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2013/12/31

輝け!『My演芸大賞』2013の発表

年末恒例の『My演芸大賞』2013を発表する。
この1年間で寄席や落語会で聴いた噺の中で特に優れたものの中から、大賞1点、優秀賞数点を選んだ。
結果は以下の通り。
記載は、演者、演目、日付、会の名称の順。

【大賞】
柳家権太楼『百年目』5/2「鈴本演芸場5月上席」

【優秀賞】
笑福亭三喬『月に群雲』3/18「芸の饗宴シリーズ」
笑福亭鶴瓶『お直し』4/13「大手町落語会」
露の新治『大丸屋騒動』6/22「三田落語会」
五街道雲助『妾馬(通し)』9/14「らくご古金亭」
入船亭扇辰『野ざらし(通し)』7/7「神楽坂落語まつり」
林家染二『しじみ売り』9/30「JAL名人会」
柳家喬太郎『品川心中(通し)』10/14「扇辰・喬太郎の会」
柳家小満ん『雪とん』12/14「らくご古金亭」

【講評】
今年は全体として豊作の年で作品を絞るのに苦労した。

噺を聴いて感動するといった経験は年にそう何度もあるわけではないが、大賞とした権太楼『百年目』は正にそれに該当する。よけいなクスグリや改変を行うことなく圓生の演出をそのまま受け継いだような高座だった。この演目の最も大事な所は「品格」だ。権太楼の演じる大店の主人にはその品格があり、番頭の乱行に出会ってから店に戻り一夜明けて翌日番頭に説諭するまでの心理変化が巧みに表現されていた。主人がどんな思いで一晩過ごしたかが目に浮かぶのだ。
権太楼の高座ではベストであり、近年聴いた『百年目』の中でもこの高座がベストだった。

優秀賞には上方と東京からそれぞれ4点ずつが選ばれた。
泥棒ネタを得意とする三喬『月に群雲』では、泥棒と故買屋の主との軽妙な掛け合いが面白かった。師匠・松喬の急逝があり、今年は惣領弟子としての苦労も多かったものと察する。
鶴瓶『お直し』は、この人がこれほど上手いとは思わなかった。不甲斐ない亭主のためにケコロにまで身を落とした女の哀れさと、どん底での夫婦の情愛が見事に描かれていた。
新治『大丸屋騒動』は、見かけとは異なる骨太の高座を見せてくれた。2年続けての鈴本の中トリなどで新治を通して上方落語の魅力に取りつかれた東京のファンも多いのでは。
染二『しじみ売り』では、厳寒の中をかじかんだ手に息を吹きかけながら天秤棒を担ぎシジミを売る少年の姿に、悲惨な身の上話に、涙が出た。語りの確かさと所作の美しさに優れた高座だった。

東京の4名の共通項は「江戸の粋」だ。
今年は、前半だけで後半を演じられる機会の少ないネタを通しでの口演する試みが目立つ。
扇辰『野ざらし(通し)』は、このネタで現役では小三冶と並ぶ出来。
雲助『妾馬(通し)』は、このネタの後半はこれほど面白いのかと再認識させてくれた。他にも良い作品があり迷った結果、この演目を採った。
ここのところ低迷していたように思われた喬太郎だが、今年はいくつか良い高座に出会えた。『品川心中(通し)』はネタおろしとは思えない完成度の高さを見せ、後半も観客に分かり易いように変えていた点を評価した。
小満ん『雪とん』は正に「江戸の粋」を体現したような高座だった。お祭り佐七がお嬢さんの寝巻の裾を指先でチョイと引くだけで「アレー!」と言いながら倒れ込むなんて描写は、この人ならでは。アタシが同じことをしたら引っ叩かれますぜ。

本年のブログもこれにてお開き。
皆さま、良いお年を!

2013/12/30

今年観た演劇(芝居)のベスト

今年は20本の演劇(芝居)を観たことになるが、振りかえると第二次世界大戦の前後を舞台とした作品が多かった。
この中から最も優れた作品を選ぶとしたら、天王洲・銀河劇場で上演された『テイキングサイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~』だ。

作:ロナルド・ハーウッド
演出:行定勲
訳:渾大防一枝
<出演者>
筧利夫
福田沙紀
小島聖
小林隆
鈴木亮平
平幹二朗

この作品は20世紀を代表する最高の指揮者の一人であるフルトヴェングラーが主人公。
彼が指揮活動の頂点を極めた時代がナチスの全盛期だったことでナチスへの協力を疑われ、連合国による非ナチ委員会の審理に引き出されるという不幸にも見舞われる。1947年までの戦後の2年間は音楽活動まで禁止されてしまう。
この点ではナチ党員であったライバルのカラヤンには、なんのお咎めも無かったことと対照的だ。
緊張に満ちたセリフのひとつひとつ、指揮者を演じた平幹二朗と彼を糾弾する米軍将校を演じた筧利夫との息詰まる攻防は見応えがあった。

この芝居は、芸術と政治は完全に分離できるのか、専制政治下で良心を貫くことができるのか、戦争において絶対的正義は存在するのか、勝者が敗者を裁けるのか、といった重いテーマを観客にを問いかけている。
劇中のセリフ。
「俺たちはここで堕落した奴らを扱っているんだぞ。忘れちゃいかんのはそれだけだ。俺はこの目で見て来たんだ。」
「どうしたら真実が見つけられるんですか? そんなものありません。誰の真実なのですか? 勝った者の? 敗けた者の?」
「反ユダヤ的発言をしたことがない非ユダヤ人がいたら見せてください。そうしたら至上の楽園にお連れしますよ。」
「わたしの唯一の関心事は、音楽の最高水準を維持することだった。それがわたしの使命だと思っている。」
こうした問題提起は、映画『ニュールンベルグ裁判』や、井上ひさしの戯曲『東京裁判三部作』にも通底する。

ヒトラーやナチスというと悪魔や狂気のごときイメージがあるが、決して地下から湧いたものでもないし、宇宙から飛んできたものでもない。当時のドイツにおいて、ワイマール憲法という優れた法制下で、民主的選挙によって選ばれたものだ。
ナチスが政権を握れたのは第一次大戦後のドイツの不況とインフレの中で、ヒトラーは大型公共工事を中心とした経済振興策により失業者を大幅に減らすことに成功したからだ。「ヒトラミクス」だったわけだ。
排外主義と民族差別によりナショナリズムを醸成し、自分たちに都合の良い法律を通す中で憲法を骨抜きにしていった。そして気が付いたら独裁国家になっていた。
映画などではしばしばヒトラーやナチス高官が狂人や異常な人物として描かれているが、それは違うと思う。
来春、三谷幸喜の『国民の映画』が上演されるが、この芝居はナチスのナンバー・2であったゲッペルスが主人公で、狂気どころか常識的な人物として描かれている。こちらが真実に近いと思う。
独裁やファシズムというのは、いつの時代でも、どこの国でも起こりうる。もちろん日本でも。

『テイキングサイド~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~』は、そうした様々な問題を考えさせられる優れた演劇だった。

2013年下半期「佳作」選

当ブログ恒例「My演芸大賞」2013の候補作となる下期の「佳作」は次の通り。
表記の順序は演者、ネタ、寸評、会の名称、年月日。

五街道雲助『猫定』
【笑わせながらゾクッとさせ圓生ネタを復活】
「雲助蔵出し」(2013/7/6)

入船亭扇辰『野ざらし(通し)』
【このネタを通しで聴くなら小三冶か扇辰】
「神楽坂落語まつり」(2013/7/7)

桃月庵白酒『船徳』
【立ち往生した徳が一言「向いてないのかなぁ」が秀逸】
「ザ・ベスト・オブ・白酒」(2013/8/26)

古今亭文菊『稽古屋』
【芸の確かさと瑞々しさが生きた高座】
鈴本8月下席昼の部(2013/8/31)

五街道雲助『妾馬(通し)』
【後半がこんなに面白かったっけと再認識】
「らくご古金亭」(2013/9/14)

五街道雲助『星野屋』
【文楽に勝るとも劣らぬ高座】
「雲助蔵出し ふたたび」(2013/9/28)

林家染二『しじみ売り』
【人物像が鮮やかでさすが上方の実力者】
「JAL名人会」(2013/9/30)

笑福亭三喬『花色木綿』
【「泥棒三喬」の面目躍如】
柳家喬太郎『首ったけ』
【上手い喬太郎が帰ってきた】
「東西笑いの喬演」(2013/10/5)

柳家喬太郎『品川心中(通し)』
【ネタおろしとは思えぬ出来】
「扇辰・喬太郎の会」(2013/10/14)

桃月庵白酒『甲府い』
【このネタをここまで面白くした手腕を買う】
「通ごのみ 扇辰・白酒」(2013/10/18)

柳家喜多八『首提灯』
【『胴斬り』からのリレーで魅せた殿下の世界】
「喜多八膝栗毛 秋之噂」(2013/11/6)

桂ひな太郎『文違い』
【師匠・志ん朝の芸を引き継ぐ】 
「金時・ひな太郎の会」(2013/11/16)

立川ぜん馬『蜘蛛駕籠』
【本寸法の噺家が演るとこれほど面白いのか】
立川志の輔『徂徠豆腐』
【構成力と恰幅の良さはさすがというしかない】
「立川流 談志まつり」(2013/11/23)

柳家小三冶『初天神』
【本物の古典落語を見せてくれた】
「柳家小三冶独演会」(2013/12/12)

柳家小満ん『雪とん』
【「江戸の粋」とはこういう世界だ】
「らくご古金亭」(2013/12/14)

春風亭一之輔『鼠穴』
【やはりこの人はタダモノじゃない】
「J亭落語会」(2013/12/20)

柳家さん喬『福禄寿』
【高座に雪が舞っていた】 
「大手町落語会」(2013/12/28)

いま気が付いたのだが、今年は三三の良い高座に当たらなかった。やや伸び悩んでいる気がするのだが、鈴本の初席の夜トリは大丈夫だろうか。

2013/12/29

#22大手町落語会(2013/12/28)

12月28日、日経ホールで行われた第22回『大手町落語会』へ。
これが今年最後の落語会となる。

<  番組  >
前座・柳家さん坊『つる』
桂文治『掛取り』 
柳家さん喬『福禄寿』 
~仲入り~
瀧川鯉昇『武助馬』
柳家権太楼『芝浜』

この日に限ったことではないが、前座はメクリが出ないことが多いので、先ず名前を名乗った方が良い。まさか「顔を見りゃ分かるだろう」でもあるまい。
文治『掛取り』     
掛取りに来る人は狂歌好き、落語好き(文治のオリジナルか)、喧嘩好きの3名。
新聞や雑誌でも「川柳」欄はあるが、「狂歌」というのは見ない。一般的ではなくなったのだろうか。
因みに「狂歌」の定義は、世界大百科事典によると次の通り。
【狂歌は狂体の和歌であり,和歌の形式に卑俗滑稽な内容を盛ったものである。狂歌は素材用語においてはまったく自由であり,〈縁語〉〈懸詞〉〈本歌取り〉を駆使しつつ日常卑近の事物・生活を詠ずる。古典のもじりは狂歌の方法の眼目で,雅を俗に転じてそこに滑稽感をかもし出す。その先蹤(せんしよう)は早く上代の《万葉集》の戯笑(ぎしよう)歌や無心所着(むしんしよぢやく)歌,中古の俳諧歌に求められる。狂歌という名目はすでに中古の《喜撰式》や《和歌肝要》に見える。】
狂歌は川柳に比べ約束事が多いので難しいのかしらん。「本歌取り」なんて少なくとも万葉・古今・新古今の和歌を身に着けていないと出来ないしね。
ある程度教養がないと狂歌を作れないから落語では専ら大家の趣味となっているんだろう。
「落語好き」では柳昇や彦六らから権太楼までの物真似を披露して会場を沸かせていた。文治はサービス精神旺盛。

さん喬『福禄寿』、六代目円生の持ちネタで、この噺を頻繁に掛けるのはさん喬しかいないだろう。
深川万年町に福徳屋萬右衛門、子供が18人いた。これじゃズボンを履く暇が無かったんじゃん(これはアタシのクスグリ)。13人が実子で5人は養子。長男を禄太郎、次男を福次郎と言い、次男が実子。長男は派手好きで大きな事ばかりやるが永続きせず破産状態。弟はまじめで商売熱心で店の切り盛りも次男をしている。
暮れの雪の晩、親類縁者を集めてお祝いをするが、そこには長男の姿がない。宴席が終わった後に、貧相な格好をした長男が母親の離れに庭から訪ねてきた。また金の無心。今度こそは最後の無心だからと弟から300円都合してくれと言う。福島で土地を買えばドーンと儲かるというのだ。度々の無心で母親がこんこんと説教するが、そこへ長男が訪れて来るので母親は慌てて次男を部屋の隅に隠す。
長男を部屋に入れると、宴席に残った酒肴と、誰か暮れに困っている人が居たら自由に使って良いと300円のお金を置いて行く。
その金を母親から受け取った長男は好きな酒を呑み酔ったまま帰って行く。
雪の降りしきる外に出た途端に転んでしまうが、お構いなしにこの金で吉原へ遊びに行こうか、どこかでパッと使おうかと想像をめぐらす。
次男が外出から戻ってくると、下駄の間に何か挟まった。よく見ると母親に預けた300円の包み。母親の所に駆けつけ何か泥棒でも入ったかと案じたが、長男に渡した金だと分かり安堵する。
そこで次男が、人間には分限があって、1升袋は一升以上は入らない。お兄さんは小さい器なのに大きな事ばかりしているもので、身代限りを続けるのでしょうねと話す。
そこへ兄が 戻ってきた。今の話を全部外で聞いていたのだ。自分の分限を初めて知ったと言う。悟った長男は今までの事を詫びて10円だけ借りて福島県に旅立ち、荒れ地を開拓し資本を得た。やがて北海道に渡って亀田村を開墾し立派に成功したという。
三遊亭円朝作の『福禄寿』の1席。
放埓な実子である長男のために堅実な養子である次男から度々金を借りてあげねばならない母親の苦しい胸の内をさん喬は丁寧に描いていた。二人の息子の描き分けも十分、特に降りしきる雪の情景描写はさん喬の独壇場だ。さん喬の温かい人柄が、この噺にほのぼのとしたものを感じさせる。

鯉昇『武助馬』、秋口から風を引いていたようで、この人の手にかかると風邪さえも笑いの種になる。マクラではいかにもヤル気のなさそうな事を言いながら、ネタに入ると熱演するという所は喜多八に似ている。
笑いの少ない『武助馬』をここまで爆笑編にしてしまうのは、さすがと言うしかない。

権太楼『芝浜』、マクラで、今年はいいことずくめだった。板橋区民栄誉賞、紫綬褒章の受賞と、明治学院大学の客員教授に就任とのこと。これからは「ゴンちゃん」などと呼ばず「教授」と呼んでくれと。落語家もステータスが上がってきましたね。もやは芸人じゃなくて文化人か。
ネタは当初『睨み返し』を予定してそうだが、文治の『掛取り』とかぶってしまうので別の何かを。そこで会場から『芝浜』と『寝床』のリクエストの声が飛ぶ。オレは紙切りじゃないんだからと言いながら、結局『芝浜』を選択。
本人も言ってたように三木助の形とはだいぶ異なる。
①早朝に女房が亭主の魚屋を起こす場面がない。翌日の起こす場面もない。
②拾った50両のことで女房が大家へ相談に行くのが、亭主が風呂の帰りに仲間を引き連れて飲み食いし眠ってから後という設定。
③魚屋の亭主が真面目に働きだして3年後も表通りに店を構えることなく、相変わらず棒手振りのままでいること。
④大晦日に女房が全てを打ち明けた後、二人で酒を呑もうとする所。
などの違いだ。以上の改変に違和感はない。
ただ、女房が亭主に事実を打ち明ける場面がくどい。それに女房が泣きすぎる。演者にあまり余計な力が入り過ぎると、観ている方がシラケテくる。
全体の出来としては感心しなかった。
それにしても噺家はなぜ『芝浜』を演りたがるんだろう。三木助以後、このネタで成功したと言えるのは談志だけではなかろうか。志ん生・志ん朝親子なぞ失敗作というしかない。
暮に『芝浜』を演るのは落語家の自己満足かな。

相変わらずの辛口で、1年の締め。
残る二日は恒例の『My演芸大賞』の発表です。

2013/12/28

大成建設が右翼を使って不正受注工作

『週刊文春』12月26日号によると、スーパーゼネコンの大成建設が右翼団体や暴力団を使って不正な受注工作を行ったとのスクープ記事を掲載している。
内容の一部は既に会員制月刊誌の『FACTA』10月号が書いていたようだが、今回の文春の記事はより詳細なもののようだ。
施主は東京医科大学(新宿区)で、同大学は2016年の創立100周年に合わせて大学病院の建て替えを予定している。大成建設は以前から東京医科大学に深くかかわっていて、現在の病院も大成が施工したものだ。
当時から大学の理事が大成から饗応を受けていたと囁かれていて、新病院の先立って行われた新教育実験棟の入札には「大成は外すべき」という声が内部から上がっていた。
しかし大成は予定価格を下回る34億円で落札した。
これに対し飯森眞喜雄副学長が、「国から毎年20億円もの助成金を受けている学校法人が特定のゼネコンと癒着するのはコンプライアンスに反する」と批判した。
この直後から大学関係者宛に飯森氏のスキャンダルを告発する怪文書が郵送されてきた。これが6月中旬。
7月18日より右翼団体「正氣塾」の街宣車が東京医大病院前にやってきて、飯森氏への個人攻撃が始まる。同じ日に右翼系の「敬天新聞」に怪文書が掲載された。
その1週間後に、大成建設の多田博是副社長からの申し入れにより多田氏と飯森氏の会談が行われる。
その概要は①新病院の予算は450億円②受注のために飯森先生にも協力していただきたい③協力してくれたら450億円のうちの1%を、合法的なコンサルタント会社を通して還元したい④受注額は予算通りなので1%分は上乗せした数字にする⑤信用のおけるコンサルを通して合法的にやるので問題はない、という多田副社長の“誘い”が示されたとのこと。
この内容は飯森氏がICレコーダーで録音しているので、ヤリトリはかなり生々しい。

しかし飯森氏がこれを断ると、右翼の攻撃が激しさを増す。
ここで奈良県で病院を経営する東京医大OBのO氏という人物が登場する。8月3日、O氏から「右翼はしつこいので何とかしたる」と言われ、飯森氏は大成の多田副社長の所へ連れて行かれる。
多田氏は飯森副学長に右翼の新聞を見せて脅し、O氏と共に飯森氏に辞表を書くよう迫る。多田氏は右翼の街宣を中止させるためには大義名分と金が必要だ。飯森氏が辞任するというのが大義名分で、金はこちらで用意すると言う。これも飯森氏は断った。
8月10日になると、多田氏から飯森氏に電話で、今度は詫び状を書くように要請があった。多田氏によれば街宣は一応カタが付いたが、敬天新聞がかなりしつこい。相手は山口組だからとにかく詫び状を書けと言う。
この件も飯森氏は録音していたので、内容は生々しい。

それをも拒否すると、9月11日に右翼の街宣が再開され、それは10月中旬まで続く。
大成の多田副社長と右翼の動きがあまりにリンクしていたことに気付いた一部理事から「これは大学の存亡にかかわる問題」という意見が出て、ようやく理事会で調査委員会を立ち上げる。
しかし大学側は終始調査には消極的で、このまま大成に落ちるかと思われたが結果としては失敗に終わる。
工事は大林組が落札した。
この理由は、前記の『FACTA』の記事が出たことで、大成が自ら引いてしまったようだ。これから東京五輪の大型工事を控え、イメージを悪くしたくなかったものと見られる。

この件は、飯森氏より録音なの証拠と共に警視庁に被害届が出され、受理されている。
反社会勢力が絡んでいる事案なので、捜査当局による全容解明が待たれる。

【追記】
なぜ今この記事を採りあげたのか、その理由は次の通り。
1.大成建設は安倍政権と密着している。例えば安倍首相の5月の中東・ロシア歴訪、同月のミャンマー訪問、8月のアフリカ・中東歴訪にはいずれも大成建設の山内隆司社長が同行している。
10月19日にトルコ・イスタンブールで行われた「ボスポラス海峡横断トンネル開通式」に安倍首相が異例の出席をしたが、このトンネルは大成建設が工事したものだ。
総工費2000億円といわれる新国立競技場の工事も大成が本命とされているとのことで、アベノミクスによる恩恵を最も受けているゼネコンと目されている。
2.副社長が直接乗り出したトップセールスでありながら、東京医科大学の副学長に対し露骨にワイロの提供を申し出ている。しかも右翼や暴力団の名前を使って脅しをかけており、その内容が相手方に録音されている。これでは言い逃れができない。
3.今回こうした手口がたまたま明らかになったが、大成は他の物件においても同様の手口で不正な受注活動を行っている可能性が高いと見られる。
本件は民間工事であるが、これが公共工事なら私たちの税金が使われるわけで、こうした不正を見逃すわけにはいかない。

2013/12/26

東京五輪が楽しみ?って、冗談じゃない

住まいは東京というと、しばしば「東京オリンピック、楽しみでしょう」とか「そのお歳だとオリンピックが二度見られますね」とか言われることがあるが、答えは「NO!」だ。
自分でスポーツをやっている人やスポーツ観戦が好きな人は五輪を楽しみにしているかも知れないが、私の場合スポーツ観戦といえば野球だけで、それ以外は興味がない。フィギュアスケートなど女子の競技をTVで見ることはあるが、正直にいえば純粋なスポーツ観戦とは言いがたい。
歌舞伎に興味のない人に今月の狂言は・・・なんて話題を振ったって相手にしてくれない。
落語に興味のない人に、鈴本初席の出演者の話をしてもチンプンカンプンだ。
それと一緒で、趣味は人それぞれ。

前回の1964年の東京五輪の時も見に行かなかったし、行こうとも思わなかった。
中学生の頃に、東京で初めてアジア大会が開かれた時は学校から見に行かされた。国立競技場で陸上大会を見たのだが、これが実につまらなかったのだ。トラックやフィールドで次々と競技が行われるのだが、スタンド後方からは何をしているのかさえ全く分からない。分かるのは100m走か中長距離レースかとか、走り幅飛びと走り高跳びの区別がつく程度だった。出場選手も分からず、もちろん日本人選手が出ているかどうかも判別できない。
生徒たちは退屈して、なかには鬼ごっこを始める奴もいた。そのうち、スタンド最上段でモデルが写真撮影しているのを見つけてきた奴がいて、傾斜が急なのでスカートの下からパンツが見えることを知らせてきた。早速、悪童どもはモデル撮影に集まり、その恩恵に浴した次第。だからアジア大会で印象に残ったのはモデルのパンツだけだ。
そのせいもあって、ハナからオリンピックに行こうと思わなかったし、2020年も行くことはない。
TV観戦はするだろうが、それならどこの国で開催しようと一緒だ。

前回の東京オリンピックでいえば、むしろ負の遺産の方が目立つ。
先ず、あの悪名高い町名変更だ。
その理由が、オリンピックで沢山の外国人が来るので分かりやすくするためというのが大義名分だった。
落語でお馴染みなだけでも、文楽の黒門町、圓生の柏木、正蔵の稲荷町、痴楽の谷中初音町もこの時期に合わせて町名が変ってしまった。
ネタの中に出てくる下谷長者町などの多くの町名も無くなってしまった。
その他主な地名を拾っても、原宿、竹下町、御徒町、田町、田原町、菊坂町、森川町、角筈、淀橋、湯島天神町、湯島切通町などなどなどの町名がこの時に消えてしまった。
町名は歴史や文化を背負っているのであり、その名前を勝手に消すなど許される筈がない。

東京が水の都といってもピンとこないだろうが、日本橋川、京橋川、桜川、築地川、紅葉川、三十間堀川などが道路にされてしまったのも五輪の時期だ。
都電の廃止もオリンピックがきっかけだった。工事の邪魔になるというので青山線が廃止にされたのが皮切りに次々と無くなり、今では荒川線が残るだけだ。

私にとって、1964年東京オリンピックについて良い思い出はない。
もちろん2020年東京五輪を楽しみにしている方も多いだろう。それはそれで尊重されねばならない。
せめて東京の歴史や文化、環境に影響を与えぬようなやり方で準備を進めて貰いたい。

2013/12/23

安藤美姫選手、お疲れさま!

フィギュアスケートのソチ五輪代表最終選考会を兼ねた全日本選手権最終日は12月23日、さいたま市のさいたまスーパーアリーナで行われ、3シーズンぶりに復帰を目指した安藤美姫は7位に終わり、競技人生に幕を下ろすことになる。
今春に女児を出産し、フィギュアのママさん選手として前例のない五輪出場の夢はかなわなかったことになる。
今の日本女子フィギュアのレベルの高さからすれば、やむを得ぬ結果だろう。
会場から温かな拍手を送られた安藤は目に涙を浮かべ、「ありがとうございます」と何度も頭を下げいたのが印象的だった。

ここからは少し視点を変えて。
荒川静香が2006年トリノオリンピック女子シングル金メダルを取った翌日に寄席に行ったら、紙切りの正楽が出ていて例によって客席からのリクエストを求めた。何人からか「荒川静香」の声が飛んだが、正楽は「そうですか、昨日までは皆さん、安藤美姫だったんですけどねぇ」と言っていた。
少なくとも寄席に来るようなオジサンたちにとっては、フィギュア=安藤美姫だったわけだ。フィギュアスケートなんて競技におよそ関心がなかったオジサンたちに、この競技に目を向けさせた美姫の功績は大だ。
でもオジサンたちは決して安藤の演技に魅了されていたわけではあるまい。容姿、大人の女性としての魅力、色っぽさに惹かれたのだろう。
安藤が女児を出産したときに、TVのワイドショーやら芸能ニュースはこの話題で持ち切りだったが、特にオジサンたちが読むような週刊誌は毎号「父親は誰か」という特集を組んでいた。別に自分に責任が及ばないなら、誰が父親だろうと大きなお世話だが、どうも安藤のこととなると放っておけないのだ。
大胆に言うなら、安東美姫はアスリートというよりは美神、セックスシンボルだったということだ。彼女本人や彼女の演技を純粋に愛する人たちにとっては極めて不本意かも知れないが、そうした側面は否定できまい。
安藤美姫は引退となり、オジサンたちはしばらく「美姫ロス」気分に陥ることになるだろう。

2013

2013/12/22

#415花形演芸会(2013/12/21)

12月21日、国立演芸場で行われた「第415回 花形演芸会」へ。
王楽が花形演芸大賞を狙っていると宣言していたが、そろそろ受賞の行方が気になる時期にさしかかった。ここ数年は毎年、大賞受賞者の予想が付き、その通りの結果になっていたが、今年度は混戦になるだろう。毎回来ているわけではないが、今年は飛び抜けた存在がいなそうだし、久々に上方落語からというケースもあり得るかも。
白酒が言ってたが、こういう会では出演者は120%の力を出すべく高座に臨むので、そこが寄席とは全く異なる。寄席の場合は全力で演じるのはトリだけで、それ以外の人は80%位に抑えていると語っていた。
出演者の真剣さが伝わってくる所に、花形が他の会と異なる特色があり魅力でもある。

<  番組  >
前座・春風亭一力「平林」
春風亭朝也「新聞記事」    
笑福亭たま「漫談家の幽霊」 
母心「漫才」       
三遊亭王楽「夢金」       
―仲入り―
ゲスト・桃月庵白酒「短命」  
鏡味正二郎「曲芸」     
春風亭柳朝「紺屋高尾」
(ゲスト以外はネタ出し)
朝也「新聞記事」、二ツ目の中のイチオシは落協ではこの人、芸協では円満。もっとも円満の場合は二ツ目にしておくのが不自然なのだが。朝也の良さは聴いていて思わず頬が緩んでくるような面白さだ。外連味がなく真っ直ぐでクスリと笑わせる東京落語の本流を行っていると思う。
このネタでも、少なくとも正蔵よりずっと上だ。 

たま「漫談家の幽霊」、対照的に常に客を笑わせないと気が済まないという上方落語の典型。五輪招致でナントカいうタレントが「東京は安全だ。財布を落としても必ず届けられる」とスピーチした翌日に、みのもんたの息子が財布を盗んだ。あれ前の日でなくて良かった。徳洲会から猪瀬知事へは裏金だから「おもてなし」、といったマクラで爆笑を買っていた。本編は怖い話を披露し合うという集まりで、これにオチをつけて小咄にしてしまうという、いかにも”たま”らしい創作もの。
この人は古典を演じてもなかなかの実力を示し、将来性を感じさせる。

母心「漫才」、初見。男同士だが、相方が和服のオバサンの恰好なので男女漫才のように見せるという変わったスタイル。国立より浅草が似合いそうな泥臭さがある。売れ始めの勢いを感じる。

王楽「夢金」、古典をそのまま演じて聴かせるというのは実力のある証拠だし、本人が宣言していたように大賞の有力候補だろう。ただこの人には「老成」を感じてしまう。良くいえば完成度が高いが悪くいうと若さが無い。この辺りがどう評価されるかだろう。

白酒「短命」、この会のゲストには二タイプあり、先輩として手本になるような高座を見せる人と、流す人。白酒は後者。

正二郎「曲芸」、いつ見ても鮮やか。寄席の太神楽は複数で演じるが、それをこの人は一人で演ってしまうのだからスゴイ。

柳朝「紺屋高尾」、このネタで最も肝心な、高尾に出会えた紺屋の職人の、身の震えるような感激が伝わってこなかった。
それと紺屋職人が身分を明かしてからお床入りとしていたが、高尾ほどの格の花魁になると初会ではお床入りはしなかった筈だが。やはり翌朝の別れ際に切り出すという風にするのが自然だと思う。

出演者の真剣勝負、今回も見応え聞き応えがあった。

2013/12/21

J亭落語会「一之輔独演会」(2013/12/20)

12月20日、JTアートホールアフィニスで開かれた”J亭落語会「風」シリーズ「春風亭一之輔独演会」”へ。
飛ぶ鳥を落とす勢いとはこのことで、今や一之輔の独演会は軒並み前売り完売、それも数か月先までも。それだけコアのファンが多い証拠だ。会場を見ると女性客、とりわけ30凸凹~40凸凹と思しきご年齢の方が目に付く。もちろん、この会場らしいスーツにカバン姿のビジネスマンの人たちも多い。
この勢いがどこまで続くのか、どこかで壁にぶち当たるのかも興味のある所。
マクラで言ってたが、アタシのネーミング(流行ってないけどね)である「三白一兼」世代で、三三、白酒、兼好らが次々と弟子を取り始めたようだ。百栄まで、何を教わりたくてあの人の弟子になったんだろう、弟子じゃなくて実は監視員じゃないかと、これは一之輔が語っていた。私は取りません、だっていま弟子を取ったら、あいつは天狗だと言われるに決まってる。それでなくても、そう思われているんだからと。まあ35歳でこれだけ世間から持ち上げられたら天狗になるなという方がムリでしょう。また芸人なんだから、いい意味で天狗になるのは悪いこっちゃ無い。

<  番組  >
前座・柳家さん坊「金明竹」
春風亭一之輔「代脈」
古今亭志ん八「ニコチン/魚男」
春風亭一之輔「茶の湯」
~仲入り~
春風亭一之輔「鼠穴」

二つ目の志ん八「ニコチン/魚男」、会場がJTということで「ニコチン」を。禁煙した男にニコチンが訪ねてきて断ると次に電子タバコが来る。ニコチンの誘惑に悩んでいる所へ今度はアルコールが訪れ・・・。禁酒落語ならず禁煙落語。
ここで終りと思ったらもう1席「魚男」、釣りだけが趣味の男と旅行好きな女房とのヤリトリで、これは本人の趣味からの創作のようだ。「趣味」をキーワードとすれば一之輔の2席目ともつながるわけで、ネタの選び方が気が利いている。
近ごろの若手には珍しく低いテンションの高座だが、語りはしっかりしているので聴きやすい。

一之輔の1席目「代脈」、しばしば寄席にもかかるが、アタシにはどうもこのネタの面白さが分からない。面白かったのは志ん朝の高座だけ。医者の弟子である銀南を与太郎風に演じるケースが多いのだが、そんな人間をわざわざ代脈に遣わせる医者の心境が分からない。志ん朝のように程々の愚か者(これからの修行で使い物にになるかも知れない程度の)という描き方でないと説得力がない。
一之輔の演出では銀南が羊羹の薀蓄をたれる場面に力点を置いていたが、成功したとは言い難い。

一之輔「茶の湯」、一之輔を一字で表すなら「進」だろう。常に進化するので「進」。この人の「茶の湯」を初めて聴いたのは数年前にもなるか、その後何度か聴いているが、その度に内容を変えている。今回の変化は特に大きく別物みたいに感じた。終いには茶の湯の席がまるで新興宗教の道場のように描かれ、定吉の人格が壊れてゆく。客席は大いに沸いていたが、これが「進化」なのか「改変」なのかは判断の別れるところだ。
ここまでの2席を聴いた限りでは、一之輔はどこへ向かおうとしているのか、何を求めているのかがよく分からない。

一之輔の3席目「鼠穴」、一転して人情噺。
圓生の演出と比べ大きく変えている所は、弟が火事で焼け出され再び兄の家に金を借りに行くと、商人が女房を持つなんて元々贅沢だ。その女房が病の床に臥せていると言うと、兄はそれは寿命なんだから諦めろと言い放つ。夢の中の兄が一層冷酷な人間として描かれていて、物語の悲劇性を増す演出となっている。
しっかりとした語り口はいかにも一之輔らしさが出ており、このシリーズの年の終わりに相応しい好演だった。

2013/12/20

県民ホール寄席300回記念スペシャル企画(2013/12/19)

12月19日、神奈川県立音楽堂で行われた「県民ホール寄席300回記念スペシャル企画“県民ホール寄席に縁の噺家六人衆”華の競演会」へ。
県民ホール寄席は33年の歴史をもち300回を重ねた。その記念企画として小三冶、喬太郎の独演会に引き続き人気落語家6人が顔を揃えた。
過去の出演者とネタがリストアップされていたが、5代目小さん、志ん朝、談志、米朝、枝雀といった錚々たる顔ぶれ。亡くなった人も多い。
なぜこの会へかというと、前の2回の独演会はいずれもチケットが取れず、この会だけが取れてしまったからだ。
この劇場は駅からの登り坂が急なのと、座席が狭いので苦手。ロビーで生志が新刊のサインセールをしていたが、近ごろの噺家は本ばかり書いてる。どっちが本業だか分からん。

<  番組  >
出演者全員「口上」
立川談春「桑名船」
柳家花緑「つる」
立川志らく「親子酒」
~仲入り~
柳家三三「橋場の雪」
立川生志「道具屋」
柳家市馬「掛取り」

「口上」、司会の談春にシニカルな響きが感じられたのは、6人まとめてという企画に多少不満があったんだろうか。同じ300回記念で喬太郎は独演会なのに、なぜ俺たちはが。確かに談春一人でもこの会場を満員にできるからね。談春と志らくの「お約束」のじゃれ合いやら、県民ホール寄席の思い出やら、思い出が無いやら。面白可笑しく会場をワッと沸かして終了。

談春「桑名船」、先日の「談志まつり」と同じネタ。前回と同様に今ひとつ気分が乗らない高座だった。この人は独演会では良いのだが、こういう大勢の会では概して出来が悪い。

花緑「つる」、今どき”じぇじぇじぇ”だの”今でしょ”だの、前座だって演らないぜ。そいいうセンスのズレをこの人には感じるのだ。鶴の語源を教えに行く先の人は通常大工だが、花緑は床屋にしていた。

志らく「親子酒」、父親が禁酒を破って独りで酒を呑みながら悪口をいう場面が面白い。円丈が「落語家の通信簿」とかいう本を書いているそうだが、他人の芸をとやかく言うほどの芸人かいと思ってしまう。新作は評価するとしても、少なくとも円丈の古典は真打の下位レベルだ。談志や志らくは酷評されていて、志らくはそれが面白くないようだ。談春に対しては”上手いが人の心を打たない”と書いてあるらしく、それだけはその通りだと言っていた。同感。時々見せる時事評論には鋭さがあり、この人は本筋よりギャグが持ち味のようだ。この日一番会場を沸かしていた。

三三「橋場の雪」、良く似ているが「夢の酒」とは別のネタ。似てる筈で元を辿れば同じ噺、改作を重ねるうちに別の演目になってしまった。
夢に出る若旦那の相手の女性も「夢の酒」では新造だが「橋場の雪」では後家で、若旦那が浮気に及ぶまでのストーリーも後者の方が複雑だし、小僧の定吉が重要な役割を果たす所も特長だ。
普段だともう少し情緒があるのだが、時間にせかれて急いだせいかその部分が薄目になってはいたが、さすがにこういうネタは三三は上手い。

生志「道具屋」、前座噺だが上手い真打の手にかかるとここまで面白くなるという典型。正味10分程度で切り上げたがテンポが良く、古道具に猪瀬の5000万円を入れたカバンを登場させるなどコンテンポリーなクスグリも入れての楽しい1席にまとめていた。

市馬「掛取り」、年末恒例のネタで、ここ数年毎年この時期になると市馬の「掛取り」を聴いている。落語なんだか歌謡ショーなんだか分からないが、とにかく賑々しく会場を盛り上げて目出度くお開き。

休憩を除けば2時間15分でこれだけの番組をこなしたわけで、良く言えば手際がいい、悪く言うと粗っぽい、そんな印象だった。

2013/12/19

【徳洲会事件】猪瀬都知事の辞任で笑う者

猪瀬都知事の辞任がようやく決まったようだ。辞任は時間の問題と見ていたので意外な感じはない。
猪瀬知事にまつまる徳洲会からの5000万円の政治献金、本人は否定しているが都知事選挙のための資金として提供されたのは明白だろう。徳洲会に捜査の手が伸びたので慌てて返したのはミエミエだ。
猪瀬と徳洲会を結んだのは勿論、石原前都知事。両者が昵懇だったのは夙に知られている。
ただ、この問題が都議会で追及されると、自民党は本部から都議会にいたるまで猪瀬を擁護する動きが無いばかりか、むしろ追い詰める姿勢を強めていたことに釈然としないものを感じていた。
なにか臭うのだ。
ここでいくつか推論を述べてみたい。

一つは、徳洲会事件の幕引きを図っているというもの。徳洲会による政治家への違法な献金は広範囲に及んでおり、第二のリクルート事件に発展する可能性が指摘されている。特捜部も久々に本気モードでいるらしいが、捜査が本格化すると自民党内部や、政権周辺にまで及びかねないとの情報もある。
金にまつわるスキャンダルは政権の命取りになる。
そこで猪瀬の首を差し出して特捜部の顔を立てて、引き換えに徳洲会事件の幕引きをさせる。こういう筋書きは十分に有り得るだろう。
二つ目は、地方法人税の国税化をめぐる問題だ。税収に占める法人税の割合が大きい東京都は、税制改正大綱で国税化が決まると約1000億円の減収が見込まれる。
これに対して猪瀬知事は「まず国は歳出の抑制、規律、財政規律をきちんと持って、3兆円も『不用額』が出ているということについて、まず反省しなければいけない」と、国の財政規律の是正が先決であると強調し、強く抵抗していた。
抵抗勢力を排除したい思惑が政府側にあったとしても、おかしくはない。
三つ目は、オリンピック工事にかかわる利権問題だ。実はここのところ、「豊洲新市場」など東京都の工事で相次いで入札不調が続いていた。大手ゼネコンが直前になって辞退したためだ。
五輪を契機に大きく儲けたいゼネコンが安値受注を避けたためだ。
猪瀬は「オリンピックだといってあれもこれもやりたいと色々な便乗が出てくる」として、こうした動きを牽制していた。
これが、予てから建設業界と癒着している自民党都議会の実力者の逆鱗に触れた可能性がある。
四つ目は、石原前知事との関係だ。前述のように元々徳洲会と猪瀬を結んだのは石原慎太郎であり、猪瀬への献金問題が長引けば石原にも影響が及びかねない。石原は今は維新の会代表ではあるが安倍首相の盟友で、政権としてはいわば身内。
猪瀬の辞任には石原慎太郎が引導を渡したのが決定的だったと報じられているが、この件で石原の身に火の粉が降りかからぬよう早目に手を打ったのだろう。

猪瀬知事の辞任は当然としても、辞任の陰で笑う者を出さぬよう、監視を続けねばなるまい。

『SEMINAR/セミナー』(2013/12/18)

12月18日、紀伊国屋ホールで行われた翻訳劇『SEMINAR~セミナー~』へ。
2011年NYで上演とあるから、日本初演だろうか。
たまたま広告を見ていたら栗山民也の演出とあり、それならハズレは無いだろうと見込んでチケットを購入した。出演者の顔ぶれが面白そうだというのも、もう一つの理由。

作:テレサ・リーベック
翻訳:芦沢みどり
演出:栗山民也
<  キャスト  >
北村有起哉/レナード:有名作家で編集者
黒木華/ケイト:作家志望の金持ちの令嬢
黒川智花/イジー:性的魅力と大胆さで男たちを翻弄する作家志望の若い女性
相葉裕樹/ダグラス:叔父が有名作家の、作家志望の若者
玉置玲央/マーチン:自己主張の弱い作家志望の若者。レナードに批判的

ケイト、イジー、ダグラス、マーチンという個性もキャリアも異なる4人の作家志望の若者が、有名作家で今は編集者のレナードによる10週間5,000ドルのセミナーに参加する。生徒4人それぞれに作品を書かせ、レナードがそれを読んで講評するという形式のセミナーだ。
ケイトの作品は読むに値しないと酷評され、ダグラスの作品は中身が無いと批判される。たった2枚の原稿のイジーをレナードは高く評価するが、作品ではなく彼女の振りまく性的魅力にレナードが惹かれているのは明らかだ。そしてマーチンだけがいつまでも作品を出さず、レナードから臆病者とののしられる。
時にその批判の矢は本人の人格にまで向けられ、生徒たちは反発する。なぜそこまでレナードは冷徹になれるのかと。
そんな時、業界筋から聞いたと言ってダグラスがレナードのスキャンダルを暴露する。それは、かつて流行作家であったレナードが教え子の作品を盗作した疑いで世間から見放されたというものだ。生徒たちがその疑惑をレナードにぶつけると、第三差のような口ぶりで彼の半生が語られる。
果たしてセミナーの行方は、4人の若者の未来は、レナードの真意は・・・。

全編ディスカッション・ドラマだ。
高尚な文学論から下世話な話まで。ミステリアスな部分もあるし、男女の愛憎劇もあれば際どい場面もある。
シニカルでありながら情熱的、終幕では若者たちそれぞれの明るい未来も示唆されていて後味は悪くない。
テンポの良さはオリジナルなのか、又は栗山民也の演出によるものだろうか。
芦沢みどりの翻訳もコナレテいてセリフに不自然さがない。
小説に限らず詩歌や俳句など文学の世界では師弟間、あるいは編集者と作家との間に男女関係が生じることはさほど珍しくないようだ。そんなエピソードも折りこみ、楽しい娯楽作品に仕立てられている。

一見すると冷徹で不道徳的であり、暗い過去をひきずりながら若者たちの将来も見据えているという複雑な性格のレナードを演じた北村有起哉に圧倒液な存在感がある。セリフ回しや雰囲気がますます父親に似てきた。
若者を演じた4人の俳優はいずれも好演。なかでもレナードに反発しながら惹かれあうマーチン役の玉置玲央の演技が光る。

2013/12/15

#12らくご古金亭(2013/12/14)

12月14日、湯島天神参集殿1階ホールで行われた「第十二回 らくご・古金亭」へ。
数ある落語会の中でも、雲助一門と当代馬生一門の噺家が「5代目志ん生と10代目馬生が演じた噺だけを演じる」という明確なコンセプトを持つ珍しい会だ。常連が多いが初めて来た人でも十分に楽しめる内容となっている。毎回ゲストを招いているが、この顔ぶれと演目が良く考えられていて、よほどプロデュースがしっかりとしているのだろう。もう少し客が入ってもいいと思うのだが。

<  番組  >
前座・金原亭駒松「豆屋」
金原亭馬吉「饅頭こわい」
蜃気楼龍玉「親子酒」  
柳家蝠丸「江島屋」*   
五街道雲助「掛取り」 
~仲入り~
柳家小満ん「雪とん」* 
金原亭馬生「富久」
(*印:ゲスト)

前座・駒松「豆屋」、身体も声も大きくて良い。
馬吉「饅頭こわい」、饅頭の中に”肉まん”も、確かにあれも饅頭か。快適なテンポで手際よくまとまっていた。真打が近いだろう。

龍玉「親子酒」、禁酒している時に呑む酒は実に美味い。この親父さんも誘惑に勝てなかったと見える。息子に説教中に眠ってしまうとは泥酔のし過ぎのようで、息子もグズグズに酔ってましたな。

ゲストの蝠丸「江島屋」
この会に芸協の噺家が出るのは珍しい。紹介によれば芸協の怪談の名手とか。このネタも蝠丸と歌丸ぐらいしか演じ手がないそうだ。今回で聴くのは3度目位だと思うが、様子が3代目三木助を思わせる。
「江島屋」又は「江島屋騒動」だが、元は三遊亭圓朝作「鏡ヶ池操松影」で長編だそうだが、その中の江島屋という古着屋が悪事が原因で店が潰れるまでの部分。
芝日陰町の古着屋街の大きな店構えの「江島屋」だが、店だけは立派で中身は火事で焼け残った着物を糊で貼り合せるというイカモノ商売。
ある時、番頭の金兵衛が商売で下総へ行く藤ヶ谷新田で、雪の中、道に迷う。ようやく1軒のあばら家をみつけて泊めて貰うが、そこに住んでいたのはガリガリに痩せた白髪の老婆。
夜中に目を覚ますと、その婆さんは囲炉裏に友禅の切れ端をくべて、何か字を書いて箸で突き刺している。
あまりの恐ろしさに訳を聞くと、かつてこの女の娘が名主の息子と婚礼となり、江戸で「江島屋」という店で婚礼衣装を買いそろえた。花嫁は馬に揺られて名主宅まで行くのが当時の習慣であった。歩き始めると雨が降りだし、着く頃には濡れ放題に濡れてしまった。
その晩、嫁が招待客にご馳走をふるまっていたが、急に立ちあがった時に客の一人から着物の裾を踏まれていた。婚礼衣装はのり付けされたイカモノで下半身が取れてしまった。客は笑い、娘は泣き崩れ、婚礼は破談になってしまった。
翌日、娘は神崎の土手に恨みの着物の片袖をちぎって、柳に掛けて身を投げてしまった。
その恨みを晴らすため、「江島屋」の主人から奉公人を殺し店も潰れるように、灰の中に「目」の字を書いて、箸で突いているのだという。
驚いた番頭は夜の明けるのも待ちきれず、江戸に戻ってきたら店に「忌中」の札が下がっていた。聞くと奥様が急死したと言う。通夜の晩に小僧が2階から落ちて死んだと言う。
それからしばらくして、主が蔵の商品を調べたいのでと番頭を呼び、一緒に蔵に入った。蔵の隅には若い女がいて、婚礼衣装を着けているが腰から下が無い。
番頭は主に、藤ヶ谷新田での婆さんの事を詳しく話して、「江島屋を盲目にしてやる」と火箸で灰を突く仕種をすると、その先が主の目を突き盲目になってしまう。
植え込みを見ると、藤ヶ谷新田で見た痩せ細った婆さんが、濡れたまんまで立っていた。
結局、そのまま「江島屋」は潰れてしまう。
志ん生から先代馬生へを受け継がれてきた噺だが、蝠丸は明快な語り口で聴かせてくれた。この人の明るいキャラのせいか、この噺を陰惨に感じさせなかった。
収穫の1席。

雲助「掛取り」、上手いし、何を演らせても様になる。いう事なし。

ゲストの小満ん「雪とん」
志ん生が得意としたネタで、元々は「お祭り佐七」という噺の一部。上中下と分ければ「中」に相当するのがこの「雪とん」、もちろん冬の噺。
船宿に泊っていた、地方から出てきた大事なお客様の若旦那がここの所具合が悪いらしい。女将が聞き出すと”恋患い”だという。相手は本町2丁目の糸屋の娘で器量良しだが身持ちが固い。
諦めろといったが若旦那は聞き入れず「杯の一つでも酌み交わしたい」と言い、ダメなら死んでしまうと言い出す。女将も人の命には代えられないのでと、娘の女中に話をし小判2枚を包んで頼み込む。
女中は、それでは明日の晩、四つ時にトントンを合図に裏木戸を開けるからと約束してくれた。それから先は若旦那の腕次第ですよと。
その晩大雪になり、若旦那は道を間違えて木戸を叩いたがどこも開けてくれなかった。
ちょうどその頃に、年が25,6の役者のような色男が通りかかり、足駄に雪が挟まり黒塀に近づいてトントンと雪を落とした。これを合図と勘違いした女中に案内され娘の部屋へ。
あまりにもイイ男だったので娘は一目惚れ、結局その晩二人は枕を交わすことに。
早朝、色男が木戸から送り出されたのを一晩中雪の中を歩いていた若旦那が目撃し、後を付けていくと自分が泊まる船宿の女将と話をしていた。女将に聞くと男はお祭佐七と言って、彼が歩いていると街中の女達が取り巻いてお祭のようだと言うので、お祭佐七とあだ名されていると言う。
「お祭りだって!それでダシにされた」。
この噺は粋で洒脱な演者でなければ出来ない。そういう意味では小満んはピッタリ。
娘の家で佐七が先に床に入っていると、寝間着姿の娘が「お休みあそばせ」と挨拶にくる。佐七が馴れた手つきで親指と人さし指で着物の裾を掴んで引くと、「アレー!」と言って娘が布団に倒れ込む。
こんな描写は、小満んでなけりゃ出来ないね。
それにしてもこの糸屋の娘、年が18とか。昔の娘さんというのは随分と大胆だったんだね。もっとも、相手によるのか。

馬生「富久」、年末のトリ根多に相応しい演目で締め。幇間の久蔵の造形が良く出来ていて、久さんの喜怒哀楽に一緒に感情移入してしまった。

いずれを採っても好演熱演、落語会としては今年のベストと言ってよい結構な会でした。

2013/12/13

柳家小三冶独演会(2013/12/12)

12月12日、銀座ブロッサムで行われた「柳家小三冶独演会」へ。「またこの日が来ました」と言ってたので毎年の恒例らしい。
また「あの人」の姿を見た。寄席ではめったに出会わないが(それでも鈴本で数回見ている)、落語会では3回に1回位の割合でこの男性の姿を見るからかなりの確率だ。先月国立劇場で歌舞伎を観に行った帰り、今日は会わないとと思っていたら演芸場の前でパッタリ。まるで運命の糸で結ばれているようだ。
「あの人」と周囲の客とが談笑していることがあるので、あるいは関係者か評論家なのかも知れない。一度だけ席が隣り合わせになったことはあるが口をきいたことはない。
「あの人」とアタシの共通点は目付きが悪いことだ。きっとお互いに「また目付きの悪いのが来てるな」と思ってるんだろうね。

<  番組  >
柳家禽太夫「蔵前駕籠」
柳家小三冶「青菜」
~仲入り~
柳家小三冶「初天神」

小三冶は天才だ。
昭和30年代にラジオで「しろうと寄席」という番組があった。審査員の一人は8代目文楽だった。アタシの中学時代の親友が落語好きでしかも上手かった。数十倍の予選に勝ち抜き番組に出た。残念ながら鐘二つで不合格、それでも文楽からお褒めの言葉を頂き本人は有頂天だった。
その「しろうと寄席」に15回連続合格した高校生がいて、その天才少年が今の小三冶だ。
その親友が「朝太っていう凄い前座がいるぞ」と教えてくれたのが、後の志ん朝だ。
落語の世界も「栴檀は双葉より芳し」である。
小三冶の高座だが、寄席では時々聴いていたが独演会は久々だ。落語には色々な楽しみ方があるだろうが、アタシは長ったらしいマクラが苦手だ。もちろん本題への解説や導入部の小咄なら歓迎だが、ネタと関係のないマクラは御免だ。小三冶の独演会で続けてその長いマクラに辟易として、それからずっと遠ざかっていた。最近になって他の方のブログを読んで、あまり長いマクラを演じなくなったことが分かり、この日久々に足を運んだ次第。
席が2回の最後尾だったので3階席の気分。表情までは覗えなかったが、動作は寄席より大きめで良く分かった。
前座は無しで、弟子、本人、本人という順。これはいい。他の独演会も見習った欲しい。

小三冶「青菜」
古典落語と現実との乖離はますます大きくなってきた。
この日の1席目に出てくる植木屋、あなたの近所にいますか? 花屋はあるが植木屋は周囲から姿を消してしまった。縁側のある家も都会では見かけなくなってしまった。縁側で涼しい風に当たりながら、庭の手入れをしている植木職人の姿を見ながら一杯やるなんて、どこの世界かと思ってしまう。
この家の主、資産家であり風流人だ。庭の手入れにきた植木屋があまりの暑さに手を休めているのを見て「ご精が出ますな」と声をかける、この余裕、この優しさ。だから相手が職人でも少しも偉ぶらない。言葉づかいも丁寧だ。この主人の奥方もきっと慎ましく、かつ教養のある女性なんだろう。
そういう家庭、そういう夫婦に憧れ、自分たちも真似をしたいと思い立った植木職人が失敗する物語だ。
だから前半の屋敷での主と植木職人との会話や仕種の描写が大切になる。小三冶の演出はこのシーンにたっぷりと時間を掛けて双方の人物描写と対比を丁寧に見せた。ここが他に演者とは決定的に違うのだ。
緩急でいえば、ここまでが緩。
植木屋が家に戻ってからは急、こちらの女房ときたら「イワシ、冷めちょうよ」が口癖の声が大きいガサツ者。そのくせ、柳影が直しのことであり鯉の身が白いことまで知っていて、亭主の自慢話にいちいち口を挟むという屋敷の奥方とは正反対。でも頭はいいんですね、だって「鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官」というセリフを一度で憶えてしまったんだから。
後半の植木屋と大工の男とのチグハグなヤリトリと、汗まみれのお上さんの奮闘ぶりで場内を沸かせた。
他の噺家とのモノの違いを見せつけた1席。
季節感は外れるが、寒い時期に夏のネタを掛けるのも悪くない。

小三冶「初天神」
近ごろご近所で凧揚げしてるを見かけたことがありますか? 多分ないでしょう。それ以前に凧を売ってる店を見なくなった。アタシが子どもの頃の縁日では凧が売られていたし、昭和40年代の前半位までは東京でも凧を売っていた。
正月に凧を揚げる習慣もなくなり、僅か数十年でこの噺もすっかり古びてしまったわけだ。
小三冶は凧揚げをしたことがあるんだろう、手つきがちがうもの。風を読みながら糸を引いたり弛めたりして遠く高く揚げてゆく、その楽しさが表現できないとこのネタのオチの面白さが伝わらない。
古典落語を演じるのがますます難しさを増していく。
この噺に登場する金坊だが、近ごろは悪ガキとして描かれる例が多い。
しかし小三冶の演出は、確かにコマッシャクレてはいるが、無邪気な少年として描いている。
初天神に父親と一緒に行きたいと駄々をこねる子どもですよ、無邪気に決まってるでしょ。今どきの悪ガキなら、頼まれたって親になんか付いて行かないよ。落語のリアリティというのは、そういう所にある。
凧を売る店の男が「糸」や「うなり」を付けるのを勧めるが、糸が付いてなければこの後の凧揚げの場面が成り立たないし、凧揚げの楽しさの一つは「うなり」にある。
だからこういう細部への拘りが大事なのだ。

小三冶の高座を観ていると、古典落語に取り組む姿勢が他の大多数の噺家とは大きくかけ離れていることが分かる。
それは小三冶が、人物を丁寧に描き噺を真っ直ぐに語るなら、それだけで可笑しさが出てくるという基本に忠実だからだ。
残念なのは、この人の芸を継ぐ人が中堅や若手に見当たらないことだ。

2013/12/12

政治家の「失言」は失言にあらず

政治家の「失言」はしばしば話題にのぼるが、政治家はそれ程バカではない。一見、失言に見えて、実際には十分に計算の上の発言であることが多い。
12月11日、自民党の石破茂幹事長は11日、日本記者クラブで会見し、特定秘密保護法で指定された秘密を報道機関が報じることについて「何らかの方法で抑制されることになると思う」と述べた。特定秘密に関する報道は規制する必要があるとの考えを示したものだ。
さらに、秘密を報道した場合について「最終的には司法の判断だ」と発言している。処罰の対象になり得るとの見方を示した。
秘密法では「国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない」と明記されており、正当な取材で秘密を入手した場合は処罰の対象にならず、秘密を報じた場合の罰則規定もない。
石破茂は約2時間後、自民党本部で記者団に「(秘密を)漏洩した公務員は罰せられるが、報道した当事者は処罰の対象にならないということだった」と訂正した。秘密に関する報道についても「抑制を求めたものではない」と釈明した。

報道では石破幹事長の法律に対する無理解が原因とされているようだが、それは違う。自民党の幹事長が秘密保護法を知らないわけがない。
これは報道機関に対する警告であり、脅しだ。こういうことも起こり得るので、報道には注意しろよというサインと見るべきだ。
先日のデモをテロ視した発言も計算されたものと見てよい。これも後に撤回したが、反政府デモはテロとして扱う場合もあるぞという警告だ。
石破の一連の発言は計算した上での「失言」だろう。

「特定秘密保護法」の最大の目的は法を犯した者を処罰することではなく、メディアに自主規制を求めることにある。理想的には国民を「見ざる聞かざる言わざる」にすること。
だからこの法律によって実際に罰せられるという者は極めて稀になるだろう。伝家の宝刀を抜くぞ抜くぞと見せかけて黙らせる、これが最も賢いやり方だ。
秘密法の本音の部分を幹事長に発言させている点にも注目したい。
第一次安倍内閣は閣僚の失言や不祥事で短命に終わってしまった。だから政府首脳や閣僚には安全運転を指示し、いわば汚れ役を石破にやらせているのだろう。
石破がつぶれても安倍首相としては痛くも痒くもない。党内最大のライバルがつぶれるのはむしろ好都合。

話は変るが、猪瀬都知事の不正資金問題。
次の都知事候補には維新を飛び出した東国原が名乗りをあげるらしい。
これじゃまるで「そのまんま」じゃん。

2013/12/10

「ネットで世論調査」なんて出来ない

近ごろ「ネット(00サイト)の世論調査」という表現を時おり眼にするが、現状ではネットの世論調査はできない。
世論調査というのは、ある社会集団の構成員について世論の動向を明らかにする目的で行なわれる統計的社会調査、またはその調査技法をいう。
例えばある特定の問題について国民の世論を調査するなら、本当は国民全員の意見を調べなければならない。しかし時間的にも費用面でもそれは不可能なので、一定数の人々を標本として、設問し回答を集約することにより、国民全体の世論を推定することになる。
「世論調査」というのは統計理論に基づいた標本調査でなくてはならない。
この場合大事なのは、調査対象全体(母集団)から偏向なくサンプリングを行わなければ結果は不正確なものとなるということだ。
ネットでは世論調査が出来ないというのは、現状では「偏向なくサンプリング」が出来ないからだ。ネットの利用者が限られているし、調査対象がサイトに接続しているか、あるいはサイトの会員に限られている。
ネットで出来るのは、そのサイトの利用者や会員の意見の集約だけで、いわゆる「アンケート調査」である。
今回の「特定秘密保護法」の調査で、マスコミの世論調査とネットの調査で賛否に大きな隔たりがあるとされているが、当然のことだ。
もちろん、定期的に調査していれば、その変化により動向を把握できるという可能性はある。
また将来、国民の大半がネットを利用するようになり、従来手法の調査とネットの調査との偏りが修正できるようになれば、ネットを使った世論調査も可能になるかもしれないが、かなり先の話だ。

現在はどのような方法で世論調査が行われているかだが、TV局や新聞社では一般に「RDD方式」を採用している。
この方法は、コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話を対象として行なわれる。NTTなどの電話帳に掲載されていない電話番号も抽出対象となりえる。
比較的偏りがない方式ではあるが、問題点もある。
先ず固定電話を持たない人は対象外になってしまう。
回答率も問題で、低くなればなるほど精度は落ちてくる。
「無回答・分からない」という回答をどう評価するかによっても判断が分かれる。
朝日新聞の調査には回答を拒否しても、産経新聞の調査には応じるなどといった、調査主体の影響もある。

この他に、設問の仕方によっても回答が変ることもある。
「消費税率を上げることについて」という設問で、回答欄が「賛成、反対」という場合と、「やむをえない、反対」という場合では、回答が異なるだろう。
設問の前段に「日本はこれから少子高齢化社会をむかえ、社会保障費の財源不足を補うために消費税率を上げることが予定されているが」と書き加えれば、これまた賛否は大きく変わる。
世論調査に名をかりた世論誘導もある。
調査結果だけでなく、調査方式、設問の仕方、回答方法など中身を見ておく必要があるわけだ。

いずれにせよ世論調査の定義を考えたら「ネットの世論調査」などという表現は不正確だ。

2013/12/09

「役割語」って、そうだったのか

「そうじゃ、わしが知っておる」と言う博士に
「そうですわ、わたくしが存じておりますのわ」と言うお嬢様に
「そうじゃ、拙者が存じておる」と言う武士に
「そうアルヨ、わたしが知ってるアルヨ」と言う中国人に
「んだ、おら知ってるだ」と言う田舎者に
「インディアン、ウソつかない」と言うインディアンに
あなたは出会ったことがありますか?
ないでしょうね、私もない。
でも、日本人なら誰もが言葉を聞いただけで話者がイメージできるでしょう。こうした特定のキャラクターと結びついた特徴のある言葉使いを「役割語」というそうです。
もう少し詳しく定義すると、次のようになります。
【ある特定の言葉づかい(語彙、語法、言い回し、イントネーションなど)を聞くと、特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格など)を思い浮かべることが出来るとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることが出来るとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。】

「金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)」では、こうした役割語について詳細に書かれています。
なぜ私たちは役割語から特定の人物像を描くことが出来るかというと、子どもの頃に読んだ童話や絵本、マンガ、小説、映画・演劇、大衆芸能、外国映画やドラマの字幕や吹き替えなどで、繰り返し眼に、耳にしてきたからです。
イメージが固定しているから、文章を書く方も楽ですし。
だから子ども向けの本やマンガ、作家の清水義範の言うB級小説では「記号的台詞」として役割語が多用され、イメージの固定も再生産されるわけです。

ただ役割語が現実とはかけ離れた「ヴァーチャル日本語」ゆえに、ステレオタイプと結びつきやすいという問題も生じます。
例えば男性は理性的だが女性は感情的であるとか。
マンガや小説に出てくる関西人、あるいは関西語をしゃべる人間というは、冗談好き笑わせ好きで、けちで、食いしん坊で、好色で下品で、エネルギッシュで、時にやくざ風な人物として表現されてきました。
かつては翻訳小説に出てくる白人は標準語、黒人は田舎言葉をしゃべっていました。ここから白人=頭の良い都会人、黒人=頭の弱い田舎者という固定観念が出来ていました。ついこの前まで、TVドラマの吹き替えでは白人が「私は・・・です」と言っていたのに対し、黒人には「俺は・・・だぜ」なんて言わせていました。
また「アルヨ言葉」を話すのは専ら中国人とされ、戦前から戦後にかけては、しばしば太った怪しい愚鈍な人物として描かれてきました。
今でもネットの一部のサイトでは、韓国人や中国人を揶揄したり貶めたりする目的で、ステレオタイプ言語としての役割語を意識的に使っている例が見られます。
人間の多様な個別性の注意を払わず、見た目や性別、出身地や国籍、階層といった表面的な特徴で分類し、ステレオタイプに当てはめ、それに基づいて行動するとき、偏見や差別が生まれます。

先にあげた『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』には、標準語や役割語がどのような過程で形成されたのか、又どのように変遷してきたのかが詳細に書かれていて参考になります。
普段あまり考えずにいて、言われてみて初めて”そうだったのか”と気付かされる、示唆に富んだ一冊です。

2013/12/08

#1柳家さん喬一門師弟四人会(2013/12/7昼)

12月7日、イイノホールで行われた「第1回柳家さん喬一門師弟四人会-師匠と弟子三人よれば一門の智恵-」へ。さん喬一門の4人の真打による落語会で、さん喬と喬太郎が2席ずつ演じるという趣向。
昼夜公演でその昼の部へ。
この日、さん喬はここで4席演って、さらに鈴本のトリで合計5席。落語家も重労働だね。

前座・金原亭駒松「から抜け」
<  番組  >
柳家さん喬「萬金丹」
柳家喬之助「堪忍袋」
柳家喬太郎「カマ手本忠臣蔵」
~仲入り~
柳家さん喬「按摩の炬燵」
柳家喬太郎「粗忽長屋」
柳家左龍「立ち切れ」

サラでさん喬が登場し会場がどよめく。マクラで外苑の絵画館前の落葉した銀杏を描写したのはいかにもこの人らしい。昼夜通しで来ている客が200人と言っていたが、噺家冥利に尽きる。
「萬金丹」だが訳があって江戸を離れて旅に出た二人は一文なし、山道で夜になりようやく宿を見つければそこは寺。住職に願って泊めてもらうが、金がないのでそもまま坊主にしてもらって居続ける。住職の留守の間に檀家の人が亡くなり葬儀となり、いい加減なお経をあげて切り抜けるが、さて戒名を求められて困る。仕方なく懐から取り出したのは丸薬の「官許伊勢朝熊霊法万金丹」・・・。
柳家の代々受け継がれてきた噺で、さん喬はとぼけた味わいで演じた。
聴かせ所の「お経」が今ひとつ。ここは5代目圓楽が上手かった。

喬之助「堪忍袋」、朝から夫婦喧嘩を繰り返す二人に仲裁に入った旦那が、堪忍袋を縫わせて腹が立ったらその中へ怒鳴り込めと諭す。効果てきめんで喧嘩が収まり、それを聞いた近所の住人が次々と来ては怒りを袋に吹き込み、とうとう満杯に・・・。
喧嘩好きや短気な男に目上の人が中国の故事をひいて諭すというのは落語のパターンの一つだが、昔はそうしたことが多かったんだろう。
喬之助は千葉のA中学での公演で、一席終わった後で校長が「生徒の皆さん、お疲れさま」と挨拶したことを怒って袋に吹き込むというクスグリを入れ面白くまとめていた。

喬太郎「カマ手本忠臣蔵」はタイトル通り「仮名手本忠臣蔵」の新作パロディ。
以前に当ブログにも書いたが、いわゆる「赤穂事件」の最大に謎は、吉良に対する浅野の刃傷の理由が最後まで分からなかったことにある。事件後の聴取で、浅野は「私的な遺恨」であることを繰り返し述べたが、その具体的な内容は最後まで口をつぐんでしまった。一方吉良は「恨みを受ける覚えがない」と主張した。だから吉良には罪が無いとされてしまった。
加害者である浅野が処罰されるのは当然だが、もし吉良に落ち度があれば吉良にも何らかの処罰が下された可能性が高い。
事実、これ以前に起きた殿中刃傷事件では口論(喧嘩)が原因とされ、被害者側もお家断絶の処分になっている。
浅野内匠頭の「一言の申し開きもない」という弁明が、この事件をややこしくしてしまった。
原因が分からないので後世の解釈は自由、それがこの物語の人気の秘密かも知れない。
よく知られているのは吉良が浅野に作法を教えなかったというものだが、勅使接待の吉良/浅野コンビはこの時が二度目で、しかも吉良が浅野を指名していたという事実もあるのだ。
喬太郎のネタでは吉良と浅野が同性愛者として描かれ、刃傷は痴情のもつれが原因としている。同性愛が多かった江戸時代、そういう設定もアリかなと。
討ち入りでは吉良方の全面勝利に終わるが、武士道の精神のために家来が吉良の首を討ち、赤穂浪士の装束に身を包み首を浅野の墓に手向けるという結末。「逆説忠臣蔵」だ。
喬太郎は一気呵成の勢いで、無理のある筋を演じた。勢いがなくっちゃ出来ないネタですね。

さん喬「按摩の炬燵」、喬太郎が得意としていて何度か聴いているが、さん喬の高座は初めて。8代目文楽の持ちネタで久しく演じる人がいなかったようだが、さん喬が掘り起し喬太郎に伝えたのだろうか。
冬の寒い夜に店の番頭と小僧たちが、盲人に酒を呑ませて炬燵の代りにするという筋で、障碍者を貶めるということで高座にかけ難くなっていたんだろう。
昔の風通しのよい家屋では冬の寒さは堪えたんだろう。奉公人たちの環境を描く事で暖を取る切実さを訴え、このネタの後味の悪さを消していた。
ただ喬太郎を先に聴いていると、盲人のあの明るい被虐性に比べ、さん喬の高座は物足りなさを感じてしまう。

喬太郎「粗忽長屋」、行き倒れの立ち合い人(長役人だろうか)が粗忽な二人の行動を迷惑ながらも楽しんでいるという演出が特色。
これも柳家のお家芸ともいうべき1席。

左龍「立ち切れ」、古くは江戸落語では色々な形で演じられていたようだが、今は上方の「立ち切れ線香」をそのまま東京の舞台に移した演出で行われている。師匠・さん喬が得意としているが、左龍もそれに倣っている。
大店の若旦那の道楽がテーマの落語では珍しく大旦那が登場しないネタで、若旦那を説諭し罰を与えるのは番頭。この店ではよほど番頭の力が強いのだろう。その番頭だが、親戚の者が若旦那に厳罰を求めたのに対し、100日の蔵住まいで済ませる。つまり番頭は若旦那の味方なのだ。その結果、若旦那に恋い焦がれた芸者は思いやつれて死んでしまう。
着実に力を付けてきた左龍の今の到達点を示したような高座で、人物の造形も鮮やかで結構でした。
気になる点は、衰えていく芸者のセリフの声が大きく、ここはか細い声で表現すべきだろう。そうしないと芸者の哀れさが伝わってこない。

季節感のあるネタ、柳のお家芸、古典、新作、人情話と、幅広い演目が演じられたこの会。ただ顔ぶれの割には物足りなさが残った。
夜の部はどうだっただろうか?

2013/12/05

【秘密保護法】創価学会員はどう考えているんだろう?

安倍政権はなにがなんでも「特定秘密保護法案」を成立させたいと、今日にでも参院での採決を強行する腹らしい。何が安倍らを駆り立てているのか、この法律が通れば彼らにとってよほど良いことがあるに違いない。
ただ分からないのは公明党の動向だ。この法案が出来ると公明党にとって、さらには支持母体の創価学会にとって、どんな得があるのだろうか。

安倍政権が目指すものは戦後民主主義の否定と戦前への回帰だと思う。現に、彼らが作成した新たな憲法草案を見ても、戦前の大日本帝国憲法へ一歩も二歩も近づいている。
創価学会の前身は、1930年に教育者だった牧口常三郎と戸田城聖らが中心となり組織した「創価教育学会」だ。初代会長は牧口。
戦時中は国家神道を批判するなどで弾圧を受け、1943年6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに不敬罪によって逮捕され、牧口は獄死する。
1945年7月に出獄した戸田は、組織名を創価学会に改名し第2代会長となった。
その後の発展も、戦後に治安維持法や不敬罪が廃止され、現憲法により「信教の自由」が保障されたからだ。そのことは創価学会にとっても信者である会員にとっても、身に沁みているはずだ。

だとしたら、「治安維持法」にも繋がりかねない「秘密保護法」に賛成するばかりでなく、自民党の強行成立に手を貸す理由は一体どこにあるんだろう。
そこが理解不能なのだ。
仮に公明党議員や学会幹部が与党の立場を守るためには自民党にすり寄るしかないと判断していたとしても、一般会員の方々はそれを受け容れているのだろうか。
どうも良く分からない。

2013/12/04

#36白酒ひとり(2013/11/3)

気が付けば師走に入ってしまった。歳をとると1年は早い。時間の速度は年齢に比例、それも二乗則で、どんどん速くなる。定年になった時はあれもやろうこれもやろうと計画していたが、その数分の1もできていない。老人老い易く計画なり難し。
11月3日、国立演芸場で行われた第36回「白酒ひとり」へ。相変わらずの人気でこの日も満席。

<  番組  >
見習い・桃月庵はまぐり「道灌」
前座・柳家さん坊「牛ほめ」
桃月庵白酒「時そば」
「とうげつアンサー」
桃月庵白酒「しびん」
~仲入り~
桃月庵白酒「木乃伊取り」

先ずは主催者へ一言。
この規模の落語会でお囃子を使わずテープはないだろう。
白酒のまえに前座を二人(正確には一人は見習いだが客からすれば同じこと)上げたのは疑問だ。客は白酒を聴きに来ているので一人で十分、オマケは要らない。

はまぐり「道灌」、白酒の弟子でこの日が初高座。容貌が師匠に似ず色男。声も滑舌もいい。
落語家に入門すると直ぐに前座になれるかというと、そうじゃない、その前に見習い期間というものがあり、最近では上がつかえていて前座になるまで数か月かかるらしい。
さん坊「牛ほめ」、つまらないマクラをダラダラと。ネタに入ればホルスタインとやらの下ネタ。前座としては下手じゃないが、自分の会ではなく、独演会の前座という立場をわきまえていない。

白酒の1席目「時そば」、二人目の男が蕎麦屋に「今日は暑いね」と言ってたが、あれはミスだろう。
「景気はどうだ」とたずねると二人目の蕎麦屋は、不景気で客が入らず子どもに食べさせることもできないので死んでしまおうかと、と身の上話を始めるのは白酒のオリジナル。火を落としていて客がせかせるので冷たいソバを出すと、客は食べながら震え上がるというのも独自の演出のようだ。
ただ、これだけ蕎麦屋がしょぼくれていると、サゲで余計に金を払ってもそれで良かったんじゃないかと思ってしまう。
「とうげつアンサー」、客のアンケートに白酒が回答するというこの会の趣向。高座から見て気になることとして、客がずっと探し物をしている姿と語っていた。
あれは客からも気になるね。やめて欲しい。あとバッグとビニル袋の中の荷物の入れ替え作業、なんで開演中にやるかなぁ。隣の席でなんかやられた日にゃ、気が狂いそうになる。イビキ、携帯(メールを打つ奴がいる、着信の電子音が鳴る)、とにかく他の人に迷惑になることは、やめましょうね。
白酒の2席目「しびん」、名人文楽の得意演目だが、文楽は生け花を習ってから高座にかけていたそうだ。不浄なものをネタにしているので、花活けは綺麗に見せようという気持ちだったんだろう。
白酒は花を菊にして、「尿瓶と菊で縁がある」と言っていたが、分からない人もいたのでは。
白酒の3席目「木乃伊取り」、このネタは現役では白酒がベスト。登場人物一人一人の造形が優れていて、清蔵が若旦那に諭す場面に説得力がある。とりわけ清蔵をたらしこむ花魁”かしく”の造形が素晴らしい。
ただ、この日の高座では清蔵が酒を呑む場面が長過ぎてダレてしまった。「試し酒」じゃないんだから、あんなに時間をかけることはないし、リズムを損ねる。
白酒としてはあまり良い出来ではなかった。

さて年内の落語会、残すとこあと5回。
30日に今年下期の佳作選をして、大晦日に恒例の「My演芸大賞」を発表する予定。
乞う、ご期待。

2013/12/01

池袋演芸場11月下席・楽日(2013/11/30)

池袋演芸場は他の寄席と違い、下席は昼の部のみで夜は「落協特選会」となっている。その昼の部も通常より開演時間が1時間ほど繰り下がり、入場料も安い。その下席の楽日へ。
池袋演芸場は客の入りが悪いことをよく噺家がネタにするが、アタシがたまに来るときはいつも客が入っている。もっとも満席でも100名程度だから他の寄席に比べれば人数は少ないのだが。その分、高座と客席が近いので、ここを好む人もいるのだろう。
志ん輔が池袋は男の客が多いと言っていたが、これが寄席本来の姿だ。志ん生の話では、かつての寄席は出演者が5-6名で、客はみな煙草盆を前に置いて紫煙をふかしていたそうだ。夕刻から始まりハネは夜の10時ごろ。そんな場所に女性が来るはずがない。吉原と同様に男の世界だったわけだ。
こういう客を相手にして芸を磨いたから名人が生まれたのだろう。なら、これから先は名人は出ないのかも知れない。

前座・古今亭半輔「初天神」
<  番組  >
古今亭志ん公「手紙無筆」
三升家小勝「長短」
入船亭扇治「加賀の千代」
ホンキートンク「漫才」
三遊亭歌奴「掛取り」
三遊亭金時「猫の災難」
-仲入り-
古今亭志ん陽「のめる」
柳家小はん「二人旅」
伊藤夢葉「奇術」
古今亭志ん輔「明烏」

前座の半輔「初天神」、喋りがしっかりしていて、二ツ目も間近のようだ。
志ん公「手紙無筆」、いかにも落語家らしい落語家。手紙で宛名が「八公」と書かれているというので八が不満を言うと、隠居は名前に「公」が付くのは皆偉い人、落語家だって志ん公が・・・、それは言いたかったか。
小勝「長短」、さすがに煙草の吸い方に年季が入っている。こういうネタはこうした細部が大事。短七さんに愛嬌があって可愛らしい。調べたら当代は8代目。6代目の「右女助の小勝」は新作と古典両刀使いで人気があったが、小勝を襲名してから覇気が薄れてしまった。7代目は早逝してアタシは見てない。三升家の名跡を守るためにも長生きして頑張って欲しい。
扇治「加賀の千代」、扇辰より1年先輩だが随分と若く見える(あっちが老けてるか)。近ごろ珍しいほどの楷書の芸で、かえって新鮮にうつる。
ホンキートンク「漫才」、初めて知ったのだが、ベテラン漫才コンビの「大瀬ゆめじ・うたじ」はコンビを解消していたんだ。40年やっていてもダメな時はダメなんだ。そこいくと落語家はいいねぇ、一人で気が合うから。このコンビ、見る度に面白くなっている。
歌奴「掛取り」、この位置でこのネタを掛けるという了見がいいじゃありませんか。「寅さん」の物真似という独自のクスグリも入れて楽しませてくれた。やがて「圓歌」を継ぐか。
金時「猫の災難」、全て隣の猫のせいにして酒を独りで呑んでしまう男を愛すべき人物のように描いている。この人は実に酒を美味そうに呑む。床にこぼれた酒でさえ美味そうに吸ってみせた。
志ん陽「のめる」、久々だったが、この人はこういう軽い滑稽噺は上手い。「困り顔」が良く似合う。
小はん「二人旅」、初見。経歴をみると最初は3代目三木助に弟子入りし、その死後、5代目小さん門下に移ったとある。扇橋と同じような芸歴だ。そのせいか江戸の粋とトボケタ味わいがある。演出はほぼ小さん譲りだったが所々にダジャレを挟み楽しませてくれた。余芸に小唄や新内とあり、声が良いのはそのせいか。
夢葉「奇術」、師匠と同じ典型的な喋る手品師。寄席の色物としてはこれで十分。
志ん輔「明烏」、師匠・志ん朝譲りのネタで気持ち良さそうに演じていた(実際は難しいんだろうけど)。日向屋半兵衛、貸し座敷の女将、太助いずれも「眼は口ほどにものを言い」で、眼の演技を巧みに活かしていたのが印象的。

前座からトリまで誰一人として緩まぬ高座が続き、こういう寄席にはめったに出会えない。
久々の池袋、堪能しました。

あなたも「テロリスト」

ナチスが各国を侵略し住民を弾圧したり殺戮したりした時に、それぞれの国で抵抗運動が起きた。
私たちはそれをレジスタンスと言っているが、ナチス側は「テロ」として、そういう人々を「テロリスト」と呼んでいた。
忠臣蔵の赤穂浪士だって、「其の所以のものは、元是長矩、殿中を憚らず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所也。」として切腹を命じられた。彼らも幕府側からいえば「テロ集団」だ。
「テロ」や「テロリスト」というのは実に便利な言葉で、客観的な事実に基づくものではない。誰が決めるのかといえば権力側や政府が決める。彼らが「テロ」だと断じればそれが「テロ」になる。

そのことを如実に示したのが、昨日の石破氏のブログだ。
自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と指摘した。
これこそ彼らの本音だ。
「秘密保護法」も、いま検討が進められている「盗聴法改正」も、国の安全保障、とりわけテロ対策に重点が置かれている。
その「テロ」とな何かといえば、徒党を組んで政府の方針に声高に反対を叫ぶ行為が「テロ」であり、そういう人々は「テロリスト」となる。
誰が決めるのかといえば、政府が決める。
そういう本音が石破幹事長から思わず出てしまったということだ。

「テロリスト」に指定されてしまった人たちは日常的に盗聴や電子メールの監視が行われ、少しでも特定秘密に触れるようなら捜査の対象になり、場合によっては逮捕され処罰を受けることになるだろう。
それが決して遠い未来の話ではないことを、今回の件が示している。

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