「暑いねといえば暑いねとこたえるクソ暑さ」、連日猛暑日がつづきますなぁ。
でも去年までの電気が足りないキャンペーンは、今年どうなちゃったんでしょうね。政府が原発再稼働方針を決めたとたん引っ込んじゃいました。ヤッパリね。
鈴本演芸場8月中席夜の部は「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼 特選集」で、その3日目に出向く。
二人は既に10日分ネタ出ししていて、この日が一番面白そうだからということで選んだ。
前売りは完売だったが、開演時には当日券が多少残っていたようだ。
< 番組 >
柳亭左龍「宮戸川」
三増紋之助「曲独楽」
春風亭一朝「転失気」
隅田川馬石「臆病源兵衛」
柳家喬太郎「宗漢」
江戸家小猫「ものまね」
春風亭一之輔「初天神」
露の新治「狼講釈」
~仲入り~
林家二楽「紙切り」
柳家さん喬「小言幸兵衛」
鏡味仙三郎社中「太神楽曲芸」
柳家権太楼「佃祭」
今回の寄席の注目点は「露の新治」。
「盆と正月が一緒に来た」 という言葉があるが、寄席の世界ではお盆と正月は昔から特別興行として人気者を並べ集客する。この席に出られる、とりわけトリや中トリは名誉だろう。
その盆の寄席の中トリに上方落語からゲストを招くという企画については、必ずしも歓迎する噺家ばかりではあるまい。
中トリなら落協にも出来る人は大勢いる。
そうした中で露の新治をどう迎え撃つか、そこに注目したい。
開口一番が左龍だから豪華だ。ネタは「宮戸川(序)」。
地味だが着実に上手くなっている。
左龍の描く霊岸島のおじさんは元遊び人だろう。酸いも甘いもかみ分けていると同時に女性には目が無いタイプだ。お花が外から玄関に入ってくるのを見つめる目は、男が若い女性を見る目だ。半七がグズグズ言うと、「お前が嫌なら叔父さんが取っちゃうぞ!」というセリフは半分は本音だ。だから婆さんが焼き餅を焼く。
お花が半七と夜更けに出会うのも、実はお花が待ち伏せしていたという設定。叔父さん宅の2階で二人きりになった際もお花が終始積極的な姿勢を見せる。
独自の解釈もピタリとハマリ好演。
一朝「転失気」、一口でいうと不出来。
先ずマクラでおならの事に触れたが、これでは最初から種明かしをしているようなものだ。
もちろん客はこのネタの筋は知ってるが、それは知らないというお互いの約束のはずだ。
この噺の眼目は、和尚と医者の演じ分けにある。それぞれをそれらしく演じねばならぬ。一朝の高座では二人の区別がつかない。
馬石「臆病源兵衛」、結構でした。
先ずネタの選定が良い。寄席にかかる機会の少ない演目だがお盆の季節にはピッタリ。この時期だからやはり季節感のあるネタを演じて欲しいのだ。
暗所恐怖症の源兵衛の恐がり方に客席が沸いていたが、何よりこの人は「間」がいい。滑稽噺にも磨きがかかり、これから更に飛躍するのは確実。楽しみな存在だ。
喬太郎「宗漢」
ちょっと「金玉医者」に似てるがこちらは「宗漢」。珍しいネタで恐らく喬太郎しか演じ手がいないのではなかろうか。
名医だけど貧乏な「宗漢」という医者が、隣町のある家に往診に行くのに、下男を首にしていてお供がいない。そこで妻を男装させてお供として連れていく。
無事診察も済んで帰ろうとすると大雨で帰れなくなり、一晩泊まることになる。
夜具の余分がなかったので医者は主人の倅と、お供(妻)は下男の布団で寝るはめになる。
翌朝医者たちが帰ってから、倅が「お父さん、昨夜ボク、あのお医者さんと寝たでしょ。あのお医者さん、貧乏だね」「なぜ?」「フンドシしてなかったよ」。
それを聞いていた下男が、「そりゃそうだろう。あのお供なんか、金玉がなかったからな」。
そう面白い噺ではないが、馬石に続き珍しいネタを敢えて続けて掛けたところに喬太郎の心意気を感じた。
一之輔「初天神」
もう何度聴いただろう。その度に金坊がパワーアップし、ますます手におえない存在になっている。
こうした工夫が一之輔の人気を支えているのだろう。
この人の高座はリズムが良い。だから少々アクの強い演出をしても心地よいのだ。
場内は終始大爆笑。一之輔が敢えて季節外れのネタで勝負してきたのも、中トリの新治に対する挑戦とみたのは穿ち過ぎだろうか。
少なくとも、この後の出番はやりにくい筈だと。
新治「狼講釈」
「待ってました」の掛け声と大きな拍手で迎えられての登場。鈴本には昨年に続き2度目の出場で、この間東京で何回か落語会を開いていて、お馴染みになりつつある。もしかすすると新治は大阪より東京の方が人気が高いのではと、そんな気さえする。
ネタは先日の三田落語会と同じだが、出だしはやや硬さが見られてものの中盤から本調子になり、得意の講釈では一気呵成、客席の反応も良かった。
ただ前に演じた3人から、かなりのプレッシャーは受けていたのではなかろうかと、これは推測だが。
さん喬「小言幸兵衛」
さん喬の欠点は丁寧さがクドさになり、リズムを悪くしてしまうことだ。
一例をあげれば、大家が「飴屋ならベトナム」というと仕立て屋が「飴屋だけにベトナムとは、大家さまも洒脱な方ですね」と返す。この繰り返しが余計だし、噺の流れを崩してしまう。こういった所が随所に見られた。
それと大家が「お前のところに鮫鞘の刀はあるか?」というと、仕立て屋が「鮫鞘はございませんが陸軍払い下げのサーベルはございます」と答える場面は欠かせないように思うのだが。
このネタに関しては、全体として弟子の喬太郎の方が出来が良い。
権太楼「佃祭」
45分の長講だが、次郎兵衛が出かけるまでの前半と、与太郎が身投げを探す後半がカットされていた。
後半はともかく、前半の場面で次郎兵衛の女房が極度の焼きもち焼きだと分からせるシーンは、この噺の骨格部分にあたるので欠かせない。だから次郎兵衛は無理を言ってでも早く舟を出してくれとせがむのだ。前半を切っているとここでの説得力が無くなってしまう。
長屋の衆が次郎兵衛の遺体を探しに行く場面もカットされていたが、女房が証として「二の腕に”たま命”と彫り物があります」というセリフもこのネタには欠かせない筈だ。
次郎兵衛と船頭の女房との会話は人情噺風に掘り込まれていて良かったが、上記の点に不満が残った。
むしろ仲入り前の好演が印象に残ったお盆興行だった。
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