「立川談春独演会2013」(2013/2/27)
2月27日、品川「きゅりあん」大ホールで行われた”デリバリー談春「立川談春独演会2013」”へ。今月2度目の談春だ。
今回のデリバリーシリーズについて談春によれば、最近東京での独演会が少ないので、今回は都内各所へこちらから伺うという主旨のようだ。開演時間を30分繰り上げ18時半にしたのも地元の方が来やすいようにという理由とか。
小三冶、志の輔と並んで最もチケットが取りにくい落語会だが、果たしてどのような高座をみせてくれるのか。
< 番組 >
立川こはる「千早ふる」
立川談春「味噌蔵」
~仲入り~
立川談春「居残り佐平次」
結論から先にいうと、1席目はパッとしなかったが、2席目「居残り」はとても良かった。今まで観てきた談春の高座では3本の指に入る。こういう高座を見せられると、この人の人気の高さも納得できる。
談春の1席目「味噌蔵」
枕でサラの「こはる」の高座について、アピールしようという気もなく淡々と演っていたと評していたが、その通り。
その後、師匠・談志の「江戸の風」という言葉を引き合いに落語論を述べていたが、アタシは噺家が高座で落語論を述べるのは好きじゃないし、邪道だと思う。これを語りたくて立川流に入ったのかも知れないけど。
芸術論というものがあれば、芸人はそれを自らの芸で示せば済むことだ。
俳優や役者が、浪曲師が、講釈師が、舞台や高座で芸術論を語ることがありますか? 無いですよ。
自説をパフォーマンスを通して観客に伝える、それが芸人だ。議論をしたけりゃ評論家になれば良い。
ネタの「味噌蔵」だが、並の真打レベルと言いたい所だが、並以下。
例えば、主人が定吉を連れて実家から店に戻る時は、冬場の風の強い晩だ。だから歩きながらそういう風情を出さねばならないが、感じられなかった。
奉公人が「豆腐屋」を知らず「から屋」というシーンをカットしたが、欠かせない個所だ。
全体に抑揚や盛り上がりに欠け、平凡な出来。
談春の2席目「居残り佐平次」
マクラで都内各所で開くので、その地域に縁のあるネタを入れていきたいということで、ここ品川といえばこのネタ。
アタシは予てよりこの「居残り」のストーリーに関していくつか疑問を抱いていた。今回の談春の高座はそれらに対する独自の解釈がなされていて、腑に落ちた(ヘンな表現だが)。
一つは、佐平次は居残りを商売にしているという設定になっているが、それなら親しい友人であれば当然そのことを知ってる筈だ。品川で一晩遊び、佐平次が居残りをすると言い出した時、驚くのは不自然だ。
これに対して談春の演出は、佐平次と他の4人はたまたま出会った知り合いという設定にしている。
4人が主客で自分は世話役だという言い草も、勘定を引き延ばす伏線になっている。
佐平次が一人残り他の人は翌朝帰ってくれと言い出すと、他は本人がそれで良いっていうならいいんじゃないのとあっさり引き下がる。サバサバとしたものだ。
従って割り勘で出した金を佐平次の母親に届けて貰うという言付けもない。
もう一つは、オリジナルでは最後の場面で、佐平次が女郎屋の若い衆に自分は居残りを生業としていると宣言するのだが、これだと自らが詐欺師と明かしたようなもので、これからの商売に差し支える。もっとも今回の件を最後に足を洗う(洗わざるを得ない)事情でもあれば別だが。
談春の演出ではこの部分をカットしていて、佐平次がこれからも強かに生きていくことを暗示させている。
アタシはこの方が自然だと思う。
最初に品川の女郎屋に上がったときに二階のオバサンが出てくるのも談春独自の演出かと思う。
海千山千のオバサンの造形が巧みで、そのオバサンさえ押し切ってしまう佐平次の手腕を際立たせている。
このネタの主人公である佐平次は、滑稽噺には珍しいほどの「小悪党」だ。店の者が勘定を催促すると、途端に「男の夢」だの「ぶつかり合って友達になれる」だのゴタクを並べてケムに巻く。「江戸っ子の遊びってぇのは」と説教してみたり、時には凄んでみたり、手の付けられない「小悪党」ぶりは談春ならではを思わせる。もしかして「地」ではないかとさえ。
佐平次が客の座敷を周り取り持ちをするが、あくまで小悪党が小遣い稼ぎと、結果として店を出されることを計算しての行動なのだ。
それやこれやで、談春は従来にない佐平次像を観客に投げかけた。
1時間15分、全く時間を感じさせない見事な高座だった。
このシリーズ、チャンスがあればもう一度行ってみたい、そんな気にさせてくれる会だった。
【追記】3/1
佐平次というのはいったい何者なのか、次の3つが考えられると思います。
・病気療養者
・お調子者
・小悪党
これについて、近々別の記事で書く予定です。
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