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2013/08/08

二兎社「兄帰る」(2013/8/7)

6月7日、東京芸術劇場シアターウエストで上演中の”二兎社公演38「兄帰る」に。
14年前に岸田國士戯曲賞を受賞した作品の再上演というこの芝居、どうやら「処世術」「世間体」「しがらみ」といったものがテーマのようだ。
これを家族関係を通して描くそうだが、何も家族に限らず、というより日本社会の中では上記の言葉が渦巻いている。
このテーマを永井愛がどう処理しているのかが楽しみだった。

作・演出:永井愛
<  キャスト  >
鶴見辰吾:中村幸介
堀部圭亮:幸介の弟・中村保、食品会社の宣伝部門   
草刈民代:その妻・中村真弓、フリーライター
伊東由美子:幸介の姉・小沢百合子 
小豆畑雅一:その夫・小沢正春、電器会社の修理部門
二瓶鮫一:幸介の父方の叔父・中村昭三、段ボール会社顧問
藤夏子:幸介の母方の叔母・前田登紀子、酒屋     
枝元萌:真弓の友人・金井塚みさ子、自然食品店

ストーリーは。
中村保、真弓夫婦の住む戸建住宅(2階建て)居間が舞台。
季節は夏、夫婦の一人息子はオーストラリアのファームステイ中。
その瀟洒な家に、多額の借金を抱えて雲隠れし10年以上も行方不明だった兄の幸介が訪ねてくる。
職を転々としたあげくホームレスをしていたとかで、「今度こそやり直します、今度こそ、今度こそ・・・」と再就職を頼み込み、幸介は保の家に居座る。
保夫妻にとってはいい迷惑だし、就職先など簡単に見つかるはずがない。
そこで親類の力を借りようと、姉、叔父、叔母らに助力を求めるが、互いの対立や責任の押し付け合いで、話は一向に進まない。
こうした状況を損得勘定抜きに見渡せるのは幸介だけだというおかしな状態になっていく。
真弓もまた、夫を含むこの中村一族どんなにその場しのぎの生き方をしてきたかが見えてくる。親戚だという理由だけで、いがみ合いながらも共同体意識だけは崩さず、なんとか体裁だけは繕うというが奇妙でならない。
真弓がはく正論は家族の中では浮いてしまい、非難の目さえ向けられる。
幸介は、自分と同じように傍観者になってしまった真弓に親近感を抱き始め、幸介と真弓の間に不思議な交流が生まれが・・・。

幸介の就職も決まりかけ収束に向かうと思わせて、最後のどんでん返しが待っている。それは見てのお楽しみ。

正論は振りかざして立ち向かう真弓だが、フリーライターとして仕事を貰うためには事実でないことを書くことも強要され、板挟みで悩む。
さらに自分の息子と友人の金井塚の息子がともに、野球部の合宿に参加せずオーストラリアのファームステイに出したことが野球部の保護者から非難されていることが分かり、金井塚と一緒にせめて合宿の手伝いににでもと思い立つなど、ここにもシガラミや世間体が顔を出す。
作者の永井愛はそうした人々を温かい眼でみつめ、幸介の行方を含めてハッピーエンドを用意していた。

日本社会に横たわる大きな問題を投げかけながら、最後は「それも仕方ないじゃない」と肩すかしを喰わされたような気分だ。
これが永井愛流なのだろう、人間賛歌。
ボクなら少なくとも中村幸介には共感できないけどさ。

幸介の弟、姉、叔父、叔母は、それぞれ自分の親戚に置き換えられるほどリアリティがあり、俳優も揃って好演で主役を盛り立てていた。
特にエネルギー溢れる伊東由美子の演技と、二瓶鮫一の飄々としながら時に狡猾さが顔を出す演技が印象に残った。
草刈民代は姿勢が良い、あの姿勢だけでこの役を射止めたか。
鶴見辰吾は「地」ですかねぇ。

公演は10月4日まで、各地で。

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コメント

草刈は「シャルウイダンス」だったかはダンサーのまんまで済んだけれど、テレビなどでみていると「でくのぼー」という感じがしたような記憶があります。

佐平次様
まあ草刈民代はダイコンですね。
小泉今日子同様、脇の役者は苦労したでしょう。
興行的にはスター起用は仕方ないんでしょうけど。

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