#26三田落語会「さん喬・新治」(2013/6/22)
久々に晴れ間が見えた6月22日、仏教伝道センターで行われた”第26回三田落語会・夜席「柳家さん喬・露の新治」へ。
上方落語の露の新治が初登場となった今回。落語にあまり詳しくない方は名前をきいてもピンと来ないかも知れないが、昨年鈴本演芸場の中トリを務め好評を博していた。その後都内で独演会を開くなどで、東京の落語ファンにもお馴染みになりつつある。
< 番組 >(*:ネタ出し)
露の新治「狼講釈」
柳家さん喬「包丁」*
~仲入り~
柳家さん喬「ちりとてちん」
露の新治「大丸屋騒動」*
(お囃子:太田その)
露の新治の略歴については当日のプログラムにも紹介されていたが、もう少し補足したい。
1975年:林家染三に入門、林家「しん三」となる。
1977年:「林家しん三」から「林家さん二」に改名。
1982年: 露の五郎門下に移り、「露の新次」となる。
1991年:「露の新次」から「露の新治」に改名。
経歴から落語協会でいえば古今亭菊丸とほぼ同期ということから、中堅真打といった位置に相当すると思われれる。
入門前はサラリーマンやら家業の手伝いをしていたが、奈良県の夜間中学設立運動に関わたのが転機で、落語家となったようだ。
そうした経緯から人権問題に関心を持ち、「新ちゃんのお笑い人権高座」という人権講演会の講師としても活躍している。
最初の師匠である林家染三から露の五郎門下に移った経緯については明らかでないので、その林家染三について調べてみた。
「3代目 林家染三」(1926年10月8日 - 2012年6月12日)は、1958年に3代目林家染丸に入門し染蔵を名乗り、改字して染三とした。
「上方落語総合研究会」という会を弟子たちと共に発足。
その後、上方落語協会会長だった6代目笑福亭松鶴との確執があったため協会を脱退し「関西落語文芸協会」を設立している。
2000年頃まで西成区の「てんのじ村」で落語教室を開設していたとある。
弟子の中に、後に漫才師となった「オール阪神・巨人」がいる。
新治の移籍は、どうやら染三の協会脱退が関係していそうだ。
次の師匠の「2代目 露の五郎兵衛」(1932年3月5日 - 2009年3月30日)は、1947年に2代目桂春団治にスカウトされる形で落語家になった。
若い頃から東京の落語界との交流を持ち、特に2代目三遊亭百生や8代目林家正蔵(後の林家彦六)と親しかったようだ。
落語協会の客分となり、定期的に東京の寄席に出演していた時期もあるとされる。
こう経歴を調べてみると、新治の芸が、
一つは「3代目林家染丸」―「3代目 林家染三」の流れと
もう一つは「2代目桂春団治」―「2代目 露の五郎兵衛」の流れ
双方の芸を受け継いでいることが分かる。
また師匠の縁から東京の落語家とも交流が出来たと推測する。
ここまでがマクラ、長かったねぇ。
新治の1席目「狼講釈」
大阪でしくじった男が西国に旅に出るが一文無しとなって食い物もない。
幸い床屋をみつけ食事と一夜の宿を求めるが、僧侶か芸人でないと泊めないという。そこで旅人は講釈師だと偽り、庄屋の家に招かれて盛大な接待を受ける。いよいよ講釈を語ってくれと言われ、仕方なく逃げ出す。
ようやく山奥に逃げ込んだら、その一部始終を見ていた狼の群れに出会い食べてしまうと脅される。
命乞いした旅人は止むを得ず講釈を語るが、これがデタラメ。
「難波戦記」を始めたはいいが、それが忠臣蔵やら会津小鉄、那須与一、紀国屋文左衛門、森の石松、血煙荒神山、中山安兵衛、伽羅先代萩、天保水滸伝、鈴ヶ森、国定忠治、果てはフーテンの寅さんや柳亭市馬まで登場するハチャメチャぶり。
さて旅人の運命やいかに・・・。
大阪人の愉快なエピソードを枕に振って客席を沸かせ、本編では聴かせ所の講釈を名調子で語り続ける。
新治の十八番とはいえ見事な高座。
なお東京では「五目講釈」と「兵庫船」がこのネタに相当すると思われる。
新治の2席目「大丸屋騒動」
伏見大手町の商家大丸屋宗兵衛の弟・宗三郎は、祇園の舞妓おときと恋仲になったことが親戚の怒りを買い、3カ月の約束でそれぞれ、おときは祇園の富永町に、宗三郎は木屋町三條にそれぞれ別居する。
その際、兄の所持していた村正を請われて宗三郎に貸し与える。
兄としては、親類を説得させた上で、いずれは晴れて二人を夫婦にする算段なのだが、宗三郎には兄の思いが伝わらない。
番頭の監視下に置かれはや2ヶ月が過ぎたある夏の夜、おとき逢いたさに、宗三郎は、木屋町の家をぬけだして村正を腰に、富永町の家にやって来る。
そうした宗三郎の心情をうれしく思うおときだが、ここで宗三郎を入れたら二人が夫婦になる話が壊れてしまうと考え、訳を話して追い返そうとする。
しかし宗三郎は話が通じない。逆に愛想尽かしと勘違いし、怒って村正で鞘ごとおときの肩に食らわせると、鞘が割れ、おときを切ってしまう。
狂った宗三郎、下女と様子を見に来た番頭をも切り殺し、祇園界隈で多くの人に切りつける。ついには二軒茶屋での踊りに乱入し暴れまわる。役人も手が付けられない。
知らせをきいて駆けつけてきた宗兵衛は、血刀をさげた弟を見て肝を潰し、役人に自分が召し取ると訴え、役人の許しを得て宗三郎を後から羽交い締めにする。
狂った宗三郎が刀を振り回すが、どういう訳か兄はかすり傷一つ負わない・・・。
上方落語には珍しい人情噺であり、宗三郎と番頭の軽妙なやりとりから富永町で悲劇へたたみかける展開、後半の芝居噺風の演出など、かなりの難物で戦後しばらく演じ手がいなかった理由も分かる。
新治は端正な語り口と、後半の凄惨な場面を鬼気迫る所作で表現し、見応えがあった。この人の実力は大したものだ。
太田そのさんのお囃子も誠に結構、「京の四季」の唄声にウットリしてしまった。
新治の2席の高座は東京のファンの期待に十分応えたと思われる。
東京の噺家、こりゃウカウカしてられませんぜ。
長くなってしまったので、さん喬の評は割愛。
次回の三田落語会は都合でパス、連続参加記録が途絶えてしまうのは残念だけど。
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やっぱりおいでになってらしたんですね。
さん喬も力がうまく抜けて楽しい一夜でした。今回新治が初めてという落語仲間もすっかりはまって、これからおっかけると、嬉しいような競争率が高くなってちょっと困るような^^。
投稿: 佐平次 | 2013/06/23 09:48
佐平次様
新治、渾身の2席、あれははまりますね。
「大丸屋騒動」の殺陣、背中がゾクッときましたよ。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2013/06/23 15:09
「まいどおおきに露の新治です」HPの管理人です。お世話になります。
勝手ながら、新治の上記HPに、貴ブログのリンクを貼らせていただいております。ご了解いただきますよう、お願いいたします。不都合でしたら削除いたしますのでご連絡ください。
今後とも露の新治をどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: MORI | 2013/06/27 02:57
MORI様
どうぞどうぞ、こんな拙文がお役に立てれば幸いです。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2013/06/27 08:36