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2013/10/15

#63扇辰・喬太郎の会(2013/10/14)

10月14日、国立演芸場で行われた「第63回扇辰・喬太郎の会」へ。
数ある落語会の中でも最もチケットを取るのが難しい会の一つ。主催者は東京音協だが今まではネットで申し込みを受け付けていたが、今回から電話のみの受け付けになってしまった。
人気の秘密はもちろん顔づけなのだが、もう一つ、毎回二人1席ずつネタ下しをするという趣向にある。それもネタ出しされるので、二人がどういう風に演じるのかという楽しみがあるわけだ。
落語会もただ漫然と行うのでなく、それぞれにこうした特色を持たせる工夫があれば大歓迎だ。

<  番組  >
前座・入船亭ゆう京「のめる」
入船亭扇辰「恵比寿の鯨」
柳家喬太郎「品川心中(通し)」*
~仲入り~
柳家喬太郎「擬宝珠」
入船亭扇辰「一眼国」*
(*印:ネタ下し&ネタ出し)

予めお断りしておきますが、今日の記事は普段よりチョイと長くなります。

扇辰の1席目「恵比寿の鯨」
本田久作の新作とのこと。
マクラでは説明が無かったが「なぜ恵比寿でクジラ?」かというと、クジラは古来、七福神の一柱で漁業の神とされる「恵比寿様」と同一視され、日本各地でクジラを「えびす」と呼びならわしてきた歴史があるという。
これに眼を付けた恵比寿地域の人たちが、「目黒の秋刀魚」の向こうをはって「恵比寿の鯨」で売り出そうという街起こしの一環で創られたようだ。
客が来なくて悩んでいた獣肉料理店を営む夫婦が、七福神の恵比寿さまに商売繁盛を祈願したところ、魚河岸に大きな鯨が打ち上げられた。
魚屋では調理できないので獣肉料理店の主人に始末を頼むということでタダ同然で鯨肉が手に入った。
早速、名物料理となる「鯨汁」を作ったところ、これが大評判となり商売繁盛。
恵比寿様で当たったんなら次は大黒だねと夫婦で話しているところへ、女が「鯨汁」を買いにくる。きけば旦那は僧侶。「それで大黒(僧侶の女房を表す隠語)か」。
新作のお披露目が9月だったので、こちらも出来立てのホヤホヤ。
扇辰は全体を古典落語風に演じて、「鯨汁」を旨そうに食べる場面を見せ場にしていた。
作品の演者を扇辰に選んだのは正解で、他の噺家では間が持たないネタだろう。
ただ「目黒」の方は庶民の視点で殿様を笑いものにするという批判精神があるのに対し、この作品にはそうした要素がなく、対抗馬にはなり得ないと思う。

喬太郎の1席目「品川心中」
ネタおろしでどう演じるかと思ったら、これが珍しい後半を入れた通しだった。
四宿の説明や現代の風俗街の模様をマクラにタップリ振って本題へ。
このネタは何といっても志ん生の極め付けだが、これに唯一対抗しうるのが先代の馬生で、近ごろの他の演者と同じく喬太郎も馬生の演出に倣っていた。
前半のお染が死のうと思う所は誰でも納得できるのだが、なぜ金蔵が一緒に死のうとしたのか、その辺りの描写が腕の見せどころとなる。
喬太郎はお染の勢いに呑まれて金蔵がうっかり一緒に死ぬと口を滑らせ、もう後へ引けなくなったという様な解釈だったようだ。逃げようと思えば逃げられたものを金蔵は律儀だ。そういう性格に付け込まれたということか。
さて、後半だが喬太郎はオリジナルを変えて簡略化していた。
金蔵から心中のし損ないでお染が裏切った一件を聞いた親分は、ひどい女だと怒り一つ仕返しをしてやろうと金蔵に一芝居打たせる。
金蔵が白木屋に引き返し、お染は幽霊かと思ってびっくりするが、とにかく部屋へ上げる。
詫びるお染に金蔵は気分が悪いから寝かせてくれと頼み、枕元に一膳飯に箸を一本刺させ、線香を置かせる。
そこへ現れたのが親分たち、死んだ金蔵の弔いに線香を上げてくれとお染に頼む。
お染は、たった今しがた金蔵が来たばかりだとせせら笑う。
それならとお染と親分たちが一緒に金蔵の寝ている部屋に行くと、もぬけのカラ。布団を剥いでみればそこには金蔵の位牌が。
幽霊だと、お染はもうオロオロするばかり。
そこで親分が「おめえがせめても髪を下ろして、済まなかったと謝まれば、金公も浮かぶに違いねえ」とお染に言うが、それだけは勘弁とお染が逃げ回る。
「尼(アマ)になれ」と追いかける親分たち、逃げ惑ったお染は最前金蔵が飛び込んだ桟橋に追い詰められて、ドボン。
「これで海女(アマ)になった」。
後半をオリジナルの半分程度に短縮し、サゲも変えていたが、間然とすることなくスピーディで良かったと思う。
余計なクスグリを入れず古典を真っ直ぐに演じながら客席を沸かせていたのは、さすがというしかない。
語りの確かさ、人物の演じ分けなどの基本がしっかりしているからだ。
ネタおろしとしては会心の出来だった。

喬太郎の2席目「擬宝珠」
明治の通称ステテコの圓遊の作で、今では完全に埋もれた作品を喬太郎が掘り起こしたネタだ。
速記から起こしたもので、どうやら初代圓遊作、喬太郎編といった按配のようだ。
「あまちゃん」のマクラを振って本題へ。
さるお店の若旦那、気鬱の病いでふさぎこんで食べる物も喉を通らない。このままだと命が危ないというのだが、原因を親にも店の者にも医者にも話さない。
そこで幼な馴染みの熊さんを呼んで、若旦那から悩みを聞きだす。
「実は、擬宝珠が舐めたい」。
若旦那、昔から金物を舐めるのが大好きで、今舐めたくて仕方ないのが浅草寺の境内の五重塔、あのてっぺんの擬宝珠が舐めたい、と言い出す。
これを大旦那に報告すると、伜の命にかかわる事だからなんとかしましょうということに。
浅草寺様に話を通して足場を組み、引きずるように伜を連れてくると、若旦那は猿(ましら)の如く足場を登っていく。五重塔のてっぺんに上がると、宝珠にしがみついてベーロベロと舐め始めた。
すっかり元気になって下りてきた若旦那に、
「伜や、どんな味がした?」
「沢庵の味が致しました」
「塩の加減は三升かい、五升ばかりかい?」
「いいえ、緑青(ろくしょう)の味が致しました」。
ネタ下しが済んだ解放感か、自家薬篭中のネタを気持ち良さそうに演じた。
さながら、この日は喬太郎デーのような趣き。

扇辰の2席目「一眼国」
その昔、両国界隈には多くの見世物小屋が林立していたが、インチキも多かった。
赤ん坊を食らう鬼娘とか、オドロオドロしい割には内容はさっぱり。こうなると客も飽きてきて、小屋はガラガラ。
困った見世物小屋の主が、全国を歩いている六部に何か珍しいものを見たことがないかと尋ねると、
「江戸から北へ百里ほど、広い野原の真ん中の大きな榎木の近くで、一つ目の幼女を見たことがある」と打ち明けられる。
これは商売になると興行主は早速旅支度。
主がその場所を訪ねて探していると、一つ目の女の子を見つけた。騙して近くに来た所で娘を小わきに抱えて帰ろうと思ったら、「キャー」と叫ばれてしまった。
途端に早鐘が鳴り、周囲を人にとり囲まれて逆に捕まってしまい、奉行所に引き立てられる。
取り調べが始まり無理やり顔を上げさせられると、奉行や役人を始め全員が一つ目。一眼国に迷い込んでしまったのだ。
「やや、ご同役、こやつ目が二つある」
「調べはあとじゃ、早速見世物小屋へ出せ」。
短いながら「常識」を逆手に取ったもので面白い噺ではあるが、筋書は単純。小咄に毛の生えた程度のことで、むしろネタに入る前の見世物小屋風景の描写が聞かせ所だ。
このネタを得意としていた先代正蔵もそうした演出だった。
さてネタおろしの扇辰の演出だが、なぜか興行主が六部に話をせがむ場面に余計な時間をかけてしまった。
このため間延びした感が拭えず客席もダレ気味だった。
ここはテンポよく運んだ方が良いし、あまり時間を掛けるような噺でもない。
次回から工夫が必要だろう。

この日の二人会、喬太郎の勢いに扇辰が押されてしまったようだ。

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コメント

喬太郎は力があるのですから、、迷わず、と思いますが、いろいろ考えるのでしょうね、みんな。

佐平次様
ネタおろしというのは先人の芸を継承しながら、どう自分の個性を出して行くのか、その辺りの加減に苦労するんでしょうね。
この日の扇辰はやや的を外した感がありました。

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