鳩山家と「沖縄」
11月21日、民主党の鳩山由紀夫元首相は記者会見で、総選挙への立候補を断念し、政界を引退することを正式表明した。野田政権の方針に従うよう求める誓約書に署名できないことが引退の理由と説明した。
鳩山は「消費増税、環太平洋経済連携協定(TPP)、原発再稼働など、現政権の方針と違う主張を党内で続けたいと思っていたが、その主張を続けると、公認は得られないと」と語った。
鳩山元首相については毀誉褒貶がと言いたいところだが、批判や嘲笑に晒される方が多い政治家だった。
特に沖縄に普天間基地について国外への移設を主張し、最低でも県外移設が期待されると発言したが実現できず方針を撤回。最後は「党の公約ではなかった」と釈明に追い込まれたのが響いた。
あの当時、「そうだよね、沖縄の負担低減のために何とかしなくちゃ」という声より、「アメリカを怒らせる」「日米関係を悪化させる」という声の方が圧倒的だった。とりわけマスメディア、評論家、保守政治家、官僚らから袋叩きにされていた。
しかし、鳩山由紀夫の主張はそんなにトンデモ発言だったんだろうか。
そこで思い出すのが祖父である鳩山一郎の首相在任時(1954‐56年)の動きだ。
鳩山により外相兼副総理に起用された重光葵は1955年にアリソン駐日大使に次の様な要望を提出している。
1.米国地上軍6年以内に撤退
2.その後の6年以内に米国海空軍を撤退
3.米軍基地の取り扱いについてはNATOとの取り決めと同様にする
4.在日米軍のための防衛分担金の廃止
1951年に締結された安保条約(旧安保)が、当時のダレス国務長官による「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」という方針に基づいたものだった。
重光の提案は、その根幹を変えたいという趣旨だったわけだ。
防衛分担金については当時の日本の国家予算が1兆円だったのに対し550億円を毎年アメリカに支払っていた。交渉の結果、その後に200億円を減額させている。
1-3の課題については1955年に重光外相と河野一郎農林大臣、それに岸信介民主党幹事長が揃って訪米し、米国のダレス長官と激論の末、安保条約をより相互性の強いものに置き換えることで合意した。
翌1956年には鳩山一郎首相はソ連を訪問し、日ソ国交回復を実現してゆく。
こうして見ていくと、鳩山由紀夫の基地問題への取り組みは決して単なる思い付きではなく、祖父の代からの大きな命題だったと考えるべきではなかろうか。
その結果、祖父と同様に米国政府からは嫌悪され、政権を降ろされてしまった。
ただ当時と異なるのは、アメリカ政府になり代わり米国の意向を代弁して鳩山叩きを行った日本の政治家や官僚、マスコミが大勢いたことだ。
そこに鳩山由紀夫の不幸があったと思われる。
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鳩山由紀夫自身の問題もありましたが、マスコミの偏向報道の影響が大きかったですね。
今のマスコミはアメリカの広報部門のようです。
たとえば、TPPについて真っ当な報道をしている大メディアはありませんよね。
ほめ・くさんのような正論を書けるメディアがないことが、あまりにも寂しい。
投稿: 小言幸兵衛 | 2012/11/22 22:23
小言幸兵衛様
鳩山一郎政権時にアメリカ政府に要求したのは米軍の有事駐留化と日米地位協定の改定なんです。
今こんな主張をしようものならメディアは大騒ぎになります。なにせ普天間の県外移転だけであれだけ叩かれたんですから。
やはり時代の違いを感ぜずにはいられません。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2012/11/23 01:29