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2013/01/31

鈴本1月下席・昼(2013/1/30)

春先のような暖かい日和となった1月30日、鈴本演芸場1月下席・昼の部の楽日へ。これで鈴本には今月3回目となる。
寄席は行きだすと馴れてくるようで、一時期は新宿末広亭に通っていたこともあるが、近ごろはとんとご無沙汰。そういやぁ池袋も久しく行ってないなぁ。何となく鈴本が居心地が良くなってしまった。いつもの通り指定席(勝手に決めてるんだけど)へ。

寄席の楽しみのひとつにお客同士の会話がある。
以前にプログラムをみながら、「あ、次は”きんばら亭馬生”だ」と言ってた人が。
「馬生って、あの人まだ演ってるの?」
「ああ、相当いい年だろうね」
先代と勘違いしてるんだ、聞こえてたら馬生も苦笑だね。
この日も後方の老婦人、”夢葉”を”ゆめは”と読んだり、圓十郎のメクリを見て「次は團十郎よ」。
正解は”えんじゅうろう”です。
さぞかしお役者のような色男が登場かと期待したんだろうが、実際は相撲取りみたいな人が出て来て驚いてた。
この老婦人も一之輔が出てきたら「去年、真打になった人よ」って、なかなかの通じゃん。

楽日というのは休演が少なくて良い。
平日の昼間ながら一杯の入りは、団体も入っていたが、やはり顔づけの良さか。

前座・林家なな子「転失気」
<  番組  >
入船亭遊一「子ほめ」
伊藤夢葉「奇術」  
橘家圓十郎「弥次郎」
金原亭伯楽「親子酒」
大空遊平・かほり「漫才」
春風亭一朝「看板のピン」
柳家喜多八「短命」
柳家小菊「粋曲」  
入船亭扇辰「家見舞い」
~お仲入り~
ホームラン「漫才」
柳家小ゑん「即興詩人」
春風亭一之輔「つる」
翁家和楽社中「太神楽曲芸」  
入船亭扇遊「妾馬」

遊一「子ほめ」
近ごろは女性の噺家が増えて楽屋が華やかになってきたと言ってたが、下手な女流を聴かされるこっちの身にもなってくれ。
師匠に似た落ち着いた高座、抜擢が復活すれば真打をうかがう位置に来てるんで狙って欲しい。
圓十郎「弥次郎」
”私の後からプロが出ます”と言ってたがジョークに聞こえなかった。
その通りだった。
伯楽「親子酒」
父親と妻の会話の中に酒飲みの心理が巧みに描かれている。
この人は芸が老けない、そこが感心する。
遊平・かほり「漫才」
上方の”だいはな”の線を狙ってるんだろうが、いかんせん”花子”のようにアクが強くない。そこが弱点。
一朝「看板のピン」
元は博打打ちで今は隠居の男と、博打好きの男たちの位置関係が鮮明。
そこが生命。
喜多八「短命」
この人得意のパントマイムが効果的。
「目は口ほどにものを言い」の典型。
小菊「粋曲」  
近くの客が”綺麗ねぇ”とため息をついてた。
小菊姐さん、まだまだイケテルみたいですよ。
扇辰「家見舞い」
こういうネタも掛けるんだ。
短縮版だったせいか、いくつか普通と違う点があった。
例えば二人が古道具屋に行き、最初は水瓶を勧められるが高くて買えない。そこで主人からこれならと肥甕を見せられる。”汚ねぇな”と言いながら、二人はそのまま甕をかついで兄いの家に届ける。
通常は川で洗って汚れを落としてから持って行くのだが、ここを省略している。
幾らなんでも汚いままの肥甕を、兄いがそのまま水瓶として使うというのは不自然だ。
後半の二人が兄いから食い物のもてなしを受ける場面が良かっただけに、前半のキズが惜しまれる。
ホームラン「漫才」
2006年に協会加入なので若手扱いだがコンビ歴30年のベテランで、二人ともしっかりした芸の持ち主。
たにし(右)の方が勘太郎(左)より4つ年上だとは驚き。
小ゑん「即興詩人」
一戸建ての水海道から池袋に通勤するサラリーマンの悲哀、そして庭の白木蓮の花びらが舞い落ちてくるのを見て突然詩人になる決心をするというストーリー。
いつもような小ゑんワールド、心地よい。
一之輔「つる」
この人には珍しく不出来。何が良くないかといえば、隠居と八五郎の位置関係だ。
先日の「短命」もそうだったが、会話が友人同士みたいなのだ。
前半の師匠や喜多八の高座に比べ、そこが大きく違う。
扇遊「妾馬」
志ん生流をベースにしながら、妹おつるとの再会シーンでは圓生流にホロリとさせる演出。
時間の関係からやや短縮版ではあったがその分スピーディで、勘所は全てきちんと押えた高座は楽日のトリに相応しい。
この人は上手い。

先の老婦人、両隣は初めて寄席に連れてきた知り合いだったようだが、二人とも良かったと喜んでいた。
房総方面から来た甲斐があったようだ。

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2013/01/27

よってたかって新春らくご’13・昼(2013/1/26)

1月26日、よみうりホールで行われた「よってたかって新春らくご’13 21世紀スペシャル寄席ONEDAY」昼の部へ。

<  番組  >
前座・林家扇「元犬」
春風亭一之輔 「黄金の大黒」
柳亭市馬「味噌蔵」
~仲入り~
三増紋之助「曲独楽」
桃月庵白酒「抜け雀」

扇「元犬」
6月に二ツ目昇進のようだが、さしたることもなし。

一之輔 「黄金の大黒」
子供たちが普請場で砂遊びをしていた時、大家の倅が黄金の大黒さまを掘り出した。
めでたいことなので、長屋の連中を招待して大家がご馳走してくれるという、就いてはお祝いの席なので羽織を着てこいというお達し。
持ってるよというのがいるが、これが印半纏。
違いを知らなかったのか?で普通は終わるのだが、一之輔はこの男が妹の婚礼に着ていって、参列者から下駄を預けられたというエピソードを加える。下足番と間違えられたというわけだ。
そういやぁ未だアタシが二十代のころには人形町末広という寄席が残っていて、畳じきだったので下足番がいたが確かに半纏を着ていたっけ。
こういうクスグリを織り込むところに、この人のセンスを感じる。
トンチンカンな口上を言う二番目の男として個性的な金ちゃんを登場させたり、大家が倅が悪さをしたら遠慮せずに叱ってくれというと、もうやってますという男が現れる。
火をおこしていたら倅が来て小便で消したので、引きずっていって頭をポカポカと三つばかり。
大家「じゃゲンコでかい?」
男「いやぁ、膝蹴りで」
時間の関係で前半で切ったが、こんな調子で受けに受ける。
この後の人はやりにくいだろうなと思っていたら。

市馬「味噌蔵」
やはり一寸やりづらそう。
一之輔の活躍ぶりをマクラに振って、「これからは一之輔の後をついて行こうと思ってます」。そういわせる勢いがあるのだ。
振り返ると2000年代から始まった落語ブームで人気を得た噺家というのは一様に、ハイテンションでスピーディな展開と、独自のクスグリを入れ込んで積極的に笑いを取る高座スタイルだ。
談春なぞはむしろ例外ともいえる。
客もそうした芸を求める傾向にあり、じっくりと落ち着いた高座スタイルの芸人はこの日の会だと受けが悪い。
市馬にとってはいわばアウェイ。
その影響からか、今ひとつ乗り切れない高座だったように思う。

紋之助「曲独楽」
普段のこの会の出演者は落語家ばかりだが、新春ということで色物を挟む。
一昔前の太神楽や曲独楽の芸人というのは黙って芸を披露したものだが、近ごろはよく喋る。
難しい芸を涼しい顔をして演るというのが本寸法だと思うのだが。
これも時代か。

白酒「抜け雀」
マクラでこの日のほぼ同じ時間に、夢空間主催のもう一つの落語会「柳の家に春風が」が大田区民ホールで開かれていて、市馬と一之輔は既にそちらへ向かってしまったと語る。向こうの会はその二人に三三が加わり、その三三はこの会の夜の部に出演。まるで「五人廻し」だ。
「夢空間の夢って、どんな夢なんでしょうね」で会場が爆笑。
たぶん「夢金」。
意外なことにこの人の「抜け雀」は初見だった。
他の演者に比べ演出にいくつか相違点がある。
・墨をするのが宿の主ではなく絵描き本人
・「見えない目ならくりぬいて銀紙を貼っておけ」というセリフが、絵描き、宿の女房、絵描きの父親と3回繰り返される
・雀が抜けるので近所の人を呼んで見せるが、最初は抜け出さない。翌朝ふたたび呼んで繰り返すと今度は抜け出す。
・絵描きが宿の女房を称して「河豚みたい」だと言う。後日、再び絵描きが現れると掌を返したような歓迎ぶりに、こんどは「河豚の毒が消えたか」
身勝手な宿泊客と不貞腐れた女房との間でオロオロする亭主の姿がくっくりと描かれ、爆笑版の「抜け雀」。
これもまた結構。

けど上演時間が2時間15分じゃ、物足りないやね。

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2013/01/23

将来を担う若武者「一之輔・文菊二人会」(2013/1/22)

1月22日日本橋劇場で行われた「第1回春風亭一之輔・古今亭文菊二人会」へ。第1回とあるからには今後も継続して開かれるのだろう。
開場入り口にはこの会らしく綺麗処(かつての)がズラリと揃って受付をしていた。
主催者の言によれば会の趣旨は、「落語界のダイヤモンド二人が、芸を競い、磨き合う場として、一層輝くための会」とある。この二人が将来の落語界を担うであろうことは、多くの落語好きの方々も異存はないだろう。
もっとも一之輔は既に担ってるか。
昨年の新真打のもう一人・志ん陽は、いま鈴本下席で初のトリを取っている。

<  番組  >
前座・春風亭一力「牛ほめ」
春風亭一之輔「短命(or長命)」
古今亭文菊「心眼」
~仲入り~
古今亭文菊「豊竹屋」
春風亭一之輔「百川」

一力「牛ほめ」
先日の国立でも感じたが、若いのに何か老成しているような印象だ。
一之輔の1席目「短命(or長命)」
この日の一之輔の2席はいずれも真打昇進披露の高座で演じたもので、手堅い選定というところ。
このネタだが、結論からいうとあまり感心しない。
前半の隠居と八の会話が、まるで友達同士のように聞こえる。話しているうちに隠居がイライラしていくのだが、この噺の隠居は八の理解力が足りなくとも辛抱強く「短命」の理由を遠まわしに説明する。そこが眼目であって、イラツクくらいなら初めからズバリと結論を言えば済むのだ。
後半の八と女房とのヤリトリで、ご飯をよそってくれと頼む八にカミさんが「今月の目標『自分のことは自分でやろう』と書いてあるだろ、シール貼ってやれないよ」というクスグリは面白い。
文菊の1席目「心眼」
以前このブログで”実録「心眼」”という記事を書いた通り、子どもの頃に隣家のアパートの大家が盲人でこの人が色男、奥さんはその正反対。ある日大家である盲人が借家人の二号の部屋に上がり込み、襲われそうになった二号が我が家に逃げてきたというエピソードを紹介した。だからこのネタは、アタシにとってはリアリティがある。
さて文菊の高座だが、丁寧な演出でこの人の実力を感じさせるものがあった。
ただどうなんだろう、このネタはもう少し歳を重ねてから掛けるべきではなかろうか。演じ手に艶や情がないといけないし、最後のシーンで梅喜が我に返って笑うのだが、あの笑いの味を出すのが若いと難しいと思う。
熱演だったがやや平板な印象を受けたのはそのためだろう。

文菊の2席目「豊竹屋」
典型的な音曲噺で、浄瑠璃の素養が無いと演れないネタ。上方ネタで東京では圓生の十八番だったが、現役では林家正雀が得意としている。
文菊は独自のクスグリを織りこんで、一段と楽しい噺に仕立てた。
面白かった。
初めて聴いたが、文菊の新しい面に接した。
一之輔の2席目「百川」
1席目との間が長く、寝てしまったと告白。確かに今ごろ正月の疲れが出る頃だ。
このネタの冒頭で、実際にあった話を基にしてとなっているが、これはフィクションだと断言していた。その通りで、これはフィクションだろう。こういうことをバーンと言ってしまう所が一之輔の個性であり、人気の秘訣かも知れない。
このネタで肝心なのはテンポだ。テンポの悪い人が演ると聴いてられない。その点この人は快適なテンポで飽きさせない。こんなに面白い噺だったけと思わせるのも、そのせいだ。
独自の演出としては、クワイのキントンを無理やり飲み込まされた百兵衛が再び二階に呼ばれてキレルところ。
「次なに飲むだ、そのサザエの壺焼き貸せ!」
ここで客席は大爆笑。
ウ~ン、やっぱりこの人はタダモノじゃない。

アタシらがこういう記事を書くのを落語家はどう思ってるかしらね。
何も知らない素人が勝手なことをほざいてと怒ってるんしょうね。メモを取ったりプログラムに書き込んだりする姿は高座から見えるでしょうから、きっと舌打ちしてるんでしょうな。
でもこれが趣味で落語会に通ってるんですから、許してください。

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2013/01/21

#404花形演芸会(2013/1/19)

1月19日は昼の朝日ホールから移動して、夕方から国立演芸場「第404回 花形演芸会」へ。地下鉄で2駅だから楽ちん。
この会はゲストを除きネタ出し。

<  番組  >
前座・春風亭一力「たらちね」
三遊亭橘也「唖の釣り」      
立川談修「かつぎや」    
ホンキートンク「漫才」              
菊地まどか「阿波の踊り子」 曲師=佐藤貴美江     
―仲入り―
ゲスト・林家たい平「七段目」 
翁家和助「曲芸」            
桂吉弥「くしゃみ講釈」 

橘也「唖の釣り」。
圓楽一門の二ツ目で初見。
何だか面白い。若い頃はこういうのが大事なのだ。
どうせ上手いわけはない(中には例外はいるが)ので、存在自体が面白いと感じさせるのは強みとなる。芸人は一に愛嬌だ。
談修「かつぎや」
この人は今日で4回目だが、芸風が「陰」なのと硬い。
語りはしっかりしてるが、いかんせん面白味がない。
それと名前の紹介で「専修大学出なので談修」というのは、いい加減にやめた方が良い。
ホンキートンク「漫才」              
数年前に比べ着実に上手くなっている。
ネタも練れているし、自分たちの型が出来つつある。
東京の若手漫才界の一角を占める存在になるだろう。
菊地まどか「阿波の踊り子」 
古典大衆芸能というは概して男の世界だが、例外は浪曲(浪花節)でここだけは女性でも第一人者になれる。事実、現在の浪曲協会会長は澤孝子だ。
ただ寄席に浪曲師が出る場合、演題は良く考えた方が良い。
かつて二代目広沢菊春という浪曲師がいて、しばしば寄席に出ていたが人気があった。
古いファンの方ならご承知の通り、菊春の演題が落語になったり、その逆に落語のネタを菊春は浪曲に仕立てていた。
だから寄席に出ても全く違和感が無かったし、落語ファンでも十分に楽しめた。
もちろん浪曲自体の芸も優れていた(澤孝子の師匠)。
菊地まどかは美声だし見た目も華やかで結構、浪曲大会ならこれで良いのだろう。
しかし娘が嫁に行くのどうのというストーリーでは、寄席の客には合わない。
技量を磨くと同時に寄席に合う演題を探求し、寄席で通用する浪曲師を目指して欲しい。
たい平「七段目」 
最初に観たのは本人の真打披露の高座、以後このネタは何度か聴いている。
サラッと流す時もあったが、この日は気合が入っていたように思う。
若旦那が帰宅する途中、交番の巡査と交わす「安宅関」の掛け合いから、団十郎(早く回復して欲しい)と福助の声帯模写。父親から説教を受ける時に次々飛び出す歌舞伎の名セリフ。そして二階に上がってから小僧との、「仮名手本忠臣蔵」七段目の平右衛門と妹・お軽との立ち回りまで。
快適なテンポで一気に進む。
落語通といわれる方からは厳しい評価のたい平だが、このネタに関しては現役ではこの人がベストだと思っている。
和助「曲芸」            
いつ見ても鮮やかだし、芸の見せ方にサービス精神がある。
この点は先輩芸人も大いに見習う必要がある。
吉弥「くしゃみ講釈」 
ちょうど3年前にこのネタを聴いているが、結論としては進歩が感じられない。
マクラで「真室川音頭」を唄ったが、ああいうのは本題のリズムを崩すのではなかろうか。
昨年このネタを笑福亭三喬で観ていて、上方落語に不案内なので三喬と吉弥の位置関係が分からないが、力の差は歴然としていた。
吉弥は来月も国立でトリを取るが、巻き返しを期待したい。

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2013/01/20

#126朝日名人会(2013/1/19)

1月19日、元横綱大鵬の納谷幸喜さんが72歳で亡くなった。
1960年頃だったと思うが、当時「柏鵬」時代といわれ人気を二分していた柏戸と大鵬がまだ大関時代に国技館で観たことがある。
二人には大きな声援がおくられていたが、その当時は柏戸の方が人気が高かった。
というのは「剛の柏戸」「柔の大鵬」と言われてように、柏戸の相撲は一気呵成で勝負としては面白かったからだ。「攻めの柏戸」「守りの大鵬」と言い換えても良いが、横綱昇進後は圧倒的に大鵬の強さが目立った。やはり勝負は守りの堅さが大切なのだろう。
大鵬は少年の頃から家計を助けるために農作業や土木工事に携わり、その時に鍛えられた身体が後の相撲の強さに影響を与えたとある。
そうなると今後も、大鵬のような日本人力士は現れないのかも知れない。
ご冥福をお祈りする。

同じ19日、有楽町朝日ホールで開かれた第126回朝日名人会へ。
遅れて申し込んだのだが運よく前から3列目に席が取れた。
この日は国立とのダブルヘッダーだったが、まずは先行のこの会から。

<  番組  >
前座・柳家緑太「やかん」
三遊亭金兵衛「蔵前駕籠」
古今亭菊之丞「景清」
柳家喬太郎「小言幸兵衛」
~仲入り~
柳家さん喬「棒鱈」
桂文珍「憧れの養老院」

前座の緑太、口調がハッキリして良い。
金兵衛「蔵前駕籠」
既に公表されているように今秋真打に昇進する。これを機に4代目金朝(きんちょう)を襲名するとのこと。先代は1914年に亡くなっているので1世紀ぶりの復活ということになる。
この日もそうだが落ち着いた手堅い高座だが、何か光るものがない。
これから真打として伸していくにはプラスアルファが求められるだろう。
菊之丞「景清」
器用な人で文楽だろうと志ん生だろうと小さんだろうと、様々な先人の十八番をみな熟(こな)してしまい、そこそこのレベルに持ってゆく。
当り外れが無い反面、人の心を揺り動かすような芸には達していない。
この噺でもかつては遊び人だった盲人という性格づけが出来ていたし、全体として良くまとまっていたが、盲人の悲哀が今ひとつ胸に迫ってこない。
喬太郎「小言幸兵衛」
まだ真打に成り立ての頃から何度か聴いているが、その度に少しずつ良くなっている。そういう意味では今回がベスト。
ただこのネタは余りに圓生の残像が強すぎ、どうしてもギャップを感じてしまう。
特に最後の芝居仕立てで若い二人の心中を描く場面だが、圓生だと聴いていてそのまま歌舞伎の舞台が見えてくる。一節唸る浄瑠璃も本格的だ。
それに比べると志ん朝でさえ見劣りするし、喬太郎では更に落ちる。
無いものねだりしても仕方ないかも知れないが、やはりこのネタは圓生の高みを目指して欲しいのだ。
さん喬「棒鱈」
師匠の十八番を引っ提げての高座。
なにしろ江戸は徳川幕府のお膝元、そこへ乗り込んでき来て威張りだした薩長の侍に対し、当時の江戸っ子はさぞかし面白くない思いだったろう。その鼻をあかすこのネタは今聴いても痛快だ。
前回も書いたが、さん喬はこうした滑稽噺がニンだ。
この日も会場は爆笑に包まれていた。
文珍「憧れの養老院」
場内は大受け。
私の後方の人は文珍がなにかギャグを言うたびに拍手して煩いったらありゃしねぇ。無粋な客だ。
全体の半分(3分の2かな)を費やしたマクラは、昨年12月の「にっかん飛切落語会」と同じ。
本題は金が無くて老人ホームに入れない老夫婦が、それならいっそ老後は刑務所でと銀行強盗を企てるというストーリーで、いまひとつピンと来ない。同じ老人を扱った「老婆の休日」などとは大違い。
わざわざ大阪から来て演るようなネタじゃない。
この人は時に上方落語界でもトップレベルかと感じさせることもあるが、どうも出来不出来(orヤル気)の波が大き過ぎる嫌いがある。

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2013/01/18

アルジェリアの印象

アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設がイスラム武装勢力に襲撃され、邦人など多数が人質になった事件で、同国の情報相はアルジェリア軍が1月17日に実施した人質救出作戦で武装勢力と人質に死者が出たと発表しました。
この事件でプラント大手「日揮」の日本人従業員らがイスラム武装勢力に拘束されていて、日揮の遠藤毅広報・IR部長は18日朝、日本人3人の無事が電話で確認できたことを明らかにしました。
しかし残りの日本人14人の安否は確認できていないということです。

私は2006年春にアルジェリアを訪問し、13日間かけて主な観光地を周りました。
アルジェリアは1992年から、軍事クーデターやそれに続くテロや暴力行為などでおよそ10万人の人が殺害され、時には外国人もその標的となりました。そのため国際機関を含めた殆どの外国人が国外へ退去し、海外からの旅行者も途絶えました。
2005年になってようやく国情が落ち着き、海外からの旅行者を受け入れるようになっていました。
ツアーに参加したのはその翌年ということになります。

先ず印象的だったのは私たちが乗る観光バス(サハラ砂漠では4WD車に分乗)の前後に、必ず軍の車が付いたことです。一台に4人の兵士が乗車していましたので、私たちは終始8人の兵士によって守られていたことになります。
これは観光中も同様で、私たちの周囲をマシンガンを持った兵士が取り巻き、そのまま移動していました。一度アルジェリア人の男性二人が近づいてきたことがありましたが、兵士が威嚇して立ち去らせました。
ホテルも場所によっては危険なので外出禁止になり、そういう意味では行動は制限されていました。

もう一つ印象に残るのは、時間が実にルーズだったということです。
朝8時に集合ということでホテルの玄関に集まったら車が来ていない。1時間待ってようやく運転手と連絡が取れたら今ガソリンを入れに行ってるとの返事で、結局2時間遅れで出発したこともありました。
ガソリンなぞ前日に入れておくという観念がないんです。
軍が護衛してくれるのは有り難いのですが、彼らの担当区域が決まっていて、境界で次の地域の兵士の到着を待つのですが、これがなかなか来ない。こちらも2時間待ちなんてこともありました。
どうなっているか添乗員が訊くと返事は決まっていて「インシャラー」。つまり「神の御心のままに」ですから、「なるようにしかならない」というのが彼らの回答です。
だからじっと待つしかない。

車の冷房が度々故障し、そうすると暑いので窓を開けるのですが、途端に砂まみれになります。
トイレは青空トイレ、砂漠なので見通しが良く女性たちは傘を持参してきて用を足していました。
ホテルは相当にひどく、ドアの鍵が閉まり、トイレの水が流れ、シャワーが使えればもう言う事なしという設備状況です。あちらこちらに行きましたが、アルジェリアのホテルを経験したらどこの国のホテルでも満足できます。
砂漠の移動の時は、昼食がフランスパンと水だけなんてことも。
空港の保安検査は厳重で、機内持ち込み手荷物は開けられ中身を調べられます。それが時には3回も繰り返されます。
州をまたいで飛ぶときは、出入国カードと同じような書類を書かされることもあり、旅行者は戸惑うことになります。

その一方、タッシリ・ナジェールの岩絵、サハラ南東部に今から8000年前頃に描かれた岩絵が遺されていて、未だジャングルだったサハラの様子を知ることができます。
そして数々の古代ローマ遺跡、カスバなど見所満載で、とても魅力的な国ですが、なにせ国情が大きく異なります。

今回の人質事件でも情報が錯綜していたり、正確な情報が得られないと伝えられておりますが、確かにそういうことは有り得るでしょう。
今はただ人質になった方々の無事を祈るのみです。

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2013/01/17

鈴本・正月二之席・昼(2013/1/16)

1月16日、鈴本演芸場正月二之席・昼の部へ。
東京は1月14日に初雪が降り、道の両側には積み上げられた雪が残っている。
定席は1月20日までは正月興行で、オールスターキャストの顔見せ興行を行っているが、鈴本だけは二之席という名称にはなっていても、中身は通常の番組に戻している。
ここのところ昼の部の主任は菊之丞、夜の部は喬太郎と決めているようで、そのせいか昼夜ともトリは休演ナシだ。やはり二之席のトリは名誉なのだろう。
例年は夜の部にしていたが、今年は気分を変えて昼の部へ。
どの噺家も言っているが、今年の正月初席はお客が大勢だったようだ。そういやぁアタシも久々に行ったっけ。
この日も団体客もあって、まあまあの入りといった所。

前座・古今亭半輔「牛ほめ」
<  番組  >
林家たこ平「権助魚」
伊藤夢葉「奇術」
古今亭菊生「がまの油」
橘家文左衛門「手紙無筆」
ペペ桜井「ギター漫談」  
古今亭菊千代「お千代の縁談」
春風亭一之輔「桃太郎」
林家二楽「紙切り」
柳家喜多八「小言念仏」
~仲入り~
大空遊平・かほり「漫才」
入船亭扇辰「千早ふる」
橘家圓太郎「紀州」
ストレート松浦「ジャグリング」 
古今亭菊之丞「二番煎じ」

この日の顔づけでは、たこ平と菊生が初見。
そのたこ平「権助魚」
見た目で名前が付けられたと思われる風貌だ。
明るい芸風は良いのだが未だかなり粗い。特に終盤でミスが出たのはいけない。
夢葉「奇術」
とぼけた感じが師匠譲り。手品の技術よりトークで聴かせるタイプで寄席の色物としては適性。
菊生「がまの油」
古典を少し現代風にアレンジしていたが、成功したとは言い難い。
蝦蟇の口上が終わった時点で「ここで拍手が沸くところですが」と言ってたが、なぜ拍手を浴びないのかを考えなくてはいけない。口上のリズムが悪いせいなのだ。全体の組み立ても良くないし、刀を刺身包丁に変えてもそれで新しさが生まれるわけじゃない。
昨年11月の鈴本で一之輔がこのネタを掛けていたが、出来は天と地の差がある。
文左衛門「手紙無筆」
少し冷えかけていた客席が持ち直した。前半で切ったが独特の間が理屈抜きに面白い。
菊千代「お千代の縁談」
なかなか縁談がまとまらない娘の母親に、娘の奉公先のお上さんが縁談を持ち込んでくる、これって一体いつの時代の話なんだろう。
新作だろうが、さほど面白いクスグリがあるわけでもないし退屈した。
一之輔「桃太郎」
この人が描く「自己主張が強く攻撃的性格」という独特の子ども像が、このネタでも活躍。
全体としては手堅くまとめていた。
喜多八「小言念仏」
このネタ、何度目だろう。特に中トリでは良く掛かる。
印象としてはサラリと高座を流したい時に選ばれるような気がする。
扇辰「千早ふる」
こちらもお馴染みのネタ。15分ヴァージョンだと急いて、扇辰のユッタリとしたリズムを味わえない傾向があるのは止むを得ぬか。
圓太郎「紀州」
徳川七代将軍家継が幼くして急死して、その跡継ぎを決めるというストーリーだが、圓太郎は初代家康から七代に至る系図をずっと説明し、八代は順当に行けば尾州候に決まるという背景をマクラにして本題へ。こういう演出は初めて聴いた。
非常に個性的な噺家なので、好みで評価が分かれるかも知れない。
圓太郎は当代で八代目、客席から「圓太郎って、誰?」なんて声も聞こえたが、明治に活躍した四代目は通称「ラッパの圓太郎」。そこから乗合馬車が「圓太郎馬車」、バスが「圓太郎バス」と呼ばれたほどの人気を博した。大看板になれる名跡を継いだのだから、是非そこを目指して欲しい。
ストレート松浦「ジャグリング」 
いつ見ても鮮やか。寄席の色物としての範疇を超えているかのごとく。
菊之丞「二番煎じ」
これも何度目かになるが、この日が一番良かったように思う。
全体に丁寧な演出で、火まわりの人たちそれぞれの個性もクッキリと描かれていた。
番小屋での当初の遠慮がちの宴会が次第に賑やかになる過程もしっかりと描かれていて、侍の悪役ぶりも堂に入っていた。
正月二之席に相応しい高座だった。

忙しい初席が終り、全体としては肩の力を抜いたようなノンビリとした高座だった。それは客席も同様か。

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2013/01/15

「時そば」と「そば清」

落語でソバが出て来る代表的ネタといえば「時そば」だ。というより落語の代表的ネタといった方が良いかも知れない。
夜鷹そば屋(夜鳴きそば屋)を通行人の男が呼び止め、
「おうッ、何ができる? 花巻きにしっぽく? しっぽくひとつこしらいてくんねえ。寒いなァ」
というセリフで始まる。後は御存じの通りの展開だ。
このうちで「花巻き」というのは、かけそばに細切りの海苔を掛けたものだった。
客が注文した「しっぽく」の方は、かけそばの種として蒲鉾・椎茸・野菜などを入れたもののようだが、落語では竹輪(または竹輪麩)が1枚入っているのみだ。
いずれにしろ現在の「かけそば」と似たような温かいソバということになる。
もう一つ「石返し」というネタがあるが、こちらも夜鳴きそば屋の噺で、寒い季節に高座にかかる。

これに対して同じソバを扱うネタでも「そば清」は夏場にかかることが多い。
大のソバ喰いの清兵衛が30枚、50枚とソバを平らげるのだが、その早いことといったら、落語だと数分で50枚近く食べてしまう。こちらは「もりそば」しかない。
季節ははっきりしていないが、冷たいソバを喰うんだから暑い時期という設定なのだろう。
江戸っ子が喰う蕎麦というと、やはり「もり」が相応しいように思う。
夜鳴きそば屋が明治になってすっかり衰退したというのも頷ける。

アタシは物心ついた頃から麺類はソバしか食わなかった。それも「もりそば」しか。
だから「そば清」派ということになる。
親が「この子は寒中でも『もり』だ」と呆れていたから、両親の影響でないことは確かだ。
もりそばを一箸すくって、先端を少しだけ汁(つゆ)に漬けツーっと食べる。これが美味い。
よく蕎麦を汁にくぐらせて食べる人がいるが、あれでは肝心の蕎麦の味が殺されると思う、やったことは無いけど。
似たもので「ざるそば」があるが、あれは喰わない。細切りの海苔がかけられているので蕎麦の食感が悪くなるからだ。
本来は「ざるそばと海苔は無関係」らしいので、海苔は余計なのだ。
同じ理由から汁に薬味を入れない。
残った汁は蕎麦湯を加えて飲む。
別に江戸っ子を気取ったわけじゃなく、小さい頃からこれが一番美味しいと思ったからだ。
家でもソバを茹でることがあるが、やはり「もりそば」しか喰わない。自宅だと汁の味やソバの茹で加減が自分の好みに出来るので、より美味しく食べられる。
但し根が無精者だから、自宅でソバ打ちなぞはしない。
蕎麦屋で他の人と一緒に食べる時に困るのは、2分位で食べ終わってしまうので間が持たないことだ。
もりそば以外の蕎麦だと、そば粉を熱湯でといて食べる「そばがき」が好物だ。
生醤油にちょっと漬けて食べると、これほど酒の肴に適したものはない。

麺類以外の好物といえば豆腐で、季節に関係なく冷奴だけ。
これも落語にしばしば登場する食物だ。
シタジは生醤油のみ。よく店で出されるような甘ったるいタレや薬味は使わない。
祖父は大の豆腐好きだったが、豆腐屋の店先で掌を出して豆腐を乗せて上から生醤油をかけて貰い、その場で食べていたそうだ。
豆腐も鮮度が大事らしい。

外食が苦手だというのも、手の込んだ料理を好まないせいだと思う。
料理の好みも人間同様に至ってシンプルに出来ているのであります。

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2013/01/13

春風亭一朝一門会(2013/1/12)

1月12日、横浜にぎわい座での「春風亭一朝一門会」へ。
一門会は1年3カ月ぶりだそうだが、この間で一門の力は大きく変化し、今や日の出の勢いの新興勢力になりつつある。
言うまでもなく昨年、一之輔が真打、そして一蔵(前名:朝呂久)が二ツ目に昇進した。しかも一之輔は早くから真打との声があっての大抜擢、一蔵は本来もっと早く昇進すべきところが真打昇進興行を取り仕切れる前座が他にいないということで、昨年11月まで見送られたという経緯がある。二人とも満を持しての昇進というわけだ。

落語界には多くの一門があるが、全てが上手く行ってるわけではあるまい。
弟子は師匠の芸に憧れて入門するのだが、入ってみたら師匠の人間性が想像とは全く違っていて・・・、という例も少なくないだろう。
その点、一朝と弟子たちの関係は円満であろうと推察される。
一之輔の真打披露興行50日間51公演に師匠は一日も休んでいない。こういう例は少ないそうだ。
一之輔がまだ二ツ目当時の独演会で一朝がゲスト出演したことがある。その日前座がいなかったのだが、楽屋で師匠が太鼓を叩いていた。その時の言葉がいい。「ゲストに呼んで貰ってるんだから、太鼓などお安い御用」と。この一事をもって、一朝の人柄が分かる。

師弟関係を示す諺に「鳶が鷹を生む」と「勇将の下に弱卒なし」があるが、この一門は後者だ。
小三冶が真打披露口上で、「師匠の春風亭一朝という人は、これはもう地道にたたき上げた素晴らし人ですから、それにしてもこんないいお弟子さんが出来るのかと、一朝さんの腕前をあらためて見惚れた、見直した」と語っていた。
再び同じ口上をいう日もそう遠くない、そんな印象さえ受ける。

<  番組  >
春風亭一左「看板のピン」
春風亭一蔵「幇間腹」
春風亭一之輔「雛鍔」
春風亭柳朝「蛙茶番」
~仲入り~
春風亭朝也「厄祓い」
春風亭一朝「井戸の茶碗」

客の入りはやや寂しい。ハマではまだ「一朝」の名が通っていないのだろうか。一之輔独演会の方がもっと一杯になるに違いない。
他の方のブログで10日の「睦会」では酔っ払いだの大きな私語だの携帯の呼び出し音だのがあり水を差されてとあり心配だったが、この日の客席はそういうことが全く無かった。客筋が良かったということ。
以下、寸評。

一左「看板のピン」
一門には他に前座の一力がいるのだがこの日は他の仕事で欠席とのことで、開口一番が二ツ目の一左。
客席の反応を掴みかねていたような乗り切れない高座。
一蔵「幇間腹」
二つ目に昇進してからは初めてだが、着実に上手くなっている。見ているだけで思わず頬が緩むような風貌も得をしている。
ただ客と幇間の会話がまるで友達の間柄みたいで、完成度はまだまだ。
一之輔「雛鍔」
一之輔の芸風を一口にいうと「傍若無人」。この人と比べると喬太郎や志らくがずっと控え目に見えてしまう。ただ計算された「傍若無人」だ。
例えばこのネタで、お店(たな)の隠居が植木屋の倅に感心してお小遣いを上げかけて止める場面で、倅に舌打ちをさせる。こういう演出はなかなか考えつかない。
こうした子供の描き方は、「初天神」での金坊の理不尽とも思える駄々のこね方にも表れている。「藪入り」や「子は鎹」中の男の子の描き方も他の演者と大きく異なる。
やりたいように演じる大胆さと客の反応を敏感につかむ細心さ、これがファンには堪らないんだろうね。
柳朝「蛙茶番」
この人らしい丁寧な演出で、小僧はじめ人物の演じ分けもきちんと出来ていた。
芝居小屋での客席のワクワク感がもう少し出ていると山場がより盛り上がっただろう。そこが惜しまれる。
朝也「厄祓い」
新年向けのネタだが、近ごろはあまり高座に掛からない。
この人は語りがしっかりしている。話芸で比較するなら二ツ目でもかなり上位に位置するだろう。
ただ例えば真打になった文菊と比べると、何かが足りないのだ。
その何かが掴めれば、昇進の道が開かれると思う。
一朝「井戸の茶碗」
善人ばかり出てくるネタだが、一朝が演じると更に爽やかになる。
今年一年、こうして爽やかに過ごせると良いのだが。

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2013/01/11

体罰は何故なくならないか

親族の中学生がバスケットボール部に入部している。
先日、顔に痣が出来ていたので母親が事情をきいたところ、コーチの教師に殴られたと答えた。
本人は体罰そのものには抵抗感が無いのだが、そのコーチの暴力が理不尽な理由からであることと、次第にエスカレートしていることに不満を持っている様子だった。
同級生の部員はもっとひどい体罰を受けていて、唇を切ったり頬が腫れたりした。この生徒の場合、コーチは連続して10発前後平手打ちしていたようだ。
調べてみるとそのコーチの教師というのは数年前に体罰で処分を受けていて、しばらくは暴力をふるうのを控えていたが、最近になって再び体罰を開始したようなのだ。
息子が止めるのを振り切って母親は学校に行き、部の顧問に面会して事情を話すと、顧問の教師は「暴力ではありません。熱心に指導しているだけです」と言って取り合わない。母親はこのまま暴力が続くようなら、息子の部活を止めさせると啖呵を切って帰ってきた。
その抗議が功を奏したのか、その後コーチの暴力は止まっているそうだ。

この件で私も興味を抱いたので、少しその子の母親から中学の内情をきいてみると、いくつか分かったことがある。
一つは、この区立中学が部活、特に体育部の活動に力を入れている。親族の男の子が所属するバスケット部は常に区内で優勝を争う実力がある。そのせいでコーチの手腕を学校側が高く評価していて、問題があってもこの教師をコーチを外すことが出来ないのだ。
だから問題が起きても学校側は先ずコーチをかばい、明るみに出ぬよう事実を否定し、徹底して隠蔽する。
二つ目には、バスケット部員の保護者たちの中では、体罰を認めている人が多数であること。むしろ顧問やコーチにもっとビシビシやってくれという親も少なくない。
三つ目は、最初は文字通り指導の意味での体罰あったものが、その内なんの理由もなく殴りつけるようになっていたことから、恐らくこのコーチにとって暴力が次第に快感になっていたものと推察される。
暴力や威嚇をもって一方的に相手を従わせるというのは気持ちの良いものなのだろう。
イジメもズバリそうだし、家庭内のDVもそうだ。企業のパワハラやセクハラも同じだ。
麻薬と一緒で一度味を覚えると病みつきになるのだ。

教師の体罰が何故なくならないか、何故エスカレートしていくのかだが、
・学校側の隠ぺい体質
・保護者の容認
・教師が暴力で生徒を服従させる快感
の3要素が存在する限り無くすことは出来ないと思う。
現在、大阪市立桜宮高校2年のバスケットボール部主将の男子生徒(17)が顧問の男性教諭(47)の体罰を受けた翌日に自殺した問題が大きくとり上げられているが、私の親族のケースとその原因に共通性を感じるのだ。

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2013/01/08

岡本敦郎と抒情歌謡

Okamoto歌手の岡本敦郎が昨年12月28日、脳梗塞のため死去していた。88歳だった。
ご冥福をお祈りする。

岡本敦郎は1946年に安西愛子とデュエットしたラジオ歌謡「朝はどこから」でデビュー。明朗な歌声で「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」「ピレネエの山の男」などのヒット曲が知られている。その多くは、NHKラジオ歌謡という番組から生まれたものだ。
上記の曲のワンコーラスは今でも唄えますね。ただしウロオボエなので歌詞が正しいかどうか自信がないけれど、順に頭だけ。
♪朝はどこから 来るかしら
あの空越えて 雲越えて・・・
♪白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日・・・
♪リラの花が 胸に咲く今宵
ほのかな 夢の香に・・・
♪汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる・・・
♪南の丘を はるばると
郵便馬車が やってくる・・・
♪ピレネエの 山の男は
いつも一人 雲の中で・・・

これらの歌詞が抒情的な所から「抒情歌謡」とよばれ、岡本敦郎はその第一者だった。
戦後の経済復興、経済成長に伴い、地方から都市へ沢山の若者が移動してきた。
抒情歌謡はそうした人々の故郷や家族、両親への思い、恋人や友人との別離といったテーマが主だった。だから国民の大半の共感を得ることが出来た、そういう時代だった。
NHKラジオ歌謡にはこの他に「あざみの歌」、「山小舎の灯」、「さくら貝の歌」、「森の水車」、「雪の降るまちを」などがあり、現在も歌い継がれている曲の多くは抒情歌謡だ。
1962年にラジオ歌謡は終了するが、やがてこの流れはその後の「別れの一本杉」「リンゴ村から」「からたち日記」「踊り子」「柿の木坂の家」といった曲につながって行く。
しかし時代は変ってしまった。
馬車も夜汽車も連絡船もなくなった。
波止場で手を振る人もいなければ、プラットホームの柱の陰で泣く人もいない。
主な地方都市とは飛行機や新幹線で結ばれ、アッという間に着いてしまう。
スマホだってあるしね。
段々に抒情歌謡の居場所が失われた。

NHKラジオ歌謡で、もう一つエピソードを紹介しよう。
1946年、歌手の藤山一郎が戦地から復員して3日目にNHKに出向いた。
局員からこういう歌があるので、ラジオ歌謡で唄ってみないかと言われて出されたのが「三日月娘」という歌の楽譜。
その中に、
「恋は一目で 火花を散らし
やがて真赤に 燃えるもの」
という詞があるのでビックリした藤山は、公共の電波でこんな歌詞を流していいのかと訊いた。
そうするとNHK局員から「お前もう戦争は終わったんだ、頭を切り替えろ」と言われ、ああ、平和って良いもんだとな思ったと、NHKの番組で語っていた。
ちょっと川柳川柳の「ガーコン」の世界に似てる。

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2013/01/06

#124にぎわい座名作落語の夕べ(2013/1/5)

1月5日、横浜にぎわい座の「第124回にぎわい座 名作落語の夕べ」へ。
年末に申し込んだら席が残り数枚だった。二階席の一番後ろの端っこを取った。間もなく完売になったので危うくセーフだったわけだ。
サブタイトルが”真打4人による古典落語の名作をたっぷり!”とあるが果たしてどうなりますか。

<  番組  >
前座・瀧川鯉〇(こいまる)「饅頭こわい」
桃月庵白酒「だくだく」
桂米福「かつぎや」
~仲入り~
柳家三三「高砂や」
桂歌丸「竹の水仙」

この時期は初席の掛け持ちがある。米福は4軒回ってきたと言ってたが噺家も重労働だ。忙しい忙しいと言ってるうちがハナか。
白酒がマクラでここ数年女性客が増え、近ごろでは女性が6割くらいだと語っていたが確かにそうだ。
昔の寄席は夕方から始まり午後10時頃に終演だったらしい。当時の女性がそんな時間に家に帰れるわけがない。
客は煙草盆を前に置いて煙管を吹かしながら聴いていたそうだ。
完全な男の世界。
だが、もう二度と戻れない。
落語は大衆芸能だから客層が変れば芸も変わる。
噺家も女性に人気=集客力が高いという傾向になるわけで、喬太郎、三三や一之輔などはその典型といえる。
白酒「だくだく」、最初は客の反応を掴みかねていたような様子で今ひとつ波に乗れなかったが、次第にエンジンがかかり、例によってパワフルな高座で客席を沸かす。
白酒の辞書には不得手、不出来という言葉がないようだ。

米福は初見、珍しいネタで「かつぎや」。
極端にゲンを担ぐ呉服屋の主人、正月に奉公人の権助が主人が嫌う縁起でもない言葉を連呼する。
主人が正月の若水汲み及び歌詠みを権助にやらせるが、 当の権助は井戸への若水汲みに行くところで歌を忘れてしまい、縁起でもない事を連呼し主人に叱られる。
次に正月の贈り物を贈ってもらった人の名を記帳させると、主人が嫌う縁起でもないこと(例えば湯屋の勘助で「ゆかん」等)を言い、また叱られる。
宝船売り(初夢を見るために枕の下へ敷く)が来るが、これまた縁起の悪い事ばかり言うので追い返される。
後から来た宝船売りに、番頭が縁起を担ぐとお小遣いをもらえると入れ知恵をし、呉服屋の主人を持ち上げて、宝船売りは御祝儀を貰う。
最後にこの家には七福神がいると言い、主人大黒、娘が弁天、そして稼業が呉服(五福)で下げる。
かつては正月の寄席にはよく掛かっていたが、近ごろでは殆んど聴かれない。
正月の習慣が変ってしまい中身が分かり辛くなってきたのと、長い割に笑いが取りにくいからだと思われる。しかし正月にはこういうネタを聴きたい。
米福は語りも人物の演じ分けもしっかりとしていて良い出来だった。

三三「高砂や」、マクラで和服の男を「バカボンみたい」という箇所は白酒とダブってしまった。三三は昼間に小田原で独演会があり終わってからの楽屋入りで、白酒のマクラを聴いてなかったのかも。
独自のギャグを詰め込んで、オリジナルを倍近く膨らませた高座。
ミスがあったのだが、それを気付かせないほど受けていた。

歌丸「竹の水仙」、導入部で甚五郎の生い立ちから修行、京都で竹の水仙を彫り左官を授かり、三井から大黒の注文があったという経過が語られた。その結果、甚五郎が江戸に向かうが途中で路銀を使い果たし無一文で神奈川宿に宿を求める。この説明が親切で分かり易い。
甚五郎の人物の大きさ、気弱な宿の亭主、それに反して気が強い女房、無粋な越中の守の家来といった人物像がくっきりと描かれていたのは、さすがと言うしかない。
ただ残念だったのは、相も変わらぬ「笑点」出演者ネタでのクスグリ。もう歌丸ほどになったら、あれは止めた方が良い。芸に品が無くなる。
談志(「笑点」の初代司会者)や先代圓楽が高座で「笑点」ネタを入れたのを見たことがない。

正月に相応しい目出度い演目が並び、なかなか結構でした。

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2013/01/05

前進座劇場ファイナル公演「三人吉三巴白浪」(2013/1/4)

今年1月で前進座劇場は30年の幕を閉じ閉館となる。
そのファイナル公演として1月2-9日の日程で、前進座「三人吉三巴白浪(さんにんきちさ ともえの しらなみ)」が行われているが、1月4日に観劇。
建物の老朽化と耐震性などの問題で立て替えが迫られたという事情からとはいえ、自前の劇場を手放すのは関係者にとっては無念に違いない。
この劇場は歌舞伎だけではなく定例の落語会「噺を楽しむ」なども開催されていて、そういう意味でも無くなるには残念だ。記録によれば合計59回の開催で、小三冶15回、米朝11回、志ん朝4回、談志6回など錚々たる顔ぶれが揃っていたとある。
ファイナル公演が全て前売り完売なのも、そうしたファンの思いの反映だろう。

作:河竹黙阿弥
< 主なキャスト >
和尚吉三:藤川矢之輔
お嬢吉三:河原崎國太郎
お坊吉三:嵐芳三郎
土左衛門傳吉:松浦豊和
手代十三郎:早瀬栄之丞
おとせ:忠村臣弥
八百屋久兵衛:山崎辰三郎
釜屋武兵衛:松涛喜八郎
堂守源次坊:中嶋宏太郎

三人吉三は吉三郎という名の三人の盗賊を中心にして、彼らを取り巻く者たちの複雑な人間関係を描いている世話物、白浪物。
百両の金と名刀「庚申丸」をめぐる因果応報をめぐる物語。
初演が1860年、つまりは幕末。世の中の価値観や人々の心も大きく転換する時代に書かれたもので、江戸末期の庶民の姿が反映されているようだ。
タイトルロールのうち、和尚吉三は土左衛門傳吉の倅、お嬢吉三は女の姿をしているが八百屋久兵衛の倅、お坊吉三は武家の出身だが父親が名刀「庚申丸」を盗まれその責めを負って切腹したため家が没落した。その名刀を盗んだのが土左衛門傳吉。
奇しき縁と知りもせず、三人の吉三が互いに交わす義兄弟の血杯。
八百屋久兵衛の手代十三郎は主人の大事な金百両を落として身投げする所を助けたのが土左衛門傳吉。
その傳吉の娘おとせが百両を拾い十三郎に届けに行く途中、大川に突き落として襲って金を奪ったのがお嬢吉三。
おとせを助け上げたのが八百屋久兵衛。
そして十三郎とおとせは幼い頃に別れ別れになっていた双子の兄妹。
といった複雑な人間関係で、仇と恩人がそれぞれ入り組んでいる。
そこに十三郎とおとせとの近親相姦や、お坊吉三とお嬢吉三が恋愛関係になるという性的倒錯も加わる。

そうした筋立てを別にしても、大川端でのお嬢吉三(女装した美少年という設定でこれもまた倒錯)の名セリフ、というよりはアリア。
「月も朧(おぼろ)に 白魚の
篝(かがり)も霞む 春の空
冷てえ風に ほろ酔いの
心持ちよく うかうかと
浮かれ烏の ただ一羽
ねぐらへ帰る 川端で
竿の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)
思いがけなく 手に入る百両
―(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!―
ほんに今夜は 節分か
西の海より 川の中
落ちた夜鷹は 厄落とし
豆だくさんに 一文の
銭と違って 金包み
こいつぁ春から 縁起がいいわえ」
う~ん、シビレルねえ。

ラストの雪降る立ち廻りシーンでお嬢吉三が火の見の櫓に上がる所は、「伊達娘恋緋鹿子」の「櫓のお七」が投影されている。
見どころ、聴かせどころが満載で、さすが黙阿弥の最高傑作だけでなく歌舞伎の演目の中で最も人気を誇る狂言だと納得できる。
とにかく3時間、スリリングで全く飽きさせない。

全体として歌舞伎と言う様式美の中に、現代劇風なリアリズムを感じさせる前進座の特長が良く活かされていたと思う。
演技陣では、お嬢吉三を演じた國太郎の華やかさに目を奪われる。女形の心得で男役を演じると言う難しい役どころを見事にこなしていた。
この演目は國太郎の芝居だと言っても良い。
脇では初役ながら土左衛門傳吉を演じた松浦豊和の演技が光った。いかにも元はワルだが今では改心して・・・という役柄に説得力がある。
他におとせ役の忠村臣弥の哀れな可憐さ、堂守源次坊役の中嶋宏太郎の軽妙な演技が目をひいた。

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2013/01/03

鈴本正月初席(2013/1/2)

新年の2日、鈴本演芸場正月初席第三部へ。
鈴本の初席は久々で何年ぶりだろうか。正月の寄席はじっくり噺を聴くというよりは雰囲気を楽しむのが目的。
小三冶がトリを取る第三部は立見の出る盛況。
因みに鈴本は3部構成でトリがそれぞれ、①圓歌 ②正蔵 ③小三冶。
落語協会の他の寄席をみると、浅草演芸ホールは4部構成(WOW!)で、①木久扇 ②小朝 ③圓歌 ④金馬。
東洋館は3部構成で、①木久扇 ②馬風 ③圓歌。
トリの顔ぶれにもそれぞれの寄席の個性が感じられる。
そういえば小朝は鈴本にめったに出ないが、何か理由があるのかしらん。 

<  番組  >
三増紋之助「曲独楽」
蝶花楼馬楽「しわいや(序)」と踊り
昭和のいる・こいる「漫才」
三遊亭歌奴「初天神」
伊藤夢葉「奇術」
林家正雀「紀州」と踊り
桃月庵白酒「ざる屋」
柳家紫文「三味線漫談」  
柳家さん喬「時そば」
~お仲入り~ 
太神楽社中「壽獅子」  
柳亭燕路「堀之内」
柳家権太楼「漫談」
柳亭市馬「山号寺号」
林家正楽「紙切り」
柳家小三治「金明竹」

正月の寄席というのは鈴本の場合でトリと中トリを除けば一人数分、それでも他の寄席に比べれば未だ長いほうだ。その短い時間でいかに高座をまとめアピールできるか、これも芸人の腕の見せどころだ。
馬楽や正雀のように噺はさっと切り上げ得意の踊りを見せる人もいれば、歌奴、白酒、燕路、市馬のように短縮版ながらネタを1席伺う人もいる。
時間が短いだけに余計なマクラを振らず、ネタもスピーディで普段より却ってこういう方が良いと思える程だ。
例えば白酒「ざる屋」、大師匠の十八番を5分程度で演じたが手際よくまとめ楽しませてくれた。
市馬「山号寺号」はほぼフルバージョンといって良い。この日の顔づけに引っ掛けて「噺家さん小三冶」「白酒さん肥満児」といった即興のサービス付きで誠に結構でした。
さん喬「時そば」は実は初見。喬太郎では何度も見ているのだが。そうか、喬太郎のは師匠ソックリだったのかって、当たり前だね。さん喬というと人情噺を連想するが、私はむしろこうした滑稽噺にこそこの人の良さを感じるのだ。
この日の番組で画竜点睛を欠く感があったのは権太楼。正月だから漫談は良しとしても、もうチョット何とかならなかったか。10月に半月板を損傷したとあり、体調もヨロシクなかったのかも知れないけど。

トリの小三治は「金明竹」のフルバージョン。これは望外。
なにせ一番の聴かせどころが「言い立て」なので、滑舌が低下しがちなベテランは避ける傾向がある。圓生や志ん生といった名人の録音も残されているが、圓生は「言い立て」のリズムが悪くて珍しくこの人にしては不出来。志ん生は自信が無かったのか「言い立て」前で切っている。前座噺と思われがちだが難物なのだ。
前半の猫を借りに来る場面で、「鼠を追いこんで」という所を「猫を追いこんで」と多分言い間違えたのだと思うが、咄嗟の機転で切り抜けていた。
「言い立て」はさすがに若手に比べてはユックリ目ではあったが、4回の繰り返し。
小僧と女将さんの惚けた味に小三冶らしさが出ていた。
ともかくこの日の客は小三治の「金明竹」を聴けて満足といった所ではなかろうか。

先ずは今年最初の滑り出しは順調といったところ。

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2013/01/01

明けましてお目出度うございます

新年明けましてお目出度うございます。
2013年が皆さまにとって幸多い年となるようお祈り申し上げます。
当ブログも今年で8周年を迎えることになりました。
世の中には「この道ひとすじ」で立派な業績をあげている人もいますが、わたし同様に色々手出しはするものの何事も中途半端という方も少なくないでしょう。
そんなところから、このブログのサブタイトルを「中途ハンパ主義宣言」としています。
ブログを始めた年がいわゆる「ブログ元年」でしたので、その流れに乗ってハンパな気持ちでスタートしたのですが、気が付けば「思えば遠く来たもんだ」という次第です。
このフレーズは中原中也の「頑是ない歌」という詩の中にあります。

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ

そして、こんな一節もあります。

今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

当ブログも、この先何時まで続くのか、なんだか自信が持てませんが、もう暫くは続ける予定ですので気が向いたらお立ち寄り下さい。

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