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2014/10/05

三遊亭萬橘独演会(2014/10/4)

第1回「四季の萬会」
日時:2014年10月4日(土)14:00
会場:浅草見番
<  番組  >
前座・瀧川鯉○『松竹梅』
三遊亭萬橘『宗論』
ゲスト・柳家喜多八『七度狐』
~仲入り~
三遊亭萬橘『井戸の茶碗』

萬橘の魅力は「どことなく可笑しい」ことだ。座ってるだけで可笑しい。しゃべり出すとまた可笑しい。こういうのを「ふら」とでも言おうか。
噺は上手いかといえば、決して上手いとは言えない。「ぞろっぺい」という表現に近いかな。だけど客を惹きつけるものがある。
言い間違い、それも噺の山場での言い間違いを2回見てるが、それを責める気になれない。
人徳だろうね、きっと。
普通の人の第一声は「エー」が圧倒的に多いが、萬橘は「ウー」だ。高座でしばらく「ウー」と唸っているので最初は具合でも悪いのかと思ったら、違った。
そしてこの度、いよいよ雲助の向こうをはって浅草見番にて定期独演会を開催する運びとなった。この日が第1回で、既に2回目の日程も決まってる。
開演前に並んでいたら、近くの女性たちが「今日は喜多八さんよね」「そうそう」なんて会話してたが、もしかしてお目当てはそっちか。油断なりませんぞ。
家に帰って女房から「今日は誰だったの?」ときかれ「萬橘だよ」と答えたら、「誰を満喫したの?」と言われてしまった。知名度はまだまだか。

萬橘の1席目『宗論』
通常と異なり、主の指示で奉公人が年末の大掃除をしている所から始まる。定吉が仏壇を掃除していてあやまって阿弥陀様の仏像を落とし、壊してしまう。いま思ったが、これは仲入り後の『井戸茶』つながりを意識したのかな。主が怒って定吉に阿弥陀様の尊さを説くと、定吉は居眠り。みな信仰心が薄いんだ。
そのドタバタの最中に息子が戻ってくる。雨の中を帰ってきても「ハレルヤ」。ここから先はほぼ通常通りだが、この息子は自分ばかりか父親にまで勝手に洗礼名(イボンヌだっけ?)を付けて呼ぶ始末。何かというと「ジーザス・クライスト」と叫ぶ。親父も黙ってない、「なに、爺さんが暗いだと。お前の爺さんは明るかったぞ」と切り返す。
息子は讃美歌を歌うと、途中で歌詞を忘れる。襖の陰では定吉がハモっている。親父も3日前に真言から浄土真宗に宗旨がえしたばかり。
この父にしてこの子あり。
やたら面白かった一席。
クリスチャンをここまでコケにして、全国キリスト教連合(なんて組織があるのかどうか知らないが)からクレームが来ないかしらん。

ゲストの喜多八『七度狐』
冒頭で喜多八は、夏になるとどうして『青菜』を演りたがるんだろうと。あの噺は上方でしょう、船場辺りの大店の主に似合う噺だと言っていた。
マクラで演じた小咄、なんていうんだろう。『からかさ』かな『唐傘のお化け』かな。はたし合いで手傷を負った侍が社に逃げ込む。そこには先客が一人、若く美しい女性だ。暗闇の中で寂しいだの寒いだのと言って侍を誘う。侍もその気になって手を伸ばすとピシャリとやられる。そのくせ又寒いから抱いてなどと誘い、その気になった侍に叩くやら引っ掻くやら。侍は呆れて寝入り、朝になると唐傘が一本。やがて中天高く舞い上がり・・・。「どうりで、させそうで、させなかった」。バレ噺かな。
こんなリラックスした感じからネタに入る。
オリジナルは上方落語の『東の旅』の中の一編、大阪から奈良を通ってお伊勢参りし、帰りは京都を見て大阪に戻るというコース。
因みに10月18日に桂文我独演会特番「東の旅」完全通し口演が昼夜で行われる。ご希望の方はどうぞ。
上方の『七度狐』は前半で二人の旅人がさんざん狐に化かされ、ようやく尼寺に辿りつくのだが、喜多八はその後半からスタートした。
尼寺の本堂にムリヤリ泊めてもらった二人の男だが、尼から深夜になると墓場の骸骨が相撲を取るとか、若い女の幽霊が赤ん坊をあやして子守唄を歌うとか、賑やかになると脅かす。その上、尼は隣村に葬儀があるからと出かけてしまい、残された二人は・・・。
初めのうちは尼さんをどっちが取るかジャンケンしよう等と助平なことを言ってた二人だが、幽霊に脅されて「かっぽれ」を歌わせられる始末。
喜多八はまるで自分の独演会のように楽しんでいた。

萬橘の2席目『井戸の茶碗』
冒頭で、正直者というのは他の誰かに迷惑をかけていると言っていた。このネタもそうだ。
このネタについては奇をてらわず、全体的に通常通りの演出だった。
違いは、
・くず屋の清兵衛のことを細川家の侍・高木佐太夫が終始「ごみ屋」と呼んだこと。
・高木が買った仏像から50両の金が出て、清兵衛が千代田卜斎宅へ返しにいくと受けとれない受け取っての押し問答。しまいには卜斎が娘に「刀を持て」と命じると、清兵衛が「刀を持ってるんだったら、それを売りなさい」という場面。
・仕方なく高木の元へ50両持ち帰ると、今度は高木が中間の良助に「槍を持て」と命じる場面。
ぐらいか。
登場人物は全員が正直もの。お蔭で千代田卜斎と高木佐太夫は幸せになりましたとさ。
でも清兵衛はどうなんだろう。命がけの思いまでして、しばらく仕事にならず、あまり恩恵に与かっていない。お礼に10両貰ったが、割に合ったのかな。
とにあれ、萬橘の手にかかると、このネタも軽くて楽しい噺になってしまう。

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コメント

満喫どころか一度も聴いたことが無いようです。好い落語会でしたね。
今度は行きたい!

佐平次様
二ツ目の「きつつき」の頃から注目していました。近ごろハイテンションで飛ばす若手が多いなか、珍しく脱力系です。小さな会で一度この人にいじられた事がありましたっけ。

圓楽のところにも逸材はいるんですね。
新宿、池袋、上野、浅草あたりに定期的に出て欲しいもんです。
トリに好楽、兼好・・・

雪解け未だし、でしょうか。

福様
圓楽一門が芸協と合同するという動きがありましたが、内部の反対でパーになりました。
クセの多い立川流と違い、圓楽一門なら既存の協会にも溶け込みやすいんでしょうが。

唐傘が出てくる小咄は、「落ち武者」という演目名が付いているようです。

8月にあった喜多八膝栗毛でもやっていて、演目表にそのように書かれていました。

ついでに、この時もその後が七度狐だったのですが、演目表では、尼狐になっていました。

なかとみ様
お気付き有難うございます。『落ち武者』なんですね。
『七度狐』はこの日の演目で張り出してありましたが、喜多八の高座では後半の尼寺の場面だけなので『尼狐』にしたのでしょう。

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