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2013/12/09

「役割語」って、そうだったのか

「そうじゃ、わしが知っておる」と言う博士に
「そうですわ、わたくしが存じておりますのわ」と言うお嬢様に
「そうじゃ、拙者が存じておる」と言う武士に
「そうアルヨ、わたしが知ってるアルヨ」と言う中国人に
「んだ、おら知ってるだ」と言う田舎者に
「インディアン、ウソつかない」と言うインディアンに
あなたは出会ったことがありますか?
ないでしょうね、私もない。
でも、日本人なら誰もが言葉を聞いただけで話者がイメージできるでしょう。こうした特定のキャラクターと結びついた特徴のある言葉使いを「役割語」というそうです。
もう少し詳しく定義すると、次のようになります。
【ある特定の言葉づかい(語彙、語法、言い回し、イントネーションなど)を聞くと、特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格など)を思い浮かべることが出来るとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることが出来るとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。】

「金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)」では、こうした役割語について詳細に書かれています。
なぜ私たちは役割語から特定の人物像を描くことが出来るかというと、子どもの頃に読んだ童話や絵本、マンガ、小説、映画・演劇、大衆芸能、外国映画やドラマの字幕や吹き替えなどで、繰り返し眼に、耳にしてきたからです。
イメージが固定しているから、文章を書く方も楽ですし。
だから子ども向けの本やマンガ、作家の清水義範の言うB級小説では「記号的台詞」として役割語が多用され、イメージの固定も再生産されるわけです。

ただ役割語が現実とはかけ離れた「ヴァーチャル日本語」ゆえに、ステレオタイプと結びつきやすいという問題も生じます。
例えば男性は理性的だが女性は感情的であるとか。
マンガや小説に出てくる関西人、あるいは関西語をしゃべる人間というは、冗談好き笑わせ好きで、けちで、食いしん坊で、好色で下品で、エネルギッシュで、時にやくざ風な人物として表現されてきました。
かつては翻訳小説に出てくる白人は標準語、黒人は田舎言葉をしゃべっていました。ここから白人=頭の良い都会人、黒人=頭の弱い田舎者という固定観念が出来ていました。ついこの前まで、TVドラマの吹き替えでは白人が「私は・・・です」と言っていたのに対し、黒人には「俺は・・・だぜ」なんて言わせていました。
また「アルヨ言葉」を話すのは専ら中国人とされ、戦前から戦後にかけては、しばしば太った怪しい愚鈍な人物として描かれてきました。
今でもネットの一部のサイトでは、韓国人や中国人を揶揄したり貶めたりする目的で、ステレオタイプ言語としての役割語を意識的に使っている例が見られます。
人間の多様な個別性の注意を払わず、見た目や性別、出身地や国籍、階層といった表面的な特徴で分類し、ステレオタイプに当てはめ、それに基づいて行動するとき、偏見や差別が生まれます。

先にあげた『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』には、標準語や役割語がどのような過程で形成されたのか、又どのように変遷してきたのかが詳細に書かれていて参考になります。
普段あまり考えずにいて、言われてみて初めて”そうだったのか”と気付かされる、示唆に富んだ一冊です。

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コメント

ちょっと違うかもしれませんが、テレビの旅行番組なんかに出てくる外国人の日本語の吹き替えがいつも「役割喋り方」とでもいうような、とうてい実際の日本語では聞かれることのないようなイントネーション、言い回しがありますね。
これを聞くと、どのおばさんもおじさんもおじいさんも常に同じ性格のようで、気にしだすととても嫌です。
落語の面白さを全否定されるようなものですよね。字幕でやってくれたらいいのにと思います。

佐平次様
翻訳や吹き替えにも役割語が多用されているようで、そちらの研究書も出版されています。吹き替えの場合はイントネーションも役割語の一つとなるようです。役割語は便利ですが固定概念を植え付けやすいというのが欠点です。
私も吹き替え言葉が嫌いなので、TVの外国映画は見ません。

この本は出た時すぐに買って、大いに楽しんで読んだのですが・・・。
(僕もそれまでは、「年を取ったら村山元総理のように喋るのか」と思っていました)
終盤で「役割語」を使う作品を知的レベルが低いように書いていたので、ちょっと引っかかりました。

井上ひさしを劇作家としてデビューさせたのは、「吹替言葉」の総本山とも言えるテアトル・エコーだった訳ですが・・・。
「優れた舞台役者のアルバイト」「良し悪しはともかくとして『共通語の話し言葉』を全国に広めた」という点で、「吹替言葉」は否定出来ないと思います。
ほめ・くさんは永井愛の『ら抜きの殺意』はご存知でしょうか。テアトル・エコーのために書かれたことも念頭に入れると、色々と示唆に富む作品です。

明彦様
明治になって政府が率先して言文一致運動を行うのですが、およそ言文一致とはかけ離れた「役割語」がまだまだ生き続けている、その理由を解き明かしている点が良かったと思います。
でも外国ではどうなんでしょう、翻訳にはこうした役割語を使っているのでしょうか。そこまで究明しないと、日本語の「役割語」の位置づけが明確にならないと思うのですが。

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