三三「鰍沢」談春「紺屋高尾」(2014/10/1)
「どうらく息子」落語会
日時:2014年10月1日(水)18時
会場:よみうりホール
< 番組 >
尾瀬あきら / 立川談春 / 柳家三三『トーク』
柳家三三『鰍沢』
~仲入り~
立川談春『紺屋高尾』
御嶽山の噴火により亡くなられた方は47人にのぼり、火山活動による被害では戦後最悪となった。
日々このニュースに接し、切ない気持ちで一杯だ。ご冥福をお祈りし、ご遺族の方々には心よりお見舞い申し上げます。
私たちの住む日本列島は気候や地形に恵まれている一方、地震、津波、噴火などの自然災害と常に向き合っていかねばならない厳しい環境に置かれている。ありふれた表現になるが、自然との調和なくしては生きていけない国土だということを心せねばなるまい。
『どうらく息子』というコミックの連載100回&単行本第10集発売記念の落語会。作者の尾瀬あきらと監修者の三三が企画し、談春に声をかけてこういう形に会にしたようだ。作品を読んだこともないし興味もないが、ネタ出しされていた2席は本人たちのを聴いていなかったので出向いたもの。
尾瀬あきらは、どうやら私とは同世代ではないかと思われ、ラジオの落語で育ち高校時代には落研(今はオチケンと呼ばれているが当初はラッケン)に所属してとのこと。そうした縁で落語家を主人公にした漫画を描こうという事になったとのこと。但し、落語界のことは知識がないので、その部分は三三に監修をしてもらっている。
談春が、「ラジオで聴いた落語って面白かったのか」と作者にたずねていた。こういう訊き方は「ホントは面白くなかったんでしょ」という主張の裏返しだ。面白かったよ、全てじゃないけど。戦後は娯楽が少なかったし、ラジオに出演した噺家たちはそれぞれの局の専属で人気落語家たちだったから。
尾瀬あきらは柳家三亀松の名をあげていたが、渋い。アタシも嫌いじゃなかったが、寄席での手抜きは感心しなかった。晩年に痩せて目だけ大きくなった彼を人形町末広で観たときは良かったね。一緒に行った女房がブルブルってふるえたそうだ。
三三『鰍沢』
三三の高座はマクラを含めてほぼ圓生の演出通り。このネタは圓生に尽きる。その圓生にしても出来不出来があり、手元に3枚のCDがあるが、昭和45年2月の落語研究会の高座が素晴らしいが、他はちょいと落ちる。それくらい難しいネタだといえる。
三三の高座は熱演だし丁寧で良かったが、やはり物足りない。
先ず、旅人とお熊との会話に緩急がなく淡々と運んでいる。セリフの「間」も、ここの所は長くここは短めという工夫が必要だと思った。
人物像でいえば、お熊にはもう少し凄みが欲しい。それと不必要なクスグリはリズムを損ねる。例えば旅人のセリフで「どちらにしても器量に良い方はお得でござんすね。」の後に「そうでない方は・・・」を加えた箇所。
良かったのは玉子酒の飲みっぷり。旅人とお熊の亭主とでは飲み方を変えていた。こういう所は大事だ。
もちろん、現役の演者の中では相対的に高いレベルだとは思うが、他ならぬ三三なんだからより高みを目指して欲しい。
談春『紺屋高尾』
談春という人はきっと我がままなんだろう。独演会向きで、共演者があるような落語会は概して出来が悪い。
朝日の記事によれば、専属の音響や照明のスタッフを抱えていて、独演会では彼らが先乗りして高座の見え具合、音響などを全てチェックし準備するのだそうだ。完成度の高さはそうした陰の努力によっても支えられているわけだ。他の会となると、そういかない。神経質な面もあるようで、そうした環境の違いが高座の出来に影響するようだ。
この日に限っていえば、出来は悪くなかった。トリということもあり、しっかりと演じていた印象を受けた。
通常の演出と異なり、久蔵が初めて吉原の大門をくぐり、たまたま見物した花魁道中の高尾の惚れてしまい、店に帰って親方の吉兵衛に高尾と夫婦になると宣言する。親方はそんな馬鹿なことは考えるなと一蹴するが、久蔵は恋煩いで寝込んでしまう。このままじゃ命にかかわると心配した親方の女房は親方に、とにかく一所懸命働きお金をためたら高尾に逢わせてやると言えと勧める。女房が言うには、その間に本人も夢から醒めるだろうと。親方も納得して、3年間働き15両貯めたら高尾に逢わせてやると久蔵に約束する。
この辺りの親方夫婦の心配りは丁寧に描かれ、久蔵に対して決して適当なことを言ったわけではなく、それなりの見通しがあっての事としている。
しかし3年後の久蔵は夢からは醒めなかった、初志貫徹で、約束通り高尾に逢わせろと親方にせがむ。親方が、やがてお前を養子にむかえ、ゆくゆくは跡継ぎにしてやると説得しても久蔵は考えを曲げない。
親方はきっと固い人なんだろう、吉原の作法を知らないからと、幇間(おたいこ)医者の薮井先生に世話を一任する。
薮井は、とにかく紺屋の職人では相手にされないから久蔵を野田の醤油問屋の若旦那に仕立てる。この支度は近所の人たちが総出で手伝ってくれるのだから、久蔵という男はよほど可愛がられていたんだろう。この愛すべき人物像が、後半の伏線になっている。
吉原に着いて茶屋にあがると、薮井は女将に敵娼(あいかた)に高尾を指名するよう頼む。吉原ではすっかり顔である薮井の依頼ということと、高尾がたまたまその日に身体が空いていたという幸運に恵まれ、久蔵は高尾に逢うことになる。
初会にしてお床入りというのは出来過ぎの感があるが、翌朝、高尾が次はいつ来てくれるかと久蔵にたずねると、3年後だという。あやしむ高尾に、久蔵はウソを謝り、高尾に思いを伝える。この部分は長すぎ、臭すぎに感じた。ダレた。
私見だが、高尾は大名や大金持ちの遊び道具という身分に飽き飽きしていたのでは。花魁という仕事にも。間もなく年季が明けて自由の身になる時に、自分の身の振り方として堅気の女房になることを考えていた。そこに真面目で一途な職人が現れ、この人に賭けてみようと思ったのではなかろうか。昔から、いわゆる風俗関係の女性で堅気の奥さんになるケースは決して少なくない。また男の側も、そういう女性を望んで妻にする人もいる。
とにかく、高尾は久蔵の思いを真剣に受け止め、来年の3月15日にネンが明けたら夫婦になると約束し、その言葉通り二人は所帯を持って、紺屋の店を繁盛させたという物語。
談春の高座は全体に説得力があり、この演目に新たな息吹を行きこんでいたように思う。
いくつか気付きをいうと、セリフで相手が何かいうと、「はぁ!」っという返事を多用しすぎる。
途中2回ほど、前席の三三の高座についてチャリを入れていたが、あまり感心できない。なんだろう、一息入れたかったんだろうか。
談春には珍しい言い間違いが散見された。
近ごろはドラマだけでなくバラエチィ番組にも出演するなどTVの露出を増やした談春、これからどう進もうとしているのだろうか。
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山田風太郎の「戦中不戦日記」を読んでいますが、20年2月だったか医大生の山田が三亀松を聴いて感心したことを書いてます。
空襲ひっきりなし、がらすきの寄席できちんとやったらしい。
投稿: 佐平次 | 2014/10/03 10:42
佐平次様
三亀松という人は、その時の気分次第で、ダメな時はサッパリでした。
ふつう色物の芸人は「音曲」とか「三味線漫談」という名称がつきますが、三亀松だけは「ご存知」でしたから、人気は大したもんでした。
投稿: ほめ・く | 2014/10/03 21:43
以前、聴いた時は久蔵が思いを伝え高尾が涙を流す場面があり(同じく長く…)少し興醒めでしたが客席では泣いている方が結構いらっしゃったので意図的?と思いました。ねじ伏せた感はありましたが、聴きごたえもありました。
投稿: 林檎 | 2014/10/04 09:00
林檎様
記事にも書きましたが、談春は途中で客席に「鰍沢で疲れたでしょう、もういいでしょう」と言って一息入れたり、ガッツポーズをとりながら楽屋の三三の方を見たりと、この噺の流れをとめるような仕種がありました。
久蔵が高尾に思いを伝える場面がダレたと感じたには、そのせいかも知れません。
投稿: ほめ・く | 2014/10/04 11:19