「雲助蔵出し ふたたび」(2013/3/30)
寒の戻りの3月30日、浅草見番で行われた「雲助蔵出し ふたたび」へ。
数多(あまた)ある独演会の中でも、最も充実しているのがこの会。
落語が好き雲助が好きという客の前で、雲助がいかにも気分良さそうに演じてみせる、この一体感は独特だ。落語というのは本来こういう空間で聴くものだと改めて認識させてくれる。
この日の演目は、昨年11月に行われた「五街道雲助大須独演」と同じのようだ。
< 番組 >
林家つる子「手紙無筆」
柳亭一楽「真田小僧」
五街道雲助「品川心中」
~仲入り~
五街道雲助「よかちょろ~山崎屋」
前座のつる子が「膝送り」をお願いする程の満席。
「又か、と思われるでしょうが」と二ツ目の一楽「真田小僧」、マクラが板に付いてきた。着実に上手くはなって来ている。
雲助の1席目「品川心中(上)」
極付けの志ん生から息子・馬生へと受け継がれた古今亭のお家芸といって良い演目。
雲助の演出は以下のように師匠である先代馬生の型を基本にしている。志ん生との違いは、
①海から上がった金蔵が親分の家に行く途中、野犬の町内送りで吠えられながら駆けだす。
②金蔵が親分の家の扉を叩くと、子分の一人が灯りを吹き消す。真っ暗になったので親分が火打石で灯りをつける。この際、子分が最初に火打石と間違えて鰹節(馬生の場合はお供えの餅)を渡してしまう。
③子分の一人が慌ててサイコロを飲み込み、親分が背中を叩いて吐き出させる。賽の目を見て「ああ、半だ」。
④子分の一人は鼠いらずに首をつっこみ、佃煮を食べる。
雲助の演出では、年と共に客が離れ、紋日を前にして心中を決意するに至るお染と、成り行きで道連れにされてしまう金蔵の細かな心理描写を加えている。
例えば、お染に起こされた金蔵に「心中、日延べにしようか」というセリフを言わせて、直前まで逡巡する金蔵の迷いを表現させていた。
ここ数年で聴いた「品川心中」では、この雲助の高座がベスト。
雲助「よかちょろ~山崎屋」
この会では通常3席かかることが多い。ネタ出しでは「山崎屋」となっていたが、前半に「よかちょろ」を置いて、続き物の形で後半の「山崎屋」に入るという演出。この日も実質3席ということになる。
ただ「よかちょろ」という噺は元々が「山崎屋」の前半部分を独立させたものだそうで、そういう意味では「山崎屋(通し)」という書き方もできる。
「よかちょろ」は名人文楽の独壇場ともいうべきネタで、以後は談志ぐらいしか記憶にない。
道楽息子が掛取りの金を全部使ってしまう。
親父が何に使ったのか尋ねると、先ずは髭剃りに5両。
お後は「よかちょろ」に15両。安くて儲かると聞いた親父が身を乗り出すと、「女ながらもォ、まさかのときはァ、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすき……しんちょろ、味見てよかちょろ、しげちょろパッパ。これで15両」。
親父は頭から湯気を出して怒り、息子を二階に上げてしまう。
あきれ返った親父が、傍にいた母親に「二十二年前に、おまえの腹からこういうもんができあがったんだ。だいたいおまえの畑が悪いからだ」と言うと、母親は「あなたの鍬だってよくない」。
なお、文楽の演出ではカットされていた若旦那が語る花魁のノロケを小僧が真似をする場面を、雲助は復活させていた。
さて「山崎屋」だが、こちらは三代目金馬の極付け。
雲助はマクラで花魁の格、花魁道中、新造のことを説明していた。花魁の揚げ代が三分で、これに新造が付く。
花魁道中とは、最高級の花魁(今流にいえば、センター)が仲の町を通って各茶屋に行く道中を指すが、その茶屋の名前は相模屋だの尾張屋だのという地名が付けられていたらしい。
ここまで解説しないとこの噺のオチが分からない、そういう時代になってしまった。
石橋の上で転ぶと石の方が痛いというほどの堅物の番頭、実は隣町に妾を囲っていた。この弱みを握られた番頭、とうとう若旦那と花魁を夫婦にするために狂言を書くことになる。
秘密がばれた時の番頭の表情が良く出来ていた。
そう上手く行くかいと訝る若旦那に、番頭が「それでだめなら、またあたくしが狂言を書き替えます」というと、若旦那が「へええ、いよいよ二番目だね。お前が夜中に忍び込んで親父を絞め殺すか」というクスグリは先代正蔵のもの。
大旦那、徳三郎、番頭、頭(かしら)、それぞれの人物像が巧みに描かれていた。
細かな言い間違いがいくつかあったが、長講ながら全く飽きることなく、こちらも上々の出来。
弟子の白酒の「山崎屋」も悪くないが、やはり師匠の方が一枚上手。
期待に違わぬ雲助蔵出し、幸せを感じながら仲見世を通って、夕方の横浜へと向かう。
続きは明日。
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