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2013/02/28

「立川談春独演会2013」(2013/2/27)

2月27日、品川「きゅりあん」大ホールで行われた”デリバリー談春「立川談春独演会2013」”へ。今月2度目の談春だ。
今回のデリバリーシリーズについて談春によれば、最近東京での独演会が少ないので、今回は都内各所へこちらから伺うという主旨のようだ。開演時間を30分繰り上げ18時半にしたのも地元の方が来やすいようにという理由とか。
小三冶、志の輔と並んで最もチケットが取りにくい落語会だが、果たしてどのような高座をみせてくれるのか。

<  番組  >
立川こはる「千早ふる」
立川談春「味噌蔵」
~仲入り~
立川談春「居残り佐平次」

結論から先にいうと、1席目はパッとしなかったが、2席目「居残り」はとても良かった。今まで観てきた談春の高座では3本の指に入る。こういう高座を見せられると、この人の人気の高さも納得できる。

談春の1席目「味噌蔵」
枕でサラの「こはる」の高座について、アピールしようという気もなく淡々と演っていたと評していたが、その通り。
その後、師匠・談志の「江戸の風」という言葉を引き合いに落語論を述べていたが、アタシは噺家が高座で落語論を述べるのは好きじゃないし、邪道だと思う。これを語りたくて立川流に入ったのかも知れないけど。
芸術論というものがあれば、芸人はそれを自らの芸で示せば済むことだ。
俳優や役者が、浪曲師が、講釈師が、舞台や高座で芸術論を語ることがありますか? 無いですよ。
自説をパフォーマンスを通して観客に伝える、それが芸人だ。議論をしたけりゃ評論家になれば良い。
ネタの「味噌蔵」だが、並の真打レベルと言いたい所だが、並以下。
例えば、主人が定吉を連れて実家から店に戻る時は、冬場の風の強い晩だ。だから歩きながらそういう風情を出さねばならないが、感じられなかった。
奉公人が「豆腐屋」を知らず「から屋」というシーンをカットしたが、欠かせない個所だ。
全体に抑揚や盛り上がりに欠け、平凡な出来。

談春の2席目「居残り佐平次」
マクラで都内各所で開くので、その地域に縁のあるネタを入れていきたいということで、ここ品川といえばこのネタ。
アタシは予てよりこの「居残り」のストーリーに関していくつか疑問を抱いていた。今回の談春の高座はそれらに対する独自の解釈がなされていて、腑に落ちた(ヘンな表現だが)。
一つは、佐平次は居残りを商売にしているという設定になっているが、それなら親しい友人であれば当然そのことを知ってる筈だ。品川で一晩遊び、佐平次が居残りをすると言い出した時、驚くのは不自然だ。
これに対して談春の演出は、佐平次と他の4人はたまたま出会った知り合いという設定にしている。
4人が主客で自分は世話役だという言い草も、勘定を引き延ばす伏線になっている。
佐平次が一人残り他の人は翌朝帰ってくれと言い出すと、他は本人がそれで良いっていうならいいんじゃないのとあっさり引き下がる。サバサバとしたものだ。
従って割り勘で出した金を佐平次の母親に届けて貰うという言付けもない。
もう一つは、オリジナルでは最後の場面で、佐平次が女郎屋の若い衆に自分は居残りを生業としていると宣言するのだが、これだと自らが詐欺師と明かしたようなもので、これからの商売に差し支える。もっとも今回の件を最後に足を洗う(洗わざるを得ない)事情でもあれば別だが。
談春の演出ではこの部分をカットしていて、佐平次がこれからも強かに生きていくことを暗示させている。
アタシはこの方が自然だと思う。
最初に品川の女郎屋に上がったときに二階のオバサンが出てくるのも談春独自の演出かと思う。
海千山千のオバサンの造形が巧みで、そのオバサンさえ押し切ってしまう佐平次の手腕を際立たせている。
このネタの主人公である佐平次は、滑稽噺には珍しいほどの「小悪党」だ。店の者が勘定を催促すると、途端に「男の夢」だの「ぶつかり合って友達になれる」だのゴタクを並べてケムに巻く。「江戸っ子の遊びってぇのは」と説教してみたり、時には凄んでみたり、手の付けられない「小悪党」ぶりは談春ならではを思わせる。もしかして「地」ではないかとさえ。
佐平次が客の座敷を周り取り持ちをするが、あくまで小悪党が小遣い稼ぎと、結果として店を出されることを計算しての行動なのだ。
それやこれやで、談春は従来にない佐平次像を観客に投げかけた。
1時間15分、全く時間を感じさせない見事な高座だった。

このシリーズ、チャンスがあればもう一度行ってみたい、そんな気にさせてくれる会だった。

【追記】3/1
佐平次というのはいったい何者なのか、次の3つが考えられると思います。
・病気療養者
・お調子者
・小悪党
これについて、近々別の記事で書く予定です。

2013/02/25

「上方若手落語会」(2013/2/23)

22日、会社時代の友人二人と新宿で会って飲み会を開く。
一人が前立腺ガンで1月に入院し、現在放射線治療を受けているので、いわば激励会。
「それで、後遺症は?」とたずねると、「それが、アッチが全くダメになっちゃて」、やっぱりね。
アタシらの歳だと実害はないのだが、それでも男性機能が無くなるというのは寂しいに違いない。
酒も以前の半分になってしまったと言ってたが、確かに弱くなった。こうして誰しも老いてゆくんだろう。
それでも三人とも、いかに女房から虐待されてるかという話題で盛り上がり、気が付けば焼酎のボトル2本が空いていた。

2月23日、夕方に三田から国立演芸場に移動して「上方若手落語会」へ。人気と実力を備えた若手が顔を揃えたとあって満席。
周囲の会話をきいていても、東京の人も随分と上方落語に詳しくなってきたようだ。
この日の出演者では、春蝶は東京に拠点を移したそうで、これからこういう芸人が増えてくるかも知れない。
なお、豊来家大治朗と露の団姫は夫婦とのこと。

<  番組  >
露の団姫「時うどん」
桂まん我「幇間腹」
笑福亭たま「鼻ねじ」
桂春蝶「山内一豊と千代」
―仲入り―
桂かい枝「堪忍袋」
豊来家大治朗「曲芸」
桂吉弥「不動坊」

団姫「時うどん」
多芸でTVやラジオ番組にレギュラー出演しているそうで人気者らしい。
東京は蕎麦、大阪は饂飩、お馴染み「時そば」も上方の「時うどん」がオリジナル。こちらの方は最初の客は二人、だが二人あわせて15文しか持っていない。うどん一杯が16文なので1文かすらないと食べられない。東京のように遊びではなくて、事情は切実なのだ。うどんを旨そうに食わないのは上方風の演出なのか、演者の力量なのか。
客席は沸いていたが、アタシはあまり感心しなかった。

まん我「幇間腹」
これも上方がオリジナル。
東京とはいくつか違いがあり、東京では針が折れてとなるが、上方は針は刺さるのだが抜けなくなる。3本まとめて抜く時に腹の皮が破ける。
このネタの眼目は客と幇間との位置関係と距離感だ。
それとクライマックスが幇間の腹に針を打つシーンになるが、あまりリアルに演じると後味が悪くなる。程々に演ってしかも客に満足させねばならない。
まん我の高座はそれらの勘所を外さず、良く出来ていた。

たま「鼻ねじ」
マクラでショート落語と称する一話30秒ぐらいの小咄をつないで本題へ。
たまの高座はスピーディで、恐らく他の演者の半分位の時間しか掛けなかったと思われるが、楽しめた。
この人にはセンスを感じる。
面白い存在になるんじゃなかろうか。
もう既になってるか。

春蝶「山内一豊と千代」
早逝した父の跡をついで三代目春蝶を襲名したとある。
「山内一豊の妻」の物語は幼い頃から母親からきかされていたので、戦前の修身の教科書にでも載っていたのだろうか。武士の立身出世と妻の内助の功というストーリーは講談の世界であって、落語向きとは思えない。落語はやはり町人が主人公でないと。
それと、これは個人的な好みではあるが、こういう若旦那風の芸が好きになれない。
花緑、三平、米団治などにも共通していて、どことなく芸が上滑りしているような印象を受ける。

かい枝「堪忍袋」
このネタは元々が益田太郎冠者の創作だったので、オリジナルは東京だろうから大阪に移したものと思われる。
東京との違いは、序盤の夫婦喧嘩がタップリと演じられる。夫婦それぞれに言い分があり、それぞれに説得力があるが、実につまらぬ理由だ。ただこの夫婦は本当は仲が良いのだと思わせる。
堪忍袋のいわれはあっさりとしていて、最後の吹込みは大店の伊勢屋の奥方。そんなご大家の暮しなのに姑との間が険悪だ。そこで満杯の袋の中へ「クソババア、死ね!」、これにはビックリ。
次にその姑が袋を使いたいと言い出して・・・。
かねがね、かい枝の芸に感心していたが、この日もその思いを新たにした。

大治朗「曲芸」
円形の枠にナイフをさして、刃の間を飛び込むという芸が珍しい。
見事ではあるが、寄席の色物の芸としてはどうだろうか。

吉弥「不動坊」
前回はかなり辛辣な批評を書いたが、今回の高座は良かったと思う。
米朝から吉朝へと受け継がれた一門の十八番というべきネタだが、それぞれの場面を丁寧に描いていた。
特に利吉宅の屋根での男3人のやり取りは、この人らしい明るい芸風が活きていた。

この日の出演者のうち、吉弥、かい枝、春蝶の3名は1994年入門の同期だそうだ。この中では、かい枝が頭ひとつ抜けている(頭髪のことじゃないですよ)。上方落語の将来を担う人材として期待される。
アタシがブログを始めたのは2005年だが、その当時にブログで落語の記事を書いていた方が、既にまん我とたまに注目していた。東京在住の方だ。
当方は名前さえ知らなかったが、いま考えると、その慧眼おそるべし。

2013/02/24

#24三田落語会「志ん輔・一之輔」(2013/2/23)

近くの女性客が落語会のビラを見ながら話していた。
「この人キライだから行かない。なんとなく合わないっていう人いるでしょ。上手いと思うんだけど好きになれないのよね」。固有名詞は省く。
落語好きにも色々なタイプがあり、ファンである噺家を追っかけたり、逆に嫌いな人が出る会には行かなかったりと。
アタシの場合は、特にファンという人もいなけりゃ、こいつの顔も見たくないというのもいない。ヒューマニズム派だ。しかし人間だから好き嫌いはあるし、当ブログの観落記(観戦や観劇があるんだから「観落」があったっていいでしょ)にもそれが反映されてしまうのは避けられまい。
どういう印象を受けたか、どう評価するかは、その人しだい。100人いれば100人意見が違う。それでいい。
2月23日は午後から三田、夕方からは国立のダブルヘッダーだったので、先ずは第24回「三田落語会」昼の部から。この日は「古今亭志ん輔・春風亭一之輔二人会」だ。この顔合わせは珍しいんじゃなかろうか。
今回から前売り券購入のための整理券配布が50分繰り上がり12時からとなった。きっと行列が長すぎて他の利用者からクレームでもあったんだろう。それでも12時には長蛇の列、あんまり変わらなかった。

<  番組  >
前座・古今亭半輔「牛ほめ」
古今亭志ん輔「七段目」
春風亭一之輔「藪入り」*
~仲入り~
春風亭一之輔「加賀の千代」
古今亭志ん輔「お直し」*
*印はネタ出しで、今回から始めたようだ。客席からは戸惑いの声もあり、今日はどういうネタを掛けるのかが楽しみという向きには不満があったようだ。

志ん輔の1席目「七段目」
大店の若旦那なんてものは大体が道楽者。落語のネタでは圧倒的に多いのは女、つまり吉原。次は酒。このネタでは芝居なので、そうタチは悪くない。しかし芝居は昼間の興行なので、若旦那が小屋に入り浸りとあっては、主として奉公人に示しがつかない。
今日も今日とて掛取りに行ったまま戻らぬ若旦那、芝居帰りの道すがらで犬を鼠に見立てて見得を切る始末。犬が逃げ出すと「しべぇ心のねえ犬だ」。
志ん輔の演出では若旦那が全篇芝居がかり。ひとつひとつのセリフに所作をつけて、歌舞伎に通じているところを窺わせる。軽く演じているようで中身はしっかりしていた。
このネタは多くの噺家が高座にかけるが、やはり芝居好きな人でないとピッタリこない。そういう点で志ん輔は最適だろう。

一之輔の1席目「藪入り」
マクラで奥さんと子供たちが実家に帰っていて解放感に浸っていると気分良さそう。そこから本題へ入りかけた時に、客の一人が倒れてしまい救護活動のために数分間中断。一之輔も高座に上がったまま見守るというハプニングがあった。
これで会場の空気はいっぺんに冷めてしまい演者も戸惑っただろうが、「当時、鼠を一匹交番に持って行くと2銭貰えたが、ペストが流行るとこれが4銭になった。だからベストはバイキンと呼ばれた」というクスグリで場内がわっと沸き、空気が元へ戻る。一之輔が「ああ良かった、このギャグを入れてくれた先人に感謝」と言ってが実感がこもっていた。
その後も緊張を切らすこともなく演じたのは、さすがというしかない。
奉公に出した倅が3年ぶりに帰宅する、その父親の不器用な喜び方が実に良く出来ていて会心の高座。
3代目金馬の創作といってよい作品ながら今や古典。父と倅の情愛を描いた作品としては「子は鎹」と双璧だろう。演じ手によっては湿っぽくなってしまう危険があるが、一之輔は持ち前の明るさで人情噺風の場面と滑稽噺風の場面を切り替えながらそれぞれクッキリと描いていた。
このネタ今まで聴いた範囲では、現役ではこの人がベスト。

一之輔の2席目「加賀の千代」
三三の十八番でしばしば寄席で聴くが、この人では初めて。
主人公の甚兵衛の人の良さを際立たせていて、面白さでは三三を超える。何を演らせても上手いもんだ。
10年代は一之輔の時代になりそうな、そんな予感がする。

志ん輔の2席目「お直し」
志ん生が得意としていて、その後は志ん朝が受け継いだ。
父親に比べ志ん朝の演出はより心理描写に力点が置かれていたが、志ん輔の演出は師・志ん朝を踏襲。
売れなくなってお茶を引き落ち込んでいた時に親切にしてくれたのは牛太郎の男。ついつい深い仲になると、置屋の主にばれて叱られるが、そこは人情味のある主人。男は今まで通り牛太郎を続けることができ、女はオバサンとして女郎屋で仕事を続ける。
二人一生懸命稼いで金もたまってやあ嬉しや。
そうなると男の方はついつい遊び心が出てきて、飲む打つ買うの3道楽。挙げ句の果てに博打でスッテンテン。置屋の主からも愛想をつかされ仕事は首になる。眼が覚めた時は一文無しで、明日から食うものもない。
仕方なく二人でケコロを始めるが、今度は男の焼きもちが邪魔を・・・。
遊び好きで生活力がない男、その優しさだけに惹かれて身を落とす女。
この古い作品が今でも掛けられているのは、男女の仲の普遍性だ。現在でもこの手の話はゴロゴロ転がっている。
志ん輔の演出はセリフとセリフの「間」をタップリ取って、男と女それぞれの心情を深く描いていた。
特に嫌々ながらケコロを引き受け、それでも生きるためには手練手管で客を手なずける女。それに嫉妬して怒り出す男。それに反発しながら最後は受け止めようとする女。
最後のクライマックスの場面での心理描写は、師匠に見劣りしない出来だった。
志ん輔の高座では、これがベスト。

志ん輔がマクラで言ってたが、演者と客はこの日だけの一期一会。
そういう意味でこの日はお互いにとり良き出会いだった。

2013/02/21

待ってました!黒門町「小満ん・喬太郎の会」(2013/2/20)

2月20日、銀座中央会館で行われた”噺小屋スペシャル「小満ん・喬太郎の会」”へ。
築地、新富からこの周辺一帯は情緒があって歩いていても楽しい。無粋な高速道路が脇を通ってなければなお良いのだが。
アタシの席の両脇、前後、全て女性。相変わらず喬太郎が出る会は女性客が多いね。

<  番組  >
前座・柳家さん坊「つる」
柳家小満ん「夢金」
柳家喬太郎「錦の袈裟」
~仲入り~
柳家喬太郎「白日の約束」
柳家小満ん「寝床」

昭和の名人といえば文楽、志ん生、圓生ということになっているが、この中で「黒門町」の通称で知られる8代目桂文楽は、アタシが物心がついた頃から既に「名人」と呼ばれていた。つまり親がこの人は名人だよと教えていたわけだ。現在も評論家の中には名人は文楽一人だけと主張する人もいる。
しかし今、一般の落語ファンの中ではどうだろう。推測だが、志ん生や圓生に比べてやや影が薄いのではあるまいか。
一つには、直弟子の中に文楽の芸や芸風を忠実に受け継いでいる人が少ないことがあると思われる。
主な弟子である6代目三升家小勝、5代目柳家小さん、7代目橘家圓蔵、9代目桂文楽らいずれも師匠とは芸風が異なる。
圓生が文楽の芸について「正確無比かもしれないが、芸を型にはめすぎて融通がきかない、芸に血が通わない」と批判していて、談志も文楽に対しては同様の辛辣な批判をしている。あるいはそうした事も文楽への評価に影響しているのかも知れない。
しかし、CDなどで文楽の落語を聴くと、やっぱりこの人は名人だと思う。
よく文楽生存中は、彼の十八番(おはこ)を他の噺家が遠慮して高座にかけなかったと言われる。正確にいえば、文楽の十八番は先人のネタを自分なりに磨いて完成させたもので、それだけにオリジナリティが高かったから他の人たちが遠慮したのだと思う。

柳家小満んは8代目桂文楽の直弟子(師匠没後5代目小さん門下に移籍)だ。今では名人文楽の芸を受け継ぐ数少ない落語家になってしまった。
その小満ん「寝床」は、文楽の高座はきっとこうだったんだろうなと思わせるような素晴らしい1席だった。
寝床の主人公である大店の旦那というのは好人物で人格者、人間としては非の打ちどころがない。ただひとつの欠点は下手な義太夫を他人に聴かせたがることだ。これとても旦那本人は皆さんが喜んで聴いてくれていると信じているのだ。
だから茂造が長屋を回って、全員がなんだかだと理由をつけて義太夫の会への出席を断ってきても、旦那は気付かない。この人は実に善良なのだ。
では奉公人に聴かせてやるというと、これ又全員が病気だなんだといって欠席と言う。
普通は、ここまで来れば義太夫が嫌われていることに気が付くのだが、未だダメ。
「茂造、お前は?」と言われた茂造が「因果と丈夫」と答えて叱られ、終いには泣き出す。ここに至って旦那はようやく事実に気付き、愕然とする。
怒りと屈辱ですっかり取り乱し、長屋には店立て、奉公人は馘首を言い渡す。
気の利いた番頭が長屋をもうひとまわり、住人に出席して貰うことにして、旦那に義太夫を語るよう説得する。
普通なら断固として拒否するのだろうが、なにせ根が善良な人だものだから、結局は義太夫の会を開くことに同意する。
「みんな好きだねぇ」と、ここで一度は失いかけた誇りを取り戻す。
すっかり上機嫌になって、長屋の住人ひとりひとりに声をかけて、始めは一段だけと言っていたのが「今日はみっちり語ります」と相成る。
当然皆さんは感にたえて聴いて下さると思っていたら、なんのことはない、全員が飲み食い疲れで眠ってしまっていた。
ここで再び落胆と怒り。
文楽の「寝床」の勘所は、こうした旦那の心の揺れ、感情の起伏を丁寧に演じることにある。
あまりに善良な人というのは現実の社会とはギャップが生まれ、時には笑いの対象になるが、この作品は正にその点を衝いている。
従って文楽の「寝床」をそのまま演じ客の共感を得るには、演者に相当な力量が要求される。だから演じ手が少ないんだろう。
これを再現したかのような小満んの緻密な高座は、見事というしかない。
黒門町が蘇った。

小満んの1席目「夢金」
圓生の演出を踏襲したと思われるが、オチは下品になるのを避けていた。
この噺も細部が大事で、例えば娘が御高祖頭巾をかぶっているとか、船に乗り込む時に船頭が傘をさしかけ手を添えて船に案内するとか、屋根船への乗り込み方を注意するとか、そうした細々とした描写により写実性を持たせることが肝要だ。
小満ん演じる船頭・熊五郎のセリフ、動作ひとつひとつに川舟の船頭らしさを醸し出していた。
この手のネタは世界を造ることが大事で、小満んの演出はその点よく心得ていた。
先日このネタは談春で聴いたばかりだが、やはり小満んとは段違いだ。

喬太郎の1席目「錦の袈裟」
与太郎の女房は恐い。夜中に出刃包丁で髭を剃っている。
おまけに細い棒を持っていて、与太郎がへまをすると叩かれる。近ごろはその叩かれるのが妙に快感。変な夫婦だ。
袈裟を褌にしめたらさぞかし妙な具合だろうね。ゴワゴワして。
与太郎がカニみたいに横歩きするのもうなずける。
袈裟輪をみて、この人が殿様だと断じた御姐さんの眼力は鋭い。納得した周囲もスゴイ。でもどうかしてる。
紫さんの大サービスでふやけて、すっかりインテリ風に性格が変わってしまった与太郎。でも一瞬にして元へ戻る。
普段バカにされてる与太郎だが、この一夜はヒーローだ。
このネタ、現役では喬太郎が一番面白いかな。

喬太郎の2席目「白日の約束」
毎年、ホワイトデイ前後に高座に掛けるお約束のネタ。
喬太郎得意の男女の切ないラブストーリーで、女性ファンを鷲づかみ。
喬太郎も歳をとってきたが、周りのファンも年齢が上がってきたみたいだ。

小満んが冒頭のマクラで、今日の楽屋は楽しいですよと語っていたが、その通りなんだろう。
二人とも、気分良さそうに演じていたもの。

2013/02/19

海江田代表は辞任すべきだ

権力は放っておけば必ず腐敗する。これは社会法則だ。
だから権力を監視する野党勢力がどうしても必要なのだ。中国やロシアの現状をみればハッキリ分かることだ。
しかし現在の民主党にその期待は持てない。
最大の理由は、党首の海江田万里代表のスキャンダルだ。そのために身動きがとれないからだ。

2月18日、4千億円超の負債を抱えて破綻した畜産会社「安愚楽牧場」をめぐり、出資者30人が海江田万里民主党代表を相手取り、約6億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
訴状によると、海江田氏は1987年~2002年ごろの経済評論家時代に書いた記事により、損害を被ったとされる。
当時の雑誌記事で海江田氏は「安愚楽牧場」への出資について、「実質金利は9%になります」「しかも、この利益は申し込み時に確定していて、リスクはゼロ」と書き、安愚楽牧場へのフリーダイヤルや申し込み方法まで紹介していた。
それだけではない。
1990年に行われた安愚楽牧場の三ヶ尻久美子代表の就任パーティーに招かれ、その時の写真が会報の表紙を飾っている。
これらのことを考えあわせれば、海江田氏が「安愚楽牧場」の広告塔であったことは明白だ。

海江田氏側は、その後の経済状況の変化によるもので執筆当時は正しかったと主張している。
こんな言い分は通らない。
「ハイリターン、ノーリスク」などというのは有り得ないことだし、リスクゼロという金融商品はもともと存在しない。
従って詐欺商法の片棒をかついだと言われても仕方がない。
こんなデタラメ記事を信用して投資した側にも責任の一端はあるが。

「一事が万事」ということがある。
詐欺商法の片棒をかついだ人物が代表とあらば、その政党も信用を失う。
ここは海江田氏みずからが代表を退き、民主党は新たな党首を選んで出直しをはかるべきだろう。
このままいけば、参院選後の議会は実質「オール自民」の総与党体制になりかねない。
せめて野党第1党としての意地を見せてほしい。

2013/02/18

「江戸の四派 花形落語会」(2013/2/17)

落語家の亭号をおり込んだ狂歌を一首。
「三遊や古今橘立川と 柳の林桂春風(さんゆうやここんたちばなたてかわと やなぎのはやしかつらしゅんぷう)」
2月17日、よみうりホールで行われた”民音落語会「江戸の四派 花形落語会」”へ。いささか「冠」名が気に入らなかったが、まあいいかと。
四派とは落語協会、落語芸術協会、立川流、圓楽一門会のことで、今回はそれぞれに所属する落語家が一人ずつ出演するという趣向。順にさん喬、文治、志らく、兼好とくれば、それぞれの派の代表格といっても可笑しくない顔ぶれだ。
17日付朝日の読書欄で田中優子女史が面白いことを書いていた。立川流の噺家はよく本を書くので「本書く派」だと。
本を書く暇があるならもっと本業に・・・、などと言うのは野暮か。きっと有り余る才能を持て余しているんでしょうね。

<  番組  >
前座・柳家さん坊「つる」
三遊亭兼好「初天神」
桂文治「親子酒」
~仲入り~
立川志らく「松竹梅」
柳家さん喬「素人義太夫(寝床)」

開演後に遅れた客が席に着き終わるまで、出番が終わった前座がメクリの傍で待機するのだが、なぜか盛大な拍手がおくられていた。さん坊もキョトンとしていたが、あれはなに? 意味不明。

兼好「初天神」
「笑点でお馴染み、ピンクの着物の好楽の弟子」という自己紹介は初めて聴いた。普段ならそんなこと言わなくとも客は分かってるからか。
兼好を含め4人ともマクラで師匠のエピソードを語ったのは、この日の客層を見てということだったのかも。
この人の「初天神」では、終始親子が手をつないでいるのが特長。父子の情愛を感じさせる。
子どもが一段とこまっしゃくれた口の利き方をするが、なにせ目は兼好だから可愛いらしい。
トップバッターらしい華やいだ高座で楽しませた。

文治「親子酒」
襲名後2度目の高座だが、ますます先代に似てきた。
このネタも先代の演出通りに、全体の7-8割方は父親が酒を呑む場面。始めは遠慮がち、次第に大胆になり、終いには一升瓶を抱えて呑み続ける。その酔っぱらう過程が丁寧に描かれていた。
泥臭さがこの人の持ち味なのかな。
スマホの時代に公衆電話をかけてるみたいな古風な感じが貴重。

志らく「松竹梅」
近ごろ出囃子は「鳩ぽっぽ」より「花嫁人形」が使われている。この方がいい。
マクラで談志の独演会がまるで「信者の集まり」と言った時に、場内からビミョーな反応。
「膝」の位置なので軽めのネタを選んだと思うが、志らくらしいクスグリ満載で面白く聴かせていた。
ただオチが取って付けたみたいであまり感心しない。
立川流の噺家は概して古典のオチを変えて演じる傾向にあるが、成功していない例も多いように思う。

さん喬「素人義太夫(寝床)」
通常のオチまで行かず本人が「素人義太夫」と言ってたので、こちらのタイトルにした。
上方の枝雀の演出をベースにしていたと思われる。
その理由は次の通り。
・茂造が戻るまでの準備期間に、旦那が義太夫の一節を語り喉慣らしする
・長屋の斉藤さんの息子が出張から帰ってきて、病をおして義太夫の席に向かおうとする母親を無理やり押しとどめる
・旦那から義太夫を聴けと命じられると茂造が立ち上がり、両手を広げて「さあ、やれ!」と叫ぶ。
やや集中力を欠いた高座だったように思う。
例えば茂造が長屋の連中の言い訳を語る場面で、豆腐屋が頭(かしら)の後になっていた。この順番は変だ。想像だが、最初に豆腐屋といいかけて提灯屋に直したのが影響したものと思われる。
それと旦那の義太夫が始まってから斉藤さんの息子が来て、長屋の人たちと話すのも不自然だ。あの義太夫の最中に会話ができるとは考えにくい。オチの関係でこういう演出にしたのだろうが、疑問だ。
噺は面白かったが、他の噺家ならいざ知らず、天下のさん喬。
今回は不満の残る高座だった。
*お断り:文中の茂造や斉藤さんといった名前については記憶違いかもしれません、間違っていたらご容赦を。

2013/02/16

鈴本演芸場2月中席・昼(2013/2/15)

2月15日、鈴本演芸場2月中席・昼の部の中日へ。
土日に行こうと思っていたが、この日が休演代演がほとんど無かったので予定を変更。
平日の昼間にもかかわらず一杯の入りだったのは顔づけの良さか。
少し遅れて二ツ目から聴く。

<  番組  >
柳家右太楼「真田小僧」
林家二楽「紙切り」
春風亭一之輔「子ほめ」
古今亭菊之丞「幇間腹」
三遊亭小円歌「三味線漫談&かっぽれ」
五明楼玉の輔「マキシム・ド・のん兵衛」
桂藤兵衛「商売根問」
江戸家小猫「ものまね」
柳家さん喬「湯屋番」
~仲入り~
昭和のいる・こいる「漫才」
宝井琴調「木村重成堪忍袋」
柳家喬太郎「時そば」
ストレート松浦「ジャグリング」
古今亭菊丸「片棒」

寄席の楽しみ方というのは様々だが、一つは初めてという噺家に出会えることだ。
この日でいえば右太楼。
寄席の二ツ目というのはとても大事な位置だ。
入場してくる客、軽い食事をする客、連れと会話を交わす客といった、ざわついた空気を鎮めながら、客の目を、耳を、高座に向けさせるという重要な役目を負っている。
従って二ツ目の出来不出来はその日の寄席全体に影響する。
右太楼は先ず明るいのがいい。口調も明解だ。客の惹きつけ方も上手い。自分の役割は十分に果たしたといえる。

もう一つは、顔はお馴染みだが、この人のこのネタは初めてというのがある。
以下。
一之輔「子ほめ」
浅い出番だったせいか前座噺を。
この人の高座姿を見ていると、既にベテラン真打の領域に達しているかのようだ。
こういう軽いネタを演じても貫録さえ感じる。
よけいなクスグリを入れず、過不足なく、笑いが取れるというのは並の若手ではない。
玉の輔「マキシム・ド・のん兵衛」
確か白鳥の新作だと思うが、本家より面白かった。なによりリズムが良い。程の良い軽さが活かされていた。
この人に対していつもは辛口だが、今日は甘口。
藤兵衛「商売根問」
ネタ自身も初めて。
通常は「鷺とり」で演じられることが多いが、そのバリエーションらしい。
雀とり→鶯とり→河童とり、とつなぐ。河童とりが奇想天外。
この人らしい丁寧な語り口で結構でした。
さん喬「湯屋番」
ほぼ先代小さんの演出通り。だから若旦那が客に木村長門守のエピソードを持ち出すと、客「木村ってなんだ? 銀座のパン屋か?」、若旦那「あのへそパンが旨い」というクスグリが入る。
若旦那の番台での一人キチガイぶりを見せられると、やはり喬太郎がこの人の弟子であることが実感できる。
琴調「木村重成堪忍袋」
落協の講釈師というと最近では専ら琴調だが、その理由は読みが非常に柔らかいし適度に笑いを散りばめていて、寄席の講談にふさわしいからだろう。
そういう意味で心得た芸ということができる。
ただ若い人は木村重成という武将の名前、なかんずく大阪夏の陣で討ち死にするのだが、その戦にあたって頭髪に香を焚きこめていたという逸話を知らないだろうから、この話の中身が理解できないかも知れない。
関ヶ原の合戦から大阪城落城にいたる物語は、常識として知っておいた方が良いと思う。

後は毎度お馴染みの十八番で、
菊之丞「幇間腹」
喬太郎「時そば」
で客席をワッと沸かせ。
間に挟んだ色物で楽しませて、

トリの菊丸「片棒」
3兄弟の名前は「松竹梅」の方ではなく「金銀鉄」。
息子らに、父親が死んだらどんな葬儀をしてくれるのかを尋ねると。
長男のアイディアは、お昼ごはんに黒塗り金蒔絵の重箱、一段目は練り物、二段目は煮物とか焼き物、三段目らはご飯を仕込んだ三つ重ねで、丹後縮緬で作った特注の風呂敷で包む。それにお車代を付ける。
酒は勧進よりのついた徳利に入れて用意。
香典返しは金貨銀貨の詰め合わせ。
実にゴージャスだが、これじゃ身代がもたない。
次男は、木遣り、手古舞、山車、神輿の行列という江戸前。
最後は花火を上げて万歳で締め。
親の葬儀を祭りと間違えてやがる。
三男はぐっと地味。
葬式を行わず、お棺の代わりに菜漬けの樽に遺体をおっぺしこんで、と言う。
父「それは親孝行(香香)の洒落か?」、三男「いや、臭いものには蓋」。
どうも息子三人ともに親父の死を悲しむ風が無いのは、あまりに吝嗇だったせいか。
菊丸らしい端正な語り口に、囃子の口真似をたっぷり聴かせて真に結構。

「当り」の寄席。

2013/02/14

スウェーデンのナチズムを描く「タンゴ・ステップ」

【「わたしはナチズムがヒトラーとともに死に絶えると思ったことはないわ。邪悪な考えを持つ人間たち、人間蔑視、人種差別は今日も厳然として存在します。でも、その思想はいまでは別の名前、別の手段をもっているのよ。今日では戦場で軍隊が戦うような戦争は存在しない。憎悪の対象となる人間たちに対する襲撃はほかの形で表される。下のほうから、と言うこともできますね。いまこの国、ヨーロッパ全体は内側から爆発しようとしている。弱者を侮り、移民を襲い、人種を差別することで。それはあらゆるところに見られる。そうじゃありませんか? そしてその動きに対して、わたしたちは断固として対抗する決定的手段をもっていないのです。」】
”ヘニング・マンケル著(柳沢由美子訳)「タンゴ・ステップ」(創元推理文庫)”より

「目くらましの道」などのクルト・ヴァランダー・シリーズでお馴染みのスウェーデンの人気作家・ヘニング・マンケル作「タンゴ・ステップ」。
今回は主役がスウェーデン南西部の田舎町ポローズの警察官ステファン・リンドマンだ。
恋人はいるが独身の冴えない中年男で、医師から舌癌を宣告されている。
引退し北部ヘリェダーレン地方の森の中に住む元同僚の警察官が惨殺され遺体で発見される。奇妙なことに被害者は殺害されたあとタンゴのステップを踏まされた跡がある。
病気休暇をとっていたステファンは事件の捜査にかかわることになり・・・。

今回の作品のテーマはスウェーデンにおけるナチズムの存在だ。
第二次大戦でスウェーデンは中立を保つが、ナチス・ドイツに好意的立場だった。国内にはナチ党員もいて、なかにはドイツ軍に入隊して戦った国民もいた。
鉄鋼をドイツに輸出していたから、ナチスはスウェーデン無しには武器が製造できなかった。
現在もスウェーデンにはナチの残党が存在しており、若者の中にはネオナチに惹かれる者も出てきている。
「タンゴ・ステップ」はそうしたスェーデン社会の暗部をえぐりだしており、ミステリーという体裁をとっているものの、内容はむしろ社会派小説に近い。
首都ストックホルムから遠く離れた田舎町の描写は、わたしたちがイメージするスウェーデンとはまた違た面を見せてくれる。

冒頭にかかげた文章だが、我が国においても決して他人事(ひとごと)ではないことを下の写真が示している。

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2013/02/13

オリンピックのカネとカネ

2月12日の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で、2020年夏季五輪の中核競技(25競技)からレスリングが外れた。
レスリングは近代五輪の第1回大会となった1896年アテネ大会から採用され、1900年パリ大会を除いて毎回実施されてきた伝統種目だ。
因みに女子は2004年アテネ大会から採用された。
過去の五輪でも日本がメダルを量産してきたお家芸であることは御承知のとおり。

なぜレスリングのような伝統競技が外されたのかというと、競技関係者がロビー活動を怠ってきたためとある。「ロビー活動に積極的だった競技は強かった」と語る関係者もいたようだ。
「ロビー活動」というには、特定の主張を有する個人または団体が政府の政策に影響を及ぼすことを目的として行う私的な政治活動である。
オリンピックでいえば、競技団体からIOC理事会への働きかけということになる。
政治の世界では主張を通してもらう見返りとして利益供与が行われるのが一般的で、ロビー活動は利権団体と政治家との癒着・買収の一形態とみられがちだ。
IOCと競技団体との関係も同様であろうことは想像に難くない。

五輪には巨額な金が動く。
例えば東京都の2016年夏季オリンピックの招致活動に使った招致費用は150億円だった。たかが招致だけでこれだけの巨額。しかも失敗すればパーだ。賭け金が150億円のギャンブル。
実際の開催に動く金は推して知るべし。
スポーツそのものは純粋だが、その裏では巨費が動いている。
五輪の採用されるかどうかは、その競技にとって死活問題になるわけだ。

第1回のオリンピックが開かれた1896年当時とちがって、現在では各競技種目ごとに国際大会が行われている。
なかには五輪よりW杯の方が権威のあるスポーツも多い。
いま、オリンピックの存在意義を問い直す時期に来ているのではなかろうか。

2013/02/11

「生きてることの素晴らしさ」を学ぶ

よく考えれば当たり前のことだが、言われてみて初めて気が付くことがある。
それは、わたしが、あなたが、この地球に生まれそして生きているということがどれ程の奇跡なのか、その確率は計り知れないということだ。
”ビル・ブライソン著(楡井浩一訳)「人類が知っていることすべての短い歴史」(NHK出版)”という分厚い書籍の中に、こう書かれている。

【太古から恵まれた進化の系統に属してきたことだけでも、あなたは十分に運が良かったが、あなた個人を終点とする長い長い系図にも、極上の――奇跡と呼ぶしかないほどの――幸運がちりばめられている。三十八億年前、山河や海洋が生まれるよりもっと昔から、あなたの母方と父方、両方のすべての先祖が、配偶者を見つけるだけの魅力を持ち、繁殖可能な程度に健康で、なおかつそれを実践できるほど長生きする運と環境に恵まれていたのだ。その中の誰ひとりとして、巨獣に踏むつぶされたり、生で食べられたり、海に溺れたり、岸に打ち上げられてエラ呼吸ができなくなったり、不慮の怪我で生殖機能を損なわれたりすることなく、しかるべき時にしかるべきパートナーと遺伝的材料のささやかな授受・結合を行い、しかるべき形質の組み合わせを次々と途切れることなく送り継いで、最後の最後に、ほんの束の間、あなたというゴールに行き着くたった一本の驚異の道をたどってきた。
これがどんなに稀有なことか、考えてみるといい。】

この文章を読んで自分自身が急に愛おしくなった。
そうか、自分が生まれ、そして生きているということが、どんなに素晴らしいことなのかと。
だからどんなに間違っても、自らの命を絶とうなどと思ってはいけない。
もしそう考えてる人がいるとしたら、是非この文章を読んでみてください。

一応、読書好きを自認しているが、今まで書評をブログに載せたことがない。
これから書評というほどの大袈裟なものではなく、読後感想文ていどのことを少しずつ書こうかなと思っている。
今回はそのハシリということで。

2013/02/10

上野「ぼたん苑」

2月9日、上野東照宮で1月から2月中旬まで開かれている「ぼたん苑」を鑑賞。
ガラにもない所へ行ったのは、妻から同行を求められてのこと。「牛にひかれて」ナントヤラです。
どうも草花にはあまり興味がなく無粋な性格なもんで、しょっちゅう叱られている。
上野には頻繁に行ってるのに、そういえば東照宮という所を訪れてことがないなぁと思い立ち、今回付き合った次第。
冬の牡丹(寒牡丹)というのは新春を祝う花だそうで、雪よけのワラ囲いの中に寒さに耐えながら咲くという。健気なんですね。
この「ぼたん苑」には600本の牡丹が咲いているそうで、季節が遅くなってしまい盛りが過ぎていたのが残念だが、それなりに美しい。
場所は動物園の脇で、ここが入り口付近。
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以下、牡丹の画像の数々を紹介します。
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これは「木賊(とくさ)」で初めて見た。
良く落語で色白の美女を「雪に鉋をかけ木賊で磨いたような」という形容をするが、その木賊。
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ぼたん苑を出て、東照宮の社殿だと思って近寄ったらただいま工事中。
なんのことはない、工事のパネルに実物大の絵が描かれていたのだ。
まるで落語の「だくだく(書割盗っ人)」だね。
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これが五重塔。こっちは本物。
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「銭湯で上野の花の噂かな」の季節には、もう一度公園内をゆっくり回ってみようと思った。
気が変わらなければの話だが。

2013/02/09

#1立川談春一門会(2013/2/8)

2月8日、横浜にぎわい座で行われた「第1回立川談春一門会・第一夜」へ。
この公演は8,9日の2回にわたり行われ、この日は第一夜というわけ。土曜より金曜の方が前売り完売が早かったのは、”こはる”の人気か。ただ当日売りが少し残っていたようだ。
にぎわい座は早くから立川流の噺家の独演会を行っていて、アタシも志の輔、志らく、談春の独演会を見始めたのはこの小屋だ。その当時は志の輔でさえ発売日を過ぎてもチケットが取れていた。今ではいずれもホールを満員にするほどの人気者になったけど。
ただ実力が伴っているかについては議論のある所だ。師匠同様、好みが分かれるからだろう。
にぎわい座の談春独演会は現在チケットが取り辛くなり、ここで談春を聴くのは久々となる。

<  番組  >
立川談春「一門挨拶」
立川春来「狸札」
立川春松「金明竹」
立川談春「道灌」
~仲入り~
立川こはる「湯屋番」
立川談春「夢金」

談春「一門挨拶」では、ご縁のあるこの小屋で一門会を開けるのは感慨深い。この中から一人でもこの会場で会を開けるようになって欲しい(ここで”こはる”が咽んで咳をする)。一門会は今後も続けるので足を運んで下さいとの趣旨。

その後、前座が二人続く。もしかして名前が違ってたらゴメンなさい。
ただ前座二人出演は勘弁して欲しいところだ。

談春「道灌」
一口でいえば真打の「道灌」としては並。
比較するなら、橘家文左衛門より下。
八五郎が隠居に根ほり葉ほり訊くのだが、肝心の「歌道」について尋ねなかったのはミス。

こはる「湯屋番」
この日一番面白かったし、一番会場を沸かせていた。
小さな体に大きな声。女性を感じさせないのに、なんとなく華と愛嬌がある。そこが魅力。
アタシは女流落語家否定論者だが、上方の”桂あやめ”と”立川こはる”だけは別格。
まだ粗削りだが、それだけ伸びしろがあるということ。

談春「夢金」
通常のネタと違うところがいくつかあった。
・侍が二十代の色男。
・侍はたまたま通りかかったのではなく、船頭・熊五郎が「百両ほしい」と大きな寝言を言うのを聞きつけ、これは使えると思って船宿を訪ねた。
・娘が炬燵に寝入ってから、船の外で侍は熊に悪事を打ち明けるのだが、この時に口の利き方がチンピラ風になる。
・侍はいきなり中州に上がらず、その前の泥水に膝まで浸かり動けなくなった所で船頭が船を転換させる。
これらはいずれも談春の解釈によりオリジナルに手を入れたものと思われる。狙いはよりリアリティを持たせての事だろうが、成功したかどうかは判断が別れよう。
アタシは登場人物の描写力がいま一歩という印象だった。

隣席の人は談春の時だけ居眠りをして、他の弟子たちの高座は起きて聴いていた。
こういうお客もいるんだと妙に感心した。

2013/02/08

「うける」

「うける(受ける)」というのは今では「面白い」「笑える」という意味で一般化しているが、元々は大衆芸能の楽屋言葉だった。
観客から支持や評価を得るという意味で、語源は「拍手(喝采)を受ける」から来たらしい。
してみると客の拍手というのは本来、芸そのものに対する評価でなくてはいけないのだろう。

親に連れられ初めて寄席に行き始めたのは小学校低学年だったから、客としての作法は周囲の大人を観察して見倣うしかなかった。
拍手にも作法というかルールのようなものがあるのに気付き、噺家が高座に上がってきて座布団にすわり頭を下げたときの拍手は「これからアンタの噺をきくぞ」という期待の拍手であり、終わりに再びお辞儀をするときの拍手は「今の高座は良かった」という評価の拍手だと理解できた。
楽屋から高座に上がってきた時の拍手は、いわば歓迎の拍手であることも知った。

昔の寄席と今の寄席のいちばん大きな違いは、観客の拍手の仕方だと思う。
驚くのは幕が上がって前座が出てきた途端に、盛大な拍手がおくられることだ。
以前は前座に拍手をする客などいなかった。あれは興行外であり、見習いが稽古として喋るのだから拍手は不要ということだったんだろう。
二つ目、真打となるに従って拍手の音は大きくなり、大看板や人気者が出てくると更に盛大になった。
一席終わったあとは、出来が良ければ拍手はより大きく鳴り、悪ければ小さくなる。拍手をおくる人数が増減するからだ。
無名の若手でも好演・熱演すれば惜しみない拍手がおくられていた。

寄席の世界なら「笑い」の大小も評価の大きな要素ではあるが、これは芸風やネタによっても左右され、やはり拍手が評価のバロメーターに相応しい。
万遍なく拍手していたのでは、演者としても客の反応がつかめないのではなかろうか。
近ごろ落語会でアンケート用紙を配り客の評価を書かせるケースが多いが、あれは邪道。
その日の高座に客は拍手で応え、芸人や主催者はその結果で判断すれば済むことだ。

2013/02/04

市川團十郎の死去

江戸歌舞伎を代表する名門・市川團十郎家当主で、おおらかな芸風で人気を博した歌舞伎俳優・十二代目市川團十郎(本名・堀越夏雄)さんが2月3日、肺炎のため死去した。
66歳の急逝は惜しまれる。
「海老さま」の愛称で親しまれた父・十一代團十郎が、助六や与三郎などが当り役の柔らかな芸だったのに対し、当代はお家芸である歌舞伎十八番での重厚な芸風が特長的だった。なかでも勧進帳の弁慶では現役でこの人の以上の役者はいないと思わせるような舞台だった。

市川團十郎という名跡は落語の世界にもご縁がある。
明治に三遊亭圓朝と並び称された柳派の頭領・初代談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)は、9代目市川團十郎と親交があり、その縁でこの名を付けたものだ。
もう一つ、三升家小勝という名があるが、これも市川團十郎家の定紋「三升」が由来となっている。

新しい歌舞伎座の杮落としを前にして、先の勘三郎そして團十郎という人気役者を相次いで失い、歌舞伎界としては大きな痛手だ。
ご冥福をお祈りする。

2013/02/03

「テイキングサイド」(2013/2/2)

暖かな日和の2月2日、天王洲・銀河劇場で上演された「テイキングサイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観劇。
クラシック音楽好きなら誰もが知っている通称”フルヴェン”(音楽ファンというのは縮めるのが好きだね。メンコン、モツレク、ショスタコetc.)こと”フルトヴェングラー”。20世紀を代表する最高の指揮者の一人で、ファンにとっては神のごとき存在だ。
しかし一方で彼が指揮活動の頂点を極めた時代がナチスの全盛期だったことでナチスへの協力を疑われ、連合国による非ナチ委員会の審理に引き出されるという不幸にも見舞われる。1947年までの2年間は音楽活動まで禁止されてしまう。
この点ではナチ党員であったライバルのカラヤンに、なんのお咎めも無かったことと対照的だ。
このドラマは、フルトヴェングラーと彼を糾弾し追及する米軍人との緊迫した攻防を描いたものだ。

作:ロナルド・ハーウッド
演出:行定勲
訳:渾大防一枝
<  キャスト  >
筧利夫/スティーヴ・アーノルド少佐(非ナチ化審理の面接官)
福田沙紀/エンミ・シュトラウベ(アーノルドの助手として審理の記録係、父親は反ナチの将校として処刑された)
小島聖/タマーラ・ザックス(ユダヤ人ピアニストの未亡人、フルトヴェングラーの無罪を主張する)
小林隆/ヘルムート・ローデ(ナチ党員でベルリン・フィルのヴァイオリニスト、罪を不問にする代わりにフルトヴェングラーの罪状を提供させられる)
鈴木亮平/ディヴィッド・ウィルズ中尉(ユダヤ人で米国に移住するが両親は消息不明、アーノルドの部下として審理の助手を務める)
平幹二朗/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

ストーリーは・・・
時はドイツ敗戦が決まった1945年。
ドイツ進駐の米軍少佐アーノルドはナチの犯した大罪を心底憎んでいる。
フルトヴェングラーの世界的指揮者という立場に全く関心を示さず、ナチスを支持して庇護を受けた芸術家としてのフルトヴェングラーは、憎むべき容疑者の一人に過ぎなかった。
タマーラ・ザックスが彼が戦時中数々のユダヤ人音楽家を国外へ脱出させたことや、ヘルムート・ローデが彼はナチスやヒトラーに対して一貫して批判的であり非協力的であったと証言しても全く耳を貸さない。
アーノルドの追及は、フルトヴェングラーがヒトラーの誕生日記念コンサートでベートーヴェンの第九を指揮し、ヒトラーと握手をしていたこと。カラヤンに対する嫉妬心や女好きであったことなど、驚愕の真実をあぶり出してゆく。
その執拗な追及の手に、フルトヴェングラーも次第に冷静さを失っていく。
しかしアーノルド少佐による人間の尊厳を無視したような彼の追及の仕方、ナチスへの憎悪にかられた偏狭な判断に疑問を持ちはじめた部下や助手たちは、やがてフルトヴェングラーを擁護し始める。
それでも「ナチを憎むがゆえの審判なのだ……」追及を続けていくアーノルド少佐。
その結末は・・・。

このドラマは芸術と政治は完全に分離できるのか、専制政治下で良心を貫くことができるのかを問いかけている。
あるいは絶対的正義は存在するのか、勝者が敗者を裁けるのかといった重いテーマを観客に投げかけている。
この事は劇中のセリフの中にも示されている。
スティーヴ・アーノルド少佐「俺たちはここで堕落した奴らを扱っているんだぞ。忘れちゃいかんのはそれだけだ。俺はこの目で見て来たんだ。」
タマーラ・ザックス「どうしたら真実が見つけられるんですか? そんなものありません。誰の真実なのですか? 勝った者の? 敗けた者の?」
ディヴィッド・ウィルズ中尉「反ユダヤ的発言をしたことがない非ユダヤ人がいたら見せてください。そうしたら至上の楽園にお連れしますよ。」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー「わたしの唯一の関心事は、音楽の最高水準を維持することだった。それがわたしの使命だと思っている。」
これらのテーマは映画「ニュールンベルグ裁判」や、井上ひさしの戯曲「東京裁判三部作」にも通底する。

この劇の優れた点は今なお私たち一人一人にとって大きな課題を突き付けているだけではなく、そうしたテーマを掲げながら面白い作品に仕立てたことにある。
アーノルド大佐の執拗な姿勢は時に喜劇的に映るし、フルトヴェングラーの私的スキャンダルでは人間誰しも弱点があるのだと妙に納得してしまう。
登場人物がいずれも生身の人間として描かれているからこそ、見ていて飽きないし、ドラマの奥行きを深いものにしている。

出演者はいずれも芸達者で、適役。
なかでも筧利夫の好演が目を引いた。劇中のセリフの約半分をこの人ひとりで喋ってるのではと思う程の膨大なセリフをこなしていた。しかもいずれも感情をこめて。
他の人のセリフを聴いている時の表情や姿勢も良い。
こんなに上手い人だとは思わなかった。
フルトヴェングラーを演じた平幹二朗は、この人以外に演じる役者がいないのではと思わせていた。
セリフのトーンが他の俳優とは異なるが、そこが却って偉大な指揮者という人物を浮かび上がらせていた。

東京公演は2月11日まで。
10日限りの公演はもったいない気がする。

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