#5「東のさん生・西の鶴二」(2012/10/28)
10月28日、神楽坂毘沙門天で行われた「東のさん生・西の鶴二 その五」に。当ブログにコメントを寄せて下さった方からの紹介で参加。
この会場は以前には何度か来たことがあるが久しぶりだ。神楽坂はホコ天になっていて多くの客で賑わっていたが、すっかり若者向けの街になってしまったようだ。
この会は名前の通り、東京の柳家さん生と上方の笑福亭鶴二の二人会で、東京と大阪交互で開催されているようだ。今回が5回目で東京の開催とのこと。
常連さんが遅れるということで開会を少し延ばしていたが、こういう処がアットホームで地域寄席らしい。
【柳家さん生】柳家小満んの惣領弟子、寄席では何度か見ていたがいずれも軽いネタで、こういう落語会は初めて。
【笑福亭鶴二】6代目笑福亭松鶴の最後の弟子、入門して半年後に師匠が死去。「文化庁芸術祭」優秀賞などの受賞歴がある。初見。
< 番組 >
前座・柳家おじさん「牛ほめ」
柳家さん生「亀田鵬斎」
笑福亭鶴二「ねずみ」
~仲入り~
笑福亭鶴二「尻餅」
柳家さん生「しじみ売り」
先ず番組の構成について一言。
「亀田鵬斎」「ねずみ」「しじみ売り」の3席はいずれも落語でいう「付く」噺で、ネタのチョイスは誤った感がある。
前座のおじさん、「牛ほめ」で立ち往生するようじゃ二ツ目は遠い。
さん生「亀田鵬斎」
30年ほど前の新作だそうで、さん生しか演らないようだ。
亀田鵬斎は江戸時代の書家で実在の人物。大家(たいか)であったにも拘らず生涯を通じて金には執着せず貧乏暮らしだったようだ。
粗筋は、迷子になった孫を見つけてくれたおでん屋へのお礼に、鵬斎が屋台の小障子に「おでん燗酒 平治殿 鵬斎」と揮毫し、落款を入れる。
するとおでん屋を訪れる客が、始めは1両で、次の人は5両で、次の武家は25両・・・を出して勝手に小障子を外して持ち帰ってしまう。
その度におでん屋は鵬斎に金を届けるが、鵬斎はそれを預かっておいておでん屋に返し、これを資金にして店を開くよう勧める。
落語によくある名人が貧乏人を助けるというパターン。
さん生の肩肘張らない柔らかな芸風に良く合っていた。
鶴二「ねずみ」
この噺は元々三代目桂三木助が浪曲から移して作った作品なので、その上方ヴァージョンということになる。舞台が備前岡山城下になっただけで東京のネタと同じ内容。
鶴二は口跡が良く語りがしっかりしているので、特にねずみ屋の主が甚五郎に身の上話をする場面に説得力があり引き込まれた。
子どもも健気で、全体として上方版として良くこなれていた。
この人の実力の片鱗が窺えた一席。
鶴二「尻餅」
オリジナルの上方版を初めて観たが、東京に比べて
・エロティックな描写が多く、よりバレ噺風な色が濃い
・もち米を蒸して餅をつくまでが丁寧に演じられる
という違いがある。
鶴二の十八番なんだろう熱演だったが、東京の客からするとややクドク感じ、胃にもたれる。
やはり聴きなれた東京版の方がしっくり来る。
こってりとした味わいがこの人の特長でもあるのだろうが。
さん生「しじみ売り」
元々が泥棒伯円の講釈を落語に移したものだから東京がオリジナルなのだろう。
東京版と上方版ではオチが違うし、主人公が鼠小僧と侠客という違いや、結末も異なる。
同じ東京でも最後の鼠小僧が手下を身代りに自首させるものと、志の輔のように鼠小僧自身が自首するという演出もある。
さん生は志ん生のオーソドックスな演出に準じていた。
この人のキャラのせいか暗くお涙頂戴に走らず、むしろ爽やかな印象さえ受ける。これはこれで良かったと思う。
ただ主人公は大店の主で陰では博打打ち、実は大泥棒という複雑な人物だ。そうした陰を持った人物という設定からすると、描き方が大らか過ぎる感もある。この辺りは評価が分かれるかも知れない。
初めて聴いた鶴二、いつもと違う高座に接したさん生、いずれも聴きごたえがあった。
せっかくの高座、もう少し多くの人に聴いて欲しかった。
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