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2013/03/11

【3.11の記録】辛い時の俳句

月刊誌「図書」2013年2月号に掲載の、池澤夏樹「楽な時の俳句、辛い時の俳句」によると、俳句というのは乱世にはむかず平和な時の文学らしい。余裕がなければ遊戯の境地に身をおけない。
そう思っていた池澤が、釜石で被災した照井翠「龍宮」(角川書店)を読んで、俳句というのはこんな風に辛いことも表現できるのかと思ったとある。
以下、○印をつけたものが照井翠の句だ。
○春の星こんなに人が死んだのか
○喪えばうしなふほどに降る雪よ
満点の星空を見上げて、あるいは降り積もる雪をみながら、俳人は3・11で亡くなった人々への哀切の思いを詠んでいる。

池澤は、同じ対象を詠んでも明暗がこれほど分かれるものだろうか、ということで蕪村と照井の句を並べている。
先ずは春の海。
春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉 蕪村
○もう何処に立ちても見ゆる春の海
建物がすべて無くなり、どこからも海が見えるようになってしまった。

ひな祭り。
箱を出る皃(かほ)わすれめや雛二対 蕪村
○津波引き女雛ばかりとなりにけり
これは解説不要だろう。

ほととぎす。
ほとゝぎす待(まつ)や都のそらだのめ 蕪村
○ほととぎす最後は空があるお前
鳥ならば飛んで行けるが、人間は地上で生きてゆかねばならぬ。

盛夏。
狩衣の袖のうら這ふほたる哉 蕪村
○初蛍やうやく逢ひに来てくれた
群れ飛ぶ蛍は人の魂。その中の一匹がとまってくれた。きっとこの蛍が大事な人だったに違いない。

月。
月天心貧しき村を通りけり 蕪村
○廃屋の影そのままに移る月
煌々と照る月の下に見えるのは壊れた建物だけ。

柿。
御所柿にたのまれ皃(がほ)のかがし哉 蕪村
○柿ばかり灯れる村となりにけり
大震災後の東北の光景はこうだったのだろう。

やれアベノミクスだ、アベクロだ、バブルだのという文字がメディアを賑わしている昨今。
「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることすら難しくなっている」。
家族全員と自宅を失った男性の言葉が胸を打つ。

(文中敬称略、俳句の一部に横書きだと表記できない文字があるので書き換えていることをお断りする)

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コメント

歌う、ということは心を歌うのでしょうね。
だから哀しい時に佳い歌が出来るのだと思います。
俳句も事情は変わらないのではないでしょうか。

佐平次様
女房が下手な俳句をひねっていますが、私は全くの不調法です。俳句は諧謔の精神が必要とのことで、悲しみや怒りをストレートに詠むのは相応しくないという意見もあるとか。
その点、池澤氏も指摘しているように、照井氏の句はそうした自分を客観視したうえで詠んでいる点が素晴らしいと思います。

読売新聞「四季」の欄(3・11)で照井氏の句を知りました。
虹の骨 泥の中より 拾ひけり

「虹の骨」とは壊滅のあとに残されたひとかけの希望でもあるだろう、
とは長谷川櫂氏の評言です。

福様
朝日、讀賣、毎日三紙の俳句選者が選んだ震災俳句4句の中にも照井氏の句が入っていました。
いずれも胸を打つ句です。

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