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2014/10/10

「桂吉弥独演会」(2014/10/9)

噺家生活20周年「桂吉弥独演会」
日時:2014年10月9日(木)18時30分
会場:国立劇場小劇場
<  番組  >
桂塩鯛『二人癖(のめる)』
桂吉弥『高津の富』
ゲスト・柳家喬太郎『ハンバーグのできるまで』
~仲入り~
桂吉弥『地獄八景亡者戯』

歌手などではよく芸能生活00周年コンサートと銘打って公演をしているが、東京の落語家ではあまり見られない。この日の桂吉弥の独演会は噺家になってから20周年を記念したもので、通常は毎年国立演芸場で開いているが、今回は特別ということで国立小劇場での開催だ。ゲストの喬太郎とは1998年のNHK新人演芸大賞決勝で顔を会わせて以来の付き合いらしい。その時の優勝者・喬太郎の『午後の保健室』は衝撃的だったと吉弥は語っていた。
最初に指摘しておきたいのは、終演時間が予定より40分ほどオーバーしていた点だ。落語会だから多少のズレは仕方ないが、後の予定があるお客もいるんだから終演が大幅に延びるのは感心しない。

喬太郎『ハンバーグのできるまで』
自分の会じゃないと気が楽だと語っていたが、この日はマクラから弾けていた。客席は喬太郎のファンも多かったようだ。このネタは5度目ぐらいかな、もっと多いかも知れない。彼の新作の中でも完成度が高く、そのせいでしばしば高座に掛けるんだろう。別れた妻が訪ねてきて、彼の好物であるハンバーグを料理してくれるというストーリー。
前半の商店街の人々が、食材を買い求める彼の姿を自殺でもするんじゃないかと心配し合うという笑いの場面から、後半は一転して元妻が再婚を報告するために彼を訪れたと分かる切ない幕切れという構成になっている。元妻の告白する時の表情と、それを受け止める彼の表情との対比がよく描かれている。
男女の切ないラブストーリーというのは以前の新作落語には無かったもので、この分野については喬太郎が切り拓いたと言っていいだろう。
出来も良くタップリ感もあったが、内容、口演時間ともに主役を食ってしまった感は否めない。

吉弥の1席目『高津の富』
東京では『宿屋の富』として演じられるこのネタは、いつの頃からか2番富を当てると妄想する男にスポットライトをあてる演出が主流となっている。吉弥も同様だった。
緊張していたのか、滑り出しは良くなかった。特に因州から来たお大尽というふれ込みの客の人物像が不出来だ。あれではいくら大法螺を吹いても宿の主人は信用しない。
高津の富の抽選会に移ったあたりから調子が出だし、2番富の男の妄想ぶりは良かった。
泊り客の男が抽選の張り紙を確認するシーンでは、以前から疑問に思っていたのだが、当選したら直ぐに高津神社の富の会場へ行って手続きしなくてはならないのに、なぜ泊り客は真っ直ぐに宿へ戻ってしまうのだろうと。
吉弥は、ここの所は当選を届け出た後に金は本人宅に届けられるという設定にしていた。これなら宿へ間直ぐに戻った理由も納得できる。
1番富に当たった男と宿の主人の歓喜もよく表現されていて、中盤以後は良く出来ていた。

吉弥の2席目『地獄八景亡者戯』
短く『ばっけい』とも称される上方落語の大ネタで、かつては桂米朝の十八番だったが今では米朝門下の人たちが多く手掛けている。特に枝雀、吉朝の口演が有名で他に桂文珍らがいる。吉弥としては大師匠、師匠の芸を継ぐわけだ。
落語としてはとても変わっていて主人公がいない。場面の転換とともに登場人物も次々入れ替わる。『源平』のように時事ネタ、ギャグ満載の落語だ。見る落語でもある。
吉弥の演出は以下の通り。
サバの刺身を食べて食当たりで死んだ男が冥土への旅路で伊勢屋のご隠居と再会するところ、道楽者の若旦那がこの世の楽しみに尽きて冥土への旅と洒落こみ芸者幇間一同を引き連れて冥土にやってくるまでの場面までは米朝と同じ。
三途の川岸のお茶屋の娘が三途河(しょうづか)の婆について語る場面では、婆を「STOP細胞」を開発しその後問題を起こした小保方晴子に見立てていた。
三途の川の渡し舟では、船頭の鬼がスマホを操作したり、エボラ出血熱で病死した人を登場させていた。
六道の辻には地獄の目抜き通り「冥途筋」の場面では、芝居小屋や寄席に冥土の人となった名人上手たちの名が登場するのは通常通り。初代と二代目春団治の親子会があったという所で「3代目はまだか」。
念仏屋の場面はほぼ米朝の通りだが、買い物シーンはカット。
閻魔の庁へ向かう途中に見える「紙の橋」はカット。
閻魔大王が出る場面では、閻魔の怖ろしい顔を作って見せた。
閻魔の庁での一芸披露大会では、先日亡くなった「やしきたかじん」を登場させ、ヒット曲を披露。替え歌で自己PRも。
地獄に送られた軽業師たちが人呑鬼を困らせる場面とサゲは米朝と同じ。
長講を飽きさせずに最後まで楽しませていたのは吉弥の実力を示すものだ。
ただ「やしきたかじん」に扮して歌う場面は頂けない。全体の流れからこのシーンだけ間延びし、その影響からか終盤がややダレテしまった。それと「やしきたかじん」は東京の人にはあまり馴染みがなく、物真似も似てるだか似てないんだか分からない。
吉弥としてはサワリの場だったのだろうが、東京公演として相応しいか疑問だ。

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