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2013/03/31

「雲助蔵出し ふたたび」(2013/3/30)

寒の戻りの3月30日、浅草見番で行われた「雲助蔵出し ふたたび」へ。
数多(あまた)ある独演会の中でも、最も充実しているのがこの会。
落語が好き雲助が好きという客の前で、雲助がいかにも気分良さそうに演じてみせる、この一体感は独特だ。落語というのは本来こういう空間で聴くものだと改めて認識させてくれる。
この日の演目は、昨年11月に行われた「五街道雲助大須独演」と同じのようだ。

<  番組  >
林家つる子「手紙無筆」
柳亭一楽「真田小僧」
五街道雲助「品川心中」
~仲入り~
五街道雲助「よかちょろ~山崎屋」

前座のつる子が「膝送り」をお願いする程の満席。
「又か、と思われるでしょうが」と二ツ目の一楽「真田小僧」、マクラが板に付いてきた。着実に上手くはなって来ている。

雲助の1席目「品川心中(上)」
極付けの志ん生から息子・馬生へと受け継がれた古今亭のお家芸といって良い演目。
雲助の演出は以下のように師匠である先代馬生の型を基本にしている。志ん生との違いは、
①海から上がった金蔵が親分の家に行く途中、野犬の町内送りで吠えられながら駆けだす。
②金蔵が親分の家の扉を叩くと、子分の一人が灯りを吹き消す。真っ暗になったので親分が火打石で灯りをつける。この際、子分が最初に火打石と間違えて鰹節(馬生の場合はお供えの餅)を渡してしまう。
③子分の一人が慌ててサイコロを飲み込み、親分が背中を叩いて吐き出させる。賽の目を見て「ああ、半だ」。
④子分の一人は鼠いらずに首をつっこみ、佃煮を食べる。
雲助の演出では、年と共に客が離れ、紋日を前にして心中を決意するに至るお染と、成り行きで道連れにされてしまう金蔵の細かな心理描写を加えている。
例えば、お染に起こされた金蔵に「心中、日延べにしようか」というセリフを言わせて、直前まで逡巡する金蔵の迷いを表現させていた。
ここ数年で聴いた「品川心中」では、この雲助の高座がベスト。

雲助「よかちょろ~山崎屋」
この会では通常3席かかることが多い。ネタ出しでは「山崎屋」となっていたが、前半に「よかちょろ」を置いて、続き物の形で後半の「山崎屋」に入るという演出。この日も実質3席ということになる。
ただ「よかちょろ」という噺は元々が「山崎屋」の前半部分を独立させたものだそうで、そういう意味では「山崎屋(通し)」という書き方もできる。
「よかちょろ」は名人文楽の独壇場ともいうべきネタで、以後は談志ぐらいしか記憶にない。
道楽息子が掛取りの金を全部使ってしまう。
親父が何に使ったのか尋ねると、先ずは髭剃りに5両。
お後は「よかちょろ」に15両。安くて儲かると聞いた親父が身を乗り出すと、「女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすき……しんちょろ、味見てよかちょろ、しげちょろパッパ。これで15両」。
親父は頭から湯気を出して怒り、息子を二階に上げてしまう。
あきれ返った親父が、傍にいた母親に「二十二年前に、おまえの腹からこういうもんができあがったんだ。だいたいおまえの畑が悪いからだ」と言うと、母親は「あなたの鍬だってよくない」。
なお、文楽の演出ではカットされていた若旦那が語る花魁のノロケを小僧が真似をする場面を、雲助は復活させていた。

さて「山崎屋」だが、こちらは三代目金馬の極付け。
雲助はマクラで花魁の格、花魁道中、新造のことを説明していた。花魁の揚げ代が三分で、これに新造が付く。
花魁道中とは、最高級の花魁(今流にいえば、センター)が仲の町を通って各茶屋に行く道中を指すが、その茶屋の名前は相模屋だの尾張屋だのという地名が付けられていたらしい。
ここまで解説しないとこの噺のオチが分からない、そういう時代になってしまった。
石橋の上で転ぶと石の方が痛いというほどの堅物の番頭、実は隣町に妾を囲っていた。この弱みを握られた番頭、とうとう若旦那と花魁を夫婦にするために狂言を書くことになる。
秘密がばれた時の番頭の表情が良く出来ていた。
そう上手く行くかいと訝る若旦那に、番頭が「それでだめなら、またあたくしが狂言を書き替えます」というと、若旦那が「へええ、いよいよ二番目だね。お前が夜中に忍び込んで親父を絞め殺すか」というクスグリは先代正蔵のもの。
大旦那、徳三郎、番頭、頭(かしら)、それぞれの人物像が巧みに描かれていた。
細かな言い間違いがいくつかあったが、長講ながら全く飽きることなく、こちらも上々の出来。
弟子の白酒の「山崎屋」も悪くないが、やはり師匠の方が一枚上手。

期待に違わぬ雲助蔵出し、幸せを感じながら仲見世を通って、夕方の横浜へと向かう。
続きは明日。

2013/03/29

「密告条例」とはイヤな感じだ

【密告歓迎などというのも、またひどい。脱税の密告、イントク物資の密告、政府は密告の国風を熱情こめて作りつゝあるもののようだが、脱税やイントク物資よりも密告の国風の方が、どれだけ祖国を害(そこな)い、祖国の卑劣化をもたらすか分らない。】
(坂口安吾『ヤミ論語』より)

生活保護費などの受給者がギャンブル依存で浪費しないよう求め、浪費を見つけた市民に情報提供を「責務」とした兵庫県小野市の条例が可決された。
条例は「パチンコ、競輪、競馬、賭博」などと列挙して、受給者に対し給付金をこれらに使い切って「生活の維持、安定向上を図ることができなくなるような事態を招いてはならない」と規定している。
一方、市民には受給者がギャンブルに使い切るのが「常習的に」なっている場合や不正受給の疑いがあるとき、市への情報提供を義務づけている。
いずれも罰則規定はない。

こうした条例により不正受給が摘発され、その結果として生活保護費が圧縮できる効果はあるかも知れない。
そうした効果より、わたしは坂口のいうように「脱税やイントク物資よりも密告の国風の方が、どれだけ祖国を害い、祖国の卑劣化をもたらすか分らない。」という意見を支持する。
こういう事をやりだすと歯止めがなくなるのだ。
今は生活保護だけだが、やがて母子家庭やら障碍者といった人たちにまで監視の範囲が拡がるだろう。
効果が上がらなければ、知っていて通報しない者に対する罰則が設けられるようになるかも知れない。
いや、決して冗談ごとではない。
住民同士の相互監視や密告が義務付けられている国は決して少なくないのだ。

以前にも書いたが、わたしは日本は世界で最も住みやすい国だと思っていた。
処がここ最近、次第におかしくなりつつあるような気がしてならない。
今回の兵庫県小野市の条例などは、その典型といえる。

2013/03/28

【1票の格差】自民党の本音

1票の格差について全国16の高裁で違憲、あるいは違憲状態の判決が出そろった。
なかでも広島と岡山では選挙無効という厳しい判決が示されている。
この判決に、自民党のベテラン議員である中谷元がこう噛みついている。
「国会が決めた選挙のあり方について、違憲とか無効とか、司法が判断する権利が、三権分立上許されるのか疑問だ。立法府への侵害だ」と。
ここに自民党の本音が出ている。できれば定数是正などやりたくないんだろう。
中谷がいうように政府や国会が決めたことに司法が口を出すなということなら、それこそ司法権の否定だ。
それとも自民党はどこかの国のように、政府の方針に沿った判決しか出さない法制度を望んでいるのだろうか。

1票の格差はいま始まったことではない。
私が選挙権を得た約50年前から既に問題となっていた。当時は今よりもっとひどかったけど。
なぜ1票の格差が生まれ、それが是正されないまま来たかといえば、その理由はただひとつ、政権党の利益に反していたからだ。
昔から都市部はいわゆる革新系(もう死語かな)が強かったのに対し、農村部は圧倒的に保守系が強い。
そのため、戦後の高度経済成長を通して農村から都市へ大きな人口移動が行われたが、対応して適正な定数是正をしてこなかった。
その後部分的に定数是正は行われてきたが、歪(ひずみ)は現在にいたるまで残されている。

法の下に平等というのは民主主義国家の基本的ルールだ。
町内会だろうと生徒会だろうと、選挙で「あなたは1票」「あの人は0.7票」「この人は0.3票」なんて決められたら誰でも怒るだろう。
それが最も大切な国会議員選挙で罷り通っているのが、今の選挙法だ。
司法の判断は、不公正なことを不公正だと言っているに過ぎない。至極当然なことなのだ。

国会は出来るだけ国民の声を忠実に反映されたものでなければいけない。
その基本は公正な選挙制度だ。
1票の格差を完全に無くすには、全国一区比例代表選挙にするしかない。
そこまで行かずとも、少しでも近づけるよう選挙法に改めるべきだろう。

2013/03/27

テアトルエコー『我が家の楽園』(2013/3/26)

3月26日、恵比寿・エコー劇場での”テアトルエコーSIDE B公演『我が家の楽園』”へ
この劇団のチラシに必ず"We love comedy"の文字が書かれている。テアトルエコーの公演に行きだしたのはここ数年だが、上演されて芝居はほとんどがcomedy、それも翻訳劇が多い。
コメディというと「喜劇」という訳語があてられるが語感が少し違う気がする。むしろ「ハッピーエンドの軽くユーモラスなドラマ」という定義の方がピンとくる。
今回の『我が家の楽園』もズバリそうした内容の劇のようだ。

作:モス・ハート&ジョージ・S・カウフマン
訳:野口絵美 
演出:戸部信一
<  出演者  >
沖恂一郎 林一夫 川田栄 島美弥子 高橋直子
根本泰彦 松原政義 上間幸徳 杉村理加 薬師寺種子
田中英樹 浜野基彦 大和田昇平 小野寺亜希子
寺川府公子 瀬田俊介 平田泰久 前田礼雅 中芝綾

チラシの作品紹介にはこうある。
『我が家の楽園』(原題 You Can't Take It With You. 1936)は、1937年度のピューリッツアー賞を受賞した名作戯曲。
1938年に映画化されアカデミー賞の作品賞、監督賞(フランク・キャプラ)を受賞した。

時代は1930年代、劇中にロシア革命、トロツキー、マルクス兄弟なんていう言葉が出て来るのはそのためだ。
あらすじは。
ヴァンダーホフおじいちゃんは35年勤めた会社をある日突然辞めて以来、気ままに暮らしている。「会いたくない人にはいっさい会わない。”やりたくないもないこと”の6時間もかけて残りの1時間だけ好きなことをやる。そんな毎日とは無縁です。」「あるがままに受け入れれば人生は楽しいもんだよ。」というのが人生哲学だ。
税金も滞納していて、徴税に来た職員に「あたしが政府に税金を払うと、政府はわたしに何をしてくれるんだ?」と居直り、追い返してしまう。
爺さんの影響からシカモア家は変人揃い。食卓の隣には楽器や印刷機、地下には花火工場、タイプライターの横ではヘビがとぐろを巻いて・・・といった按配。家族だけじゃない。使用人も、居候も、あと何だか分からない人、みな変だ。
家族で唯一「まとも」な孫娘アリスが、勤めている会社の社長の息子・トニー・カービーと恋に落ちたことから、騒ぎが始まる。
カービー家は対照的に「まとも」な一家、その両親が揃ってシカモア家を訪問するのだが、所詮は水と油。
果たしてアリスとトニーの恋の行方はいかに。

アメリカンドリームを求めてウォール街で必死で働く典型的なアメリカ人、彼らから見ればシカモア家の人々などなんの価値もないように映る。社長のカービーがヴァンダーホフ爺さんを「アカ」呼ばわりするのもそのためだ。
作者は、そういう生き方だけが人生ではないよと主張しているようだ。
シカモア家の生き方こそ「楽園」だと。
ただ実際にはよほどの資産が無ければそんな生活は送れないわけで、「楽園」はお伽噺に過ぎない。
肩肘はらず、あまり難しいことは考えずに平日の昼下がりをノンビリ過ごすというのには、もって来いの芝居だ。

出演者では、ヴァンダーホフ爺さんを演じた沖恂一郎の飄々とした演技が秀逸。この劇はこの人が全てといって良い。まるで落語に出てくる「ご隠居」みたいだ。
シカモア夫人を演じた高橋直子が舞台の要所をシメ、オリガ大公妃役の島美弥子は貫録を示す。
他に、居候役の川田栄と酔っ払いの女優を演じた薬師寺種子の怪演が印象に残った。

公演は31日まで。

2013/03/25

「長い墓標の列」千秋楽(2013/3/24)

3月24日、新国立・小劇場で上演された「長い墓標の列」へ。この日が千秋楽。
この芝居は戦前の昭和13年から19年という時代の、河合栄次郎東大教授の事件をモデルにしたものだ。
原作は河合教授の自宅に書生として居住していた福田善之の戯曲で、1957年に早大劇研によって初演され、その後改訂版が58年に「ぶどうの会」で上演、63年には「劇団青年芸術劇場」で上演されている。
半世紀を経ての再演となるが、なぜこの演劇を今回とりあげたのかについて、演出家の宮田慶子はいま同様のことが構造的に繰り返されつつあることを次のように指摘している。
「自分たちがおかしいと思っていることが、大きな力によって歪められ、そこへさらに報道の力が加わり、正義だと思っていたことがどんどん通じなくなることに気付く。
そんな構造は今の世の中と共通する部分があるし、彼らはそういったことを手掛かりに、うまく感覚を増幅させていくんだと思います。」

作:福田善之
演出:宮田慶子
<  主なキャスト  >
村田雄浩/山名庄策、経済学部教授
那須佐代子/その妻・久子
熊坂理恵子/娘・弘子
古河耕史/城崎啓、山名の弟子で助教授
遠山悠介/花里文雄、同助手
西原康彰/飯村桂吉、山名の教え子
梶原航/林裕之、同
北川響/千葉順、同、新聞記者
石田圭祐/矢野哲次郎、山名と対立する経済学部教授
小田豊/村上重吾、経済学部長

先ずモデルとなった河合栄次郎だが、戦前の経済学者で社会思想家。
思想的には自由主義者であり、マルクス主義とは激しく闘った。
しかし時代が軍国主義の色合いを濃くする中、次第にファシズム批判の立場を強め、軍部批判・抵抗の姿勢を明確にした。
このことが軍部や右翼の怒りをかい、やがて東大を追われる。河合のような自由主義者も排斥の対象にされてしまった。
退官後は著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として出版法違反に問われ起訴されたため、これに抗して法廷闘争を行う一方、学生叢書の刊行を継続しながら学生・青年に理想主義を説き続けた。
終戦の前年に心臓マヒで死去、享年53歳。
門下に多数の学者、ジャーナリスト、国会議員などを輩出している。

ストーリーは、新国立のHPの紹介をそのまま引用。
昭和13年秋、時代は軍部主導によるファシズムに傾倒し、大学自治も国家主義・全体主義の風潮の中、その自由を失おうとしていた。  経済学部教授の山名(純理派)は自治を制限する文部省案を支持する革新派と、ただ一人教授会で戦っていた。 弟子の助教授城崎、助手花里、今は新聞記者である千葉たちも教授会の行方を固唾をのんで見守っていた。
結果は山名の勝利に終わったが、勝利により逆に大学を追われる可能性、また身の危険を案じた千葉は、山名に転向することを勧めるが断られる。 政府は即座に山名の出版物を発禁処分とし、辞職させるようにしむける
学部長の村上は、逆説的ではあるが大学の自治を守るためにも自主退職してほしいと山名に頼むが、山名は自らの思想を裏切ることは人間存在に対する裏切りだと拒否する。
山名の休職発令を受けて、城崎、花里は一度は大学に辞表を提出したが、その後翻意して復職することを決める。弟子たちの裏切りに対し大きなショックを受ける山名。
昭和19年。激しい空襲警報の中、もはや浪人となった山名は狂気にとりつかれたように机に貼り付き研究している。情勢は山名の予想通り悪化の道をたどっていた。そこに、教授になった城崎があらわれ
花里が戦死したことを告げる。山名は薄れゆく意識の中で、最後まで城崎に自らの理想的自由主義的社会主義を反問しつづける…。

ディスカッション・ドラマといって良い。このお硬い芝居を休憩含め3時間10分の上演、ダレタリ退屈したりすることなく緊張感溢れる舞台を保ち続けたのは、やはり脚本の力だ。
本筋は軍部の言論弾圧だが、それに乗じて軍部のお先棒をかついで山名の排斥を謀る教授や大学幹部、山名が信頼していた門下生からも裏切られてゆく。そうした人物像がリアリティをもって描かれている。皮肉なことに、却って主役の山名の方が類型的に見えるほどだ。
山名と妻との家族愛や、娘と花里との恋愛を通して山名の家族関係もしっかりと描かれており、骨太の見ごたえのある作品として仕上がっていた。

主役の村田雄浩はキャラからしてミスキャストではと思っていたが、どうして立派な学者ぶりだった。
那須佐代子のセリフや立ち振舞いが、いかにも学者の妻ぜんとしていた。
敵役の古河耕史は口跡が良く、立て板に水の如く理路整然と持論をまくしたて、こっちの方が正しいんじゃないかと思わせるほどの説得力だった。適役。
他にニヒリズムを漂わせていた梶原航と、一途な右翼青年を演じた今井聡の演技が印象に残った。

耳を聾するばかりの轟音を響かせて街宣車で走り回る暴力団系右翼や、民族皆殺しを主張しデモを行う輩を政府は野放しにしているようだが、いつか手兵として利用できると踏んでるからだろう。
バカな連中などと、決して侮ってはいけない。

2013/03/24

「圓朝に挑む!」(2013/3/23)

3月23日、国立演芸場”特別企画公演「圓朝に挑む!」”へ。
圓朝作品は人気の演目が多いが、一方、普段演じられることの少ないネタも数多くある。
今回はそうした珍しい演目を選んでの上演という主旨のようだ。

<  番組  >
前座・柳亭明楽「犬の目」
柳亭こみち「にゅう」            
桂米福「塩原太助一代記より戸田の屋敷」 
―仲入り―
蜃気楼龍玉「やんま久次」
橘家圓太郎「因果塚の由来」

こみち「にゅう」 
司馬竜斎の原作を円朝が改作したものだそうで、現役では喬太郎が高座にかけている。         
ストーリーは。 
骨董商が茶会に誘わるが、その招待主の人柄が気に入らないので奉公人の与太郎を代わりに行かせる。
その際主人は、もし相手が茶器などを自慢気に見せたら、これには「にゅう」(符牒で「キズ)のこと)があるとけちをつけるよう命じる。
与太郎は言われたとおりにするが、長いあいだ座っていたのでしびれが切れ・・・。
こみちが冒頭で言っていたように大して面白い話じゃない。
こみちは久々だったが、語りはしっかりしてきた。
妊娠9か月とかで、赤ちゃんが産まれたら「こみち」を「こもち」へ改名かな?

米福「戸田の屋敷」 
「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽大名、炭屋塩原」と謳われた「塩原多助一代記」は圓朝の代表作だ。
実在の人物の物語で(本名は太助)、上州沼田の富農の倅・塩原多助は、養父の死去後、その後妻と連れ子から迫害を受け、身の危険から家を出て江戸へ行き、刻苦勤労の甲斐あって炭屋の奉公人から独立し大身代を築くという立志伝。
芝居をはじめ多くの大衆芸能の演目としてとりあげられ、戦前は頻繁に高座にもかかっていたようだ。
戦後はこの中の多助と愛馬・青との「青の別れ」だけが演じられてきた。
物語全体を貫く「身を立て名を上げ」の価値観や儒教色の強さが、いまの時代に合わなくなってきたためだろう。
今回はその中の「道連れ小平」の一部と、「戸田の屋敷」の口演。
ストーリーは。
いつも参考にさせて頂いているサイト「吟醸の館」より一部を引用。
多助が沼田から江戸に向かう道中で一文無しになり、請け人を求めて実父の居る戸田の屋敷に行ったが、国替えになって島原に行ってしまい、留守であった。
万策尽きた多助は、昌平橋から身を投げようとするところを、神田佐久間町の炭問屋山口屋善右衛門に助けられ、そこに奉公することになった。「子(ね)に臥し寅(とら)に起き」て良く働いた。給金はいらないから、捨てるようないらない物をくれれば、それだけで良いと言う。
主の命令で炭を届けに戸田家の屋敷に行った。偶然に島原から江戸に戻ってきた実父母、塩原角右衛門・清(せい)夫婦に再会した。角右衛門が言うには「新田の角右衛門の所では乳が出ないので、同名の私のところで預かった。八歳の時新田の角右衛門に帰した。礼として50両をいただき、借財を返し、江戸に出て戸田家に仕官がかなった。これも新田の角右衛門殿のお陰である」と語る。
しかし塩原家は潰れ、それも多助が女、酒にくるって夜逃げしたと誤解されてしまった。家を再興した時には改めて逢おうと言われ、淋しく店に戻る多助。
米福は毎度ながら語りがしっかりとしているが、途中の「エー」が頻繁に入るのが気になった。セリフの繰り返しも見られ、ストーリー全体が頭に入り切っていないのではと推察する。
熱演だったが、もう少し完成度を上げて欲しい。

龍玉「やんま久次」
この作品はどうやら圓朝作ではなく、初代古今亭志ん生(1809-56)の作らしい。元題は「大べらぼう」。
圓朝の別の作品に「やんま久次」という人物が登場するようだが、物語は全く異なるそうだ。
ストーリーは。
番町の旗本の次男である久次、すっかり身を持ち崩し今では背中に大やんまの彫り物をした博打打。人よんで「やんま久次」。
今日も博打でスッテンテンとなり、家督を継いだ兄のところに金の無心をしに来る。
あまりの狼藉に、その場に居合わせた剣術の指南・大竹大助が切腹をすすめ、久次が「できない」と言うと「首を切り落とす」と迫る。
そこに久次の母親が出てきて命ごいをし、久次も反省の言葉を口にする。久次と大竹は一緒に外に出る。
別れ際、大竹は母親から預かった金を久次に渡し、堅気になることを約束させる。
しかし久次は一人になると、「おまえなんかの言うとおりになってたまるかい」と言い、最後は「大べらぼうめ」と言って見得を切って終わる。
二三、言葉の言い違いはあったが、緊張感の溢れる素晴らしい出来だった。
特に兄や太助の前ではすっかり改心したかのようだった久次が、一人になった途端に元の本性を現す山場では見ていてゾクッとするほどの迫力。
師匠・雲助が復活させた演目、龍玉が立派に受け継いだと思わせてくれた。

圓太郎「因果塚の由来」
お馴染みの「お若伊之助」はこの「因果塚の由来」の発端とか。全体の20分の1ぐらいだというから、全編を語るとしたら著しく長大な物語となる。
「お若伊之助」の後半のストーリーは。
お若と狸が契って産まれたのが双子。伊之吉と米と名付けられるがそれぞれが別の家に引き取られ成長していく。
やがて二人は色里で出会うが実の兄妹ということは知らない。
一方、お若と伊之助もその後いろいろ経緯があったが再会を果たし、夫婦となって岩次という男の子を出生。
物語はその後も複雑な展開で、運命は糾える縄の如し。
人間と狸との契りや近親相姦、果ては離魂病など怪異談へと続き、ようやく「因果塚の由来」に辿りつく。
ああ、草臥れた。
圓太郎の演出は、「お若伊之助」を中心に後半は筋だけの紹介となった。時間の関係で止むを得なかったのだろうが、複雑すぎてストーリーについて行けない。
「お若伊之助」の部分では人物の造形が良く、特に鳶頭の勝五郎の一本気な性格が良く表現されていた。
圓太郎の特長が生かされた上出来の高座だった。

今回の「圓朝に挑む」という企画、演目の選び方などにより工夫は必要だと思われるが、これから何度も挑んで欲しい。
こういう企画こそ、国立の出番だ。

2013/03/22

ネット社会への警鐘「スケアクロウ」

L.A.市警刑事ハリー・ボッシュ・シリーズでお馴染みのマイケル・コナリーの最新作は「スケアクロウ」。
主人公はロサンジェルス・タイムズの記者ジャック・マカヴォイ、第一作から実に13年ぶりの登場だ。
前作ではスクープをものにして一躍花形記者になったマカヴォイだが、その後これといった活躍もなく、ロサンジェルス・タイムズの経営不振(これは本当のこと)の煽りで解雇を言い渡されてしまう。
そんなおり、殺人事件で逮捕された少年の祖母から無実を訴える電話があり、退職までの短い期間で真実をつきとめるべく取材を始めるが、その裏には狡猾な天才ハッカーの存在が・・・。

日本でもつい先日、PCを不正に操作され誤認逮捕された事件があったが、原書が2009年に公刊された本書はそれを先取りしていたかのようだ。
改めてネット社会の恐ろしさを自覚させてくれた事件でもある。
この著作の末尾に、著者との質疑応答という章が設けられていて、その中でマイケル・コナリーは質問に対して次のように答えている。

Q.新聞と、日刊の印刷媒体の衰退に関して、あなたが抱えているもっとも大きな恐怖はなんでしょう?
「オンライン・ニュースへの移行は理解していますし、受容すらしています。心配しているのは、報道の信憑性と、社会の木鐸的存在の喪失です。だれでもウェブサイトをはじめて、ブログを書き、ジャーナリストを自称することができます。ですが、新聞社は、ジャーナリストとしての一定の規範と要諦をもつ組織です。また地域共同体のニュース報道の中心でもあります。通常、新聞は、重要なことやニュースに値するものを広く知らしめるようになっています。そうしたことの多くが失われてしまうでしょう。ニュースの中心点は存在しなくなる。無数のウェブサイトが林立し、人々はおそらくそれぞれの政治的信条に合うものを選ぶようになるでしょう。最終的には、損をするのは一般の人々なのです。新聞業界で失業したわたしの友人は、政府の腐敗が成長産業になると賭けてもいいと口癖のように言っています。現在新聞社にいるような、不正の監視人がいなくなるからとのことです。山ほどあるニュース・ウェブサイトやブロガーが、ワシントン・ポスト紙やほかの新聞がニクソンを倒したように、腐敗した大統領をその座から引きずりおろすことができるでしょうか。現時点では、わたしはそれを疑わしく思っています。」

いまネットではマスメディアに対する批判が広く行われている。
マスコミならぬマスゴミなどと呼ばれ、全ての記事が信用置けないといった極論もまかり通っているようだ。
しかしマスメディアが過去に行ってきた積極的役割は正当に評価すべきだし、いまも虚偽の記事ばかり掲載しているわけではない。
私事にわたり恐縮だが、中学生の頃に学校新聞に対抗して「生徒会新聞」を発行したことがある。
その際、新聞記者としての取材方法や記事の書き方について本を読んだり、毎日新聞社に出かけて行って記者の方々から指導も受けた。
少なくともジャーナリスト(というほどの大袈裟なもんじゃないが)としての初歩の心得みたいなものは学んだ上で記事を書いていたつもりだ。
しかし、ネットに溢れるニュースやブログのサイトを見ると、そうした規範が守られていないものが大半だ。
だからマスメディアは駄目で、ネットの情報しか信用できないという考え方には同調できない。

ネットの危険性について、作者は本文中の登場人物にこう語らせている。
「特殊な考えを共有する人と出会うことは、そうした考えを正当化するのに役立つ。人間を大胆にする。ときには、行動せよと天の声になる。」
ネットの情報は「もろ刃の剣」であることは常に自覚しておかねばなるまい。

2013/03/19

芸の饗宴シリーズ・昼(2013/3/18)

3月18日、東京芸術劇場プレイハウス(白酒にいわせると”イヤらしい名前”)で行われた”芸団協主催 芸の饗宴シリーズ「披き・落語~醸と贅~」”の[昼舞台~醸~]へ。
主催者によればなんでも20年ぶりの開催とか。これから定期化するようだがその手始めとして今回は能楽と落語という組合せ。

【能楽】
舞囃子「高砂」 武田宗和(シテ方観世流)
解説に因れば「舞囃子」というのは能一曲のサワリを、地謡と囃子の演奏にあわせて舞う上演形式のこととある。
能の舞としてはかなり激しい動きだと思った。
謡も”高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出潮(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり”という出だしなので落語ファンにもお馴染み。
鼓、太鼓、笛と相変わらず美しい音色に陶然となるが、周囲は寝ている人が多かったなぁ。そりゃそうでしょう、入場者の大半は落語目当てだから退屈してしまったんでしょうね。もったいない。

【落語】
春風亭昇々「生まれる!」
三遊亭遊雀「悋気の独楽」
笑福亭三喬「月に群雲」
柳家喬太郎「ハンバーグができるまで」
~仲入り~
桃月庵白酒「松曳き」
春風亭昇太「花筏」

昇々「生まれる!」
この人選が分からない。
出演者のリストにはのっていないし、前座でもなく二ツ目だ。
敢えて二ツ目を出すならもっと上手なのがいるだろうに。

遊雀「悋気の独楽」
得意ネタを手堅く。
芸協の将来をになう人材だと期待しているが、どうも三太楼時代に比べ輝きを失っているような気がするのだが、どうだろうか。

三喬「月に群雲(むらくも)」
三喬を知らん? そりゃあきまへんで、あんたモグリと違いまっか。
この会へこの人を送り込んだ上方落語協会は正解だ。わたしのイチオシです。
「月に群雲」、変わった古典だと思ったら、小佐田定雄の新作のようだ。
主人公は盗人ではなく、盗品を買う闇の道具屋だという点が特色。
盗人と道具屋の合言葉で、盗人が「月に群雲」と言うと道具屋の主が咳払いしてからやおら煙管で一服、決めポーズをした後で「花に風」と答える。
この「間」が実に良く、これだけで会場を沸かせる。
泥棒二人のうち一人が何かというと「諺」を言うのだが、これがみな見当はずれ。
盗人が持参した盗品というのが、まったく売り物にならない。
「まずは国宝級のお宝から、七面観音像!」
「七面?十一面は聞いたことあるけどな」
「この男がぶつけて四つ取れてしもうて七面」
「幸せそうに乗っている六福神!」
「一人足らんやないか」
「弁天さんが海に落ちたんです」
「じゃあこれはどないです?九百九十八手観音!」
「お前それ、手が二本取れたんやろ」
「わかりまっか?」
「わからいでか」
終いに現れた盗人は、木彫りの腕2本、弁天さん、そして小さな観音像が4個・・・。
この会話の面白さ、関西弁でしか表現できまい。

喬太郎「ハンバーグができるまで」
いつものマクラに、いつものネタ。

白酒「松曳き」
朝日名人会と同じマクラで、同じネタ。

昇太「花筏」
これまでの流れから「花筏」を演ると分かってしまった。出る前にプログラムに「花筏」とメモしていたら案の定。この日は三喬を除けば、全員が十八番を披露する会だと分かったからだ。
昇太のマクラは面白い。噺家のキャリアは30年で、志の輔と同期(場内から小さなドヨメキ)だとか。
TV番組の話とかオリンピックの話題とか、内容は別にどうということも無いのだが、とにかく場内は爆笑の連続。
ところがネタに入ると途端にテンションがガクンと落ちてしまう。
どうも昇太の落語というのはマクラが本題でネタは付け足し、そんな印象を受けるのだが。

終わってみれば三喬が全てだった、そういう会。

2013/03/17

「朝日名人会」変じて「志の輔独演会」(2013/3/16)

3月16日、有楽町朝日ホールで行われた第127回「朝日名人会」へ。
この会、発売日を忘れていて、ダメモトで電話してみたらチケットが取れた。しかも前から2列目の通路側、なんとラッキー。
しかし人間いいことばかりは続かない。トリを予定していた小三冶が体調不良で休演。朝日ホール・チケットセンターから数日前に手紙で連絡があった。ご苦労さんなことだ。
寄席では休演、代演は日常的だが、こうした会では珍しい。
録音で残されているのは昭和39年10月の「東宝演芸場」で、三代目金馬が休演し、代演で志ん生が二席演じている。この時の金馬は本当に具合が悪かったようで8日後に亡くなった。志ん生も大病の後だったので「本当ならこっちのほうが具合が悪くなっている」とマクラで語っているが、34分かけて「わら人形」を演じたのだから大したもんだ。
小三冶の体調については出演者たちが心配するような状態ではないと口々に言っていたが、実際はどうなのだろうか。
この日の代演は志の輔で、2席つとめることと相成った。

<  番組  >
前座・柳家おじさん「平林」
三遊亭萬橘(きつつき改メ)「本膳」
古今亭志ん丸「はなねじ」
立川志の輔「ハナコ」
~仲入り~
桃月庵白酒「松曳き」
立川志の輔「ねずみ」

前座のおじさん「平林」、なんか陰気だね。この芸風じゃ人気が出ないだろう。

三遊亭萬橘「本膳」
3月に真打に昇進し、きつつきから改名、四代目として実に76年ぶりの名跡を復活させた。初代は「へらへら節」という珍芸で大変な人気を博したそうだ。
以前この人の会で最前列にいたら、「お客さん、目を見てくれてないね」といじられたので、この日は目をしっかりと見た。
フラがあって、なんとなく面白いというのがこの人の特長。存在それ自体が可笑しいというのは落語家にとって大きな武器だ。だから自虐ネタのマクラでも嫌味にならない。
本題のネタはまだまだと云ったところ。

志ん丸「はなねじ」
先日”落語家の「声」”という記事をアップしたところ、”ぱたぱた”という方からコメントが寄せられ、さん喬がボイストレーニングを受けてるようだとの情報提供があった。確かにさん喬なら肯ける。あの発声は声帯に負担をかけていない。だからいくら大声を出しても声がかすれたり割れたりしないのだ。
さて志ん丸だが、わたし同様この人の声が苦手という方は少なくないのではなかろうか。我太楼と並んで苦手な声だ。
地声であれば本人には責任がないのだが、こればかりは好みの問題なので致し方ない。
「鼻ねじ」は上方の噺なので東京の落語家が演じるとどこか無理がある気がする。
ダラダラしたマクラに引き摺られたのかネタのテンポも悪く、面白くない。
先日きいた”たま”の方が数段上だ。

志の輔「ハナコ」
志の輔の魅力ってなんだろうと考えると
・古典と新作を両立させている
・新作が従来の新作落語を枠を超えた独自の視点で創られていて、「はんどたおる」「みどりの窓口」「バスストップ」「踊るファックス」「バールのようなもの」などの傑作がある
・古典はネタ数は多くないが完成度が高い
・マクラからネタへの入り方が自然で上手い
といった諸点かと思われる。
これにサービス精神を加えたい。
もちろんテレビ出演での人気もあるが、それだけではない。
実力に比べて人気が異常に高すぎるという批判もあるが、本人の責任とは言えまい。それはプロダクションや興行主の問題だ。
「ハナコ」は新作、テーマは「あらかじめ」。
日本のサービス業というのは実に親切で、なにか問題になりそうだと「予めお断りしておきます」という前置きがつく。一見親切なようで、要は後でクレームになった時に「予めお断り」が言い訳になるという予防線の役割もある。
せっかく温泉宿にでかけても、女将にこの「あらかじめ」を連発された日にゃ興醒めもいいとこだ。
加えて近ごろの流行り、生産者の「私が作りました」という広告、あれって一体どんな意味があるんだろう。「これが、これから皆さんに食べて頂く黒毛牛のハナコです」と見せられたら食えたもんじゃない。
この辺りに視点をおいた作品で、会場は大受け。
そう言われりゃそうだ、というのがいつもながらの志の輔の作品の特長。

白酒「松曳き」
マクラで小三冶の休演について「スキーに行ったらしい」と、いつもの小三冶いじり。
白酒のこのネタは解説不要でしょう。何度きいても面白い。

志の輔「ねずみ」
今回で確か3度目になると思うが、志の輔はこのネタを頻繁に掛けているようだ。
古典とみなされているが、実際は昭和に入ってから広沢菊春の浪曲を三代目三木助が落語に移したもの。
もっとも菊春の浪曲自体が半分は落語みたいなものだったから、この移行はスムースだったんだろう。
ご存知、左甚五郎もの。
噺の山場は「ねずみ屋」の主が語る身の上話しで、この場面の出来で全てが決まる。
志の輔の演出はここを淡々と語らせるが、とにかく「間」の取り方が上手い。ここで観客を引き付ける。
子どもの健気さ、甚五郎の風格も出ていて良かった。ただ彫刻の鼠が動くのを見た近所の者の驚き方が大袈裟で、クサく感じたのが難か。

小三冶お目当ての人はガッカリだったかも知れないが、志の輔の2席というのは独演会でしか聴けない。
そういう意味で、小三冶の休演を立派にカバーしたと言えるだろう。

2013/03/15

落語家の「声」

無声映画からトーキーにかわった時に、かつてのスターの多くが脱落していった。サイレントのころには問題とならなかった訛が抜けなかったり、声が悪くてトーキーに適応できなかったためだ。
このことは、ミュージカル映画の傑作「雨に唄えば」にも描かれている。
かのチャリー・チャップリンがトーキーに移行後もサイレント映画を撮り続けていて、その原因としてチャップリンの声が悪いせいではという噂が流れたことがある。彼は「モダンタイムス」の「ティティナ」で初めて歌声を披露したのだが、その声を聴いて多くの映画関係者やファンが胸をなでおろしたそうだ。
歌手はもちろん俳優など声を出す職業にとって、美しい声を保つのは大切だ。

落語家も話芸というくらいだから声は商売道具。声が出ないことには高座にも上がれない。
特に美声である必要はないが、聞き苦しい声は避けたいものだ。いくら芸達者でも、だみ声やかすれ声、雨蛙のような声は遠慮したい。
しかし噺家の中には明らかに声を潰してしまっている人や、慢性的に声帯に炎症を起こしているんじゃなかろうかと疑うような声の持ち主が少なくない。
声を商売にしている人にボイストレーニングは欠かせないが、噺家がそうした訓練を受けているのを耳にしたことがない。声帯に負担をかけず自然に発声するためにはトレーニングは必須だろう。
一席終えた後の声帯ケアはしているんだろうか。してないでしょうね。
志の輔が言っていたが、独演会が終わると喉が真っ赤に腫れてしまうそうだ。そこへ冷たいビールをキュっと飲む、その時の旨さったらないと語っていた。確かに気持ちは良いだろうが、声帯のためには多いに疑問がある。

声帯ケアの基本は次のようだ。
1.健康でいること
2.ストレッチやウォーミングアップをすること
3.水をこまめに飲むこと
4.できれば咳をしないこと(風邪は大敵)
5.お酒やタバコを控えること
6.睡眠をしっかり取ること
落語家の生活はよく知らないが、どうもこれらに反するような事ばかりではという気がする。
噺家に品行方正になれとは言わないが、せめて出来るかぎり良好なコンディションで高座に上がって欲しい。
プロなんだから、ある程度の努力は必要だ。

2013/03/11

【3.11の記録】辛い時の俳句

月刊誌「図書」2013年2月号に掲載の、池澤夏樹「楽な時の俳句、辛い時の俳句」によると、俳句というのは乱世にはむかず平和な時の文学らしい。余裕がなければ遊戯の境地に身をおけない。
そう思っていた池澤が、釜石で被災した照井翠「龍宮」(角川書店)を読んで、俳句というのはこんな風に辛いことも表現できるのかと思ったとある。
以下、○印をつけたものが照井翠の句だ。
○春の星こんなに人が死んだのか
○喪えばうしなふほどに降る雪よ
満点の星空を見上げて、あるいは降り積もる雪をみながら、俳人は3・11で亡くなった人々への哀切の思いを詠んでいる。

池澤は、同じ対象を詠んでも明暗がこれほど分かれるものだろうか、ということで蕪村と照井の句を並べている。
先ずは春の海。
春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉 蕪村
○もう何処に立ちても見ゆる春の海
建物がすべて無くなり、どこからも海が見えるようになってしまった。

ひな祭り。
箱を出る皃(かほ)わすれめや雛二対 蕪村
○津波引き女雛ばかりとなりにけり
これは解説不要だろう。

ほととぎす。
ほとゝぎす待(まつ)や都のそらだのめ 蕪村
○ほととぎす最後は空があるお前
鳥ならば飛んで行けるが、人間は地上で生きてゆかねばならぬ。

盛夏。
狩衣の袖のうら這ふほたる哉 蕪村
○初蛍やうやく逢ひに来てくれた
群れ飛ぶ蛍は人の魂。その中の一匹がとまってくれた。きっとこの蛍が大事な人だったに違いない。

月。
月天心貧しき村を通りけり 蕪村
○廃屋の影そのままに移る月
煌々と照る月の下に見えるのは壊れた建物だけ。

柿。
御所柿にたのまれ皃(がほ)のかがし哉 蕪村
○柿ばかり灯れる村となりにけり
大震災後の東北の光景はこうだったのだろう。

やれアベノミクスだ、アベクロだ、バブルだのという文字がメディアを賑わしている昨今。
「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることすら難しくなっている」。
家族全員と自宅を失った男性の言葉が胸を打つ。

(文中敬称略、俳句の一部に横書きだと表記できない文字があるので書き換えていることをお断りする)

2013/03/10

#406花形演芸会(2013/3/9)

今日3月10日は東京大空襲、そして11日は東日本大震災と福島原発事故と、悲しい記憶の日が続く。
大空襲は1945年だが、当時小学生だった兄は前年の春に学童疎開で福島に行っていた。既に東京が爆撃を受けることが予想されていたのだろう。
ところが45年の初めに6年生の男子だけ東京に戻されてしまった。教師からは本土決戦になるので、この年に中学生になる男子生徒は戦闘に参加するためと説明されたそうだ。幸い大空襲の時は親類の家に疎開していたので難を逃れたが、都内にとどまった生徒の中からは犠牲者が出ている。当時の軍部の非人間性を示している。
原発事故でもそうだが、為政者というのは常に国民の犠牲など顧みないものなのだ。

3月9日、国立演芸場で行われた「第406回 花形演芸会」へ。
今年は冬から一足飛びに初夏になったような暖かい日が続く。花粉症の人たちには辛い時期だ。周囲がみな花粉症だと、そうでない人は奇異に見られるような気がする。
開演時間を間違えて二ツ目から。

<  番組  >
鈴々舎馬るこ「新牛ほめ」    
古今亭志ん陽「熊の皮」    
ロケット団「漫才」         
三遊亭遊馬「小間物屋政談」  
ー仲入りー
ゲスト・柳家花緑「野ざらし」
ポカスカジャン「ボーイズ」          
三遊亭王楽「ねずみ穴」 

この日出演した落語家の入門年次を並べてみると、こうなる。
1994年 遊馬
1998年 志ん陽
2001年 王楽
2003年 馬るこ
この日の見所は三遊亭圓生の得意ネタを遊馬、王楽という三遊の若手真打がどう演ずるかだ。

・馬るこ「新牛ほめ」
タイトル通り古典の改作、この人はこの路線で行くんだろうね。
ギャグに会場はけっこう沸いていたが、この手のネタは二度目三度目でも面白いかどうかだ。   
・志ん陽「熊の皮」
本来は典型的なバレ噺だが、近ごろはオチを変えてソフトに仕上げている。
難点はこのサゲだと何も熊の皮じゃなくて普通の敷物でも良いという点だろう。そこいくとオリジナルではどうしても熊の皮であることが必要なのだ。
志ん陽の演出は、甚兵衛が気が弱く善良で正直な性格という特質を良く示していた。医者との会話のすれ違いが面白く、ご機嫌だった医師が少しイライラしてくる様も巧みに表現されていた。
この人は着実に自分のスタイルを築きつつある。
・遊馬「小間物屋政談」  
芸協期待の若手の一人、特長である重低音を響かせての高座は魅力的。
時間の関係からか少し端折った演出だったが、却って余計な枝葉を取り払い緊張感のある高座だった。
演じ手によっては暗い印象になりかねないのだが、この人持ち前の明るさで万事メデタシメデタシの楽しい一席に仕上げた。
大らかさは5代目圓楽を彷彿とさせる。
・花緑「野ざらし」
この会のゲストというのは若手を盛り立てながら、同時に先輩としての貫録を示さなくてはいけない難しい位置だ。
このネタ、確か先代小さんは演っていないように記憶しているが、花緑は小三冶の演出を踏襲している。
あまり「間」を置かずサゲまでスピーディな展開で、仲入り後の客席を一気に温めた。
久々に花緑の良い出来の高座に出会えた。
・ポカスカジャン「ボーイズ」
何を演らせても音楽がしっかりしてるから楽しめる。
今や「ボーイズ」ものの第一人者と言って良いだろう。
・王楽「ねずみ穴」 
大受けのポカスカジャンの後はやりにくいのだろう、本来は直ぐにネタに入るつもりだったようだが、マクラから。王楽の二つ上に三三と木久蔵がいるのだそうだ(客席から微妙な反応)。こう見ていくと年齢と芸は無関係だね。
久々にこの人の高座を観たが上手くなった。トッポさが陰をひそめ重厚な感じが出てきた。今世紀に入門した噺家では文菊とツートップかな。
ほぼ圓生の演出通り。このネタは一歩間違えると陰惨な印象になりかねないが、明るいキャラを活かした見事な高座。

三遊から有望な若手が生まれてきていることは真に喜ばしい。
二代目はどうもイケナイ・・・を、改めなくちゃ。

2013/03/08

100万アクセスに

当ブログ(HOME★9、ほめ・く、誉苦)は累計で、本日100万アクセスに達しました。何も宣言するほどのことは無いんですが、一応の通過点ということで披露します。
スタートから69カ月で50万アクセス、次いで28ヵ月で50万アクセスというペースでした。
一見大きな数字に見えますが、人気アイドルのサイトなら一日か二日で達成してしまうような数字です。
問題は内容ですが、これもあまり誉められたもんじゃありません。およそ世の中に立つこととか、社会的意義のある記事というのは皆無といって良いでしょう。
タイトル通り、「誉められもせず苦にもされず」ってぇとこです。

例外は「ある満州引揚げ者の手記」(カテゴリー欄参照)ですが、これは私が書いたものじゃない。
近所に住む老婦人が、満州から引き揚げてきたときの経験を家族に残そうと記録していたものをWordに起こしたに過ぎません。ノートや広告の裏、小さなメモ用紙などにバラバラに書かれたもので、このままでは散逸してしまうということで相談があり、まとめ上げました。誤字の訂正のみ行い、原文はそのママにしています。
文書はB6版の二つ折り縦書きにし表紙をつけて冊子として10部作成してご本人に渡しました。ご家族に読んでもらい大変喜ばれたそうです。
文章をWordに起こしながら、あまりに悲惨な内容に何度も涙を流しました。そしてこの記録は多くの方に読んで欲しいと願い、ご本人の了解を得て当ブログに転載したものです。
だからこの記事だけは価値があります。

ブログをスタートしたのは2005年2月で、前年がブログ元年と呼ばれていました。同時に「別館」をスタートしていますが、そちらの方は旅行記を専門にしています。
その当時、いくつか愛読していたサイトがありましたが、いずれも社会的意義のある内容で、私にとっては仰ぎ見るような存在でした。
それらのサイトの大半が既に閉鎖されてしまったのは実に残念です。その内のいくつかはネットに対する失望感が大きな理由でした。相も変わらずネットに巣食うゴロツキが跳梁跋扈していることに嫌気がさしたのだと思われます。
私のように最初からネット社会に期待せず、使命感も持たず、ただダラダラと書いてきたのが長続きの秘訣なのかも知れません。自分が書きたいことを書き読みたい方が読めば良いと割り切っています。

ブログを始めた頃から、これだけはと守ってきたことがあります。
1.広告(アフィリエイト)は一切載せない
2.長文を避け一つの記事の字数は1000字程度に収める
3.書くときは言いたいことの腹八分目にとどめる

これからも世の中の役に立たないことを書き連ねてゆくつもりですので、それでも宜しいという方はお立ち寄りください。

2013/03/06

通ごのみ「扇辰・白酒二人会」(2013/3/5)

笑福亭たまの向うを張ってショート落語、「掃除」。
―掃除かな、親が「はたき」かけてる
「親のハタキィ(仇)」
―爺さんが掃除機かけてる
「掃除機(正直)ジイサン」
―掃除機じゃなくてクリーナーだろ
「そない言うてクリーナー」
ダメだ、こりゃ。
3月5日、日本橋社会教育会館ホールで行われた”人形町通ごのみ「扇辰・白酒二人会」”へ。
人形町といえばかつて「人形町末広」があり、いわば落語の聖地でしたね。
飲み屋街を通って行くので、終演後の呑兵衛には堪らないんでしょうな。アタシは愛する妻が待ってるんで直帰でしたけど。

<  番組  >
入船亭小辰「手紙無筆」
入船亭扇辰「さじ加減」
桃月庵白酒「天災」
~仲入り~
桃月庵白酒「犬の災難(猫の災難)」
入船亭扇辰「百川」

小辰「手紙無筆」
二つ目ともなるとマクラを振らなくちゃいけなくなる。いわゆる「ツカミ」になるわけで、小辰はここで客を取りこむのに試行錯誤の段階か。
ネタで「間」の取り方がまだまだ、もっと稽古が必要。

扇辰の1席目「さじ加減」
マクラで開場後に楽屋入りしたので、エレベータで8階までのお客と一緒だったが誰にも気づかれなかったようでガッカリしたと語っていた。
いや、気付いていた人も多かったのでは。
こういう時に声をかける派とかけない派がいるが、アタシは後者。
会場周辺や道路、時には電車の中で落語家に出会うが、一度も声をかけたり挨拶したりしたことがない。このホールでも以前、エレベーターで8階まで雲助と二人だけになったが知らん顔していた。
こっちは向こうを知ってるが、向こうはこっちを知らないんだから。
落語好きな方の中には落語家との懇親会や打ち上げに参加して顔見知りになったり、芸談や裏話を聴いたりするのが楽しみな人もいるが、当方は一度も噺家と酒席をともにしたことがない。顔見知りもいない。ただ行って話を聴いて帰ってくるだけ。
こういう人間もいるってことです。
「さじ加減」は扇辰以外で聴いたことがないが、元は円窓が講釈から持ってきたのだそうだ。
相変わらず上手い。特に加納屋の小悪党ぶり、大家のシタタカさといった人物造形が秀逸。
このネタで扇辰を超えるのは難しいだろう。

白酒の1席目「天災」
前の扇辰から開演前に弁当を喰うようでは本格的な落語ができないとからかわれて登場。主催者が弁当を用意してくれるそうだが、確かに持ち帰りというわけにもいかず捨てるわけにもいかずなのだろう。ここにきている客でも夕食を済ませたという人は少数でゃなかろうか。終わってから食事とか、取り敢えず軽食をという人が多いと思う。
してみると楽屋の弁当を出すことが自体が不適切では。
白酒の「天災」は八五郎の乱暴ぶりが際立つ。こういう人物ほど以外に単純で感化されやすい。大きな原っぱで俄かの大雨、たったこれだけの物語で天災を悟ってしまうのだから。
こういう真っ直ぐな人物を描かせると白酒は上手い。適当にギャグも放りこんで客席を沸かせていた。

白酒の2席目「犬の災難」、通常は「猫の災難」だが古今亭らしく「犬の災難」で。
違いはオリジナルが隣の奥さんから鯛の頭と尻尾を貰うというところを、こちらは鶏肉を預かるという設定にしている。奥さんが外出から戻って鶏肉を持ち帰ってしまうというのだが、兄いには犬が咥えていったとウソをつく。
オリジナルでは熊が手酌で呑んでいるうちに徳利を倒してしまい、それを吸うというシーンがあるのだが、白酒の演出は最後の一滴まで飲み干してしまう。
このネタは畳にこぼした酒を吸う場面が見せ場になるので、白酒の手法には疑問が残る。
熊が独りで呑む時に、女性と差し向かいという空想するのは白酒独自の演出か。ここで笑いを取っていた。
マクラで、とかく芸人というのは日常、不養生な生活をしていることを誇るような事を言ってるが、実際はそれ程ではないと語っていた。本当に不養生な生活をする噺家もいるが、それは落語家ぶりたいだけだから辞めていってしまうそうだ。
落語家になりたいのと、落語家ぶりたいのでは全然違うわけだ。

扇辰「百川」
3日前に聴いたばかりなので、感想は同じ。

扇辰と白酒、性格も芸風も全く合わないようでいて、どこかウマが合うのだろう。
良い雰囲気の二人会だ。

2013/03/03

入船亭扇辰独演会(2013/3/2)

寒さの戻った3月2日、国立演芸場での”《噺小屋》弥生の独り看板「入船亭扇辰独演会」”へ。
雪国出身の扇辰が雪の「鰍沢」を演じるという趣向。こいつぁ行かざぁなるめぇ。

<  番組  >
入船亭小辰「一目上り」
入船亭扇辰「鰍沢」
~仲入り~
入船亭扇辰「百川」

扇辰の国立での独演会は初めてだそうで感無量の面持ちだった。やはり落語家になったらいつか国立演芸場の高座で独演会を開くというのは夢なんだろう。いわゆる「檜舞台」。
マクラで大嫌いなものとして「雪」をあげていた。新潟の長岡といえば雪の多い地方、普段から雪には苦しめられてきたので良い思い出なんて一つもないと。
上越新幹線で県境の長いトンネルを抜けると冬場は一面の雪景色。そこで乗客が歓声をあげるのを見てマシンガンで撃ちたくなるとも。この人、見かけによらず気性が激しそうだ。
似たような話が我が妻にもあり、世間で「棚田」が美しいだの「棚田」を守れだのという声を聞くと腹が立つんだそうだ。棚田の農作業というのは非常に大変なんだそうで、安易に守れなんて言って欲しくないと息巻く。
そういえばインドネシアのバリ島で「棚田」が観光コースになっているが、観光業者と農民との争いが絶えないと言っていた。
そりゃそうだろう。
一方で辛い思いをして農作業を行っているのを尻目に、他方ではそれを見せて商売にしているんだから、面白い筈がない。棚田に反射板を取り付けて妨害したこともあったそうだが、その気持ちも分かる。
同じ景色でも立場が変れば見方も変わる。

さて「鰍沢」、この噺は難しい。先ず現役では満足のいく高座は皆無といって良い。
近年では三遊亭圓生にとどめをさすが、これも手元にある録音では1970年2月の「落語研究会」のものが素晴らしいのだが、他は落ちる。あの圓生でさえ、というネタなのだ。志ん生は全くダメ。
何が難しいのかというと、月の輪お熊と旅人との会話の「間」だ。
最初に宿を求める場面、囲炉裏にあたりながらの会話、次いでお熊がかつて吉原の花魁だったと分かる場面、それ以後の身の上話、そして玉子酒を勧める場面、それぞれに会話の「間」が微妙に変わってくる。ここがクリアー出来ていたのは先の圓生の高座だけだと思う。

扇辰の「鰍沢」だが、全体の出来としては悪くない。雪景色の描写や厳しい寒さの情景はよく描かれていた。
気になった点といえば、動きがリアル過ぎたことだ。
落語の動作というのは歌舞伎の所作に似て、一種の様式美だと思う。それらしく綺麗に見せることが基本ではなかろうか。
扇辰の動きはあまりに写実的過ぎて、この噺全体のリズムを崩していたように思えた。
それと、お熊と旅人にもう少し「艶」が欲しかった。
無いものねだりみたいだが、扇辰だからこその注文だ。

扇辰の2席目「百川」
百兵衛の造形がいい。奉公は初めてというのだから、田舎から出て来たばかりなのだろうが、実直で可愛らしい人物に描かれている。
河岸の若い者の中で百兵衛に応対する初五郎のイナセぶりとの対比が良く出来ていた。
クワイの呑み込み方も上手い。
全体の切れ味とテンポの良さは、かつての古今亭右朝の高座を思わせる。
このネタでは、つい先日の一之輔の高座を褒めたばかりだが、ここは扇辰が一枚上。

小辰は並べて演じると師匠そっくり、弟子だから当たり前か。
上手いし色男だから、きっともてるんだろう。でも、程々にね。

扇辰の国立での初の独演会、先ずは成功にてお開き。

2013/03/02

3月1日の「詩」

1日遅れになってしまいましたが、昨日は3月1日。
春一番も吹いて暖かくなったと思えば、今日は一転して寒さが戻りました。
「2月は逃げる」といわれていますが、その通りでひと月があっという間に過ぎ去りました。
落語の「夢金」じゃないが「雪は豊年の貢ぎ」なんて言ってるけど、5mも6mも積もったんじゃ洒落になりません。北国の人々の春を待ち焦がれる気持ちが分かります。

上田敏の訳詩集「海潮音」の冒頭の一編が3月1日を歌ったものです。
長いので初めの部分だけ紹介しますが、せめて気分だけでも心はずむ春の到来を味わってください。

燕の歌(ガブリエル・ダンヌンチオ)

彌生ついたち、はつ燕、
海のあなたの静けき國の
便(たより)もてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋(と)むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黑と白との染分縞(そめわけじま)は
春の心の舞姿。

彌生來にけり、如月は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠(りす)の毛衣(けごろも)脱ぎすてて、
綾子(りんず)羽ぶたえ今様に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞いつ、歌ひつ、足速(あしばや)の
戀慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。

(以下、略)

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