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2014/07/31

キャラメルボックス『TRUTH』(2014/7/30)

「キャラメルボックス2014サマーツアー 『TRUTH』」
日時・2014年7月30日(水)14時
会場:サンシャイン劇場

脚本・演出:成井豊+真柴あずき
<  キャスト  >
弦次郎:畑中智行
鏡吾:大内厚雄
英之助:三浦剛
ふじ:岡内美喜子
山岡/月真和尚:筒井俊作
初音:実川貴美子
隼助:左東広之
三郎太:小多田直樹
虎太郎:鍛治本大樹
美緒:林貴子
帆平:武田浩二(アクションクラブ)

紹介に「演劇集団キャラメルボックスの代表作『TRUTH』が、7月26日、東京・サンシャイン劇場で開幕した。15年前に初演、9年前に再演され、延べ9万人動員した人気作の3回目の上演。劇団創立から29年の歴史のなかで、もっとも熱狂的に観客に受け入れられた作品」とあった。
この劇団の当り狂言ということなのだろう。

舞台は幕末の信州上田藩の江戸の藩邸。鳥羽伏見の戦いで幕府が破れ、もはや徳川幕府の敗色が濃くなってきた。あくまで幕府の味方を続けるのか、それとも官軍側に付き討幕に向かうのか、藩内の意見は真っ二つに分かれる。
京で幕府の命運が尽きる姿を目の当たりにしてきた藩士の弦次郎は仲間を説得し、藩が討幕に向かうよう画策することを誓い合う。
おりもおり、弦次郎は改造した鉄砲の暴発で聴力を失ってしまう。一方、倒幕の意見を具申していた家老が、幕府を支持する側近に謀られ切腹し、弦次郎の仲間たちは追い詰められる。
その側近らが幕府の中の開国側の中心人物である勝海舟を殺害しようとしている情報を得た弦次郎たちは、それを阻止するために側近の暗殺を決意するが・・・。

会場で女子高生たちの集団を見て、これは場違いなとこへ来てしまったと思ったが、予感通り場違いだった。芝居はどういう観客を対象にして演じるかで台本も演出も決まってしまう。
テーマは一口に言えば「幕末という激動の時代にあって、藩の行く末と日本の未来に向かって、それぞれが自身の誠の心(TRUTH)に従って突き進んで行く若者の群像」という事になるのだろう。
しかし舞台の役者たちが武士には見えず、現代の若者が着物を着て動いているとしか見えない。やたら大声で怒鳴りあったり、刀を抜いて斬り合ったりする場面が多く、上滑りしていてこちらに響くものがない。観客へのサービスなのか劇団の体質なのか分からないが、途中に挟まれるつまらないギャグも、舞台の流れをとめていたように思う。
劇中に音楽を流しているが、あれは大衆演劇の手法に倣ったのだろうか。

出演者はみな熱演だったし、お客の多くは楽しんでいたように見えたので、それはそれで良かったのかも知れない。
全てはこの芝居を観に行ったコチトラのチョイスが悪かったか。

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2014/07/29

蜃気楼龍玉『真景累ヶ淵(通し)』(2014/7/28)

蜃気楼龍玉独演会『真景累ヶ淵」~通しで~』
日時:2014年7月28日(月)19時
会場:日本橋社会教育会館

蜃気楼龍玉が三遊亭圓朝作『真景累ヶ淵』を、以前に8回に分けて演じたのを今回は通しで口演するという会。恐らく初めての企画だと思われるが、会場は満席。
原作は圓朝曼荼羅と呼ばれる因縁話で、章立てすると以下のようになり、全編を演じようとすれば10日ほどかかってしまう長編だ。
・宗悦殺し
・松倉町の捕物
・豊志賀の死
・お久殺し
・迷いの駕籠
・お累の死
・聖天山
・麹屋のお隅
・明神山の仇討
寄席などでこのうち『宗悦殺し』『豊志賀の死』『聖天山』は聴いた事があるが、通しは初めてだ。 もっとも全体を正味2時間で演じるのでダイジェストになるのはやむを得ない。
この日の会では『お久殺し』 『迷いの駕籠』 『お累の死』『聖天山』 『明神山の仇討』を中心にした内容だった。

作品全体は非常に入り組んだ人間関係により構成されているが、全ては発端からだ。
鍼医の皆川宗悦は旗本・深見新左衛門宅へ借金の取り立てに行き口論となり、激昂した新左衛門は宗悦を斬り殺し、死骸を家来の三右衛門に捨てさせる.三右衛門は故郷の羽生へ帰る。
深見はお熊を女中に雇うが、これを妾にし、病気の妻を誤って斬り殺してしまう。
その後深見は隣家のイザコザで殺され家は改易となる。お熊は産んだ子と深川へ行き、門番の勘蔵は深見の次男で乳呑み児だった新吉を連れて下谷大門町へ移る。

ここで人間関係を整理しておく。
深見と妻の間に出来た子のうち長男が新五郎、次男が新吉だ。妾のお熊との間にできた娘がお賤(おしず)。深見の死後、お熊は夫を持つが、その倅が土手の甚蔵。
宗悦の長女が志賀(後の豊志賀)、次女がお園。
三右衛門の息子が三蔵、娘がお累。三右衛門の弟が三五郎でその娘がお久。
以上を頭に入れておいて、以下の粗筋を読んでください。
実は『真景累ヶ淵』にはこの他にサイドストーリーとして仇討の物語もあるが、この日の口演のようにカットされることが多いようだ。

宗悦の娘である豊志賀が、親の仇の息子と知らず年下の新吉と深い仲になるが、顔が腫れあがる病に罹ったのを機に新吉の気持ちが離れていき、一方新吉は若いお久に惹かれていく。それを恨んで豊志賀は自害してしまう。その際に、新吉の妻を7人まで取り殺すという遺書を残す。
龍玉が言ったように、物語の骨格は豊志賀の復讐譚なのだが、相手を直接呪い殺すのではなく、相手の妻を死に追いやることにより生き地獄の思いを味わらせるという復讐なのだ。

豊志賀の墓参で出会った新吉とお久,その場でお久の実家の下総羽生村へ駆け落ちする。鬼怒川を渡るとそこは累ヶ淵。お久は土手の草むらにあった草刈り鎌で足を怪我してしまう。介抱しながらお久を見ると豊志賀の顔になっていて、逆上した新吉が思わず鎌でお久を惨殺してしまう。それを目撃した土手の甚蔵と格闘となるが、落雷の隙に逃げる。処が逃げ込んだ先が甚蔵宅。甚蔵は新吉にお久殺しを白状させ、兄弟分の盃を交わす。

新吉はお久が埋葬された羽生村の法蔵寺へ墓参に向かい、そこで出会ったお累が江戸育ちの新吉に一目惚れ。実はお累はお久の従姉妹だ。二人が良い仲になったのを知った土手の甚蔵は、お久殺しに使われた質屋三蔵の焼き印がある鎌をネタに,お累の兄の三蔵から20両強請る。その晩お累は煮え湯で顔に大やけどを負う。新吉をお累の婿にという縁談が進み、三蔵は評判の悪い甚蔵と新吉の縁切りのために甚蔵に金を渡す。婚礼の晩お累の顔の変わりように新吉は驚くが、豊志賀の因縁を感じて改心し、お累は身籠る。

恩人である勘蔵が危篤との報せが届き.新吉は急ぎ江戸へ向かう。いまわの際の勘蔵から、新吉が深見家の次男だと知る。同時に新吉は、兄の新五郎が豊志賀の妹のお園殺しの下手人だと知らされる。その新五郎は既に捕縛され獄門にかけられていた。

月満ちてお累が産んだ子は,新吉が聞かされて新五郎の顔に生き写しだった。気鬱にかかったお累の病を治そうと修行のために墓掃除する新吉は、そこで名主惣右衛門の妾・お賤に会う。新吉はお累に嫌気がさし、馬方作蔵の手引きでお賤と密通する。あきれた兄の三蔵は新吉一家と縁を切る。馬方作蔵と遊び歩き金に困った新吉は、家財を売ったり質入れしたりし金に換えていたが、終いには蚊帳をお累の生爪ごと引きはがし、生まれたての赤子に煮え湯をかけて殺してしまう。お賤のところにお累の霊が出て、新吉が家に戻るとお累は鎌で自害していた。

新吉とお賤の間を気が付かない名主の惣右衛門、病に倒れ遺言でお熊には財産の一部を、新吉には湯灌を頼む。それを知った二人は惣右衛門を扼殺し、病死と偽る。しかし新吉の湯灌を手伝った甚蔵が殺人だと気づき、お賤を強請る。お賤にたきつけられた新吉は、聖天山に金を埋めたと偽り、甚蔵と2人で金を掘りに行き、隙を見て甚蔵を崖から突き落とす。お賤の家に戻りホッとしていると、手負いの甚蔵が現れて新吉に襲いかかり、これをお賤が鉄砲で甚蔵を射殺する。

松戸の小僧弁天で,馬方作蔵から三蔵が大金を持って故郷から江戸に向かうとのことを聞いた新吉は,待ち伏せて三蔵を殺し,金を奪う。その後お賤と二人で逃げるが雨に遭い、塚崎の観音堂で休む。そこの尼こそ,お賤の母のお熊だった。お熊から事情を聞いて、新吉とお賤が実は腹違いの兄妹だと知る。畜生道に堕ちていた事が分かった新吉は、お賤を鎌で殺害し自害する。次いでお熊も鎌で自害。この鎌こそ、新吉がお久を殺害した時の草刈り鎌だった。

以上が龍玉の口演の要旨で、通しといってもサイドストーリーは割愛し、筋書も一部変更している。その分複雑怪奇な話を分かり易いものにしていた。
龍玉の口演は名前の言い間違いなどの小さなミスはあったが、明瞭で説得力のある語り口を生かした堂々たる高座だった。
久々に落語会に同行した妻も感心していた。渾身の高座、真に結構でした。

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2014/07/28

三三・吉弥ふたり会(2014/7/27)

「柳家三三・桂吉弥 ふたり会」
日時:2014年7月27日(日)14時
会場:紀伊国屋サザンシアター
<  番組  >
桂そうば『牛ほめ(序)』
柳家三三『転宅』
桂吉弥『宿屋仇』
~仲入り~
桂吉弥『七段目』
柳家三三『殿様と海』

三三と吉弥には共通点がある。一つは大師匠あるいは又師匠が人間国宝に認定されていること、揃って国立花形演芸大賞を受賞していることだ。そういう意味では二人とも東西のサラブレッド的な存在だと言っても良いだろう。

そうば『牛ほめ(序)』
ざこばの弟子で入門10年目のようだ。東京でいえば二ツ目の中堅どころか。それでも自分の出囃子を持っていないようで上方は厳しい。
原題は『池田の牛ほめ』で、アホと叔父さんとの会話で「大阪では」という言葉が出てくる所をみると、かつては池田は大阪ではなかったようだ。
褒め言葉を紙に書いて貰い読み上げるのだが、台本でいう「ト書き」の部分まで読んでしまう所を笑わせどこにしている。
語り口がしっかりしていて期待が持てる。

三三『転宅』
マクラで長々と「アナと雪の女王」の解説をしたが、ネタとは結びつかない。映画を見た人も少ないようで会場の反応もイマイチだった。アタシも孫にせがまれてDVDを買わされたが、自分で見ようとは思わない。主題歌も知らないしチンプンカンプンだ。白鳥が「なに、女子アナと菊之丞か」と言ったというのが面白かっただけ。
ネタは何度か聴いているが、お菊の色仕掛けが濃厚になってきた気がする。あそこまで演られると泥棒でなくともその気になってしまいそうだ。
いざという時は女性の方が度胸があるのかも知れない。私事だが、両親が戦前に水商売をしていた時に、ヤクザが店の女の子とトラブルになり、ドスを抜いてテーブルにドンと突き立てたそうだ。親父も店員も全員が逃げ出したが、母だけは動かず「切れるものなら切ってみな」と啖呵を切って追い返したと言っていた。でも内心は怖くて震えていたと言うから、お菊もそんな気持ちだったんだろう。
一件を楽しそうに話す煙草屋の主と、騙されてと知って落胆する泥棒との対比が上手く描かれていた。

吉弥『宿屋仇』
よけいな事は何も加えず、何も引かず、本寸法でじっくり聴かせてくれた。源兵衛が武士の女房と弟を斬り殺し50両奪って逃げるまでの語りは説得力があり、あれなら誰もが本気にしてしまう。
一点だけ気になったのは、源兵衛と他の二人の三人の演じ分けが不十分で、セリフを聴いても誰が喋っているのか分からない。やや平板に感じられたのは、その故か。

吉弥『七段目』
東京の演出と異なり、ほぼ全編芝居噺風に演じる。従って演者に「芝居心」がないと出来ないネタだ。
代表的な演者をして頭に浮かぶのは、師匠の吉朝である。なにせ大阪の繁華街を六方を踏みながら歩いたとか、とめると「芝居心のねぇ奴だ」と答えたというエピソードのある人だった。
その吉朝の演出をクスグリを含めて忠実になぞった高座だった。派手な所作や歌舞伎のセリフ回しも堂に入っていて、吉弥の特長である目の演技も生かされていた。口跡の良さは師匠を凌ぐほどだ。
上出来の高座。

三三『殿様と海』
タイトルから想像できるようにヘミングウエイの『老人と海』のモジリ。三遊亭白鳥の創作落語。
同僚の大名に無理に誘われた殿様が、大きな鯛を釣り上げるビギナーラック。その思いが忘れられず釣りに凝り、三太夫を悩ませる。釣りをよめようとする三太夫と赤井御門守との会話は地口の応酬や、『目黒のさんま』『野ざらし』などの他のネタのパロディまで飛び出し、笑いを誘う。
初回だけで以後はさっぱり釣果が無い殿様を見かね、出入りの職人の助言に従って三太夫は釣具屋の五代目魚鱗堂助三を訪れる。助三から釣りの穴場と釣りに好適な釣り竿を借りた三太夫は、早速殿様と江戸湾に出る。この釣り竿が実は初代助三の骨で左甚五郎が作ったもので、それで良く釣れるし助言までしてくれる。悪戦苦闘の末、殿様は大きな鮪を釣り、その背中に乗って波路遥かに戻ってくるというストーリー。
三三の高座は、新作ながら所々に古典の匂いも感じさせ、座布団を鮪に見立てた終幕ではサービス精神を見せていた。

吉弥はここ数年何度か高座を観てきたが、米朝一門の本流をいっており、特に師匠・吉朝の芸を忠実に継承しているように思う。噺家として大事な愛嬌や色気もあり、将来の上方落語界を背負う人材の一人になるだろう。これからどう「吉弥らしさ」を出すのかが課題か。
三三については、先代小さんと師匠小三冶へと受け継がれた「引きの芸」は、少なくとも今は目指していないようだ。一方では鈴本の初席夜トリを小三冶から引き継いだように、柳家の本流を行くことが求められている。
これからこの二人がどう進み、どう変わっていくのか、注目される。

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2014/07/26

#352にっかん飛切落語会(2014/7/25)

「第352夜 にっかん飛切落語会」
日時:2014年7月25日18時30分
会場:イイノホール
<  番組  >
前座・瀧川鯉津「動物園」
入船亭扇辰「一眼国」
柳亭小痴楽「湯屋番」
~仲入り~
三遊亭天どん「タラチネ」
立川志の輔「抜け雀」

久々の「にっかん飛切落語会」だ。
この会はレギュラー制をとっていて、この日の小痴楽と天どんの二人と、他に志の春、たけ平、萬橘、宮治の合計6名、いずれも二ツ目と若手真打という顔ぶれだ。これに毎回ゲストが加わるという構成。
1993年~2007年まで「にっかん飛切大賞」が設けられていたが、受賞者は圓太郎と三三のたった二人という狭き門。
プログラムに東京かわら版編集人の佐藤友美という人が短文を寄せているが、その中で「立川談志(敬意をこめて呼び捨て)」としているが、これは正しい。近ごろ落語家の名前にやたら「師匠」付けする人があるが、弟子でもないのに却って失礼だ。先日も「志ん生師匠は・・・」なんて話してる若いヤツがいたが、この分じゃやがて「圓朝師匠」なんて言い出す人間も現れるだろう。

扇辰「一眼国」
マクラで二ツ目時代に楽屋で、談志に「扇橋のところの扇辰でございます」と挨拶したら、顔も向けてくれなかったとのこと。高座に談志が上がりマクラを語り始めた時に前方の客の携帯が鳴った。一瞬、場内は凍りついたような静寂に包まれたが、談志はその客に「早く(電話に)出なさい。家が火事かも知れない」と言った。これが携帯を鳴らした客へのフォローと、客席を和ますという効果があり、さすが談志だと感心したと語っていた。
チョッといい話。
ネタは毎度お馴染みで、近ごろやたらにこの扇辰のこのネタにぶつかる。

小痴楽「湯屋番」
初見。5代目痴楽の息子で、当代は3代目。25歳と言ってたので、レギュラーの中で飛び抜けて若い。明るくエネルギッシュな高座スタイルで、ほぼ古典通りにフルバージョンのネタを聴かせた。
将来性十分で、このまま行くと20代の真打が誕生するかも知れない。

天どん「タラチネ」
芸名の「天どん」の自虐ネタをマクラに。確かに真打昇進で名前が変わらなかったのは不思議。
その後オリジナルの「たらちね」の言い立てとサゲを説明しネタに入る。
嫁さんが金髪のハーフで、京都で奉公してきたのでお屋敷言葉とカタコト英語が混ざったような言葉使いになる所がミソ。得意ネタらしく完成度が高く客席を沸かしていた。
しかし会話の一部を英語に変えてという手法は、他のネタでは既に演られており、新鮮味が感じられない。
師匠・円丈の「新寿限無」のような言い立てのヒネリもなく、アタシはあまり感心できなかった。

志の輔「抜け雀」
この人目当ての客が多数だったと思われる。
マクラでネタに因んで北陸新幹線やリニアモーターカーの話題を振り、客席を志の輔ワールドに引き込む。こういう呼吸がこの人は巧みだ。
ネタに入って通常の型と違うのは、若い絵師が道中で駕籠かきをぶつかり怒鳴られる場面を置き、これがサゲの解説替わりにしている。
絵師が雀の絵を描き宿を発つ時に、亭主にあの女房とは別れろと言い捨てる。絵のお蔭で宿が繁盛し絵が2千両で売れる事が分かると、再び訪ねてきた絵師に女房の態度が豹変するのを見て、絵師が亭主に「まだ別れぬのか」と言う場面は志の輔の工夫と思われる。泊り客が一文無しと知って女房が怒り、やむなく亭主は2階に寝て翌朝に衝立の雀が抜け出すのを目撃する所も独自か。驚いた宿の亭主が近所の店に行き、雀が抜け出したのを所作で表現させて客席の笑いを誘う。
志の輔のネタにしては特に優れたものとは言えないが、観客は大喜びだった。

帰りにすぐ後ろにいたサラリーマン風の二人連れが、池袋演芸場8月上席の小三冶のトリの番組の前売り券が買えたと言っていた。その人は2回行くらしい。この分じゃ8月には、当日券を求めて早朝から並ぶ人が出るんじゃなかろうか。

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2014/07/25

「裁判員制度」を否定する最高裁

大阪で1歳の娘を虐待死させたとして、1審の裁判員裁判で検察の求刑を大幅に上回る懲役15年の判決を言い渡された両親の裁判で、7月24日最高裁判所は「裁判員裁判といえども、ほかの裁判との公平性が保たれなければならない」と指摘して、刑を軽くする判決を言い渡した。

この事件は、4年前に岸本憲被告と妻の美杏被告が、大阪・寝屋川市にあった自宅で当時1歳の3女を虐待し、頭をたたくなどして死なせた傷害致死の罪に問われたもの。
検察の懲役10年の求刑に対し、1審の裁判員裁判は大幅に上回る懲役15年を言い渡し、2審も取り消さなかったため被告側が上告していた。
24日の判決で、最高裁判所第1小法廷の白木勇裁判長は「裁判員裁判といえども、ほかの裁判との公平性が保たれなければならず、これまでの刑の重さの大まかな傾向を踏まえたうえで、評議を進めることが求められる。従来の傾向を変えるような場合には具体的に説得力をもって理由が示される必要がある」という初めての判断を示した。
そのうえで、「1審判決は従来の傾向から踏み出しているのに根拠が十分示されておらず、甚だしく不当な重さだ」と指摘して、懲役15年を取り消し、父親に懲役10年、母親に懲役8年を言い渡した。

裁判員裁判の判決が2審で取り消されたケースはこれまでもあったが、最高裁が直接見直したのは今回が初めて。
5年前に市民の視点を反映させる裁判員裁判が導入されて以降、厳罰を求める判決が出される傾向にあり、裁判員裁判であっても刑の公平性は守られるべきだという今回の判決は今後の裁判に影響を与えるのは必至だ。

ここで問題とすべきは、白木勇裁判長の補足意見で、要旨次のようの述べている。
「裁判員裁判を担当する裁判官は、量刑判断に必要な事柄を裁判員に丁寧に説明し、理解を得ながら評議を進めることが求められる。」
ここでいう「丁寧に説明」「理解を得ながら」という表現は国会答弁などで毎度お馴染みで、「押し付け」「指導」「説得」と同意語だ。
これからの裁判員裁判では、量刑に関しては担当裁判官より「積極的指導」が行われることになろう。
裁判員制度の目的のひとつは裁判に市民感覚を反映させることにあり、従来のプロの裁判官の判断とは差が出ることは当然なのだ。それを過去のプロが出した判断に従えというなら、裁判員裁判など不要である。仕事や私生活を犠牲にしてまで裁判に参加した裁判員たちには虚しさだけが残されるだろう。
白木勇裁判官の意見は、事実上裁判員制度を否定したものと捉えられても仕方ない。

むしろ問われるべきは、そうした最高裁の体質だ。

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2014/07/24

温泉は体に悪い?

小森威典(著)『正真正銘 五ツ星源泉宿66』(祥伝社新書2011年10月初版)
Photo年に2,3回は箱根や熱海周辺の温泉に出かけるのだが、しばしばアトピー性皮膚炎を悪化させて帰って来ることがある。温泉は肌に良いと思っていたが、どうもそうで無いらしい。
どこの旅館でも天然温泉で、中には「源泉かけ流し」を謳っている所もあるが、それにしては塩素の臭い(キッチンハイターの臭い)が強い。そこで温泉施設に義務付けられている「温泉表示」を読んでいたら、末尾に「ろ過」の文字があった。ということはこの旅館の温泉は循環使用しているに違いない。レジオネラ菌防止対策として塩素系の消毒剤を温泉に加えているというわけだ。
こうした経験を何度かしていて、温泉の実態はどうなっているんだろうかという興味から、この本を読んでみた。
著者はTVプロデューザーを25年間つとめ、特に温泉番組の制作を手掛けていて、直接取材した温泉旅館は1600軒以上に及ぶ。
その結果、本物の「温泉」といえる施設は全体の1%しかないことが分かった。全国14380軒の温泉旅館の中で本物が1%だということは環境省も認めているとのことだ。さらに源泉の温度を下げるために加水していない施設になるとその半分しかない。ということは本物はざっと200軒に1軒ということになる。
この他、以下のような事が分かっている。
・草津や別府には本物の温泉は存在しない
・ほとんど浴槽の掃除をしていない宿が驚くほど多い
・天然温泉を謳いながら何倍もの水で薄めているケースが少なくない

温泉の効能というのは源泉にあり、汲みあげた源泉が空気に触れることなくそのまま湯船に供給されなければならない。加水したり循環したりすればその温泉は単なる水溶液に変ってしまう。
従って本物の温泉の条件とは何かというと、以下のようになる。
①源泉100%かけ流しであること(循環などもってのほか)
②加水しないこと
③消毒しないこと
④こまめに清掃して清潔を保っていること
ただし冬場の加温だけは認める。

現在、温泉の消毒剤として従来の製品に比べ遥かに効果的で、かつ塩素の臭いのしない物が開発された。「塩素化イソシアヌル酸」という名の強力消毒剤だ。しかもヌメリが出るという。
1回投与すれば少量で1日効果が持続するという性能があり、多くの旅館で使われている。
処が強力なだけに人体への影響、特に発がん性に疑問が持たれているが、厚労省や保健所での検証は一切行われていない。
プールでも使用されているようで、アメリカやイギリスでは健康障害も指摘されている。
著者によれば、こういう温泉に入る位なら銭湯の方がよほど安心だと言い切っている。

そうした心配を別にすれば、良い景色を眺めながらユッタリと湯船に浸かり、美味しい料理と酒を味わいリラックスできるという効果はあるわけだ。
楽しみ方は人それぞれなので、本物の温泉でなければ全てダメというわけではない。
ただ、施設に掲示してある「温泉表示」をチェックしたり、持病のある人は浴槽の入り方には注意が必要だろう。

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2014/07/23

#422花形演芸会(2014/7/21)

「第422回 花形演芸会」
日時:2014年7月21日(月・祝)
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・立川らく人『饅頭こわい』
三笑亭夢吉『祇園祭』
桂やまと『あくび指南』
ニッチェ『コント』       
立川志ら乃『火焔太鼓』                    
―仲入り―
ゲスト・立川志らく『やかん・序』  
翁家和助『曲芸』        
三遊亭歌奴『佐野山』

大雨が続いた梅雨もようやく明けるような気配の東京、国立の花形演芸会は満員御礼の看板が出ていた。この日は立川流がお目当ての客が多かったようだ。アタシは違ったけど。
順不同でゲストの志らく『やかん・序』から。
談志ファンには叱られるかも知れないが、アタシの好きな談志のネタは『源平盛衰記』『相撲風景』と『やかん』だ。特に前の二つは他の噺家の追随を許さない、談志の持つ感性の鋭さが光る。その談志のDNAを最も忠実に受け継いでいると思われる志らくの芸の魅力もそこに尽きる。この日の高座でも魚の名前の由来の前に動物名の由来を加えていたが、ここが楽しめるかどうかで志らくに対する好き嫌いが分かれる。後半の講釈の部分をカットしたが、そこは志らくの独創性を示せる箇所ではないからだろう。
志らくの弟子は現在17名いるそうだが、感覚や感性は師匠から教わって身に着くものではない。
志ら乃『火焔太鼓』を聴いてその思いを深くした。クスグリがかなり客席に受けていたが、アタシには面白さが感じられなかった。クスグリもいいけどもっと話芸そのものを磨いて欲しい。

夢吉『祇園祭』、季節感のあるネタを熱演。この人の古典に取り組む姿勢を評価したい。いよいよ来年
は夢吉や円満といった芸協の実力派が真打に昇進することが予想される。更なる飛躍を期待する。

やまと『あくび指南』、この日のお目当ての一人で、改名後は初。桂才賀の弟子なので大師匠は古今亭志ん朝ということになる。荒川の出身で子どもの頃から習い事をさせられていたというせいか、近ごろ珍しい位の芸人らしい芸人だ。古今亭のお家芸のネタ、あくび指南の師匠の造形が良く出来ていて結構でした。                     

ニッチェ『コント』、コントというよりは漫才に近い。女性同士のコンビっていうのはどうもねぇ・・・。

和助『曲芸』、この人に限らず、国立の伝統芸能伝承者養成研修所出身の曲芸師というのは揃って見せ方に工夫をしている。こうした点は寄席の太神楽曲芸師にはもっと参考にして欲しい。

歌奴『佐野山』、この日のお目当て。本人がポスト市馬と言っていた様に先ず声が良い。身体と声が大きく高座栄えがし、明るい芸風で噺家としての素質に恵まれている。特に『佐野山』のような相撲ネタにはピッタリだ。間に大相撲のエピソードを挟んでいたが、こうした演目は相撲が好きでないと出来ないだろう。 
                     
寄席や落語会というのは噺を聴きに行くのが目的だが、アタシのように噺家や芸人そのものを見に行くという楽しみ方もある。

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2014/07/22

「真打制度」って必要ですか

2014(平成26)年07月17日付で落語協会は平成27年春の新真打昇進決定を行った。既に何人かの落語ファンの方が紹介しているが、内容は次の通りだ。
【2015年春(三月下席より)
三遊亭司(歌司門下)、柳家喬之進(さん喬門下)、三升家う勝(小勝門下)、柳家麟太郎(小里ん門下)、入船亭遊一(扇遊門下)、金原亭馬治(馬生門下)、金原亭馬吉(馬生門下)、柳家さん弥(さん喬門下)、柳家右太楼(権太楼門下)、三遊亭ぬう生(圓丈門下)
以上、10名が真打に昇進することが決定しました。】

落語協会の真打昇進者だが、柳家小三冶前会長時代には以下のようになっていた。
2011年  0名
2012年春 1名
2012年秋 2名
2013年秋 5名
2014年春 5名
そして柳亭市馬新会長のもとで初めての真打昇進者がこうなった。
2015年春 10名
真打昇進披露興行は各定席の公演に従うので10日間単位だ。平等に出演するためには、昇進者の数というのは10の割り算で整数になる数字でなければならぬ。上に数字を見るとちゃんとそうなっていますね。

ではなぜ今回、一気に10名という大人数の昇進が決まったのか。想像するに前会長が就任して初めの2年までは抜擢人事が行われため二ツ目の香盤上位者が滞留してしまい、内部では相当に不満が高じていたのではなかろうか。真打になるかどうかは落語家にとって死活問題だ。本人も元より師匠の面目にもかかわる。だから真打昇進が協会の分裂や脱退の火種になってきたのだ。
2013年秋から修正して年功序列に戻し、5名ずつ昇進させてきたのはそのためだろう。2014年秋の昇進を見送った代わりに2015年春に10名昇進させたというのが話のスジだと思う。
協会内部事情からすれば当たり前に見えるかも知れないが、「いっぺんに10人もかよ」という印象を受けた方も少なくなかろう。

「真打」の意味を調べると、「落語家や講釈師の身分の中では最も高く、最高の力量を持つ者だけがなれるとされる」とある。
現状は落協、芸協ともに年功序列を基本にしており、「最高の力量」という定義から遠く離れたものになっている。
では「真打の権利」はどうかと言うと、次の様だ。
①寄席でトリが取れる
②弟子が取れる
③仲間から「師匠」と呼ばれる
④協会の理事になれる
⑤(想像だが)割が増える
いずれも本人や落語家の仲間うちにとっては大事な事かも知れないが、私たち観客にとってはどうでも良い事ばかりだ。

ご存知のように上方落語界には真打制度はない。戦前には存在していたが、戦後に何度か復活の話は出ていたようだが見送られた。上方落語ならではの自由な気風を損ねるというのが理由だったようだ。
かつて上方落語協会の会長だった6代目松鶴は「真打にふさわしいかどうかはお客様が決めること」と語っていたそうだが、私もその意見に賛成だ。
前座という見習い期間が終りプロの芸人になったら、後はヨーイ・ドンの本人の実力次第で良いのではないか。
実体のない「名ばかり真打」をいくら量産しても、観客からすればなんの意味もない。
今回の大量昇進がこの事を考える契機になるとすれば、それはそれで意味のあることだ。

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2014/07/20

”気をつけよう甘い言葉と安倍総理”

日本の総理大臣というのは外国に行くと本音が出るようだ。
安倍首相は7月8日、日本の首相として初めて豪議会で演説し、集団的自衛権行使を容認する新たな政府見解の閣議決定を受け、「なるべくたくさんのことを諸外国と共同してできるよう、安全保障の法的基盤を一新しようとしている」と述べた。
閣議決定を受けた今後の法整備について語ったものだ。
「一新」を辞書で調べると、こうある。
【①すべての物を新しくすること。また,そうなること。②(「御一新」の形で)明治維新のこと。】
つまり今回の決定により戦後日本の安全保障政策は根本的に変わってしまうという事だ。
安倍首相は今回の閣議決定について日本国民向けには再三にわたり、「現行の憲法解釈の基本的考えは、今回の『閣議決定』でも何ら変わることはありません」と言明してきた。
「一新」と「何ら変わらない」とは正反対であり、国内外で言葉を使い分けているわけだ。

安倍首相は過去の著書の中で集団的自衛権行使を主張し、こう書いていた。
「軍事同盟は血の同盟だ。アメリカの若者は血を流す。しかし今の憲法解釈では、日本の自衛隊は血を流すことはない」。
ここでは集団的自衛権行使への憲法解釈の本質について、彼は実に端的に述べている。そして今や彼の願い通りになりつつある。
現憲法がある限りにおいては、いま直ちに海外で戦争をするという事にはならないだろう。
しかし改憲、とりわけ憲法9条の改正は自民党にとっては党是だ。
安倍首相も就任当時から、安倍政権のうちに憲法改正を行いたいと繰り返している。
自民党の改憲草案では、国防軍について次のようになっている。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

こうして見ていくと、今回の閣議決定は戦争する国への一里塚としか思えない。
反論する向きもあろうが、気付いた時はもう遅い、というのが歴史の教訓だ。

戦中に最も広く歌われた「愛国行進曲」に次の歌詞がある。
♪四海の人を導きて
正しき平和うち建てん♪
この「正しき平和」と安倍首相の主張する「積極的平和主義」とは同義語ではあるまいか。

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2014/07/19

「人間国宝」雑感

「旅人は雪呉竹(ゆきくれたけ)の群雀(むれすずめ)とまりてはたちとまりてはたち」
旅をテーマにした落語のマクラにしばしば使われる言葉だが、当ブログなら「休んでは書き休んでは書き」といったところ。
あちらこちらとガタが来ていて、体調と相談しながら細々と続ける事になるのだろう。

落語家の柳家小三冶が人間国宝に認定された。多くの落語ファンは次はこの人と思っていただろうから先ずは予想通りと言える。
記者とのインタビューでは「あえて言いましょう、とても嬉しかったです」と笑顔を見せたかと思うと、一転「何で嬉しかったんだろう」と真顔を見せたとある。いかにもこの人らしい反応だ。
同時期に活躍した古今亭志ん朝が「語る芸」であったのに対し、小三冶は「語らない芸」と対比されたこともあった。お客に強いて笑いを求めない「引きの芸」と称されるのは師匠の先代小さん譲りか。
率直に言って噺家としてのピークは越えていると思っているが、依然として現役では第一人者であることは間違いない。
ただ、ますますチケットが取りづらくなるだろうな。

人間国宝というのは正式名称ではなく、重要無形文化財保持者を指して呼ぶ通称だ。
「無形文化財」は「文化財保護法」のよって定められていて、演劇、音楽、工芸技術その他の”無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの”をいう。
このうち芸能分野の中の演芸部門に落語は属していて、現在までに認定されているのは古典落語から五代目柳家小さん、三代目桂米朝、十代目柳家小三治の3名。
他に講談で一龍斎貞水がいる。
同じ落語家でも古典落語に限っているのは無形文化財の主旨からか。芸協の人がなぜ桂米丸を人間国宝にしないのかと怒っていたが、どうやら法律の趣旨から外れるようだ。漫才その他の演芸から選らばれていないのも同様の理由だろう。
意外なのは浪曲(浪花節)から一人も認定されていない事だ。私見だが澤孝子なぞは十分に資格があると思うのだが。浪曲は伝統芸能として認められていないのだろうか。
それなら伝統芸能とは言えない新派から喜多村緑郎と花柳章太郎が人間国宝になっているのは理屈に合わない。

どうも「人間国宝」というのは、分かっているようで分からない事が多い。

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2014/07/15

お知らせ

都合でブログを少し休みます。

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2014/07/13

「南光・南天 ふたり会」(2014/7/12)

「南光・南天 ふたり会」
日時:2014年7月12日(土)14時
会場:横浜にぎわい座芸能ホール
<  番組  >
南光・南天『御挨拶』
桂南天『ちりとてちん』
桂南光『火焔太鼓』
~仲入り~
桂南天『一文笛』
桂南光『あくびの稽古』

落語家にも相性というのがあって、上方でいえば、ざこばや南光とは何となく合わない気がして今まで観ないで来ていた。先日たまたまyoutubeで米朝一門の忘年会だったか演芸会だったかの映像を見ていたら、南光が漫才師の平和ラッパ(人気のあった2代目)の物真似をしていた。アタシは元より実物を見たことがなかったが、ラジオで聴いて想像していた平和ラッパの姿そのままだったのに驚いた。その時、ああこの人は芸人なんだなと感心し、一度ナマの高座を観てみたいと思ったのが、この会へ出向いたきっかけ。
二人は師弟なので「親子会」と言っても良いだろう。
冒頭で二人の「ご挨拶」があったが専ら師匠の方ばかり喋っていた。今回で3回目だそうで、毎回入場者が増えていると言っていた。

南天『ちりとてちん』
この人を観るのは2回目だが、噺家というより俳優のような風貌だ。トークやマクラが苦手だそうで、この日の2席ともいきなりネタから入る。
東京の『酢豆腐』が上方に移され『ちりとてちん』、それが東京へ逆輸入されて今や東京の高座でもお馴染みだ。手元にある南光のDVDと比べても料理の茶碗蒸しの中身を含め師匠の型をそのまま踏襲している。
声が良いし語りもしっかりしているのだが、もうちょっと芸人としての「艶」が欲しい所か。

南光『火焔太鼓』
南光のような芸人は得だ、存在自体が面白いんだから。
ネタはもちろん東京がオリジナル。上方でも色々な人が高座にかけているようだが、数年前の南光のインタビューを見ると上方の世界にこなれていず不満だと語っていたので、恐らく南光独自の工夫がなされているんだろう。
先ず道具屋の主が元は先代の奉公人で、その娘の婿に入って跡を継いだという設定にしている。この男が主人になってから商いがサッパリになってしまい女房の怒りは募るばかり。そのため亭主が頭が上がらず未だに女房を「お嬢様」と呼ぶ始末。何しろ眼が利かず、秀吉の手紙を仕入れてくれば宛名が紫式部になってたり、楊貴妃の使ったオマルを仕入れてくれば蓋の裏側にカナで「ようきひ」と書いてある。
その男が仕入れてきた古い太鼓、大八車に乗せて来たというからかなり大きなも物だろうし、周囲に木の彫り物が施してあるのでこれはきっと値打ちがあると男は言う。この辺りは「火焔太鼓」としてのリアリティを持たせている。
小僧がはたいていると通り掛かった上方でも有数の大金持ち「住友」の旦那がこの音を聞きつけ、番頭に命じて店に運ばせる。ここから先はほぼ東京と同じで、違いは300両持ち帰った男が女房に認められメデタシメデタシで終わる所。
サディスティックな女房とマゾヒティックな亭主との珍妙な会話を笑わせ所にして、ほのぼのと纏めた1席。上方版として十分にこなれていたと思う。

南天『一文笛』
大師匠の米朝作、テーマが『蜆売り』にチョイと似てる。
登場人物は泥棒の秀とその兄貴分の二人だけ。
秀が、駄菓子屋で一文の笛が買えない貧しい子供を可哀想に思い、笛を盗んで子供の懐へ入れた。子供は懐に笛があるのでピーピー吹いていたら怪しまれ親の元へ連れて行かれる。父親は元武士だったので厳しく、盗人をするような子供に育てた覚えはない出て行けとなり、子供は井戸に身を投げてしまう。
幸い一命はとりとめたが意識は回復せず医者に見てもらうには大金が要るが、親にはそんな金はない。その話を聞いた兄貴分は秀の仕業と気付き、なぜ一文の金で笛を買ってから子供にあげなかったと秀を責める。秀は匕首で自らの右手の人差し指と中指を落とし、これでもう盗人をやめると約束する。
翌日、秀が兄貴の所をたずね子供の容体を訊くと、入院するのに20円かかると言う。その医者は今酒屋で一杯飲んでいると聞いた秀、この金を使ってくれと大金を兄貴に差し出す。どこでそんな金をと驚く兄貴に秀は、なにどうせ医者の懐へ戻る金だと。
お前またスリをやったのか? 指を二本落としたのにまだこういう仕事が出来るのか?
わいは左利きや。
お涙頂戴に走らず淡々とした語りで聴かせてくれた。アタシはこういう風なのが好きだが、好みによっては盛り上がりが少なく物足りないと思った人がいたかも知れない。

南光『あくびの稽古』
東京なら『あくび指南』で基本的なストーリーは一緒。どっちが本家なのか、それとも両方ともに本家なのかは分からない。
あちこちの稽古に手を出すがどれも物にならない男が、今度はあくびの稽古を始めるからと友人を誘う。
男が稽古所を訪れるとあくび指南の先生が出て来て奥に通され、友人は上がり框に座って待つ。
最初は簡単なものからと先ず”もらい湯のあくび”、ぬるい湯に浸かって次第に温まってくる。窓越しの秋の月を眺めながら「はぁ~」と。しかし男にはしっくり来ない。
先生は、それでは“将棋のあくび”をと提案する。相手を詰ませているが未だ相手は考慮中、将棋盤と相手を七三に見ながら、キセルでタバコを吸う。「長い思案じゃなぁ、こらぁどう考えても詰んでんのじゃ。まだか、まだか、将棋もええが、こう長いこと待たされたんでは、退屈で、退屈で、はぁ~、たまらんわい」と。
これなら出来ると男が始めるが、いくらやっても上手く行かない。
これを横目に待たされて友人が、「稽古もええが、こう長いこと待たされたんでは、退屈で、退屈で、はぁ~、たまらんわい」。
「ああ、お連れさんは、ご器用な」。
サゲは東京と同じ。
東京の噺の方は先生はマトモだが、習いに行った男がサッパリ駄目でそこを笑いにしている。一方上方版では先生自体が可笑しい。男がその教えを真似しようと失敗するから余計に可笑しくなる。
傍で見ていた友人も退屈というよりは余りのバカバカしさに、ついついあくびが出てしまう、といった所か。
南光のキャラと相俟って上方版はより笑いの多い落語になっている。

楽しませて貰ったが、ネタの選定はどうだったろう。『一文笛』を除けば東京の寄席でもお馴染みのネタばかりだ。
せっかく大阪から来たのだから、もっと上方色の濃いネタを演じて欲しかったように思う。
これは好きずきかも知れないけどね。

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2014/07/11

角田美代子というモンスターを生んだ闇

一橋文哉(著)「モンスター 尼崎連続殺人事件の真実」(講談社刊 初版2014年4月)
Photoこの本に描かれた尼崎事件とは、1998年から2011年にかけて兵庫県尼崎市を中心に、高知県、香川県、滋賀県、京都府の5府県で、複数世帯の家族が長期間虐待のうえ8名の殺害が確認され、他に少なくとも3名、実際には10名近い人たちが死亡あるいは失踪者となっている連続殺人事件である。
報道では「尼崎連続変死事件」「尼崎連続殺人事件」とも呼ばれている。
著者の一橋文哉は全国紙・雑誌記者を経てフリージャーナリストとなり、「ドキュメント『かいじん21面相』の正体」(雑誌ジャーナリズム賞受賞)でデビュー。以後、グリコ・森永事件、三億円強奪事件、宮崎勤事件、オウム真理教事件など殺人・未解決事件や、闇社会がからんだ経済犯罪をテーマにした優れたノンフィクション作品を次々と発表している。
私も主要な著作は全て読んでいて、著者の技量を高く評価している。

日本の犯罪史上稀にみる凶悪事件の主犯・角田美代子の手口は「家族解体ビジネス」ともいうべきもので、ごくありふれた家族のちょっとした弱みにつけ込み巧みに仕組んで、家族同士を反目させた上でその家族の所有している財産を全て奪い取るというものだ。
この「家族解体ビジネス」は前例があり、実は私の近い親類にもこの被害にあい、家族はバラバラにされ、土地と家屋を全て奪われたという実例がる。周囲が気が付いた時は手も足も出ない状況だった。この件はいずれ当ブログで記事にする予定だ。
しかし角田美代子の犯行はこうした手口にとどまらず、家族同士間で虐待、監禁させ、自分に従う者は養子縁組などで美代子ファミリーに取り込み、反抗する人間は家族の手で殺害させるという極めて残虐な点に特徴がある。こうして取り込まれた人間は美代子の「疑似家族」の一員となって次の犯行に加担して行く。もちろん彼らも美代子に反抗したり逃亡したりすれば、凄まじいリンチや殺害が待っているから言う通りになるしかない。
美代子本人が手を下さず被害者の家族を実行犯とすること、美代子が家族の一部と複雑な養子縁組をする事により家族内の揉め事に見せかけ、警察の民事不介入を利用して捜査の手を逃れていたのも特徴の一つだ。
正に角田美代子こそ、その非人間性においてモンスターと呼ぶより他はない。

しかしこの事件の最大の問題は、主犯の角田美代子が2012年12月に、取り調べ中の兵庫県警本部の留置所内で「変死」(公式的には「自殺」と処理されているが、死までの経緯や「自殺方法」には謎が多く、敢えてここでは「変死」とする)してしまい、彼女が事件の核心についてほとんど語らなかった事と、1通の供述書も取れないまま終結してしまったため、事件の真相は永久に闇に葬られることになった。

美代子ファミリーの起こした事件の中には明らかな刑事事件もあり、兵庫県警を中心にいくつもの情報提供があったし、中には被害者が直接警察に駆け込む事さえあったにも拘らず、警察は最後まで動かなかった。これも謎として残されている。もし早い段階で警察が適切な捜査を行っていれば、一連の事件の被害は最初の段階で食い止めることが出来た筈で残念でならない。
そのせいか彼らの悪事が発覚したのは、被害者の一人が監禁場所の兵庫から逃げ出し、大阪府警に駆け込んだのがきっかけだった。
そして肝心の主犯を不手際で留置所内で「自殺」させてしまったのも兵庫県警だ。
著者が事件と兵庫県警を結ぶ接点がどこかにあるのではと疑ったのも当然といえる。

本書では山口組系暴力団幹部のMという男の存在に着目し、そのMこそ角田美代子の犯罪の指南者だったことを突き止める。美代子は多くのメモを残しているが、その中でMから教示された詳細な手口が書かれており、その指示に従って犯行を行っていたことを明らかにしている。
Mからの情報の中には警察の動きや、警察関係者でしか知り得ない情報も含まれており、美代子がより一層Mを信頼する理由ともなった。むろん美代子がMに対し指導料を支払っていたことは想像に難くない。
Mの急死後、美代子はそれまでの犯罪では考えられないようなヘマを犯し、結局それがきっかけとなって事件の全容が明るみに出ることになるのだが、いかにMの存在が大きかったかの証でもある。

著者の調査は更に一歩進み、なぜMが警察関係の情報に詳しかったのかという点について、Mと接点があったと見られる兵庫県警幹部だった県警OBの存在を把握し、面会に行っている。著者が「Mという人物を知っていますよね」と訊ねると、県警OBは「そんな男は知らない。失礼だぞ、君。私はヤクザと付き合いなど無い。」と明確に否定されてしまった。著者がMは男だともヤクザだとも言ってないのにも拘らず。
美代子は拘留中もノートに日記風のメモを残していたが、その最後のページにはこう書かれていた。
「私は警察に殺される」。
角田美代子というモンスターを生んだのは、もちろん生い立ちや生活環境に負う所が大きいが、それだけではない。日本社会が抱える闇の部分が彼女の成長を促進したともいえよう。その闇の中で本人も死んで行ったとするなら、なんと言う皮肉であろうか。

美代子らの犯罪にあった被害者らの家族というのは、揃ってごくありふれた家族であり、家族同士の仲も良かった。だから我々だっていつなんどき彼らの「家族解体ビジネス」の被害者になるか分からない。そういう怖ろしさが本書を読むうちに伝わってくる。
彼らにつけ込まれるような弱み(特に金銭がらみ)を持たない事が肝要だが、そうも行かない事もある。
注意せねばならないには私の親類のケースもそうだったが、美代子も最初はとても親切な人間として登場し、先ず一家の主を信用させ次第に家族の中へ入り込んで来るという手口だ。
そして些細なことで因縁をつけてきて、やがて要求をエスカレートしてくる。
美代子が眼をつけた中にも幸い被害を免れた人や被害が最小限で済んだ人もいるが、共通しているのは最初の段階で要求を毅然とはね付けていることだ。特に戸主の姿勢が大事だという点が教訓のようだ。

余談だが、笑顔を振りまきながら「私たちは日本国民の生命と財産を守るために全力をあげます」なんて言ってる人物には注意が必要かも知れない。
「ファシズムは笑顔でやってくる」と言うではないか。

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2014/07/10

「永遠の一瞬」(2014/7/9)

「永遠の一瞬-Time Stands Still-」
日時:2014年7月9日(水)14時
会場:新国立劇場小劇場 THE PIT
作:ドナルド・マーグリーズ
翻訳:常田景子
演出:宮田慶子
<  キャスト  >
中越典子:サラ・グッドウィン(戦場カメラマン)
瀬川亮:ジェームス・ドッド(ライター、サラのパートナー)
森田彩華:リチャード・アーリック(編集者、サラの友人)
大河内浩 :マンディ・ブルーム(リチャードの妻)

本作品は、欧米の優れた同時代作品の中から日本未上演のものを公演する企画のもとで選ばれたもので、2009年にL.A.で初演、翌年にはブロードウェイで上演され、作品賞と主演女優賞の2部門でトニー賞にノミネートされた作品。
出演者は4名全員が新国立劇場初登場。
ストーリーは。
舞台はニューヨーク・ブルックリン、女性フォトジャーナリストのサラはイラクで取材中に重傷を負い、恋人であり仕事上のパートナーでもあるジェームスの助けを借りて自宅へ戻ってくる。
そこへサラの永年の友人であり編集者であるリチャードが、親子ほど年の離れた恋人マンディを伴って見舞いにやってくる。二人は近く結婚し子供を産んで幸せな家庭を作ることを夢見てる。
リチャードの提案でサラの写真にジェームスが書いた記事をのせた本を出すことも決まる。
ジェームスは8年にわたる恋人生活に終止符を打ちサラと結婚することを決意し、サラも受け入れる。
サラの数か月のリハビリの後、二人は結婚するが、二人の間に微妙な変化が生まれてくる。
サラが再び戦場へ戻ろうとするが、ジェームスはもう我々は十分な役割を果たした。これからは幸せな家庭を築こうと主張する。話し合いをするが二人の溝は埋まらず・・・。

世界各地で起きている紛争に人々はどう対処すべきか、職業への使命感と人生設計、人間にとって幸せとは何か、仕事を持つ女性の家庭との両立など、この作品は今を生きる私たちに多くの課題を投げかけている。
サラは戦場カメラマンという究極の職業に就いているが、特に女性にとっては普遍的な問題として共感できるかと思われる。
ごく普通の女性として登場するマンディが、サラの撮った爆撃で瀕死の状態にある女の子を抱いた女性の写真を見て発する疑問。「でも、あなたはどうして何もしないで、ただそこにいられたの?」「私が何をしたところでこの子は死んだでしょう。そして写真は残らなかった。」。「私は写真を撮るために、そこにいるのよ」と言い切るサラだが、心中には葛藤がある。ジェームスの個人の幸福を追求する心情も理解できるが、自分の使命感は変えられないサラ。
そうした気持ちのすれ違いはあったが、最後はお互いに幸せな形で終わるエンディングにはホッとする。

主演の中越典子、彼女の座る位置が私の席とは2m半ぐらいしか離れていなかったが、全体の印象としてはTVドラマで観る時と変わらない。戦場カメラマンという役にしては線が細い感もあるが、とにかく凛としていて可愛らしい。ナマ中越典子に堪能した。
他の人のセリフに対し細かな表情の変化を見せていて、繊細だが芯の強い女性を姿を良く描いていた。この日が開演2日目だったせいか、相手役の瀬川亮のセリフとかぶる場面がいくつか散見され、課題として残された。瀬川亮は熱演だったが、ややセリフが硬い印象を受けた。
大河内浩は好演、この人が出てくると舞台が締まる。
「天然」役の森田彩華の華やかな演技も光る。彼女の存在がとかく深刻になりがちな舞台を明るくしていた。
最後の淡白なカーテンコール、あれは演出だったのか、それとも出演者の気分が今ひとつ乗っていなかったのか。

公演は7月27日まで。

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2014/07/08

【街角で出会った美女】コソボ編

旧ユーゴスラビアは現在7か国に分かれていますが、その中で最も新しい国がコソボです。実際に行ってみると不思議な国で、あちらこちらにやたら国旗が目立つのですがそれが殆んどアルバニアの国旗で、コソボの国旗は政府機関に見られるだけです。
もう一つはクリントン元米国大統領を賛美する表示が多く見られ、首都プリシュティナの中心には「クリントン通り」があり、「クリントンの銅像」も建てられています。
コソボは元々セルビアの一部でしたが、この地域は住民の多数がアルバニア人でした。この独立を巡ってセルビア政府とコソボとの間で起きたのが「コソボ紛争」で、民族間同士の血で血を洗うような泥沼の紛争が続きました。この紛争に終止符を打ったのがNATO軍によるセルビアへの空爆でした。ただこの空爆にはドイツやフランスは反対で一時NATOが機能不全に陥るほどでしたが、アメリカが主導して空爆が行われました。
コソボにとって、当時の米国クリントン大統領を建国の父のように扱っている理由がこれで分かると思います。
国内の少数民族の自決権を認めるかどうかというのは微妙な問題で、ロシアや中国と並んでスペインなどがコソボの独立を承認していない背景がここにあります。
これを逆手に取ったのがクリミアのウクライナからの離脱とロシアへの編入でした。コソボとは逆にロシアが積極的に支援し、欧米の国々は反対しています。
所詮はアメリカかロシアの利益にとり有利かどうかだけが判断基準であり、正義かどうかは後からの理屈に過ぎないことをコソボとクリミアの現実は示しているように思われます。
コソボには現在もNATO軍が駐留しており、私たちが出会ったイタリア兵は未だあどけなさが残る若い女性でした。セルビアへの空爆では1万人の犠牲者が出ていて、改めて「集団安全保障」の現実について考えさせられました。

今や歩きスマホは世界的傾向のようで、こうした光景はどこでも見られます。
Photo_5

ホテルの従業員で、この角度が彼女のお気に入りのようです。
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レストランで出会った人たちで、私が坊やをあやしている間もママはスマホに夢中でした。
Photo_3

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2014/07/06

「雲助蔵出し ぞろぞろ」(2014/7/5)

「雲助蔵出し ぞろぞろ」
日時:2014年7月5日(土)14時
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・柳家緑太『垂乳根』
古今亭志ん吉『夏泥(置き泥)』
五街道雲助『強情灸』
五街道雲助『あくび指南』
~仲入り~
五街道雲助『中村仲蔵』*ネタ出し

ここんとこ相次ぐ「セクハラヤジ」がいずれも自民党議員から発せられていることに、石破幹事長が党内の気のゆるみウンヌンを原因としてあげているが、その通りだ。圧倒的多数をたのんでヤリタイ放題という体質が、党内全体に沁み渡っている。「驕る平家は久しからず」。
時おり小雨がぱらつくなか、外国語が飛び交う仲見世を通り抜け会場の浅草見番へ。この日初めて芸者が見番に入って行くのを見た。スラリとした面長の綺麗な人だった。1時少し回った時間に着いたのだが開場を待つ長い列が出来ていた。行列のできる落語会だね。

前座が替わったのは歓迎。
志ん吉『夏泥』、二つ目になって4年という事だが、会話の「間」が良くこのネタに関しては合格ライン。この噺に登場する泥棒は人が良過ぎるし、大工は人が悪過ぎる。お互い商売替えした方がいい。

雲助の仲前の2席、細かいのを二つ並べるとあったが、どうして力の入った高座だった。
1席目の『強情灸』、マクラで昔の朝湯では熱い風呂に我慢して入る姿を描くのは通常通りだが、もう一つ加えていた。
男湯で熱い湯に入れずマゴマゴしている男に中に入っていた爺さんが、「股の間にぶら下がっているものをしっかり握って入れ」と叱咤する。一方女湯で熱い湯に入れずにいる女に婆さんが、「股の間にぶら下げって、ないね・・・、つまんで入りな」。先代馬楽から雲助が楽屋で教わったもので、「こりゃ高座じゃできねぇ」と言われたのをこの日披露。これが演りたくで『強情灸』を選らんだそうだ。この会ならではのマクラ。
ネタは大師匠・志ん生流で、江戸っ子の意地の張り合いを江戸弁でまくしたてる所がカナメ。山場である兄いが二の腕に艾を乗せ、最初は涼しい顔で勇ましい言葉を並べているうちに、次第に灸の熱さが伝わり耐えられなくまでの過程は志ん生流にあっさりと。近ごろここに時間をかけて大袈裟な身振りで熱がる演出が多いが、雲助の演じ方が本寸法。
石川五右衛門の辞世の句、「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」の下の句を「溶けて流れりゃみな同じ」と変えたのは、「松の木小唄」から採ったものとのこと。

雲助『あくび指南』、季節のネタでこちらも志ん生流が基本。違いは熊があくび指南所に出向いた時に最初に取次の女性が出てくる所と、あくびの師匠が京都で修行してきたという設定にしていた点。
あくび指南も最初に奥義である茶の湯の席でのあくびを演じて難しさを熊に示す所が志ん生とは異なる。
数多ある落語の中でも最もバカバカしいといわれるネタだが、これを真剣に演じる所がカナメ。
雲助は特にゆったりとした師匠と慌て者の弟子との対比に重点を置いた高座だった。
以上の2席だが、雲助の様にあまり余計な装飾をせず、サッパリと演じるのが正解なんだろう。

雲助の3席目『中村仲蔵』、このネタに関しては当代きっての演じ手である雲助の高座なので、ここでアタシがあれこれ言う必要もないだろう。定九郎一役を振られた仲蔵の苦悩、妙見様の満願の日の粋ななりをした侍(浪人という設定も多いが、雲助は小旗本としていた)との出会いから役作りを思い立つ場面。雲助の演出はここで侍が「お前は栄屋だな」と仲蔵を見抜き「しっかりやれ」と激励の言葉を残し去って行くという、二人の心の交流を描いていた。
仲蔵は準備万端整えて初日を迎え新趣向の演出で定九郎を演じるが、あまりの見事さに観客は唸るばかり。それを悪落ちと勘違いした仲蔵の落胆から、座長や師匠から褒められる終盤まで緊張感溢れる高座だった。
とりわけ雲助は仲蔵と女房おきしとの夫婦愛に重点を置いていた。
正に「夢でも良いから持ちたいものは 金のなる木と良い女房」で、女房の支えと励ましが無ければ仲蔵の成功は有り得なかった。
サゲは雲助独自の工夫のようだ。
でも最後に雲助が高座から下りる時に足を滑らせ「悪落ち」したのはご愛嬌。

余談になるがアタシがこの噺を聴いて感じるのは、歌舞伎を含め大衆芸能の世界は所詮興行の世界であり、最も大事なのは集客だという点だ。仲蔵の改変は明らかに「ケレン」だが、客が喜んでくれればそれが正解なのだ。文化だ芸術だと納まり返っていたら歌舞伎などとっくに廃れていただろう。落語も同じことで、最後は客が喜んでくれるかどうかだ。
この日も観客の多くは満足して帰途に着いたと思われる。

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2014/07/04

2014年上半期佳作選

今年の上期は寄席や落語会におよそ30回行った勘定になるが、その中の佳作を以下に列挙する。これらは年末恒例の「My演芸大賞」の候補作となる。なお以前に受賞した作品は選から除外している。
こうしてリストアップしてみると雲助一門の全員が選ばれているのが特長。一門の充実ぶりを示すものだ。
選には洩れたが他に、一之輔『らくだの子ほめ』、喜多八『三十石』、白酒『喧嘩長屋』、一朝『一分茶番』、藤兵衛『出来心(花色木綿)』が印象に残った。
何人かの常連の名が見えないが、下期に期待しよう。
リストは演者、『根多』、公演月日、「会の名称」の順となっている。

桂米紫『堪忍袋』2/5「米紫・吉弥ふたり会」
古今亭志ん輔『居残り佐平次』2/22「三田落語会」
柳家喬太郎『真景累ヶ淵~宗悦殺し』3/1「喬太郎・一之輔二人会」
春風亭一之輔『ねずみ穴』3/2「三三・一之輔二人会」
五街道雲助『花見の仇討』4/5「雲助蔵出し ぞろぞろ」
五街道雲助『反対俥~干物箱』  同上
蜃気楼龍玉『大坂屋花鳥』4/9「五街道雲助一門会」
三遊亭萬橘『抜け雀』4/26「花形演芸会」
隅田川馬石『中村仲蔵』4/29「三人吉座」
柳家小満ん『猫の災難』5/14「小三治・小満ん・小里ん三人会」
柳家左龍『三人旅~おしくら』5/17「五代目小さん・孫弟子七人会」
柳家小里ん『髪結新三~富吉町新三宅まで』5/20「雲助五十三次」
三遊亭兼好『陸奥間違い』6/23「兼好・萬橘二人会」
桃月庵白酒『つるつる』6/28「三田落語会」

米紫『堪忍袋』、東京版を上方に置き換えたものだが、喧嘩する夫婦の言い分がそれぞれ正当と思わせる演出に説得力があった。
志ん輔『居残り佐平次』、今まで聴いた志ん輔の高座でベスト。
喬太郎『真景累ヶ淵~宗悦殺し』、高座にかかる機会が少ない「発端」の場を演じた。出来ればこの人には「通し」にチャレンジして欲しい。
一之輔『ねずみ穴』、滑稽噺の多い一之輔だが、長講の人情噺でもその実力を示した一席。
雲助『花見の仇討』、師匠の先代馬生の芸を引き継いだ見事な高座。
雲助『反対俥~干物箱』、通常は「付く」ネタを続けるのは避けるのだが、敢えて「俥夫」つながりの演目を連続公演し、それぞれの面白さを伝えた手腕に感心。
龍玉『大坂屋花鳥』、進境著しい若手の意欲が感じられ、会場全体が水を打ったようだった。
萬橘『抜け雀』、良い意味で予想外の出来だった。緻密さは欠けるものの志ん生的な面白さに溢れていた。
馬石『中村仲蔵』、特に定九郎のモデルとなる浪人の造形が優れていた。最近聴いたこのネタでは出色の出来。
小満ん『猫の災難』、会場全体を楽しさで包んだような高座、ご本人も鼻歌でも唄うような調子で演じた。
左龍『三人旅~おしくら』、「おしくら」の女中の造形が絶品、この人ならではと思わせた。
小里ん『髪結新三~富吉町新三宅まで』、雲助とのリレー口演だったが、このネタに関しては小里んに軍配をあげる。
兼好『陸奥間違い』、浪曲を落語に移したネタで、これを聴く限りでは兼好は人情噺でもいける気がした。
白酒『つるつる』、文楽や志ん生が亡くなって後継者がいなくなると心配していたが、白酒の高座で杞憂であることが分かった。

【付記】
過去の「My演芸大賞」受賞者は次の通り。

2006年 柳家喬太郎『按摩の炬燵』1/22「花形演芸会」
2007   該当なし
2008   立川志の輔『中村仲蔵』8/15「志の輔独演会」
2009   該当なし
2010   柳家三三『年枝の怪談』8/9「柳家さんと00さん」 
2011   桃月庵白酒『今戸の狐』9/13「白酒ひとり」
2012   「雲助蔵出し」における五街道雲助の一連の高座
2013   柳家権太楼『百年目』5/2「鈴本演芸場」

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2014/07/03

国立演芸場7月上席初日(2014/7/2)

前座・春風亭かん橋『寿限無』
<  番組  >
三笑亭夢吉『ろくろ首』
桂右團治『甲府い』
Wモアモア『漫才』
瀧川鯉昇『蛇含草』
三遊亭金遊『小言念仏』
~仲入り~
『真打昇進披露口上』下手より司会の右團治、蝠丸、小蝠、昇太、鯉昇、金遊
春風亭昇太『宴会の花道』
柳家蝠丸『お七(別名:お七の十)』
ボンボンブラザース『太神楽曲芸』
柳家小蝠『妾馬』

国立演芸場7月上席は落語芸術協会の新真打昇進披露興行で、2日の初日は「5代目柳家小蝠真打昇進披露」。今回昇進した3名のうち、この人だけが未見だった。

夢吉『ろくろ首』、褌に猫がじゃれつく場面をカットした以外は5代目小さん流。客席を一気に明るくするキャラの持ち主で、やがて芸協を背負う一人になるだろう。
右團治『甲府い』、古典を真っ直ぐに演じる姿勢がいい。女流には珍しいほど啖呵が切れるのも魅力。
Wモアモア『漫才』、いきなり政府が決めた集団安全保障について批判、「戦争は嫌だ」と言ってたがその通り。こうした時事問題を正面からとりあげる芸人が少なくなった昨今では貴重な存在。
鯉昇『蛇含草』、いつもの扇風機のマクラからネタに入ると、短縮版ながら3代目三木助ばりの餅の食い分けを演じて客席を沸かせていた。
金遊『小言念仏』、仲入り後の披露口上で、落語家は貧しい暮らしの中で稽古に励まねばならないと語っていたが、この人が言うととても説得力がある。醒めた目をしていて独特の雰囲気を感じさせる。
『真打昇進披露口上』では、師匠・蝠丸の温かい人柄が溢れ出るような口上が印象的だった。小蝠は良い師匠を持った。
昇太『宴会の花道』、マクラで、新橋演舞場6月公演で沢口靖子と共演できた喜びを語っていた。ネタは新作で、宴会好きの職場で酒が呑めない社員の提案で、次は各自の好きなものをリクエストして酒抜きの食事会を開くことになり・・・というストーリー。昇太の新作は概して古臭く感じ、客は受けていたがあまり面白味は感じない。
蝠丸『お七』、同じタイトルで全く違うネタがあるため別名を『お七の十』とも言う。4代目柳亭痴楽が十八番としていたが、その後は演じる人がいない珍しいネタで、蝠丸も自分一人しかいないと言っていた。八百屋お七の物語を落語にしたもので地噺風に演じるのだが、時間の制約から途中で終わってしまったのは残念。
膝は大好きなボンボンブラザース
トリは新真打の小蝠『妾馬』、最初は談志に入門したが上納金を滞納し破門となり、次いで10代目文治の弟子になり、師匠没後に蝠丸門下に移籍という経歴の持ち主。師匠とは対照的なまぁるい体形で声も大きいのだが、いかんせん滑舌が良くない。そのせいか、語りが一本調子となる。先ずあの欠点を直さないといけない。

金遊が口上で、真打になるということは学校を卒業して社会人になったと同じで出発点だと語っていたが、その通りなんだろう。全てはこれから。

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2014/07/02

『抜目のない未亡人』(2014/7/1)

シス・カンパニー公演『抜目のない未亡人』
日時:2014年7月1日(火)13時30分
会場:新国立劇場 中劇場
<  スタッフ  >
原作=カルロ・ゴルドーニ
上演台本・演出=三谷幸喜
<   キャスト   >
大竹しのぶ=ロザーウラ(元女優、未亡人) 
木村佳乃=エレオノーラ(ロザーウラの妹、女優) 
小野武彦=ロンバールディ(ロザーウラ姉妹の父親、男優)
浅野和之=パンタローネ(ロザーウラの亡父の弟) 
峯村リエ=マリオネット(ロザーウラのエージェント) 
段田安則=ボスコ・ネーロ(イタリア人監督)
遠山俊也=フォレット(その秘書) 
中川晃教=ルネビーフ(イギリス人監督) 
春海四方=ビリーフ(その友人、プロデューサー) 
岡本健一=ルブロー(フランス人監督)
高橋克実=ドン・アルバロ・デ・カスッチャ(スペイン人監督) 
八嶋智人=アルレッキーノ(ヴェネチアのホテル従業員) 

「専守防衛」から「他国の戦争に参加できる」国へ大転換することが決められた日に、こんな芝居なんて見てていいのという気もするが、行っちまったんだから仕方ない。
観客の男女比は1:9位で圧倒的に女性、何だかこっ恥ずかしい気分だ。「女少なくして妙なり」で、周囲をグルリと囲まれると恐怖心すら湧いてくる。
さてこの物語だが、原作は18世紀イタリアの喜劇作家カルロ・ゴルドーニの同名戯曲で、ヴェネツイアを舞台に、高齢の夫を看取ったばかりの金持ち未亡人が、再婚でもうひと花咲かせようと奮闘するというストーリーらしい。単なる喜劇ではなく中世ヨーロッパ各国の国民性の比較や風刺も効かした人気喜劇とのこと。
これをそのまま上演しても当時の社会や風俗がチンプンカンプンだと理解できないという事から、三谷幸喜が舞台を一気に現代へ移し、原作の構成、登場人物の性格や人間関係はそのままに、新しい脚本として書き下ろしたもの。
落語でいえば「改作」、「居酒屋」を「イラサリマケ」に変えたようなものと理解すれば早い。なに、それじゃ余計に分からなくなるって、そうですか。

あらすじは。
世界的な映画の祭典“ヴェネツィア国際映画祭”で賑わうヴェネツィアの、とあるホテルが舞台。
金持ちで高齢の夫を看取ったばかりの未亡人ロザーウラは元女優。これを機に自分と年相応の再婚相手を見つけ、同時に映画界にカンバックを果たすべく、代理人であるマリオネットを伴い滞在している。
そんな彼女に、イタリア、フランス、スペイン、イギリスの各映画監督たちから熱烈なアプローチがある。
イタリア人のボスコ・ネーロは社会派の、フランス人のルブローは前衛的な、スペイン人のドン・アルバロは冒険活劇の、そしてイギリス人のルネビーフは歴史もの、といったそれぞれの企画を彼女に持ち込み、映画出演を求める。
迷ったロザーラたちは一計を案じ、変装して監督たちの真意を探るが・・・。
ロザーウラの妹で売れない女優エレオノーラは姉の威光を借りて、何とか良い役を得ようと売り込みを図るが、姉の義弟でヨボヨボの老人パンタネーロから求婚され困惑する。
狂言まわしであるホテル従業員アルレッキーノを進行役にして物語は展開してゆく。
果たしてロザーウラ姉妹の映画出演は実現するのか、そして二人の恋の行方は、いかに。

三谷幸喜自身が語っているように客を感動させるような芝居ではなく、見終って「楽しかった」と思わせればそれで良いという舞台。その狙いは当ったようだ。舞台の俳優と共にお客は楽しんでいた。単純な喜劇としては成功と言えるだろう。
しかし風刺という観点からすると、イタリアの社会派映画も、フランス映画の前衛的手法も、みなひと昔前の事になってしまった。むしろ劇中でハリウッドの名前が出てくると皆の目の色が変るという所にリアリティを感じてしまう。

この劇は主演の大竹しのぶを見るための芝居と言っても過言ではない。当代きっての演技派女優のパフォーマンスが堪能できる。恐らく三谷は大竹しのぶを念頭に台本を書いたものと思われる。彼女以外にこの役を演じられる女優は頭に浮かばない。
芸達者を揃えた脇役陣は豪華で、少々勿体ない気がする程だ。段田安則が初日の舞台で足を捻挫したとかで杖をついていた。
狂言まわし役の八嶋智人の軽妙な演技が目を惹いた。

公演は7月31日まで。

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