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2014/09/30

8,9月間アクセス数ランキング

久々に当ブログ月間アクセス数ランキングを紹介します。
2014年8,9月の各TOP10は下記の通りです。

<2014年8月>
1 松尾和子さんのこと
2 鈴本演芸場8月中席・夜(2014/8/18)
3「どうした!喬太郎」vs.「さすが!新治」(2014/8/23)
4 志の輔「牡丹灯籠(通し)」(2014/7/31)
5 我らの時代 落語アルデンテⅨ(2014/8/16昼)
6 #26大手町落語会(2014/8/8)
7【寄席な人々】客席での「化粧直し」
8 国立演芸場8月中席(2014/8/13)
9【ツアーな人々】消えた添乗員
10【ツアーな人々】当世海外買春事情

<2014年9月>
1「白酒・兼好 二人会」(2014/9/16)
2「扇辰・喬太郎ふたり会」(2014/9/2)
3 沖縄との連帯の夕べ
4「江戸しぐさ」はトンデモ学説
5【ツアーな人々】消えた添乗員
6「まいどおおきに露の新治です」(2014/9/21)
7 #65扇辰・喬太郎の会(2014/9/21)
8 #124柳家小満んの会(2014/9/26)
9【ツアーな人々】団体ツアーは添乗員しだい
10【ツアーな人々】当世海外買春事情

読まれている記事を大別すると、落語、旅行、その他となります。
落語ではその月に行った寄席や落語会の記事が多数で、旅行関連は数年前に書いた記事がコンスタントに読まれる傾向にあります。
その他の中で政治関連の記事は概してアクセスが少ないのですが、9月では「沖縄との連帯の夕べ」が他の方のブログにリンクされたのと、書評で「江戸しぐさはトンデモ学説」がいくつかのSNSで採りあげられた結果、ランク・インしたものと思われます。劇評へのアクセスは少ない。
他には芸能関係(最近はあまり書いていない)が根強い人気があり、これはネットの特性といえます。

2014/09/29

「土井たか子」の死去に想う

女性初の衆議院議長、社会党委員長、社民党党首などを務めた土井たか子が2014年9月20日に死去した。公表は昨28日で、享年85歳だった。
「おたかさん」の愛称で知られ、「やるっきゃない」「ダメなものはダメ」「山が動いた」などの名文句は当時の流行語ともなった。
1969年に初当選以来、連続12回当選、38年間党の議席を守り続けた実績は誇れるものといえよう。1980年代後半からは社会党の顔であった。

土井氏が衆議院議長に就任したのは、1993年の非自民連立政権の誕生を受けた1994年である。この当時はまるで熱病のように「選挙制度改革」がさけばれ、土井議長の調停案が「小選挙区制導入」を後押しした。「政党助成金」制度が導入されたのも同じ時期だ。
私は小選挙区制と政党助成金制度は、日本の民主主義を危うくするとして、絶対に反対だった。その信念は今も変わらない。
理由の一つは、議会制民主主義の根幹は、国民の意見ができるだけ忠実に議会に反映することにある。そのためには得票数に応じて議席が配分されねばならず、一人だけ当選で他は全員が落選という制度は民主主義とは合い容れないものだ。
もう一つは、大きな政党だけに議席と資金が集まり、最終的には一党支配の政治体制になってしまう危険性をはらんでいるからだ。
しかし熱病に浮かされた当時の連立政権は、小沢一郎の主導のもとにこの制度を導入し、土井たか子もこれを追認する結果となった。

皮肉にも、選挙制度改革が社会党凋落の引き金を引いてしまった。直後の選挙で惨敗し、一時は自民党と組んで連立するなど迷走を続けたあげく党も分裂。社民党と衣替えしたものの、土井氏本人も新しい選挙制度のもとで落選、党の退潮はとどまらず今や風前の灯となった。
土井たか子は終生、護憲を訴え続けた。その精神は高く評価できる。
しかし非自民連立から自社連立にいたる時期の行動、特に小選挙区制導入への関与を見るとき、民主主義の根幹をどれだけ理解していたのだろうかという疑問が残る。

いまや私の憂慮していた通りに自民党の一党支配が強化された。かつては幅広い人材のいたその自民党も、小選挙区制と政党助成金の影響で執行部の意のままに動く議員だけが増え、すっかりモノトーンの党に変質してしまった。
護憲をさけび続けた土井氏の主張とは逆に、国会は改憲勢力が大勢を占めた。
私が、土井たか子という政治家の功績とともに限界を感じるのは、そのためだ。

2014/09/27

#124柳家小満んの会(2014/9/26)

第124回「柳家小満んの会」
日時:2014年9月26日(金)18時30分
会場:関内小ホール
<  番組  >
前座・柳家緑太『弥次郎』
柳家小満ん『粗忽長屋』
柳家小満ん『御札はがし』
~仲入り~
柳家小満ん『寝床』

入りは5部程度だろうか、大半が常連客のようで温かい雰囲気につつまれていた。
なかみに入る前に、この会が次の理由から「理想的な独演会」といってよい。
・本人だけが出演(厳密にいえば前座が出ていたが)
・3席演じる
・2時間で終了
独演会というのは文字通り、その人の噺だけを聴きにいくのであって、それ以外は不要。
二人会でも一人2席は演るのだから、独演会なら3席は聴きたい(長講は別にして)。
公演時間は2時間がいいとこ、よぶんに長いと客も演者もダレル。

入り口で小さなプログラムが渡され、なかを見るとこの日は「駒下駄」について短文が書かれていた。それによると、下駄が用いられるになったのは江戸の元禄以後で、それまでは武士も町民も草履だった。形が馬のヒズメに似ていたところから「駒下駄」と名付けられた。当初は芸人や遊女が主に用いていたところから、次にような川柳ができた。
「駒下駄で出るとそこらで転ぶなり」
草履にくらべて下駄は転びやすい。これに転び芸者(みずてん)を掛けたもの。
むろん、この解説はこの日のネタ『御札はがし』に因んだものだ。
こういう心配りが嬉しい。
ご存知のように小満んの最初の師匠は8代目文楽で、死後に5代目小さん門下になった。
私見だが、あれだけの昭和の名人といわれた文楽だったが、彼の芸を正統に継承している弟子が少ない。そういう意味からも小満んは貴重な存在だ。

1席目『粗忽長屋』
粗忽とは「そそっかしい」という意味だが、ここに出て来る二人はいわゆる粗忽者ではない。八五郎の方はやたら「思い込み」が強く、事実を前にしてもチェック機能がなくて自分の考えを曲げようとしない男だ。
一方の熊五郎の方はといえば、ただただ八の思い込みに引きずられて自己さえ失ってしまう。
こうして見るとこの二人は、私たちに周囲にいくらでもいる人物だ。このネタがいつまでも色褪せないのはそのためだろう。
二人の性格付けを鮮やかに示した5代目小さんが絶品で、小満んはマクラを含めほぼ師匠の高座通りに演じた。

2席目『御札はがし』(三遊亭圓朝作『牡丹燈篭』より)
あらすじは、ざっと次の通り。
医者の山本志丈の紹介で、飯島平左衞門の娘・お露と美男の浪人・萩原新三郎が出会い、互いにひと目惚れする。これが2月。
新三郎はお露のことを想い悶々とした日々を送る。
6月に入って久々に訪れた山本志丈から、新三郎はお露と女中・お米が4月に死んだと聞かされる。
しかし盆の入りの13日に、お露が牡丹灯籠を提げたお米を連れて萩原新三郎宅の前に現れる。これから毎夜二人は逢瀬を楽しむ。
7日目に深酒して深夜に帰宅する途中の伴蔵が新三郎宅をのぞくと、そこには二人の女の幽霊の姿が。翌朝、同じ長屋に住む人相見の白翁堂勇斎に知らせ、勇斎は萩原新三郎にその事実と死相が出ていると告げる。新三郎も調べてお露が幽霊であることがわかり、僧侶の良石の助言に従い金の仏像とお札で幽霊封じをする。
新三郎の奉公人である伴蔵と妻のお峰は幽霊から百両もらって、萩原新三郎の幽霊封じの仏像とお札を取り外してやる。
この日は後半の御札をはがす所はカットし、前半の部分だけの高座となった。
このネタは今夏だけで3度目となるが、以前に聴いた小朝のものを含めて、どうしても納得いかない点があった。それは2月に新三郎とお露を引き合わせた山本志丈が、なぜ6月になるまで新三郎宅を訪れなかったのかという点だ。二人が相思相愛であることが分かっていた筈なのに。
この点に関する小満んの説明はこうだった。
先ず、新三郎とお露が出会った時に、志丈が二人に酒をつぎ、まるで三々九度だと言って冷かす。次に新三郎がハバカリに発った時に、お米が気を利かしてお露に手水に使うヒシャクと手拭いをお露に渡す。ハバカリから出た新三郎が、手水で洗った手を手拭いでふこうとして伸ばした手がお露の手と触れてしまい、ここで二人の思いが通じ合う。帰りしな玄関まで送ってきたお露は新三郎に「また来て下さらないと、露は死んでしまいます」と大胆な告白をする。
ここで山本志丈は、このまま二人が突っ走ったらまずい事になると気付く。というのは、お露の実家である飯島家の主人はゆくゆくはお露に適当な婿を添わせて跡取りにしようとしていた。もし二人が深い仲になってしまったら飯島の主人から志丈が責められ、場合によっては手討ちににでもなりかねない。クワバラクワバラ。だから二人がこれ以上近づくのを避けるため、志丈は新三郎宅に寄り付かなくなったのだ。
その後、志丈が飯島家に立ち寄り、お露とお米の死去を聞いたので、取り敢えず新三郎に知らせに来たというわけ。
ナルホド、これで納得!
このように小満んの演出は二人の馴れ初めの場面を丁寧に描いていた。今まで聴いた『御札はがし』の、これがベスト。
嗚呼、思い出すなぁ、初めてオレが女性の手を握った時の感激を。あの頃のオレはいったいどこへ行っちまったんだろう。

3席目『寝床』
このネタ、大きく分けるとこうなると思う。
・8代目文楽タイプ
・志ん生タイプ
・文楽+志ん生の志ん朝タイプ
・上方の枝雀タイプ(上方落語の四天王は誰もこのネタをかけていないそうだ)
・近ごろ見られる志ん朝+枝雀タイプ
ザックリと見れば、下へ行くほど話としては面白くなる。
しかしアタシは、この噺は一種の心理劇だと理解している。
先ず、ここの大店の旦那が自分の好きな義太夫を皆さんに聴かせ楽しんで貰おうという昂揚感からスタート。次々と欠席がしらされて旦那は落胆していく。欠席の理由が自分の義太夫を聴きたくないから嘘を付いていると気付き旦那の怒りが爆発。間に入った奉公人の機転で旦那の怒りは和らぎ、やがて再び旦那の気分が昂揚する。しかし皆が義太夫を聴かずに寝入っていることに気付き、再び怒る。だが定吉だけが泣いているのを見て、旦那は理解してくれる人がいたことで安堵する。そうではないと分かり、再び落胆する(ここはサゲの後になるので、噺の中では出て来ないが)。
こうした旦那の気持ちの起伏に焦点を当てるなら、アタシは文楽が一番だと思う。
小満んの高座で、その事を再確認できた。
まるで駄々っ子みたいだが、この主人公には大店の主人としての品格が必要だ。特に最大の見せ場である奉公人の説得により、怒りで部屋にこもってしまった旦那が次第にほぐれてゆき、最後に「みんなも好きだねぇ」と破顔一笑するシーンは最高で、いまこの演技が出来るのは小満んしかいないとさえ思ってしまう。
黒門町が蘇った思いだ。

この会に来た方は幸せだ。
来られなかった方は残念でした。

2014/09/26

「対テロ戦争」がテロを増殖させている

【日本軍の一将校は、あれだけ討伐しても、まだ過激派は少しも減らない、といって驚いていたが、過激派は討伐すれば減ると思うのは、とんでもない間違いである。減るどころか、かえって増加する。飢餓に脅かされれば、過激派でなかった平和な農民まで過激派にならざるを得ない。】
以上は、現在の国際情勢のことではない。1917年にロシア革命が起きると、翌1918年からこれに干渉するため、日・米・英・加・伊など各国がシベリア出兵を行った。なかでも日本は7万3000人の兵力を投入し、数千人の死者を出して最終的に撤退した。日本軍の役割はロシア東部でのパルチザンの掃討であった。
冒頭の文章は、その時の日本軍の苦戦の模様を書きしるした「山内封介『シベリア秘史』」からの引用だ。

では、なぜこうした結果になったのか。
以下、ウィキペディアより関係資料を引用する。
1919年2月中旬に、歩兵第十二旅団長山田四郎少将は「師団長の指令に基き」次のような通告を発している。
【第一、日本軍及び露人に敵対する過激派軍は付近各所に散在せるが日本軍にては彼等が時には我が兵を傷け時には良民を装い変幻常なきを以て其実質を判別するに由なきに依り今後村落中の人民にして猥りに日露軍兵に敵対するものあるときは日露軍は容赦なく該村人民の過激派軍に加担するものと認め其村落を焼棄すべし】
ここでいう「露人」とは、ロシア反政府軍をさす。つまり村人といえども敵対勢力に加担したとみなせば、容赦なく村を焼き払えという命令を下したのだ。
また1919年3月22日には、アムール州中部地方第12師団歩兵第12旅団(師団長大井成元中将)がイワノフカ村「過激派大討伐」を敢行した。通称「イワノフカ事件」と呼ばれている。
ウラジヴォストーク派遣軍政務部が、事件後村民に対して行なった聞き取り調査にもとづく報告書の一節にはこう書かれている。
【本村が日本軍に包囲されたのは三月二十二日午前十時である。其日村民は平和に家業を仕て居た。初め西北方に銃声が聞へ次で砲弾が村へ落ち始めた。凡そ二時間程の間に約二百発の砲弾が飛来して五、六軒の農家が焼けた。村民は驚き恐れて四方に逃亡するものあり地下室に隠るるもあった。間もなく日本兵と『コサック』兵とが現れ枯草を軒下に積み石油を注ぎ放火し始めた。女子供は恐れ戦き泣き叫んだ。彼等の或る者は一時気絶し発狂した。男子は多く殺され或は捕へられ或者等は一列に並べられて一斉射撃の下に斃れた。絶命せざるもの等は一々銃剣で刺し殺された。最も惨酷なるは十五名の村民が一棟の物置小屋に押し込められ外から火を放たれて生きながら焼け死んだことである。殺された者が当村に籍ある者のみで二百十六名、籍の無い者も多数殺された。焼けた家が百三十戸、穀物農具家財の焼失無数である。此の損害総計七百五十万留(ルーブル)に達して居る。孤児が約五百名老人のみ生き残って扶養者の無い者が八戸其他現在生活に窮して居る家族は多数である。】
ここでいう「コサック兵」はロシア反政府軍をさす。
こうした蛮行により村民の大部分は極度に日本軍を恨み、パルチザン軍13個中隊を編成する結果となった。

9・11事件を契機としてアメリカは「対テロ戦争」を宣言し、西アジア各国で戦闘を行ってきた。
アフガニスタンではタリバンをやっつけ、イラクではフセイン大統領を処刑し、アルカイダのビン・ラディンも殺害した。
アメリカはテロリストを皆殺しにさえすればテロは無くなると、そう単純に信じていた。
もうこれからは安心だ、の筈だったが、米国のいうテロ組織はむしろ他の国々へ拡散・増殖を続けている。
なぜだろう?
アフガン戦争、イラク戦争とも、過激派掃討作戦により多くの一般市民も犠牲になった。そうした恨みが新たなテロ組織を生んでいる。
米国の作戦は、日本軍のシベリア出兵の轍を踏んでいるしか思えない。

9月23日より米軍などは、シリア領内のイスラム過激派組織「イスラム国」に対する空爆を開始した。
報道によれば「イスラム国」には、米・英・仏・独・豪など合計80ヶ国、1万5000人の外国人が参加しているとのことだ。アメリカ人の中にはイラク戦争に参加した元兵士もいると見られている。
各国首脳はテロ組織を非難するだけでなく、なぜ自国の若者たちがそうした組織に自ら加わったのか、それこそ自省せねばなるまい。

かつてイギリス外務大臣デイヴィッド・ミリバンドは、2009年1月15日付ガーディアンに論文を投稿、この中で「“対テロ戦争”なる定義は誤りだった、却って諸勢力を団結させる事に繋がった」と述べた。
現状は、まさにその通りとなった。

2014/09/24

#65扇辰・喬太郎の会(2014/9/21)

第65回『扇辰・喬太郎の会』
日時:2014年9月21日(日)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・入船亭辰のこ『子ほめ』
入船亭扇辰『茄子娘』
柳家喬太郎『猫の災難』*ネタ下ろし
~仲入り~
柳家喬太郎『短命』
入船亭扇辰『御神酒徳利』*ネタ下ろし

この二人会の65回という回数には感心する。ブログを始めて10年間、この間に数々の二人会に出向いてきて、内容的にも充実した会がいくつもあったが殆んど中断してしまった。二人会というのは相手があることなので継続するのは難しいんだろう。この会は二人が二ツ目時代から続いているそうで、よほど主催者がしっかりしているのか、二人が気が合いかつ努力しているのか。ここまで来たら是非100回を目指して欲しい。もっともこっちの寿命が持たないから見届けることは出来ないけど。

この日の前座・辰のこは以前は辰まきという名だったが、全国で竜巻被害が発生していることから改名したそうだ。前座の改名というのは珍しい。
真打になれば誰でも弟子を取れる。見ていると取る人は、だいたい真打昇進後10年前後で最初の弟子を取るケースが多いように見受ける。最後の弟子はというと、概ね60代前半としているようだ。これはいま入門から真打まで約15年かかる。弟子の真打披露には現役でいたい。そうなると逆算すれば自ずから師匠の年齢は決まってくるわけだ。
真打によってはサッカーチームが出来るほど弟子を取る人もいれば、少数の人、あるいは全く弟子を取らない人もいる。人気落語家の中には弟子を運転手や付き人にしている例があり、まるで無給の雇用人扱いだ。
弟子を取らない人にも二つのタイプがあり、一つは入門希望者がなく弟子が取れないというケースが考えられる。取らないんじゃなく取れない。もう一つは弟子のなり手がいるにもかかわらず、本人の意志で弟子を取らないタイプだ。有名なのは芸協の大看板である三笑亭笑三がいる。後者の人は、どういう理由で弟子を取らないのかは興味を惹かれる。

この会は2席のうち1席はネタおろしという趣向なので、先ずはそれ以外の高座から。
扇辰『茄子娘』は、軽いネタだが秋の季節感に因んだもの。
喬太郎『短命』、このネタは隠居の暗示に、どの段階で短命の理由に気付くかが演者の腕の見せどころだ。喬太郎は飯を茶碗によそって手渡す時に指と指が触れお互いが顔を見合わせる段階としていた。「そりゃ、飯なんぞ食ってる場合じゃないよね」と、ここで短命のわけを察する。これだと最後のオチに素直につながるので自然だ。

次はネタおろしの2席。
喬太郎『猫の災難』、大師匠の十八番で、誰しもこれを超えるのは極めて難しい。
この主人公の男Aだが、隣のお上さんから貰った鯛の頭と尻尾を、鯛丸々一匹と勘違いした男Bに酒を買いに行かせ、留守に隣の猫が鯛をくわえていったといいくるめる。Bが鯛を買いに行ってる間にAはBの買ってきた酒を全て飲んでしまう。戻って来たBに、Aは隣の猫が酒瓶を蹴飛ばして酒を全部こぼしてしまったとウソをつく。
これだけ見ると、Aはいかにも悪い奴だと思うのだが、5代目小さんの演出ではこれが妙に憎めない男として描かれている。
喬太郎の演出は二人の違いをさらに際立たせ、Aは大の酒好きだが肴は不要で、塩をなめたって5合ぐらい呑めるというタイプとした、対するBは酒はせいぜい1合程度しか呑めず、その代り肴に凝るタイプとしていた。つまりBが酒の肴にこだわるが、Bは酒さえありゃ後は要らないのだ。要は酒のみのタイプが異なるのであって、Aの行為だけを責めるわけにはいかない。
男Aはむしろ愛すべき人物として喬太郎は描いていた。
ネタおろしとしてはよく出来た高座だったと思う。

扇辰『御神酒徳利』
このネタは大きく二通りあり、一つは圓生や3代目三木助が演じた型、もう一つは小さんが代々受け継いでいる上方落語『占い八百屋』から移した型だ。後者は今でも市馬ら小さんの弟子が高座にかけている。
扇辰の師匠・扇橋は最初は3代目三木助に入門し、後に5代目小さん門下に移った人なので、扇辰がどちらの型で演じるか興味があったが、マクラを含めて圓生・三木助タイプだった。
扇辰らしい丁寧な高座で完成度も高かったが、冗長な感が否めない。このネタを圓生は40分位で演じ、三木助はもうちょっと短かったように記憶している。

この会に限らず、近ごろの落語は時間をかけ過ぎる。
名人文楽の例でいえば『富久』や『船徳』は26分、『愛宕山』は20分で演じている。内容が同じなら時間は短い方がいい。
下手な前座、つまらないマクラ、間延びしたネタは苦痛でしかない。
寄席以外の各種落語会の公演時間は、できれば2時間、長くても2時間半以下に抑えて欲しい。
だって、コチトラは老い先が短いんだもん。

2014/09/23

『まいどおおきに露の新治です』(2014/9/21)

第4回『まいどおおきに露の新治です』
日時:2014年9月21日(日)14時
会場:内幸町ホール
<  番組  >
前座・柳家さん坊『初天神』
露の新治『大丸屋騒動』*ネタ出し
~仲入り~
露の新治『くやみ』
柳家さん弥『道具屋』
露の新治『まめだ』

露の新治という名前を東京の落語ファンに知れわったのは、恐らく2012年の鈴本演芸場で中トリで登場した時からではなかろうか。協会員でもないし、さほど有名でもない人をいきなり中トリとして10日間高座に上げるのは相当な冒険だったと思われが、これが成功した。その陰にはさん喬の努力があったものと推測される。以後、露の新治は寄席や落語会、独演会を東京で開催し好評を博している。
上方の噺家が全て東京で受け容れられるわけではない。聴いていても、上手いけど東京には合わないなと感じる人もいる。
私見だが、露の新治の魅力は「ほどの良さ」だと思う。もちろんご本人としては様々な工夫を凝らして高座に上がっているんだろうが、聴き手からすると「ほどが良い」のだ。ソフトな語り口と併せて、彼が東京のファンに人気が高い理由はそこにあるのではというのが、アタシの見立てだ。

新治の1席目『大丸屋騒動』
あらすじは以前に書いた「三田落語会」の記事を参照願う。
前回には聞きもらしたか、気が付かなかったことで印象に残ったことがいくつかあったので、紹介する。
一つは、マクラで師匠の川柳について語っていた。内容は下記のご本人が書かれた文章通りだたので、引用させて頂く。
「師匠五郎兵衛の川柳句集に、「盛り塩が ひざをくずして夜がふける」の一句があります。
大阪の今里新地で育った私は、かろうじて「盛り塩がくずれる」のを見ています。
私が子供の頃、お茶屋、見番の前には必ず盛り塩がありました。
昔のお塩は精製せずニガリが入っていたので、空気中の水分を吸って次第に溶けてゆくのです(今のお塩では、いつまでたっても溶けません)。それで最初は尖っていた盛り塩の先が丸くなり、やがてどろっとくずれるのです。
夕方に盛った塩が夜更けになるとくずれています。
この形を「ひざをくずして」と表した師匠に感動します。
芸者さんが、ひざをくずして横座りになっている姿が浮かびます。色街の夜更けのなまめかしさ、艶やかさが見事に出ています。」

そんな艶めかしい世界が一転して妖刀村正のために修羅場と化すところは、歌舞伎の『伊勢音頭恋寝刃(油屋騒動)』や『籠釣瓶花街酔醒』を思わせる。いずれも実際の事件を題材にしているところも共通点だ。
もう一つは、番頭が若旦那の宗三郎に京都の町を指で示しながら名所を案内する場面で、三条大橋を中心に鴨川の東西と南北のガイドになっている、京都の地図を頭に描きながら聞き入ってしまった。

ミスを一つ。別居させられた宗三郎が兄から借りた村正をそのまま持ち出し、新たな家の床の間に飾っていたという説明を抜かしていたこと。後半の伏線になるところで大事なことなので割愛できない。
全体としては下座との息もピッタリ合い、祇園の風情も出ていて、良い出来だった。人間的に未熟な宗三郎が約束を破って好きな人に逢いにゆく、諭されると次第に狂っていく様子が丁寧に描かれ、芝居噺風の所作もキレイで見応えがあった。

新治の2席目『くやみ』
元は『胡椒の悔やみ』の一部を独立させたもので、桂枝雀が得意としていたが、解説によると笑福亭松之助から伝えられたとある。
葬礼の持つある種の滑稽さを描いたもので、最初に来た男はただ首を振りぶつぶつ言うだけで、さっぱり分からない。次の割木屋は悔やみはそっちのけで自分の店の商品の宣伝をするばかり。
次の女衆はんのは定型文の隙のない悔やみ。若くて美しい人らしく、受けつけの男たちが胸をときめかす。
最後に登場したのが、てったいの又さん。当初は亡くなった隠居の思い出話しで座をしんみりさせるが、次第に女房との馴れ初めから「のろけ」満開。この男、結婚20年以上経つのに、未だに女房を心から愛し、どれだけ夫婦仲が良いのかを披露する。
とりわけ行水を二人で入って、片側の背中に石鹸をつけて二人で背中合わせ。一人が立つともう片方が座る、これを繰り返しているうちに二人の背中が洗えるという仕組み。「しゅしゅしゅのしゅー」で、去年だけでたらいの底を5枚抜かしてしまった。
年齢的には又さんは40代半ばか。この年で夫婦で行水というのは珍しいでしょうね。まして「しゅしゅしゅのしゅー」は極めて稀だろうし、聴いてる方がオカシクなるのは止むをえまい。
新治の高座は枝雀ほど突き抜けたものではなかったが、場内は大受け。

新治の3席目『まめだ』
「まめだ」とは関西における妖怪・豆狸の呼び名で、子ダヌキの意味もある。
三田純市作の新作落語で、1966年に桂米朝のために書き下ろしたとある。
歌舞伎役者の市川右三郎は膏薬屋「本家びっくり膏」の息子で、大部屋の役者ながらトンボ返りの猛練習の甲斐あって、いい役がつくようになっていた。
右三郎は、ある雨の夜に傘をさして帰宅する途中、傘が急に重くなった。傘をつぼめてみるが、何もない。「こら『まめだ』のせいやな。ようし、ひとつ懲らしめたれ」と傘を差したままでトンボを切ってみせると、何かが地面にたたきつけられて悲鳴が聞こえ、黒い犬のようなものが逃げて行った。
それからしばらくして、右三郎は自宅の店で母から、どうも勘定が合わないと告げられる。毎日、金庫の金が1銭足りず、その代り銀杏の葉が1枚入ってるという。同時期に陰気な丁稚が膏薬を買いに来ていて、どうやらその後に銀杏の葉がみつかるようだ。
処がある日を境にその丁稚が来なくなり、勘定も合うようになる。
ある朝、右三郎が芝居小屋に出かけようとすると人だかりがしている。近寄ってみると、体一杯に貝殻つけた「まめだ」が死んでいた。それで思い当たったのが、あのトンボを切った雨の夜に「まめだ」が強く体を痛めたために、丁稚の姿に化けて銀杏の葉を金に変えて膏薬を買いに来ていたことを悟る。
膏薬は紙か布に薄くのばして体に貼らないと効かないのだが、「まめだ」は知らずに容器の貝殻を付けたまま体に貼っていたので効果が無かったのだ。
右三郎と母親はいたく同情し、簡単な葬儀を取り計らう。住職が読経を始めると、突如、秋風が吹いて銀杏の落ち葉が「まめだ」の死骸の上に集まり、山ができた。
「あ、お母はん見てみ。タヌキの仲間から仰山(ぎょうさん)、香典が届いたがな」
秋の季節感あふれるネタで、新治はこういう民話風の噺も上手い。
人情噺、滑稽噺、民話風の新作という趣きの異なった3作品を演じ切った新治、観客の反応も良好だったようだ。仲入りでは次回公演のチケットを買う人の長い列が出来ていた。

ゲストのさん弥『道具屋』に一言、来春真打に昇進とのことだが、この日の高座を見る限りでは到底そのレベルにあらず。

2014/09/22

「露の新治」「扇辰・喬太郎」落語会の番組紹介

昨日、下記2本の落語会に行ってきました。両会場とも満席で、特に新治の会では補助席が出てました。
時間が取れず記事のアップが遅れますので、取り敢えず番組だけ紹介しておきます。

第4回『まいどおおきに露の新治です』
日時:2014年9月21日(日)14時
会場:内幸町ホール
<  番組  >
前座・柳家さん坊『初天神』
露の新治『大丸屋騒動』*ネタ出し
~仲入り~
露の新治『くやみ』
柳家さん弥『道具屋』
露の新治『まめだ』

第65回『扇辰・喬太郎の会』
日時:2014年9月21日(日)18時30分
会場:国立演芸場
<  番組  >
前座・入船亭辰のこ『子ほめ』
入船亭扇辰『茄子娘』
柳家喬太郎『猫の災難』*ネタ下ろし
~仲入り~
柳家喬太郎『短命』
入船亭扇辰『御神酒徳利』*ネタ下ろし

2014/09/21

【街角で出会った美女】セルビア編(1)

第二次世界大戦後の国際政治をザックリみると、アメリカとロシア(旧ソ連)との覇権争いの歴史であるといえましょう。分かりやすい例えでいうなら、オセロの石で白が米国、黒といいたいところですが赤をロシアにします。大戦直後は赤石が優勢で、東ヨーロッパから中央アジア、東アジアの国々が次々と赤石に代わりました。カリブ海にも赤石が一つ。
しかし1980年代の終わりごろから潮目が変わり、本家のソ連自体が体制崩壊し、色も赤からピンクがかってきます。同時に東欧諸国が雪崩をうつように白石に変わり、ロシア周辺でも赤石はほんの僅かとなりました。
ソ連を盟主とした軍事同盟のワルシャワ条約機構が崩壊し、今や欧州を制覇したのはアメリカを盟主とするNATO、北大西洋条約機構です。以前は加盟国の紛争のみに介入していたNATOですが、現在は加盟国以外の国や地域の紛争についても積極的に介入しています。目的はもちろん白石を増やすためです。
その影響をモロに受けたのが旧ユーゴスラビア諸国で、分裂した国で起きたボスニア紛争、コソボ紛争にNATOが介入し、その結果ロシアの影響力の強かったセルビアが悪者にされ空爆を受けました。西側の宣伝戦が功を奏したわけです。
かつては赤石だった旧ユーゴですが、今は全て白石に変わりました。
こうした成功例の上にたって、中国の封じ込めを狙ってNATOに日本とオーストラリアを加えようとする動きがあります。これに呼応するように安倍首相はNATOとの結びつきを強めています。
しかし、軍事同盟であるNATOに日本が参加することは憲法上の制約があります。そこで先ずは解釈を変更し集団的自衛権の行使に踏み出しました。
次の安倍政権の狙いは9条を改正し国軍を設立するにあると見ています。
防衛、自衛の名の下に、我が国はますます米国の戦略に組み込まれてつつあります。
山崎拓(自民党幹事長、防衛庁長官など歴任)の次の警鐘が現実味をおびて来ています。
「ある意味、米国は、老いぼれた警察官です。まだまだ世界の警察官として振る舞いたい気持ちはあるが、一方で国力低下、軍事費削減で中国から足元を見られている。そこで、この際日本の自衛隊を使おうと。老いぼれた警察官だから、連れて歩く警察犬が必要なんです。日本の自衛隊は警察犬になろうとしている。それに安倍は気づいていない。」

さて、セルビアでの旅でシャルガンエイト鉄道で出会った女子中学生を紹介します。
恐らく彼女たちにとって初めて見る日本人だったのでしょう。何となく仲良くなってお互いに写真を撮り合いました。美女揃いでツアーのオジサンたちは大喜び。6ヶ国をめぐる旅の最後の訪問国となったセルビアですが、男性陣はこれですっかり疲れが取れたようです。

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2014/09/19

『火のようにさみしい姉がいて』(2014/9/18)

シス・カンパニー公演『火のようにさみしい姉がいて』
日時:2014年9月18日(木)14時
会場:Bunkamura シアターコクーン

作:清水邦夫 
演出:蜷川幸雄 
<  キャスト  >
段田安則:男優
宮沢りえ:妻
大竹しのぶ:床屋の女
山崎一 :みおたらし
平岳大 :スキー帽の男 
満島真之介:青年 
西尾まり:床屋の見習い 
中山祐一朗:ゆ
市川夏江:しんでん
立石涼子:べにや 
新橋耐子:さんざいみさ
ほか

本作品は、劇作家・清水邦夫が自作を上演するために主宰していた「木冬社」で、
初演(1978年):岸田今日子、松本典子、山崎努
再演(1996年):松本典子、樫山文枝、蟹江敬三 
という顔合わせで上演されたそうで、今回は16年ぶりの再々演ということになる。
清水邦夫の作品も、蜷川幸雄の演出も私には初めてで興味を惹かれた。 

物語は、
シェークスピア劇「オセロ」の楽屋で、主人公を演じる男とその妻が登場する。二人は俳優同志だが、妻は結婚を機に引退している。男は俳優として行き詰っていて、妻は妊娠しているという妄想にかられている。
転地療法のために男の故郷である寒村を訪れ、バス停の場所をたずねに一軒の床屋に立ち寄る。留守のようなので妻はトイレを借りに行き、その間に男は「オセロ」の演技をしているうちに店のコップを割ってしまう。
そこへ主人とおぼしき女が客と数名の老婆らと共に現れる。村人たちは男の子ども時代を知っているらしく、口々にエピソードを語り始める。
しかし男には全く身に覚えがない。男と村人との間に諍いが起き、双方が怪我をしてしまう。
戻ってきた妻は驚き、男の姉と弟を呼ぶように村人に頼む。
やがて弟が現れ男を懐かしむが、男は弟として認めずニセモノ呼ばわりして追い返す。
次に現れた姉と称する女が、実は床屋の女主人だった。女は男の過去を語りだすが、男は頑強に否定し姉もニセモノだと言う。すると女は男と妻の間の現状についても話し始めるが、妻からすればそれは確かに事実。
そこからは男-妻-女の間で激しい応酬が展開する。
虚構と現実のパラレルワールド。
いつしか男と妻は、芝居の「オセロ」の世界に入り込み・・・。

舞台では鏡が効果的に使われ、楽屋の鏡の向こうに男の故郷の床屋が映ったり、故郷の床屋の鏡に楽屋の姿が映し出されたり、男の子どもの頃の見世物小屋の鏡が登場したりという趣向が凝らされている。

難解なストーリーで、作者がいわんとしている事が掴みにくい。
終幕で学生デモの音声が流されるのと、この劇の初演が1978年であることを考えあわせると、どうやら学生運動の挫折をテーマにしているようだ。
故郷を捨てて運動に身を投じ、行き詰って故郷に戻るが受け容れられず、強烈なしっぺ返しを食うという。
ちょっと飛躍し過ぎかな。
門外漢として事態を冷静に見ていた男の妻も、このシガラミから抜けられなかった。

宮沢りえの舞台を数年ぶりに観たが、上手くなった。もはや舞台女優としての位置を獲得したようで、この芝居も彼女の芝居と言っても良い。ただ痩せすぎのように見え、もう少し体重を増やした方が舞台栄えすると思うのだが。これは私の好みの問題かな。
段田安則は熱演だったが、この役のイメージからは離れているように感じた。
大竹しのぶは抑えた演技で、敢えて彼女でなくともと思われるキャスティングだ。
脇の男優陣と老婆たちは揃って好演。

公演は30日まで。

2014/09/17

「白酒・兼好 二人会」(2014/9/16)

道楽亭出張寄席「桃月庵白酒・三遊亭兼好二人会『あんにゃもんにゃ』」
日時:2014年9月16日(火)19時
会場:新宿文化センター 小ホール
<  番組  >
前座・桃月庵はまぐり『道灌』
三遊亭兼好『近日息子』
桃月庵白酒『家見舞い(肥甕)』
~仲入り~
桃月庵白酒『花筏』
三遊亭兼好『三方一両損』

15日に近くのスーパーに買い物に行ったら店員が近づいてきて、いきなり「本日は65歳以上の方は5%引きです」と言って割引券を渡された。ムッとしましたね。よっぽど断ろうかと思ったがもったいないので受け取ってレジで5%引いて貰ったけど、なんで見ただけで65歳以上って分かるんだ。タニタ社のヘルスメーターでの表示は53歳なんだけどな。
昔から年寄りは嫌いなのだが、いまじゃ自分が年寄りになってしまった。
町内会から老人クラブへの勧誘がきたが、断った。「青年部なら入りますよ」と。
会場の新宿文化センター小ホールは足弁は悪いし、床がフラットなので後方の席だと見えにくく、あまり良い小屋じゃない。

はまぐり『道灌』、香盤に名前がないから未だ見習いかな。口調がはっきりしていて聴きやすい。前座ラインクリアーか。

兼好『近日息子』、このネタ、3代目三木助の十八番で好きな噺だが、東京では手掛ける人が少ない。
親父が息子に、人様の先へ先へと気を利かせろと説教する。親父がちょいと頭が痛くなってきたと言うと、気を利かせた息子は直ぐに医者をよび、次いで葬儀屋、そして坊主が次々と親父の元へやって来る。しまいには長屋の連中までが入れ替わり立ち代わり悔みに来る始末。
「あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、玄関にゃ忌中札まで出てましたもんで」
親父が息子を怒鳴りつけると、
「よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」
聴かせどころは集まった長屋の連中が、ゆうんべ一緒にソバを喰ったのにとか、今朝湯で出会たばかりなのにと言うと、
「ゆうべソバを喰ったり、今朝湯に入ると、死なねぇのかい?」
「死ねないって理屈はないけどねえ」
と言った会話を交わす場面と、交代で悔みを言いに行くと本人がいて驚く場面だ。
こうした三木助の型をベースにして、兼好は上方流に、何でも知ったかぶりをするが全て言葉を間違える男を登場させ、もう一人が間違いを正すと「そうそう、その〇〇その〇〇」と混ぜ返す場面を加えて、笑いを取っていた。
兼好は持ち前の軽快なテンポを活かして好演。

白酒『家見舞い』、マクラで紙切りの二楽の結婚式の模様を披露。落語家を式に招くと大変なことになるようで、主賓から始まって挨拶は全て下ネタ。花嫁に抱き付く人まで現れたとか。
白酒は通常の演出と変えていて、最初から水がめを買いに行くのではなく、古道具屋で交渉中に水がめにすることになり、金が無いので店の奥にあった肥甕を買って帰るという風にしていた。
男の一人がこの古道具屋とは知り合いという設定で(いつもは売りに来る)、二人の掛け合いが楽しい。
新所帯の兄いの家に上がってからは通常の型で、サゲもオーソドックス。
何を演らしても上手い白酒だが、仲入り前の高座としては物足りなさも感じた。

白酒『花筏』、大関の花筏の身代りになった提灯屋、病気で土俵に上がれないという触れ込みだったのに、宿に変えれば大酒と大食、おまけに毎晩女中部屋に夜這いをかけるという有り様。なんだ、花筏が元気じゃないか。それなら千秋楽の結びには相撲を取ってくれということになる。身から出た錆。
一方、素人相撲ながら初日から勝ちっぱなしの千鳥ケ浜、いよいよ明日は待望の大関との一番と胸を膨らませるが、父親から千秋楽は遺恨相撲になりお前は土俵で投げ殺されてしまうと諭され、いったんは土俵に上がるのを断念する。この場面は、もう少し親子の情愛が出ると良かった。
前の晩に親方から、軍配が返ったら直ぐにつっかけて、指先が相手に触ったと思ったら後ろにひっくり返れと教えられた提灯屋。その通りにしようと思ったら相手が立ち遅れて、張り手のような形で千鳥ケ浜の方がしっくり返ってしまう。
「さすがは大関、張りが上手い」
「上手い筈だよ、提灯屋だ」
千秋楽の結びなのに呼び出しが西から呼んでいたり、呼び出しの扇子の方向が東西逆だったりと、粗さがあったのは残念。相撲ネタはこうした細かな点が大事。
このネタは8代目柳枝の名演が頭にあるので、どうも点が辛くなる。

兼好『三方一両損』、マクラで消しゴムに白と黒があり、自分は白い方で大方はいい人だが稀に悪いことをするとそれが目立ち損をしている。そこいくと黒い消しゴムは汚れが目立たない。普段悪くても稀に良いことをすると褒められるから得だと。それで今日は白酒との二人会。
どうなんだろう、噺家なんてぇものは人間が悪い方が大成するんじゃなかろうか。もっとも性格も悪けりゃ芸もダメっていうのは最低だけど。
左官の金太郎、道で書きつけと印形と三両入った財布を拾ったので、持ち主の大工の熊五郎宅に届ける。ところが熊は迷惑顔で礼も言わず、三両を突っ返したが受け取らない金太郎に殴りかかる始末。この長屋の大家が止めに入って、熊を懲らしめるために町奉行に訴え出るという大岡裁きの一席。
兼好の高座は前半までは快調だったが、後半にダレテしまった。先ず熊が大家に言う啖呵に切れがない。ここが颯爽としないと後半に続かない。金太郎が自分の長屋の大家に熊の啖呵を再現する場面をカットしたのは肯けない。ここは聴かせどころだから割愛してはいけない。
大岡越前守のセリフがもたつき、およそ奉行らしからぬ言葉使いも散見された。それと大岡政談なんだから、もっと奉行に威厳がなくちゃいけない。
仕上がりが今ひとつの高座だった。

2014/09/15

宗教法人に課税を

日々、新聞を見ていて気付くのは宗教団体(宗教法人とその関連団体)の広告が多いことだ。それも5段抜きの大きなスペースをとったものが大半で、なかには全面広告というケースもある。
この不景気に宗教団体だけは景気がいいなぁと思われた方もおいでだろう。「やっぱり税金払ってないからな」と。
印象だけではない。ある調査によれば主要全国紙4紙に掲載された広告だけで、今年の5月6月の2か月間だけで創価学会関連が19回、幸福の科学出版が19回、ワールドメイト関連が26回とのこと。これに地方紙などを加えたら膨大な数に達するのだろう。各団体が新聞社に払っている広告代は年間で数億円になると推定されている。この中でワールドメイト関連というのがピンとこないかも知れないが、近ごろ「進撃の阪神 ロックコンサート」「ネアカ・スピリチュアル本」といった派手は広告を目にすると思うが、あの団体だ。
こうした広告は単に宗教の宣伝という意味より、新聞社に広告代を支払っていることに意味があるようだ。要はマスコミ対策ということ。

日本国憲法 第30条は、納税の義務を規定している。
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」
法律によって個人は所得税を、法人は法人税を納入せなばならない。違いは個人の場合は家計が赤字だろうが所得に応じて課税されるが、法人は利益に対して課税される。この他に間接税の消費税があり、消費に応じてこれは誰もが等しく徴税されている。
法人の中でも公益性の高い公益法人には様々な優遇措置がとられ、税率が低減されている。
とりわけ宗教法人だけは特別な優遇措置がとられている。主なものは以下の通り。
・宗教活動(非収益活動)や公益活動、金融活動からの収益の非課税
・収益活動への軽減税率の適用
・宗教施設の固定資産税、不動産取得税、都市計画税の免除
私たちから見ると、まさに至れり尽くせりだ。
このうち、宗教活動の中の非収益と収益活動の線引きがアイマイで、脱税の温床となっている。
宗教法人の従業員が受け取る給料については非課税措置がなく、法人が所得から天引きすることになっている。
処が、この源泉所得税について国税が査察を行った結果、ここ3年間で対象となった約700法人のうち8割に徴収漏れが見つかっている。これはもはやウッカリミスを通り越した悪質な所得隠しだ。
こうして得た金で派手な遊興費や風俗通いに消費されているケースがあるのは周知の通りだ。

私見だが、宗教法人に対する優遇措置は「性善説」に基づくものと思われる。私たちへの徴税は一般に「性悪説」が前提だ。
現に悪いことをする宗教団体がある以上、宗教法人に対しても「性悪説」で臨むべきかも知れない。
当たり前のことだが、法人税は利益に課税されるので利益の出ない法人には無関係だ。

宗教法人への課税で常に問題となるのは、信教の自由への侵害という声だ。
しかし、信教の自由と宗教法人に課税することとは全く別問題である。新聞社やTV局に課税したら言論の自由を侵害するのだろうか。そう考えれば分かることだ。

宗教法人への優遇措置の見直しについては、過去にも何度か検討されてきたが、実現に至らなかった。その最大の原因は政治家と宗教団体との密接な関係だ。
自民党や公明党を中心に殆んどの政治家が特定の宗教団体となんらかのつながりを持っている。具体的には票とカネだ。選挙ともなれば関係する宗教団体は票田となり、宗教団体から政治家へは献金が行われている(一説によればカネが渡ってないのは共産党だけという)。彼らにとってはこれほど有り難い存在はない。だから宗教法人への課税が課題に上がっても、常に潰されてきたのだ。
加えて、冒頭にあげたマスコミへの広告料に垂れ流しにより、マスコミもこの件については腰が引けている。
つまり宗教法人-政治家-マスコミの鉄のトライアングルが阻んできたわけだ。

いま日本は財政難で、増税案件が目白押しだ。その一方、宗教法人の優遇措置の見直しだけで数兆円の税収が見込めるという試算もある。
儲かっている宗教法人への適切な課税を急ぐべきだ。
今年4月には政府税制調査会が公益法人への課税強化を検討し始めた。本丸は宗教法人だが、政界関係者によれば安倍首相はヤル気がないそうだ。
安倍政権は法人税減税を進める一方、消費税の値上げを図っている。税制面でも「弱きをくじき強きを助け」る政策を採っている。
宗教法人への課税は、この悪評を排せるかどうかの試金石となろう。

2014/09/14

「江戸しぐさ」はトンデモ学説

落語家の柳家小三冶がマクラでこんなことを語っていた。
「なかにゃ落語を聞けば江戸が分かるなんて言ってる人がいますが、分かるわきゃないでしょ。演ってる本人が分からないんだから」。
続いて、江戸時代の町人たちがどんな言葉でしゃべっていたのかも分からない。資料がない。「東海道中膝栗毛」で弥次郎兵衛と北八の言葉に「~するベェ」という「ベェベェ言葉」が出てくるが、これが本当にそういう言葉を使っていたのか、それとも文章にしたからそうなったのか、何も分からない。ただ、江戸っ子らしい言葉ってぇものはある。江戸っ子ならこうあって欲しいという、そういうことでしゃべってるんで、あまり信用しないで欲しい。
そうでしょうね、だいいち当時の江戸で「江戸っ子」というものが存在していたのかさえ怪しい。あくまでイメージの世界であることを前提にして噺家は演じ、お客は聴く。そういう了解で成り立っている。
シャレだよ、シャレ。

ところが当時の資料や文献がないのをいいことに、「江戸しぐさ」なんてぇ学説を自分たちで開発し世間に広めている人たちがいるらしい。中身は決して悪いこっちゃないので広めるのは自由だが、近ごろそれが文科相検定教科書や文科相の道徳教育の教材に採用されているそうで、こうなると穏やかじゃない。間違ったことを子供たちに教えてもらっちゃ困る。
こうした問題を詳細に検討し明らかにしたのが、
「原田実(著)『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書 2014/8/25発刊)」
で、著者は偽史、偽書の専門家。

先ず「江戸しぐさ」とは、商人を中心とした江戸町民の行動哲学であり共生の智恵で、これが江戸時代の太平を支えたんだそうだ。ただ口伝で資料や実在の証拠などは一切残っていないとのこと。つまり根拠はない。
「江戸しぐさ」がそれほど大切なことなら、なぜ最近まで忘れ去られてきたのかというと、幕末に江戸に入った薩長の官軍が「江戸っ子狩り」という徹底した弾圧を行い、多くの江戸っ子が地方に逃れ「隠れ江戸っ子」になったというのだ。その際に江戸っ子たちは江戸の記録を薩長に渡すことを拒み、資料は全て焼き捨ててしまったから何も残されていないという。その後「隠れ江戸っ子」たちは戦争に狩り出され、帰ってこなかったから途絶えたんだと。
そんなわきゃねぇだろうが。この辺りがいかにもオカルト的で、眉唾ものですね。
処が、この「江戸しぐさ」は企業の社員研修や市民講座の教材として採用され、マスコミでもNHKを始め、朝日、讀賣、産経、毎日、日経などの全国紙や地方紙、その出版物になどでもとり上げられ、いずれも好意的な内容だった。まさに呉越同舟。
こりゃニセモノだと分かったら、各社共同会見を開き社長が謝罪しなくちゃ。

「江戸しぐさ」の中身で「傘かしげ」がある、そうゆやぁ当代の円楽がどこかでしゃべったのを聞いたことがある。傘をさしたまま道路ですれ違う時に、お互いの傘を外側に傾けて雨のしずくがかかるのを防ぐというものだ。
江戸時代には傘は貴重品で、庶民は笠と蓑が雨具であるのが一般的だった。傘は贅沢品だったのだ。だから傘をさした人同士が往来ですれ違う時のマナーなど不要だし、その場合も片方が道を譲ったり、傘をすぼめたりすれば解決できることだった。
「肩引き」というのは、すれ違う時に右肩を引いて互いの胸と胸を合わせる格好ですれ違うしぐさとある。では相手が男女だったらどうなのだろう。
そんな無理な恰好をしなくったって、いったん立ち止まり道を譲りあえば済むことだ。江戸時代なら身分や上下関係がはっきりしているので、この方が自然だろう。
「こぶし腰浮かせ」は、渡し船で後から来た乗客のために、先客が両方のこぶしをついて軽く腰を浮かせ幅を詰めるというもの。しかし当時の渡し船は人も馬の荷物も一緒で、乗客は船底にしゃごむようにして座る。渡し船には座席などなかった。底に畳を敷き座れるのは屋形船で、こちらは乗合船ではない。「こぶし腰浮かせ」は横長の座席がある現代の乗り物向けだ。
「三脱の教え」というのは、江戸時代は初対面の人に年齢、職業、地位を訊かないルールを指す。江戸時代は髪の形や服装で職業や地位が分かるので、わざわざ訊く必要がなかっただけだ。それだけ身分制度が徹底していた。
「時泥棒は十両の罪」というのが江戸時代にあったというのだが、初めて聞いた。江戸時代の大名の時計は1分刻みだったので、家来はもちろん、出入りの商人まで時間に厳密に行動することが求められた。突然、相手を訪問し相手の時間を勝手に奪うのは時泥棒とされ、死罪に値するとして厳しくいましめられたというもの。
大名が時計を持っていたという記録はあるようだが、江戸時代の複雑な不定時法に適用できるような物では無く、分刻みの精度も持っていない。むしろ装飾品として珍重されていたようだ。それに時間を厳密にするのは他の人たちも同様の時計を持っていなければならず、現実にはそういうことはなかった。
むしろ当時の日本の人たちは細かな時間にしばられず、ゆったりと暮らしていたようで、外国人の書いた文献などからもそう推量される。
「江戸しぐさ」にはこの他、当時食用ではなかったバナナやトマトが出てきたり、当時では有り得ない「禁煙」が出て来たりと、もう荒唐無稽としか言いようがない。
いずれも日本が近代化した明治以後のものだ。

以上、見てきたように現在の私たちが生活する上では有効なルールであり、これを普及するのは大いに結構だ。しかし有りもしない「江戸しぐさ」を持ち出して説くなら、それはニセモノだ。これを教材として使用するなど以ての外だが、育鵬社刊の教科書「中学の社会 みんなの公民」の中で実際の江戸時代の習慣として肯定的に記述されている。つまり、文科省の教科書検定というお墨付きを得たわけだ。
さらに文科省が配布した道徳教材には、「江戸しぐさ」が江戸時代に実在した商いの心得として明記されている。
著者は、こうした文科省の動きに強い警告を発している。

本書では「江戸しぐさ」の最初の提唱者である芝三光(しばみつあきら)の生涯にも触れて、彼が少年期は横浜で育ち、戦後はGHQに勤務していた経歴が「江戸しぐさ」の創作に影響を与えているという分析も行っている。
特にエセ科学や教育問題に関心がある方は、本書を読んでみて下さい。

2014/09/12

タカはナチを呼ぶ

「類は友を呼ぶ」という諺がピッタリの出来事があった。
因みにこの諺を補足すると、以下のようになる。
【意味】類は友を呼ぶとは、気の合う者や似通った者同士は、自然に寄り集まって仲間を作るものであるということ。
【類義】 牛は牛連れ、馬は馬連れ/同類相求む/似るを友/目の寄る所へ玉も寄る/同じ穴の貉(むじな)など。類は友を以て集まる/類は類を呼び友は友を呼ぶ/類をもって集まる
【英語】 Birds of a feather flock together.(同じ羽毛の鳥は群がる)

その出来事というのは、 安倍晋三首相による内閣改造で総務相に就任した高市早苗衆院議員と自民党三役のポストである政務調査会長となった稲田朋美衆院議員と、「ネオナチ」思想を掲げる活動家とのツーショットが海外メディアで大きく報じられた。
以下J-CASTの報道によれば、その活動家とは「国家社会主義日本労働者党」と名乗る政治団体代表の山田一成氏だ。2011年6~7月に自民党議員を議員会館にたずね、そこで会談したと団体のサイトには書かれていて、写真はこの時に撮影したものとみられる。
他にも自民党の西田昌司議員と一緒に収まったスナップショットも載っている。
山田代表の稲田議員と高市議員に対する評価は高く、サイトでは「将来自民党を背負って立つ」「愛国保守議員」と位置付けていた。
西田昌司議員について「ウィキペディア」にはこう書かれている。
【稲田朋美との信頼関係は厚く、各種シンポジウムや部会で行動を共にすることが多い。稲田は「自民党の中で頼りになるのは西田昌司くらいです」「味方がほしい時には西田昌司にメールして、すぐ来てと。来たら、彼が自説を言いますから」と述べている。】

「国家社会主義ドイツ労働者党」のサイトをのぞいてみたら、思ったよりマトモな団体のようだ。もちろん主張は私とは180度異なるが。
「ナチスのユダヤ人虐殺の否定」や「民族浄化を推進」といった過激なスローガンが掲げられているが、要は歴史修正主義的な主張であり、高市大臣らが所属する「日本会議」と根本思想においては相通ずるものがある。
違いといえば、ネオナチがいわゆる「サンフランシスコ体制」(講和条約と安保条約)を否定している点だが、これも「日本軍の侵略性と東京裁判の否定」という「日本会議」の文脈から反するとは思えない。
ネオナチ代表が高市、稲田議員らにシンパシーを抱いたのは当然といえる。
両者は互いに極右どうし、まさに「兄たり難く弟たり難し」の間柄のように見える。

欧州各国はネオナチへの嫌悪感が強く、この件は海外メディアの関心を集めた。
仏AFP通信は9月8日付記事で、「写真は、安倍首相が自分の周りを『右寄り』の政治家で固めているとの主張をますますあおる可能性がある」と論評。英ガーディアン紙電子版も2枚の写真を載せて、「(高市議員と稲田議員が)山田氏とネオナチ思想を共有しているとの証拠は何もないが、2人の(総務相と党政調会長への)任命で安倍政権の右傾化がますます進むとの批判が強まってきた」としている。

大方の人は高市総務大臣や稲田政務調査会長が、ネオナチ代表と一緒に写真に納まっていたと聞いても、そう驚かないだろう。二人の日頃の言動からして、「やっぱりね」という感想を抱いた方も少なくなかろう。
ネオナチとの関係について当人たちは真っ向から否定するだろうが、「火の無い所に煙は立たぬ」のだ。

2014/09/11

こまつ座「きらめく星座」(2014/9/10)

こまつ座第106回公演「きらめく星座」
日時:2014年9月10日(水)13時30分
会場:紀伊國屋サザンシアター

作:井上ひさし 
演出:栗山民也
<   キャスト   >
久保酎吉=レコード屋オデオン堂の主人 
秋山菜津子=その後妻、元歌手 
田代万里生=長男、脱走兵 
深谷美歩=長女、従軍看護婦を目指す 
山西惇=その夫、傷痍軍人
木場勝己=オデオン堂の下宿人、広告文案家(コピーライター) 
後藤浩明=  同上、音楽家を目指す(*劇中でのピアノ演奏を担当) 
木村靖司=憲兵伍長
峰崎亮介=防共護国団員/電報配達夫 
長谷川直紀= 同上  /魚屋店員

昨日朝、マンションの玄関に行ったら、集合ポストに産経新聞が入っていた。周りを見るとどうやら全戸に配布したもののようだ。そうか、産経もいよいよ正式の政府広報紙に認定されて、これからは無料で配ってくるのかと期待したが、今日は配布されていなかった所をみるとそうでもないらしい。
産経としては日々安倍政権ヨイショの記事を載せているのだから(産経com.の愛読(視)者です)、その位の恩恵はあっても良いのだろうが。
かつて中国の文革全盛期には、産経は文革の実態を報道する国内ただ一つの新聞として評価されていたが、今や「アベノキカンシ」に零落してしまった感がある。

芝居を見に行く支度をしていたら愛妻が(照れるなァ)チケットを見て、「あんた、この劇、前に見てるわよ」と言われてしまい、調べたら5年前に確かに見てる。「見てたオレが忘れてて、なんで見てないお前が憶えてるんだ」などと訳の分からぬことを言いながら出かけた。
観劇したが、前回のことは完全に忘れてる。だから新鮮な気持ちで観られた。
中島みゆきの歌じゃないけど、
「年をとるのは素敵なことです、そうじゃないですか。忘れっぽいのは素敵なことです、そうじゃないですか」。

舞台は東京は浅草にあるレコード屋オデオン堂の茶の間、時代は昭和15年から16年、つまり支那事変から始まった日中戦争が泥沼化しつつあり、太平洋戦争前夜の時期。
店主と後妻、長女の3人家族に下宿人として広告文案家、音楽家を目指す学生。5人は揃って音楽好きだ。その音楽は敵国のジャズであったり、軟弱な流行歌であったりと、およそ時局には合わないものばかり。
そこに陸軍に入隊していた長男が脱走したとあって、周囲からは非国民扱い。追手として憲兵伍長が捜査に現れる。
しかし、従軍看護婦を目指す長女が結婚相手に選んだのは傷病兵。非国民家族から一転してオデオン堂は美談の家になる。傷病兵の夫はガチガチの軍人でなにかというと軍人勅諭や戦陣訓を持ち出し、自由主義的な雰囲気の残るオデオン堂の人々と対立する。
軍を脱走した長男は炭鉱にもぐりこんだり、上海航路の料理人見習いになったりして逃亡を続ける。彼を追う憲兵伍長は張り込みを目的にオデオン堂に下宿する。
長女は妊娠するが、こうした状況に絶望し、自ら胎児を堕そうとして・・・。

過酷な状況にあっても、いつも笑顔と歌を忘れない愛すべき庶民を描いた芝居で、まさに井上ひさしの人間賛歌の結晶と言って良い。
自分の腹に石を打ちつけ胎児を堕そうとしている長女に、下宿人の広告文案家はこう説く。
「宇宙には無数の星がある。その中で地球のような星はいくつあるのか、いくつもない。この宇宙に水惑星があること自体が奇蹟なのです。水惑星だからといって必ず生命が発生するとは限りません。ところが地球にあるとき小さな生命が誕生しました。」
こう言って、この宇宙の中であなたが存在していること自体が奇蹟だし、宿した生命も奇蹟なんだと説得する。
劇の中では全部で21曲の歌が挿入され、ストレートプレイでありながら音楽劇のように歌い踊る楽しい舞台となっている。
もちろん、井上作品らしく、半島から強引に連れてきた朝鮮人たちを劣悪な条件で働かせていた実態とか、高級軍人と経営者との癒着といった問題へも切り込んでいる。

この作品の最大の特長は終幕にある。政府の統制令によりオデオン堂は閉店させられる。全員が集まってお別れのパーティをするのだが、これが昭和16年12月7日、真珠湾攻撃の前日だ。各人が希望を抱いてそれぞれの道を進む筈だが・・・、ここで舞台は暗転。
最終シーンは全員が防毒マスクをつけて黙って立っている。
つまり登場人物の悲劇的な結末を暗示しているわけで、怖ろしい仕掛けが隠されていた。

出演者ではオデオン堂店主を演じた久保酎吉と、広告文案家を演じた木場勝己の存在感が圧倒的で、この二人が出てくるだけで「きらめく星座」だ。
店主の妻を演じた秋山菜津子の演技が素晴らしい。彼女の存在がこの舞台に明るさを与え続けていた。歌や踊りも上手いし、なにより色気がある。下町の小股の切れ上がった女性というイメージが合う。
傷病兵を演じた山西惇は愚直な人物像を、長男を演じた田代万里生は軽妙な演技を見せていた。
後藤浩明の軽快なピアノ演奏が華を添える。

東京公演は10月5日まで。

2014/09/09

沖縄との連帯の夕べ

2014年9月8日、文京シビックセンター小ホールで開かれた「沖縄との連帯の夕べ」に参加。開会10分前に着いたが既に満席で立ち見も満員ということでロビーにいたが、ここも最終的には満員状態だった。
こういう集会は苦手だが、沖縄については特別の思いがあり、それは負い目と言い換えてもいい。
太平洋戦争の末期、1945年3月から6月末にかけて日米で「沖縄戦」がたたかわれたが、これはいわば「本土決戦」の前哨戦ともいうべき戦闘だった。
双方の司令官が戦死するという戦史上でも稀な戦いだった。この時の米軍司令官は中将であったが、現在にいたるまでアメリカ軍史上、戦死者の最高位である。米兵の3分の1が戦闘中に精神に異常をきたし本国へ送還されたとのことだ。
日本側の死者は18万人を超え、その半数は民間人であった。
”我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた沖縄よ”(「沖縄を返せ」より)
なのだ。
沖縄戦中に米兵に強姦された沖縄女性は約1万人と推定されている。こういう事には触れたくないのだが、今のアメリカ国内では無かったことになっていて口をつぐんでいるので敢えて記した次第。
そうした犠牲を沖縄に強いながら、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したとき、沖縄は除外されそのまま米国の統治下に置かれてしまった。復帰は1972年になってからだ。
そして今なお、米軍基地の7割が沖縄に集中している。
これが沖縄に対する「負い目」だ。

何人かの人たちから発言があったが、一番印象に残った仲里利信氏の発言は、要旨次の通り。
仲里氏は自民党沖縄県連幹事長や、沖縄県議会議長を歴任してきた。先の総選挙では自民党の西銘恒三郎の後援会長をつとめ圧勝させた。それも西銘が沖縄に新しい基地を造らせない、あくまで普天間基地の移転先は県外、国外だという公約だったからだ。
ところが当選したとたん、公約違反して辺野古基地推進に変ってしまった。何度か説得したが本人の意思は変らず、それならと自分の方が自民党を離れた。
沖縄戦の時は仲里氏は8歳で、家族でガマ(洞窟)に入っていた時に3歳の妹が泣き止まないからと、日本兵が毒おにぎりを食べさせようとした。母は死ぬ時は皆でと言って家族全員がガマを出て山中を逃げ回った。母の母乳が出なくなって1歳の弟は死んだ。
教科書で、政府が「軍命による集団自決」という記述から「軍命」を外した時に、その撤回を求める県民大会を開いたが、仲里氏は県会議長として実行委員長になって闘った。
オスプレイの配備と普天間基地の県内移設の撤回を求める「建白書」は沖縄県下の全市町村の首長と議長が署名した。沖縄では自民党も共産党もない、あるのはオール沖縄だ。自分は今でも沖縄自民党員だと思っている。
仲井眞知事も公約に違反して辺野古基地建設を認めてしまったが、沖縄県民の総意は「建白書」だ。
新たな辺野古基地は滑走路と軍港を兼ね備えた沖縄では初めての基地となる。従来の基地がアメリカの一方的な意向で建設されたのに対し、辺野古は日本政府の意志で建設される。そこが質的に違う。
このままでは沖縄は米軍の軍事要塞にされてしまう。
どうしても辺野古基地の建設は阻止せなばならず、そのためには来たる沖縄県知事選で「建白書」の実現を掲げる翁長雄志(おながたけし)を勝利させねばならない。

仲里氏の発言からは、公約を裏切られた怒りと危機感が伝わってきた。それが本土の人たちに伝わっていないもどかしさも。
選挙公約を反故にして真逆な主張に変えるのであれば、議員を、知事を、いったん辞職して、再度審判を仰ぐべきであり、それが民主主義というものだ。
いま辺野古基地の建設準備が強行されているが、この工事を継続するか否かを問う沖縄での世論調査では、およそ8割の人が継続すべきではないと回答したという。
安倍政権の暴走を抑えるためにも、沖縄県知事選では「建白書」を掲げる候補者に勝利して欲しいし、そう願っている。

2014/09/08

日本が米国の「警察犬」になる日

月刊誌「選択」2014年7月号の「政界スキャン」という欄に、山崎拓のインタビューが載っている。ピンとこない人もいるかも知れないが、かつて小泉純一郎や加藤紘一と組んでYKKトリオと呼ばれた一人で、今は3人とも既に政界を引退しているが、山崎はいまだに派閥事務所を永田町に置いている。小泉政権下では自民党幹事長を務めた。国防族のドンと呼ばれ、冷戦後の安保・防衛問題を取り仕切ってきた人物だ。
その山崎が、現在の安倍政権の安全保障政策、特に解釈改憲による集団的自衛権行使の容認について、どのように感じているか興味があったので以下に紹介する。

【安倍自身は名誉欲でしょう。歴代政権でできなかったことを俺の力で認めるようにした。祖父が安保改定をやった。その孫なんだという自負心。それが何をもたらすかということを彼は深く考えない。つまり防衛政策の大転換になる。専守防衛をやめ、海外派兵を認める、ということです。派兵と従来の派遣とは大違いだ。】

これからの日本の外交安保政策がどう変わるかという点については。
【ある意味、米国は、老いぼれた警察官です。まだまだ世界の警察官として振る舞いたい気持ちはあるが、一方で国力低下、軍事費削減で中国から足元を見られている。そこで、この際日本の自衛隊を使おうと。老いぼれた警察官だから、連れて歩く警察犬が必要なんです。日本の自衛隊は警察犬になろうとしている。それに安倍は気づいていない。】
1966年に椎名悦三郎外相がアメリカの核抑止力について、「日本にとっては番犬のようなもの」と答弁したことがあった。米国を番犬として使いこなすのと、米国の番犬として奉仕するのでは天と地だ。

今後について、山崎はこう語っている。
【このことは日米安保条約の改定問題に直結する。なぜならば、日本が米国に対して基地提供する根拠は集団的自衛権を行使できなっからであって、普通に行使できるできるようになれば基地提供はしませんと同義だ。いずれ沖縄から基地提供の義務はなくなったという声が出てくるだろう。】
【安倍は日中戦争を辞せず、という構えではないか。少なくとも中国側は安倍の腹はそこだと見ている。ある意味、米国もそこを恐れている。だが、日本は絶対に勝たんですよ。鄧小平がいみじくも言っている。互いに一億人ずつ殺し合えば、日本人は一人もいなくなるが、中国には十三億人残ると。】

2014/09/07

『親の顔が見たい』(2014/9/6)

新国立劇場演劇研修所第8期生試演会『親の顔が見たい』
日時:2014年9月6日(土)14時
会場:新国立劇場 小劇場 THE PIT
作=畑澤聖悟 
演出=西川信廣
<  出演者  >
新国立劇場演劇研修所 第8期生 
梶原航、泉千恵(修了生) 
関輝雄、南一恵(文学座)

公演プログラムで作者の畑澤聖悟は次のように述べている。
【2006年、福岡県で中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した。衝撃だったのは加害者生徒の無反省ぶりである。ある者は教室で
「あーあ、死んじゃったのか。いじるヤツがいねーとつまんねえの」
と言い、またある者は被害者生徒の通夜の席で棺桶の中をのぞき込んで笑ったという。
いじめの加害者が被害者に対して責任を感じることは稀だ。しかしいくらなんでも人が死んだらなにか感じるのが普通じゃないか。
「親の顔が見たい」
というセリフはこんな時にあるのだ。】
この劇の初演が2008年であることから、戯曲は先の福岡での事件に触発された書かれたものと思われる。
作者は現役の高校教員でもある。
【劇中には私の教員としての経験が多く引用されている。親御さんに実際に言われた言葉もある。フィクションとして構成したが、二十数年の教員生活が積み重なって戯曲になったようである。】
『親の顔が見たい』は初演以来多くの劇団で上演されているようで、私も2009年に劇団大阪の公演で観た。それだけ内容に普遍性があり、観客の胸を打つ作品となっている証拠だ。
韓国でもロングラン公演され小説として出版もされているとのことで、学校のイジメ問題は諸外国でも共通の問題なのかも知れない。

舞台は、都内カトリック系私立女子中学校の夜の会議室。劇は終始この中だけで進行する。
この日の朝、2年生の生徒が校内で自殺しているのが発見され、担任教師に宛てて出された生徒からの手紙にイジメが示唆され、5人の生徒の名前が記されていた。
学校側は5人の生徒から事情を聞くとともに、それらの生徒の保護者を一堂に集める。
親たちは揃って「ウチの子に限って」とイジメを否定するが、次第に事実が明らかになると、今度は学校側と一緒に隠蔽を図ろうとする。しかし一部の親は同意せず、逆にイジメの証拠を示し、親同士の激しい怒鳴り合いと、責任の押し付け合いが始まる。
やがてそれぞれの家庭の事情や、親娘関係が浮き彫りになり・・・。

親たちが「子どもの様子はどう?」と訊くと、担任の教師は「普通にしてます」と答える。その「普通」とは、口裏を合わせてイジメの事実を否定し、自殺した被害者に対して一顧だにせず通常通りの態度を押し通しているという意味だったのだ。
終幕近くで、それまで必死に自分の感情を抑えてきた担任が、怒りを爆発させる場面が印象的だ。ここで観客がなぜこの劇のタイトルが「親の顔が見たい」なのかが分かる。
これから親娘協力して罪を償い、乗り越えて行こうとする姿を示唆する結末は救いを持たせていた。

芝居の作りは名作『十二人の怒れる男たち』を思わせるが、戯曲としてはこちらの方が優れている。舞台を通してそれぞれの家庭がどうなっているか、子どもの様子はどうなのかが眼前に見えてくる。緊張感溢れる1時間40分の舞台は手に汗を握る思いだった。
省みて、私たちも「顔が見たい」親の一人なのではないのかと。

総じて女優陣は好演だった。担任を演じた池田碧水は熱演、新聞配達店主を演じた根元宗一朗に華があった。惜しむらくは、校長役が校長に見えなかった。
文学座からの客演の関輝雄、南一恵の渋い演技が舞台をしめる。

公演は9月10日まで。

2014/09/04

【街角で出会った美女】ボスニア・ヘルツェゴビナ編

昨日9月3日に安倍改造内閣が発足した。結果としては「大山鳴動して」幹事長交代だけが目玉となった。
女性閣僚が最多に並ぶ5名が起用されたが、肝心なのは中身だ。そのうちの一人である山谷えり子は以前、参院の少子高齢化社会に関する調査会で、少子化の原因について次のように述べている。
「年齢を考えない過激な性教育、ジェンダーフリー教育や家族を否定するような家庭科など、バランスを欠いた教育が少子化を進めている面がある」
まあ、この程度の「頭」の人間の頭数さえ揃えりゃいいってもんじゃない。
今日発売の「週刊文春」の吊り広告を見たら、朝日新聞の販売店に対して投石やバイク破壊が行われているという見出しがあった。メディアやネットの一部にはこうした行為を肯定的にとらえる向きもあるのは実に嘆かわしい。
漫画家の小林よしのりが「本来は政治家が排外主義的な空気の防波堤になるべきなのに、逆にその空気を利用している」と書いていたが、その通りだと思う。
ヘイトスピーチ問題にしても、大事なのは法規制することではなく、政治を司る人たちの毅然たる姿勢だ

ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家。私たちがこの国の名前を知ったのは、1995年に終結した「ボスニア紛争」からと言う人も多いだろう。およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万人、難民・避難民200万人が発生した、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争だった。
現在は完全に落ち着いてはいるが、その傷跡はいまだに残されている。
おおまかに国の北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴビナ地方とよび、この両者が合わさって国名となっている。
政体はさらに複雑で、クロアチア人およびボシュニャク人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が主体のスルプスカ共和国という二つの構成体からなる。ね、分かりにくいでしょ。
加えて、国際社会の監督機関として主要国の代表者からなる和平履行評議会が設置され、同評議会の下に上級代表事務所が置かれ、上級代表事務所長は必要と認められるときは直接立法権、人事介入権を含む強力な内政介入権が発動できる。
どうやら完全に主権が回復しているわけではないということらしい。

下の写真の女性は、ボスニア・ヘルツェゴビナ最大の観光地モスタルのガイドさん、ヘルツェゴビナ美人ということになる。
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こちらは、セルビアとの国境近くの世界遺産の町ヴィシェグラードで、小学生たちを引率していた先生。美しい金髪を風になびかせていた。
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2014/09/03

「扇辰・喬太郎ふたり会」(2014/9/2)

”ぎやまん寄席 湯島編 第49回「扇辰・喬太郎ふたり会」”
日時:2014年9月2日(火) 18:45
会場:湯島天神参集殿
<  番組  >
前座・林家なな子『一目上り』
入船亭扇辰『麻のれん』
柳家喬太郎『寝床』
~仲入り~
柳家喬太郎『夫婦に乾杯』
入船亭扇辰『匙加減』

「ぎやまん寄席」は初参加、満席だった。
自由席で、チケットにふられた番号順に入場して空いてる席に着くというやり方だが、前に入った人が後から来る友人のための席取りが多い。特に前方2列付近の女性客グループが顕著で、これはマナー違反。主催者は注意すべきだ。
高座は異常に高く客には見やすいが、出演者は上るのに苦労していた。

なな子『一目上り』、扇辰が前座であれだけ演れるのは大したものだと褒めていたが、それ程でもなかったなァ。

喬太郎の1席目『寝床』、この人のこのネタは初めて。マクラで噺家の中には色々な芸事をしている人がいるが、自分は何もせずウルトラマンだけと語っていた。
『寝床』という演目だが、意外とツッコミ所が多く以前からいくつか疑問を持っていた。喬太郎の演出はその辺りを上手くすくい上げていた。
先ず主人公の旦那だが、年齢はいくつ位なんだろう。大店だし長屋も持つ資産家だ。商売で成功し道楽で始めた義太夫にのめり込むのだから、ある程度の年配かと思われる。定評のある名人文楽の演り方からは、その様に推定される。それにしては、この旦那の家族の影が見えない。主が義太夫を語るんだから、奥さんや子ども達が同席していないのは不自然だ。
志ん朝の演出では、奥さんは坊を連れて里に帰ったという風にしていて、これだと説明はつくのだが、そうなると旦那の年齢はせいぜい30代ってぇところか。若いのだ。
喬太郎のは後者の演り方で、旦那は若いと解釈される。
この旦那の義太夫を語る声というのはマトモに聞くと倒れたり病気になったりするほど凄まじい。それだったらこの旦那に稽古をつけている師匠はどうやって耐えているんだろう。不思議だ。喬太郎は奉公人の疑問として採りあげていたが、この点に目を付けたのはこの人が初めてではなかろうか。
当初はあれこれ理由をつけて義太夫の席を断った長屋の住人、それぞれヤリクリして出席してくるのだが。提灯屋や豆腐屋は他から職人を頼んでという言い訳は成り立つ。では女房が臨月だと言った人は?「もう生まれました」か。母親が高熱で寝込んでいると言った人は?「もう死にました」。
ウソをついて言い訳すると、後のフォローが大変だ。
下戸なのに取引先にムリヤリ酒を飲まされて寝込んだという番頭も、義太夫の席で酔って寝てしまい旦那にウソがバレル。
うん、これでアタシの疑問は氷解、かなりスッキリした。
店子の魚金は芝の浜で財布を拾い中に大金が、手代の文七は掛取りの50両を失くし大川へ身投げしようとして・・・など、喬太郎らしいクスグリも効かせて爆笑編の『寝床』に仕立てていた。
結構でした。

喬太郎の2席目『夫婦に乾杯』、こちらは新作だが何度か聴いている。サラリーマンもの。
マクラでは「落語教育委員会」の西日本ツアーでの喜多八のハイテンションぶりをネタにしていた。
酒造メーカーの開発会議で、新製品のおつまみ付きワンカップのネーミングをどうしようかという議題。様々な意見が出るが、話題はいつしか夫婦の会話についての雑談になる。結婚3年目の若い社員は日々会話していると言うと、周囲のベテラン社員からからかわれる。結婚して永い人はお互いの会話など無くなり、擬音だけで意志疎通ができると言う。
帰宅した若い社員は夕食のことで妻と話題が弾むが、チョッとした行き違いから喧嘩となり、以後はお互い擬音だけのヤリトリになる。翌日、出社して顛末を話すと、今度はベテラン社員が「君のお蔭で昨日は久々に夫婦の会話が弾んだよ」。
何ということもない噺だが、喬太郎演ずる若奥さんの仕種が色っぽく、その辺が見せ場になっている。同じ新作を演じても他の噺家と違いが出る由縁だ。

扇辰の『麻のれん』『匙加減』、両方とも完成度は高いし、この演目に関しては扇辰がトップと言って良い。
ただ、こうばんたび聴かされると正直言って飽きますね。時節柄、『お初徳兵衛』辺りを聞きたかったんだけどね。

今月はもう1回、この二人の会を観る予定。

2014/09/01

【街角で出会った美女】モンテネグロ編

YAHOOの意識調査で、いま次の設問に対するアンケート調査を行っている。
【国連の委員会などから、日本にヘイトスピーチへの対処が求められていますが、法規制は専門家も賛否が割れています。あなたはヘイトスピーチを法律で規制すべきだと思いますか?】
私の意見は「規制すべきでない」だが、掲載された主要なコメントを読むと、ヘイトスピーチ自体を擁護する意見が多い。もっとも現在のネットでは、こういう人たちに意見が多数を占めているわけで、驚くには当たらないのだが。
この人たちは人権、差別に関する条約や条文を読んだことがあるのだろうか。

国連総会で採択された「人種差別撤廃条約」では、次のように明記されている。
「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること」
「人種差別を助長し及び扇動する団体、及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を、違法であるとして禁止するものとすること」
これに対して日本政府は、「日本国憲法の下における『集会、結社及び表現の自由その他の権利』の保障に抵触しない限度において、これらの規定に基く義務を履行する」という留保を行った上で条約を批准している。
国内法でも、日本国憲法第14条第1項で国民は「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において差別されない」と明記されている。

私の意見は「ヘイトスピーチ」自体は不法行為であり、唾棄すべきものだが、現状では法規制に反対だ。
結論は一緒でも彼らの意見とは正反対だ。

さて、今夏に参加した西バルカン6ヶ国ツアーの中で、モンテネグロだけ再訪だった。
国土の面積が福島県とほぼ同じという小国だが、南部は全長73㎞にわたってアドリア海に面している。
なかでも最大の観光地コトルから、クロアチアとの国境近くのヘルツェグ・ノヴィに至る複雑に入り組んだ海岸線の美しさは息を吞むほどだ。
中世の面影をそのまま残すブドヴァの街並みと共に忘れ得ぬ光景だ。

ブドヴァにあるレストランの店員でまだ学生だろうと思う。
はにかんだ笑顔が可愛らしい。
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コトル旧市街の店の前でビラを配っていた女性。こういうスタイルの女性だと、ついついビラを受け取ってしまう。
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こちらも同じコトルで、土産物店の店員。コトル旧市街の女店員は美人揃い。ウソだと思ったら行って見て下さい。
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