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2013/11/19

落語家の襲名と伝統の継承

”戸田学「上方落語四天王の継承者たち」(岩波書店)”に「笑福亭松葉」について一項を割いているが、その冒頭にこう書かれている。
【まったく佳い人であった。私はこの人が本当に「好き」だった。「好き」という感情だけで、このひとつの存在そのものを肯定していたと、今つくづく思う。】
続いて著者の松葉に対する思い入れが連綿と綴られ、やがて松葉が7代目笑福亭松鶴を継ぐこととなる経緯が書かれている。
簡単に記すと、6代目は遺言に「7代目松鶴」の襲名には弟子の仁鶴を指名していたが諸事情から仁鶴は辞退する。次に6代目の実子である5代目枝鶴に白羽の矢が立てられたが、本人が廃業してしまう。
1996年になり、松葉に松鶴襲名が内定したが、襲名披露興行予定日に病死してしまい、7代目はそのまま追贈される事となった。
7代目 笑福亭松鶴(1952年2月19日 - 1996年9月22日)、享年44の若さだ。
著書に戻ると、戸田学は松葉の松鶴襲名が決まった頃の変化についてこう書いている。
【松葉の七代目襲名が決定になったころから、松葉落語の出来にムラが出来始めていたのは事実である。なにも笑福亭松鶴という名前は六代目だけのものではない。いろんな松鶴がいた。それにもかかわらず・・・、いや、当然のことかも知れないが、世間は松葉に松鶴の豪放さを求め、松葉はそのプレッシャーで、自らの芸のバランスを失っていたように思う。】
この時期の松葉自身の言葉も紹介されている。著者にこう語っていた。
【親父っさん(六代目松鶴)がおらんということはしんどいことやでぇ。みんな自分で(襲名の準備を)せなあかんもんなぁ。もっとも、親父っさんがおったら、ぼくとこへ(七代目)はこなんだと思うけどなぁ。】
既に病魔に蝕まれていた松葉の心情が読む者に伝ってくる。

私はこの著者の述べる「なにも笑福亭松鶴という名前は六代目だけのものではない。いろんな松鶴がいた。」という部分に注目したい。
前に当ブログの「敢えて正蔵を擁護する」という記事に書いたが、当代の正蔵が8代目正蔵の芸を継承していない事だけで批判されていることに反論したものだ。正蔵=8代目ではないのであって、歴代の正蔵の芸を総体的に見た上で芸を継承しているかどうかは判断すべきだと思うからだ。当代正蔵の芸が未熟であることはその通りだが、それとこれとは別問題だ。
落語という世界は、歌舞伎や能、狂言などの伝統芸能と異なり、襲名と共に名跡の芸が継承されるという芸能ではない。師弟であっても芸風は正反対などという例はザラだ。襲名が必ずしも直弟子によって行われるとは限らないし、なかには先代が明治の噺家などというケースさえある。そうなると芸の継承のしようがない。

名跡の芸の伝統というのもアイマイだ。
桂文治という名跡がある。元は上方から東京に移されたもので東西にまたがる大名跡だ。
8代目(根岸の文治)のことは全く知らないが母親はファンだったらしく、9代目が襲名すると聞いたときに「なんであんなのが文治になるんだ」と怒り、終いまで9代目を嫌っていた。してみると、どうやら8代目と9代目の芸風は大きく異なっていたようだ。
その9代目(留さん文治)だが、決して上手い人ではなかったが独特の愛嬌があり、特に「口入れ屋」「ふたなり」「不動坊」といった上方落語から移したネタを好んで高座にかけていた。文治と言う名跡の出自を考えれば伝統に相応しいとも思える。
先年亡くなった10代目文治はがらりと変わって江戸前の落語家だった。当代文治は先代の芸を継承している。
この4代にわたる文治を見て、果たして文治の芸の伝統というのはどう定義付けることが出来るだろうか。結論をいえば出来ない。否、元々伝統なんて無いのかも知れない。
名跡は継ぐが、芸は一代限りと考えるべきなんだろう。

それより襲名で問題なのは、意味のない襲名だと思う。例えば桂三枝の6代目桂文枝の襲名だ。既に上方落語協会会長の職にあり、三枝という名前は全国に知れわたっている。今さらなぜ文枝を襲名する必要がどこにあったのだろうか。もし襲名させるなら先代門下の他の噺家を選ぶべきだった。他に候補者はいくらでもいただろうに。
林家三平の襲名も意味がない。三平という名は名跡でもないし、初代三平一代のものとすべきだった。

より大事なのは名跡の私的所有の問題だ。いまだにある名跡が”00家”のものであったり、先代の未亡人が保有していたりする例を聞く。一子相伝でない落語の名跡を、特定の個人や家族が所有しているのは明らかにおかしい。
橘家円蔵がいう様に、亡くなった時に名跡を協会へ返上するというルールを早く作るべきだと思う。
名跡を協会が管理するようになれば、襲名にまつわる不透明さも無くなると思われる。

どうも議論があちこちに飛んでしまったが、噺家の襲名に関する雑感ということで、これにて。

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コメント

名跡の重さに緊張してときには怯えることもある。
それが名跡というものかもしれないなあ。

佐平次様
名跡の重みを感じなければいけないし押しつぶされてもいけない。
理想的には襲名を機に芸が飛躍することでしょうが、最近の襲名では良い例が見られませんね。

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