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2014/01/28

お知らせ

当ブログの再開は2月6日を予定しています。
なお『ほめ・く別館』にて「モロッコ旅行記」を連載中です。ご興味のある方は左側の”My Link”よりお進みください。

2014/01/22

壽初春大歌舞伎(2014/1/21)

お知らせの通り当ブログはただいま1か月間の休載中ですが、今日だけ臨時開業します。
1月に入ってモロッコのツアーに参加してきたのですが、帰国後に風邪で寝込んでしまい、ようやく昨日外出できるようになりました。写真の整理や『”ほめ・く”別館』への記事の出稿もこれからなので、こちらの再開は予定通り2月上旬となります。

1月21日、歌舞伎座の『壽初春大歌舞伎』へ。お目当てはもちろん忠臣蔵の九段目。名作の評価が高い九段目ですが、最近の忠臣蔵通し狂言では時間の関係からかカットされることが多く、私も未見でした。今回は幸四郎・吉右衛門兄弟の顔合わせという珍しい趣向に加え、藤十郎も加わるという豪華配役。初春ならではのキャスティング。

周辺のご婦人たちの噂話によれば、ここのところ主役クラスの俳優が相次いで亡くなったり病気で休演したりで、吉右衛門、幸四郎、菊五郎といった立役への負担が過重になっていて体力的にも大変な様子とか。歌舞伎は昼夜の1ヶ月公演で休みなし、確かに負担は相当なものだろう。とにかく彼らはいわば国の宝ですから、健康に留意して活躍して貰いたいと願うばかり。

<  演目と配役  >
一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
九段目 山科閑居

戸無瀬:藤十郎
小浪:扇雀
大星由良之助:吉右衛門
お石:魁春
大星力弥:梅玉
加古川本蔵:幸四郎

二、乗合船惠方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)

萬歳:梅玉
才造:又五郎
通人:翫雀
大工:橋之助
田舎侍:彌十郎
芸者:児太郎
白酒売:孝太郎
女船頭:扇雀

三、東慶寺花だより(とうけいじはなだより)

信次郎:染五郎
法秀尼:東蔵
柏屋主人源兵衛:彌十郎
おぎん:笑也
堀切屋三郎衛門:松之助
美代:虎之介
おせん:孝太郎
惣右衛門:翫雀
お陸:秀太郎

九段目『山科閑居』
ストーリーは、松の廊下で塩冶判官が高師直を討とうとするのを妨げたのが加古川本蔵。浪士たちにとっては仇と言っても良い存在だ。その本蔵の娘小浪と由良之助の一子力弥とは許嫁の間柄。
おりしも本蔵の妻戸無瀬と小浪が、山科の大星由良之助宅を訪れる。戸無瀬は出迎えた由良之助の妻お石に、力弥と小浪との祝言を望むが、今は浪人であることを理由にお石は輿入れを拒否。
絶望した戸無瀬と小浪が自害を決意するところへお石が現れ、本蔵の首と引き換えなら祝言を認めると切り出す。困惑する母娘。そこに虚無僧姿の本蔵が現れ、立ち合いに出てきた力弥にわざと討たれる。
由良之助は、我が身を捨てて娘の婚礼を懇願する本蔵の心根に感じ入り仇討ちの志を明かす。本蔵から引出物として師直邸の絵図面を受け取った由良之助は虚無僧の衣裳を借り、仇討ちに向けて出立する。
主君への思いは同じなのに結果として敵味方に分かれてしまう本蔵と由良之助、義理の娘の幸せだけを願い命がけで祝言を迫る戸無瀬と浪士の妻としての矜持を保とうとするお石との対決、その一方で許嫁として惹かれあう力弥と小浪との恋情。重層的な構成と緊張感のある舞台は見応え十分。
衣装が戸無瀬が赤色で小浪は純白、つまり紅白の組合せ。それに対する大石一家は全て黒一色。加古川一家が中央にいて、上手には由良之介とお石、下手には力弥という三角形の配置など、細部もよく工夫されている。
名優が火花を散らしたこの狂言だけでも来た甲斐があったというもの。

『乗合船惠方萬歳』
新年を迎えた隅田川のほとりに大勢を乗せた渡し船が。そこへ萬歳と才造の二人連れがやって来る。その場に居合わせた乗客たちは、白酒売の言い立てを皮切りに順番に踊り始め、それぞれの芸達者振りを披露する。萬歳と才造が三河萬歳のご祝儀を軽妙に踊るところに雨が降りだし、皆は船へと乗り込む。
私が未だご幼少のみぎりには、東京でも正月になると三河万歳が来ていた。
江戸の正月の風物詩、三河萬歳を巧みに取り入れた常磐津舞踊。
日本舞踊はいつ見てもいいですね。 初春らしい華やいだ気分に浸る。

『東慶寺花だより』
井上ひさしの同名小説を原作とする新作歌舞伎。
江戸時代、幕府公認の縁切寺として知られる鎌倉の東慶寺には、数多くの女性が離縁を求めて駆け込んでいた。医者見習で滑稽本の作者でもある信次郎は、そうした女性の身柄を預かる御用宿・柏屋に間借りをしている。
そこで巡り合う様々な人々との触れ合いを通して、信次郎人々の心の機微、人情の温かさ、そして女たちの強い想いに触れながら、人間として、物書きとして成長していく物語。
未だ歌舞伎の舞台として十分にコナレテいない嫌いはあるものの、スピーディな場面の展開など工夫が見られた。何より出演者たちが楽しそうに演じていたのが印象に残る。
新春歌舞伎の最後の演目に相応しい舞台だった。

気付いた点を二つばかり。
この日に限らず、最近の歌舞伎にはいわゆる大向うの掛け声が極端に減った。この日の『山科閑居』でも山場になっても「高麗屋」とか「播磨屋」という声がほとんど聞こえない。掛け声は舞台の花であり、少ないと盛り上げに欠けるような気がしてくる。「通人」の方はもう少し積極的に声を掛けて欲しい。
入場料だが、この日は3階A席で6000円。幸い最前列だったので何となく二等席気分だった。
近ごろ落語の独演会ですら4000‐5000円取るというケースがある。一人で座布団にすわって喋るだけでですよ。よく歌舞伎の入場料が高いといわれるが、落語会と比べれば相対的にはむしろ安いと思うのだが、いかがだろうか。

2014/01/07

お知らせ

ブログを1ケ月ほど休みます。
この間、コメントの公開やレスが遅れることがありますのでご了承願います。

2014/01/06

国立劇場『通し狂言・三千両初春駒曳』(2014/1/5)

寄席の初席の翌日は歌舞伎の新春公演で、1月5日、国立劇場での『通し狂言三千両初春駒曳(さんぜんりょうはるのこまひき)』へ。
国立の初春公演は音羽屋、つまり菊五郎劇団の芝居だ。
ここのところ歌舞伎界には不幸な出来事が続いている。勘三郎に続いて團十郎が亡くなり、昨年は三津五郎、仁左衛門、福助など病気休演が相次いだ。正に危機的状況ともいえる。
この中にあって音羽屋だけは菊五郎が元気に舞台を勤め、息子の菊之助は吉右衛門の娘と結婚、11月には長男が誕生するなど明るい話題に包まれている。余談だが昭和の歌舞伎界はいわゆる「菊吉時代」、6代目菊五郎と初代吉右衛門が並び立った時代だったわけで、この両家が縁戚関係で結ばれたというのは、今後の歌舞伎界の地図に少なからぬ影響が出るかも知れない。

歌舞伎通からはおよそ縁遠いアタシが言うのもなんですが、歌舞伎を見たことがないという方は一度は見ておく価値があると思います。「あれって難しそう」なんて思ってる方が多いようですが、極端にいえばストーリーなんかどうでもいいんです。だって海外公演でも評判をよんでるけど、日本人でさえ難解なのに外国人が理解できるとは思えない。
歌舞伎は総合芸術だから、役者の演技、唄と踊り、演奏、舞台装置などを見て単純に楽しめばいいのでは。
この芝居でも周囲のご婦人たちは、菊サマ(菊之助)の女形をただウットリと眺めていましたよ。

辰岡万作=作『けいせい青陽●(はるのとり)』より (●は集に鳥)
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=補綴
< 出演者 >
尾上菊五郎
中村時蔵
尾上松緑
尾上菊之助
坂東亀三郎
河原崎権十郎
市村萬次郎
市川團蔵
坂東彦三郎
澤村田之助
ほか

通し狂言としては150年ぶりの復活というこの芝居。
実は徳川幕府の3代将軍をめぐる跡目争いが主題となってるのだが、江戸時代にそんな芝居は上演できない。そこで背景を「太閤記」の時代に置き換え、本能寺の変で信長が死んだ後の織田家の跡目争いのストーリーに置き換えたものだ。ただ当時の江戸庶民たちは、劇中の人物それぞれが誰と誰かが分かっていたらしい。この辺りが今の私たちにとっては物語を理解する上でのハンディだ。
本能寺の変で小田(織田)信長と嫡子の信忠が討ち死に。跡目をめぐり、信忠の弟・三七郎信孝を推す柴田勝重(勝家)と、信忠の子・三法師丸を推す真柴久吉(羽柴秀吉)が対立する。政治に興味のない三七郎は跡目争いを避けるため自らをお家追放として廓通いを続けながら、紛失した小田家の重宝を探索する。三七郎を利用してお家乗っ取りを狙う勝重はもくろみが外れ、隣国・高麗と手を組んで巻き返しを図るが・・・。

もとよりオリジナルの台本がどういうものか全く知らないが、150年も上演されなかったという事は、要は面白味がなかったからだろう。
今回は大幅に手を入れて書き換えたようで、休憩含めて4時間の長丁場だったが飽きることなく楽しめた。
序幕で発端として高麗国の皇女が渡来して活躍するという設定を加えて物語のスケールをより大きくし、釣り天井が切って落とされるシーンはスペクタクル風な演出にしている。
この芝居の最大の見せ場である「馬切り」では派手な立ち回りで客席を沸かせていた。
跡目争いという本筋に加え男女の恋模様、生き別れの親子の再会や、勝重の妻子をめぐる悲劇などのサイドストーリーも絡めて、物語に奥行きを持たせていた。

主役の信孝を演じた菊五郎は正に春風駘蕩の趣き、その一方で「馬切り」では颯爽とした立ち回りを見せていた。このシーンでは「切られ役」の奮闘も見もの。
菊之助は音羽屋の伝統である立役と立女形の二役で魅せてくれた。女形として凛としていて、姿も美しいが声がいい。
勝重の妻役の時蔵が渋い演技を見せていた。この人は薄倖の女性を演じるのが上手い。
ワキでは悪役の小平太を演じた亀三郎が好演、特に口跡がいい。

初春にふさわしい華やかでお目出度い舞台だった。

2014/01/05

鈴本演芸場初席・夜(2014/1/4)

今年の寄席は1月4日の鈴本演芸場初席・夜の部(第3部)で幕開け。
やはり正月というと寄席の初席に足が向くことになる。もっとも3が日を過ぎると客席の晴れ着の姿もなくなり普段の変らないが、高座の方は初春に因んだ番組が並ぶ。高座の下手には鏡餅が飾られている。
今年はチケット前売り発売日に鈴本に並んだので、最前列が取れた。めったに一緒に来ることがない相方への大サービスだ。世間広しといえど、こんな結構な亭主はそうそう居るもんじゃない。感謝しろよ。

<  番組  >
三増紋之助『曲独楽』 
林家しん平『漫談』
ホームラン『漫才』 
柳家小せん『一目上り』
桃月庵白酒『ざる屋』
伊藤夢葉『奇術』 
柳家喬太郎『夫婦に乾杯』
宝井琴調『寛永三馬術 出世の春駒』
柳家小菊『粋曲』 
柳家権太楼『代書屋』
~仲入り~
太神楽社中『壽獅子』  
柳家花緑『つる』
入船亭扇辰『紋三郎稲荷』
柳亭市馬『厄祓い』
林家正楽『紙切り』 
柳家三三『締込み』

初席はたいがい鈴本に来ているのだが、その最大の理由は他に比べて口演時間が長いからだ。他の寄席だと平均で5分、下手すれば3分なんてこともあるが、鈴本の場合は平均7分程度だ。
もちろん、じっくり噺を聴きたい人には不満だろうが、初席は顔見世と雰囲気を味わうもの。
それと、時間が短いため余計なマクラが無く、いわばネタのエッセンスのみ語られるので、アタシ好みなのだ。こんな短い時間でどうやってまとめるんだろうという興味も湧く。
以下、いくつかピックアップ。

しん平、手製の狛犬の被り物をして客席に有難いお祓い。まさか正月早々じゃガイコツ踊りも出来ないしね。
ホームラン、勘太郎が差し歯が抜けてしまったそうで少し息が洩る。女性は髪が命、芸人は歯が命。
小せん『一目上り』、メデタイ根多。
白酒『ざる屋』、鈴本の客は裕福そうに見える。最低でも1000円以上の洋服を着てるとホメて、メデタイ根多。
夢葉、この人の弟子だと「不要」になるか。
喬太郎『夫婦に乾杯』、連れ合いが「太ったわね」。いいえ昔からだよ。どうやら昇太の創作落語のようだ。
酒のツマミ付きの新酒の命名会議が始まり、孤独な夫のためにというコンセプトで、「孤独酒」「ロンリー酒」だの、妻に向かって「そのまま寝てろ」「もう起きてくるな」だのというネーミングが提案される。結婚三年目の若手社員だけが、「奥さんの休養日」「いつもありがとう」といったネーミングを提案するが、他の社員からはお前の家は可笑しいぞ、日本の夫婦らしくないと非難される。帰宅すると初めはいつもの仲睦まじい会話が続くのだが・・・。
他の演者のは聴いたことがないのが、喬太郎の演出は若奥さんの仕種が可愛いらしい。
これもオチでは一応メデタシか。
琴調『寛永三馬術 出世の春駒』、三代将軍・徳川家光が増上寺へ参詣の折り、愛宕山の麓にやって来ると、この急な石段を馬で一気に駆け上り梅を一枝採るよう命じる。馬術に自信がある者が、次々に名乗りを上げ挑戦するが、あえなく失敗してしまう。そんな中、名乗りを上げたのは、生駒家の家臣・真垣平九郎。はたして、その結末は・・・。これもメデタイ根多。
小菊『粋曲』、正月らしいメデタイ曲を。連れ合いが「この人、けっこう年いってるわね」。フン、自分の事は棚に上げてさ。
権太楼『代書屋』、連れ合いが「家のCDと一緒だ」。当りめえだろうが。
太神楽社中『壽獅子』で正月気分を盛り上げ。そういえばアタシが子どもの頃には、正月に獅子舞が各家庭に回っていたっけ。
花緑『つる』もメデタイ根多。小三冶の代演といういことで盛んに恐縮していた。短いながら出来は12月の「県民ホール寄席」より良かった。濃縮効果だ。
扇辰『紋三郎稲荷』もメデタイ根多。いつも通りの飄々とした高座姿。
市馬『厄祓い』、これもメデタイ。
8代目文楽の十八番。黒門町っていう人は面白い。古典を代表する大ネタを得意としながら、こういう軽いネタも数多く手掛けている。「かんしゃく」「やかん泥」「しびん」と並べても共通性が感じられない。
三三『締込み』、初席の夜トリの代替わり、さぞかしプレッシャーを受けているのだろう。緊張が客席にも伝わってくる。これもまた文楽の十八番だ。弟子の7代目橘家円蔵が演じる女房のお福が何とも可愛らしく、好きだった。
三三の高座は一部技巧に走る所があり気になったが、全体としては良い出来だったと思う。このネタはもっと素直に演じても十分に笑いが取れる。このまま「三三時代」が続くのかどうかは本人の精進にかかっている。

初席第3部は、若いトリを柳家の諸先輩が周囲で支えるという構図だった。

2014/01/03

闇に消えた「政党助成金」

国民の税金を政党に配る「政党助成金(政党交付金)」制度は1995年のスタートし19年間が経った。
この間に各政党に配れた総額は5996億円にのぼる。
19年間に金を受け取った政党は32党だが、そのうち24党が解散あるいは消滅している。政党数でいえば3分の2が助成金の交付を受けておきながら消えていった勘定になる。世間ではこういうのを「食い逃げ」と呼ぶ。
年末になると新党が出来るのは毎年恒例の行事となっているが、これはズバリ交付金欲しさだ。世間ではこうした輩を「不見転(みずてん)」と呼ぶ。つまり理念や政策などそっちのけで、金のある方へ転ぶ。
なんのことはない、税金を使って政治を腐敗させているようなもんだ。
受取額の最高はもちろん自民党で2716億円、実に総額の45%を上回る。何かというと生活保護所帯をナマケモノ呼ばわりする自民党議員から、交付金の廃止という主張が出ないのは不思議だ。

民主主義の要諦は政党が国家から独立していることであり、政党が国家からの資金援助を受けるというのは自殺行為に等しい。全体主義的な国家と言われても仕方あるまい。
百歩譲ってこの制度を認めるとしても、現行の「政党助成金」制度はあまりに欠陥が多く、政党に一方的に有利なものになっている。
1.受け取りを拒否した政党があると、その分を他の政党が山分けできる。
2.国会議員の数で左右されるので、地方政党は支給対象にならない。
3.交付金目当ての政党の離合集散がしばしば起きる。
4.交付金の使途が制限されていない。大事な税金が投入されているのにも拘らずだ。
5.政党が税金依存体質になってゆき、自ら努力することを怠る。
6.交付金が余った場合は国庫に返納する建前になっているが、実際には殆んど返納はされていない。
7.解党直前でも支給される。
要は、権利があるのに義務がないというオイシイ制度なのだ。
国民に対しては厳しい事を要求しながら、自らは甘い制度の上に乗ってノウノウとしているとしか思えない。

以上のように「政党助成金」制度は国民の税金のムダ使いでしかなく、百害あって一利なし。
直ちに廃止するしかない。
何故なら、この制度が出来る1995年以前に、金が無くて潰れた政党は皆無なんだから。

2014/01/02

安倍首相の「『強い日本』を取り戻す」とは

安倍首相は年頭所感で「『強い日本』を取り戻す」と述べている。以下にこの意味する処を考えてみたい。
先ず「取り戻す」という言葉の意味だが、辞書によれば「一度人に与えたり失ったりしたものを、再び自分のものとする。とりかえす。」 とある。
素直に見れば、かつては「強い日本」だったが、それが失われて「弱い日本」になってしまったので、再び「強い日本」にする、という事になるだろう。
では、かつての「強かった日本」とはいつの時期を指すのだろうか。これも素直に見れば「戦前の日本」、つまり大日本帝国の時代ということになる。
それが戦争に敗れて以来「弱い日本」になってしまった。少なくとも安倍首相はそういう現状認識なのだろう。そうでないとスローガンと平仄が合わない。
つまり「『強い日本』を取り戻す」というのは、具体的には「戦前の『強い日本』を取り戻す」という意味になる。
単純に「強い日本にする」と言わず、敢えて「取り戻す」を強調する理由はそれしか考えられない。

次に、これまた安倍首相が頻繁に用いる「積極的平和主義」という言葉について考えてみたい。
皆さんは「愛国行進曲」という歌をご存知だろうか。
1937年に閣議決定された国民精神総動員の方針のもと情報局によって歌詞が公募され、「内容は日本の真の姿を讃え帝国永遠の生命と理想とを象徴し国民精神作興に資するに足るもの」などの規定が設けられた。
応募の中から森川幸雄の歌詞が選ばれた。但し審査員によって補作が行われ、ほとんど原詞は変えられているそうだ。
公募の形はとっていても、官製の軍歌と考えてよい。
その中に、次の歌詞がある。
♪四海の人を導きて
正しき平和うち建てん♪
私は安倍総理の「積極的平和主義」という言葉を聞いたとき、一番初めに浮かんだのが「愛国行進曲」のこの一節だ。
中国や朝鮮などの周辺国を日本の支配下に置いてしまえば自ずから戦争は無くなり日本は平和になる、そういう発想だ。それが「正しき平和」であると。
少々乱暴な言い方をすれば、日本が軍事的優位に立てば中国や韓国がイチャモン付けて来なくなるという発想。
だから単純に「平和主義」とは言わず、敢えて「積極的」という形容詞を付けた。
「積極的平和主義」と「正しき平和」は同義語と考えるべきだろう。

安倍首相の唱える「『強い日本』を取り戻す」と「積極的平和主義」とを併せて見れば、彼の思想と彼が日本をどのように導こうとしているのかは明解な気がする。
いわゆる保守層の中にも安倍首相に対する警戒感が生まれているのも、そのためだ。
日本の自由と民主主義を守りたい人たちは、いよいよ心せねばなるまい。

2014/01/01

【紅白】NHKよ、恥ずかしくないか

明けましてお目出度うございます。
皆さまにとって幸多い年となりますよう、お祈り申し上げます。

新年早々こんなこと言うのもなんなんですが、昨夜のNHK「紅白歌合戦」のひどいこと。
実はこの番組、まともに見たのはホントに久々になるが、果たしてプロなのか?と疑うような下手な歌手が次々と現れるわ、素人同然といいたいけど素人そのものが司会をするわ、視聴者をナメテますね。あれじゃまるで「かくし芸大会」だ。
「卒業」がどうのとか言ってる人間がいたが、あんなこと公共の電波を通して言うべきことか。
NHKのドラマに出ていた人が数多く出演していたようだが、アタシらのように観ていない人間にとっては意味が分からない。
一番許せないのは時間の管理ができていないこと。ゲストが芸を披露しているのに突然打ち切りニュースに切り替わったけど、ディレクターは何をしていたんだろう。
やはり司会者はプロにやらせなくては。
これを歌番組だと表するなら「偽装表示」ですね。来年からは「紅白バラエティ大会」とでも改称するんだね。

ついでなので、もう一つ言わせて貰うと、30日の全国紙にNHK紅白の広告が掲載されていた。あれは一体なんのため? 
民放が番組宣伝するのは分かりますよ。視聴率が収入に直結するのだから自局の番組をPRするのは当然でしょう。
だけどNHKは違う。NHK受信料というのは税金並みに強制徴収してるんだから、視聴率によって経営に影響を及ぼさない。しかもあの広告宣伝のため新聞社に払った費用は我々の受信料から出てるんだよね。そんな無駄使いする金があるなら受信料を下げて欲しい。
責任者出てこい!
って、これじゃまるで「ぼやき漫才」か。

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