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2013/01/08

岡本敦郎と抒情歌謡

Okamoto歌手の岡本敦郎が昨年12月28日、脳梗塞のため死去していた。88歳だった。
ご冥福をお祈りする。

岡本敦郎は1946年に安西愛子とデュエットしたラジオ歌謡「朝はどこから」でデビュー。明朗な歌声で「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」「ピレネエの山の男」などのヒット曲が知られている。その多くは、NHKラジオ歌謡という番組から生まれたものだ。
上記の曲のワンコーラスは今でも唄えますね。ただしウロオボエなので歌詞が正しいかどうか自信がないけれど、順に頭だけ。
♪朝はどこから 来るかしら
あの空越えて 雲越えて・・・
♪白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日・・・
♪リラの花が 胸に咲く今宵
ほのかな 夢の香に・・・
♪汽車の窓から ハンケチ振れば
牧場の乙女が 花束なげる・・・
♪南の丘を はるばると
郵便馬車が やってくる・・・
♪ピレネエの 山の男は
いつも一人 雲の中で・・・

これらの歌詞が抒情的な所から「抒情歌謡」とよばれ、岡本敦郎はその第一者だった。
戦後の経済復興、経済成長に伴い、地方から都市へ沢山の若者が移動してきた。
抒情歌謡はそうした人々の故郷や家族、両親への思い、恋人や友人との別離といったテーマが主だった。だから国民の大半の共感を得ることが出来た、そういう時代だった。
NHKラジオ歌謡にはこの他に「あざみの歌」、「山小舎の灯」、「さくら貝の歌」、「森の水車」、「雪の降るまちを」などがあり、現在も歌い継がれている曲の多くは抒情歌謡だ。
1962年にラジオ歌謡は終了するが、やがてこの流れはその後の「別れの一本杉」「リンゴ村から」「からたち日記」「踊り子」「柿の木坂の家」といった曲につながって行く。
しかし時代は変ってしまった。
馬車も夜汽車も連絡船もなくなった。
波止場で手を振る人もいなければ、プラットホームの柱の陰で泣く人もいない。
主な地方都市とは飛行機や新幹線で結ばれ、アッという間に着いてしまう。
スマホだってあるしね。
段々に抒情歌謡の居場所が失われた。

NHKラジオ歌謡で、もう一つエピソードを紹介しよう。
1946年、歌手の藤山一郎が戦地から復員して3日目にNHKに出向いた。
局員からこういう歌があるので、ラジオ歌謡で唄ってみないかと言われて出されたのが「三日月娘」という歌の楽譜。
その中に、
「恋は一目で 火花を散らし
やがて真赤に 燃えるもの」
という詞があるのでビックリした藤山は、公共の電波でこんな歌詞を流していいのかと訊いた。
そうするとNHK局員から「お前もう戦争は終わったんだ、頭を切り替えろ」と言われ、ああ、平和って良いもんだとな思ったと、NHKの番組で語っていた。
ちょっと川柳川柳の「ガーコン」の世界に似てる。

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コメント

好きな歌ばかり、若いころはカラオケで歌いました。

佐平次様
私は今でも唄います。他を知らないものですから。市馬と一緒です。

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