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2014/10/29

「喬太郎エージ」が集う鈴本10月下席・夜(2014/10/28)

鈴本演芸場10月下席夜の部は「喬太郎ネガティブキャンペーン『笑えない喬太郎』」という企画で、どうやら喬太郎がトリで滑稽噺以外のネタをかけているようだ。もっとも滑稽噺をしても笑えない落語家もいるけどね。27,28日は三遊亭圓朝作『錦の舞衣(にしきのまいぎぬ)』を上下に分けて口演、「下」の28日に出向く。
会場は一杯の入り。出演者によると3割は前の日からのお客とか。そういえば客席前方には「喬太郎エージ」と思しき女性が多数を占めていた。
「喬太郎エージ」とは私が勝手につくった造語で、定義としては喬太郎が真打に昇進した2000年頃から寄席や落語会に足を運ぶようになった女性客をさす。
2000年に落語協会はたい平と喬太郎を同時に真打に昇進させた。その鈴本での披露興行で喬太郎がトリを取った日に見に行ったのだが、前方の席が若い女性客で埋まっていたのに驚いた。そして高座に上がった喬太郎とその女性客との間の空気が、まるでアイドルとファンの間柄のように感じた。本人もまだ自分のことを「キョンキョン」なんて呼んでたしね。
その時に、これからの寄席、あるいは落語そのものも変わって行くのかなという印象を持った。落語は大衆芸能だから客の好みに敏感だ。客層が変れば演じ手も変わる。
興行面からすれば人気=集客力だ。女性客に人気がないと興行が成りたたない、落語界もそういう時代になってきた。
かくして「喬太郎エージ」がその後の落語ブームの先駆けとなり、今も落語人気を支えている。
2000年代の落語界が柳家喬太郎を抜きにしては語れないと思う由縁だ。

10月28日の出演者と演目は次の通り。

前座・柳家圭花『道灌』
<  番組  >
柳家右太楼『金明竹』
林家正楽『紙切り』
三遊亭歌奴『初天神』
橘家文左衛門『手紙無筆』(*代演)
ホンキートンク『漫才』
柳家三三『浮世床~将棋』
柳亭燕路『猿後家』
~仲入り~
ダーク広和『奇術』
宝井琴調『赤垣源蔵徳利の別れ』
柳家小菊『粋曲』
柳家喬太郎『錦の舞衣・下』

全体に良い夜席だったが、長くなるのでトリネタのみの解説にする。
正直にいうと、このネタについては全くの無知。そのため先人のサイト「落語の舞台を歩く」を参考にさせて頂いた。
先ず三遊亭圓朝作『錦の舞衣』についての引用。
【19世紀末ヨーロッパで大変な評判を得ていた、 ヴィクトリアン・サルドゥー書き下ろしの戯曲「ラ・トスカ」。 これを1890年にプッチーニがミラノで観劇し、台本をもらい下げ、オペラ「トスカ」として新たに世に誕生させた。一方、日本ではその約10年前、ジャーナリストとして渡欧していた福地桜痴からサルドゥーの「ラ・トスカ」の話をきいた、落語の中興の祖と言われる、三遊亭圓朝が明治22年(1889)にこれを翻案し、人物の名前も原作の人物名を巧く邦名に変え、江戸を舞台として、人情噺として世に送り出した。】
戯曲『ラ・トスカ』のパリでの初演が1887年だから、その2年後に圓朝は落語にしてしまったということになる。オペラ化より10年も早く。明治の人の情報収集力っていうのは凄かったんだな。
オリジナルの主人公の女優トスカは踊りの名人「お須賀」に、原作の舞台となっているナポ レオン軍とミラノ王朝軍が1800年に交戦した「マレンゴの戦い」は1837年に起きた「大塩平八郎の乱」に、それぞれ置き換えているとのことだ。

落語の『錦の舞衣』だが、柳家小満んが口演したことがあるようだが、現在は喬太郎しか演じていないようだ。
ストーリーだが、「上」は聴いていないので、これはサイト「落語雑録2005」を参考にさせて頂き、ざっと粗筋を紹介する。
江戸の商人・近江屋は芸人や今でいう文化人の面倒を見るのが好きな人物。その中の一人である絵師で末は名人かと噂されている狩野毬信(まりのぶ)が「いくら精進しても、好きな女とも添えないようでは、私ももうやめたい」と言い出す。相手はとたずねると、踊りの師匠でこれまた末は名人の呼び声高い坂東須賀だという。さっそく近江屋はお須賀の元へ使いをやり、意向を探らせる。
お須賀は毬信描くところの自分の舞姿の画を持ってこさせる。その絵の左手にやにわに墨を塗り、こんな手は私の踊りにはない。名人を目指すならもっと精進をと言って、使いにその画を返す。首尾を聞いた毬信は感に堪えて、修業のために大坂に発つ。以来六年、画業に励み、江戸に戻った毬信とお須賀は夫婦となる。

ここからは当日の喬太郎の口演「下」のストーリー紹介。
絵の名人・狩野毬信と踊りの名人・坂東須賀の二人は結婚するが、お互いの芸道に障ってはいけぬと別居生活をしていた。
そんなある日、毬信のもとへ上方での修行時代に世話になった宮脇家の子息・宮脇数馬が来宅した。大坂で起きた大塩平八郎の乱の残党として宮脇の父は切腹、数馬も追われる身だ。数馬は江戸にいる母へ父から預かった手紙を届けたいという。毬信は世話になった恩返しにと数馬をかくまう。
しかし吟味与力・金谷東太郎の手下が嗅ぎつけ、窮地を察した数馬は自ら腹を切って命を絶ってしまう。謀反に加わった残党をかくまったとして、毬信が捕らえられた。その取り調べは苛烈でお須賀は裏から手を回して嘆願したが無駄で、毬信への拷問は厳しさを増すばかりだった。
実は与力・金谷東太郎は以前からお須賀に岡惚れしていて、お須賀を何とか自分のものにしたくてその下心から一番大事な夫を奪ったのだ。
夫を牢から出そうと奔走するお須賀に金谷の手下が近づき、ここは与力に身をまかせても力を借りた方が良いと言う。後日、須賀は船宿へ来いと金谷に呼ばれ、しぶしぶ船宿へ行った。
差し向かいでお須賀と酒を酌み交わす金谷、関係を迫るがなかなかウンと言わないお須賀。そこで手下が部屋の隅にお須賀を呼び、ここは大事な夫の命を助けるために操を捨てて操を立てろと迫る。金谷から単に遊ばれるのではと訝るお須賀に、今夜金谷が腰にさしている脇差は家宝の正宗、この脇差をお須賀に預けるようなら本心で遊びではないという証拠だと諭される。
お須賀の求めに応じて金谷は家宝の脇差をお須賀に預け、お須賀は金谷と一夜枕を交わす。
だが何日たっても夫は釈放されず、やがて狩野毬信は獄中にて酷く責められ、志半ばにして絶命してしまう。鞠信の遺体は大坂送りのところ谷中南泉寺にかろうじて埋葬される。
悲しみに打ちひしがれる須賀に、以前より懇意にしていた道具屋が訪れた。須賀は信頼できる道具屋に金谷から預かった脇差しの目利きをしてもらう。すると道具屋は、この脇差は真っ赤なニセモノ、刃先を畳に押しつけると曲がってしまう村松町でも一番の安物だと断言する。
騙されたと知ったお須賀は、夫の無念を晴らす決心をする。贔屓にしている根岸の料理屋で世話になった人達を呼び、一世一代の「巴御前」を舞う。お客たちから喝采を浴び、お須賀はその場に来ていた近江屋の主人に母親の面倒を頼む。そして翌日使う寮を女将に頼んでおいた。
次の日、お須賀の方から寮へ金谷を呼び出し酒を勧める。上機嫌になった金谷に前に預かった脇差の話を始める。これはニセモノと断じ、刀を抜いて刃先を強く畳に押しつけると折れてしまった。
嘘であったことがバレて焦る金谷の脇腹を懐に入れていた匕首で切りつける。さらに倒れた金谷の首を切り落とし、生首を風呂敷に何重にも包みそれを愛する毬信の墓前へ供える。「操を守りきれず、申し訳ございませんでした。これで本当の供養ができました」と毬信に語りかけ、須賀はしごきを取ってヒザを硬く縛り、懐に入れてきた匕首で自分の命を絶ってしまった。
調べていくと金谷の悪事が露見、金谷家は断絶。須賀は鞠信の墓に入れられた。
「これにて圓朝作『名人競べ錦の舞衣。板東須賀、狩野鞠信』のお噺、読み終わりでございます。」

ストーリーを読んでお分かりのように、全体が地味で興味がそそられるような場面もなく、陰惨な印象だけが残ってしまう。早くいえばツマラナイ。圓朝の作品といえども滅多に高座に掛からぬ理由はそこだろう。作品自体に問題があるのかも知れない。
喬太郎はマクラ抜きで本題に入り、ほとんどクスグリも入れず語り切った。この手の噺を飽きることなく緊張感を持って聴けたというのは、やはり喬太郎の話芸の力だと思う。
お須賀の揺れ動く心理が細やかに描かれ(踊りの師匠としては艶が欠けるが)、金谷東太郎とその手下の悪党ぶりが際立っていた。どうも圓朝の作品というのは悪党が上手く演じられるかどうかで仕上がりが左右されるようだ。喬太郎の悪役ぶりは板に付いている。
新作を古典の二足のワラジで、その古典も滑稽噺からこうした人情噺まで幅広くこなせる落語家は、そういるもんじゃない。
柳家喬太郎、やはり東京の落語界はこの人抜きには語れないのだ。

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コメント

私もこの噺で喬太郎を見直しました。

投稿: 佐平次 | 2014/10/29 11:05

佐平次様
おや、もしや、いらっしゃたんですか?
喬太郎はこのネタ、10年位前から掛けていたんですね。私は初めてでしたが。

投稿: ほめ・く | 2014/10/29 11:18

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