回となるにあたり10年の思い出と感謝の言葉を伝え、それに観客が温かく応えるという情景が何より印象的だった。
最初で最後ではあったが、来て良かった。

2012/09/08

土曜の早朝寄席 VOL.3(2012/9/8)

9月8日、ミュージックテイト西新宿店内で開かれた「土曜の早朝寄席VOL.3」へ。
会場は演芸関係のCDショップのようで、閉店時間を利用して落語会を行っている模様。入りは20名弱か。
この日は午前10時開演で、二ツ目の林家たけ平、古今亭駒次、三遊亭歌太郎の3名が出演。
二つ目は人数が多い割には、普段の寄席ではひとつの芝居に出られるのは一人か二人で見るチャンスが少ない。
落語協会の真打昇進はいよいよ下剋上時代に突入したかのようであり、今日の顔ぶれで言えば、たけ平あたりは十分射程距離に入る勘定になる。
アタシも小三冶会長の向こうを張って(張れないか)有望な二ツ目を発掘すべく参戦、って云うこたぁ大仰だね。
要は土曜の午前中がヒマだったから出かけたというところ。

<  番組  >
林家たけ平「相撲風景」
古今亭駒次「ガールトーク」
三遊亭歌太郎「転宅」
~仲入り~
古今亭駒次「公園のひかり号」

たけ平「相撲風景」、この日のお目当て。
元々は上方の古典だが、東京では先代金馬が得意としていた。ベストは談志。
古典落語というより演者の大相撲に対する思い入れや薀蓄を語るスタイルで演じられる。大相撲は決して純粋なスポーツなんかじゃなくて見世物としての要素の強い競技だ。八百長があるなんてファンは知っていたし承知で見ていた。だから「八百長がある」なんて言うだけ野暮ってぇもんなのだ。
まあその辺りの話題から、かつての個性的な力士のエピソードを散りばめて、本題は小便が我慢できず徳利にしてしまう部分のみ。
面白かった。
正蔵の弟子らしいが客のイジリ方や掴み方は”しん平”に似ている。
本当はフツーの古典を聴きたかったが、午前10時のサラじゃ「芝浜」も無いしね。
真打候補の一人となるのは間違いない。

駒次「ガールトーク」は新作。
ファミレスに集まった奥さんたちが、先に帰った人の悪口を順番に言うという他愛もない噺。名称は「ガールズトーク」だと思うんだけど。
近ごろやたらに”ガール〇〇”だの”女子会”だのという言葉が使われるけど、あれってホントは10代の女性を指すんじゃなかったっけ。それとも平均年齢が上がってきたので、今では40代位でも”ガール”や”女子”になったんだろうか。
作品としてはもう一捻り欲しい気がする。

歌太郎「転宅」、決して悪い出来とは思えないのだが、いかんせん面白くない。全体に硬い。
未だ顔が噺家のそれになっていないのがひとつ。落語家は顔が大事だ。客は落語家の顔を見ながら聴くわけだから顔は重要な商品だ。
そりゃ親に言ってくれっていう人がいるかも知れないが、それは違う。芸人の顔は自分で作るものだ。芸人だから醜男では困る。さりとて二枚目でも芸の邪魔になる。そこが難しい。
例えば初代三平、いい男過ぎてそれを隠すためにあの独特の髪型をあみだした。先代痴楽は顔の筋肉を動かして「破壊された顔」をこしらえた。
喋りはしっかりとしているので、先ず表情の作り方を研究して欲しい。

トリで駒次「公園のひかり号」、こちらは前の作品に比べ完成度は高い。
この人は鉄道ファンらしく、その点が作品に活かされている。
クライマックスシーンでセリフの間違いという大きなミスはあったが、語りは決して悪くない。
ただ2席演るんだったら、どちらかは古典を選んで欲しかった。

家に戻ってシャワーを浴びてビールを飲んでから昼寝、こういう落語会もいいね。

2012/09/07

【街角で出合った美女】アゼルバイジャン編(2)

自民党総裁選挙の候補者として安倍晋三元首相の名があがってるそうですな。数年前だかに腹の具合がどうのと言って総理の座を投げ出した人だったよね。
自民党の野党転落のA級戦犯とまで評されながら今回名乗りをあげたのは、橋下市長と昵懇なのがウリらしい。これから総選挙を戦うってぇのに他党と親しいから総裁にってんだから、天下の自民党も落ち目になったもんだ。

そういうわけでアゼルバイジャン、イスラム教の国なのに女性の服装はかなり自由です。都市部ではスカーフを付けている人さえ少ない。
カスピ海をはさんで東側のトルクメニスタンでは、ミニスカートや胸の谷間が見えるような服装の女性が街を闊歩していましたっけ。
イスラム原理主義が台頭する前のエジプトでも、カイロやアレキサンドリアでは女性の多くが自由な服装をしていました。
信仰と服装は別モノだろうから、イスラムの宗教指導者はもう少し頭を柔らかくした方がいいと思うんですが。

アゼルバイジャンの首都バクーにある世界遺産「シルヴァンシャー宮殿」内では、王族が栄えていた14-16世紀当時に使用されていた様々な道具やアクセサリー、食器などが博物館に展示されていました。
この博物館では民族衣装の貸し出しもしていて、ご覧のような展示物をバックに写真を撮るとまるで中世にタイムスリップしたような気分になるようです。
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館内では展示コーナー毎に説明員が配置されていますが、全員女性、それも見目麗しき人が多かった。
こういう国では国立の施設というのは女性には人気なんでしょうね。
下の写真の女性もその中のひとりで、薄暗い場所でフラッシュ不可という条件とカメラマンの腕の悪さからか輪郭がボケてしまいましたが、魅力は十分伝わると思います。
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2012/09/05

【街角で出合った美女】アゼルバイジャン編(1)

中国で日本大使の公用車から国旗を強奪した事件で、かの国のネットではこの行動を英雄視する意見が大半だとか。本来ならこういう人間がいることを国民は恥じねばならない筈だけど。中国のネットも「ネトウヨ」に占拠されつつあるようですね。

さてアゼルバイジャン、首都バクーはオイル景気で超高層ビルがボンボン建てられていました。中心街にはブランド店が軒を並べます。
一歩郊外に出れば油井櫓が林立していて、かつて映画「ジャイアンツ」で見たシーンを思い出しました。
物価は近隣国に比べ高いので庶民の生活は大変だろうと思います。
観光一日目の昼食を終えてバスに乗ろうとしたら、目の前の家具店のドアに女性が立ってこちらを見ているのに気付きました。
カメラを向けるとニッコリと微笑んでくれました。
いやー、スタイルが良いですね。

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        (クリックで画像が拡大)

2012/09/03

「ミス・サイゴン」(2012/9/1ソワレ)

青山劇場で上演中のミュージカル「ミス・サイゴン」、9月1日ソワレ公演を観劇。
予想はしていたが女性客が圧倒的で男の多くはカップル。爺さん独りなんてぇのはアタシだけだったかも。でも入り口じゃ止められなかったよ。
この芝居はベトナム戦争が背景になっていることから、以前から一度観たいと思っていた。
思えばベトナム戦争、あるいはベトナム反戦というのは青春そのものだった。
10数年前ベトナムを訪れたとき、若い現地ガイドに日本でもベトナム戦争に反対した運動が全国で行われていたんだと語ったところ、ほとんど反応が無かった。今やベトナムでも戦争は遠くなりにけりか。
ましてや劇場に集まった客の大半もベトナム戦争のことは良く知らないんだろうな。
アタシが子どもの頃、日本はアメリカに占領されていたなんて話すと、眼を丸くする人がいるもんな。
今回の舞台は、過去の帝劇での公演と異なる新演出ということだが、前回を観てないので比べようはない。

音楽:クロード=ミッシェル・シェーンベルク
作詞:アラン・ブーブリル/リチャード・モルトビー,ジュニア
翻訳:信子アルベリー
訳詞:岩谷時子
振付:ジェフリー・ガラット
演出:ローレンス・コナー
<  主なキャスト  >
市村正親:エンジニア(サイゴンのナイトクラブ(娼館)経営者)
笹本玲奈:キム(南ベトナムの少女、クリスの恋人)
原田優一:クリス(米兵)
上原理生:ジョン(同、クリスの戦友)
木村花代:エレン(クリスの妻)
泉見洋平:トゥイ(ベトナム兵士、キムの恋人)
池谷祐子:ジジ

ストーリーは。
時代はベトナム戦争末期の1975年から。
主人公キムは米軍の爆撃で故郷の村と両親を失い、アメリカン・ドリームを追い求めるエンジニアが経営するサイゴンのナイトクラブに職を求める。
実状はG.I.相手の娼館と化していて、キムも米兵クリスの相方となって一夜を共にする。互いの境遇にひかれあい恋におちるが、キムにはベトナム兵士トゥイという恋人がいて、二人の前に現れたトゥイはアメリカの敗北が近いと言い捨てて去る。
やがてサイゴンが陥落し米軍は撤収するが、クリスはキムを何とかアメリカに連れて行こうとして探すのだが、見つからぬままヘリで帰国してしまう。
ベトナムが社会主義国になった1978年、幹部になっていたトゥイはエンジニアにキムを探させ再会する。キムに結婚を迫るが、キムがクリスとの間のできた息子タムの存在を告げると、逆上したトゥイはタムを殺そうとして逆にキムに射殺される。
本国に帰還したクリスは戦争の後遺症に苦しむが、傍らに妻エレンが献身的に支える。
戦友ジョンからキム母子がバンコクで暮らしていると聞いたクリスはエレンを伴いバンコクに向かう。
バンコクの安キャバレーの客引きをしていたエンジニアと出会ったジョンはキムに会い、クリスが来ている事を告げる。
大喜びのキムは早速クリスのホテルを訪れるが、そこには妻のエレンがいた。絶望したキムは部屋を飛び出し、入れ違いに戻ってきたクリスとエレンは愛を確かめ合い、キムの息子タムを引き取りキムには援助を続けようと決める。
再びキムに会いに行くクリスとエレン夫妻、しかし思ってもいなかった結末が待っていた。

別の見方をすれば、世の中には好きな女ができて子どもまでつくりながら、男は別の女と結婚してしまい両者の板挟みで苦しむ、なんてことはザラにあること。
世の男の多くは妻を選び、母子には養育費を払うか子どもだけ引き取るかして決着をつけるようだ。女が身を引いてくれりゃ、これ幸い。
こう言っちゃ身も蓋もない話になってしまうが、事実だから仕方がない。
そうしたミもフタもというのを、ベトナム戦争を舞台にして「究極の愛」の物語に仕立てたのがこの芝居。
それも徹底したアメリカ側の視点で描いていて、キムの恋人であるベトナム兵士なんぞは敵役にされている。
そんな筋書より俳優たちの歌と踊りを楽しむというのが、正しい見方かもしれない。

先ず主役の市村正親が素晴らしい。歌も踊りも群を抜いている。そして男の色気。さすが若いカミさんを持つだけのことはある。
市村の芝居を何本か観てきたが、シリアスな演技から今回のようなミュージカルでのポン引き役まで全て嵌ってしまう。
日本の演劇界でも過去にないような第一級のエンターテナーと言って良い。

キム役の笹本玲奈、少女というには成熟し過ぎている感があるが、さすがに歌声は美しい。聴いていてウットリするほどだ。
原田優一や上原理生らの男性陣も好演。特に上原は声が良い。
ジジ役の池谷祐子が華麗な踊りを見せる。
アンサンブルも全体的に良くまとまっていて、日本のミュージカル俳優の層の厚さを実感した。
舞台装置ではヘリコプターの離陸シーンが圧巻、大道具さんは苦労したろう。

全国ツアーは2013年1月17日まで。

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