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2012/10/08

月亭八天独演会(2012/10/7)

10月7日、お江戸日本橋亭で開かれた「月亭八天独演会」。東京での会は新作では過去3回、古典では今回が2回目とのこと。
当方は名前も知らなかったが、ブログにコメントを寄せた方のお薦めで出向いた。
昼夜公演の昼の部に行ったのだが入りはあまり良くなかった。夜はもっと悪いとのことで、会場費やゲスト、囃子のギャラやら大阪からの交通費を差し引くと果たして残るのかなと心配になってくる。
大阪から東京へは夜行バスで移動してきたようだ。文珍のように自家用ジェットを所有している噺家もいるし格差は大きい。
後述するように芸はしっかりしているが、いかんせん東京では有名とは言いがたい。
一方で名前と人気だけで大した芸の無い噺家がホールを満員にしている現実もある。
これは落語だけに限ったことではないけど。

<  番組  >
月亭天使「兵庫船」
月亭八天「七代目月亭文都襲名」
鈴々舎八ゑ馬「代書屋」
月亭八天「らくだ」
~仲入り~
月亭八天「天災」

開口一番の天使は八天の弟子で女流。
言い間違いをしようがミスしようが、そんなことお構いなしに突っ走る。いい度胸をしている。
「兵庫船」、上方では前座噺なんだろうか、結構難しいと思うのだが。

次に上がった八天から「七代目月亭文都襲名」についての説明があった。
上方落語中興の祖といわれる初代桂文枝の門下に2代目桂文都がおり、2代目文枝の襲名争いに敗れて「桂」から「月亭」に改名した。
「月亭」の由来は、古代中国神話で「月には桂の木が生えている」とされることからで、「桂」が生えているのは「月」があってこそ、という文都の自負心が込められている。
3代目以後は元の桂(現在の文枝の系列)の亭号に戻り、6代目として先に亡くなった立川文都がいる。
今回の襲名は師匠・月亭八方の推しによるもので、一門に古典を演る者が少ないという事情があったようだ。
ただ文都は代々「桂」亭を名乗ってきたので文枝一門の了解や、6代目の未亡人への了解も必要だったとのこと。襲名ってぇのは大変なんだねぇ。
月亭文都という名前は112年ぶりの復活となる。
襲名は来年の3月で、大阪を始め東京でも襲名披露興行が行われる由。

八ゑ馬「代書屋」は初見。
関西出身のようで、上方落語バージョンで演じ良い味を出していた。
だが、どうして上方へ入門しなかったんだろう。

八天の1席目「らくだ」。
始めは硬さがみられてミスもあったが次第にエンジンがかかってきた。
上方の「らくだ」の特長としては、ラクダの兄いと屑屋が酒盛りするシーンに時間をかける。
とりわけ屑屋が元は通りに一軒構える身でありながら、酒で持ち崩して裏長屋住まいの屑屋稼業。それがもとで前妻に死なれ、今は前妻との間に生まれた娘と妻と幼い息子の4人暮らしという、細かな身の上話をする所が大きな特色となっている。
娘が雨の中を父親の酒を買いに出かけるのを思い出しながら屑屋が泣く。
そこで屈辱感がグッと湧いてきて、次第に屑屋の怒りが爆発してゆく。その過程が見どころとなる。
そして兄いに対しては一方で恐れながら、もう一方で弟分の葬礼のために尽力したことには評価するのだ。
八天は屑屋の細かな心の動きの描き方が巧みで、上々の「らくだ」だった。

八天の2席目「天災」。
上方版は初見だったが、東京のものと殆んど同じ内容。
心学の先生と荒くれ者の八とのセリフの間、切り返しの妙に優れていて、東京版より面白く感じた。

八天は文都襲名を師匠から押し付けられたように語っていたが、実際はこの人の才能を評価しての推薦だったのだろう。
そう思わせるこの日の高座だった。

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コメント

有難うございます!(八天師匠とは、まあ顔と名前を覚えられている程度の間柄ですが)。
襲名は例によって知名度の高い人達が揃うらしいので、本当にお江戸で知られる機会として貴重だと思います。

『らくだ』は、桂雀三郎師匠(今なお「焼肉の変な歌」を売り物にしていますが、実は骨太な本格派)に教わったようで、ほぼ同じ内容です。
僕としては、おっしゃるように紙屑屋の生活の哀感と、強悪な兄貴分のある意味での優しさが、本場『らくだ』の肝だと思うのですが。
ちなみに笑福亭では、原則サゲまでやります。
『天災』おっしゃる通り2人のやりとり?が絶妙ですね。こちらは『らくだ』と違って江戸ネタの輸入のようです。

投稿: 明彦 | 2012/10/08 23:58

明彦様
結構な会でもっと沢山の人に聴いて欲しかった。
「らくだ」ですが、らくだとその兄貴分、そして屑屋共々、当時の社会の最底辺に属する人たちです。この噺の眼目はそういう人々の連帯感というか共感というか、そうしたものが根底にあると思うのです。
その点からすると上方版の方が優れているし、この日の八天の高座も説得力のあるものでした。

投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/10/09 22:13

度々失礼します。
上方で落語にはまった身としては、上方版の『らくだ』は生だけで20回以上は聴いているのに、お江戸版は先代可楽・志ん生・家元・さん喬のCDを持っているぐらいです。
サゲまで演じると「火屋」の(敢えて言えば)「穏亡」も登場する訳で、上方版では正におっしゃる通り「最底辺」の人々の「連帯感」「共感」があると思います。
その一方、酔った紙屑屋がらくだへの怨念を爆発させる江戸版には、弱い存在がさらに弱い立場の者を傷付ける、救いのなさを感じてしまうのですが・・・。
初代春團治が「皮田」という本名が示す通りの「出自」を隠そうとしなかったことも考えると、東西の意識の差があるような気がします。

御存じとは思いますが、劇団大阪の周辺「谷六」は、『らくだ』の舞台です。
「最底辺」という印象はありませんが、戦前の長屋が大阪で最も残っている地域と言えます。

投稿: 明彦 | 2012/10/10 23:40

明彦様
上方の「らくだ」ですが、松鶴と米朝とでは屑屋が怒りを爆発させる場面でのセリフが異なるようで、屑屋の身の上話が入るのは米朝版のようですね。
私が聴いた数少ない上方の「らくだ」はいずれも米朝版だったようで、東京でも最近この形で演じる人もいます。
可楽の「らくだ」ではその部分を「ふざけんねえ、ふざけんねぇ」のセリフだけで表現させ、聴き手が状況を斟酌するという演じ方にしてます。
なお当方の「らくだ」に関する拙文は下記のURLに掲載していますので、ご興味があれば笑覧ください。

”「らくだ」の屑屋はなぜキレたか”
http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-2488.html

投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/10/11 06:09

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