#4「米紫・吉弥ふたり会」(2014/2/5)
ちょうど1ヶ月のご無沙汰で皆様にはお変りもなく。
演芸の世界でニュースといえば2月に入ってからの大須演芸場が閉鎖になったという報道。名前は知ってるが一度も行ったことが無いのでそう身近には思えないのだが、例えていうなら東京で末広亭がなくなったような感じだろうか。月の家賃が20万円だというから破格の値段で大家さんも相当に肩入れしてくれていたんだろうが、それも長期滞納とあっては仕方あるまい。
やれ落語ブームだ、寄席ブームだと言われるが、チケットを取るのが一苦労という人気者がいる一方、実力も実績もある芸人が出ているのに客席はガラガラという状況もある。
しょせんブームと言っても底は浅い。
大須演芸場は高須院長が支援に乗り出すという報道もあり、何とか救済できると良いのだが。
2月5日、横浜にぎわい座での「第4回 米紫・吉弥ふたり会」へ。吉弥は東京でもすっかりお馴染みになっているので、お目当ては米紫で初見。当代は4代目。米朝一門では、さこば-塩鯛-米紫のラインになるので米朝から見れば曾孫弟子ということになる。
< 番組 >
桂二乗「阿弥陀が池」
桂米紫「上燗屋」
桂吉弥「ホース演芸場」
桂米紫「堪忍袋」*
~仲入り~
桂吉弥「狐芝居」*
(*印はネタ出し)
二乗「阿弥陀が池」、上方落語家の東京公演ではこの人が度々開口一番を務めていて、既に何度か高座を観ている。米二の弟子で入門11年目を迎えているので、東京でいえば二ツ目の中堅といった位置か。まだ出囃子がなく高座返しもしていて前座の扱いなのは気の毒。
着実に上達しているようだし、古典ときちんと演じていて好ましい高座。
米紫「上燗屋」、大師匠のさこばに良く似てるなあというのが第一印象。風貌も熱の入った語り口もだ。
このネタも初めてで、解説を読むと「首提灯」の前半に当たるらしい。
酒癖の悪い客が飲み屋に入ってきて、やれ酒の燗がぬるいの熱いのと文句を言いながら何杯も注がせたり、タダだと言うと料理の一部だけをつまみ食いするなど傍若無人の振る舞い。その酔っ払いと飲み屋の主との掛け合いだけで聴かせる噺なので、演者に相当な力量が求められる。
米紫が演じる酔っ払い男はどこか憎めない所があり、絡まれる主が始めはクールに対応しながら次第に腹を立てて行く過程も上手く描かれていて、この人の実力を感じさせてくれた。
オリジナルではこの後、酔っぱらい男が道具屋に行くシーンがあるようだが、この日はカットしていた。
吉弥「ホース演芸場」、自作だそうで、頻繁に高座に掛けているようだ。競馬場の隣なのでホース演芸場というネーミング。ここに師匠からの依頼で小骨という前座が送り込まれる。時は昭和30-40年代の「音楽ショウ」の全盛期。「宮川左近ショウ」から始まり「フラワーショウ」、「暁伸・ミスハワイ」、そして「かしまし娘」とそれぞれのテーマソングを歌い継ぐ。やがて小骨は大看板になり、さこばを襲名。ざこばは米朝を・・・、この辺でやめとこう。ストーリーは他愛ないもので、専ら前記のグループのテーマソングを聴かせる所が見せ場。
米紫「堪忍袋」、東京のネタを上方に移したもの。違いは夫婦喧嘩の場面をタップリ演じることと、堪忍袋の緒が切れるオチで、東京のオリジナルでは袋の中の声が一気に出てくるという形だが、大阪では最後に吹き込んだ若奥さんの姑への罵声が先に出てきて、それを聞いた姑が元気になるというサゲ。
米紫の高座では、この夫婦喧嘩の場面が断然面白い。喧嘩の原因は実に他愛ないことだが、それぞれの言い分に説得力があり、仲裁人もすっかり納得してしまう。でも相手の反論を聞くと、これもまた十分に納得できる。
例えば仕事から帰ってきた亭主に、女房が子どもを風呂に連れて行ってくれと頼むと、亭主はイヤな顔をする。自分の子どもなのにと女房は訴える。確かにその通りだ。処が亭主に言わせれば、この家の子どもというのは6歳を頭に毎年の年子で一番下は双子のつまり合計7人。この乳幼児を風呂に連れて行くのがどれほど大変かという亭主の主張、これもごもっともなのだ。
こんなヤリトリが延々と続くのだが、米紫のパワー溢れる語りで全く飽きないどころか引き込まれ、腹を抱えて笑うことになる。この女房だが、さんざん悪態をつくものの可愛らしい。こういう所が落語では肝心なのだ。
この人は上手い。
米紫の2席、正に期待通りの上出来の高座。
吉弥「狐芝居」、小佐田定雄作。
侍の扮装で旅をしている大部屋の役者が、日の暮れた山道で芝居小屋に出会い、花道の奥から見物していると 仮名手本忠臣蔵「四段目」の真っ最中。
良い芝居とだと感心して客席を眺めると、客は全て狐。なんと狐の芝居だったのだ。
ところが舞台で判官が切腹したのに肝心の大星役が出てこない。見ていた役者はたまらなくなって急遽とび入りで芝居に参加。芝居は進むが、やがて観客の狐たちが大星役の役者が狐ではないことに気づく。あれは人間や」と。灯りが消え狐も役者もいなくなってしまう。
残された役者はすっかり自信をつけて、くるっとトンボを返ると、狸の姿になって。
恐らくどこかの民話の下敷きがあるのだろう、良く出来た噺だ。落語としても「四段目(「蔵丁稚」)」風に歌舞伎の舞台を忠実に演じる手法で馴染みやすい。
師匠・吉朝が得意としたネタで、吉弥の高座も切腹の場面の所作を丁寧に演じており良い出来だった。
マクラで駅のホームで海老蔵に間違われたといってたが、確かに目だけは似てなくもない。
上方落語の充実ぶりを見せつける落語会だった。
« お知らせ | トップページ | 「佐村河内守」問題の背景を考える »
「寄席・落語」カテゴリの記事
- 「落語みすゞ亭」の開催(2024.08.23)
- 柳亭こみち「女性落語家増加作戦」(2024.08.18)
- 『百年目』の補足、番頭の金遣いについて(2024.08.05)
- 落語『百年目』、残された疑問(2024.08.04)
- 柳家さん喬が落語協会会長に(2024.08.02)
お帰りなさい^^
とは言いながら、モロッコ旅行記は拝見していましたけど。
米紫は、前名の都んぼの頃も含めて聴いていますが、達者な噺家だと思います。
吉弥はしばらく間を空けていましたが、ほめ・くさんの記事を拝見し、そろそろ聴こうかと思いました。
やはり、ほめ・くさんの落語記事、これを読まねば眠れないのです!
投稿: 小言幸兵衛 | 2014/02/06 21:05
おお、米紫さん(序列通り実はちょっと先輩)をご覧になったのですね。
個性的な演じっぷりなので米朝一門の中ではちょっと「異端」ですが、実は緻密な知性派です。
(その点で現大阪市長と仲よしの大師匠とはかなり違います)
インディーズ映画や小劇団で役者経験も豊富で、劇的な構成力や言葉の切れのよさはそれが生かされているようですね。
『らくだ』も『はてなの茶碗』も、底辺を生きる人々への共感が滲み出て結構でした。
『上燗屋→首提灯』は松喬師匠が忘れられません。CDが出てますので機会があれば是非。
また15日のにぎわい座には、「芸は松鶴に最も近い」とも言われる濃厚極まる鶴志師匠・失踪中の師匠の名を継いだ切れのいい芸風の枝鶴師匠と言う、笑福亭のベテラン2人が揃います。よろしければこちらもどうぞ。
投稿: 明彦 | 2014/02/07 00:34
小言幸兵衛様
旅行から戻ってから風邪引いて寝込み、ダラダラと過ごしていたら1ケ月経ってしまいました。
米紫の迫力には圧倒されてしまいました。東京にはいないタイプで、いかにも上方らしい噺家だと思います。
投稿: HOME-(ほめ・く) | 2014/02/07 09:03
明彦様
記事では書き落しましたが、枝雀にちょっと似た所があるなという印象を受けました。
「劇的な構成力や言葉の切れのよさ」というご指摘はその通りだと思います。
15日ですね、前日もにぎわい座なんですが、なんとかヤリクリしてと考えております。
投稿: HOME-(ほめ・く) | 2014/02/07 09:07