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2012/10/29

#5「東のさん生・西の鶴二」(2012/10/28)

10月28日、神楽坂毘沙門天で行われた「東のさん生・西の鶴二 その五」に。当ブログにコメントを寄せて下さった方からの紹介で参加。
この会場は以前には何度か来たことがあるが久しぶりだ。神楽坂はホコ天になっていて多くの客で賑わっていたが、すっかり若者向けの街になってしまったようだ。
この会は名前の通り、東京の柳家さん生と上方の笑福亭鶴二の二人会で、東京と大阪交互で開催されているようだ。今回が5回目で東京の開催とのこと。
常連さんが遅れるということで開会を少し延ばしていたが、こういう処がアットホームで地域寄席らしい。
【柳家さん生】柳家小満んの惣領弟子、寄席では何度か見ていたがいずれも軽いネタで、こういう落語会は初めて。
【笑福亭鶴二】6代目笑福亭松鶴の最後の弟子、入門して半年後に師匠が死去。「文化庁芸術祭」優秀賞などの受賞歴がある。初見。

<  番組  >
前座・柳家おじさん「牛ほめ」
柳家さん生「亀田鵬斎」
笑福亭鶴二「ねずみ」
~仲入り~
笑福亭鶴二「尻餅」
柳家さん生「しじみ売り」
先ず番組の構成について一言。
「亀田鵬斎」「ねずみ」「しじみ売り」の3席はいずれも落語でいう「付く」噺で、ネタのチョイスは誤った感がある。

前座のおじさん、「牛ほめ」で立ち往生するようじゃ二ツ目は遠い。

さん生「亀田鵬斎」
30年ほど前の新作だそうで、さん生しか演らないようだ。
亀田鵬斎は江戸時代の書家で実在の人物。大家(たいか)であったにも拘らず生涯を通じて金には執着せず貧乏暮らしだったようだ。
粗筋は、迷子になった孫を見つけてくれたおでん屋へのお礼に、鵬斎が屋台の小障子に「おでん燗酒 平治殿 鵬斎」と揮毫し、落款を入れる。
するとおでん屋を訪れる客が、始めは1両で、次の人は5両で、次の武家は25両・・・を出して勝手に小障子を外して持ち帰ってしまう。
その度におでん屋は鵬斎に金を届けるが、鵬斎はそれを預かっておいておでん屋に返し、これを資金にして店を開くよう勧める。
落語によくある名人が貧乏人を助けるというパターン。
さん生の肩肘張らない柔らかな芸風に良く合っていた。

鶴二「ねずみ」
この噺は元々三代目桂三木助が浪曲から移して作った作品なので、その上方ヴァージョンということになる。舞台が備前岡山城下になっただけで東京のネタと同じ内容。
鶴二は口跡が良く語りがしっかりしているので、特にねずみ屋の主が甚五郎に身の上話をする場面に説得力があり引き込まれた。
子どもも健気で、全体として上方版として良くこなれていた。
この人の実力の片鱗が窺えた一席。

鶴二「尻餅」
オリジナルの上方版を初めて観たが、東京に比べて
・エロティックな描写が多く、よりバレ噺風な色が濃い
・もち米を蒸して餅をつくまでが丁寧に演じられる
という違いがある。
鶴二の十八番なんだろう熱演だったが、東京の客からするとややクドク感じ、胃にもたれる。
やはり聴きなれた東京版の方がしっくり来る。
こってりとした味わいがこの人の特長でもあるのだろうが。

さん生「しじみ売り」
元々が泥棒伯円の講釈を落語に移したものだから東京がオリジナルなのだろう。
東京版と上方版ではオチが違うし、主人公が鼠小僧と侠客という違いや、結末も異なる。
同じ東京でも最後の鼠小僧が手下を身代りに自首させるものと、志の輔のように鼠小僧自身が自首するという演出もある。
さん生は志ん生のオーソドックスな演出に準じていた。
この人のキャラのせいか暗くお涙頂戴に走らず、むしろ爽やかな印象さえ受ける。これはこれで良かったと思う。
ただ主人公は大店の主で陰では博打打ち、実は大泥棒という複雑な人物だ。そうした陰を持った人物という設定からすると、描き方が大らか過ぎる感もある。この辺りは評価が分かれるかも知れない。

初めて聴いた鶴二、いつもと違う高座に接したさん生、いずれも聴きごたえがあった。
せっかくの高座、もう少し多くの人に聴いて欲しかった。

2012/10/28

#22三田落語会「さん喬・喜多八」(2012/10/27昼)

10月21日に風邪でダウンして、チケットを泣く泣く娘に譲った国立演芸場での「特別企画公演 芸術祭寄席 昼の部」、良かったそうですよ。
娘は芸術協会の高座を観るのが初めてだったのですが、予想以上でとりわけ次の3席が特に面白かったと言ってました。
桂文治「源平盛衰記」
春風亭小柳枝「抜け雀」
桂歌丸「井戸の茶碗」
行く前に歌丸はそろそろナマで見といた方がいいよと言っておいたのですが、とても元気そうであと10年は大丈夫そうだったとのことでした。

さて10月27日の「第22回三田落語会・昼の部」は「柳家さん喬・柳家喜多八 二人会」。
京浜急行の平和島~六郷土手間及び羽田空港線全線の高架化が終了し、羽田空港までの時間が短縮され列車も増便という、いかにも良い事ずくめの宣伝が行われているが、実はその陰で近距離客が割を食っている。
私の乗降駅は特急も急行も停まるのだが、朝夕の通勤時間を除いた日中ではかなり以前に特急が廃止となり、今回のダイヤ改正で急行も廃止となった。この時間帯は各駅停車だけとなってしまった。
この結果、つい先日までは三田へは一本で行けたのだが、先ず品川で、この日の場合はさらに泉岳寺で乗換となり、所要時間が倍近くかかった。
羽田に行くにも今までは直通で行けたのが、日中の間はこれからは蒲田で乗り換えねばならない。
電鉄会社としては長時間乗って貰わねば儲からないから近距離客を冷遇するという理屈なのだろうが、「便利になった」ことばかり強調するのは誇大広告ではなかろうか。

<  番組  >
前座・入船亭ゆう京「道具屋」
柳家さん喬「天狗裁き」
柳家喜多八「二番煎じ」
~仲入り~
柳家喜多八「噺家の夢」
柳家さん喬「品川心中(通し)」

この日のマクラでも語っていたが、喜多八は2年ほど前に大腸がんと診断され手術を行った。幸い早期発見だったのでその後の経過は順調のようだ。
病後はやつれた様な印象で顔色も悪く見えたが、最近は元に戻っている。
私の印象だが、リカヴァリーしてからの喜多八は以前に比べて変わってきたように思う。
本人曰く「前は虚弱体質なんてアザトイことを言ってけど、これからは瑞々しく行こうと思う」。
確かに病後の喜多八の高座は以前に比べ若々しく感じられる。少なくとも枯れた風情が鳴りを潜めた。
統計によれば高齢者の4人に一人は癌に罹るそうだ。
私たちもいずれそうした時期を迎える機会があるだろうが、その時にどう反応するだろうか、その後をどう生きるだろうか、喜多八の高座をみながら考えてしまった。

喜多八の1席目「二番煎じ」。
マクラでこの会には特別の思いがあると言っていたが、確かに気合が入っているのが見ていて分かる。
夜回りの一組目の月番、黒川の旦那、宗助さん、辰つぁんらの描写が実に生き生きとしている。
「火の用心」と呼びかけるのに黒川の旦那は謡で、次の人は浪花節、そして辰つぁんだけはかつて吉原で火の回りをしていただけにいい声だ。「助六じゃねえが煙管の雨が降るようだ」と見得を切り、調子に乗り昔の馴染の花魁とのノロケ話まで聞かせる始末。
番小屋の戻ってからの宴会は、始めは遠慮がちだが次第に盛り上がり、猪の肉をいつまでも食べ続け売る者、「私はネギが大好物」と言いながらネギとネギの間にしっかりと猪の肉を挟んで食べる者。
そこへ見回りの同心が現れ月番を問い詰めると、「それは、この宗助さんが」と言い訳。
このシーンでは宗助さんが陰の主人公で、これをカットする噺家もいるが気が知れない。
同心はよほどの酒好きか3杯もお替りし、断られると「拙者一回りまわってくる。二番を煎じておけ」。
8代目可楽の十八番で後の人は可楽の演出を踏襲しているが、可楽が昏い陽気であったのに対し喜多八は徹底して明るい。
人物描写の確かさも含めて近ごろでは出色の「二番煎じ」だった。

喜多八の2席目「噺家の夢」
軽い他愛ないネタだが、喜多八が楽しそうに演じているのが客席に伝わり沸いていた。
こういう噺でも良い味を出している。

さん喬の1席目「天狗裁き」
開口でいきなり噛んでしまい、おやおやと思っていたら鼻声で咳も出る。明らかに体調が芳しくなさそうで心配したが、一席無事に務めた。
さん喬が演じると天狗までもが可愛らしく見える。

さん喬の2席目「品川心中(通し)」
このネタの通しは初めてで、滅多にやらない「下」の粗筋は。
金蔵から心中のし損ないでお染が裏切った一件を聞いた親分は、一つ仕返しをしてやると怪談仕立てでだます計画を練る。
金蔵が再び白木屋に引き返し、お染は幽霊かと思ってびっくりするが、金蔵は打ち合わせ通り陰気な身なりと声で気分が悪いので奥の間で休ませて欲しいと言い、枕元に線香を焚いて一膳飯と水を置いてくれと頼む。
そこへ現れたのが親分と金蔵の弟に化け込んだ子分の民公が、お染に会って、「実は金公が土左衛門で上がったが、起請文も抱いていたのでお前さんの事が分かった。線香の一本も手向けてやってもらいたい」
と言う。
お染は、たった今しがた金蔵が来たばかりだとせせら笑う。
疑う親分に何よりの証拠と金蔵の寝ている部屋に二人を案内すると、打合せ通り金蔵の姿は無く、布団は水でびっしょり濡れ位牌が一つ残されていた。
さすがのお染も青くなり、金蔵との心中の一件を白状する。
こいつは恨みが残っていてお前は取り殺されると親分が脅し、「おめえがせめても髪を下ろして謝まれば、金公も浮かぶに違いねえ」と諭して、お染の髪を切らせる。
オリジナルではお染が回向料として五両出したところで当の金蔵が登場。
「あーら、こんちくしょう、人をだましたんだね。人を坊主にして、どうするのさ」
「そう怒るな。てめえがあんまり客を釣る(だます)から、比丘(びく=魚籠)にされたんだ」でサゲ。
この部分の筋書をさん喬は変えていて、親分が、金蔵とお染が心中の現場の桟橋に連れ出しお染を海に落とすつもりが、現れた金蔵が犬に追われて再び海へドボンで終わる。
この後半部分は面白くないという事からか普段は高座に掛からないが、今回聴いてみると十分に面白い。
特にお染の狼狽ぶりと、金蔵の弟にされた民公のトボケタ受け答えが笑いを誘う。
さん喬は体調が悪い中、長講を最後まで聴かせたのは、さすが。
ただ後半は未だ十分にこなれていない感があり、体調の良い時により完成度の高い高座を観てみたい。

2012/10/26

ようやく辞めたか・・【追記】

10月26日、田中真紀子文部科学相は閣議後の記者会見で、東京都知事の辞職と新党結成を表明した石原慎太郎氏が官僚打破を掲げたことについて「25年間国会議員を勤めた大臣経験者が、今になって何ができるのか。逆に言えば、何でそのときにしなかったんだろうかという思いがある」と批判した。
この部分についてはその通りだ。
田中大臣は「暴走老人」とも揶揄したようだが、それを言うなら「妄想老人」か。

石原氏は1968-1995の間、国会議員を務めた(途中、短期間だが都知事選立候補のため議員を辞めている)。
それも陣笠ではない。
派閥の領袖だった時期もあり、大臣を歴任し、自民党総裁選にも立候補し、将来の総理候補の一人としてもてはやされた有力議員であった。
石原氏が議員だった時期の大半は、自民党が衆参で多数を占める単独政権時代だった。
では、その当時は官僚政治ではなかったのだろうか。否、今よりよほど官僚の力が強かった時期だ。
田中大臣が指摘の通り、自民党の中枢部にいながらやらなかった、あるいはやれなかったことが、なぜ今なら出来ると考えたのか、その点は大いに疑問だ。

国会議員だった1995年に、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した。
今また任期途中で都知事の座を放り出す。
どうやら石原氏は、一つのことを最後まで成し遂げることが出来ない性分とみえる。

ようやく辞めたか・・

昨日は嬉しいことが二つあった。
一つは2012ドラフト会議で阪神タイガースが藤浪晋太郎投手を一位指名できたこと。
阪神は一位指名の抽選を12回連続で外してきていた。これってスゴイ確率だけど。
二位の北条史也内野手とともに甲子園スター選手を獲得できた。
最近のドラフトでは主に即戦力を取ってきていたが、ここへきて将来性のある選手に眼をむけた格好。とにかくメデタイ。
二つ目は石原慎太郎が東京都知事を辞職したこと。
10月22日付で「石原さん、いい加減に都知事辞めたら」を掲載したばかりだが、あの男が知事を辞めることになったのはご同慶に堪えない。
辞職は国政への復帰とあるが、未だ議員になると決まったわけじゃない。取り敢えずは総員5名の小所帯の非議員党首ということになる。これでは何もできぬから専ら「維新の会」との連携頼りという心細い船出だ。

辞職の要因となったのはいくつかあろうが、先ず三選出馬の際に自民党との間で取り引きした倅・伸晃が総裁選に敗れたので知事に留まる理由がなくなったことが挙げられよう。
もう一つは、都知事の仕事に興味を失ったということではあるまいか。
周囲には「なんで俺が都議会で魚河岸の話を聞かなきゃならねえんだ」が口癖だったそうだが、築地の魚河岸を豊洲に移転する件のことだろう。
そう、都知事というのはそういうことが仕事なのだ。それを嫌って天下国家の駄法螺を吹きたけりゃ、知事を辞めるしかない。

それだけではない。
近ごろでは石原都知事は、自分を選んでくれた東京都民に対して悪罵は放つようになった。
5月29日の日本外国特派員協会で、外国人記者らを前に都民をこう断じた。
「ぜいたくで、何があっても当たり前。うぬぼれてるし、自分のことしか考えなくなり、他の日本人と違う人種になりましたな。(五輪が)実現したら都民は来なくていい」。
東京都民は日本人じゃないそうだ。
2020年五輪への支持率が上がらないことに対してはこう発言していた。
「一体、日本人は何を望んで、何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で、非常にやせた民族になった」。
東京でオリンピックを開催することに対して賛否が割れているのは当然のことだし、自分の考えを支持しない国民は全て「我欲」と切り捨てるんだからムチャクチャだ。
だいたい、息子の出世と引き換えに、嫌々ながら知事になった人間から「我欲」なんぞと言われたくない。
私たち都民をここまで貶めた都知事というのも前代未聞。

まあ、ともかくも辞めてくれて良かった。

2012/10/23

「小林幸子」騒動にみる「紅白」の裏側

小林幸子という歌手がいる。
その昔TVに子役で出ていた記憶があり、しばらく顔を見ないと思っていたら1980年前後に「おもいで酒」という曲のヒットで名前が売れるようになっていた。
ちょうどカラオケブームが始まった頃で、スナックなんかでよく上司の下手な唄を聞かされたもんだ。
その後もいくつかヒット曲が出て、いつしかNHK紅白の常連になり、昨年までに33回連続出場したそうだ。
そう言ってはなんだが特別に歌唱力が優れているわけじゃなし、ヒット曲を量産しているわけでもない。それが紅白でこれだけの実績を積めたのは、よほどの強力な「推し(or押し)」とNHKへの営業力だろうと想像していた。話題は唄われる曲そのものより専ら豪華衣装の方だった。
昨年は結婚も果たした。

しかし良いことばかりは続かないもので、今年の春ごろに永年のビジネスパートナーでもあった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇しトラブルとなっている。一説によれば小林の夫と社長側との確執があったとされる。
この経緯については各種の芸能ニュースが微に入り細を穿つ報道を行っているのは御承知の通り。
芸能界は魑魅魍魎の世界なので、どちらの言い分が正しいのかは分からないが、解雇された社長らは小林のマネージャーとして下積み時代から支えてきたようだ。小林とはファミリー同然だったところへ新パートナーがファミリーに加わった。とうぜん人間関係は変るし、そこに金銭やら嫉妬心やらが渦巻き、定番のお家騒動に発展といったというような経過ではなかったかと推測している。世間よくあること。
小林は騒動の影響か日本コロムビアレコードとの契約も解除となり、新レーベルのもとで新曲を発売した。
その売れ行きも捗々しくなく、今年の紅白出場は難しくなったという観測もなされている。

その紅白出場問題について、大方の解説記事を要約すると次のようになる。
【解任した元社長のバックには芸能界のドンとされる人物(実名報道のケースもある)がついていて、その人物が紅白に出場できるかどうかに多大な影響力を持っている。だから小林幸子側が元社長に直接会って頭を下げない限り紅白復帰は難しいだろう。】
NHK最大の看板番組「紅白歌合戦」に誰を出演させるかという事に関して、芸能界のドンとされる人物が多大な影響力を持っているというのだ。

通常「ドン」と称する場合、単なる実力者だけでなく、いわゆる裏社会にも顔が利く人物という意味が含まれることが多い。まして芸能の世界だから、暴力団との深いつながりを連想させる。
しかしNHK側がこうした報道に抗議したり、事実を否定したというのは寡聞にして知らない。
NHK紅白については以前からジャニーズ事務所の発言力が大きく、司会から出場者までコントロールされていると報じられてきた。確かに顔ぶれをみればそうかなと納得してしまう(注)。
そうなると紅白という番組はNHKのものではなく、実質的には
「ジャニーズ+ドン」プロデュースによるイベント
ということになりはしまいか。
しかも私たちの受信料を使ってだ。
(注)ジャニーズ事務所の所属タレントはNHK紅白歌合戦に1980-2012年連続して出場している。SMAPの中居正広は紅白合わせて6回も司会を務めており、2010-2012には嵐がグループで白組の司会を担当した。

公共放送たるNHKはこれらの報道に対してどう考えているのか、反論や反証を示す意思があるのかどうか訊いてみたいものだ。

2012/10/22

石原さん、いい加減に都知事辞めたら

都政の乱れが甚だしい。
東京都が2016年東京五輪招致に支出した費用のうち、8事業約18億円分の文書が紛失していたというのだ。
かねがね五輪招致に使われた費用は不透明との指摘を受けており、都議会でも「金額が業者の言いなりではないか」との指摘を受けていた矢先だ。
紛失したとされる書類にはIOCに提出する「申請ファイル作成費」作成委託費(約7億円)やIOC評価委員会訪問対応の準備委託費(約5億円)といった大口のものに集中している。
これらの契約はいずれも競争入札ではなく、特定の業者への「特命随意契約」で、契約先は電通とJTBグループ企業だった。上記2件はいずれも電通に発注されたものだ。
都の担当部署は「外部に持ち出したことはなく、なんで無くなったか分からない」と話しているという。
支出6千万円以上の資料は5年間保存されることが義務付けられていて、専門家によればこれだけまとまった資料が全て無くなるということは常識では有り得ないそうだ。

過去、1998年長野オリンピック招致についても、19億5千万円の会計帳簿が紛失していて、調査委員会が調べたところ、住民監査請求から逃れるために故意に処分されたと結論付けている。
その伝でいけば、今回の東京都の「紛失」の真相もおよそ見当がつくというものだ。
東京都と電通との関係は今までもたびたび問題になっており、例えば東京マラソンゴール地点に五輪PR用のパンフやグッズを置き参加者に配布するという事業で、2006年度では電通スポーツパートナーズに随意契約で3084万円支出していたのが、同じ内容で2011年度に競争入札で発注したところ295万円だった。10倍以上も違うのだ。
しかしこうした疑惑を調べようにも資料を「紛失」した以上は不可能となる。

石原都知事が招致活動とやらで海外に行くときは、随行員まで含めて飛行機はファーストクラス、宿泊するところは1泊数十万円の豪華ホテルということで、そのあまりの浪費ぶりは当時から問題となっていた。
その招致活動も実態はとうてい表に出せない内容ばかりだそうだ。
想像するに、IOC委員や関係者に札ビラを切るごとき活動実態か。

「魚と組織は頭から腐る」といわれるがその通りで、上が上なら下も下。このところ都の職員による収賄事件が次々に明るみに出ているが、五輪招致に名を借りた無駄遣いが都庁の綱紀をすっかり弛めてしまったのだろう。
2020年五輪招致についての世論調査では、支持が50%を切った。
こんな不明朗なことをしていればますます支持は下がるだろう。
石原知事は支持率が上がらないことをとり上げ「東京五輪が実現しても都民は来なくてもいい」と発言したが、いったい何様のつもりだろう。
こうまで言われて、なぜ都民は石原慎太郎を支持するのだろう。

2016年オリンピック招致を公約に都知事三選を果たした石原慎太郎だが、実は本人は立候補を渋っていて、自民党との間で息子の石原伸晃を総裁にというのを取引として出馬したことを、先日森元首相がインタビューで暴露していた。
「ここで都知事を降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」と僕は言ったんだ。夜中までかかったが、結果として引き続きやるということになった。そのときに都知事は「必ず息子を頼むよ」。
息子のために嫌々ながら都知事になったわけだ。東京都民も舐められたもんだ。
近ごろでは記者会見でも専ら尖閣諸島や石原新党といった国政に関する話題ばかりだ。
その尖閣も東京都以外には絶対に売らないと大見得を切ったにもかかわらず、地権者は国にさっさと売却してしまい石原知事の面目は丸潰れ。せっかく集めた寄付金も、購入価格つり上げの道具に使われた格好だ。
「逮捕される覚悟で尖閣上陸」宣言も今は昔。

残るは石原新党のみ。
これから新党を創るとなると大変な労力が要るだろう。とても都知事の片手間で出来るこっちゃない。それに都知事を片手間にやられてもこっちが困る。
ここは都知事なんぞさっさと辞めて、新党とやらに専念してくれ。

2012/10/21

#401花形演芸会(2012/10/20)

橋下徹市長に贈る言葉。
【我が身をつねって人の痛さを知れ】
意味は「他人の痛みや苦しみを自分自身の痛みに置き換え、相手を思いやることが大事だという教え」。
英語にも似たような表現があるようだ。
【If strokes be good to give, they are good to get.】
意味は「人を打つのが良いことなら、人から打たれるのも良いことだ」。
今回の週刊誌報道を機に、他人の痛みに対する思いやりや、自分以外の人権を尊重するような人間になって欲しい。
ムリかな。

10月20日、国立演芸場での「第401回 花形演芸会」へ。
前日からの風邪気味で、午前中に医者に行き薬を飲んでというコンディション。
ただ年に一度の爆笑問題の出演とあって、迷った末出かける。
その他今回の花形演芸会は下の番組表を見てお分かりのように上方落語が二人で、珍しく落協からは一人だけというのが特長。

<  番組  >
前座・笑福亭明光「池田の猪買い(序)」
春風亭べん橋「ろくろっ首」    
爆笑問題「漫才」             
ストレート松浦「ジャグリング」               
桂吉弥「愛宕山」             
―仲入り―
桂文雀「伽羅の下駄」          
エネルギー「コント」                   
三遊亭遊馬「蒟蒻問答」    

明光「池田の猪買い(序)」は鶴光の弟子で、芸協所属の上方落語。
上方落語をやりたければ大阪に入門すればと思うのだが、東京で上方をという意向なんだろう。
元気よく明るい高座。

べん橋「ろくろっ首」、これも元は上方で、若いころ三遊亭百生で聴いたことがある。
いつまでも独身でいる男に隠居が婿の世話をする。
相手というのが歳は20歳で資産がある。ただひとつの欠点は夜中に首が伸びること、つまりろくろっ首。
男は仕方なく婿入りするが、夜中に目を覚ますと花嫁さんの首が伸びていた。
慌てて逃げかえるが、隠居は「そんなこと言わねえで、お屋敷に帰れ。お嬢さんが首を長くして待っている」でサゲ。
短縮版だったが語りはしっかりしていた。

爆笑問題「漫才」、相変わらずのテンポの良さ、ボケとツッコミの呼吸と間の取り方、ネタの新鮮さは見事としか言いようがない。
かつてのこのコンビの魅力は社会風刺にあった。TVでは披露できない政治に対する風刺がこの国立では聴けた。そこが一番の魅力だった。
数年前からその社会風刺はすっかり鳴りをひそめ、当たり障りのない話題になってしまった。
一つにはメジャーな存在になってきて、プロダクションやスポンサーからの無言の圧力があるのだろう。
もう一つは、芸能人が少しでも批判的な政治的発言をするとネットで叩かれることから、意識的に自己規制してしまう傾向がありはすまいか。
笑いながらついついそんな事を考えてしまった。

ストレート松浦「ジャグリング」、いつ観ても鮮やか。
最近、寄席や落語会の色物としても登場する機会が増えたが、研究熱心さには感心する。
この日はモップから三角コーンまで登場した。
寄席の曲芸といえば昔から太神楽が代表的だが、いつ観ても全く同じ内容の芸を繰り返している。
この人や若手の曲芸芸人が、寄席の色物を変えていくのではという期待を抱かせる。               

吉弥は今年度の花形のレギュラーとなっている。花形というと何となく東京の芸能人が対象と思われがちだが、これからは上方芸人も積極的にチャレンジして欲しい。
「愛宕山」はこちらも上方がオリジナルで、山登りの前までの賑やかな囃子によるハメモノ、とりわけ山裾で菜の花に蝶が舞い飛ぶシーンで使われる「扇蝶」が楽しい。
タイコモチが鼻歌まじりで登り始めるが、途中から次第に息苦しくなる様の描写が良い。
後半は時間の関係からか急ぎ過ぎたが、この人の持つ愛嬌や華やかさにピッタリのネタで楽しそうに演じていた。
芸人にとって大事なのは「華」と愛嬌で、初代三平なぞはそれだけで大看板になったではないか。吉弥にとっては大きな武器だ。

文雀「伽羅の下駄」は初見。この日出演の落語家では唯一の落協。マクラで伽羅(きゃら)という香木がとても貴重で高価だったと説明。
初めて聴くネタで、怠け者の豆腐屋が大家から小言を食い、早朝から店を開けると、そこに一人の武士(仙台候)。
水を所望して差し上げるとお礼に下駄を置いてゆく。その下駄が伽羅で出来ていて大家にきくと300両の値打ち。豆腐屋夫婦は嬉しくなり、一人はキャラキャラと笑い、もう一人はゲタゲタ。
文雀の江戸弁は歯切れが良く、あまり儲からない噺を面白く聴かせてくれた。
未だ花形のレギュラーになれないと言っていたが、この日の高座を観る限りではその力はあると思う。

エネルギー「コント」、狂言コント、カーナビのネタが一部爆笑問題とかぶってしまったのが惜しまれる。

遊馬「蒟蒻問答」、身体も声も大きく、大物になる期待を抱かせる人だ。
登場人物の演じ分けがしっかりしていて、全体としては良い出来だった。
ただ早口なのと喋りに強弱をつけるため、小さな声の時に聴き取りにくい欠点がある。
細かなミスもあり、そうして点を克服すれば十八番になりうると思う。                    

昨夕から発熱してしまい、今日の国立演芸場での「特別企画公演 芸術祭寄席 昼の部」に行けなくなってしまった。
悔しい~。

2012/10/16

森口尚史だけが悪いのか

いま世間は森口尚史という派手な悪役の登場に沸いている。しかし一連の報道を見る限りにでは、果たして森口だけが悪いのだろうか。
現役時代にこんなことがあった。
某電力会社の研究員から呼び出され、「〇〇さん、何かいいテーマないかな」という相談なのだ。訊いてみるとその研究者の年間研究費(ビックリするような金額)が決まったのだが、その使い道に困っているとのことだった。
良いテーマを提案してくれたら共同研究ということで研究費を出すという、企業側からすればオイシイ話。
成果が上がれば彼の名前で論文が出せ実績として残る。双方がハッピー。
彼としては研究費を余らせると来年の予算が削られるから、なんとしても消化したいのだと。

文科省の研究費予算を握っている役人も、同じような悩みを抱えているんだろうと推測する。一方で研究費を必要としている人たちがいる。
役人と研究者の仲立ちをして研究費を引っ張ってくる社交術に長け、マスコミの記者連中を籠絡できるような弁術を持った人物がいたら、これは双方にとって便利に違いない。
国も予算が消化できるし、研究者は必要な費用を獲得できる。そして成果をマスメディアを上手に使って発表すれば業績が評価され、次年度以降の研究費獲得も確実になる。
いわゆるフィクサー。
多少の怪しさには目をつぶり、お互いの幸せを分かち合ってきたのではないか。
バレちゃあ仕方がない、ここは皆んなで森口尚史一人を悪者にしてしまおう。

報道によれば森口尚史が関与したプロジェクトに使われた予算は4年間で約1億6400万円とか。
一方、東大病院から森口に支払われた分担研究者としての基本給は月額45万円程度だった。実態はフィクサーとしての彼への謝礼だったのではと、これは下衆の勘繰りかな。
バレる前の記者会見の映像をみる限りでは、明らかに詐欺師タイプ丸出しだった。
だいたい大言壮語するような人物にロクな奴はいない。科学者も政治家(東京と大阪にもいる)もだ。
このハッタリを見抜けずに一面トップで記事にした新聞は間抜けとしかいい様がない。
メディアは森口尚史を叩く前に、自らの不明を恥じねばならぬ。

2012/10/15

「喬太郎・扇辰・白酒 三人会」(2012/10/14)

10月14日、北千住THEATRE1010で行われた”待ってました!人気落語家競演会「喬太郎・扇辰・白酒 三人会」”へ。

<  番組  >
前座・柳亭市助「出来心(花色木綿)」
入船亭扇辰「目黒のさんま」
~仲入り~
桃月庵白酒「お見立て」
柳家喬太郎「抜け雀」

市助「出来心(花色木綿)」、前座にしては珍しく口演時間20分ということで、マクラも入れての高座。元気よく演じていたが、時間を長く取るなら二ツ目を上げれば良かったのに。

扇辰「目黒のさんま」
先週の喬太郎との二人会と同じ演目。マクラはなかなか来ないエレベーター(丸井館内、ホントの来ないねぇ)や前座が立ち往生したことへのフォロー。
中味は先週とほぼ一緒だが、広い会場(定員は700を超す)に合わせて全体にオーバーな表現だった。私のように先週とダブって来ていた客もいただろうし、別の演目を聴いてみたかった。

白酒「お見立て」
マクラで東武と池袋をこき下ろし、次の出番の喬太郎がまだ楽屋入りしていないことをからかってネタへ。
これで何度目かだが、内容をかなり変えていた。
若いもんの喜助が花魁と田舎のお大尽との間を3回往復するのは一緒だが、前回までは従来通りの演出、
1回目 病気で臥せている
2回目 こじらせて入院
3回目 恋煩いで死亡
(1回目をカットする場合もあり)
だった。
今回は、
1回目 恋煩いで入院
2回目 恋煩いで死亡と告げるが喜助が笑いながら言ったためお大尽に首を絞められ逃げる 
3回目 同、膝の下に扇子を置きお茶を眼に塗って泣くふりをする。
この改変はどうなんだろうか。
花魁が亡くなったということを2度繰り返すのは不自然な感じがするし、オリジナルでの入院騒ぎは前半の聴かせどころでもある。
墓参りで3度目の墓が談志だったり、白酒らしいクスグリを入れ込み面白く仕上げているが、今回の改変は疑問が残る。

喬太郎「抜け雀」
白酒が高座に上がってからの到着だったようで、人気者は綱渡りのスケジュールだ。
「竹の水仙」は何度か聴いているが、このネタは初めて。
気になったのは前に泊まった一文無しの職人が通常は衝立をこさえるのだが、喬太郎はこれを屏風にしている。貧乏旅籠に屏風というのもそぐわない感じもするし、絵師の筆の運びからすると屏風のような大きな物では無い。やはり衝立が相応しいように思える。
後から来た老人が鳥かごを描くが、これも通常は鳥かごと止まり木だ。止まり木を省略した意図が良く分からない。
老人が初めに雀が飛び立つ様子を見てから鳥かごを描き、もう一度雨戸と障子を開けると再び雀が飛び出し戻ると鳥かごに収まるという筋立て。
でも雀が飛び出すのは朝の一度だけではなかったか。
老人の来た日だけ二度飛び出しんだろうか。
これもオリジナルのように老人が絵を見てこれでは雀が死ぬぞといいながら鳥かごと止まり木を描き、それから雀が飛び出して鳥かごに戻り止まり木にとまるという筋立ての方が自然だ。

公演時間は2時間。
元々が大きな会場を用意して人気者を並べて集客するという企画だったんだろう。
こういう会はダメですかね。

2012/10/14

劇団、本谷有希子「遭難、」(2012/10/13)

10月13日、東京芸術劇場シアターイーストとで行われた「劇団、本谷有希子 第16回公演『遭難、』」を観劇。
2006年の初演で鶴屋南北戯曲賞を受賞した本谷有希子の代表作の再演とのこと。
家に戻って女房が「どうだった?」ときくから、「隣の席にいた女性の足がキレイでね」と言ったら、「あんた、なに見てきたのよ!」とお叱りを受けてしまった。
どうも、根が正直なもんで。

作・演出:本谷有希子
<あらすじと配役>
舞台は放課後の職員室。
この学校(中学だろうか)の男子生徒が自殺をはかり今も意識不明。
そこへ生徒の母親(片桐はいり)が毎日乗り込んできては、担任の女教師・江国先生(美波)を責めたてる。
学年主任(松井周)や同僚の女教師・石原先生(佐津川愛美)が必死になだめるが、母親はいう事をきかない。
そこにもう一人の女教師・里見先生(菅原永二:男性が演じている)が割って入り、なんとか母親をなだめる。
処が生徒は自殺をはかる前に里見先生に遺書を書いていて、彼女はそれを読んでいたにも拘らず破り捨てていたことを石原先生に指摘されてしまう。
それを他の先生方にもばらされると里見先生は、子どもの頃にいじめを受け自殺をはかり助かったが、担任教師の一言で傷つきそれが生涯のトラウマになってしまった。そのため生徒からの遺書に対応できなかったと言い張り、却って学年主任らの同情を集めてしまう。
学年主任が担任する女生徒がストーカー被害にあっていたが、それも里見先生の策略と知った石原先生が指弾すると、今度は目の前で自殺すると騒ぎ出す。
やがて里見先生は事実が明らかになるのを阻止するために盗聴や盗撮を仕掛け、生徒の母親や同僚教師の弱みを握り脅していく。その中には生徒の自殺の原因が、もしかすると母親の虐待だった可能性も出てくる。
しかし、ひょんな事から里見先生の自殺の真相が明らかになり、次第に「トラウマ」語りが欺瞞であったことが・・・。

里見先生は一種のサイコパスだと思われるが、それを「トラウマ」だと装い、自らの悪事を他人の責任に転嫁してゆく。
そのことが暴かれる過程で、登場人物それぞれの真実も明らかになってゆくところが見所か。
ただ里見先生のミエミエの芝居に、周囲の教師がやすやすと騙されるのはリアリティに欠ける。この部分が感情移入できないと、この演劇のテーマに共感できないと思う。
生徒の自殺が実は母親の虐待だと暗示されることや母親と学年主任との不倫などは、いかにもという感じがして白けてしまう。
最終シーンで里見先生が改心したかに見えるのも安易で、この芝居の主題を弱めているのではなかろうか。
せっかく生徒の自殺という今日的テーマをとり上げながら、焦点がぼけたような結果になったように思えた。

出演者では母親役の片桐はいりが光る。サディスティックなモンスターピアレントは迫力十分で正に適役。
里見先生を演じた菅原永二は熱演ではあったが、やはり女形には無理があったように思う。主役の降板による急なキャスティングという点は考慮せねばならないだろうけど。

公演は23日まで。

古今亭圓菊の死去

Photo10月13日、古今亭円菊が亡くなった。84歳だった。
体を斜めにしながら高座に上がり、斜めにしながら語る独特の圓菊節が懐かしい。
手元に講談社「志ん生落語大全集」があるが、志ん生と一緒に写真に写っているのは息子たちを除けば圓菊が最多だ。なにせ志ん生全盛期に入門した弟子。
若いころの写真では、映画俳優にしたい位のいい男だった。おまけに顔に似合わずボクシングだか空手だかしていたので腕っぷしが強かったとあり、さぞかしモテたんだろう。
その圓菊の「志ん生」評。
【志ん生師匠の弟子の稽古は、文楽師匠や圓生師匠とはずいぶん違っていました。二人とも着物を着て扇子を置いて教えるのに、うちの師匠は上半身裸であぐらをかき、頭の上に手拭いをのせていたりする。その姿を見ている弟子は、おかしくてたまりません。】
二人の稽古姿が目に浮かぶようだ。
志ん朝が健在だった頃の住吉踊りでは、いつも少しテンポが遅れている踊りを披露していたのを思い出す。
私が最後にみた高座では「粗忽の釘」を演じていたが、話が元に戻ってしまうなど衰えは隠せなかった。それでも客席からは大きな拍手が送られていた。
厳しい稽古の結果、有望な弟子を多数育成し、次の世代にバトンタッチしていった。
弟子の文菊(菊六)の真打昇進披露の高座に上がれなかったのは心残りだっただろう。
ご冥福をお祈りする。

2012/10/12

議員と暴力団との癒着「再論」

10月12日、田中慶秋法相が記者会見し、暴力団関係者の宴席に出席した上、別の暴力団幹部の結婚式では仲人を務めていた事実を認めた。
しかし後になって暴力団だと知ったからだと強弁し、引き続き法務大臣の椅子に居座ることを公言している。
法の番人としてあるまじき行為であり、盗っ人猛々しいとはこの事だ。
田中慶秋は先に外国人献金問題が発覚したばかりで、暴力団との過去の交際が明らかになったからには即刻辞任するしかない。

当ブログでは以前に
「【暴力団との交際】そんなら「政治家」はどうよ」
http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-718c.html
という記事を掲載した。
この中で国会議員と暴力団との関係について、次の様に記している。
【議員と暴力団とのつながりは歴史が古く、最も顕著だったのは1960年安保改定反対運動を妨害するために、当時の岸信介政権が全国の暴力団を糾合、組織し、デモ隊への殴り込みなどをやらせた。
見返りに、彼らに対する取締りを甘くしたであろうことは、想像に難くない。
自民党など一部保守政治家と暴力団との関係は、今でも公然たる秘密となっている。
「皇民党事件」に見られるように、政治家とヤクザの関係は時に日本の政治の行方をも左右する。
芸能界など後回しで良いのだから、先ずは政治家との付き合いにメスを入れるのが先決である。】

今回の田中慶秋法相の問題はあくまで氷山の一角にすぎない。
田中大臣は元民社党だという指摘もあろうが、実は民社党は右翼や暴力団との付き合いはは昔からなのだ。最近、かつて民社党本部に関係していた方からきいた話では、むしろ自民党よりひどかったと語っていた。
その自民党だが、かつての大物議員でM代議士、幹事長や重要ポストの大臣を歴任し派閥会長でもあった人物だ。
私の同僚だった男が、総選挙の期間、M代議士の選挙事務所の専任となり朝から晩まで選挙運動をさせられたことがある。もちろん会社命令だ。給料は会社から出るが、仕事はM候補の選挙運動なのだ。
明らかに選挙違反ですよ。
でも昔からやってる。
その代わり地元の公共工事には便宜をはからって貰えるから、県内の建設関連の企業がこぞって応援するという仕組みだ。
その同僚が選挙運動を手伝っていて驚いたのは、M候補の演説会の警備を暴力団が行っていることだった。
会場の後ろと出入り口を暴力団員が固めていたそうだ。
警備というよりは、選挙民への威嚇とも思えた。
同僚は日中はM候補の応援(社命だから)、しかし家に帰ると家族に「Mだけは絶対に投票するな」と厳命していたと語っていた。
このM代議士は、派手な新聞広告で有名な某右翼系宗教団体から支援も受けていた。
保守系政治家-企業-暴力団-右翼系宗教教団という線が結ばれていたし、この関係は現在も続いているとみるべきだ。

国民には暴対法による厳しい処置を押しつけながら、自らは暴力団との交際を続ける。
こういう連中は議会から退場して貰うしかない。
一罰百戒、田中法務大臣は大臣辞任はもとより、国会議員も辞職させなばなるまい。

2012/10/10

テアトル・エコー「プロポーズ・プロポーズ」(2012/10/6)

記事が前後してしまったが10月6日、恵比寿エコー劇場でのテアトル・エコー「プロポーズ・プロポーズ」を観劇。
この劇団は2年前に井上ひさし「日本人のへそ」を観ていらいとなる。
ニール・サイモン作品で今回が初演ということで出向く。

作:ニール・サイモン  
訳・演出:酒井洋子
<あらすじとキャスト>
舞台は1950年代のアメリカ・ペンシルヴェニア州、ポコノマウンテンズにある避暑地。
主のバート(安原義人)は、娘のジョージー(さとう優衣)と家政婦のクレンマ(薬師寺種子)三人で山荘に滞在している。心臓発作を繰り返すバートは、離婚した妻アニー(一柳みる)山荘へを呼び寄せる。
父を捨て再婚してしまった母親とは娘ジョージーはそりが合わない。訪れた母親とは喧嘩ばかり。バートの方といえばアニーには未練たっぷりなのだ。娘に母親とは仲直りするよう勧めるが娘は反発するばかり。
そのジョージーは法学生のケニー(浜野基彦)と婚約していたが突然解消してしまう。
ケニーが自殺の遺書を書くほどに落ち込んでいるのを見るに見かねた親友のレイ(松澤太陽)が、ジョージーを説得しにくるが、実はこの二人1年前までは親密だったのだ。
マイアミからジョージーを慕って追いかけてきたマフィア青年のヴィニー(加藤拓二)が勝手に来訪。レイが連れてきたガールフレンドのサミイ(きっかわ佳代)は、ヴィニーとすっかり気が合う。
一方、家政婦クレンマの元に失踪中だった亭主のルイス(山下啓介)が7年ぶりに戻ってきて、復縁を迫る。
以上の人物が一堂に山荘に集まりドラマが繰り広げられる。
別れた夫婦や恋人同士の微妙な関係、親子の愛憎。
失われる愛もあれば新たに芽生える愛もある。
果たして結末やいかに・・・。

こう書くと深刻なドラマと思われるかも知れないが、完全なコメディだ。会場は終始笑いに包まれていた。
シャレた会話が飛び交いテンポも良い。
訳・演出の酒井洋子は上演にあたってこう述べている。
「一見無難な人生、平凡な人間関係にも、心の、感情の葛藤はあって、それらを活き活きと舞台上で再現してもらうことで、わがことのように経験し、共感する。そうだ、人間賛歌の芝居が近頃少ない。」
その狙いは当っているかに見える。
ただ芝居の展開にどこか既視感があるのだ。
そう、かつての松竹新喜劇に似たような筋のものがあった気がする。
「家庭」を舞台にコメディを書くと、洋の東西を問わず似たような筋書になるのだろうか。

米国の芝居に拘らず、家政婦役の薬師寺種子を除き登場人物がアメリカ人らしくない。
その原因の一つは衣装にあるのではないかと思う。もう少し1950年代の米国人の衣装を研究して欲しかった。
例えばモデル役のサミィだが、職業柄あんなセンスのない服は着ないだろう。
女子大生のジョージーの衣装も時代を考えると違和感がある。

演技陣では、狂言回し役の薬師寺種子が目を引いた。彼女だけがアメリカ人だった。
公演は10月17日まで。

2012/10/09

#61扇辰・喬太郎の会(2012/10/8)

出がけに「あんた、マタ落語に行くの!」。フン、股で落語に行けるかってんだ。
というわけで漸く涼しくなった10月8日、国立演芸場で行われた「扇辰・喬太郎の会」へ。過去なかなかチケットが取れず今回ようやくだった。この二人会は二ツ目の頃から始めたそうでこの日が第61回、約20年というからスゴイ。
もう一つの特色は毎回ネタおろしをするという点で勉強会でもあるわけだ。

<  番組  >
前座・柳家さん坊「子ほめ」
入船亭扇辰「目黒のさんま」
柳家喬太郎「あの頃のエース」
~仲入り~
柳家喬太郎「堀の内」
入船亭扇辰「雪とん」

前座のさん坊「子ほめ」
北海道の牧場出身とのことで乳しぼりだの牛の出産だのという前座にしては長いマクラを振ったが、どうやら後の二人から出来るだけ時間を稼げという命令が出ていたらしい。
マクラのしゃべりはしっかりしていたがネタに入ってからは平凡。サゲは普通と少し違う。

扇辰の1席目「目黒のさんま」
ネタおろしで頭が一杯でと、季節にふさわしい軽いネタ。
扇辰の描く殿様は徹底したバカ殿で志村けんみたい。これでもかという位に戯画化しているが、それにしては最後の一言がシャレてる。
「さんまは目黒に限るぞ」って、いくら血の巡りの悪い殿様でもまさかサンマが目黒で獲れると思っていたわけじゃない。あそこで「不味い」などと言ったら先方の料理番が責任を取らされる。だからあの一言で丸く収めたのだ。
この殿様、ホントは賢いのだ。

喬太郎の1席目「あの頃のエース」
これもネタおろしみたいなものですと言ってたが、調べてみると池袋演芸場10月上席(つまり今)での新作で三題話になっているようだ。お題は「ウルトラマンエース」「ハンカチ落とし」「道具七品」。
ストーリーは。
食品会社の社長が専務に、出入りのいろは弁当との吸収合併を考えていると伝える。専務は社長がいろは弁当社長の真由美に個人的な思いがあるのではないかと疑う。社長室にはウルトラ7のフィギュアが飾られているが、なぜか「ウルトラマンエース」だけが欠けているのが不自然だというのだ。これが「道具七品」。
この辺りは喬太郎得意のウルトラマンに関する薀蓄がタップリ語られるのだが、当方にはチンプンカンプン。
社長はいろは弁当との親交を深めようと、いろは弁当の社員との懇親会を企画し、真由美社長から子供の頃を思い出し「ハンカチ落とし」をしようと提案する。
二人は幼馴染で学校も同じ、若き日の社長は密かに真由美に思いを寄せていた。
やがて真由美は別の男と結婚したのだが、その相手が借金を作って蒸発。だから会社合併は社長と真由美の合体ともいうべきで、それはウルトラマンエースの北斗と南の合体と重なるわけだ。
しかし真由美の夫の行方が分かり、真由美は夫の住む地方へ移住してしまい、合併はチャラ。
喬太郎が得意とする男女の切ないラブストーリーの新作は三題話という制約上少々展開に無理はあるが、全体としては良く出来ている。ウルトラマンに詳しければもっと面白く聴けたんだろう。
それもこれも喬太郎の話芸があってこそで、客席を沸かせていた。

喬太郎の2席目「堀の内」はネタおろし。
4代目三遊亭圓遊の十八番というより極め付け。後の人はいずれも圓遊の演出に倣っている。
出囃子が「東京ホテトル音頭」、ネタの堀之内とのシャレだって。ボクにはよくワカンナイ。
喬太郎の描く主人公の男は粗忽だけでなく奇人変人に近い。しかも女房も同類項。まともなのは金坊だけという家族。あれでは夫婦揃って堀之内にお詣りにいかねばならないのでは。
堀之内でお詣りしていると隣に若い衆。誰かと思えば辰じん、そそっかしい師匠が独演会のビラを家に忘れてきて取りに行ってきたとか。
寺の本堂の横で弁当を拡げれば箱マクラに腰巻を包んでいた。自宅に戻ってもう一度開けると今度は本物の弁当。おかしいなと思っていたらそこに辰じん、「それ、私のです」。
そんなギャグで場内は大喜びだったが、作品としてはかなり粗く、未だこれから仕上てゆくという段階だろう。

扇辰の2席目「雪とん」もネタおろし。
ストーリーは。
船宿に世話になってる地方出の若旦那、江戸見物していたが、ここのところ元気がない。女将が訊けば恋患いだという。その相手は本町2丁目の糸屋の娘、評判の器量よしの上まだオボコ、だから諦めろといったが聞き入れない。会えないなら自殺すると言い出す始末。
仕方なく女将は娘付きの女中を呼び出し、小判2枚で買収。今晩、四つ時に若旦那が裏木戸をトントンと叩けば、それを合図に戸を開けて娘の部屋に案内するという手はずが整う。
その晩は大雪、年のころは25,6の実に様子のいい男が裏木戸に通りかかり、足駄に挟まった雪を落とすため木戸をトントンと叩いた、合図と思った女中は男を娘の部屋に案内する。あまりにいい男だったので娘は一目惚れ、結局一夜を共にする。
一方若旦那は道を間違えて木戸を叩いたがどこも開けてくれず、夜が明けてしまう。するとようやく見つけた裏木戸から男が送り出されていた。
しかも船宿の女将とも知り合いの様子、若旦那が一体あの男は何者だと女将にたずねると、あれが評判のお祭り佐七。
「お祭りだって!それでダシ(山車)にされた」とサゲる。
この噺、どうやら「お祭り佐七」という長編の一部のようで、この前に前篇があり、さらに後編が付くという展開らしい。
それにしても江戸時代の生娘ってえのは大胆だったんだねぇ。一目見ただけでお床入りってんだから、今どきのネエちゃん顔負けだ。
扇辰は志ん生の演出を踏襲したものと思われるが、相変わらず人物の造形が鮮明。より人情噺風の仕上がりになっている。
特に雪の中、傘をさしたお祭り佐七が木戸からすーっと出てくる姿は惚れ惚れする。
ネタおろしとは思えない完成度の高さで、もう十分に扇辰の十八番といっても可笑しくない上出来の高座だった。

山中教授はノーベル賞、わたしゃお酒をノーメル賞。
って、古いシャレだね。

2012/10/08

月亭八天独演会(2012/10/7)

10月7日、お江戸日本橋亭で開かれた「月亭八天独演会」。東京での会は新作では過去3回、古典では今回が2回目とのこと。
当方は名前も知らなかったが、ブログにコメントを寄せた方のお薦めで出向いた。
昼夜公演の昼の部に行ったのだが入りはあまり良くなかった。夜はもっと悪いとのことで、会場費やゲスト、囃子のギャラやら大阪からの交通費を差し引くと果たして残るのかなと心配になってくる。
大阪から東京へは夜行バスで移動してきたようだ。文珍のように自家用ジェットを所有している噺家もいるし格差は大きい。
後述するように芸はしっかりしているが、いかんせん東京では有名とは言いがたい。
一方で名前と人気だけで大した芸の無い噺家がホールを満員にしている現実もある。
これは落語だけに限ったことではないけど。

<  番組  >
月亭天使「兵庫船」
月亭八天「七代目月亭文都襲名」
鈴々舎八ゑ馬「代書屋」
月亭八天「らくだ」
~仲入り~
月亭八天「天災」

開口一番の天使は八天の弟子で女流。
言い間違いをしようがミスしようが、そんなことお構いなしに突っ走る。いい度胸をしている。
「兵庫船」、上方では前座噺なんだろうか、結構難しいと思うのだが。

次に上がった八天から「七代目月亭文都襲名」についての説明があった。
上方落語中興の祖といわれる初代桂文枝の門下に2代目桂文都がおり、2代目文枝の襲名争いに敗れて「桂」から「月亭」に改名した。
「月亭」の由来は、古代中国神話で「月には桂の木が生えている」とされることからで、「桂」が生えているのは「月」があってこそ、という文都の自負心が込められている。
3代目以後は元の桂(現在の文枝の系列)の亭号に戻り、6代目として先に亡くなった立川文都がいる。
今回の襲名は師匠・月亭八方の推しによるもので、一門に古典を演る者が少ないという事情があったようだ。
ただ文都は代々「桂」亭を名乗ってきたので文枝一門の了解や、6代目の未亡人への了解も必要だったとのこと。襲名ってぇのは大変なんだねぇ。
月亭文都という名前は112年ぶりの復活となる。
襲名は来年の3月で、大阪を始め東京でも襲名披露興行が行われる由。

八ゑ馬「代書屋」は初見。
関西出身のようで、上方落語バージョンで演じ良い味を出していた。
だが、どうして上方へ入門しなかったんだろう。

八天の1席目「らくだ」。
始めは硬さがみられてミスもあったが次第にエンジンがかかってきた。
上方の「らくだ」の特長としては、ラクダの兄いと屑屋が酒盛りするシーンに時間をかける。
とりわけ屑屋が元は通りに一軒構える身でありながら、酒で持ち崩して裏長屋住まいの屑屋稼業。それがもとで前妻に死なれ、今は前妻との間に生まれた娘と妻と幼い息子の4人暮らしという、細かな身の上話をする所が大きな特色となっている。
娘が雨の中を父親の酒を買いに出かけるのを思い出しながら屑屋が泣く。
そこで屈辱感がグッと湧いてきて、次第に屑屋の怒りが爆発してゆく。その過程が見どころとなる。
そして兄いに対しては一方で恐れながら、もう一方で弟分の葬礼のために尽力したことには評価するのだ。
八天は屑屋の細かな心の動きの描き方が巧みで、上々の「らくだ」だった。

八天の2席目「天災」。
上方版は初見だったが、東京のものと殆んど同じ内容。
心学の先生と荒くれ者の八とのセリフの間、切り返しの妙に優れていて、東京版より面白く感じた。

八天は文都襲名を師匠から押し付けられたように語っていたが、実際はこの人の才能を評価しての推薦だったのだろう。
そう思わせるこの日の高座だった。

2012/10/07

#13三喬・喬太郎二人会(2012/10/6)

10月6日は昼から芝居、夜は落語会の変則Wヘッダー。定退後、手帳というものを持ち歩かなくなり時折りWブッキングしてしまう。この日は夜と昼で時間がずれていたので丁度良かったけれど。
順序を変えて夜の国立演芸場「第13回三喬・喬太郎 二人会」を先に。
年1回で東京と大阪の交互開催、今年は東京なので喬太郎がトリ。開口一番は東京の時は上方の噺家が、大阪の時は東京の噺家が演じるという、しかも一門以外の若手を起用するという凝った趣向になっている。
もう一つ、番組のチラシが配られるがこれがA4の見開きで主催者の挨拶が1ページぎっしり書かれている。「みほ企画」代表の山口一儀さんの姿勢の顕れだ。「夢空間」なんざぁ爪の垢でも煎じて欲しい。
今回は三喬の師匠・笑福亭松喬が癌と闘いながら高座を務めている記事が載っていて、その中の言葉。
「落語の高座に上がっているときだけは、癌のことが忘れられますねん。運転してるときも、安全運転せなアカンと集中して、癌のことを忘れます」。
重いなあ。

<  番組  >
桂鯛蔵「二人ぐせ」
柳家喬太郎「バイオレンスチワワ」
笑福亭三喬「くっしゃみ講釈」
~仲入り~
笑福亭三喬「七福神」
柳家喬太郎「真景累ヶ淵より宗悦殺し」

開口一番の鯛蔵「二人ぐせ」、東京でいえば二ツ目相当だそうだが、それなりの高座といった所。

上方落語はなかなか聴くチャンスが少なく、この間、中堅落語家を中心に何枚かDVDを購入し観てきた。
その範囲でいうと、笑福亭三喬が最も優れている。派手なパフォーマンスがあるわけじゃないしネタの改変や余計なクスグリもない。それでも十分面白いのは偏に話芸に秀でているためだ。
この日の2席もその実力をいかんなく発揮していた。
三喬の1席目「くっしゃみ講釈」。
落語は語るに対し講釈は読む。講釈師が一段高い位置にいるのは、元々が武士だった人たちが始めた芸だからだそうだ。戦記ものなど英雄豪傑が活躍する話が中心なのはそのためなのだろう。一段低く見られる噺家としては大変面白くない。そこでこんなネタをこしらえたんではなかろうか。
見せ場はカラクリを一段語るところと、後半の講釈の場面。
八百屋へ胡椒を買いに行かされた男、品名を忘れたので、「覗きカラクリの演目」→「八百屋お七」→「お七の恋人」→「小姓の吉三」→「胡椒」を連想する。
このカラクリを楽しそうに語る男、八百屋の店先に人だかりができて困惑する店主との対比が実に良くできている。
後半の講釈「三方ヶ原軍記」は名調子で始まり、やがてくしゃみの連発で壊されていく過程も丁寧に描かれていた。
三喬の2席目「七福神」は初見。
マクラで喬太郎の「チワワ」に対抗するためにと主催者からリクエストされたとのこと。
元々は江戸時代の落語家・月亭生瀬(いくせ)がこさえた小咄を原形に、「超古典落語の会」のくまざわあかねさんが脚色したネタだそうだ。
ストーリーは七福神が慰安旅行に行こうと三十石の舟に乗り、やがて旅館に着いて飲めや歌えの大宴会。そこに隣の部屋の武士から静かにせよとの命令・・・。
古典のパロディから楽屋オチ(上方落語の世界なので分からないことが多かったが)、ギャグ満載で三喬の新しい面を見せてくれた。

対する喬太郎、10年に一人の逸材といっても過言ではあるまい。ミレニアムの年に真打に昇進して12年、その後の昇進者で喬太郎を超える噺家は出現していない。
喬太郎の1席目「バイオレンスチワワ」。
マクラで喬太郎の新作の中では下の下と言ってたが、確かに作品の出来としては良くない。専ら喬太郎演じるチワワの真似だけで笑わせるネタ。
それでも客席をもたせられるのは、この人の芸の力としか言いようがない。
喬太郎の2席目「真景累ヶ淵より宗悦殺し」も初見。
三遊亭圓朝作の長い長い怪談噺で、この「宗悦殺し」はその発端。
あらすじは。
江戸時代の盲人は鍼灸の他に金貸しという職業が認められていた。今でいう身障者に対する支援の一環というべきか。
鍼医の皆川宗悦もあちこちに金を貸していた。暮も押し詰まった極月の20日、二人の娘の嫁入り資金を貯めなばならぬとて、霙のなか小普請組・深見新左衛門宅へ借金の取り立てに出向く。
厳しく返金を迫る宗悦に激高した新左衛門は、宗悦を斬り殺し、死骸を家来の三右衛門に捨てさせる。そのまま三右衛門は故郷の羽生村へ引き込む。
その件を苦にして新左衛門の妻は病の床につき、代わりに女中として雇ったお熊と関係を結び懐妊させる。
翌年の12月20日、妻の病気の療治のため呼んだ流しの按摩が、いつしか宗悦の姿に変わる.思わず斬りつける新左衛門,すると宗悦ではなく妻を斬り殺してしまう。死骸は門番の勘蔵に始末させる。勘蔵は新左衛門の次男・新吉を連れて下谷大門町へ。
ここまで。
この後、新左衛門一家には次々と不幸が訪れ、やがて宗悦の長女・豊志賀と新左衛門の次男・新吉が出会い、有名な「豊志賀の死」へとストーリーは展開してゆくことになる。
登場人物の造形がクッキリと描かれ、ゾクゾクするような緊張感に溢れた見事な高座。
ここのところ珍しい圓朝作品を掘り起しつつある喬太郎の挑戦は、まだまだ続きそうだ。
真景累ヶ淵とチワワ両方を演じられる噺家って、喬太郎以外にいますか?
凄いの一言。

東西の実力者のぶつかり合い、見応え十分。

2012/10/05

【街角で出合った美女】アルメニア編(2)

9月半ばからTVをみない日が続いている。
元々ニュースしかみない所にもってきて、例の民主党と自民党の党首選挙の模様が延々と映し出されていたからだ。
なんで特定政党内部の選挙を公共放送が毎日のように放映せねばならないか、全く理解できない。国民の大多数は選択権がないのだから意味をなさない。
NHKはいつのまにか国営放送から党営放送に変ったのか。
とりわけアタシは安倍晋三というのが大嫌いだ。顔をみてるだけで気分が悪くなる(カミさんは石破茂が気持ち悪いと言ってたが)。だからTVをつけないことにしていた。
党首選が終りヤレヤレと思ったら、その安倍晋三が自民党の総裁になり、下手すりゃ次の首相になりそうだとのこと。
又しばらくはTV離れせざるを得まい。

ここから本題に入りますが、コーカサス三国の中でアルメニアが最もフレンドリーな印象を受けました。
首都エレバンのレストランに可愛らしい店員を見つけました。
写真を撮っていいかと訊くと最初は断られましたが、何度か頼むとOKとなり、恥じらいながらもちゃんとポーズをとってくれました。それも3ポーズ、サービス精神満点です。
Photo

ゲハルト洞窟修道院の見学を終え、駐車場に戻ると家族連れと思われる一団が音楽に合わせて踊っていました。通り過ぎようとすると手招きされ一緒に踊ろうと誘われました。
こんな爺さんじゃ・・と思いながらも無碍に断るのもなんだしと、踊りの輪に加わりました。
これが大好評。
お蔭で母と娘がダンスしている様子を撮ることができました。このお嬢ちゃんもやがてママのような美人になることでしょう。さらに年月を重ねると真ん中のお婆ちゃんのように・・・。
Photo_2

最後はアルメニアのチャーミングな現地ガイドです。
大学で日本語を学び、日本人の男性と結婚しているとか。
本人も言ってましたが、他のアルメニア人とは随分と外見が違います。
話をしているとついつい胸元に眼が・・・、イケナイ、イケナイ。
Photo_3

コーカサス三国の内、グルジアの美女だけ紹介できなかったのは残念ですが、これはシャッターチャンスに恵まれなかったからです。
人物のスナップ写真というのは難しいですね。

2012/10/01

「雲助蔵出し」(2012/9/30)

台風17号が近づく9月30日、浅草見番で行われた「雲助蔵出し」へ。
明治の頃、浅草寺境内一帯を浅草公園と命名した。その「公園」を逆さ読みして浅草が「エンコ」と呼ばれるようになったとか。
昔から芸能人やヤクザはモノを逆さ読みする癖があり、ズボンをボンズ、パンツをツンパと言ってたようだ。銀座の姉ちゃんはザギンのチャンネエとなるわけだ。
お目当ては雲助の「妾馬」の通し(ネタ出し)。

<  番組  >
前座・柳家まめ緑「狸札」
柳亭市楽「幇間腹」
五街道雲助「つづら」
~仲入り~
五街道雲助「妾馬」(通し)

定例化しているこの会、客の大半が常連と思われる。だから客席からは「早く雲助を聴きたい」オーラが放たれているので、前に出る若手はさぞかし演りにくかろう。
市楽「幇間腹」は、ただ喋ってるというレベル。この噺で肝心のタイコモチに悲哀が出てない。

雲助の1席目「つづら」は初見。「葛篭の間男」とも。
珍しいネタで師匠・馬生の速記から起こしたとのこと。
マクラで江戸時代の間男(有夫の女性の不倫相手)が夫にばれた場合、町人の世界では7両2分(大判1枚相当)を支払うことで丸く収めていたと解説。圧倒的に男の数が多かった江戸の町の庶民の知恵だとか。
今でいえば慰謝料だろうが、現在の貨幣価値にすればおよそ100万円近いわけで、やっぱり不倫は高く付く。
ストーリーは。
博打の金を借りた男が筋の悪い男らからの取り立てに追われる。金の工面に行く途中、叔母さんに呼び止められ、質屋の旦那と男の女房が出来ていると告げられる。
男が2,3日家を空けると知った質屋の主は家に上がり込み、女房と一杯やっている。突然、そこへ男が戻って来た。女房は逃げ場を失った質屋をつづらに押し込む。
男は女房に詰問し、相手がつづらの中にいるのに気付く。
男がつづらを開けようとすると女房が必死に止め、男の借金を質屋の主が肩代わりしてくれた事を仄めかす。思い直した男はつづらを背負い、質屋に向かった。
質屋の番頭にこのつづらを質草に7両2分出せと迫る。
最初は断った番頭だが事情を察して・・・。
落語の世界では間男を扱ったネタは多いが、この噺は浮気というよりは深刻な事情をはらんでいる。
女房の方は亭主の借金の肩代わりという多少の打算はあっただろうが、質屋の主人は妻を亡くして日々老いる身。心の安らぎを求めて男の女房を深い仲になるわけで、浮気というよりは純愛に近いと言って良い。
そういう意味で、極めた近代的なテーマなのだ。
7両2分で全てが丸く収まれば御の字。
雲助は登場人物の性格、陰影を細かな表情で表現させ、この作品に深みを与えている。
上手い! の一言。

雲助の2席目「妾馬」(通し)
マクラでこの噺は後半まで演らないとタイトルの「妾馬」の意味が分からない。なぜ後半が演じられないかというと、それはつまらないからだと説明。アタシも通しは初めて聴く。
通行中の大名が長屋の娘・お鶴を眼にとめ、家来が家主を訪ねて屋敷に奉公に上がるよう申し付ける導入部から始まるが、長屋の連中が総出で井戸替えするシーンを視覚的に見せる工夫をしていた。
大家がお鶴の母親に大名の妾と持ちかけると、母親は自分のことと勘違いする場面を加え笑いを誘う。
ここまでがとてもスピーディーに語られる。
後はお馴染みの筋立てだが、殿の御前での八五郎の弾け方が見事。荒くれ者だが、そのクセ家族思いで人情モロイ、魅力的な人物として描かれている。
今ふと思ったが、映画のフーテンの寅さんと妹さくらの関係は、八五郎とお鶴がモデルなのでは。
ここまでで比較するのも何だが、先日の花緑の高座とは天と地ほどの差がある。その最大の理由は雲助が人間を深く捉えているからだろう。
後半は、50石の士分に取り立てられた八五郎の愉快なキャラがすっかり評判となり、遂には他の大名への使者を申しつかり、乗り慣れぬ馬に乗るが暴走。
「そのように急いでいずれへおいでなさる?」と訊かれ、「行く先は、馬に聞いてくれ」とサゲる。
後半も雲助が恐らく手を加えているのだろうが、とても面白かった。
1時間の長講だったが演者も観客も全くダレルことなく、十分に楽しませてくれた。

雲助は人情噺風の演目と滑稽噺のそれとでは別人のような表情を見せる。
毎度のことながら実に結構な独演会でした。

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