「人間国宝」雑感
「旅人は雪呉竹(ゆきくれたけ)の群雀(むれすずめ)とまりてはたちとまりてはたち」
旅をテーマにした落語のマクラにしばしば使われる言葉だが、当ブログなら「休んでは書き休んでは書き」といったところ。
あちらこちらとガタが来ていて、体調と相談しながら細々と続ける事になるのだろう。
落語家の柳家小三冶が人間国宝に認定された。多くの落語ファンは次はこの人と思っていただろうから先ずは予想通りと言える。
記者とのインタビューでは「あえて言いましょう、とても嬉しかったです」と笑顔を見せたかと思うと、一転「何で嬉しかったんだろう」と真顔を見せたとある。いかにもこの人らしい反応だ。
同時期に活躍した古今亭志ん朝が「語る芸」であったのに対し、小三冶は「語らない芸」と対比されたこともあった。お客に強いて笑いを求めない「引きの芸」と称されるのは師匠の先代小さん譲りか。
率直に言って噺家としてのピークは越えていると思っているが、依然として現役では第一人者であることは間違いない。
ただ、ますますチケットが取りづらくなるだろうな。
人間国宝というのは正式名称ではなく、重要無形文化財保持者を指して呼ぶ通称だ。
「無形文化財」は「文化財保護法」のよって定められていて、演劇、音楽、工芸技術その他の”無形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの”をいう。
このうち芸能分野の中の演芸部門に落語は属していて、現在までに認定されているのは古典落語から五代目柳家小さん、三代目桂米朝、十代目柳家小三治の3名。
他に講談で一龍斎貞水がいる。
同じ落語家でも古典落語に限っているのは無形文化財の主旨からか。芸協の人がなぜ桂米丸を人間国宝にしないのかと怒っていたが、どうやら法律の趣旨から外れるようだ。漫才その他の演芸から選らばれていないのも同様の理由だろう。
意外なのは浪曲(浪花節)から一人も認定されていない事だ。私見だが澤孝子なぞは十分に資格があると思うのだが。浪曲は伝統芸能として認められていないのだろうか。
それなら伝統芸能とは言えない新派から喜多村緑郎と花柳章太郎が人間国宝になっているのは理屈に合わない。
どうも「人間国宝」というのは、分かっているようで分からない事が多い。
« お知らせ | トップページ | ”気をつけよう甘い言葉と安倍総理” »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 林芙美子の「戦記」(2023.01.11)
- ”『百人一首』の撰者は藤原定家ではなかった”記事への補遺(2022.09.08)
- 『百人一首』の撰者は藤原定家ではなかった(2022.09.06)
- 三人の女性の「敗戦日記」(2022.07.12)
- 近ごろの日本ちょっと変だぜ(2022.03.22)
お休みからのご復帰、喜んでいます。
小三治の人間国宝は喜べても、来春の十人同時昇進は、あまり喜べません。
私も夏風邪が治るのが、若い時に比べ長引いております。
ぼちぼち、無理せず、今後も“ほめ・く節”を楽しませてください。
私にとっては、十分に無形文化財です。
投稿: 小言幸兵衛 | 2014/07/19 19:31
小言幸兵衛様
お気遣い有難うございます。当方なぞさしずめ「無用文化財」といった所でしょう。
10人真打昇進、何だか在庫一掃整理みたいで、どうなんでしょう。市馬の会長就任挨拶からも改革は期待出来そうにありません。
太田元九郎が亡くなりましたね。以前からアル中気味で気にはなっていましたが。あの「上下デイ」が聞けなくなったしまったのは残念です。
投稿: ほめ・く | 2014/07/19 23:02
若い頃の小三治師匠は随分啖呵を切るのが上手だったと本で読んだ事がありますが、今のゆったりとしたまくらや話し方からはなかなか想像出来ません。
こちらのチケットも取りづらく、恒例の八月上席も炎天下に長い列が出来そうですね。(>_<。)
投稿: 林檎 | 2014/07/20 10:00
林檎様
年を取れば若い頃と芸風が変わるのは誰もが避けられません(例外もいますけど)。もし志ん朝や枝雀が存命だったら今頃はどんな高座になっていたのかなと、考える時もあります。
小三冶の場合、これほどの人気が出たのは最近になってからです。70歳を過ぎてから人気のピークを迎える珍しい噺家と言えます。
投稿: ほめ・く | 2014/07/20 11:38