「イーハトーボの劇列車」(2013/10/9)
10月9日、紀伊国屋サザンシアターで上演中の「こまつ座第101回公演『イーハトーボの劇列車』」を観劇。
タイトルの通り宮沢賢治の評伝ともいえる作品。当ブログのタイトル「ほめ・く」は、賢治の「雨ニモマケズ」から採っており、小学5年生の時に書いた放送劇用の台本は、賢治の「どんぐりと山猫」を脚色したもの。ご縁を感じる作家なのだ。
宮沢賢治と言う人は不思議な星の下に生まれ死んでいった。生まれたのは1896年、明治三陸大地震大津波の直後であり、亡くなったのは1933年の昭和三陸大地震と岩手県を襲った大津波の前だ。
日本の傀儡国家である満州国が建国されたのは賢治が亡くなる前年の1932年だが、賢治が入信していたのは日蓮主義の在家教団「国柱会」で、石原莞爾らも所属していた国粋主義の教団だった。
石原莞爾中将の「東亜連盟」構想や「世界最終戦論」、更には石原が参謀であった満州国建国の思想的バックボーンとして、国柱会の思想は多大な影響を及ぼした。
「八紘一宇」も元々は国柱会のスローガンだ。
いや石原だけではない、大東亜の思想的指導者であった井上日召や北一輝も日蓮宗の信徒だった。
仏教系宗派の中でも法華経、日蓮宗は突出して大東亜戦争に積極的に係わっていく。
歴史に「もしも」は無いことを承知で言うのだが、もし宮沢賢治があのまま生きていたなら、戦争との係わりあいは避けられなかったのではと想像する。そうなれば後世の評価は変っていたかも知れない。
死後、賢治が世間に知られるようになったのは、何といっても詩人・草野心平の力だ。
もし草野心平なかりせば、宮沢賢治が偉大な文学者としてその名を残すことはなかったかもしれない。
ここまで、ちょいとマクラが永すぎましたね。
作 :井上ひさし
演出:鵜山仁
音楽:宇野誠一郎
演奏:荻野清子
< キャスト >
井上芳雄:宮沢賢治
辻萬長:父・政次郎/刑事・伊藤儀一郎
大和田美帆:妹・とし子/女車掌ネリ
木野花:母・イチ/稲垣未亡人
石橋徹郎:三菱商事社員・福地第一郎
松永玲子:妹・ケイ子
小椋毅:山男
土屋良太:熊打ち
田村勝彦:人買いの男
鹿野真央:人買いに売られた女
大久保祥太郎:少年
みのすけ:赤い帽子の車掌
先ず舞台中央に楕円形の盆が置かれ、役者はその上で演技する。この「盆」が列車であり、賢治の宇宙でもある。
宮沢賢治というとイメージとして生涯を生まれ故郷の花巻で過したローカルな作家を思い描くかも知れないが、実際は9回上京をしている。若いころはそれなりに野心があっただろうし中央の文化にも触れたいと願っただろう。父親との葛藤から家出という形もあり、時には自身の仕事のためもあった。
15年間に9度、花巻~東京を往復したのだから、当時としてはかなり行動的な人だったといえる。
芝居では1918年、妹・とし子の入院の知らせを受けて見舞いのため上京する所から始まる。
賢治の目的は見舞いだけではない。自立のために人造宝石の研磨という事業を起こすという夢があった。また父親の生業である質屋という職業を嫌い、加えて父親が浄土真宗の熱心な信徒であるのに対し、賢治が法華経に入信し家族に改宗を迫って対立したという背景もあった。
病院でとし子の隣のベッドにいた娘の兄というのが三菱商事の社員・福地第一郎。賢治との間で都会のセレブ対花巻の農民という図式の論争が起き、賢治が打ち勝つ。
ここで初めて夜行列車の車掌が現れ、賢治に若くして亡くなった人の「思い残し切符」を手渡す。以後、上京の度にこの「思い残し切符」が渡される。
次は1921年の上京で、この時は家出同然だった。法華経にますますのめり込む賢治を連れ戻しに上京してきた父親との間で宗論を戦わせる。
賢治は浄土真宗にとってのユートピアは西方浄土という別の世界だ、それに対して日蓮の教えはユートピアは自分たちが立っている大地そのものをユートピアに変えていくことだと反論する。
すると父親は、お前のしていることは東京という西方浄土での成功を目指していて矛盾している。日蓮の教え通りなら花巻という大地を変えてゆかねばならないと諭される。
1926年の上京は、東京でエスペラント語を学び、チェロ、オルガン、タイプライターを習うのが目的だった。花巻から尾行してきた刑事と対峙しここでも論争するが、賢治が自分は常に百姓の味方であり自身もその一員だと主張すると、刑事はなんでお前が百姓なんだ、親の経済的援助を受けて生活している人間に百姓を語る資格はないと叱られる。
そして1931年、賢治は東北の砕石工場で生産された石灰石を販売するために上京、ここで三菱の福地と再会する。福地は三菱の満州駐在員として赴任することが決まり、国柱会に入信したことを明かす。
福地は新国家実現のために満州行きを勧めるが、賢治は自分は飽くまで花巻を、そして全国の村を、世界の中心にするために働くという決意を示す。
この時に高熱を発するが、そのまま体調を崩し2年後に賢治は亡くなる。
芝居は宮沢賢治の半生を虚実ないまぜに描きながら、賢治の書いた作品、「注文の多い料理店」「紫紺染について」「なめとこ山の熊」「グスコーブドリの伝記」「銀河鉄道の夜」などの登場人物が、上野行き夜行列車に同乗してきて、実在の賢治と交差するという仕掛けになっている。
賢治が多岐にわたる才能を持ち、花巻を理想郷にするという夢を最後まで追い求め、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という心境に達していながら、早逝のためにその夢が実現できなかった。その無念さが「思い残し切符」という形で表現されている。
当時の東北地方の農村の苦境や、それに対する都市の繁栄、太平洋戦争の口火となる満州国の建国と「国柱会」や三菱財閥が果たした役割なども簡潔に描かれていた。
賢治も一方で農民の側に立つと宣言しながら、経済的には最後まで親がかりだったいう自己矛盾と苦悩も描かれ、人間ドラマとしても良く出来ている。
井上ひさしの戯曲の中でもかなり上位に位置する作品である。
出演者では、なんと言っても主役の井上芳雄の好演が光る。少々恰好良すぎるのが欠点だが、宮沢賢治というのはこういう人間だったのかと思わせる説得力のある演技だった。
ここ何回かの井上の芝居での主役としては飛び抜けている。
父親と刑事の二役を演じた辻萬長の存在感が圧倒的だ。この人のセリフを聞いていると思わず肯いて納得してしまう。そこに居るだけで「こまつ座」なのだ。
賢治と正反対の人物である三菱社員を演じた石橋徹郎が良かった。機を見るに敏で時流に乗りながら、芝居では描かれていないが最後は破滅するタイプの人間を暗示させていた。
木野花が安定感のある演技を見せ、大和田美帆が可憐。
その他の出演者も総じて好演で、さすが「こまつ座」と思わせてくれた。
公演は東京が11月17日まで、以後は各地で12月1日まで。
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今切符を取りました。ちょっと高いけれどしょうがない^^。
投稿: 佐平次 | 2013/10/11 11:11
佐平次様
近ごろの「こまつ座」は入場料が高いのが欠点ですが、この芝居は見る価値があると思います。
投稿: HOME-9(ほめ・く) | 2013/10/11 12:08
遅レスで失礼します。
この作品のこまつ座公演(86年)を観たのが井上芝居にはまるきっかけだったのに、再見する機会がなかったのですが・・・。
11月23日の西宮公演を観て、「代表作が何本もある中で、もしかしたらベストかも」と思いました。
あそこまで賢治の限界を描けるのは、井上さんが賢治を愛し抜いているからで・・・。
それが最後にプラスに反転する仕掛けは、短く感じられる論争シーン共々、やはり凄いですね。
井上芳雄は美形過ぎるだけでなく、坊主頭にしない点で外見は失格なのかもしれませんが・・・。
「音」「意味」を同時に表現する台詞術、そして聖性と、内面は「賢治そのもの」でした。
「福地第一郎」(モデルはいるそうですが)はぼんぼんぶりや妹との濃過ぎる関係、そしてファシズムとつながる宗教への傾倒と、賢治のダークサイドの分身だと分かりましたが・・・。
石橋徹郎(東映の悪役スターで武道家でもある石橋雅史の子息)は、そう思わせる快演でした。
賢治の父と刑事伊藤の二役は、やはり佐藤慶が絶品で・・・と言うと、「菊吉爺」いや「志ん文爺」になってしまいますが・・・。
台詞の明晰さに加え刑事が切れる迫力は、辻萬長ならではでした。
投稿: 明彦 | 2013/12/16 00:10
明彦様
小学生の頃は宮沢賢治に傾倒しておりましたが、成人になって満州開拓団の事務所に宮沢の詩が掲げられていたと聞いて、この人の思想の多面性に注目していました。
この芝居ではその辺りを上手に描いているなと感心しました。
井上ひさしの代表作の一つであることは間違いない所です。
投稿: HOME-(ほめ・く) | 2013/12/16 21:51