「南光・南天 ふたり会」(2014/7/12)
「南光・南天 ふたり会」
日時:2014年7月12日(土)14時
会場:横浜にぎわい座芸能ホール
< 番組 >
南光・南天『御挨拶』
桂南天『ちりとてちん』
桂南光『火焔太鼓』
~仲入り~
桂南天『一文笛』
桂南光『あくびの稽古』
落語家にも相性というのがあって、上方でいえば、ざこばや南光とは何となく合わない気がして今まで観ないで来ていた。先日たまたまyoutubeで米朝一門の忘年会だったか演芸会だったかの映像を見ていたら、南光が漫才師の平和ラッパ(人気のあった2代目)の物真似をしていた。アタシは元より実物を見たことがなかったが、ラジオで聴いて想像していた平和ラッパの姿そのままだったのに驚いた。その時、ああこの人は芸人なんだなと感心し、一度ナマの高座を観てみたいと思ったのが、この会へ出向いたきっかけ。
二人は師弟なので「親子会」と言っても良いだろう。
冒頭で二人の「ご挨拶」があったが専ら師匠の方ばかり喋っていた。今回で3回目だそうで、毎回入場者が増えていると言っていた。
南天『ちりとてちん』
この人を観るのは2回目だが、噺家というより俳優のような風貌だ。トークやマクラが苦手だそうで、この日の2席ともいきなりネタから入る。
東京の『酢豆腐』が上方に移され『ちりとてちん』、それが東京へ逆輸入されて今や東京の高座でもお馴染みだ。手元にある南光のDVDと比べても料理の茶碗蒸しの中身を含め師匠の型をそのまま踏襲している。
声が良いし語りもしっかりしているのだが、もうちょっと芸人としての「艶」が欲しい所か。
南光『火焔太鼓』
南光のような芸人は得だ、存在自体が面白いんだから。
ネタはもちろん東京がオリジナル。上方でも色々な人が高座にかけているようだが、数年前の南光のインタビューを見ると上方の世界にこなれていず不満だと語っていたので、恐らく南光独自の工夫がなされているんだろう。
先ず道具屋の主が元は先代の奉公人で、その娘の婿に入って跡を継いだという設定にしている。この男が主人になってから商いがサッパリになってしまい女房の怒りは募るばかり。そのため亭主が頭が上がらず未だに女房を「お嬢様」と呼ぶ始末。何しろ眼が利かず、秀吉の手紙を仕入れてくれば宛名が紫式部になってたり、楊貴妃の使ったオマルを仕入れてくれば蓋の裏側にカナで「ようきひ」と書いてある。
その男が仕入れてきた古い太鼓、大八車に乗せて来たというからかなり大きなも物だろうし、周囲に木の彫り物が施してあるのでこれはきっと値打ちがあると男は言う。この辺りは「火焔太鼓」としてのリアリティを持たせている。
小僧がはたいていると通り掛かった上方でも有数の大金持ち「住友」の旦那がこの音を聞きつけ、番頭に命じて店に運ばせる。ここから先はほぼ東京と同じで、違いは300両持ち帰った男が女房に認められメデタシメデタシで終わる所。
サディスティックな女房とマゾヒティックな亭主との珍妙な会話を笑わせ所にして、ほのぼのと纏めた1席。上方版として十分にこなれていたと思う。
南天『一文笛』
大師匠の米朝作、テーマが『蜆売り』にチョイと似てる。
登場人物は泥棒の秀とその兄貴分の二人だけ。
秀が、駄菓子屋で一文の笛が買えない貧しい子供を可哀想に思い、笛を盗んで子供の懐へ入れた。子供は懐に笛があるのでピーピー吹いていたら怪しまれ親の元へ連れて行かれる。父親は元武士だったので厳しく、盗人をするような子供に育てた覚えはない出て行けとなり、子供は井戸に身を投げてしまう。
幸い一命はとりとめたが意識は回復せず医者に見てもらうには大金が要るが、親にはそんな金はない。その話を聞いた兄貴分は秀の仕業と気付き、なぜ一文の金で笛を買ってから子供にあげなかったと秀を責める。秀は匕首で自らの右手の人差し指と中指を落とし、これでもう盗人をやめると約束する。
翌日、秀が兄貴の所をたずね子供の容体を訊くと、入院するのに20円かかると言う。その医者は今酒屋で一杯飲んでいると聞いた秀、この金を使ってくれと大金を兄貴に差し出す。どこでそんな金をと驚く兄貴に秀は、なにどうせ医者の懐へ戻る金だと。
お前またスリをやったのか? 指を二本落としたのにまだこういう仕事が出来るのか?
わいは左利きや。
お涙頂戴に走らず淡々とした語りで聴かせてくれた。アタシはこういう風なのが好きだが、好みによっては盛り上がりが少なく物足りないと思った人がいたかも知れない。
南光『あくびの稽古』
東京なら『あくび指南』で基本的なストーリーは一緒。どっちが本家なのか、それとも両方ともに本家なのかは分からない。
あちこちの稽古に手を出すがどれも物にならない男が、今度はあくびの稽古を始めるからと友人を誘う。
男が稽古所を訪れるとあくび指南の先生が出て来て奥に通され、友人は上がり框に座って待つ。
最初は簡単なものからと先ず”もらい湯のあくび”、ぬるい湯に浸かって次第に温まってくる。窓越しの秋の月を眺めながら「はぁ~」と。しかし男にはしっくり来ない。
先生は、それでは“将棋のあくび”をと提案する。相手を詰ませているが未だ相手は考慮中、将棋盤と相手を七三に見ながら、キセルでタバコを吸う。「長い思案じゃなぁ、こらぁどう考えても詰んでんのじゃ。まだか、まだか、将棋もええが、こう長いこと待たされたんでは、退屈で、退屈で、はぁ~、たまらんわい」と。
これなら出来ると男が始めるが、いくらやっても上手く行かない。
これを横目に待たされて友人が、「稽古もええが、こう長いこと待たされたんでは、退屈で、退屈で、はぁ~、たまらんわい」。
「ああ、お連れさんは、ご器用な」。
サゲは東京と同じ。
東京の噺の方は先生はマトモだが、習いに行った男がサッパリ駄目でそこを笑いにしている。一方上方版では先生自体が可笑しい。男がその教えを真似しようと失敗するから余計に可笑しくなる。
傍で見ていた友人も退屈というよりは余りのバカバカしさに、ついついあくびが出てしまう、といった所か。
南光のキャラと相俟って上方版はより笑いの多い落語になっている。
楽しませて貰ったが、ネタの選定はどうだったろう。『一文笛』を除けば東京の寄席でもお馴染みのネタばかりだ。
せっかく大阪から来たのだから、もっと上方色の濃いネタを演じて欲しかったように思う。
これは好きずきかも知れないけどね。
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