お断り
事情で当ブログの再開を延期します。
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事情で当ブログの再開を延期します。
2週間ほどブログを休みます。
再開は5月末の予定です。
その間、コメントの公開やレスが遅れますがご了承ください。
4月下旬に初めて沖縄を訪問しました。といっても沖縄本島の名所を2泊3日の駆け足でめぐるツアーですが。以前から行きたいと望んでいたのが、ようやく実現したというわけです。
わたしのような世代の人間にとって、沖縄には特別の思いがあります。
18万8千人という犠牲者を出した沖縄戦、そのおよそ半数は民間人です。日本が独立を果たした時も沖縄は置き去りにされました。
そして今なお日本の国土の0.6%の沖縄に、米軍基地施設の総面積の74%が集中しているという現実があります。
観光を楽しみながらも、常にそうした事が頭の隅にありました。
那覇に着いた日は日曜で、国際通りは歩行者天国になっていて多くの家族連れでにぎわっていました。
あちらこちらで催しが行われていましたが、第三日曜は「もずくの日」だそうで、キャンガルが試食品を配っていました。キレイな人だと思って見ていたら、ミス沖縄のようでした。
せっかくなので、ふたり並んだところを撮影。
彼女たちの後方のテントでは、子どもたちのダンスが披露されていました。この中からまた新しいスターが生まれるのでしょう。
機会があれば、次回は本島以外の島々にも行ってみたいと思います。
二番目狂言は『一本刀土俵入り』、長谷川伸の代表作であり、歌舞伎でも度々上演されているし映画化もされている。なかには芝居は知らないが歌謡曲なら知っているという方もおられるだろう。三橋美智也の「角力名のりをやくざに代えて・・・」や、三波春夫の「千両万両積んだとて・・・」などがヒットしている。
この芝居、かつて二代目尾上松緑の茂兵衛、七代目尾上梅幸のお蔦という名優コンビによる舞台を観ている。特に松緑の演技は六代目菊五郎生き写しと絶賛されていた。
この物語、どうやらモデルがいるらしい。
前橋市の駒形町という地名があり、市内には「茂兵衛地蔵」が祀られており、百姓一揆の指導者として茂兵衛が処刑されたという伝説が残されているとのこと。若いころ江戸に出て相撲取りになるのを目指していたことにヒントを得て、長谷川伸がこの物語を書いたようだ。
『一本刀土俵入り』
作:長谷川伸
演出:平田兼三
< 主な配役 >
駒形茂兵衛:藤川矢之輔
お蔦:河原崎國太郎
船印彫辰三郎:高橋祐一郎
船戸の弥八:益城宏
波一里儀十:松浦豊和
いわしの北:中嶋宏太郎
物語は。
大利根の渡しに近い取手の宿。土地のやくざ弥八が往来の人々に因縁をつけ大暴れ。
そこへ通りかかった取的・茂兵衛が弥八を追い払う。一部始終を安孫子屋の二階から見ていた酌婦お蔦は茂兵衛を呼び止め話をきくと、江戸相撲の巡業先で親方に見放され、ひとまず江戸へ舞い戻る途中だった。家も親兄弟もない。母の墓の前で横綱の土俵入りをすることだけが夢だという。
流れ者のお蔦もホロリとし、自分の故郷八尾名物の越中小原節を唄ってきかせる。お蔦はきっと横綱に出世しておくれと茂兵衛を励まし、巾着に櫛、簪を添えて渡す。
それから十年後。
船大工の所へ渡世人が通りかかり、かつての安孫子屋やお蔦のことを尋ねる。この男こそ相撲取りからヤクザに身を落とした駒形茂兵衛だった。
一方お蔦は取手のはずれの一軒家で娘と二人で、飴売りで細々と暮らしている。
そこへ流れ者の職人辰三郎が、お蔦と身を固めるべく戻ってくる。帰途、まとまった金欲しさに土地の賭場でイカサマを振り、今は追われる身。
親子三人でお蔦の故郷に逃げる相談をしていると、お君が母親の国の唄をうたった。その時、家の戸を叩く者があった。唄をたよりにお蔦の行方をたずねてきた茂兵衛だった。恩返しに金を差し出しが、お蔦には誰だけ分からない。
茂兵衛は立ち去ろうとした時に、辰三郎を追ってきた土地の親分儀十一味がお蔦の家を取り囲んだ。茂兵衛が三人に家の中にいるよう声を掛け四股を踏むと、そこでお蔦が茂兵衛と気付く。
奮戦のすえ一味を倒し、お蔦たちを逃してやる茂兵衛。これが十年前巾着ぐるみ意見を貰ったお蔦にせめて見て貰う、横綱の土俵入りだった。
こうストーリーを書いていても、実に良く出来た作品だと思う。
一番の見せどころは、前半の何とも頼りない取的姿から、後半の颯爽とした股旅姿への鮮やかな変身だ。お蔦が気付かないのも無理はない。
そのお蔦も、前半の蓮っ葉な酌婦(宿場女郎)から堅気のお上さんに変る。つまり二人の立場は10年後に入れ替わるわけだ。
茂兵衛を演じた藤川矢之輔は熱演だったが、もう少し立役としての華が欲しい。この点は現在の前進座の大きな課題だ。
対するお蔦役の河原崎國太郎は、安孫子屋の二階の場面で何とも言えない風情があった。三味線を弾く背中に寂しさが漂っていた。茂兵衛の身の上話を聴いて涙する所で、お蔦は堅気になる決心をするのだろう。
船大工やヤクザの子分たちといった脇がしっかりと固めていた。
歌舞伎座のこけら落し公演より、きっとこちらの方が上だったのでは。あっちは観てないけど。
公演は22日まで。
5月11日、前進座五月国立劇場公演・昼の部へ。今回の演目は『元禄忠臣蔵―御浜御殿綱豊卿』と『一本刀土俵入り』という、前進座十八番ともいうべき狂言を並べた。
いま新しい歌舞伎座のこけら落し公演に沸く歌舞伎界だが、名優の相次ぐ死去とそれに伴う芸の継承への不安、他の演劇に比べ観客の年齢層が高いといった問題を内在している。
前進座もその例にもれず、同様の課題を抱えているようにみえる。第二世代の多くが現役を去り、第三世代の若手中心の舞台に切り替えつつある劇団として、これから真価が問われる。
長くなるので2回に分け、今回は最初の演目から。
『元禄忠臣蔵―御浜御殿綱豊卿』
作:真山青果
演出:十島英明
< 主な配役 >
徳川綱豊:嵐圭史
富森助右衛門:嵐芳三郎
中臈・お喜世:河原崎國太郎
右筆・江島:山崎辰三郎
年寄・浦尾:藤川矢之輔
新井勘解由:武井茂
小谷甚内:中村梅之助
『仮名手本忠臣蔵』と異なり、真山青果により史実を元に(むろんフィクションだが)書かれた『元禄忠臣蔵』は全体に地味な場面が多いのだが、この『御浜御殿綱豊卿』の場だけは華やかで、独自に上演される機会が多い。
物語は。
甲府藩主・徳川綱豊の御浜御殿では、奥女中はじめ奉公人たちの年に一度の楽しみ「お浜遊び」が賑やかに催されていた。この日の客に吉良上野介がいることを知った赤穂浪士・富森助右衛門は、何としても一目仇の顔を見ておきたくて、義姉の中臈・お喜世の伝手でこの会場へまぎれ込もうとする。
それを知った綱豊は、浪士たちの動静や仇討の覚悟のほどを助右衛門に語らせようと挑発する。どうにか耐えた助右衛門であったが、綱豊の口から仇討の機会が奪われかねない事態を知り、一人吉良を討とうと決意する。
お喜世からこよい能の『船弁慶』が舞われ、吉良上野介が知盛に扮することを聞かされた助右衛門、やがて知盛の面をかぶった男に槍を刺しかかる。しかし面が外れと、それは綱豊。助右衛門を引き据えた綱豊は、仇討の本分は浪士一同が大義の上に立って至誠を尽くすことにあると諭す。
5代将軍・綱吉の時代が終りに近づき、施政に対する不満が渦巻きつつあった。次期将軍の本命視されていた綱豊は一方で遊びにふけって御上を油断させながら、もう一方で赤穂浪士たちの討ち入りに期待する。
現代にも通じる政権末期の一般的な動きでもある。
綱豊が、大石らの浪士たちが一方で浅野家の再興を願い出ておきながら、もう一方で仇討の準備を進めるのは矛盾していると指摘するが、これもまた道理だ。
この二人の対決は、吉良を討ちたい一心の浪士と、国の行く末を大きく見ている次期将軍との立場の相違だ。その息詰まる対決の中でお互いの思いが交差する、実に良く出来た作劇だ。
また登場人物のうち、綱豊が後の六代将軍家宣であり、お喜世は七代将軍のご生母・月光院としてやがて権勢をふるうことになる。
右筆・江島は、その後有名な「江島・生島」事件を引き起こす。
新井勘解由の号は白石、後に将軍側近として政治改革を行った。
助右衛門は討ち入りの中心的人物の一人となる。
つまり役者が揃っているのだ。
加えて「御浜」が現在の「浜離宮」とくれば、観客としてはこの芝居を身近に感じざるを得ない。
もうひとつこの芝居の大きな要素として、まるで『仮名手本忠臣蔵』の七段目をなぞったような作りになっていることだ。
「祇園一力」が「御浜」、酒色にふける大石が綱豊、お軽・平右衛門がお喜世・助右衛門に、それぞれ入れ替わっている。
昭和に作られた史劇というだけではなく、歌舞伎の伝統的手法を基本に据えているのがこの芝居の特長だ。
もう一つ付け加えると、本筋とは離れるが、御浜御殿の遊びの場面で奥女中たちが様々な趣向を凝らす。
その中で女性が男装して歌い踊るシーンがあるが、これについて作者は女優が演じるようにという指定をしているとのこと。こうなると劇団に女優のいる前進座は強みだ。
おじゃれ(今村文美)と、よかん平(北澤知奈美)の掛け合いや、飛脚(横澤寛美)のユーモラスな踊りは観客の目を楽しませていた。
女優のいない歌舞伎では真似のできないところだ。
出演者では、先ず綱豊を演じた嵐圭史の風格と人物の大きさがこの舞台を締めていた。七段目の大石とは違い大大名、その肚が見せられなければこの役は務まらない。殺陣の後で少々息が上がってしまったのは年齢のせいか。
助右衛門の嵐芳三郎は、初役とは思えぬ充実した舞台だった。綱豊の挑発に揺れ動く心理、主君の無念や大石への思いを見事に表現していた。立て役としては小柄なのが惜しまれが、こればかりは致し方ない。
お喜世の河原崎國太郎には奥女中でありながらどこか町家の出という面影を残していた。
『一本刀土俵入り』は明日の後編へ。
5月9日、紀伊国屋サザンシアターで上演されている”こまつ座第九十九回公演「うかうか三十、ちょろちょろ四十」”を観劇。
この作品は、井上ひさし24歳の時に文部省芸術祭脚本奨励賞を受賞したものだ。
井上が浅草のストリップ劇場フランス座で文芸部員兼進行係として働いていたが、そこを辞め、出版社の倉庫番をしながら全国の放送局へ脚本を送りつけていた時期に書かれた。
タイトルの意味は、井上自身の自己解説によれば「うかうかしているうちに三十になって、それでもちょろちょろちょろちょろ、なんてやってるうち、もう四十になっちゃって、もう死ぬのは間近いという、六十枚で人の一生を書き上げてみようと思って書いたわけです」。
いわば、井上ひさしのデビュー作というべき脚本で、今回が初演。
井上ひさしの芝居は、今回で19作品目。こうなりゃ全て観てみるか、「毒を食らわば皿まで」も。チョット意味が違うかな。
作:井上ひさし
演出:鵜山仁
< キャスト >
とのさま:藤井隆
お侍医:小林勝也
ご家来:田代隆秀
ちか/れい:福田沙紀
権ず:鈴木裕樹
れい(幼少時代):阿部夏実、松浦妃杏(Wキャスト)
ストーリーは。
東北地方のある所、桜が満開の春のころ、独り暮らしの美しい娘”ちか”がおりました。
侍医を連れた殿様は娘に一目惚れ、城に上がれと誘いますが、娘は既に許嫁がいると断ってしまいます。
それから9年後の桜のころ、再び殿様が”ちか”の家を訪れます。”ちか”は大工の権ずと所帯を持ち、”れい”という名の幼い娘を持っていましたが、権ずは胸の病で8年も寝たきりに生活。そこで殿様は医者のふりをして無理やり診察し、権ずは病気ではないと偽り二人を喜ばせます。二人が去ったあと家来が現れ、医者は偽物、病人の家を訪れては病気ではないと言いふらしていると注意してゆきます。再び悲しみにくれる夫婦。
それから9年後の桜のころ、壮年に達した殿様と老いた侍医が”ちか”の家を訪れますが、そこには成人した”れい”が独り暮らし・・・。
作家が存命中は自らの意思で作品の公開や上演を決められるが、亡くなると遺族がその判断をすることになる。この作品ももしかして、井上には上演する気が無かったかも知れないのでは、そう思った。
若い頃に書かれたもので、内容は民話風。プロの作家になってからの井上ひさしの一連の作品とはかなり異質なものだ。
その後の作品への萌芽が感じられるという見方があるが、それは井上ひさしに対する研究者レベルの話だろう。
また作品が東北地方の農村を象徴的に描いているという解説もなされているが、一般の観客はそこまで深読みするだろうか。
むしろ、今までのような井上作品を期待して足を運んだ観客にとっては、唐突の印象を免れないのではなかろうか。
こまつ座が本作品を敢えて上演した意図が、少なくとも私には理解できなかった。
出演者は相変わらずしっかりした演技を見せていたが、時々セリフの間でオヤッと感じることが何度かあった。作品のせいなのか、演者の問題なのかは分からないが。
公演は本劇場では6月2日まで。その後、山形と大阪で。
端午の節句(複数形にしないように)に「お江戸日本橋亭」で行われた「大日本橋亭落語祭2013」へ。
GWの真っ最中、しかも100名位で満席となる小屋でこんな落語会があるなんて、知らない人が多かったでしょうね。あたしも偶然に知って、たまさんの所へメールで申し込んだ。
出演者の中で三三が一番古手っていうのだから、若手の精鋭が集まったという会。
東京の三派と上方という具合に協会の垣根を超えての集まりだ。ただ、どこに「共通項」があったのかは分からない。
開演と同時に出演者全員が舞台に登場しジャンケン、これで出番を決めていた。全員ネタ出しなのであらかじめ演目は以下のように決まっていた。
来年以降も定期開催されるようだ。たまが次回から指定席して、椅子席は500円値上げすると言っていた。すかさず三三が「大阪の人間じゃなけりゃそういう発想は出てこない」と突っ込んでいた。
なお今日も夕方6時より開催される。
< 番組 >
春風亭一之輔「堀の内」
三遊亭遊馬「幇間腹」
三遊亭兼好「磯のあわび」
笑福亭たま「みかん屋」
~仲入り~
柳家三三「釜泥」
旭堂南湖「本能寺」
出演者全員による「サイコロトーク」
ジャンケンで最下位だった一之輔がサラ(周囲から前座、前座とからかわれていた)で上がり「堀の内」。
若い頃、鍋屋横町の近くにいたので堀之内のお会式は何度か見たことがあるが、それはもう賑やかでまるでお祭りそのもの。甲州街道の一帯を通行止めにして、纏を振り団扇太鼓を打ち鳴らし、チョイチョイヤサノチョイヤサッサと大勢の信者が行進していた。だからこのネタには親近感がある。
主人公の粗忽者(これも死語かな)は味噌汁で顔を洗ったり、帯と間違えて線路を外そうとしたり、「ここがお祖師様です」と教えてくれた人に賽銭をぶつけたり、粗忽を増幅させていた。
この人は古典を演じるときも何か一捻りしないと気が済まないんだろう。
遊馬「幇間腹」、噺の途中に幇間の語源を解説したりすると、どうしても流れが悪くなる。こういうネタはトントンとリズミカルに運ばないと、聴き手が乗っていけなくなる。
客席の反応がイマイチだったのは、そのせいだと思う。
兼好「磯のあわび」、マクラで彦六の正蔵がたまに高座にかけていた珍しい噺で、面白くないですよという説明があったが、どうしてどうして兼好にかかるとこれが爆笑モノになる。
与太郎が吉原に女郎買いに行くのだが、どうやったらモテるか、そのコツを達人と称する人に教わりにいく。言われた通りにやるのだが、これが皆トンチンカン。
こういう一気呵成に語るネタを演らせたら、兼好は上手い。
たま「みかん屋」、この噺、元々は上方がオリジナルで東京に移して「かぼちゃ屋」。今では東京版がしばしば演じられるのに対し、上方版は高座にかかるのが少ないそうだ。
売り物が違うだけで大筋は同じだが、オリジナルの「みかん屋」の方が断然面白い。特に売り手と長屋の衆との掛け合いは、当時の商人と客のネゴを彷彿とさせていた。たまの好演が光る。
三三「釜泥」、得意の泥棒モノで、先祖の五右衛門が釜ゆでになったから、仕返しに釜とおう釜を全部盗んでやれということになった。困ったのは豆腐屋、釜がなければ商売にならない。そこで主が釜の中に座って泥棒の番をするが・・・。
短いながらも人物が鮮やかに描かれいるのは三三の実力。
南湖「本能寺」、確かに実力はあるんだろうが、こういう会では演題のチョイスがどうだったんだろうか。「本能寺」は悲劇的な面が強すぎて、寄席の色物としてはねぇ。
調べてみると南湖は「探偵講談」に力を入れているとあり、そういう演目を聴きたかった気がする。
全員、実に楽しそうに演じていて、それが客席にも伝わりとても良い雰囲気の会だった。
この後の「サイコロトーク」では、主に落語家仲間の奇人変人ぶりが紹介され場内は大爆笑。
その内容はね・・・、もったいないから教えてあげない。
5月2日、鈴本演芸場5月上席夜の部へ。GW特別興行として夜の部は「権太楼噺爆笑十夜」、10日間は全てネタ出し。
ちなみに昼の部は「見たい聴きたい!林家正蔵」って、もうタイトルがギャグだね。もっと他に相応しい芸人がいるだろうに。
客席に入ってオヤッと思ったのは緞帳が無いこと。どうやら故障しているらしい。あるべき物がないと不思議な感じがする。
今年はもう5月だっていうのに暖かくなりませんね。温暖化はどこへ行ってしまったんでしょう。
< 番組 >
鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
春風亭正朝「肥甕(家見舞い)」
ロケット団「漫才」
柳家三三「湯屋番」
林家正楽「紙切り」
三遊亭歌之介「漫談」
柳亭市馬「普段の袴」
~お仲入り~
大空遊平・かほり「漫才」
春風亭一朝「初天神」
柳家小菊「粋曲」
柳家権太楼「百年目」
前座がなく、いきなり仙三郎社中「太神楽」が、いつ見ても鮮やか。
正朝「肥甕」、通常といくつか変わった所があった。
・兄いが新しい家に越したのではなく、新所帯を持った
・1軒目に瀬戸物屋に行き断られれて道具屋で肥甕を入手ではなく、いきなり知り合いの道具屋へ行く
・二人が肥甕に眼を付けるのではなく、道具屋の方から二人に勧める
こういう演出もあるか。
テンポ良くサラリと流す。
三三「湯屋番」、いつも思うのだが若手の中で女の描き方が飛びぬけて上手い。芸域が広いのはそのためだろう。
正楽の紙切り芸もさることながら、お題が出てからそれに相応しい曲を即座に弾くお囃子の腕前もスゴイ。この芸は紙を切る時間があいてしまうので、そこをつなげているのがお囃子なのだ。
歌之介「漫談」、この日は古典が続くので、中間にこういう爆笑モノを入れて正解。誰から教わったわけではなく全て独自に個性的な芸風をこさえたんだから、これはこれで大したもんだ。
市馬「普段の袴」、数ある出囃子の中でも一番すきなのはこの人の「吾妻八景」。華やかさとワクワク感があって寄席の出囃子にはピッタリ。
遊平・かほり、この日は「スローライフ」をテーマにしていたが、試行錯誤かな。
夫婦漫才(めおとまんざい)は大きく分けて二つのタイプがある。男が中心になるタイプと女が中心になるタイプで、この二人は後者。
このタイプでは過去の例でいうと、ミヤコ蝶々・南都雄二、島田洋之介・今喜多代、鳳啓助・京唄子、そして現役では宮川大助・花子がいる。
彼らに共通しているのは女性が極めて個性的であり、色っぽさがあった。だから女性が中心でも引っ張れたし客を惹きつけることができた。
処が、このコンビは実に平凡。近所にでもいるようなごく普通の夫婦に見える。かほりもこれといった特長がない。今のままだと、この辺が限界なのかな。
一朝「初天神」、いつもの半分ぐらいの時間で、でもツボは外さず。
小菊「粋曲」、相変わらず引き出しが多いね、もう何十回と聴いているが、それでも初めてという曲に度々出会う。
もう4年ほど前になるが、あるサイトで小菊はこう語っていた。
【最近、やっと満足に弾けるようになってきた。お客様たちが味わうように聞いて下さる。 「これで良いだろ。で、人生止まる。」 これからも、大好きな三味線と共に・・ そう、人生を止めることなく!】
こうした絶え間ない向上心、研究心が彼女の芸を支えているのだろう。
確か今年で芸歴が40年、あと40年は頑張って欲しい。
権太楼「百年目」
金毘羅舟舟にのってムスッとした表情で高座に上がるのはいつものこと。その後、顔を上げた時の表情が実に良かった。「寄席っていいですよねぇ」と言ってニコニコしている。こういう時の権太楼は期待できる。この人は結構神経質なんだと思う、不機嫌が顔に出るタイプだ。そういう時はたいがい出来が良くない。あたしの経験値だけど、多分間違ってないでしょう。
冒頭は店先で大番頭が他の奉公人に小言をいうのだが、まるで閻魔様のような恐い表情。でもこの小言は親身になって言ってるんじゃない。飽くまで早く店を出るきっかけにしたくて言ってるのだ。
やがて芸者、幇間の待つ舟に乗り込み、始めは慎重に、酔いが回るほどに次第に大胆に変身する大番頭。ここではすっかり旦那の扱い、顔は恵比寿様だ。
向島の土手は満開の桜、店から解放され周囲からはチヤホヤされすっかりいい気分になった大番頭、気が緩んでしまう。扇で顔を隠しながら、七段目の由良之介気取りで鬼ごっこ。
そこへ通りかかったのが、出入りの医者を連れた店の主人。大番頭といえども所詮は奉公人、主とは天と地の差がある。この場面で、権太楼は主の風格を示していた。
番頭は慌てて店に戻り、風邪だと言って二階に上がってしまう。後から戻った主人、この時には未だ不安と苛立ちが隠せない。
主は一晩かけて帳簿を検査する。しかし穴が一切みつからない。さすれば大番頭の才覚で稼いだ金で遊んだんだと納得する。もう暖簾を分けて独立させてやろうと、ここで主は決心する。
翌朝、大番頭を呼び、「旦那」の謂れを説明しながら上に立つ者の心構えを説くのも、大番頭の独立を見据えてのことだ。その主人の心が分かって大番頭は号泣する。
権太楼の演出は場面場面に応じた細かな心理描写が的確であり、笑わせるところは笑わせ、最後の主の説教の場面はしっかり締めるといった具合で、メリハリのある上出来の高座だった。
ここ数年の「百年目」ではこれがベストであり、今まで聴いた権太楼の高座の中でもベストだと思う。
久々に権太楼の良い高座に出会えた。
この日に来て良かった。
2013年5月1日、横浜にぎわい座で行われた第二十回「続・志らく百席」へ。ここのところ何だか立川流づいている。
5月1日といやぁメーデー、昔は家族連れかなんかでよく行ったもんだ。近頃はこの日にまとまった集会なんてやってるのかなぁ。あまり聞かないねぇ。
そんだけ労働組合運動が低調になってきた証拠か。だから法律を変えて、簡単に従業員を解雇できるようにしようなんて声が出てくるわけだ。
組合幹部だって今どきはすっかり出世の道具になってしまった。任期中に会社のいいなりになっておけば、幹部を辞めたとたんに管理職、出世コースが待ってるっていう寸法よ。これじゃ骨抜きにもなるさ。
このまんまじゃ、政府の攻勢をはね返すのは難しいかな。
さて6年かけて百席を演じた志らくが、次の百席に挑んでいるこの会、この日も前売り完売。
< 番組 >
立川志奄(しえん)「猿後家」
立川志らく「欠伸指南」
立川志らく「茶の湯」
~仲入り~
立川志らく「たちきり」
志らくがマクラで、林家たい平(志らくに言わせれば林家の突然変異、ただ一人まともな古典を演じられる)と二人会で地方公演をした時のエピソード。「林家たい平、本名を山田隆夫と申します」で会場はドッカーン。要するに落語を聴くというより、「笑点」に出ている有名な人を見にきてる。クスグリは全て「笑点」ネタ。これだけで終始大受け。後から志らくが出て行ったら会場は静まり返っていたとか。
たい平のこんなギャグも、東京の寄席でやれば白ける。だけど「笑点」を背負っている以上お約束で、演らなくてはいけなくなる。かくして「笑点」出演者は芸が荒れてくる。まあそういった所ですか。
志らくって落語が上手いですかね? ビミョーでしょう。
何がこの人の魅力だろうかと考えた時、あたしは「狂気」だと思う。要はマトモじゃないってこと。
先日の立川流落語会とこの日で、志らくの弟子たちの高座を観て思った。
弟子たちが何とか師匠の芸に追いつこうとする。次第に芸風は近づく。でも志らくの芸とは似ても似つかぬものになってしまう。それは狂気が無いからだ。
サイダーだって、炭酸が抜けりゃただの砂糖水。砂糖水のんだって旨くないでしょ、ヒリヒリしないもん。
喉がヒリヒリするのが気持ちいい人が志らくの独演会に来るんだろうし、そうでない人は遠ざかる。そんな気がする。
「欠伸指南」では、便所の欠伸や落語の欠伸(木久蔵、正蔵、金馬の高座だそうな)から歌舞伎で掛け声をかけながらの欠伸などを披露。数ある噺の中でも最もバカバカしいネタ、そのバカバカしさを増幅させる演出だった。
談志の録音では、ネタを先にして後からマクラを振るという演出が残されていたっけ。
「茶の湯」では、隠居が赤ん坊の時、片手で母親の乳を吸いながらもう片方の手で茶の湯を飲むという仕種を入れていた。しかもこの動作を何度も繰り返す。ね、マトモじゃないでしょ。
「青きなこ」は使わずに茶葉を包丁で細かくきざみ海苔で青みをつける。「ムクの皮」の代わりに石鹸を入れる。泡がたって飛んで行くと、隠居と小僧が「シャボン玉とんだ」を歌う。茶菓子はサツマイモをふかし練ってそこに灯し油と墨汁を加えて羊羹風の菓子にして、名前はジョンソン。ね、マトモじゃないでしょ。
三軒長屋も一軒目は商売が不明、三軒目は剣術指南と、これもオリジナルを変えている。
爆笑版「茶の湯」の一席。
「たちきり」では、百日の蔵住まいを終えた若旦那が置屋に駆けつけて芸者に合わせてくれというと、オリジナルでは女将が出て来て芸者は若旦那に捨てられたと思い込み死んだと告げる。そこを志らくは、芸者の幽霊が出て来て死に至る過程を語るという演出にしている。三味線も幽霊が弾く。
これはさすがの志らくファンでも評価が分かれるだろう。
下座が三味線で「黒髪」を弾くという演出もなく、「たちきり」(立ち切れ線香)の情緒が失われていたように思われた。
若旦那を説教する際の番頭の「肚」の見せ方も中途半端に感じた。
昨年末に聴いた桂宗助の高座の方が遥かに優れていたと思う。やっぱりこのネタは上方に限るか。
さて、猪瀬知事の失言で東京への五輪招致はさらに難しくなった。そこで、
「飛んで灯に入るイスタンブール」。
ダメだ、こりゃ。
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