「うかうか三十、ちょろちょろ四十」(2013/5/9)
5月9日、紀伊国屋サザンシアターで上演されている”こまつ座第九十九回公演「うかうか三十、ちょろちょろ四十」”を観劇。
この作品は、井上ひさし24歳の時に文部省芸術祭脚本奨励賞を受賞したものだ。
井上が浅草のストリップ劇場フランス座で文芸部員兼進行係として働いていたが、そこを辞め、出版社の倉庫番をしながら全国の放送局へ脚本を送りつけていた時期に書かれた。
タイトルの意味は、井上自身の自己解説によれば「うかうかしているうちに三十になって、それでもちょろちょろちょろちょろ、なんてやってるうち、もう四十になっちゃって、もう死ぬのは間近いという、六十枚で人の一生を書き上げてみようと思って書いたわけです」。
いわば、井上ひさしのデビュー作というべき脚本で、今回が初演。
井上ひさしの芝居は、今回で19作品目。こうなりゃ全て観てみるか、「毒を食らわば皿まで」も。チョット意味が違うかな。
作:井上ひさし
演出:鵜山仁
< キャスト >
とのさま:藤井隆
お侍医:小林勝也
ご家来:田代隆秀
ちか/れい:福田沙紀
権ず:鈴木裕樹
れい(幼少時代):阿部夏実、松浦妃杏(Wキャスト)
ストーリーは。
東北地方のある所、桜が満開の春のころ、独り暮らしの美しい娘”ちか”がおりました。
侍医を連れた殿様は娘に一目惚れ、城に上がれと誘いますが、娘は既に許嫁がいると断ってしまいます。
それから9年後の桜のころ、再び殿様が”ちか”の家を訪れます。”ちか”は大工の権ずと所帯を持ち、”れい”という名の幼い娘を持っていましたが、権ずは胸の病で8年も寝たきりに生活。そこで殿様は医者のふりをして無理やり診察し、権ずは病気ではないと偽り二人を喜ばせます。二人が去ったあと家来が現れ、医者は偽物、病人の家を訪れては病気ではないと言いふらしていると注意してゆきます。再び悲しみにくれる夫婦。
それから9年後の桜のころ、壮年に達した殿様と老いた侍医が”ちか”の家を訪れますが、そこには成人した”れい”が独り暮らし・・・。
作家が存命中は自らの意思で作品の公開や上演を決められるが、亡くなると遺族がその判断をすることになる。この作品ももしかして、井上には上演する気が無かったかも知れないのでは、そう思った。
若い頃に書かれたもので、内容は民話風。プロの作家になってからの井上ひさしの一連の作品とはかなり異質なものだ。
その後の作品への萌芽が感じられるという見方があるが、それは井上ひさしに対する研究者レベルの話だろう。
また作品が東北地方の農村を象徴的に描いているという解説もなされているが、一般の観客はそこまで深読みするだろうか。
むしろ、今までのような井上作品を期待して足を運んだ観客にとっては、唐突の印象を免れないのではなかろうか。
こまつ座が本作品を敢えて上演した意図が、少なくとも私には理解できなかった。
出演者は相変わらずしっかりした演技を見せていたが、時々セリフの間でオヤッと感じることが何度かあった。作品のせいなのか、演者の問題なのかは分からないが。
公演は本劇場では6月2日まで。その後、山形と大阪で。
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コメント
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作家が苦闘して自分のなかの鉱脈を探し当てていくのはスリリングですね。
投稿: 佐平次 | 2013/05/10 11:36
佐平次様
ストリップ劇場のコントを書いていた人がいきなり演劇の脚本を書く、やはり並大抵の才能でないのは分かります。
ただ上演に値するかどうかは判断が分かれますね。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2013/05/10 21:12