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2014/08/24

「どうした!喬太郎」vs.「さすが!新治」(2014/8/23)

「第23回 三田落語会(夜席)『新治・喬太郎 二人会』」
日時:2014年8月23日(土)18時
会場:仏教伝道センタービル8F
<  番組  >
前座・柳家さん坊『からぬけ』
柳家喬太郎『蒟蒻問答』
露の新治『七段目』
~仲入り~
露の新治『胴乱の幸助』
柳家喬太郎『錦木検校』

この会の感想を一口に言えば、タイトル通り「どうした!喬太郎」「さすが!新治」となる。
アタシが感じたのは二人の基礎体力の差だ。と言っても体重じゃないですよ。落語家の素養として踊りと音曲は欠かせまい。踊りが出来ると動きがキレイに見える。音曲は噺の中で小唄なり都々逸なりを一節聴かせるのが効果的な時がある。もちろん、芝居噺、音曲噺をする場合は必要条件だ。
談志の健在な頃の立川流では、真打昇進にあたって唄と踊りを必須課目としていたようだ。若い二ツ目の時期に唄と踊りの修行をしておけば、真打になってからそれが必ず活きると考えたのだろう。
年季の差があるので一概に比較は出来ないが、新治と喬太郎とでこの点に関する差は歴然としている。これが最も印象に残った。

喬太郎の1席目『蒟蒻問答』
「どうしちゃったの?」と訊きたいくらいヒドイ出来だった。今まで観た喬太郎の高座でもワーストだと思う。ただストーリーを追うだけのような気乗りしない高座だ。
先ず、蒟蒻屋の六兵衛と八五郎との関係が不明確だ。二人は江戸時代からの知り合いで六兵衛は鉄火な稼業の親分だった。だから病に倒れた八の面倒を見たり、寺の住職に世話をしたりする。
六兵衛が八にお経を教えるが禅宗なので本来は引導の「喝」も加えなばならない。そこをカットしていた。
問答を請いに托善が現れると、最初から権助と逃げる相談を始めるのは変。ここは八が住職は留守だと追い帰そうとするがダメで、窮余の策として逃げる算段をするという方が自然。
二人が寺の資産を売り払おうとしている所に現れた六兵衛が、事前に問答の事を説明していなかった事を詫びるが、これもおかしい。先ず資産を売ることを叱るのが先で、問答対策はその後に来るべきだ。
八が托善を案内した時の本堂の描写も中途半端で手抜きとしか思えない。

喬太郎の2席目『錦木検校』
このネタは喬太郎の代表的な演目だ。もう10年近く前になるか、初めて聴いた時は、『三味線栗毛』という噺をこうも感動的に作り変えたのかと唸ったほどだ。
その後何度か聴いたが、錦木と酒井雅楽頭との再会シーンにはいつも胸を打たれた。
今回は残念ながら喬太郎が途中で咳き込んでしまい、それも中断しかかるほど激しいものだった。病に倒れた錦木が咳き込む場面では、演技なのか本物なのかと聴いている側が心配だった。
山場で携帯が鳴るというアクシデントもあってリズムが乱され、全体としては不満の残る高座だった。
新治の前2席に気圧されたのかも知れないが。

新治の1席目『七段目』
早目に会場ロビーで待っていると、新治の語りとお囃子、ツケ打ちの音が聞こえた。最後の仕上げをしていたのだろう。
全体の演出は手元にある吉朝の録音とほぼ同じだ。相違点だが新治の解釈は、実は父親も決して芝居が嫌いなわけでは無いという。若旦那が芝居好きになったのも元はといえば父親の影響だった。そう思って見ていると、この父親は息子の芝居狂いを呆れながらも楽しんでいるかに見える。妻には先立たれ、一人息子がこの有り様で店の将来が心配なだけなのだ。
若旦那と小僧の定吉が『忠臣蔵・七段目・茶屋場』の平右衛門とお軽の場面を演じるが、通常は途中から入るが新治の高座では二人が出会う場面から平右衛門が抜刀するまでを通して演じた。
いかにもこの人らしく所作が綺麗だし丁寧。下座の囃子やツケとの呼吸もピッタリ合い、上出来の高座だった。
アタシは残念ながらこのネタの第一人者と言われた吉朝のナマの高座を観ていないが、恐らく新治の高座はそれに迫るものと思われる。

新治の2席目『胴乱の幸助』
2席目は軽いネタかと思っていたら、そうでは無かった。
この噺は大きく3つの部分よりなる。
初めは喧嘩の仲裁が人生唯一の趣味という胴乱の幸助が酒をふるまうことを目当てにした二人の若者が、ニセの喧嘩を始めるが弾みで本当の殴り合いになる。料理屋の2階で孝助が二人から喧嘩の原因を聞きだすが二人からはトンチンカンな答えしか返ってこない。
次は、浄瑠璃の稽古屋で師匠が弟子に『お半長右衛門』の稽古をつけている所へ、浄瑠璃というものを聴いたことがない幸助が本物の喧嘩と勘違いする場面。いくら説明しても理解しない幸助に、師匠は『お半長』のあらすじを説明するが、幸助はフィクションの出来事であることも分からず、自分が京都に出向いて騒動を収めてくると言い出す。
稽古屋の人々も面倒になり、止めるどころか激励して送り出す。ここは新治独自の解釈かと思われる。
稽古屋の師匠が浄瑠璃の一節を唸る場面を加えていたが、こういう所がワサビとして効く。
3つ目の舞台は京都。当時は大阪-京都間は既に汽車が開通していて、これだと朝出れば夕刻には着く。しかし、その頃の人たちは汽車は好まず、夕方に大阪から発ち早朝に伏見に着く船で行く人が多かったそうだ。御多分にもれず幸助も三十石で伏見から京都へ向かい、目的の柳馬場押小路虎石町の西側にある帯屋に辿りつく。もちろん浄瑠璃の『帯屋』とは別物。
そこで幸助は『お半長』の登場人物の名前を次々読み上げ、出て来るように店の番頭に頼む。最初は戸惑う番頭だが、次第にそれは浄瑠璃の『お半長』の話だと気付く。
「それ、もしかしたら、ハハハ・・・『お半長』と違いますか?」
「何がおかしいねん」
「笑わずにおれますかいな。お半長は、とうの昔に桂川で心中しましたわいな」
「えっ、死んでもた、ってか! しもた、汽車で来たらよかった」
でサゲ。
新治の高座は、主な登場人物である幸助、二人の若者、稽古屋の師匠や弟子と見物人、帯屋の番頭をキチンと演じ分けて、これ又、上々の高座だった。

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コメント

やっぱりおいでになってましたね。
私も同感、喬太郎は体調も悪かったのかもしれないが、このところ喬太郎を見直していただけにちょっとがっかりでした。

喬太郎さんは流してる感じがしました。その上、着信音が長く鳴り、続けて“あまちゃん”の陽気な着信音…。
帰りのエレベーターの中で、こんな事も守れない(忘れる・出来ない)人は来る資格がないし、罰金を取るべき、台無しとかなり憤慨されている方々も。
私も台無し感は否めず帰路につきました。
記事を拝読して、新治さんの楽しい噺を思い出し救われました。
ありがとうございます。

佐平次様
確かに喬太郎は体調が悪かったようですが、プロである以上それは言い訳にはなりません。1席目の冒頭から何となくヤル気のなさを感じ、それを最後まで引きずっていました。

林檎様
携帯のために、演者、観客双方ともに後味の悪い思いをしました。私の周囲でも怒ってる人がいました。以前喬太郎がなぜか自分の高座の時に、しかもトリの時に、携帯が鳴るケースが多いと嘆いていましたが、どうなんでしょう。

確かに、喬太郎さん(と志の輔さん)の時に遭遇する事が多い気がします…。
特にお二人は笑いに変えてしまうので、鳴らした人はさほど悪いとは思わないのかも知れません。(中断して冷めると演者も客席も戻るのは難しいと思うのですが。)
さん坊さんがマクラでブロンド女性の小咄をした時は後部席の男性が説明をしたり…、記事を読むまで嫌な事を思い出していました。
でも、新治さんの二席は改めて聴きたいと思いましたし、ご贔屓の方も多くいらして、聴く機会が増えそうで楽しみです。

林檎様
そう言えば権太楼の時に鳴った記憶はありません。何だか怖そうだし、確かに実物も怖い。
解説も困りますね。だいたい詳しいオジサンが連れに説明するパターンが多い。イイトコ見せようという男心かな。
新治の2席で悪いことは忘れましょう。

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