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2013/12/13

柳家小三冶独演会(2013/12/12)

12月12日、銀座ブロッサムで行われた「柳家小三冶独演会」へ。「またこの日が来ました」と言ってたので毎年の恒例らしい。
また「あの人」の姿を見た。寄席ではめったに出会わないが(それでも鈴本で数回見ている)、落語会では3回に1回位の割合でこの男性の姿を見るからかなりの確率だ。先月国立劇場で歌舞伎を観に行った帰り、今日は会わないとと思っていたら演芸場の前でパッタリ。まるで運命の糸で結ばれているようだ。
「あの人」と周囲の客とが談笑していることがあるので、あるいは関係者か評論家なのかも知れない。一度だけ席が隣り合わせになったことはあるが口をきいたことはない。
「あの人」とアタシの共通点は目付きが悪いことだ。きっとお互いに「また目付きの悪いのが来てるな」と思ってるんだろうね。

<  番組  >
柳家禽太夫「蔵前駕籠」
柳家小三冶「青菜」
~仲入り~
柳家小三冶「初天神」

小三冶は天才だ。
昭和30年代にラジオで「しろうと寄席」という番組があった。審査員の一人は8代目文楽だった。アタシの中学時代の親友が落語好きでしかも上手かった。数十倍の予選に勝ち抜き番組に出た。残念ながら鐘二つで不合格、それでも文楽からお褒めの言葉を頂き本人は有頂天だった。
その「しろうと寄席」に15回連続合格した高校生がいて、その天才少年が今の小三冶だ。
その親友が「朝太っていう凄い前座がいるぞ」と教えてくれたのが、後の志ん朝だ。
落語の世界も「栴檀は双葉より芳し」である。
小三冶の高座だが、寄席では時々聴いていたが独演会は久々だ。落語には色々な楽しみ方があるだろうが、アタシは長ったらしいマクラが苦手だ。もちろん本題への解説や導入部の小咄なら歓迎だが、ネタと関係のないマクラは御免だ。小三冶の独演会で続けてその長いマクラに辟易として、それからずっと遠ざかっていた。最近になって他の方のブログを読んで、あまり長いマクラを演じなくなったことが分かり、この日久々に足を運んだ次第。
席が2回の最後尾だったので3階席の気分。表情までは覗えなかったが、動作は寄席より大きめで良く分かった。
前座は無しで、弟子、本人、本人という順。これはいい。他の独演会も見習った欲しい。

小三冶「青菜」
古典落語と現実との乖離はますます大きくなってきた。
この日の1席目に出てくる植木屋、あなたの近所にいますか? 花屋はあるが植木屋は周囲から姿を消してしまった。縁側のある家も都会では見かけなくなってしまった。縁側で涼しい風に当たりながら、庭の手入れをしている植木職人の姿を見ながら一杯やるなんて、どこの世界かと思ってしまう。
この家の主、資産家であり風流人だ。庭の手入れにきた植木屋があまりの暑さに手を休めているのを見て「ご精が出ますな」と声をかける、この余裕、この優しさ。だから相手が職人でも少しも偉ぶらない。言葉づかいも丁寧だ。この主人の奥方もきっと慎ましく、かつ教養のある女性なんだろう。
そういう家庭、そういう夫婦に憧れ、自分たちも真似をしたいと思い立った植木職人が失敗する物語だ。
だから前半の屋敷での主と植木職人との会話や仕種の描写が大切になる。小三冶の演出はこのシーンにたっぷりと時間を掛けて双方の人物描写と対比を丁寧に見せた。ここが他に演者とは決定的に違うのだ。
緩急でいえば、ここまでが緩。
植木屋が家に戻ってからは急、こちらの女房ときたら「イワシ、冷めちょうよ」が口癖の声が大きいガサツ者。そのくせ、柳影が直しのことであり鯉の身が白いことまで知っていて、亭主の自慢話にいちいち口を挟むという屋敷の奥方とは正反対。でも頭はいいんですね、だって「鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官」というセリフを一度で憶えてしまったんだから。
後半の植木屋と大工の男とのチグハグなヤリトリと、汗まみれのお上さんの奮闘ぶりで場内を沸かせた。
他の噺家とのモノの違いを見せつけた1席。
季節感は外れるが、寒い時期に夏のネタを掛けるのも悪くない。

小三冶「初天神」
近ごろご近所で凧揚げしてるを見かけたことがありますか? 多分ないでしょう。それ以前に凧を売ってる店を見なくなった。アタシが子どもの頃の縁日では凧が売られていたし、昭和40年代の前半位までは東京でも凧を売っていた。
正月に凧を揚げる習慣もなくなり、僅か数十年でこの噺もすっかり古びてしまったわけだ。
小三冶は凧揚げをしたことがあるんだろう、手つきがちがうもの。風を読みながら糸を引いたり弛めたりして遠く高く揚げてゆく、その楽しさが表現できないとこのネタのオチの面白さが伝わらない。
古典落語を演じるのがますます難しさを増していく。
この噺に登場する金坊だが、近ごろは悪ガキとして描かれる例が多い。
しかし小三冶の演出は、確かにコマッシャクレてはいるが、無邪気な少年として描いている。
初天神に父親と一緒に行きたいと駄々をこねる子どもですよ、無邪気に決まってるでしょ。今どきの悪ガキなら、頼まれたって親になんか付いて行かないよ。落語のリアリティというのは、そういう所にある。
凧を売る店の男が「糸」や「うなり」を付けるのを勧めるが、糸が付いてなければこの後の凧揚げの場面が成り立たないし、凧揚げの楽しさの一つは「うなり」にある。
だからこういう細部への拘りが大事なのだ。

小三冶の高座を観ていると、古典落語に取り組む姿勢が他の大多数の噺家とは大きくかけ離れていることが分かる。
それは小三冶が、人物を丁寧に描き噺を真っ直ぐに語るなら、それだけで可笑しさが出てくるという基本に忠実だからだ。
残念なのは、この人の芸を継ぐ人が中堅や若手に見当たらないことだ。

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コメント

やはり大変でもおっかけなきゃ!

投稿: 佐平次 | 2013/12/14 10:29

佐平次様
この日の1席目は「今年の夏は暑かった」という所からネタに、2席目はマクラ一切無しでネタへ。こういう方がスッキリしていていいですね。
小三冶の芸は今や貴重な存在になりました。こういう古典はこの人でお終いかな。

投稿: HOME-(ほめ・く) | 2013/12/14 11:14

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