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2013/11/06

「伊賀越道中双六」(2013/11/5)

11月5日、国立劇場で行われた「通し狂言『伊賀越道中双六』(いがごえどうちゅうすごろく)」へ。
ここのところ日々食品偽装のニュースが流れる。
安倍首相による例の、汚染水は「完全にブロック」だの「コントロールされている」だのという発言も偽装だった。結果としてある範囲にとどまっている事とコントロールされている事とは全く別問題だ。汚染水の発生そのものを制御できて初めてコントロールという言葉が使える。
首相からデパート、ホテルにいたるまで、世の中偽装だらけというわけだ。

近松半二ほか:作
山田庄一:監修
<  主な配役  >
坂田藤十郎:呉服屋十兵衛
中村翫雀:誉田大内記/人足平作
中村扇雀:平作娘お米
中村橋之助:唐木政右衛門
片岡孝太郎:政右衛門妻お谷
中村亀鶴:池添孫八
中村虎之介:和田志津馬
片岡亀蔵:桜田林左衛門
片岡市蔵:沢井股五郎
市村家橘:和田行家
市村萬次郎:行家妻柴垣
坂東彦三郎:宇佐美五右衛門

この芝居は「日本三大仇討」と呼ばれる,曽我兄弟の仇討,赤穂浪士の討入り,伊賀上野の敵討、の中の伊賀上野の仇討を素材として書かれたものだ。
昔から初夢に見ると縁起が良いとされるものに「一富士二鷹三茄子」という言葉があるが、一説によれば「一に富士,二に鷹の羽の打ち違い,三に名を成す伊賀の仇討」といって三大仇討を指すのだそうだ。一富士は曽我兄弟が仇を討った“富士の裾野”を,二鷹は赤穂浪士の主君・浅野内匠頭の“丸に違い鷹の羽の家紋”を,三は“伊賀上野鍵屋の辻の敵討”で名をあげた荒木又右衛門のことで,「名を成す」は成すと茄子の掛け言葉になっているのだという。
この伊賀上野の仇討というのは他と違った大きな特色がある。当時の仇討というのは尊属、つまり主君や親など目上の者に対すると限定されていた。しかしこの仇討だけは兄が弟の仇を討つという、通常では有り得ないケースだ。本来は同僚同士の刃傷沙汰だったものが、なぜここまで大きな事件となったかというと、そこには複雑な事情があったからだ。
ことの起こりは高崎藩主・安藤重信の家臣だった河合半左衛門が同僚に切りつけたことが発端で、半左衛門は脱藩して備前岡山藩主・池田忠雄の家臣となる。ここで譜代の安藤家と外様の池田家の間に軋轢が生まれる。
時は移り、今度は半左衛門の息子・河合又五郎が岡山藩内で同僚の渡辺源太夫を殺害する事件が起きる。河合又五郎は逐電し、直参旗本・安藤次左衛門に匿われるのだが、この旗本が高崎藩主・安藤重信の縁戚関係にあった。
事件は譜代大名と外様大名、直参旗本の三者が入り乱れて対立するという大事件に発展してしまう。
岡山藩主・池田忠雄は若死にするが遺言で源太夫の兄・渡辺数馬に対し河合又五郎を討つよう命じる。ここで「上意討ち」という大義名分が生まれてわけだ。
幕府はこの件に限り数馬と又五郎の決闘を許可し、数馬が姉婿の荒木又右衛門の助太刀により,寛永11年(1634)に伊賀上野の鍵屋の辻で又五郎一行を討ち果たす。

ここまで宜しいでしょうか?

芝居の『伊賀越道中双六』は,天明3年(1783)に大阪で初演された。当時は実在の人物をそのまま芝居に登場させることは禁止されていたため,時代を室町時代に置き換えている。岡山藩を鎌倉の上杉家に,登場人物も荒木又右衛門を唐木政右衛門,渡辺数馬を和田志津馬,河合又五郎を沢井股五郎としている。題名の由来にもなっているように,鎌倉を振り出しにして,道中双六のように東海道を西へ上っていくように物語が展開させていく。
和田家と沢井家の両家に関係する人物として呉服屋十兵衛という人物を配し、狂言回しのような役割を果たさせているのも特長。
今回の上演では,沢井股五郎が志津馬の父・和田行家を殺す物語の発端に当たる「和田行家屋敷の段」から,伊賀上野で政右衛門と志津馬が股五郎を討ち果たす「伊賀上野敵討の段」までを通しで上演した。と言っても調べてみると原作はもっと長く、全体の半分程度をカットしている様だ。
仇討にからめて当事者たちの苦悩や、夫婦,親子,兄妹などさまざまな人たちの別れや死が複雑に描かれる。
「忠孝」、即ち「君には忠、親には孝」というのは江戸時代から戦前まで日本の中心的な思想だった。主君(明治以降は天皇)の命令は絶対であり、そのためには命を投げ出すのも厭わない。主君のためなら親兄弟、子どもを手にかけても許されるという考え方だった。
次いで、親に孝行するためならいかなる犠牲も払うという思想だ。
この「忠孝」という「理」と、家族肉親に対する「情」の間(はざま)で苦悩する人間を描くというのが歌舞伎の中心テーマだ。だから「忠孝」思想と受け容れられないと芝居への感情移入が出来にくくなる。
歌舞伎のみならず、講談、浪曲などの芸能に共通する課題だろう。

出演者では政右衛門役の中村橋之助の演技が目立った。敵討ちの助太刀のために恋女房を離縁せざるを得なかった心情が伝わってきたし、立ち回りでは豪傑らしいスケールの大きさを感じさせた。
十兵衛役の坂田藤十郎は、平作の娘・お米に胸をときめかせるシーンの色気はさすがだが、細かなセリフで聞き取れない所が何度かあったのが残念。
平作を演じた中村翫雀が初役ながら好演だった。十兵衛から仇の居所を聞き出すために自刃する場面の熱演が光る、二役の誉田大内記に気品がある。
政右衛門妻お谷役の片岡孝太郎は夫との別離で肚を見せ、平作娘お米役の中村扇雀が可憐。
ただ、和田志津馬役の中村虎之介が幼すぎていたのが気になった。

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