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2014/03/30

お知らせ

1週間ほど休みます。
次回は4月6日を予定しています。

2014/03/29

「犯人にされる」という恐怖

私たちは日々、色々なリスクを負いながら生きている。病気になる、事故にあうもそうだが、犯罪の被害者になるリスクもある。しかし最も恐ろしいには犯罪の加害者にされてしまう、つまり何らかの犯罪の犯人とされて刑務所に入れられる事だ。それが死刑囚として処刑に怯えながら数十年間も、なんて考えただけで身の毛がよだつ。
TVの刑事ドラマなどでお馴染みだが、刑事が「あなたは0月0日の0時から0時の間、何をしていましたか」「それを証明する人はいますか」と訊くシーンがある。あれを見て常に思うのだが、自分ならアウトだと。
昨日の夕食のおかずさえ憶えていない位だから、数日前のある時間帯のことなど思い出せない。仮に思い出したとしても、リタイア-して自宅にいる時間が多いので証人は女房ぐらいだ。家族の証言は必ずしもアリバイ証明にはならないそうだから、この段階で重要参考人である。
以前、裁判の傍聴マニアの人の本を読んでいたら、検事が被告に「こんな大事な日の記憶が無いんですか」と怒鳴っていたと書かれていた。犯行当日の記憶のことを糾しているのだが、そりゃ検事にとっては大事な日かもしれないが、もし身に覚えのない被告ならチンプンカンプンだ。

では物証がなければ有罪にはならないかというと、これが違う。過去に状況証拠と証言だけで有罪になったケースはいくらでもある。検察側の証人の場合、事前にリハーサルが行われるそうで、被告にとって不利な証言がなされるのは避けられない。
その肝心の物証でも捏造されたとあっては、被告にとってはお手上げだ。

いわゆる「袴田事件」で死刑判決を受け再審請求を行っていた袴田巌(はかまだいわお)さん(78)が釈放された。実に48年ぶりということになる。
3月27日、静岡地裁は再審開始を決定し、同時に袴田死刑囚の死刑の執行と拘置の執行を停止する決定を下し、釈放を認めたものだ。死刑囚の再審が決定したケースで、拘置の執行停止が認められたのは初めてケースだ。
この事件の第2次再審請求審の最大の焦点は5点の衣類のDNA結果だった。半袖Tシャツに付着した血痕と、袴田死刑囚のDNA型が一致するかを調べるDNA鑑定が実施され、弁護団側と検察側双方の鑑定で「一致しない」との結論が出されていた。ただ検察は長期のためDNAの劣化があったと鑑定に疑問を呈していた。
村山裁判長は「5点の衣類が袴田死刑囚のものでも犯行着衣でもなく、後日捏造されたものであったとの疑いを生じさせるものだ」と指摘した。
捜査側の捏造という点にまで触れた踏み込んだ判断は異例であり、いかに悪質であったかを窺わせる。

一方、検察側は拘置の継続を求める抗告を東京高裁に申し立てるとともに、再審開始決定に不服があるとして同高裁に即時抗告したが、高裁は地裁の判断を支持した。
つまり検察は釈放された袴田巌さんをもう一度拘置所に戻せと求めたわけだ。
検察の辞書には「反省」という言葉がないらしい。「人間性」という言葉も。
もっとも猪瀬元都知事の公選法違反事件では、たった50万円の罰金刑で済ませたわけだから、検察も相手によっては大いに温情を示すということか。

袴田さんが一日も早く晴れて無罪になることを祈りたい。

2014/03/27

9年が過ぎて

当ブログは2005年2月にスタートしたので(『ほめ・く別館』も同時期)、気が付けば9年が過ぎた。始めた時は定年後の時間つぶしの意味が大きく、もともと性格が飽きやすい性質(たち)なので数か月でやめるだろうと本人も家族も思っていたから、この永続きは想定外だ。
ブログを始めた時に、これだけは守ろうとした点がある。
一つは、広告(アフィリエイト)を一切載せないこと。その理由は次の通り。
(1)広告を載せてしまうと、広告主への批判的記事を書きづらくなる。
(2)広告は収入に直結するので、どうしてもアクセスを増やそうとするようになる。長い間ブログをやっているとどういうテーマを採りあげ、どのように書けばアクセスが増えるか想像がつく。このサイトはあくまで非営利を貫きたい。
ただお断りしておきたいのは、サイトによっては時間と費用をかけてまるで事典のような内容のものがある。そういうサイトで費用の一部でも回収しようということで広告を載せることは十分に理解できる。
それに対して、自分の言いたいことを書いておいて広告収入を得ようとする姿勢には納得ができないのだ。
二つ目は、記事を書く時に言いたいことの7分か8分にとどめておくことを心掛けている。決して自主規制の意味ではなく、公開を前提としている以上、節度を保ちたいと考えているからだ。腹八分目。
むろん、これは他の方々にはお薦めできない。

保守的な性格のせいか、サイトのデザインは9年間変えていない。表示項目も今年2月にアクセスカウンターを追加しただけだ。これもココログのアクセス解析システムが変更になるというので、累積データが消える恐れがあったからだ。今は正常に作動しているようだ。

9年前に始めた当初、愛読していたサイトの大半はクローズしてしまった。少なくともその内のいくつかのサイトは、嫌がらせやネットに対する失望感があったと推測される。
自分の気に入らない記事を見つけると執拗にコメントを、それも人格を中傷する目的のコメント送り付け、サイトの管理者に嫌気を起こさせる手口だ。今でも「ネットにウヨウヨ」いますね。
当ブログではそういう連中に対しては対抗措置を取っているが、面倒だからやめちゃおうという気持ちも良く分かる。

始めがあれば必ず終りがある。いつかはこのブログもやめる時がくる。
ついこの間までは10年の節目にやめようかとも考えていたが、今は体力と気力があるうちは続けようかと思っている。
それと長期に亘っていると書くのを飽きてくることがある。それで時々1週間とか1ヶ月とか休載している。
だっていうでしょ、「バカも休み休み言え」って。
そんなわけで、今しばらくはダラダラと続けますので、御用とお急ぎでない方はお立ち寄りください。

2014/03/26

新宿末広亭3月下席・中日(2014/3/25)

前座・古今亭今いち『新聞記事』
<  番組  >
春雨や雷太『元犬』
江戸家まねき猫『動物ものまね』
古今亭今輔『だまされたふり作戦』
桂右團治『徂徠豆腐』
北見マキ『奇術』
三遊亭遊馬『牛ほめ(序)』
春風亭柳好『壺算』
桧山うめ吉『俗曲』
柳亭楽輔『粗忽長屋』
三遊亭圓輔『火焔太鼓』
~仲入り~
桂宮治『うそつき村(序)』
コント青年団『コント』
桂伸治『棒鱈』
桂歌春『短命』
ボンボンブラザース『曲芸』
三遊亭栄馬『紺屋高尾』

一気に春めいた3月25日、当初は落語協会新真打披露が行われている鈴本へ行こうと思っていたが、顔づけをみてなんとなく食指が動かず、期待の若手が揃った芸協の新宿末広亭に向かってしまった。
この小屋も昼夜入れ替えナシで長時間聴きたい人には便利だが、この日だと夜席の仲入りで退場する人が目立った。鈴本では先ず見られない光景で、後半の出番の芸人には気の毒だった。寄席の帰りに一杯呑るとか食事を取るとかいう人には仲入りで出た方が便利だろうが、できれば最後まで聴いていて欲しい。

例によって寸評。
雷太『元犬』、母親が「まっち」のファンで倅が「らいた」の自己紹介はよく出来ている。一度で名前を憶えてしまった。
まねき猫、『動物ものまね』と言いながらニワトリだけですかい。
今輔『だまされたふり作戦』、オレオレ詐欺を逆手にとり騙されたフリをして犯人をからかうという新作。切れがある。
右團治、この位置で『徂徠豆腐』を掛ける了見がいいじゃありませんか。短縮版ながらよくまとまっていた。女流です。
北見マキ『奇術』、あの両方の親指を客に紐で縛らせておいて、マイクスタンドを通すというマジック、あれってどんなタネがあるんだろう。いつ見ても分からない。
遊馬『牛ほめ(序)』、与太郎の造形がいい。将来に期待を抱かせる人材だ。
柳好『壺算』、短縮版ながらツボを外さないのはさすがだ。
うめ吉『俗曲』、自毛で結った日本髪の寄席芸人というのは今やこの人だけではなかろうか。音曲師としては声が細いのが気になるのだが。
楽輔『粗忽長屋』、愛嬌のある高座で、この日一番面白かった。八が自己のアイディンティテーを喪失する過程が良く出来ていた。
圓輔『火焔太鼓』、電車で席を譲ったら自分より年下だったと言っていたが、とても82歳には見えない。まだまだ子供の2,3人も作れそう。弟子入りは3代目三木助だったんだ。
宮治『うそつき村(序)』、長いマクラでネタは5分ほど。クイツキだから仕方ないのかも知れないが、先輩真打がきちんとネタを演じているのに。せっかくのお目当てだったが残念な高座。
コント青年団『コント』、歴史を知らない教師と歴史オタクの生徒とのコント。こういう高座が楽しめるのが芸協の魅力だ。
伸治『棒鱈』、顔を見ただけで笑える噺家というのが近ごろ少なくなった。そういう意味で貴重な存在。
歌春『短命』、知名度は高いが、どうもこの人の高座はピンと来ない。相性かなぁ。
ボンボンブラザース『曲芸』、ヒゲのオジサンの顔を見るだけで心が和む。大好きなコンビ。
栄馬『紺屋高尾』、「恵まれない落語家の会」という自虐ネタが面白かった。紺屋の職人が高尾に会いに行く前に湯で洗ったあと、爪を鶯の糞で洗って藍染を落とすというのは丁寧な描写だ。後に高尾に身分を明かす時にその爪先を見せて藍が付いていることを示す伏線になっている。こういう所が大事だ。

活きのいい若手と渋いベテランの芸に色物が華を添えた下席の中日だった。

2014/03/25

学習院での「志ん生・柳好」落語会

月刊誌「図書」2014年3月号に作家・津村節子の「万年筆の音」という記事が載っているが、そこに面白いことが書かれているので紹介する。学習院の講堂で志ん生と柳好の落語会が行われたというものだ。
時代は1952年(昭和27年)頃と思われる。津村と作家・吉村昭は同じ学習院大学の文芸部に所属していて、二人はそこで知り合い、やがて結婚する。
吉村昭  1950年入学 1953年中退
津村節子 1951年入学 1953年卒業(短大) 
学習院文芸部の雑誌「學習院文藝」は当時はまだガリ版(謄写版のことで、原紙は手書き)だったが、これを「赤繪」と改題すると同時に活版印刷にすることになった。理由はどうやら芥川賞の選考には活版にしておかないと対象にならないという事情があったらしい。

しかし活版にするには金がかかる。その資金の捻出に吉村昭が考えたのは有料で落語会を開くというものだった。大学の講堂を借りれば会場費はタダだ。
学習院は戦前は皇族や華族のための学校として宮内省の管轄だったが、戦後は一般の私立校となってはいたが、当時はまだ特殊な学校というイメージが強かった。講堂で落語会など許可される筈がないと文芸部員たちは反対した。
吉村は文芸部員の父親に開業医がいてそこへ噺家たちが通ってるということを聞きつけ、そのツテで志ん生と柳好を訪ね、出演を承諾して貰った。もっとも二人とも、なぜ学習院でと呆気にとられ、ギャラが2千円という安さに驚いたそうだが、とにかくOKだけは取れた。
学生課に相談したら講堂で落語会などとんでもないと断られた。しかたなく安倍能成院長に直接談判に行くと、どんな噺家が来るのだと訊かれて「志ん生と柳好です」と答えると、安倍院長は「本当にそんな人が来るのかと」驚いたとある。とにかく許可はおりたわけだ。

安倍氏が驚くのも無理がない。5代目古今亭志ん生といえば今でも落語ファンなら知らない人はいない。芸術祭賞を受賞して落語協会会長に就任する頃の時期だ。
3代目春風亭柳好は俗に「向島の柳好」「『野ざらし』の柳好」と称され、当時たいへんな人気者だった。残念ながら人気絶頂の1956年に亡くなったので、この会には出られたわけだ。
調べてはいないが、おそらく「志ん生・柳好 二人会」というのはこれが最初で最後だったのではあるまいか。柳好は戦前には「睦会」に所属し、戦後は芸協なので志ん生との接点はあまり無かったとものと思われる。

吉村と津村らは学生たちにチケットを売るのだが、落語はラジオで聴いたことはあるが寄席に行ったことがある人など一人もいなかったそうだ。今では学習院出身の落語家がいるのだから隔世の感がある。
講堂は満員の入りとなり興行としては大成功といったところ。
もっとも学内の講堂で行うので会の名称は「古典落語鑑賞会」としたようだ。
目出度く資金も集まり「赤繪」の活版化が実現した。吉村としては好きな人の津村の前で良い所を見せようと思っただろうし、芥川賞をとりたいという野望もあったのだろう。とにかくプロヂューサーの腕だけは大したものだ。
しかし吉村は芥川賞候補に4度上がりながら遂に受賞はかなわず、夫人の津村節子の方が受賞してしまう。

津村の記事によれば、この落語会へ早稲田の学生が取材に来た。それが切っ掛けで早大の落語研究会(落研、オチケン)が出来たとしている。事実としたら「オチ研誕生秘話」ということになるが、真偽のほどは分からない。

さて、肝心の落語会の時のネタだが、志ん生の方は分からない。
一方の柳好については吉村の著作に書かれていて『五人廻し』を演じたそうだ。しかし噺の途中で会場に目をやったところ、客席の最前列に皇太子明仁親王(今上天皇)がいるのに気づき、動揺して途中で高座を下りてしまったとか。『五人廻し』は吉原を舞台とする噺だったからだ。控室に戻ってからも「あたし、不敬罪で逮捕されるんじゃないか」と顔面蒼白で動転しており、吉村昭らが「今は民主主義の時代ですから、そんなことありません」と必死に宥めたという。
そんな時代だったのだ。

〈追記〉3/26
落語に詳しい小言幸兵衛さんから、学習院での「志ん生・柳好 落語会」当日の演目について下記の情報が寄せられましたので紹介します。
【立風書房の「志ん生文庫」『志ん生滑稽ばなし』に吉村昭さんが「大学寄席」と題した一文を提供されていて、ネタも明かされています。まず柳好が「五人廻し」、次に志ん生が「富久」、さらに柳好が「浮世風呂」だったようです。】

2014/03/23

#355下町中ノ郷寄席(2014/3/22)

「第355回 下町中ノ郷寄席」
日時:2014年3月22日18時30分
会場:中ノ郷信用組合本店4Fホール
<  番組  >
雷門音助『子ほめ』
三遊亭夢吉『佐野山』
~仲入り~
橘家文左衛門『笠碁』『目薬』

いま地域寄席というのはどの位の数があるんだろう。僅かな経験しかないが「ツばなれ(十数名)」の規模から200人、300人といた規模まで大小さまざまだ。常連の多いのが特長で、あまり小規模の会に行くと周囲が妙に気をつかってくれて却って居心地の悪いことがある。
会場は本所吾妻橋駅から歩いて5分、目の前にライトアプしたスカイツリーが見える。
今回初めて伺った「中ノ郷寄席」は100数十名の入りだっただろうか、地域寄席としては規模が大きい。それより355回という開催回数に驚く。月1回の定例のようだがもう30年近く続いているわけだ。よほど主催者(下町中ノ郷寄席同好会)がしっかりしていて、贔屓のお客さんが多いのだろう。
場内は顔見知りがほとんどのようで、あちこちで挨拶が交わされていた
出演者は前座、二ツ目、真打各1名という構成で、回によっては色物が加わることもあるようだ。今回は芸協から前座と二ツ目(二人とも初見)、落協から中堅真打という顔づけ。文左衛門の『笠碁』だけがネタ出しされていた。

音助『子ほめ』、声が明るく言葉がはっきりしていて良い。雷門といえば東京・名古屋・岡山にまたがる名跡だが、現在は東京で3人しかいない。ぜひ名跡を絶やさぬよう頑張って欲しい。
夢吉『佐野山』、先ずは声が大きく明るいのが良い、存在だけで周囲が明るくなるというのは芸人にとりとても大切な素質だ。何となくオカシイという「ふら」もある。
「学校寄席」をマクラに振っていたが、落語家はこのネタが好きだねぇ。あれ、ネタにしたくて学校寄席に行ってんじゃないかと思うほどだ。相撲が好きだと言って本題へ。
谷風と佐野山の取り組みが千秋楽結びの一番としなかったのと、佐野山が土俵上で涙をこぼす場面が無かったは故意なのか、言い忘れか。
佐野山への祝儀を約束したのは贔屓の個人としていて、後は周囲の客が土俵に身の回りの品を投げ、打ち出し後に祝儀と交換するというのは初めて聴いた。
サゲはなく、この一番で佐野山は引退し、東北巡業で谷風が病に倒れた時に駆けつけ看病して恩返ししたという人情噺に仕立てていた。
こういう演出もありか。
芸はまだまだ粗いが勢いがあり、熱演で客席を沸かせていた。
短いマクラから文左衛門の1席目『笠碁』、目新しさというと店先で碁仇を待つ主人がイライラして奉公人に当たり散らす場面を加えたところか。片方が笠をかぶって雨中を行ったり来たりするのをもう片方が目で追う形は5代目小さん以後の演出を踏んでいる。ただ二人が口喧嘩しながら次第に仲直りし、再び碁を囲むまでのシーンがあっさりしている。権太楼を始め近ごろ流行りの演出なんだろうが、このネタの肝心の部分を薄めているような気がするのは私だけか。
時間があるのでもう一席と、ネタ帳に載ってなかった噺ということで文左衛門の2席目『目薬』、亭主の目が悪いので眼の粉薬を買ってきた女房だが、二人とも字があまり読めない。効能書きに「めじりにつける」とあったのを「女しりにつける」と読み間違えて女房の尻につけていると、くすぐったいので思わず屁をしてしまう。粉薬が飛んで亭主の目に入って「あ、そうか! この薬はこうやってつけるんだ」。
典型的なバレ噺。会場は大受けだった。

機会があれば又来たい。入場料1200円は魅力です。

2014/03/21

国立演芸場3月中席・楽日(2014/3/20)

前座・春風亭昇吾『たらちね』
<  番組  >
柳亭明楽『子ほめ』
チャーリーカンパニー『コント』
春風亭鹿の子『動物園』
宮田陽・昇『漫才』
柳家蝠丸『奥山の首』
~仲入り~
瞳ナナ『奇術』
三遊亭遊之介『味噌蔵』
翁家喜楽・喜乃『太神楽曲芸』
春風亭小柳枝『柳田格之進』

彼岸前日というのに冷たい雨が降る3月20日、「国立演芸場3月中席・楽日」へ。先日、今年度の「文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞」を受賞した春風亭小柳枝をトリに迎えた芸協の芝居。
これは私だけかも知れないが落語協会だと噺を聴きに行く、芸術協会だと寄席を楽しみに行くという具合に目的が少し変わってくる。一つには芸協は色物が充実していることがある。この日も9本の番組の中で4本が色物だ。隣席のご婦人なぞ色物の時は熱心に観ていたが落語が始まると途端に居眠りをしていた。人生イロイロ、楽しみ方もイロイロ。

明楽は二ツ目に上がったばかりのようだが、どうにもセリフの「間」が悪い。あれでは笑える所も笑えない。「間」だけなら前座の昇吾の方が上。
チャーリーカンパニーは久々だった。日高てんの相方が若いと思ったらメンバーが変っていた。かつての「コント・レオナルド」を思わせる芸風で、「通夜」のネタで楽しませていた。
会場へ向かう途中で前を洒落た傘をさした和服の女性が歩いていたが、それが鹿の子だった。よく芸人に出会うことがあるが、声を掛けない主義なので顔を合わせても知らんふりをしている。決して気が付いていないわけではないので悪しからず。「珍獣動物園」という設定だが、女流がライオンの真似をすると何だか色っぽいなぁ。終りにカッポレのサービス。
宮田陽・昇の漫才はインテリ崩れ風の陽と、少年野球の監督風の昇の息がピッタリ合いテンポも良い。このコンビを含め最近の若手漫才(年齢はそう若くないが)の進境は著しい。
蝠丸、パッと見は落語家というより理科の教師のような風貌。マクラを聴いててっきり『三井の大黒』かと思ったら同じ左甚五郎ものでも珍しい『奥山の首』。
江戸に出て来てスリにあい一文無しになっていた甚五郎に大工の頭領・政五郎が声を掛け、自宅に連れ帰り居候になる。甚五郎は名前を名乗らずにいたので誰も気づかない。10日ほどブラブラしていたが政五郎から何か彫り物をこさえるよう勧められる。甚五郎は小塚っ原の仕置場に行き晒し首を見てくる。これを参考に生首を彫り、浅草奥山の「藪探し」に出品し優勝する。賞金は政五郎夫婦に渡したが、甚五郎だと分かってしまい江戸を去る。
田舎者風の甚五郎、気風の良い江戸っ子の政五郎、口やかましいその女房らの人物造形がしっかりしていて好演。語り口はソフトだが中身は骨太の芸だ。
瞳ナナ、彼女のサイトでは元祖アイドルマジシャン、歌う魔女っ子マジシャン、コスプレマジシャンと紹介されている。会場から「ナナちゃん!」という声援が飛んでいた。ファンがいるんですね。寄席の奇術には珍しいイルージョンマジックが披露されていたが、お見事。少しデレデレしながら観てしまった。
遊之介は初見。派手な舞台の後でやりにくそうだったが『味噌蔵』を短めにまとめていた。会場の反応は今ひとつだったが決して悪くなかった。ただ定吉に提灯を持たせる個所をカットしていたのは解せない。主人と定吉が強風の下、暗い夜道を歩いて帰って来るというシーンはこのネタの肝心な所だと思う。
喜楽・喜乃は、珍しい父と娘二人の太神楽。「タマゴ落し」という芸が見もの。ガラス板の四方に4個の水に入ったコップを置き上にもう1枚ガラス板を乗せる。その四方にエッグスタンドを置きそれぞれに生卵を乗せる。これ全体を金属棒のスタンドに乗せて下から顎で支え、片手に持った棒で上のガラス板をポンと叩く。するとガラス板とエッグスタンドだけが飛んで行き4個のタマゴがそれぞれのコップに納まるという曲芸だ。初めて見たが鮮やか。
小柳枝『柳田格之進』、いくつか特長を上げると、番頭の久兵衛が敢えて格之進を疑ったのは男の嫉妬だという解釈。確かに数十年お家大事に奉公してきたのに主人の作左衛門は番頭のいう事を聞かず得体の知れない浪人者の格之進を信用するのだから、そういう気持ちも起きるのだろう。
疑いの晴れた格之進が約束通り主人と番頭の首を討ちに行くと、二人が必死でかばい合う姿を見て刀の切っ先が鈍り首の代わりに碁盤を真っ二つにするという演出にしていた。
終りはハッピーエンド版で、この後、作左衛門が格之進の娘で吉原に身を沈めていたお花を身請けし、
久兵衛と夫婦にして産まれた長男が越前屋を、次男が柳田家を継ぐという結末にしていた。
いかにもこの人らしい風格の一席だったが、時間のせいなのか終盤を急いだ感があったのが残念。

楽日だけに楽しい一日。

2014/03/19

【寄席な人々】観客のマナー

寄席や落語会での客の迷惑行為について何度かふれてきたが、コメントで寄せられた意見を含めあらためて整理してみたい。
(1)携帯電話に関するもの:呼び出し音、メールの受信音、モニター画面の灯り
(2)客同士の会話:私語、ネタの解説、オチを先に言う
(3)雑音:買い物袋のガサガサ音、いびき、時計のアラーム
(4)客席への入退場:口演中の着席または退席
(5)近くにいると気になる行為:前方の席での長時間の熟睡や読書、長時間の探しもの、派手な拍手や笑い
まとめると、次の様になる。
(1)無用な音を立てない
(2)口演中の入退場は避ける
これは落語会だけではなく他の演劇やコンサートなどでも守るべき事項だ。
この点は共通認識としておきたい。

ただ寄席とそれ以外の落語会とでは求められる基準は少し違うと思う。
先ず寄席のマナーだが、当代の金馬が語っていたように以前に比べると格段に良くなっている。
昔との大きな違いはヤジを飛ばす客がいなくなったことだ。なかにヤジられた芸人の贔屓がいたりすると客席からヤジり返し、時には喧嘩が起きるなんて光景はかつてはあった。
これはマナーとは異なるが、今はどんな芸人にでもほとんどの客が拍手を送る。以前は前座に拍手する人など稀だった。女性客が増えたという要因もあるかも知れない。
都内にある4軒の寄席(定席)のうち鈴本を除く他の3軒はいずれも昼夜入れ替えなしだ。昼前から夜の9時近くまで興行を行っている。この間の入場や退場は自由だ。開演から終演までいようと途中から入場して途中で退場しても一向に構わない。
前座は開演前に上がるので入退場は構わないが、二ツ目以後については口演中の入退場は避けて芸人が入れ替わる間に済ませたい。私の場合、途中入場の時は後方で立ち見をして入れ替わる時に着席している。
客席の照明を落とさないので客席が明るい。本だって読める。もちろん睡眠も自由だ、寄席というのはそうした緩やかな空間でもある。ただそうした行為は後方の席でして欲しい。
以前に最前列で前座からトリまでずっと足を投げ出して熟睡していた女性客がいて、数日後にまた出会ったら同じように最前列で熟睡していた。こうなると嫌がらせとしか思えない。
最前列で新聞や本を読む男性客を見たことがあるが、あれも遠慮して欲しい。
芸能で客席内での飲食が可能なのは寄席と歌舞伎ぐらいだろう。とはいえ歌舞伎の場合、開演中に食事する人は見かけないから、飲食自由なのは寄席だけだろう。隣合わせで飲んだり食べたりしているとついつい会話もしてしまう。だから飲食は出来るだけ二ツ目が上がる前か仲入りで済ませて欲しい。
以上が寄席で注意すべき諸点ということになるだろう。

それ以外の落語会の場合は、他の演劇などと同様のマナーが求められる。なかに落語会ならではの苦情もあるので検討してみたい。
先ず、私語の中身としてネタやサゲの解説というのがある。大抵が詳しい人と初心者との組み合わせのケースで、例えば落語ファンが馴れない奥さんを誘って来たような場合だ。本人としては連れ合いに面白さを理解して貰おうとサービスしている積りだろうが、休憩時間にゆっくりとやって欲しい。
派手な拍手や笑いが気になるという声もある。私も神社の柏手のような大仰な拍手をする人や、何が面白いのか初めから終わりまで大笑いをし続けてる人(ゲラさん)が近くにいると、そちらが気になってシラケテしまう事がある。
ただこれはマナー違反というわけではない。笑いのツボはそれぞれ違うし、大笑いしたくて落語会に来る人もいる。反対に終始ニコリともしない人がいるとそれも気になる。妻と一緒に行くと私があまり笑わないので、「あんた、面白くないの?」と訊かれることがある。だから笑い方の大小については大目に見るべきだろう。
歌舞伎に「大向う」といって役者の屋号を掛ける人がいる。舞台が引き立つし聞いていても気分が良い。しかし一度すぐ後ろの席でこれをやられたら結構きつかった。なにしろ声が大きいしそれが数十回にも及ぶのだ。気になって芝居に集中できなくて困ったが、こればかりは注意するわけにも行かない。不運と諦めるしかない。

自己には厳しく周囲には多少の寛容の精神を持つことが落語を楽しむコツかも知れない。
色々書いた割には、当たり障りのない結論になってしまった。

2014/03/16

#13らくご古金亭(2014/3/15)

「第十三回 らくご古金亭」
日時:2014年3月15日(土)17:30
場所:湯島天神参集殿1階ホール
<  番組  >
前座・金原亭駒松「道灌」
金原亭馬治「お血脈」
桃月庵白酒「喧嘩長屋」
ゲスト・三遊亭遊雀「干物箱」
金原亭馬生「つづら」
~仲入り~
ゲスト・古今亭志ん橋「厳流島」
五街道雲助「お若伊之助」

家を出る前に思い出して、そうか、今日の会場は湯島天神か。湯島といえば梅、きっと満開だろうとカメラを持って行った。
下の写真のように満開でした。
1
2
3
4

数ある落語会の中でもこの「らくご古金亭」ほど明確なコンセプトを持つものは他にあるまい。
演目を5代目志ん生と10代目馬生の二人が高座にかけたネタだけを演じる。もう一つは当代馬生一門と雲助一門だけをレギュラーとして毎回ゲストを呼ぶという趣向。よほどプロヂューサーがしっかりしているだろう。
この日の出し物でいえば「厳流島」と「お若伊之助」が志ん生の、「お血脈」「喧嘩長屋」「干物箱」と「つづら」が馬生のネタだ。
客のマナーが良いのも主催者がしっかりしているせいだろう。

馬治「お血脈」
後から上がった白酒が時間が短すぎると文句を言っていたが、確かにこの噺は本筋だけなら5分もあれば終わってしまう。色々なギャグを詰め込んでいかないと時間が稼げないし、またギャグの面白さで勝負するネタでもある。馬冶は龍玉を伴って善光寺に行った話や、正雀に「七段目」の稽古をつけて貰った話などを織り込みながら彼らの物真似をするのだが、これが面白いほど似てないのがご愛嬌だった。
白酒「喧嘩長屋」
前が短く、後の志ん橋がまだ楽屋入りしてないというので師匠の大臣賞受賞の話題などで時間を延ばしていた。その奮闘ぶりが客席からもよく分かった。ネタは先日聴いたばかりだが、上方では口演記録はあるものの大師匠が高座に掛けていたことはこの日初めて知った。
演出については白酒が相当に手を入れて先人の高座とは違った形にしていると思われる。特に発端となる最初の夫婦喧嘩にリアリティがあり、聴いていて思わずニヤッとしてしまう。
遊雀「干物箱」
志ん橋の楽屋入りが遅れていたので予定を入れ替え遊雀が先に上がる。芸協の人がこの会に出るのは珍しい。もっとも元落協ではあるが。
遊雀の演出は銀之助の身代りに貸本屋の善公が2階に上がってからが長め。若旦那が吉原に行く時の人力車や先方での花魁とのイチャツキを想像して騒ぐ。その代りに部屋の抽斗から花魁からの手紙を見つけ読みあげる場面はカットしていた。特に親父の息子に対する情愛を強く感じさせた一席。
馬生「つづら」
艶笑噺の部類に入るだろう。
男が博打で30両の借金を作り金策に走りまわるが工面がつかない。見かねた女房が台所用具を詰めたつづらを近所の質屋に持ち込み30両貸してと頼むと、事情をきいた質屋の主が貸してくれる。3年間前に女房を亡くし寂しい思いをしていたこの主人、結局は女房と深い仲になってしまう。
この噂を聞きつけた男は留守を装い質屋の主が家に上がった所を踏み込むが、女房は咄嗟に主をつづらに隠してしまう。それを察した男はつづらを背負い質屋にやってきて番頭の100両出せという。番頭は断るが、後から来た女房が中に主が入っていると耳打ちすると、慌てて100両を出す。
サゲは先代馬生のものと変えていた。
以前聴いた雲助の高座に比べアイロニーは薄れていたが、当代馬生らしい色っぽい高座だった。
志ん橋「厳流島」
遅れた理由がこの人らしく、境内の梅を眺めていて時間が過ぎてしまったとのこと。
この人の独特の節回しが心地よい。
雲助「お若伊之助」
元の噺は「因果塚由来」といい、「円朝全集」に速記が掲載されていることから三遊亭円朝作の長編人情噺とされているようだが、圓朝を含め口演記録が残っていないそうだ。「お若伊之助」はその発端とされていて、こちらは圓生、志ん生、志ん朝らの大看板が手掛け録音も残されている。
志ん朝譲りと言おうか、雲助の演じる鳶頭の初五郎の江戸っ子らしい粗忽ぶりの造形が見事で、何度聴いても飽きない。

最後は雲助の「芸術選奨・文部科学大臣賞」受賞のお祝いの手締めで目出度くお開き。

祝!五街道雲助「芸術選奨・文部科学大臣賞」受賞

文化庁は3月13日、平成25年度芸術選奨を発表し、大衆芸能部門では五街道雲助(66)が文部科学大臣賞を受賞した。授賞の理由は「『第543回落語研究会』における『お初徳兵衛』ほかの成果」だそうだ。
落語が好きというとよく訊かれるのが「今の落語家で一番上手いのは誰?」という質問で、「さあ、小三冶か雲助でしょうか」と答える。大概の相手はキョトンとする。落語ファンでもなければ雲助の名前を知らない。小三冶がトップである点は異論がなかろうが、彼は正確な意味での人情噺(サゲの無い噺)は高座にかけない。そこいくと雲助の方は滑稽噺から人情噺までレパートリーが広く、かつ上手い。
名人上手という言葉があるが、その「上手」の領域に達しているように思う。

落語協会のHPには、参考資料として『過去の芸術選奨「大衆芸能部門」文部科学大臣賞と新人賞を受けた落語家』の一覧が掲載されている。

【文部科学大臣賞】
第18回 昭和42年度 三遊亭圓生(大衆芸能部門が創設された第1回)
第26回 昭和50年度 林家正蔵
第30回 昭和54年度 桂米朝
第39回 昭和63年度 桂小南
第46回 平成 7年度 桂文治
第51回 平成12年度 古今亭志ん朝
第54回 平成15年度 柳家小三治
第55回 平成16年度 桂歌丸
第56回 平成17年度 桂三枝
第58回 平成19年度 立川志の輔
第59回 平成20年度 桂文珍
第60回 平成21年度 林家染丸
第62回 平成23年度 柳家権太楼
第63回 平成24年度 柳家さん喬
第64回 平成25年度 五街道雲助

【新人賞】
第19回 昭和43年度 金原亭馬生
第22回 昭和46年度 古今亭志ん朝
第31回 昭和55年度 柳家小三治
第33回 昭和57年度 桂枝雀
第34回 昭和58年度 入船亭扇橋
第36回 昭和60年度 春風亭小朝
第42回 平成3年度  林家染丸
第47回 平成8年度  林家正雀
第52回 平成13年度 桂吉朝
第53回 平成14年度 笑福亭鶴笑
第54回 平成15年度 桂文我
第56回 平成17年度 柳家喬太郎
第58回 平成19年度 林家たい平
第63回 平成24年度 古今亭菊之丞

正蔵、文治、馬生はいずれも先代だ。
リストの中で笑福亭鶴笑だけは知らなかった。
「大臣賞」で目についたのは、平成7年度までは落語家の受賞間隔が空いていたのに15年度以降はほぼ毎年のように受賞者を出していることだ。それだけ大衆芸能における落語家の地位が上がってきたことを示している。
大衆芸能部門が創設されたのが昭和42年度だから先代文楽や志ん生は対象外だったのだろうが、意外なのは「大臣賞」に先代柳家小さんの名前が無いことだ。談志の名前もない。
「大臣賞」受賞者の内訳は東京が11名、上方が4名。東京では落語協会が7名、芸術協会が3名、立川流が1名となっている。新作は三枝(現文枝)だけ。上方落語から米朝は文句なしにしても他が三枝、文珍、染丸というのはどうだろうか。異論がありそうな気もする。人気面も考慮してるのか、選考基準がよく分からない。

何はともあれ、雲助の受賞は目出度い。

2014/03/14

吉右衛門の勧進帳に唸る「三月大歌舞伎」(2014/3/13夜)

3月の歌舞伎座は吉右衛門、幸四郎に菊五郎、藤十郎、玉三郎が加わるというオールスターキャスト。こいつぁ行かざあ先祖の助六に顔がたたねぇ、なんてね。
実は、恥ずかしながら玉三郎が好きなんです。意外にミーハー。だからこの人の芝居には何度か来ている。女形としちゃあ顔が小さいのと背が高いのが欠点だけど、これほど美しい女形はいないだろう。
もう一つのお目当ては吉右衛門の『勧進帳』。
風雨は強かったがめっきりと暖かくなった3月13日の歌舞伎座・夜の部へ。

「鳳凰祭三月大歌舞伎」
一、加賀鳶(かがとび)
本郷木戸前勢揃いより赤門捕物まで

天神町梅吉/竹垣道玄:幸四郎
女按摩お兼:秀太郎
春木町巳之助:橋之助
魁勇次:勘九郎
虎屋竹五郎:松江
盤石石松:歌昇
数珠玉房吉:廣太郎
御守殿門次:種之助
昼ッ子尾之吉:児太郎
お朝:宗之助
伊勢屋与兵衛:錦吾
金助町兼五郎:桂三
妻恋音吉:由次郎
天狗杉松:高麗蔵
御神輿弥太郎:友右衛門
雷五郎次:左團次
日蔭町松蔵:梅玉

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)

武蔵坊弁慶:吉右衛門
富樫左衛門:菊五郎
亀井六郎:歌 六
片岡八郎:又五郎
駿河次郎:扇 雀
太刀持音若:玉太郎
常陸坊海尊:東蔵
源義経:藤十郎

三、日本振袖始(にほんふりそではじめ)
大蛇退治

岩長姫実は八岐大蛇:玉三郎
稲田姫:米吉
素盞嗚尊:勘九郎

『加賀鳶』
江戸は本郷、加賀鳶と定火消しとの喧嘩が始まろうとしている時に、鳶の親分の梅吉と兄貴分の松蔵の説得で喧嘩は納まる。
菊坂の盲長屋に住む竹垣道玄は百姓太次右衛門を殺害し金を奪う。家では女房おせつを虐待する一方、女按摩お兼とは深い仲に。道玄は姪のお朝が奉公先の主人から親切にされるのをみて、その質店伊勢屋の主を強請ることを思いつき店先で主人に難癖をつけ脅す。100両寄こせという所を番頭のとりなしで50両で収めるが、そこへ鳶頭の松蔵が現れ道玄の悪事を暴いて追い返す。
道玄の太次右衛門を殺害した証拠もみつかり御用となる。
当時の江戸庶民の姿が生き生きと描かれている。
幸四郎の小悪党ぶりがハマっていて、特に店先での強請の場面が良く出来ていた。鳶頭の梅玉は颯爽としており、道玄たちを追い払うときに手土産代わりに10両の紙入れを投げ与える動作が粋。

『勧進帳』
解説は不要だろう。歌舞伎の代表作ばかりでなく、古典芸能から新劇に至る数多の演劇の中で、これほど素晴らしい芝居は他にない。この日、外国人の客が目についたが、日本の文化を理解するにはピッタリだ。
もし歌舞伎を一度もみたことがない方がおられたら、一幕見でも良いからご覧頂きたい。
山伏は通行罷りならぬとする富樫に対し弁慶らが調伏の呪文を唱え疑いを晴らそうとする「のっと(祝詞)」
富樫は勧進帳を読んでみるよう命じると弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳に装い朗々と読み上げる「勧進帳読上げ」
富樫が山伏の心得や秘密の呪文について問い質すと弁慶が淀みなく答える「山伏問答」
富樫が失礼を詫びて酒を勧め酔った弁慶が舞を披露する「延年の舞」
そして最後に踊りながら義経らを逃がし弁慶は富樫に目礼し後を急ぎ追いかける「飛び六方」
手に汗にぎる名場面の連続で、終演のさいに周囲からも溜め息がもれる。それほど緊張感に溢れる舞台だ。
弁慶の吉右衛門は風格・貫録といい、酔って舞う時の愛嬌といい、義経に無礼を詫び涙を流す一途さといい、全て申し分ない。團十郎亡きあと、弁慶はこの人が第一人者といって良いだろう。
弁慶の嘘を見破りながらその心情を思い騙された振りをする富樫の菊五郎も好演。
義経の藤十郎を含め、「勧進帳」としては現在最高キャストと言える。

『日本振袖始』
有名な素盞嗚尊(すさそうのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治を義太夫の舞踊劇にしたもの。
美しい玉三郎の踊りをみて周囲のご婦人たちはただウットリ。
もし玉三郎の踊りだけを楽しみにという向きには、昼の部の『二人藤娘』の方が良かったかも。

この日は練達の観客が盛んに「大向う」から掛け声を発して舞台の雰囲気を盛り上げていた。

2014/03/12

学術論文のアイマイさ

新たな万能細胞「STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)」の論文問題がゆれている。
過去の画像の使い回しや、出典を明示せずに他者の論文の一部を引用しているなどが指摘されているようだ。
実験を主導した小保方晴子・研究ユニットリーダーが所属する理化学研究所は文部科学省で初めて記者会見し、加賀屋悟広報室長が「世間をお騒がせして誠に申し訳ない」と陳謝した。外部の専門家も交えた調査委員会が3月14日に記者会見し、調査の進展状況を説明するという。
加賀屋室長は「信頼性、研究倫理の観点から、論文の取り下げを視野に入れて検討している」と述べ、調査結果次第では論文の撤回を求める意向を示した。
仮に論文を撤回することになれば研究成果も白紙になるおそれがある。但し、撤回には原則として共著者全員の同意が必要となるので、理研だけの判断ではできない。

この問題で考えなくてはいけないのは、研究成果それ自体が誤りだったのか、あるいは発表論文が不適切だったのかという点だ。
もし実験データが捏造あるいは修正されていたならば成果そのものが否定される。もう一つ大切なことは実験の再現性だ。全く同一の条件で実験を行った場合、同じ結果が得られなくてはならない。偶然やタマタマではサイエンスにならない。STAP細胞の場合、おそらくこの点に疑念が出されているのだろう。

もう一つの学術論文として適性であったかどうかという点だが、これは掲載した学術誌の方針にもよる。一口に学術誌といっても様々な分野に分かれており、ランクも異なる。Aという誌には不掲載になるがBなら掲載できるという事もあるわけだ。
学術誌ごとに審査委員がいて掲載するか否かを決めるのだが、甘い辛いがある。研究者もタテ社会だから例えばその学会の権威者が係わった論文であると、審査は落としにくい。
企業の研究発表の際には、そうした点を利用して権威者を共同研究に引き入れ、企業側に有利な条件で論文を掲載できるよう手配することになる。
では大学の論文なら信頼できるかというと、これも実際には企業が資金を出しているひも付き研究のケースもあり必ずしも公正とは言えない。
だから学術論文だからといって一概に信用するのは危険だ。

以上はあくまで一般論であって、STAP細胞問題に適用できるかどうかは分からないが、ご参考までに。

昨今、作曲家の佐村河内守氏のいわゆるゴーストラーター問題が世間を賑わしたが、学術論文の世界でゴーストライターの存在はその比ではない。
以前に”「ゴーストライター」は日本文化”(2011/05/22付)の記事に書いたものを以下に再録する。
【ゴーストライターが最も日常化しているのは、科学技術の世界だろう。
仮にAという大学教授と、その弟子のBが共同執筆して書籍を出したとしよう。
もしAがその一部を書き、残りの大部分をBが書いた場合は、その書籍の執筆者はA単独となる。
全てをBが書いた場合は、執筆者はAとBの共著になる。
これは「お約束」であり、少なくとも私が現役時代の数年前まではそうであったし、今でも続いていると思う。
科学誌に掲載された論文でも同様で、ある高名な大学教授が書かれた論文について教えを乞うべく訪問したら、自分では分からないからと、執筆した弟子をその場によんで説明させていた。
大先生は、論文自体をあまり読んでいない様子だった。
そげなモンです。
以前に「ポスドク」について書いたように、特に企業においては博士論文の替え玉はそう珍しくなかろう。
上司の命令とあっては部下は逆らえないし、考課に響くとなれば部下はせっせとゴーストライターを務めるしかない。】

決して肯定しているわけではないが、そういう実態もあるということ。

【3/13追記】
Wikipediaの解説によると、本論文の掲載誌「Nature」は、
「同時代の科学誌群とは比べ物にならないほどpolemic ポレミックな目的の (つまり、討論を挑んだり、議論を引き起こすことが目的の)雑誌として生まれ、育てあげられた。」
とある。
そういう意味では掲載論文は趣旨に沿うのかも知れない。

2014/03/11

「JAPANESE ONLY」と「アンネの日記」

3月8日のサッカーJ1浦和―鳥栖戦があった埼玉スタジアムで、浦和サポーター席入り口のコンコースに「JAPANESE ONLY」との横断幕が掲げられた。「日本人以外お断り」と外国人排斥の意味にとれるため、浦和の淵田敬三社長らクラブ幹部は事実関係の調査と今後の対応を協議した。掲出者複数人を特定し、事情を聴いている。
写真で見るとこの横断幕の隣に日の丸が、その奥には日章旗が掲げられている。これを掲げた人の意図は明白だろう。
「Staff only」なら「関係者以外の立ち入り禁止」
「White only」なら「白人以外の立ち入り禁止」
「Japanese only」なら「日本人以外の立ち入禁止」
そういう意味だ。
浦和は「差別的と解釈されかねない行為。事実確認のうえ、適切な対応に取り組む」とのコメントを発表した。
また浦和の元日本代表・槙野智章選手は自身のツイッターで「負けた以上にもっと残念な事があった」とコメントしている。

先般、図書館や書店で「アンネの日記」などホロコースト関連の本が破られるという事態がおき、警視庁が本格的な捜査に乗り出している。
杉並区、中野区など東京都内の公立図書館が所蔵するアンネ・フランクの日記やナチス・ドイツによるホロコーストに関連した書籍ばかりを狙って、1月以降都内31の図書館で、少なくとも265冊の関連書籍が損壊しているのが確認されいる。
注目されるのはその破り方だ。
Photo
上の写真を見るとアンネの顔を残して本を損壊している。写真で報道された時に「アンネの日記」が破られていることを誇示しているかのようだ。
いわゆる「ヘイト・スピーチ」デモの中にはナチスの旗を掲げている人の写真もあり、そうした動きと連動した犯行であろうかと推察される。

近ごろナショナリズムの高揚と裏腹に、排外主義や他民族蔑視の傾向が一部で強まっている。ネットの中ではそうした傾向を煽るような記事も多くみかける。
本人たちは愛国主義の発露のつもりかも知れないが、結果としては日本人全体を貶めかねない事に気付いていないようだ。
こうした日本人が出ていることは実に恥ずかしい。

2014/03/09

「阪神タイガース」これじゃAクラスも危ない

阪神タイガースは3月8日も藤浪で負けて、これでオープン戦開幕5連敗という球団記録を作ってしまった。
まだオープン戦だからという見方もあるが、既にスタメンには主力選手が出ている。それと投手はそこそこ抑えるが打てず点が取れずという昨年後半の戦いをそのまま引きずっている様子が気になる。
昨季からのシーズンオフでライバルの巨人が着々と補強しさらに戦力を整えたのに対し、阪神はこれといった補強をしていない。外国人選手のゴメスと呉を獲得したものの、こればかりは実戦で使えるかどうかは分からない。

毎度のことながらこの球団のフロントの方針が見えてこないのだ。
昨年の成績をみれば、ホームランが打てる強打者の獲得が補強ポイントだったのは明らかだ。それでゴメスを獲ったのだろうが、夫人の出産という事情で来日がキャンプインから大幅に遅れてしまった。アクシデントならやむを得ないが、夫人の出産が今年の2月初めというのは予め分かっていた筈だ。本人との間でどのような取り決めをしていたんだろうか。
果たせるかなゴメスはトレーニングが不十分のまま練習に入り足を痛めて離脱してしまった。現状では未だ実戦復帰のメドが立てられない。
リーグ戦に入ってからどのような力を発揮するかは不明だが、「今年も又ダメ外人か」という不安が頭をよぎるのは私だけではあるまい。

投手陣はどうかといえば、昨季より久保とスタンリッジが抜けてしまった。久保はFA移籍だから仕方ないがスタンリッジをなぜ手放してしまったんだろう。勝ち星こそ恵まれなかったが安定感はずば抜けていた。
そうしておいて、今になって先発の駒が足りないなんて言いだしている。足りないんじゃない、わざわざ足りなくしているのだ。
計算できる選手を手放し計算できない選手を獲っているんじゃ勝てるわけがない。

秋から春にかけてのキャンプでは若手や控え選手の底上げを目指してきた。ただこの期間に底上げの努力をしているのは阪神だけではなく他球団も同じだ。
掛布DCを招いて若手への指導を強化してきたが、キャンプイン当時は威勢のいい言葉も聞かれたが、実戦になるにつれレギュラーを脅かすような若手は出て来ていない。効果が現れるにしても時間はかかる。

このままでは優勝はおろかAクラス確保さえ危ぶまれる。
フロントをはじめ監督コーチ陣はどこまで危機感を持っているのだろうか。きっと多くの阪神ファンはイライラを募らせているに違いない。

2014/03/08

「喜多八・白酒 二人会」(2014/3/7)

「第28回新宿亭砥寄席『喜多八・白酒 二人会』」
日時:2004年3月7日(金)19時
会場:新宿文化センター小ホール
<  番組  >
前座・柳家緑太『狸札』
桃月庵白酒『喧嘩長屋』
柳家喜多八『片棒』
~仲入り~
柳家喜多八『短命(長命)』
桃月庵白酒『今戸の狐』

3月も半ばに差しかかるというのに寒い。こういう時期はネタを選ぶのに苦労すると白酒が言ってたがその通りだろう。弥生だから冬のネタというわけにもいかず、さりとてこう寒いと花見の噺もしにくい。
この会場は初めてだったがあまり足弁が良いとは言えない。床がフラッとなのでアタシは通路側だったから良かったが高座が見えにくい人もいたのでは。折り畳み椅子で出囃子はテープだったし全体にチープな印象だ。
この日の二人は揃って自転車通勤スタイル、これで楽屋に弁当が出ればアゴアシがタダ。エコノミカル!

白酒がマクラで言ってたが、かつては落語を聴くのに前売りなんて珍しかった。志ん朝や談志の都内での独演会を除けばどこでも当日に入れた。国立演芸場に米朝が来たときも当日で、自由席だったから最前列で観られた。今から考えるとウソのような話だが。
全席指定の前売りなんてぇのが一般化しだしたのは2000年以後ではあるまいか。
エンターテイメントの一分野として見做されてきたのではと白酒が言ってたが、そういう事かも知れない。

プログラムでは喜多八がトリということだったが、本人が早く帰りたいという事で急きょ白酒がトリとなった。
白酒の1席目『喧嘩長屋』は、ある長屋でツマラナイことから夫婦喧嘩から始まり、どんどん長屋に喧嘩が拡がる。ついには石原慎太郎やプーチン、習近平まで出てくる始末。あまりの騒ぎに隣の男が訪ねてみると、「満員御礼」の札が下がっていた。初見。
古典のようだが寄席には掛からない珍しい噺らしい。喜多八がリクエストしたとのこと。
喧嘩の殴り合いだけが見せ場で、白酒の力技が見もの。
喜多八の1席目『片棒』、木遣りや祭り囃しは短めにして、人物描写に重点を置いた喜多八風の演出。喜多八のこのネタは初めてだが、何を演らせても上手い。
喜多八の2席目『短命(長命)』はもう十八番と言ってもいいだろう。
この日はマクラで『長命丸』の小咄を入れていた。典型的なバレ噺だ。
両国に「四つ目屋」という店がありここでは「長命丸」という薬を売っていた。強精剤ですね。事情を知らない田舎者が訪れ、長生きが出来る薬と早合点している。どう使うのかと店員に訊くと、これは塗り薬であなたのセガレの頭に塗ると効くと説明する。男は故郷に帰り、勘違いして自分の息子の頭に塗ってしまう。夜中、父と息子が並んで寝ていると何故か息子だけがムックリ起き出した。
本題の『短命(長命)』では例によって後半はパントマイム、手振り身振りだけで「短命」になる理由を説明。クスっと笑える艶笑噺。
白酒『今戸の狐』、これも十八番と言っていいだろう。あらかじめサイコロ賭博の「狐」の解説や、サイコロの事を「コツ」千住のことを「コツ」と称していたなどの解説を丁寧にしておくので、ストーリーが大変分かり易い。このネタに関しては志ん朝より白酒の方が上だと思っている。

寒さを吹き飛ばす4席、結構でした。

2014/03/06

武田薬品の臨床試験「捏造」疑惑

ノバルティスファーマ社による一連の臨床試験の不正問題は、1月9日、厚労省が同社を薬事法違反で刑事告発し捜査は新たな段階をむかえた。
しかし同様の不正は他の製薬会社でも行われていることは前から噂されていて、その中でもノバルティスファーマより悪質だとの声があがっているのが武田薬品の降圧剤「カンデサルタン(商品名:ブロプレス)」に関する疑惑だ。
新薬の開発には膨大な費用がかかるが当れば巨きな利益が得られる。その決め手となるのが臨床試験データ(エビデンス)だ。いくら素晴らしい新薬ができても副作用が小さく人間に効かなくては商品にならない。
その結果、エビデンスのデータを少しでも自社商品にとって有利なものにしようと製薬会社は考えるわけだ。

以前から雑誌などに書かれていたが、最近になってようやく全国紙にも記事が載るようになったこの疑惑だが、おおよそ次のようだ。
先ず第一の疑惑。
問題の薬品は武田薬品が販売する「カンデサルタン(商品名:ブロプレス)」で、対抗商品にファーザーが販売する「アムロジピン(商品名:ノルバスク)がある。後者は私も服用しているクスリだ。
このうちどちらが効果が高いかを2001年~2005年に高血圧患者4700人を対象に臨床試験が行われた。
この試験は日本高血圧学会が主体となった医師主導臨床研究として行い、データのまとめは京都大学EBM共同センターが行った。
いかにも公正な機関のように見えるが実態はそうでなかった。武田薬品から同センターに奨学金名目で25億円もの寄付金がふりこまれていた。二つの商品を比較するとしながら、片方の企業からだけ巨額の資金が提供されれば結果はどうなるか歴然としている。こういうのを世間では「利益相反行為」という。
こうした大規模なデータを処理するにはWebデータシステム構築などが必要だが、これらは全て武田薬品の藤本明氏(当時、同社開発本部首席部員)が担当した。藤本氏は2007年に武田から京都大学EBM共同センターに移り、その後に発表した一連の論文では、藤本氏は京大EBM共同センター研究部長の肩書で発表している。既に武田の社員じゃないから問題ないという理屈は成り立たない。
第二の疑惑は、「ブロプレス」と「アムロジピン」2剤の心血管系障害累積発症率を比較したグラフが2つあることが判明している。2006年の国際高血圧学会発表時のものと、2008年に米国専門誌「高血圧」に掲載された研究論文のものの2つだ。
両者の違いは時間軸の長さで学会版は48カ月で、42カ月以後それまで発症率でアムロジピン服用群よりも高かったブロプレス服用群が逆転して低下している。ただ通常はこうした現象は起きないのだそうだ。
一方の専門誌版では、その結果が不自然だという理由から42カ月以後が削除されている。データの信頼性が疑われたということか。
第三の疑惑は、論文が発表された2006年以後も、武田はブロプレスが長期服用によって心疾患系障害発症で有利となるように見えるグラフを販促資材(製品パンフレット)に使い、ブロプレスを販売したというものだ。

武田薬品の「カンデサルタン(ブロプレス)」は、2012年度の総売り上げが1696億円という目玉商品だ。販売促進に有利なエビデンスは喉から手が出るほど欲しかったんだろう。
経緯をみるとこの件はノバルティスファーマ社の不正と酷似している。
薬品の試験に不正があれば、私たちの生命や健康に直接的な影響を与える。
関係機関の厳正な捜査を望みたい。

2014/03/05

籾井NHK会長は誰から「言わされた」のか

NHKの籾井勝人会長は2014年3月3日の参院予算委員会で、就任会見でいわゆる従軍慰安婦について「戦争しているどこの国にもあった」と発言したことについて、「質問を受けたために、そういうことを結局『言わされた』というのは言いすぎだが、私はそういうことで申し上げた」と答弁した。那谷屋正義議員(民主)の質問に答えた。
(J-CASTニュース3月4日付)

さて、当時のニュースから該当する部分を確認すると、NHK会長に就任した籾井勝人氏は1月25日、就任会見を開いた。この中で旧日本軍の慰安婦問題について「会長の職はさておき」と個人的な見解と断った上で記者の質問に対し以下のように答えている。
――慰安婦を巡る問題については。
「戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと。」
――戦争していた国すべてに、慰安婦がいたということか。
「韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか。」
――証拠があっての発言か。
「慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい。」

「言わされる」というのは通常なんらかの脅迫あるいは強制下において、
1,発言の内容を指示された場合
2,誘導尋問による場合
3,発言しないと自己に不利が生じる場合
とが考えられる。
先ず2,誘導尋問について見てみると、例えば記者が「慰安婦なんてどこの国にもありますよね」と質問し、籾井氏が「そうだ」と答えたなら、これは誘導尋問と言われても仕方ない。
しかし質問では特定の回答になるよう仕向けたものではなく、籾井氏がどう考えるかを訊いただけなので誘導尋問とは言えない。
3,発言しないと自己に不利が生じるかどうかだが、この場でこうした発言をしなくともこれからのNHK会長としての職務になんら不都合な事はない。
記者からしつこく訊かれたのでついついしゃべってしまったという擁護論もあるが、乗せられてペラペラしゃべったとすれば軽率の謗りを免れぬ。
1,発言の内容を指示されたかどうかは本人しか知り得ないことで、もし指示されたなら誰にだろう?

結局、仔細にみれば籾井氏は記者から訊かれるままに自分の所信を語ったというのが偽らぬところだろう。
誰かから「言わされた」のではなく、本人が「言った」のだ。
「『言わされた』というのは言いすぎだが」なんて言うくらいなら、なぜ敢えて「言わされた」という言葉を使ったのか不可解だ。
近ごろ政治家やトップの立場にある人間が、とかく他人のせいにして自分の責任をのがれる傾向が強いが、この籾井会長の発言もその典型だ。

2014/03/03

「三三・一之輔 二人会」(2014/3/2)

「毎日新聞落語会 渋谷に福来たるSPECIAL 2014~二人フェスティバル的な~古典ムーブ春一番『柳家三三・春風亭一之輔』」
日時:2014年3月2日(日)19時
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
<  番組  >
三三・一之輔『おしゃべり』
柳家三三『看板のピン』
春風亭一之輔『ねずみ穴』
~仲入り~
春風亭一之輔『新聞記事』
柳家三三『三味線栗毛』

会のタイトルが長けりゃ会場名も長い。『寿限無』か? 短く言えば「渋福の三一」
昔イタリア映画に『もしお許し願えれば女について話しましょう』という長いタイトルがあったっけ。短いのでは邦画の『毛』。
また雨、前日も雨だった。先週は旧友に逢いに水曜から1泊で大分へ行ったのだが、こちらは快晴だったのに向こうに着いたら雨。翌日は大分は晴れてたが東京に戻ったら雨。1月にモロッコへ行った時も昨年からの日照り続きで、モスクでは雨乞いをしていた。ところが現地滞在の7日間のうち2日雨に降られた。行く先々で雨に降られる「雨男」なのだ。そう言えば女にもよく「ふられた」なぁ。

二人会でこの顔合わせは初めてだそうだ。二人ともチョー売れっ子同士だからね。昨年それぞれが47都道府県を回ったが今年も、と言っていた。この勢い、いつまで続くだろうか。

三三は上手い。声がよく通るしテンポが良い。1席目の『看板のピン』ではそうした良さが光っていた。
では欠点は何かというと、噺は上手いが人の心を打たない。感心はするが感動をしたことがない。たまたまそういう高座に巡り合っていないせいかも知れないが、いつもそういう印象を受けるのだ。
2席目の『三味線栗毛』のストーリーはこうだ。
大名の酒井雅楽頭の長男は病弱で、次男の角三郎は父親に疎んじられて、あてがい扶持で下屋敷に下げられ中間の吉兵衛との二人暮らし。角三郎はさして気にせず、昼は見世物小屋を見物したり居酒屋で一杯やっやりして帰り、夜になると書見にふける。
書見が過ぎて肩が凝ると、吉兵衛が座頭を呼んできた。錦木という名で療治も上手いが何より話上手、二人はすっかり意気投合してしまう。ある日、療治が終えた錦木が角三郎に、あなたの骨格は大名になる骨組みだと言う。角三郎はそれを否定するが、万一その様な事が有れば、錦木を検校に取り立ててやると約束をした。
錦木が風邪をこじらせ寝込んでしまったその頃、父親の酒井雅楽頭が隠居し、長男は病弱なため角三郎が家督を継ぎ酒井雅楽頭になった。伝え聞いた錦木は病の床を抜け出し、雅楽頭の屋敷に駆けつけて再会を果たし、約束通り検校の位を授かった。
酒井雅楽頭は特に馬術に秀で、栗毛の馬を求め「三味線」と名付けた。錦木がその理由を訊ねると
「酒井雅楽頭で、ウタが乗るから三味線だ。コマ(駒)という縁もある。乗らん時は引かせる(弾かせる)、止める時はドウ(胴)と言うではないか。」
「ご家来衆が乗った時は」、
「その時は、バチがあたる」。
地の部分とセリフの部分の間に淀みなくリズミカル、筋がスーッと頭に入ってくる。
このネタでは角三郎と錦木との友情に焦点を当てた演出の喬太郎の高座には感動したが、三三にはそれが無い。錦木の一途な思いがこちらへ伝わって来ないのだ。何かが欠けているのだろう。

一之輔の2席目『新聞記事』は昨日と同じネタ。主催が毎日新聞なのと話の中に恵比寿が出てくるので、この会に相応しいと言える。
昨日と比べると全体的に出来が良かったが、それより細かい部分をあげれば10か所近く昨日と変えていた。アドリブなんだろうが即興で変えて破綻を見せない手腕は大したものだ。これは天性というしかない。
1席目『ねずみ穴』では一転して人情噺(正確に言うと違うのだが)。こちらは三遊亭圓生以来のほぼオリジナルに沿った高座だった。弟の竹の店が火事で焼け妻は病の床、仕方なしに娘の手を引いて兄を訪れ借金を頼む場面に時間をかけ丁寧に描いた。夢とは分かっていてもこの場面は胸を打たれる。
好演。
この日は、一之輔が一枚上手だった。

2014/03/02

「喬太郎・一之輔 二人会」(2014/3/1)

「IMAホール落語会『喬太郎・一之輔 二人会』」
日時:2014年3月1日(土)14時
会場:光が丘IMAホール
<  番組  >
柳家喬の字『浮世床(夢)』
柳家喬太郎『時そば』
春風亭一之輔『花見の仇討』
~仲入り~
春風亭一之輔『新聞記事』
柳家喬太郎『真景累ヶ淵より「宗悦殺し」』

光が丘の落語会、一昔前なら行くことはなかっただろうが、大江戸線ができてから便利になった。年2回定期的に開かれているようだ。00年代を代表する喬太郎と10年代を代表する一之輔の顔合わせとあって満席だったようだ。

一之輔がマクラで「これは一之輔独自の演出で、なんて書いてる人がいるが(・・この間の言葉はカット・・)こっちは教えられた通りに演ってるんだ」と言っていたが、教えられた通りに演っていたらこれ程に人気が出なかっただろう。手元に二ツ目当時の一之輔の「茶の湯」のラジオ放送録音があり、当時はごく普通の演出だった。その後なんどか聴いているが比べると大きく変えており、いかに彼が苦労しながらネタを練ってきたかが分かる。本人も十分に分かっている筈だ。
そうじゃなくて、自分の高座についてあれこれ批評されるのが嫌なんだろう。
落語家の中には高座から「色々書く人はみな知ってる。今日はあそことあそことここにいる」なんて言う人もいる位だからね。
自分たちは生活を賭けて日々高座に上がっている。それをド素人からあれこれ言われたくないというのが本音だろう。気持ちはわかりますよ。
でも公演として行っている以上、批評されるのは当たり前だという事は覚悟せねばならない。以前ならその批評が公表されるのはいわゆる芸能評論家の手によるものだけだった。評論家は専門知識を持っているので内容は正確かも知れない。しかし落語家と評論家とはいわば同じ業界の人どうし。お互い持ちつ持たれつの間柄のせいか、彼らの評論は概して甘い。辛口の批評はめったにお目にかかれない。それも分かりますよ。ヨイショしておかなくては取材対象に接近できないもの。
落語会を企画したり主催したりしようと思えば噺家と良好な関係を築いておかねばならない。
だから人気者やキャリアのある落語家は批判されることに馴れていないのだろう。
私が芸能評論家や記者が書いたものや、落語関係の雑誌を読まないのはそのせいだ。
あくまで客の一人としての個人的な感想で、面白ければ面白いと書き、つまらなければつまらないと書く。その際に、どこが良くてどこが悪かったのかという感想を書き添えることがある。それだけの話だ。
参考にして貰いたいなどという自惚れは一切ない。
価値がないと思えば無視すればいい。

喬太郎の2席目『真景累ヶ淵より「宗悦殺し」』、ご存知三遊亭圓朝の代表作でその発端。
師走に鍼医の皆川宗悦は,小日向服部坂に住む小普請組・深見新左衛門宅へ借金の取り立てに行く。金を返さぬばかりか悪口をたれる深見新左衛門と宗悦との間が言い争いになり、激昂した新左衛門が誤って宗悦を斬り殺してしまう。死骸は家来の三右衛門に捨てさせ三右衛門は故郷の羽生へ帰る
その現場を見た新左衛門の妻はショックで気鬱になり病の床に。
翌年、新左衛門はお熊を仲働きに採用するが,二人は深い間柄になる。こうした状況に呆れた長男・新五郎は家を出る。次男の新吉はまだ赤子。
宗悦を殺したちょうど1年後に妻の療治のために呼んだ流しの按摩が宗悦の姿に変わる。新左衛門が思わず斬りつけると,宗悦ではなく妻を斬り殺してしまう。
宗悦には志賀とお園という二人の娘が残され、それに新左衛門の息子である新五郎と新吉が複雑な因縁でからみあい、物語が展開してゆく。
喬太郎は語りがしっかりしているので、こうしたネタでも引き込まれる。
この人の『真景累ヶ淵』の中では『宗悦殺し』しか聴いたことがないが、これ以外は演じているのだろうか。是非、機会があったら通しで演じて欲しい。
かつて喬太郎は横浜にぎわい座で『牡丹灯籠』を通しで演ったことがあり、この人なら出来るはずだ。全編が無理ならせめて発端から『聖天山』迄でも。

2014/03/01

長谷川NHK経営委員の受信料支払い拒否

2014年02月27日付毎日新聞の記事によると下記の通り。
【引用開始】
NHKの経営を監督する経営委員の長谷川三千子・埼玉大名誉教授(67)が委員就任前の2005年に、受信料支払いを拒否する意向の手紙を月刊誌のコラム執筆者に寄せていたことが、26日分かった。誌面では、放送内容への不満から支払いを実際に拒否した経過が、手紙の文面を直接引用する形で紹介された。
放送法は64条で、NHK放送を見ることができる受信設備を設置した者に受信契約の締結を義務づけている。契約者はNHKとの受信規約で支払い義務が生じるが、罰則規定はない。NHKは法的手続きによる支払い督促を実施している。
長谷川氏は毎日新聞の取材に「未納は2カ月間で、その後、支払った。支払いの保留をあたかも視聴者の権利のごとく考えていたのは、完全に私の無知によるものだ」と釈明した。
手紙は、月刊誌「正論」(05年7月号)の元大学教授(故人)が執筆したコラム「NHKウオッチング」で2通紹介された。
それによると、NHKが05年3月28日に放送した「『クローズアップ現代』 国旗国歌・卒業式で何が起きているのか」について「本当に酷(ひど)うございましたね。私も生まれて初めてNHKに抗議電話をしようといたしましたらば、すでに回線がパンク状態でございました。ちやうど自動振替が切れましたので、NHKが回心するまで不払ひをつづけるつもりでをります」と旧仮名遣いで心境をつづった。
番組が、国旗・国歌の取り扱いを巡る東京都教育委員会と教職員の“対立”を印象づけたとして、都教委側がNHKに抗議し、NHK側は「公平、公正な番組内容」と反論した。これを受けて、長谷川氏は2通目の手紙で「受信料支払ひはまだまだ先のことになりさうでございます」とNHKの対応に不満を示した。
昨年12月に経営委員に就任した長谷川氏は、不払いを助長しかねない当時の考えに関して「支払い義務を委員になって初めて知った。世の中には、かつての私のような思い違いをしている人が多いかと思いますので、このことは声を大にして、深い反省と共に申し上げたい」と話した。
【引用終り】

長谷川三千子NHK経営委員が過去にNHK受信料の支払いを拒否したことがあるという記事だ。
本人の説明では支払い留保としているが、手紙では不払いを明言しているのでこれは「拒否」が妥当だろう。期間が2か月だったという説明だが、別のメディアには4か月と語っている。
長谷川氏が受信料支払い拒否したことがあった点はなんら問題ない。私だってあの品性下劣な籾井勝人が会長を務めているNHKなぞに受信料を払いたくない。出来ればいま直ぐにでも拒否したいくらいだ。
過去にNHKの報道姿勢に疑問を持ち、受信料の支払いを拒否しようとしたことがあるが、手続きが煩雑なうえに今の法律では受信契約を解除することが不可能に近いことが分かり断念した経緯がある。
彼女がNHK受信料支払いの拒否という「前科」があるなら、経営委員なぞ就任すべきではなかった。仮に引き受けるにしても、就任時に過去の言動との整合性を説明すべき義務があった。
長谷川氏の「支払い義務を委員になって初めて知った」という説明には驚くしかない。受信料の徴収はそれこそNHK経営問題の根幹ではないか。それを「初めて知った」と言い切る神経が分からない。
少なくとも2005年にNHKに対し受信料不払いを通告した時に、NHK側から説明があった筈だ。
嘘をついているのか、シラを切っているのか。
いずれにしろ経営委員としては相応しくない人物だ。

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