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2013/09/23

「チャリティ和一寄席」(2013/9/22)

9月22日、「タワーホール船堀」小ホールで行われた「チャリティ和一寄席」へ。
都営地下鉄で江戸川を渡ると船堀駅で、会場は駅前。
知らないで行ったのだが、盲人関係の団体が共催して開いた落語会で、お客の大半は眼の不自由な方とその付添いの方だった。
こういう会で前座以外の出演者が全員、盲人を主人公にしたネタを演じるという極めて珍しい企画だった。出演者もそうした点に配慮することなく、普通に演じていた。
客席は一杯の入り。

<  番組  >
前座・春風亭一力「桃太郎」
林家たけ平「麻のれん」
入船亭扇辰「心眼」
~仲入り~
林家時蔵「杉山検校」
古今亭菊之丞「景清」

順序を入れ替えて、この会のタイトルである「和一」だが、近代日本鍼灸の中興の祖とされている「杉山和一」から採られたものだ。
お馴染みのない名前かと思うと、落語の中にも出てくる。
「手紙無筆」で兄いが書道の流派を言い立てる場面があるが、みなデタラメ。
「それじゃ、杉山流だ」
「そりゃ、按摩だよ」
というヤリトリがあるが、その「杉山流」の元祖といえば分かりやすい。
「公益財団法人杉山検校遺徳顕彰会」の資料によれば、杉山和一(1610-1694)の生い立ち、業績は次のようだ。
伊勢の藤堂藩士の嫡男として生まれたが、幼くして伝染病により失明した和一は家督を義弟に譲り刀を捨てて医の道に進む。
17,8歳ごろ、江戸で開業する盲人鍼医・山瀬琢一に入門するが、22歳ごろ記憶力がわるく技術も向上しなかったため、師の下を破門される。
目の不自由な自分が生きるためには何かを成就大成させねばならぬと、芸能の神であり盲目の守護神でもある江の島弁財天の祠に詣でて断食修行を行なう。その帰り道、石につまづき倒れた時に手にひろった松葉の入った管から、管鍼術の着想をえたと伝えられている。そして京都にのぼり入江流鍼術などの奥儀を学び再び江戸に出て開業する。
鍼の施術法の一つである管鍼(かんしん)法を創始。鍼・按摩技術の取得、教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設「杉山流鍼治導引稽古所」を開設した。
これが明治以後の盲学校設立と、後の職業教育に鍼・按摩が取り入れられた経緯へとつながるのだそうだ。
徳川5代将軍綱吉から重用されて旗本に登用、盲人としては最高位の総検校の地位に登りつめたというから権勢を極めたわけだ。
時蔵「杉山検校」は、こうした和一の生涯をエピソードを中心に笑いも散りばめての高座だった。
ただこうした偉人伝というのは落語にはピッタリこない気がする。やはり講談の世界だ。
このチャリティ寄席も元々は時蔵は始めたのがきっかけだそうで、冒頭の主催者挨拶でも時蔵に対する謝意が述べられていた。

たけ平「麻のれん」
後から登場する扇辰の目の前でこのネタを演じるのはかなり度胸が要ったことだろう。その点は買うにしても、未だネタが完全に身についていないのか言葉にバラツキがあった。杢市の盲人としての動作もぎごちない。
それと、このネタの酒の肴は枝豆だろう。
課題ばかり眼についたが、これから完成度を上げていくのを期待したい。

「心眼」と「景清」、ともに盲人が神仏に願掛けして眼があくというストーリーと、ともに黒門町の十八番(おはこ)だったという共通点がある。
しかし大きな違いは、「心眼」の梅喜は生まれながらの盲目であり、献身的な女房・お竹に支えられている。せっかく眼があいたと思ったら、芸者・小春へ心変わりをしてしまう。それも全ては夢、一炊の夢物語だったというストーリー。
「あああ、夢か。……おい、お竹、おらあもう信心はやめるぜ」
「なぜさ?」
「目が見えねえてえなあ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よォく見える……」
というサゲに、梅喜の女房への感謝の気持ちが表れている。
扇辰「心眼」
最初に梅喜が弟を頼って横浜まで出かけるが、盲人としてバカにされ追い返されて戻った悔しい思いをお竹にぶちまけるシーンは胸を打つ。隣の女性客が盛んに涙を拭いていた。
満願の日を迎えても眼があかない時の怒り、そしてその後の開眼が分かった時の喜びの対比、ここも扇辰の演技が光る。
小春の色香に迷うシーンでは、梅喜の奥底にあった欲望を覗かせ、最後のサゲを効果的にしていた。
扇辰、上々の一席。

対する「景清」は、元は腕のいい木彫師だったが、酒色に溺れた挙げ句に目が不自由になった定が主人公。梅喜とは異なり根っからの遊び人だから、同じ盲人でもその風情を出すことが演者には求められる。
心配かけてる老母のためと赤坂の日朝さまに願掛けして一時は眼が見え掛けるのだが、偶然隣でお詣りしていた女性の色香に迷ったため元の木阿弥。
梅喜も定も、大事な時に女性に現を抜かすんだから男ってぇものはしょうがないですな。
石田の旦那の勧めで、今度は上野の清水様へ100日の願掛け、100日の満願になっても眼があかず、
「やい観公、よくも賽銭を百日の間タダ取りしやがったな、この泥棒」
と怒鳴っているところを石田の旦那に諭される。
帰宅の途中、一天にわかにかき曇り突然の雷雨。近くに落雷があり定が気を失う。
しばらくすると雨が上がり、気が付いた定が空を見上げて「綺麗な月だなぁ」。眼があいたのだ。
こちらはハッピーエンドの物語。
菊之丞「景清」が描く主人公の定、いかにもこの人らしい粋で明るい人物像を作り上げたいた。
眼があかない時に神仏へ怒りをぶちまける時も、職人が啖呵を切るようなセリフ廻しで「心眼」との違いを見せてくれた。

最後を明るく締めて、この会をお開きに。

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